集団的自衛権に抗議をして新宿駅南口で、焼身自殺を試みた人について疑問に思うことがある。
日本人というのは、謝罪や反省、抗議をするときには、切腹する民族である。
この点から、集団的自衛権に抗議をして新宿駅南口で、焼身自殺を試みた人っていうのは、日本人としては、ものすごく奇妙な感じがする。
2014年7月3日木曜日
2014年5月17日土曜日
「あけぼの」の缶詰が、味はいいのに、当初、サウジアラビアなどのイスラム国家では売れなかった理由
ニチロ(現・マルハニチロ)が、イスラム圏に進出して、「あけぼの」ブランドの缶詰を販売しようとした。
「あけぼの」の缶詰は、目隠(めかく)し調査では、とてもおいしいと好評であった。
しかし、さっぱり売れなかった。
目隠し調査では、あまりおいしくないとされた競合他社の商品のほうが売れている。
担当者は、どうしても理由がわからなかった。
なぜ、こちらを買わないのか、お店でお客さんに直接、訊(たず)ねた。
日の出のマークを指さして、太陽が描(えが)いてあるからと答えた。
サウジアラビアなど、緑が少なく、沙漠(さばく)の多い地域では、太陽は喜ばしいものではなく、むしろ、忌(い)むべきものである。
イスラム国家の国旗に、月を描いているものが多いのは、そうした理由によるものである。太陽が好きではないのである。
最近の「あけぼの」ブランドの缶詰には、日の出が描いていないものが多くなっている。イスラム圏を含めた世界戦略なんだろう。
鯨肉大和煮(げいにく/くじらにくやまとに)は日本人くらいしか食べないから、旭日旗(きょくじつき)のような図案(ずあん)が、今でも、描かれている。
「あけぼの」の缶詰は、目隠(めかく)し調査では、とてもおいしいと好評であった。
しかし、さっぱり売れなかった。
目隠し調査では、あまりおいしくないとされた競合他社の商品のほうが売れている。
担当者は、どうしても理由がわからなかった。
なぜ、こちらを買わないのか、お店でお客さんに直接、訊(たず)ねた。
日の出のマークを指さして、太陽が描(えが)いてあるからと答えた。
サウジアラビアなど、緑が少なく、沙漠(さばく)の多い地域では、太陽は喜ばしいものではなく、むしろ、忌(い)むべきものである。
イスラム国家の国旗に、月を描いているものが多いのは、そうした理由によるものである。太陽が好きではないのである。
最近の「あけぼの」ブランドの缶詰には、日の出が描いていないものが多くなっている。イスラム圏を含めた世界戦略なんだろう。
鯨肉大和煮(げいにく/くじらにくやまとに)は日本人くらいしか食べないから、旭日旗(きょくじつき)のような図案(ずあん)が、今でも、描かれている。
2014年2月19日水曜日
英語圏を中心とする人間がやけに海豚(イルカ)を大切に思うのはテレビ=ドラマの『わんぱくフリッパー』のせいではないか?
その昔、『わんぱくフリッパー』(原題:Flipper)という海豚(イルカ)が主人公のテレビ=ドラマがあった。中断を挟(はさ)んで、1966年から1968年まで放映されていた。
『わんぱくフリッパー』の影響で、英語圏を中心とする連中は、海豚(イルカ)を大切に思うようになっているような気がする。
和歌山県太地町(たいじちょう)の海豚追い込み漁に対する英語圏を中心とする人間の批判は、このテレビ=ドラマに由来するものだと考えると、理解しやすいようである。
なお、『わんぱくフリッパー』の影響もあってか、昔は学校給食では「鯨(くじら)の龍田揚(たつたあ)げ」が、頻繁(ひんぱん)に出されたが、海豚(イルカ)の龍田揚げも出されていた。
このことを指摘すると、私と同年代の人は、嫌な気持ちになるようだ。「知らないうちに、海豚(イルカ)を食べていたなんて」という気持ちになるらしい。
生物学的には、鯨も海豚も、大きさが違うだけで、同じ種であるから、海豚の肉であっても、「鯨の龍田揚げ」と称(しょう)しても問題はないはずなのだが……。
『わんぱくフリッパー』の影響で、英語圏を中心とする連中は、海豚(イルカ)を大切に思うようになっているような気がする。
和歌山県太地町(たいじちょう)の海豚追い込み漁に対する英語圏を中心とする人間の批判は、このテレビ=ドラマに由来するものだと考えると、理解しやすいようである。
なお、『わんぱくフリッパー』の影響もあってか、昔は学校給食では「鯨(くじら)の龍田揚(たつたあ)げ」が、頻繁(ひんぱん)に出されたが、海豚(イルカ)の龍田揚げも出されていた。
このことを指摘すると、私と同年代の人は、嫌な気持ちになるようだ。「知らないうちに、海豚(イルカ)を食べていたなんて」という気持ちになるらしい。
生物学的には、鯨も海豚も、大きさが違うだけで、同じ種であるから、海豚の肉であっても、「鯨の龍田揚げ」と称(しょう)しても問題はないはずなのだが……。
2014年2月14日金曜日
アイルランド人は、なぜ、イングランド人と区別しづらいのか?
