小学4年生のときに、ド=モルガンの法則を習ったのかどうかは記憶にない。たぶん、習っていないんだろうな。ベン図は習ったのはまちがいない。
昭和46年から、小学4年生の算数の教科書に集合論が登場した。
数学には、それぞれの分野全体を貫(つらぬ)く共通のものが、一見すると見当たらない。
そこへ、19世紀に集合論が登場した。
アルフレッド=ノース=ホワイトヘッドAlfred North Whiteheadとバートランド=ラッセルBertrand Russellによる『プリンキピア=マテマティカ』Principia Mathematica(ラテン語で「数学原理」という意味)では、集合論、基数、序数、実数だけを扱っている。
昭和46年から小学4年生に集合論を教えることになるにあたって、強い影響を及ぼしたのは、ニコラ=ブルバキNicolas Bourbakiではないだろうか?
ニコラ=ブルバキとは、フランスの若手数学者を中心とする集団による共同ペンネームで、集合論によって数学を基礎づけようとした。
その著『数学原論』Éléments de mathématiqueでは、最初の4巻が集合論であり、第4巻は最初の3巻の要約版である。
ここで、注意深い人なら気づいただろうが、一般のフランス語では、数学はmathématiquesであるが、『数学原論』の原題では、語末の-sを取り去り、単数形のmathématiqueとしている。数学は統一性のあるものであるという信念をニコラ=ブルバキが抱いていることを示している。
一方、ニコラ=ブルバキの著書には『数学史』もあるが、こちらの原題は、Éléments d'histoire des mathématiques(直訳:数学の歴史の初歩→数学史入門)と複数形になっている。
こうした流れから、当時の文部省は、算数・数学の概念(がいねん)を明確にするために、小学4年生に集合論を教えることにしたのだろう。
昭和43年改訂の小学校学習指導要領には「集合については形式的な指導をすることがねらいではなく、積極的に集合に着目させることによって、内容の学習やその処理が適切にできるようにすることをねらいとするものとする」とある。
昭和43年改訂の小学校学習指導要領告示のうちの算数の部分
ところが、教育現場では、ちょっとした混乱が起こった。教える側の教師で、集合論が理解できていない者が少なからずおり、でたらめな授業をしたり、理解できない生徒をよりよく理解させることができず、どうせ子どもだからと嘘(うそ)を教えたりした。
そんなところへ、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞受賞の数学者・広中平祐(ひろなかへいすけ)などが、小学生に集合論を教えなくても問題ないと発言するようになった。
小学4年生への集合論の教育は、昭和46年から始まったが、9年後の昭和54年で終了した。
数学原論 (〔1〕)
数学原論 (〔2〕)
数学原論 (〔3〕)
数学原論 (4) 集合論 要約
1970年度に発行された『数学原論』第1巻の表紙

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