2014年6月5日木曜日

抹茶を探していたら、「紀伊の昔」「紀之昔」「紀之司」という銘柄(めいがら)があった。

正式に茶道をしているわけではなく、ただひとりで点(た)てたり、練(ね)ったりして抹茶(まっちゃ)をいただいているにすぎない。

ウェブで抹茶を探していたら、「紀伊の昔」「紀之昔」「紀之司」という銘柄(めいがら)があった。

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裏千家先代御家元 鵬雲斎宗匠より拝銘
紀伊の昔(きいのむかし)

表千家先代御家元即中斎宗匠より拝銘
紀之昔(きのむかし)

表千家先代御家元即中斎宗匠より拝銘
紀之司(きのつかさ)
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茶の湯のことは知らないから、不思議に思った。

調べたら、表千家4代有江岑宗佐(えみねそうさ)が紀州藩初代藩主徳川頼宣(よりのぶ)に招かれ、明治に至るまで表千家の歴代家元は紀州徳川家の茶頭(さどう)として仕えていた。二百石の禄(ろく)を受けていたという。

和歌山県出身だけれども、そんなことは知らなかった。

玉林園のウェブサイト

日本教職員組合(日教組)の強い地域では、人助けとなるものは別だが、郷土に誇りが持てる教育は、なるべく排除する傾向があったような気がする。

世界で初めて全身麻酔(ますい)を成功させた華岡青洲(はなおかせいしゅう)や、地震による津波から海岸近くの村人を救うために、高台(たかだい)に干していた稲むらに火をつけ、驚いた村人が高台にやって来て、その結果、津波の被害から逃(のが)れるようにした「稲むらの火」という物語のモデルとなった濱口儀兵衛(はまぐちぎへい)の話くらいしか教わっていない。

紀州藩に表千家が仕えていたことも、また、京都三十六間堂の通し矢に、「大矢数(おおやかず)」という一昼夜でどれだけ射通(いとお)せるかを競うものがあるが、その記録保持者、つまり通し矢の天下一は、紀州藩の和佐範遠(わさのりとお)であるということも、教わらなかった。

どうやら、庶民(しょみん)にとって手が出せない分野に関しては、教えないという方針が、日教組や日本共産党員の教員にはあったとしか思えない。




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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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