2012年11月4日日曜日

8月のことだが、インドネシアの「独立の日」Hari Merdekaをかけてみたら、日本の独立の歌が聴きたいと小学生たちに言われ……


 8月17日はインドネシア独立記念日である。日本が8月10日に停戦条約を結ぶ旨(むね)を発信し(無条件降伏は、正確にいうと間違い)、8月12日に連合国の回答がラジオ放送によって齎(もたら)され、8月15日に終戦の詔勅が放送された。それから、9月の始めくらいまでに、日本軍は武装放棄しているわ、欧米諸国は日本軍に蹴散(けち)らされて不在であるわ、という状況下で、いわばどさくさ紛(まぎ)れで、東南アジア諸国は独立宣言を行(おこ)なった。だから、この時期に独立記念日が集中している。
 インドネシアの場合でも、スカルノの私邸にて高々(たかだか)1000人の人間が立ち会って、独立を宣言したにすぎない。実際に独立するのは、1945年から1949年12月に亙(わた)る、オランダ軍を相手に80万人が戦死したインドネシア独立戦争を経(へ)てのものである。
 とはいえ、彼らは8月17日を「独立の日」としている。そして、8月17日には「独立の日」Hari Merdekaを唄(うた)う。
 今年の8月下旬にインドネシアの「独立の日」Hari MerdekaをYouTubeで再生して、流してみた。



 すると、当校の小学生たちから、日本の独立の歌はないのかと訊(き)かれた。
 植民地になっていないのだから、独立の日はなく、したがって、そんな歌はないと答えてから、それに対応(たいおう)するものとしては、建国記念の歌である「紀元節(きげんせつ)」というものがあると教えてから、それをYouTubeで再生してみせた。



 がっかりしていた。辛気臭(しんきくさ)いと感じたようである。

 「君が代」にしても、この「紀元節」にしても、厳(おごそ)かなる儀式で用いるものは、威厳(いげん)を保ちつつも、明るく軽やかというわけではなく、いくぶん、地味なものとなっている。
 一方、精神を高揚(こうよう)する場合には、軍歌などを用いる。
 このように、わが国では、場合分けしている。
 ところが、場合分けしていた一方が、軍国主義的あるということで禁止されたとまではいえないにしても、気楽に唄(うた)えない状況になった。すると、「君が代」に代表されるように、厳(おごそ)かといえば厳(おごそ)かだが、決して明るくはない歌ばかりになった。

 インドネシアのアイドルJKT48によるものとロック=バージョンの「独立の日」(Hari Merdeka)を掲載(けいさい)しておこう。




 アイドルからロックまであるのは、ちょっと羨(うらや)ましい。まあ、「君が代」にもロック=バージョンはあるけど。

 因(ちな)みに、私は反日教育が凄(すさ)まじい和歌山県で育ったので、「君が代」の歌詞は知っていても、ちゃんと唄えない。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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