その人は、短距離走は遅くはなかったが、身体能力は高くはなかった。
学習塾・予備校を運営していると、どういうタイプが成績が伸びやすいか、あるいは、成績が伸びにくいのかはわかる。スポーツや音楽ができるタイプは、本気を出せば、成績がすこぶる伸びやすい。
M先輩は、今にして思うと、成績が伸びやすいタイプではなかった。
中学校のとき、同じサッカー部にいたけれども、ボールの蹴(け)り方が、なんだか奇妙だった。
私は1年生のときからレギュラーだったが、M先輩は最後まで補欠だった。
スポーツや音楽のできる人間は、本気を出せば、少なくとも難関大学の受験までの勉強はできる。
たとえば、北京オリンピックのサッカー日本代表の監督だった反町康治(そりまちやすはる)は、清水東(しみずひがし)高等学校でサッカーの全国大会で優勝を経験し、スポーツ推薦で、大学に進学したが、その大学のサッカー部の監督の方針がどうしても好きにはなれず、中途退学し、受験勉強を始めた。
翌年、慶應義塾大学法学部政治学科に合格している。
スポーツまたは音楽の才能がまったくないのに、勉強ができるというのは、あまりないようである。
私が高等学校3年生になったとき、河合塾の模擬試験(もぎしけん)の日に、M先輩が、うちの教室にやって来た。生徒の分の机と椅子(いす)しかないから、倉庫から机と椅子(いす)を持ってきた。
「先輩、どうしたんですか?」と訊(き)いたところ、「浪人したから」と答えた。
1回目の模擬試験(もぎしけん)のときは学生服でやって来たけれども、2回目からは私服で来た。
M先輩は、家がどうしようもないほどに貧乏なので、予備校に通うお金さえなかった。
個人で河合塾の模擬試験を受けるよりは、高等学校での集団で受験するほうが受験料が廉(やす)くなる。それで、母校で模擬試験を受けに来ていた。
M先輩の家にはクーラーがなかった。浪人中、夏の間は、空調設備のある市立図書館で、午前9時から午後5時まで勉強して、夜は扇風機(せんぷうき)に当たりながら、パンツ1丁(いっちょう)で勉強した。
あまりにも貧乏なので、参考書や問題集を買うお金もなかった。いや、買えなくはなかったけれども、買うと、大学への入学金が出せなくなる。奨学金(しょうがくきん)というものがあるけれども、入学金は奨学金の対象ではないから、どんなに貧乏でも入学金は出さなければならない。
それで、M先輩は、高等学校に送られてくる「試供品(しきょうひん)」を教師からもらって勉強した。
「試供品」というのは、当社ではこういう参考書・問題集を作ったので、そちらの高等学校で採用していただけませんかということで、出版社が高等学校に送りつけてくるものである。
M先輩はそれらをもらって勉強した。
翌年、M先輩は岡山大学医学部に合格した。関東でいえば、千葉大学医学部くらいのものだろう。
私は他人の進学先にはあまり興味がなかった。だから、高等学校の同級生の進学先もあまり知らない。
しかし、ある同級生が「M先輩って、岡山大学医学部に合格したんやって。あの人って、頭がいいっていう印象がなかったんやけどなあ」と言った。
以上の話をすると、うちの生徒たちはすこぶる感動する。
一方、高等学校の同級生に無茶苦茶(むちゃくちゃ)頭のよいのがいて、半年ほど本気で勉強したら簡単に京都大学理学部に合格したという例もある。スポーツも音楽もできるタイプだった。
そのまた一方で、ものすごく真面目な同級生がいた。彼は、高等学校入学後に京都大学の過去問(かこもん)を調べて、3年後に合格するには、今後、何をすべきか、また、高等学校の受験用の勉強では駄目だと考えた。
その結果、勉強の方針を変え、3年間、こつこつと勉強していた。
彼はそれなりに優秀で、最終的には現役で京都大学文学部に合格した。
しかしながら、京都大学理学部に現役合格した同級生は、ほんのちょっと真剣に勉強しただけで英語・国語・数学の3教科での成績では軽く追い抜いた。
ところが、この同級生の話をしても、うちの生徒は感心しない。最初はちょっと驚くが、「頭がものすごくよくて、ものごとの処理速度が速い人なんでしょ」と思うだけらしい。
私自身は、小学2年生のときに実施された知能指数検査では、時間内ですべてを解き終え、翌日から教師の態度が変わったということがある。
早稲田大学とはいえ、大学での成績は「優」が8割で、「優」にも、A評定の「優」とB評定の「優」があるが、全体の65%以上は「A評定」の「優」だった。
なお、GPA (Grade Point Average)は3.76だった。最高が4.0である。アメリカ合衆国や英国の名門大学院に進学するには、3.4から3.6は必要だとされる。そうした基準を軽く超えている3.76だった。
しかしながら、うちの生徒は、それほど馬鹿ではないけれども、体力のある努力家にすぎないと私のことを思っているようである。
努力ができない馬鹿よりはましだと思うのだけれどもねえ。
その一方で、不器用で、地頭(じあたま)はそれほどよくはなかったけれども、努力して、名門医学部に進学したM先輩は、うちの生徒の敬意を集めている。「その人は本当にすごい」と。
頑張(がんば)れば同じようになれるのではないかと思える人は、モデル=ケースになれるからなのだろう。
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