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2014年4月26日土曜日

哀(かな)しきアルフレッド=ノース=ホワイトヘッド

アルフレッド=ノース=ホワイトヘッドAlfred North Whiteheadは、哀(かな)しい人である。

彼は相対性理論(そうたいせいりろん)に取り組んだ。

当時、ニュートン力学では説明がつかない事象(じしょう)が多く発見され、理論の再構築(さいこうちく)が必要だとされた。

さまざまな理論物理学者が、相対性理論に取り組んだ。突然、アルベルト=アインシュタインAlbert Einsteinが登場して、相対性理論を成(な)し遂(と)げたわけではなかった。

さまざまな論文が提出され、観測結果(かんそくけっか)などから、さまざまな理論がどんどん脱落(だつらく)していった。

そして、最後に残った2つの理論は、アインシュタインのものとホワイトヘッドのものだった。

このふたりの理論は、ほぼ同じであった。

たったひとつ違っていたのは、アインシュタインは、重力で光は曲がるとし、ホワイトヘッドは重力で光が曲がることはないという点だけだった。

日蝕(にっしょく)を観測したところ、太陽の向こう側にあるはずの恒星(こうせい)が観測できた。重力で光が曲がらなければ、見えるはずのない恒星が見えたのである。つまり、重力で光が曲がるということが判明したのである。

そして、相対性理論の栄誉(えいよ)はアインシュタインのものとなった。

ホワイトヘッドの第1の蹉跌(さてつ=つまずき)である。

その後、ホワイトヘッドは、バートランド=ラッセルBertrand Russellとの共著で、『プリンキピア=マテマティカ』Principia Mathematica(ラテン語で「数学原理」という意味)を刊行した。

この著書は、最後まで読んだ者が世界で4人しかいないとされる。たいていの論理学者は、前のほうだけしか読んでいない(私もそうです)。

それはともかく、クルト=ゲーデルKurt Gödelが「不完全定理」Gödelsche Unvollständigkeitssatzを提出した。

その結果、『プリンキピア=マテマティカ』の内容は、無矛盾(むむじゅん)でかつ完全であるということは、どうしても証明できないということになった。


また、ごく大雑把(おおざっぱ)にいえば、数学の基礎論における論理主義の矛盾を論理主義で解決しようとするというか、あるいは、集合論の矛盾を集合論で解決しようとするというか、そういうようなところがあった。

第2の
蹉跌(さてつ=つまずき)である。

その後、ホワイトヘッドは、ぐれてしまって、哲学に進んだ。

そういえば、バートランド=ラッセルは、自分の頭がよいときには数学をやり、頭が悪くなってからは哲学をやったと言っていた。

おいおい、最初から哲学をやった私の立場はどうなるんだ!? あ、最初から
頭が悪いってことか。

それはともかく、ホワイトヘッドは哲学に取り組んだ。「有機体(ゆうきたい)の哲学」というものだ。プロセス哲学ともいう。

その哲学に関しては『過程と実在』Process and Realityが著名である。しかし、たいていの人は知らない。


日本人の宗教観などは、基本的には自然崇拝(しぜんすうはい)なので、ホワイトヘッドの思想を受け入れる土壌(どじょう)がある。


しかし、漠然(ばくぜん)としたものであるとはいえ、日本には神道(しんとう)があるのだから、今更(いまさら)、ホワイトヘッドのプロセス哲学に与(くみ)する必要はそれほどない(はずである)。


これは、原始仏教や栄西(えいさい)の臨済宗(りんざいしゅう)や道元(どうげん)の曹洞宗(そうとうしゅう)などの禅(ぜん)の思想があるにもかかわらず、ごく一部の日本人がマルティン=ハイデガーMartin Heideggerの存在論(そんざいろん)に入れ込んでいるのと似(に)ている。


どうにも、不思議(ふしぎ)な現象(げんしょう)なのである。人文科学(じんぶんかがく)に関しては、西洋のほうが遅れている側面(そくめん)がある。ただ、日本は十全(じゅうぜん)
には言語化(げんごか)しないのだが……。

ホワイトヘッドのプロセス哲学は、無意識のものを含(ふく)めて、東洋趣味のあるごく一部の人々にしか受け入れられなかったような印象がある。

これは、現在の英米の哲学の主流が分析哲学や言語哲学であることからも伺(うかが)われる。

ただ、不思議なのは、東洋的思想に到達(とうたつ)したホワイトヘッドの思想をありがたがって、崇(あが)める日本人がいることである。

もっとも、ホワイトヘッドが日本に残した功績(こうせき)もある。

『観念の冒険(かんねんのぼうけん)』Adventure of Ideasという著書がある。

この題名は、なかなかかっこいいと思えるものだったらしい。

その後、日本の出版業界では『◯◯の冒険』という書名が多くなった。

それにしても、あれほど頭のよい人が、日本に対して残した最大の功績(こうせき)が『◯◯の冒険』という書名だけだったというのは、哀(かな)しい。

[まとめ]
相対性理論では惜(お)しいところで駄目(だめ)だった。2番だった。
数学を基礎づけようとしたが、ゲーデルの不完全性定理によって駄目を押された。
哲学に転進したが、じつは神道の考えを言語化したに過ぎないような内容だった(らしい)。
日本の出版業界で『◯◯の冒険』という題名を流行(はや)らせただけだった。

