2009年5月18日月曜日

地方出身で、かつ、地元ナンバーワン高校出身の親が陥(おちい)りがちな罠(わな)

 東京在住の地方出身者で、かつ、地元ナンバーワン高校出身の親が、高校受験で陥(おちい)りがちな罠(わな)について述べる。
 太平洋戦争で敗戦した日本は、GHQ(General Headquaters 連合軍最高司令官総司令部)によって、エリートを輩出しないようにと指導された。できるかぎり、小学区制にして、特定の高校(旧制中学校)に、立派な人材が集まらないようにした。それでも、東日本、とりわけ東北地方はその指導に従わない場合が多かったが、西日本では、おおむね、小学区制を取り入れた。
 その結果、西日本では、大阪などの都会を除けば、地域ナンバーワン高校といっても、まったく大したことのない高校となった。
 たとえば、私の出身高校の和歌山県立橋本高等学校は、「高校受験 高校偏差値情報」というサイトによれば、現在、探究科偏差値56、総合科偏差値53であるが、それでも学区ではナンバーワン高校なのである(私立を除く)。この程度の偏差値なので、地頭(じあたま)がすこぶるよければ、家庭でまったく勉強していなくても、中学3年生の夏休みから勉強し始めれば確実に合格できる。いや、本当に地頭のよい中学生の場合、塾に通わず、自宅で勉強することなくとも合格できてしまう。
 以前、自分の高校入試のときには、計算ミスして、数学は満点を逃し、綴(つづ)りを間違えて、英語も満点を逃し、理科と社会科は細かいことを暗記していなかったので満点を逃し、結果的には国語しか満点がとれなかったと、当校の生徒に話したところ、生徒たちは「この人はそれほどまでにすごいのか」と思ってしまったらしく、神妙な顔つきになったが、和歌山県の県立高校の入試問題や、橋本高等学校の推薦入試だかなんだかの問題を見せたら、大爆笑された。「これなら、5教科満点でも狙える」というのである。その通りだと思う。
 1学年315人のうち、自分の学年の場合、京都大学に3人が進学し、早稲田・慶應義塾には4人が進学したのだけれども、半分くらいが専門学校進学・就職だったと記憶する。このことを大学時代に都立国立高校出身の学生に話したところ、「うちは、たまにグレて大学に行かないというのが1学年に1人か2人いるくらいで、基本的にはほぼ全員が大学に進学するので、東大・京大・早慶に進学する生徒と、就職する生徒が同じ学校にいるというのは、考えられない」と、びっくりしていた。
 また、あるとき、当校の生徒が自動車で母親の実家に帰省するときに、途中で出雲大社に立ち寄る予定だと言ったので、その近くにある出雲高校は島根県でいちばん難しい高校だと指摘してから、そこの偏差値が62であると告げたところ、大爆笑していた。東京の感覚では、県内トップ高の偏差値が62というのは考えられないのだ。東京23区のそれぞれの区内でいちばん難しい高校でさえ、62は上回っているのだ(なお、確認してみたら、今は、松江北高等学校理数科が偏差値63で島根県下ナンバーワン高になっていた。それでも、たかだか63である)。
 地頭(じあたま)がよければ、偏差値63くらいなら、中学3年生の夏休みから勉強しても、充分、間に合う。
 こうしたことの結果、地方出身者で、地元ナンバーワン校出身の親は、東京の国公立も同じようなものだと思い込んでしまう。
 その結果、あんまり勉強していなくても、中学3年生の夏休みから勉強すれば、都立日比谷高校や都立西高校(どちらも偏差値70)でも、開成高校や筑波大学附属駒場高校よりも、はるかにレベルが低いのだから、簡単に合格できると思い込んでしまう。開成高校や筑波大学附属駒場高校よりも、はるかにレベルが低いという点だけはまちがっていないのだけどね。
 それで、受験に失敗してしまう。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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