坂井雅夫が担当したキ61[三式戦闘機「飛燕(ひえん)」]は高性能ではあったが、厄介(やっかい)な代物(しろもの)であった。
日本初の本格的な液冷式エンジンを備えた量産型の戦闘機だった。発動機(はつどうき=エンジン)は、ドイツの高性能発動機DB601をライセンス生産したものであった。「ハ40」というエンジンだった。しかし、高性能エンジンを製作する工作機械が日本にはなかった。1000分の3ミリメートルの工作精度がなかったのである。
さらには、ニッケルを使用材料から外すという命令があり、部品の強度が低下した。クランクシャフトが80時間ちょうどで折れたことがあり、信じられなかったという証言がある。
『翼をさゝえて』という陸軍少年航空兵第一期技術生徒による回想録集に掲載された坂井雅夫の回想によれば、「終戦まで苦心させられた忘れられない機種だった」と述べている。
坂井雅夫は、「整備の神様」と呼ばれた刈谷正意(かりやまさい)大尉とともに陸軍少年航空兵第一期技術生徒の出身であり、また、刈谷正意大尉と同様に、陸海軍航空部隊の精鋭を集めた陸軍航空審査部の整備隊に所属していた。刈谷正意は、『日本陸軍試作機物語』という著書がある。このふたりは、べらぼうにすごい整備兵だったようである。
1943年7月に、帝都防衛のための飛行第244戦隊にキ61三式戦闘機「飛燕」が制式化された。しかし、当時の日本の工業力を遥(はる)かに上回る性能を目指した「飛燕」は、並みの整備兵の手に負えるものではなかった。「ハ40」エンジンはなにかと壊れた。
刈谷正意大尉は、このときすでに、二式単座戦闘機(にしきたんざせんとうき)「鍾馗(しょうき)」の整備の方法を整備隊に指導して、液冷エンジンとちがって、多少は整備しやすい空冷エンジンとはいえ、戦時稼働率100%という驚異(きょうい)の数字を叩(たた)きだしている。現在、世界最高と言われる航空自衛隊の整備兵が整備していても、稼働率が90%なのに、である。
キ61三式戦闘機「飛燕」の整備に難渋(なんじゅう)した飛行第244戦隊が刈谷正意になんとかしてくれと相談した。刈谷正意は、自分は二単[にたん=二式単座戦闘機(にしきたんざせんとうき)「鍾馗(しょうき)」]が専門だから適切な指導はできないということで、陸軍航空審査部でキ61を担当していた坂井雅夫を推薦して送り込んだ。空冷エンジンが主流だったときに、坂井雅夫は液冷エンジンの熟達(じゅくたつ)した専門家だったからだ。
坂井雅夫は、飛行第244戦隊をはじめ、足を運べるところには赴(おもむ)いて、指導・伝習(でんしゅう)に飛び回った。その結果、飛行第244戦隊の戦時稼働率は80%になった。
坂井雅夫の回想では、「(ハ40という)国産エンジンになってからは無段変速(現在の自動車のトルクコントロールの原理)フルカン接手(つぎて)の調子不具合で性能低下が多かった」という。
「飛燕」に関する書物を読むと、帝都防衛の飛行第244戦隊での「飛燕」の稼働率が80%と異常なまでに高いのに、何故(なぜ)、ニューギニアの戦隊は稼働率が低いのかという疑問を、ある著者は抱(いだ)いている。最終的には、ニューギニアの「飛燕」は3機だけになり、その3機が敵の飛行戦隊に突っ込み、消滅した。
また、ある著者は、飛行244戦隊には、首都防衛のために、川崎航空機工業株式会社が、とくによい部品を飛行第244戦隊に供給していたのではないかとの推測を、根拠もなく、している。そうでなければ、あれほどまでに厄介(やっかい)なキ61三式戦闘機飛燕の稼働率を80%にまで上げられるはずがないというのだ。しかし、よい部品とやや問題のある部品を見分ける作業をするための時間もなければ、人材もいないのだから、それはありえないはずである。今なら、非破壊検査などによって部品の良し悪しを判別する余裕はあるのだろうけれども。
「飛燕」を取材した別の軍事ジャーナリストが飛行第244戦隊の飛燕の稼働率が異常に高いのは不思議だと質問したところ、帝国陸軍航空隊の関係者は皆、口々に言った。
「坂井君がいたからだ」
坂井雅夫は「キ61の神様」と呼ばれる男になっていた。
帝国陸軍航空審査部 坂井雅夫少尉:「キ61の神様」と呼ばれた男 その1
帝国陸軍航空審査部 坂井雅夫少尉:「キ61の神様」と呼ばれた男 その3
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自己紹介
- 掃除機庵主人
- 和歌山県, Japan
- 早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。
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