アイルランド人とイングランド人は、だいたい区別できると考えている。
ところが、この人はアイルランド人だろうと思った人が、アイルランド人だったことがない。
うちの近所には、外国人が矢鱈(やたら)と出入りするキリスト教会がある。
初めてその教会に向かう外国人に道を訊(き)かれたり、煙草(たばこ)の火を求められたりする。
この人は絶対にアイルランド人だろうと思って、アイルランド人かどうかを訊(たず)ねても、そうではないという答えが多い。イギリス人だという。
そういえば、知り合いのアイルランド人たちは日本で「イギリス人です」「イギリスから来ました」と言っていた。
イギリス人というのは、嘘だろうと指摘すると、「アイルランドのことを普通の日本人は知らないから、イギリス人だと言っている」とのことであった。
ところが、この人はアイルランド人だろうと思った人が、アイルランド人だったことがない。
うちの近所には、外国人が矢鱈(やたら)と出入りするキリスト教会がある。
初めてその教会に向かう外国人に道を訊(き)かれたり、煙草(たばこ)の火を求められたりする。
この人は絶対にアイルランド人だろうと思って、アイルランド人かどうかを訊(たず)ねても、そうではないという答えが多い。イギリス人だという。
そういえば、知り合いのアイルランド人たちは日本で「イギリス人です」「イギリスから来ました」と言っていた。
イギリス人というのは、嘘だろうと指摘すると、「アイルランドのことを普通の日本人は知らないから、イギリス人だと言っている」とのことであった。
2013年12月14日土曜日
英国人にはフレンドfriend(友だち)がいないが、すると、自分の恥ずかしい過去を思い出した。
英国人にはフレンドfriend(友だち)があまりいない。3人くらいしかいない場合が多い。
それ以外では、同僚colleague、知り合いacquaintance、近所の人neighbo(u)r、同級生classmateなどを使うが、なんだか、印象の悪い区別をしているように感じるらしい。
そこで、英国人、また、イギリス英語の影響を強く受けているオーストラリア人も、friendの代わりに、mate(相棒(あいぼう))をよく使う。
一方、アメリカ人にはフレンドが100人くらいいるような気がする。
ところで、私の出身地では、「友だち」「友人」ということばをさほど使わない。
なにかと「ツレ(連れ)」を使う。
友人だろうが、知人だろうが、同級生だろうが、たとえば、夏祭りで、ばったり出くわして、二言三言(ふたことみこと)、ことばを交わすと、一緒にいる人物が「今の人、誰(だれ)?」と訊(き)くと、なんでもかんでも「うちのツレや」と言うことが多い。
中学校に進学したとき、担任の教師が友人・知人関係を調べようとして、アンケート調査で「友人の名前を記入してください」という質問を載(の)せた。
方言と共通語(標準語)の違いが私には分かっていなかった。
「ツレはおるけど、友だちはいません」と記入した。
ウケるつもりはなかったが、担任にウケたようだった。
それ以外では、同僚colleague、知り合いacquaintance、近所の人neighbo(u)r、同級生classmateなどを使うが、なんだか、印象の悪い区別をしているように感じるらしい。
そこで、英国人、また、イギリス英語の影響を強く受けているオーストラリア人も、friendの代わりに、mate(相棒(あいぼう))をよく使う。
一方、アメリカ人にはフレンドが100人くらいいるような気がする。
ところで、私の出身地では、「友だち」「友人」ということばをさほど使わない。
なにかと「ツレ(連れ)」を使う。
友人だろうが、知人だろうが、同級生だろうが、たとえば、夏祭りで、ばったり出くわして、二言三言(ふたことみこと)、ことばを交わすと、一緒にいる人物が「今の人、誰(だれ)?」と訊(き)くと、なんでもかんでも「うちのツレや」と言うことが多い。
中学校に進学したとき、担任の教師が友人・知人関係を調べようとして、アンケート調査で「友人の名前を記入してください」という質問を載(の)せた。
方言と共通語(標準語)の違いが私には分かっていなかった。
「ツレはおるけど、友だちはいません」と記入した。
ウケるつもりはなかったが、担任にウケたようだった。
2013年12月7日土曜日
「中華民国」「中華人民共和国」の名称は、支那の伝統に反している。
支那大陸の国家は、伝統的に、一文字の国号を使用する。
夏(か)・殷(いん)・周(しゅう)・秦(しん)・漢(かん)・晋(しん)・隋(ずい)・唐(とう)・遼(りょう)・宋(そう)・金(きん)・元(げん)・明(みん)・清(しん)という具合いである。一文字名の王朝だけれども、同じ名前の王朝がある場合にのみ、区別するために、東西南北前後のいずれかの文字を王朝名の前に置くことはあるが、基本は一文字名である。
そして、支那大陸周辺にある、支那が一方的に野蛮と認定した国家には、二文字の国号を与える。たとえば、「朝鮮」「匈奴(きょうど)」「蒙古(もうこ=モンゴル)」「新疆(しんきょう=東トルキスタン)」などである。
日本はというと、支那文化圏には入っていなかったので、当初は「倭(わ)」という一文字名であった。7世紀あたりに、支那文化圏とは、もともと、別のものだということで、敢(あ)えて「日本」という国号を採用し、支那大陸の「皇帝」に対抗するために「天皇」という称号を使用し始めた。
なお、こうした点に関して、同じ漢字を使うということから、ヨーロッパの歴史学者は日本を東アジア文化圏に属するものだと、当初は考えていたが、調べれば調べるほど、支那や朝鮮とはまったく違う文化圏を形成しているということで、日本を世界8大文明のひとつとする歴史学者が英国には多く存在する。
一国だけの文明圏というのは、日本しかない。
さて、支那の王朝は一文字の国号で、周辺の野蛮国は二文字の国号であった。
ということは、「中華民国」という四文字の国号は、普通の野蛮国の2倍は野蛮ということになる。
さらには、「中華人民共和国」となると、七文字だから、3.5倍は野蛮な国ということになる。
また、王朝名は一文字であるという伝統を捨てた時点で、支那大陸の国家は、すべてをリセットしたことになるのではないだろうか?
