日曜日
やったぁ! 「梨の木」作戦は成功よ。でも、ちょっと怖かったわ。両足を広げて、片方の足を枝の上に、もう一方の足を塀の上に載せていました。木の枝を離さないで、ずっと握っていました。もうすこしで声をあげるところでした。そして、私は跳びました。塀の向こうに落ちそうになりましたが、バランスを取り戻しました。私はカミシャの庭を眺めることができました。
草や木がごちゃごちゃと生えていました。まさに雑木林です。茨や、傾いて生えている木々、野苺や高くのびた羊歯、それにたくさんの知らない植物が生えていました。とても綺麗で、とても手入れのゆきとどいたパパの庭とは正反対です。ひきがえるや蛇がひしめいていて、だれも入ったことがないような森の中に入っていきたいという気にはなりませんでした。
それから、塀の上を歩きました。簡単なことではありませんでした。ときどき、葉の繁った枝が塀の上におおいかぶさっていて、足の置き場がわからなかったし、石がはがれてカタカタと音を立てていたり、コケが生えて滑りやすくなっていたりします。すごいものを見つけました。梯子が塀に立てかけられていたんです。屋根裏部屋に上がるのに役に立ちそうな、手すりのついた急な階段みたいな梯子です。ずっと昔から私のために置いてあったような気がしました。苔が生えて緑色になっていて、虫に食われています。手すりはなめくじのせいでねばりついていました。それでも、おりていくにはとても都合がよかったし、それに、梯子がなかったら、どうしていたのかわかりません。
さあ、私はカミシャの庭にいるのよ。鼻のところまで届く背の高い草が生えています。森の中の古い小径を歩きました。その小径は消えかかっています。いくつもの珍しい大きな花が私の顔に触れます。胡椒と小麦粉のにおいがしましたが、でも、ひどくむせてしまいます。よいにおいなのか、いやなにおいなのか、決めることはできません。たぶん、同時に2つのにおいなのでしょう。
すこし怖かったのですが、好奇心がありました。この場所全体は、ずっとずっと昔からほったらかしにされているようです。かなしげで、今日のように太陽が沈むときの光景みたいに綺麗です……。曲がり角、緑の廊下、そして私は敷石がまん中にあるまるい空き地のようなところに到きました。カミシャが敷石の上にすわっていました。私が近づいてくるのをカミシャは静かに見つめています。パパの庭にいるときよりもカミシャは不思議と大きく、たくましく見えます。大きく、たくましく見えてもカミシャです。私にはわかります。目の縁のところに白いあざをつけている猫はほかにいませんからね。カミシャはものしずかで、立派に見えます。あわてて逃げ出したりしません。なでてもらおうと私のところにやってくるわけでもありません。カミシャは立ち上がり、空き地の向こうへ静かに歩いてゆきます。教会のろうそくのようにしっぽをぴんとまっすぐに立てています。繁みに隠れる前にカミシャは立ち止まって、ふりかえり、私がそこにいるかどうかを確かめました。ええ、カミシャ、来ましたよ、私は来たんですよ。カミシャは長い間、満足そうに両目を閉じていました。そして、また、静かに歩きはじめました。私にはカミシャがカミシャに見えません。だって、もうひとつの庭にいるのですから。この庭では、カミシャは王子様のようです。
草が繁っていて、ところどころ、小径は消えていました。そんな小径に沿って、何度も曲がったりして、私たちは進んでいきました。そうして、私たちはたどりついたようです。カミシャはふたたび立ち止まり、私のほうをふりかえって、金色の目をゆっくりと閉じました。
私たちは雑木林のはずれにいます。目の前には、まるい柱のあずま屋があります。まるくて広い芝生のまん中に、あずま屋のまるい柱はまっすぐに立っています。大理石のベンチがあずま屋のまわりにとりかこんでいます。大理石は苔が生え、ひびが入っています。あずま屋のまるい屋根の下では台の上に石像が立っています。石像はまるはだかのかわいい男の子で、背中に羽根が生えています。男の子はかなしげなほほえみを浮かべながら、巻き毛の頭を傾けています。えくぼのある顔で、指先を自分の唇のところにあてています。弓と矢が台にぶらさがっています。
カミシャはまるい屋根の下にすわっています。私のほうに向かって顔を上げました。石像の男の子のようにカミシャは神秘的なほほえみを浮かべています。カミシャと石像の男の子は同じ秘密をもっているのかもしれません。その秘密は、ほんのすこしかなしいけれど、とても素敵な秘密です。それに、カミシャと石像の男の子はその秘密を私に教えたがっているようです。ここでは、なにもかもがかなしそうです。崩れたあずま屋も、ひびの入ったベンチも、この風変わりな芝生も、たくさんの野の花も、なにもかもがものかなしいようです。でも、私は大きな喜びを感じています。泣き出してしまいたかったけれども、しあわせでした。手入れのゆきとどいたパパの庭にも、床がよく磨かれているママの家にも戻れないような気がしてきました。
突然、神秘的な男の子やカミシャやあずま屋に背を向け、私は塀のほうへ逃げ出しました。気が狂ったように走りました。たくさんの枝や花が、ピシッ、ピシッと当たりました。そして、塀にたどりつきました。でも、梯子がどこにあるのかわかりません。あっ、あそこにあるわ。できるだけ速く塀の上を歩きました。古い梨の木があります。私は跳び移りました。私は自分が育った庭にいます。
2階にある自分の部屋に上がっていきました。ずいぶんと大きな声で泣きました。どうしてなのかわからないけれども泣いていました。いつのまにか、すこし眠ってしまいました。目がさめてから鏡を見ました。服は汚れていません。無事だったのです。あら、いいえ、血がすこしついているわ。ふともものところに血の痕がすこしついています。不思議です。どこにもかすり傷ひとつ見当たりません。どうしてかしら。困ったことです。私は鏡に近づいて、すぐ近くで自分の姿を眺めてみました。
私は青い目をしていて、まっ赤な唇をしています。ばら色のほっぺはふっくらとしていて、金色の髪は波打っています。
でも、10歳の女の子のようではありません。私はどんなふうに見えるのでしょうか。指先を自分のまっ赤な唇のところにあててみました。自分の巻き毛の頭を傾けてみました。神秘的なほほえみを浮かべてみました。石像の男の子にそっくりです……。
涙がほんのすこし浮かびました。
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