哲学科哲学専修では、必修科目として、キルケゴールの『死に至る病』を扱っていた。
呑(の)み会をすることになったので、その案内を作成し、そのコピーを教室で配った。
昨年、その科目を落第して、その年も受講している人たちもいたが、案内を配らないというのは、なんだか仲間はずれにしているようで、悪いので、そうした落第生たちにも案内のコピーを配った。
教室には、白髪頭(しらがあたま)のおばあちゃんもいた。ひと声かけて、その人にも案内を配った。
その人は聴講生(ちょうこうせい)だった。
クリスチャン(キリスト教徒)なんだが、教会での説教は聞くが、学問的にというか、アカデミズムの世界ではキリスト教がどういうふうに説明されているのかに興味を抱き、聴講生になったという。
その人は、高田馬場(たかだのばば)の居酒屋での呑み会にもやって来た。
男子学生は、おばあちゃんには興味がないので、あまり話しかけなかった。私は幹事ということもあって、そのおばあちゃんとある程度は話をした。
見ていると、そのおばあちゃんと積極的に話していたのは、第1子長女ばかりだった。どうも、第1子長女は、この手の心遣(こころづか)いに長(た)けているようだ。
2年生の夏休みに、早稲田大学の大隈講堂(おおくまこうどう)の前で、午後6時から翌日の午前6時まで呑み会をすることにした。各自(かくじ)が酒とつまみを持参するというものだった。
哲学科哲学専修の教授2人を誘ったけれども、夏とはいえ、石の上に坐(すわ)って12時間も呑み会をするというはついていけないということで、参加を断られた。
ところが、このおばあちゃんは、お酒とおつまみをたんまりと持って、やって来た。
途中、大隈講堂の裏にある劇団木霊(こだま)(正式な漢字は木偏(きへん)に旁(つくり)が霊という一文字である)の連中も合流して、おもしろかった。劇団をやっている人たちは基本的には貧乏なので、ただで酒が呑(の)めるとあれば、喜んでやって来る。中島さんという女子学生の劇団員が大好きになったな。
そして、3年生になったのだが、そのおばあちゃんは、よほど楽しかったらしく、哲学科哲学専修の必修授業を受講していた。うちの専修の第1子長女たちが気を遣(つか)って楽しくかまってあげたのが理由だろう。
まあ、聴講生として受講するには、問題はないし、聴講生の場合、「修了証」が発行され、成績が記される。「修了証」の成績が悪くても、聴講生なのだから、卒業には関係はない。
このおばあちゃんは、4年生になっても、これまた、必修授業の講義に出席していた。
「この授業はフランス語で形而上学(けいじじょうがく)の文献を淡々と読む授業だから、大丈夫なんですか? もっとも、英訳のプリントを配るそうですけど」と言ったが、まったく気にしていなかった。
そのおばあちゃんは、結局、哲学科哲学専修の必修授業を3年間、受講し、哲学専修の呑み会にはすべて出席した。
「私はね、みなさんと一緒に卒業いたしますわ」とそのおばあちゃんは言った。女学校しか出ていないから、大学という雰囲気(ふんいき)が楽しかったと言っていた。
高級住宅地がある芦屋(あしや)のお嬢さんだったそうだ。
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