どんなに頭がよくても、タイミングが悪いと、その能力の割には成果(せいか)が出せないこともあるということなんだろうな。


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2014年4月25日金曜日

小学4年生で集合論を習った世代

高校生に集合論を教えている途中、私の世代は小学4年生で集合論を習ったと言ったら、驚かれた。

小学4年生のときに、ド=モルガンの法則を習ったのかどうかは記憶にない。たぶん、習っていないんだろうな。ベン図は習ったのはまちがいない。

昭和46年から、小学4年生の算数の教科書に集合論が登場した。

数学には、それぞれの分野全体を貫(つらぬ)く共通のものが、一見すると見当たらない。

そこへ、19世紀に集合論が登場した。

アルフレッド=ノース=ホワイトヘッドAlfred North Whiteheadとバートランド=ラッセルBertrand Russellによる『プリンキピア=マテマティカ』Principia Mathematica(ラテン語で「数学原理」という意味)では、集合論、基数、序数、実数だけを扱っている。

昭和46年から小学4年生に集合論を教えることになるにあたって、強い影響を及ぼしたのは、ニコラ=ブルバキNicolas Bourbakiではないだろうか?

ニコラ=ブルバキとは、フランスの若手数学者を中心とする集団による共同ペンネームで、集合論によって数学を基礎づけようとした。

その著『数学原論』Éléments de mathématiqueでは、最初の4巻が集合論であり、第4巻は最初の3巻の要約版である。

ここで、注意深い人なら気づいただろうが、一般のフランス語では、数学はmathématiquesであるが、『数学原論』の原題では、語末の-sを取り去り、単数形のmathématiqueとしている。数学は統一性のあるものであるという信念をニコラ=ブルバキが抱いていることを示している。

一方、ニコラ=ブルバキの著書には『数学史』もあるが、こちらの原題は、Éléments d'histoire des mathématiques(直訳:数学の歴史の初歩→数学史入門)と複数形になっている。

こうした流れから、当時の文部省は、算数・数学の概念(がいねん)を明確にするために、小学4年生に集合論を教えることにしたのだろう。

昭和43年改訂の小学校学習指導要領には「集合については形式的な指導をすることがねらいではなく、積極的に集合に着目させることによって、内容の学習やその処理が適切にできるようにすることをねらいとするものとする」とある。

昭和43年改訂の小学校学習指導要領告示のうちの算数の部分

ところが、教育現場では、ちょっとした混乱が起こった。教える側の教師で、集合論が理解できていない者が少なからずおり、でたらめな授業をしたり、理解できない生徒をよりよく理解させることができず、どうせ子どもだからと嘘(うそ)を教えたりした。

そんなところへ、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞受賞の数学者・広中平祐(ひろなかへいすけ)などが、小学生に集合論を教えなくても問題ないと発言するようになった。

小学4年生への集合論の教育は、昭和46年から始まったが、9年後の昭和54年で終了した。

数学原論 (〔1〕)

数学原論 (〔2〕)

数学原論 (〔3〕)

数学原論 (4) 集合論 要約


1970年度に発行された『数学原論』第1巻の表紙

2014年4月16日水曜日

リーマン予想について解説しているブログやウェブサイトが急に増えていた謎がわかった。

ときどき、数学に関することをウェブで検索する。

久しぶりにリーマン予想について検索してみた。じつはリーマン予想について知りたかったのではなく、リーマン予想に取り組んだある数学者の名前が思い出せなくて、検索してみたのである。

リーマン予想について解説しているブログやウェブサイトが無闇(むやみ)に増えていた。

ブログ主の経歴(けいれき)・プロフィールから、これほどまでにわかりやすく説明できる能力があるとは思えないものが多々(たた)ある。

一体、何が起こったんだと思った。

調べたら、判明した。

NHKスペシャル「魔性の難問~リーマン予想・天才たちの闘い~」が2009年11月15日に放送されていて、その番組の内容を、謂(い)わば、文字起こし、つまり、文章に直したにすぎないようなものや、あるいは、文字起こしされたものを読んで、それを書き直したものが大半だった。

テレビがないと、こういうことには気づきにくい。

こんなことを書いている私も、外国語のウェブサイトで述べられている内容を、引用元を明示(めいじ)せずに、引用、あるいは借用(しゃくよう)していることがあって、ときおり、驚かれるようだ。日本語の文献にはまったくない記事を書いているかららしい。

だから、こいつは一体、何者なんだと思うらしい。

その結果、「詳細(しょうさい)プロフィール」を読んだり、うちの「Google+(グーグル=プラス)」をチェックしたりする。

ただ、外国語が読めるだけなんだけどね。

とはいえ、日本の大学教授には、外国語が読めるだけの人が文系学部に多いのだが、オリジナルな研究ができなくても、なんとかなるらしい。もっとも、指導教官・指導教員に滅私奉公(めっしぼうこう)する必要はあるらしいが……。

2014年3月23日日曜日

数学者ラマヌジャンの伝記で大笑いしたこと

『数式に憑(つ)かれたインドの数学者』は、インドの数学者シュリニヴァーサ=アイヤンガー=ラマヌジャンSrinivasa Aiyangar Ramanujanの物語である。

ラマルジャンは毎日、定理を半ダース、見つけ出すような人物であった。

ゴッドフレイ=ハロルド=ハーディGodfrey Harold Hardyは、ラマヌジャンにさまざまな援助を行なった。

ラマヌジャンは体系的に数学を学んでいなかったので、証明というものがよくわからなかった。ハーディは、ラマルジャンの出した定理を証明した。ラマヌジャンに証明を強制するのはよい影響を与えることはないだろうと、ハーディは考えた。

