If I were a bird, I would fly to you.
もしも私が鳥だったら、あなたのもとへと飛んでいくのに。
これを習ったときに、疑問符だらけだった。
まず、この文の意味が成り立つのは、交通機関が発達していない時代を前提としているはずだ。伝書鳩で平均時速160kmくらい。隼(はやぶさ)は急降下時に時速300kmくらい出るが、水平飛行であれば、時速100kmくらいだ。ましては小鳥だと、オートバイで移動するほうがはるかに速い。
鳥の時速ならびに体力を考慮に入れれば、東京在住の人物が博多にいる恋人に逢いに行くのであれば、新幹線で逢いに行くのが正解である。けっして、鳥になって飛んでいくことではない。
この英文の意味が妥当なものとなるのは、交通機関が発達していない時代でなければならないはずである。疑問を抱く人がいないのが不思議でならない。
つぎに、突然、自宅のベランダに鳥にやって来られても、相手は迷惑なだけである。鷹や鷲などの猛禽類なら怖いだけだ。もしも、相手が鳥アレルギーであれば、どうなるか? ちっともロマティっクではない。
だから、初めてこの例文を目にしたときに、なんじゃこりゃと思ったのである。
世の中には同じようなことを考える人がいた。御茶ノ水大学教授の土屋賢二である。彼によれば、「もしも私が鳥ならば、私は人間ではなく、鳥の雌に恋しているだろう」となるはずだと何かに書いていた。
そのとおりだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