ハーディは、数学史での自分のいちばんの業績はラマヌジャンを発見したことだと言った。また、数学者に点数をつけるとすれば、自分は25点、リトルウッドは30点、ヒルベルトは80点、ラマヌジャンは100点だと言った。

ハーディは、ジョン=エデンサー=リトルウッドJohn Edensor Littlewoodという数学者と共同で数多くの論文をしたためた。素数の分布に関するハーディ=リトルウッド予想は有名である。

『数式に憑(つ)かれたインドの数学者』を読んでいたら、つぎの一節に出喰(でく)わした。

---
そしてリトルウッドはと言えば、当時のケンブリッジではお目にかかれぬ人種であることが、たちまち見て取れた。彼は男性よりも女性を好むのだ。女性と過ごすのが好きで、女性の体を好んだ。ごく自然に女性と戯(たわむ)れる。
---

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2014年3月20日木曜日

国ごとの数学の得意分野

なんとなく、国ごとに、歴史的にみて、数学の得意分野があるような気がする。

英国は代数学で有名な数学者が多いような気がする。

フランスは、整数論で有名な数学者が多いような感じだ。

日本はというと、微積分が得意なようである。

ときおり、その理由を考えたりしてみるのだが、よくわからない。

フランスに、整数論の得意な数学者が多いのは、フランス語の数字の読み方が、12進法と20進法が混(ま)じっているから、むしろ、整数の性質を見て取ることができるのではないだろうか?

以前、石原慎太郎が、フランス語は数(かず)もちゃんと言えないことばだというような意味のことを言った。これは、あながち、不当な貶(おとし)めではない。

「80」のことを、quatre-vingtsというが、これは、文字通りには、「4つの20」という言い方である。

また、『プチ・ニコラ』Le Petit Nicolasというフランスの児童書を読んでいたら、生徒たちが騒ぐので、怒(おこ)った女性教師が、これ以上、騒ぐと午後の授業は、全部、計算にしますと言った途端(とたん)に、生徒全員がピタリと騒ぐのをやめたという場面があった。そのくらいに、フランス人は、というか、ヨーロッパ人は計算が苦手なのである。

一方、日本人は、小学3年生までは、世界でもトップ=レベルで、計算が得意である。

これついては、日本語の数字の表し方が、10進法的だからと説明する人々がいる。

話は戻って、フランスは整数論が得意である傾向がある。

たとえば、ロシアの盲目(もうもく)の女性数学者が、空間に関する業績でめざましいものを残したそうだ。彼女は、目が見えないからこそ、空間の本質とでもいうようなものを把(とら)えることができたのだろう。

これと同様に、フランスの数学者が整数論が得意な傾向があるのは、10進法的な数体系(すうたいけい)ではないからこそというのが考えられるのではないだろうか?

しかしながら、英国人の数学者が代数学が得意で、日本人の数学者が微積分が得意という理由が、今のところ、想像がつかない。

2014年3月8日土曜日

微積分のことをcalculusと書いてある数学書が英語圏には多い。

数学の「微積分」は英語ではdifferential and integral calculusという。

ところが、英語の数学書を読むと、微積分を、単にcalculusをしか書いていない場合がよくある。

日本の感覚では、calculusと書かれると「計算」と思ってしまって、戸惑(とまど)ってしまう。

慣れれば、大丈夫なんだけどね。

2013年11月20日水曜日

「(-1)×(-1)=1」の証明

(-1)×(-1) = 1

を証明するのに必要な知識は 


分配法則

だけである。

a(b+c) = ab+ac  ……分配法則

初めて分配法則を目にしたときには、「法則」というほどのものなのだろうか、きわめて自明で「当たり前すぎる」と思った人も多いのではないだろうか。

つぎの計算をしてみよう。

(-1){(-1)+1} = ?

計算で工夫のできる人は、

(-1){(-1)+1} = ?



{(-1)+1}

に着目して、

{(-1)+1} = 0

であり、0に何をかけても答えは0であると考える。

(-1){(-1)+1}

= (-1)×0

= 0

(-1){(-1)+1} = 0

さて、ここで、分配法則を当てはめて、式を展開する。

すると、(-1){(-1)+1= 0はこうなる。

(-1)×(-1)+(-1)×1 = 0

そして、(-1)×(-1)+(-1)×1 = 0のうちの、(-1)×1の部分だけを計算する。

(-1)×(-1)+(-1) = 0

(-1)を右辺へ移項させる。まず、両辺に+1を加える。

(-1)×(-1)+(-1)+1 = 0+1

(-1)+1 = 0であり、0+1 = 1なので、つぎのようになる。

(-1)×(-1) = 1


2013年11月18日月曜日

宝くじで11連勝したが、それっきり、宝くじは買うのはやめた。

早稲田大学の近くに第一勧業銀行があった。宝くじは第一勧業銀行が主催していたから、宝くじを売る屋根つきの屋台のような売り場があった。

あるとき、なんとなく、宝くじを買った。5等賞だかなんだかの末等(まっとう)だった。100円の宝くじを買って、100円が戻ってきた。

自分は運がいいかもしれないと思って、また、宝くじを買った。

末等(まっとう)だった。

そして、宝くじを買い続けたところ、1枚ずつしか買わなかったのに、11回連続して、末等が当たった。収支に関してはプラス=マイナス=ゼロである。

しかしながら、ふと、考えた。これは、確率的にはどういうものだろうか、と。

計算してみたら、ある人がたまたま宝くじを買って、1等賞が当たるよりも難しいことが判明した。それで、宝くじは買わないことにした。

この話をしたところ、つまらないことに人生の運を使い果たしたんですねと言われた。

2013年9月2日月曜日

数学の図形問題に関する日本とアメリカ合衆国の違い

日本では教科書検定があるので、ある程度、統一性がある。一方、アメリカ合衆国では教科書検定に相当するものがないので、たまたまその教科書だけのことかもしれない可能性がある。

日本では、図形問題の練習問題や高校入試の問題では、問題を解くのに必要な情報だけを書き込んでいるのが大多数である。不必要な情報を書き込むことはめったにない。もっとも、文系中心の私立大学附属高校の入試問題では、数学の教員の作問レベルが低くて、変なことをする人はいなくもないが……。

たとえば、円に関する問題で、中心Oが描(えが)き込まれている場合には、中心Oを通る補助線を引くものである。一方、中心Oが描き込まれていない場合には、中心Oを利用することは、まず、ない。こうした知識があるだけで、相当に効率よく成績が向上する。

ところが、インターナショナル=スクールに通う生徒の教科書に掲載されている練習問題では、問題を解くのに、なんの関係のない情報がむやみに書き込まれている。その教科書では、不必要な情報に埋(うず)もれている中から、必要な情報を見つけなければならない。

一方、日本では、大したことのない情報の中から重要な情報を見つける能力を試すのは、英語の長文読解や国語の評論文などで行なう。

普遍的(ふへんてき)に思える数学でも、教育方法には、違いがあるのである。

↓以下の記事も、それなりに興味深いよ。
中学受験の算数や高校受験の数学の図形問題を実際に描いてみる場合に必要となるものさしの長さの大部分は23cmである。

2013年7月24日水曜日

黒い『大学への数学』の研文書院が8月末に廃業する。

参考書『大学への数学』の研文書院が本年度2013年(平成25年)8月末に廃業するというのを知った。東京出版の月刊誌などの『大学への数学』と区別するのに、書籍が黒いので、「黒大数(くろだいすう)」と呼ばれている。

このことを知ったのは、うちの生徒が黒い数学の参考書を持っていたからだ。軽装版であったが、てっきり研文書院の『大学への数学』だと思い込み、「『大学への数学』か? それはやめとけ」と言ったが、啓林館(けいりんかん)の『Focus Gold(フォーカス=ゴールド)数学』というものだった。数学の参考書で黒いものといえば、研文書院の『大学への数学』しかないというイメージしかなかったのだ。



それで検索してみたら、研文書院の8月末の廃業を知ることとなった。





















たぶん、跡継(あとつ)ぎ社長の経営戦略がまずく、かつ、不動産などからの収入が充分にあるから、努力して続ける気がしなかったのだろうと思った。実際のところはどうなんだろうか?

2013年2月11日月曜日

ゲルト=ファルティングス:アンドリュー=ワイルズが怖れたにちがいない男

アンドリュー=ワイルズAndrew Wilesはフェルマーの最終定理Fermat's last theoremを証明した。

1986年の夏、証明に着手した。

彼は徹底した秘密主義で、証明を推(お)し進めた。フェルマーの最終定理を証明したという名誉が欲しかったようだ。証明の途中までを公表して、その続きをだれかにやられたら、証明をしたという名誉はその人物のものとなってしまう。

当時、アンドリュー=ワイルズが在籍していたプリンストン大学Princeton Universityには、谷山=志村予想Taniyama-Shimura-Weil conjectureの志村五郎がいた。フェルマーの最終定理は、谷山=志村予想、即(すなわ)ち、「すべての楕円曲線はモジュラーである」というのを証明すれば、その系として、フェルマーの最終定理の証明もおまけとしてついてくることがわかっていた。その志村五郎にまったく相談していない。

また、怖ろしく仕事が速いゲルト=ファルティングスGerd Faltingsもプリンストン大学の同僚であった。アンドリュー=ワイルズが最も怖れたのはゲルト=ファルティングスだという気が、なんとなく、私にはしていた。

学会誌などに、証明の途中経過を公表すれば、たとえば、フェルマーの最終定理の証明において貢献をしている加藤和也(美空ひばりの息子である加藤和也ではなく、美空ひばりの息子よりも男前で、しかも美空ひばりの息子よりも数学が得意なほう)あたりも、証明を完了するかもしれなかった。

フェルマーの最終定理を証明したと発表したのが1993年6月23日で、ここまでで7年かかっている。その間、代数幾何学を専門とするニック=カッツNick Katz(キャッツと発音する人もいる)を自分の研究室に呼び出し、この部屋でのことはだれにも言わないとの約束をしてもらった上で、苦手な分野について、これで問題はないかと訊(たず)ねようとしただけだった。

その後、自分の考えをニック=カッツに詳細に確認してもらうために、大学で講義を設定した。受講生はニック=カッツと、数人の大学院生だったが、大学院生たちは、講義のレベルが高すぎるために、つぎつぎと受講するのをやめた。その後は、ニック=カッツを相手に1対1で講義をするようになった。

最終的には、ニック=カッツは、それでいいと思うよと答えた。ニック=カッツは証明上の致命的な欠点に気づいていなかった。

最初の証明は、5人の数学者が分担(ぶんたん)して査読(さどく)し、不明な箇所についてはメールで質問し、アンドリュー=ワイルズから返信が届くということを繰り返した。

ところが、証明の過程上(かていじょう)に致命的(ちめいてき)な溝(みぞ;gap)が存在することが判明した。それに気づいたのは、皮肉(ひにく)にもニック=カッツだった。1993年8月のことだった。

その後、致命的な溝を修正するために、アンドリュー=ワイルズは1年以上、格闘することになる。

どうしても溝を埋めることができないままでいると、だれかに手伝ってもらえばという助言を受けるようになるが、どうしてもひとりで証明したいので、断り続けた。ひとりで証明したという名誉が欲しかった。

アンドリュー=ワイルズの弟子のリチャード=テイラーRichard Taylorなら、性格も人柄(ひとがら)もよいから、共同で証明したとは言い出さないだろうから、彼に手伝ってもらえばいいのではないかという提案は受け入れた。

ところで、一向(いっこう)に新たな証明が完成しないことを耳にしたゲルト=ファルティングスは「ワイルズができないんだったら、証明はそもそもできないんじゃないの」と言った。

最終的には、証明を実質的に完成させたのは1994年9月19日のことだった。それまで採用していたコリヴァギン=フラッハ法Kolyvagin-Flach methodを棄(す)て、以前に採用していたが、それを拡張した方法の証明ができなかったので応用することをやめた岩澤理論Iwasawa theoryを再び採用した。

これによって、致命的な溝を埋めることはなく、溝を巧(たく)みに回避した。致命的な欠点を解決したto solveのではなく、謂(い)わば、「解消」したto dissolveのである。

 新たなる論文はプリンストン大学・プリンストン高等研究所Institute for Advanced Studyが発行するAnnals of Mathematics(敢(あ)えて訳せば『数学紀要(きよう)』)の特別号に掲載された。

その後、アンドリュー=ワイルズは、自らの証明を、更(さら)にエレガントに[=簡潔で美しく]したものを執筆し、5人の数学者に配布した。そのうちのひとりがゲルト=ファルティングスだった。

ゲルト=ファルティングスは、その証明のうち、3分の1か、5分の1かの部分を、更(さら)にエレガントなものにしてアンドリュー=ワイルズに送った。

この話を知ったとき、腹を抱(かか)えて笑ってしまった。彼ならそういうことを悪意なしにやりそうだからだ。

当校の生徒の反応は2つにわかれた。

1)性格の悪い禿(はげ)のおっさんだ。
2)数学者なら当然のことをしたにすぎない。

ところが、話はここで終わらない。

京都大学数理解析研究所教授・望月新一の登場である。

彼は2012年8月30日、abc予想を証明する論文をウェブ上で公開した。

このabc予想の証明が正しければ、数多くの予想や定理が導かれる。のみならず、フェルマーの最終定理も簡単に証明できる。ということは、フェルマーの最終定理を証明するために8年かけたアンドリュー=ワイルズの業績が、空無化(くうむか)するとまではいえないまでも、霞(かす)んでしまう。

そして、なんと、望月新一はゲルト=ファルティングスの弟子だった。

なんというか、ゲルト=ファルティングスが送り込んだ刺客(しかく)のように見える。

この30年間のフェルマーの最終定理を巡(めぐ)るの数論の世界は、なんだか、プロレスみたいな気がする。

このあたりで加藤和也(あるいはその弟子)が参入してくれると、日本人としては、頗(すこぶ)る楽しいのだが。

また、最近は表立った活動をしていないニコラ=ブルバキNicolas Bourbakiも参入してくれると個人的に嬉(うれ)しい。ニコラ=ブルバキというのは、フランスの若手数学者の集団による共同ペンネームで、一定の年齢になると引退し、会員からの推薦により、その分野の数学者が新たに補充(ほじゅう)される。なんだか、新日本プロレスのスーパー=ストロング=マシン軍団みたいで面白(おもしろ)い。尤(もっと)も、出版に関しては、1998年以降、活動していない。



上の動画は、フェルマーの最終定理についてBBC(英国放送協会British Broadcasting Corporation)が製作したもの。

当たり前のことだが、ここに登場する数学者たちが今よりも一回り以上、若い。1995年から1996年にかけて放送されたものらしい。アンドリュー=ワイルズの師匠であるジョン=コーツJohn Coatesは、この時点で50歳くらいなんだけど、実年齢よりも若く見える。優秀な数学者と理論物理学者は、概(がい)して、実年齢よりも若く見える傾向があるようだ。

ついでに述べておくと、優秀な数学者・理論物理学者には禿(はげ)が少なく、いたとしても、前から禿上(はげあ)がる場合のみで、天辺禿(てっぺんはげ)は皆無(かいむ)である。もしも、高校で担当の数学教師が天辺禿(てっぺんはげ)の場合は、独学で勉強するしかないと、すっぱりと諦(あきら)めるしかない。

なお、サムネイル画像は志村五郎である。『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する鼠男(ねずみおとこ)と貧乏神とを足したみたいな外見だな。

2009年10月14日水曜日

「%(パーセント)」の筆順

「%パーセント)」の筆順(書き順)について訊ねられた。小学生は思いもよらないことを質問してくる。

 一般的には、「%」の左上の「0」を数字のゼロを書くのと同じように、頂点から反時計回りに描き、「/」を右上から左下へと描いてから、右下の「0」を、これまた数字のゼロを書くのと同じように描く。

 こうしたことは、「‰」(パーミル)」を知っていれば、容易に推測できるはずだと指摘したが、小学生は「‰」(パーミル)」を知らないのが普通なので、当然のごとく、説得力はなかった。

 ところが、実際の「%」の由来は、「小学校算数科に対するQ&A」によれば、こういうことだそうだ。そのままコピーする。

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「per cent」という言葉は15世紀にヨーロッパの商業の中心であったイタリアで多く用いられるようになり,当初は「p cent」 などと表記されていました。その後,「p」が省略され,「cent」が「Cの真上に小さい○を付した記号」に変わるなど徐々に変化を続けた結果,最終的に現在の「%」になったとのことです。
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 もともとイタリアではprimo(第1),secundo(第2)・・・などの代わりに,1や2などの数字の真上に小さい○を付した記号で表す習慣がありました。そのため「100について1」という共通単位を表す際に,cent(100)の頭文字をとって「Cの真上に小さい○を付した記号」が使われるようになったようです。
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 生徒から「%」の筆順を訊かれなかったら、たぶん、知らないままで人生を終えていたんだろうな。べつに、知らないままでも、困らないけど。
 でも、知らないままでも困らないことっていうのは、広い意味での教養ではある。

2009年8月2日日曜日

因数分解とフォークボール

 因数分解factorizationならびに平方完成completing the squareで苦労している中学生がいた。そこで、こんなことを言ってみた。

 因数分解と平方完成ができるようになるのは、フォークボールforkballの投げ方をマスターするよりは簡単だろ?

 ところが、フォークボールをマスターする方が簡単だという。
 そこで、野球部所属の高校生に、同じことを訊(き)いてみたのだが、フォークボールをマスターする方が簡単だという。

 いくらなんでも、それはないよなと思いつつも、いろいろと検討したところ、理由がわかった。
 このふたりは、手がでかいのである。一方、私はというと、手がそれほど大きいわけではない。少なくとも、フランツ=リストFranz Lisztの「超絶技巧練習曲」Etudes d'exécution transcendanteが演奏できるほどの手の大きさではない。 
 変化球に関しては、私の手の大きさは、SFF、すなわち、直球と似た軌道・球速で小さく縦に落ちるスプリットフィンガード=ファストボールsplit-finger fastballはマスターできても、フォークボールは相当にむずかしいものらしい。

 場合分けをしてものごとを考えられない人は、若いときに勉強をろくにしていなかった人だと、普段言っているのに、少なくとも、フォークボールに関しては、手の大きさによる場合分けをしていなかったことを反省している。

 ところで、SFFの日本語名は英語の綴(つづ)りと関係なく、「スプリットフィンガード」と「ド」がつくのだろうか?

  

2009年6月7日日曜日

円の中心はなぜ、O(オー)なのかと訊かれて困った。

 「円の中心O(オー)」というけれど、なぜ、「O(オー)」なのかと小学生に訊かれて、困ってしまった。
 円の中心ということは、「点」であることは間違いない。点はふつう、pointからとって「点P」を使う。そのつぎに登場する点は「点Q」となるが、「Q」はアルファベットで「P」のつぎの文字である。
 一方、「O」はアルファベットで「P」の直前の文字である。円の中心といういわば特殊な点なので、通常の点を示す「P」はやめて、「P」の直前の「O」にしたのではないかと考えた。
 そこで友人に問い合わせてみた。
 「『原点O』と同じで、originから採っているのではないか!?」
 あ、それがあったか。

 それはともかく、面積Sはsquareから採ったものだと思っていたし、たぶん、多数派はsquareに由来すると思っているだろう(じつは、これだと四角形の面積にしか当てはまらない)。また、surface areaに由来すると考えるむきもあるだろう。
 ところが、以下のリンク先の記述を読むと、sumまたはsummationの頭文字から採ったという説が、説得力があるように思えてくる。

面積を表す文字になぜSをつかうことが多いのか

2009年6月5日金曜日

17の自乗(2乗)が289であることの憶え方

 高校受験用の数学の問題集で、約分や素因数分解では、17の自乗(2乗)を憶えていると、計算でまごつかなくなる。一般には、11の自乗(2乗)から20の自乗(2乗)は憶えておくようにと、中学校の教師は指示するが、20の自乗(2乗)は400ということがわかるので、実際には、11の自乗(2乗)から19の自乗(2乗)まででよい。
 実際には、17の自乗(2乗)で、つっかえる生徒が多い。
 そこで、17の自乗(2乗)を語呂合わせで憶えるのを考えた。

稲庭饂飩(いなにわうどん)、喰う?

 い(1)な(7)に(2)(8)、うどん、く(9)う?

 正仮名遣い(せいかなづかい=旧仮名遣い)だと、

 いなにうどん、くふ?
 い(1)な(7)に(2)(8)、うどん、く(9)ふ?

 これは憶えやすいぞと思ったが、うちの生徒は、だれも「稲庭饂飩」を知らなかった。
 素麺(そうめん)でいうと、「揖保乃糸(いぼのいと)」ほどではないにしても、「三輪素麺(みわそうめん)」よりは知名度があると、個人的には思っていたので、ちょっとびっくりした。

 それにしても、自乗(2乗)の数って、計算していれば、自然に憶えてしまうものだと思うのだけど。

2009年6月3日水曜日

英国の数学教育:日本とのちがい

 日本で、多項式と多項式の乗法はつぎの順序で計算する。

(a + b)(c + d) = ac + ad + bc + bd

 ところが、英国では、こんな順番だ。

(a + b)(c + d) = ac + bc + ad + bd

 理由はわからない。
 個人的には、どの順番でもかまわないと思っているのだけれど、指導するという点では、生徒の間違えたポイントをすばやく見つけるためには、全員が同じ順序で計算するように指導したほうがよいという考えがあり、それに対して、異論はない。

 つぎは、円周率について述べる。
 日本の小学生は、円周率は3.14で計算する。一方、英国では、22/7(7分の22)で計算する。
 建築なんかで設計するときは、3.14で充分に間に合うそうだ。温度によって金属は膨張(ぼうちょう)したり、収縮(しゅうしゅく)したりするし、湿度によってもいろいろと変化する。だから、それほど細かい数字は必要なくて、3.14159265くらいで計算しなくてよいそうだ。
 なお、3.14よりも22/7のほうがπに近似である。

π-3.14=0.00159...
22/7-π=0.00126...

 日本の小学校も22/7でやればいいのにと思ってしまう。

2009年5月22日金曜日

「アルト=サックス、始めました」ときたか。

昨日の記事「数学と楽器演奏」で述べたが、両者には密接な関係があるにちがいない。あくまでも、経験的にだが。

公立高校の場合、やる気満々の中高一貫校とはちがって、文部科学省が決めたとおりのカリキュラムから大きく逸脱して、過度な先取りすることはない。英語に関しては、検定済み教科書ではない教材(Progress in English 21・Treature・Birdlandなど)を使うことは、一般的にはない。一方、中高一貫校のなかには、中学3年生終了時に高校2年生が学習するCrown English Course IIを終えている学校もある。

灘中学校・高等学校の場合、中学数学は1年とちょっとで終え、4年くらいかけて高校数学を学び、残りの1年を受験勉強にあてる。高校数学を始めてから、5年後に大学受験するわけである。普通は、高校数学を学び始めて3年後に大学受験なのだから、灘高校の場合、現役合格でも「実質2浪」じゃないのかとは言ってはいけない。中学2年生のときから高校数学を始められるということ自体、才能がいるし、高校1年生終了の段階で、受験していれば東京大学や京都大学に合格する学力を備えている者もいるのだから。

こうした状況を踏まえ、かつ、物理は数学がわかっていないと話にならないところがあるので(高校の数学II・Bを終えてもいないうちに物理を中学校から教えるところは、変な気がする)、公立高校であっても、自主的に先取り学習したほうがよい。

ところが、定期試験でまずまずの成績だと、自ら率先して先取り学習をしようという気にならないものらしい。

かといって、強制するのは、当校の方針ではない。

ということで、地道に説得するわけだ。


数学の才能が、10万人中で上位10人までのレベルであれば、べつだん、公立高校のカリキュラムどおりでもよいが、並みのレベルで「数学が得意」(上位3%)というくらいならば、どんどん先取りしたほうがよいと指摘した上で、「数学と楽器演奏」の話をして、楽器に入れ込んでいないのであれば、並みのレベルで数学が得意なだけである可能性が高いから、どんどん先に進めたほうがよいと述べる。

そうした際には、こんなことも述べる。

数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞受賞の広中平祐は独学でピアノにエネルギーを注いでいたが、始めた年齢が遅いということで、音楽家の道を諦(あきら)め、高校2年生から数学を真剣にやりはじめて、京都大学に合格し、「普通レベルの超難関大学の大学院レベル」の授業が展開される京都大学理学部数学科で落ちこぼれることがなかった(京都大学の数学科は100人いれば99人が落ちこぼれるとされる)。しかし、それは広中平祐だから可能であったのであって、普通のレベルの意味で数学が得意なだけの場合、どんどん先取りしたほうがよい。むろん、楽器演奏に入れ込んだことがあったからといって、超1流の数学の才能があるとはかぎらないが、しかし、少なくとも、楽器演奏に入れ込んだことがないのであれば、「普通レベルで数学が得意」にすぎない可能性が高いのだから、広中平祐のようになれるとは思わないほうがよい。


以上のようなことを、ときおり、話すことがあるのだが、こういうことを話した数日後、ある生徒がこう言った。


「アルトサックス、始めました!!!」


そうきたか。まるで「冷やし中華、始めました」みたいだった。

 

2009年5月21日木曜日

数学と楽器演奏

 数学の得意な人間は、楽器の演奏もできることが多い。

 フィールズ賞を日本人として初めて受賞した小平邦彦はピアノが上手だった。
 同じく、フィールズ賞受賞者の広中平祐は高校生のとき、音楽家になりたいと思っていた。
 相対性理論のアインシュタインはヴァイオリンの演奏が趣味であった。
 数学の基礎づけに関する研究をしたパウル=ベルナイズは、若いころ、音楽家になるか数学者になるかで迷ったことがある。
 量子力学の創設者のひとりであるハイゼンベルクはピアノの演奏が上手だったらしい。
 ピュタゴラスは、ピュタゴラス音律を考案したとされる。
 スウェーデンの王立科学アカデミーの数学研究所にはピアノが備えつけられている。
 高校2年生のときに、国際数学オリンピックで金メダルを獲得した中島さち子は、今は、ジャズピアニストをしている。▼公式ウェブサイトはこちら→SACHIKO NAKAJIMA -OFFICIAL WEB SITE- MySpaceはこっち→Nakajima Sachiko - MySpace
 早稲田大学理工学部数学科では、60名中57名が楽器の演奏ができたという年度があった。

 事例に関しては、枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
 もちろん、音楽はできるが、数学は苦手という場合もあるだろうが、本気でやりはじめたら、数学でもそれなりのレベルに達するのであろう。

 どうして楽器の得意な数学者が多いのかについて、これまで、数学と音楽の類似点から説明しようとすることがよく見られた。たとえば、どちらも、抽象的なものの中に美を感じるものであるからとかである。
 最近の脳科学では、数学と音楽は、脳の近い部分を使うということがわかっている。だから、数学を鍛えると、音楽で使う脳の部分もいくぶん鍛えられ、音楽に脳を使うと、数学で使う部分も、ある程度まで同様に鍛えられるということになるらしい。あるいは、もともと、脳のそのあたりの部分が発達しているとも考えられなくもないだろう。

 楽器の演奏がまったくできない場合でも、素地はあるが、家庭環境などによって、楽器演奏に手を出さなかった可能性がなくはない。
 同様に、一定レベル以上に訓練・勉強をしないと数学はわからないだろうから、才能があっても数学ができないという者もいるだろう。

 うちの生徒をみていると、自発的に楽器の演奏を始めた者は、当初、数学が苦手であっても、伸び方は悪くないという印象を抱いている。しつこいようだが、楽器の演奏ができなくても数学の才能のある者はいる。

↓この記事の続き
「アルト=サックス、始めました」ときたか。



↑中島さち子が大学在学中に共著として出版した本。

2009年5月11日月曜日

円が登場する図形問題に関する攻略法

 高校入試の数学の図形問題で、円が登場する場合、原則として、つぎの1点に注意するとよい。

 「中心O」が描き込まれているかどうか。

 「中心O」が描き込まれている場合、その問題は、中心Oから補助線を引かなければならない問題である。
 「中心O」が描かれていない場合、その問題は、中心Oを用いなくとも、解ける問題である
 「中心O」が描かれているにもかかわらず、中心Oを使うことがない問題が、ごく稀(まれ)に存在するが、これはたぶん、作問研究が充分でない教師による出題であろう。偏差値70を超える高校でさえ、中心Oを使わないのに描き込まれている問題があったこともあるが、どのレベルの高校であれ、「中心O」が描かれているにもかかわらず、中心Oを使うことがない問題というのは、例外中の例外である。
 一方、中心Oが描き込まれていないにもかかわらず、中心Oから補助線を引かないと解けないという問題は、これまで、1度も目にしたことがない。

 図形問題が得意な人からすれば、大したことのない指摘に思えるかもしれないけれど、じつは、相当に効果的である。

2009年5月4日月曜日

年寄りのあつまりではピアノの弾けるじいさんがモテるらしいが……

 井上章一の『アダルト・ピアノ―おじさん、ジャズにいどむ』という著書を読んだ。井上章一は、国際日本文化研究センター教授で、『美人論』などで知られる。それにしても『アダル・トピアノ』というタイトルは、売れることを狙った編集者が考えたものではないかと勘ぐってしまうなあ。
 『アダルト・ピアノ』は、井上章一が41歳でピアノをはじめ、猛烈に練習して、そこそこに弾けるようになった奮戦記のような部分を含むものである。

 もともと、ジャズが好きだということもあったんだろうけど、話をおもしろくするために、ピアノを始めた動機を、モテるからだということにしている。
 まず、老人のあつまりで講演をおこなった際に、ピアノの演奏ができるじいさんがモテると知らされる。ついで、大阪のバーかどこかで、店のピアノを借りて、初老の男性がジャズピアノをやってみせたら、ホステスにモテていたのを目撃する。そこで、ピアノの練習を始めるわけだ。

 女性にモテる男性は、一般にはつぎの3種類である。

 音楽の上手な男性(ミュージシャン)
 スポーツが得意な男性(スポーツ選手)
 話術が巧みな男性(お笑い芸人)


 だから、ピアノのできるじいさんがモテると指摘されても、そりゃあそうだろうなとしか思わない。
 しかし、現役時代にどんなに素晴らしいスポーツマンであったとしても、80歳になれば、むしろ、スポーツをしていなかった人たちよりも、身体の衰えが激しいだろうから、高齢になってもモテつづけることはできなさそうだ。
 また、お笑い芸人がモテると言っても、耳の遠いばあさんは、ことばが聞き取れないので、モテなくなる。
 この2点から考えると、いつまでもモテるのは、楽器の演奏のできるじいさんとなるだろう。

 だからといって、40歳からピアノを始めても、それほどモテるようにはならないような気がする。
 バーのピアノでジャズを演奏してホステスにモテていた初老の男性に関しては、たとえば、2000年の時点で60歳だと仮定すると、1940年すなわち昭和15年生まれであり、昭和20年代に自宅にピアノがあったとすれば、相当な金持ちで、ずいぶんと「育ちのよさ」を感じ取れる。だから、ピアノの演奏だけで、ホステスにモテていたわけではなく、育ち・人柄など、ピアノの演奏以外のものを含めた総合評価としてモテていたのではなかろうか?
 やはり、40歳を超えてから、ピアノを演奏するようになっても、モテモテ度はそれほど向上しないのではなかろうか?

自己紹介

自分の写真
和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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