あながち、間違っていないような気がする。
夏(か)・殷(いん)・周(しゅう)・秦(しん)・漢(かん)・晋(しん)・隋(ずい)・唐(とう)・遼(りょう)・宋(そう)・金(きん)・元(げん)・明(みん)・清(しん)という具合いである。一文字名の王朝だけれども、同じ名前の王朝がある場合にのみ、区別するために、東西南北前後のいずれかの文字を王朝名の前に置くことはあるが、基本は一文字名である。
そして、支那大陸周辺にある、支那が一方的に野蛮と認定した国家には、二文字の国号を与える。たとえば、「朝鮮」「匈奴(きょうど)」「蒙古(もうこ=モンゴル)」「新疆(しんきょう=東トルキスタン)」などである。
日本はというと、支那文化圏には入っていなかったので、当初は「倭(わ)」という一文字名であった。7世紀あたりに、支那文化圏とは、もともと、別のものだということで、敢(あ)えて「日本」という国号を採用し、支那大陸の「皇帝」に対抗するために「天皇」という称号を使用し始めた。
なお、こうした点に関して、同じ漢字を使うということから、ヨーロッパの歴史学者は日本を東アジア文化圏に属するものだと、当初は考えていたが、調べれば調べるほど、支那や朝鮮とはまったく違う文化圏を形成しているということで、日本を世界8大文明のひとつとする歴史学者が英国には多く存在する。
一国だけの文明圏というのは、日本しかない。
さて、支那の王朝は一文字の国号で、周辺の野蛮国は二文字の国号であった。
ということは、「中華民国」という四文字の国号は、普通の野蛮国の2倍は野蛮ということになる。
さらには、「中華人民共和国」となると、七文字だから、3.5倍は野蛮な国ということになる。
また、王朝名は一文字であるという伝統を捨てた時点で、支那大陸の国家は、すべてをリセットしたことになるのではないだろうか?
あながち、間違っていないような気がする。
2013年10月17日木曜日
鉢巻(はちまき)は日本が発祥(はっしょう)なんだけど……。
鉢巻(はちまき)は日本が発祥(はっしょう)である。
もともとは、冠(かんむり)がずれたりしないようにするために、巻いたものが起源らしい。
意外と、鉢巻が日本が発祥だと指摘すると、驚く生徒が多い。日本人は起源にはこだわらないからな。
最近では、イスラム国家でも、「神は偉大なり(الله أكبر アッラー=アクバル)」と書いた鉢巻を巻いて、自爆テロをやっているようである。どうやら、赤い丸に「神風」あるいは「必勝」と書いた鉢巻で特攻した日本の軍人の姿が影響しているらしい。
イスラムは比較的親日である。自分たちと敵対しているアメリカ合衆国と、かつては、ガチで4年近く戦ったということや、日本のODA(政府開発援助Official Developement Assistance)などにより、親日的になっていて、それで、鉢巻も真似しているのだろう。
日本に対する憧(あこが)れが見て取れなくもない。
ところが、帝国海軍の神風特攻隊や帝国陸軍の振武隊(しんぶたい)による特別攻撃は、民間人を狙うことはなかったが、イスラムの自爆テロは民間人を巻き添えにする。特別攻撃(特攻)と自爆テロは根本的に違うものである。
善意にもとづく勘違(かんちが)いは批判しにくい。
なんだかなあ。
もともとは、冠(かんむり)がずれたりしないようにするために、巻いたものが起源らしい。
意外と、鉢巻が日本が発祥だと指摘すると、驚く生徒が多い。日本人は起源にはこだわらないからな。
最近では、イスラム国家でも、「神は偉大なり(الله أكبر アッラー=アクバル)」と書いた鉢巻を巻いて、自爆テロをやっているようである。どうやら、赤い丸に「神風」あるいは「必勝」と書いた鉢巻で特攻した日本の軍人の姿が影響しているらしい。
イスラムは比較的親日である。自分たちと敵対しているアメリカ合衆国と、かつては、ガチで4年近く戦ったということや、日本のODA(政府開発援助Official Developement Assistance)などにより、親日的になっていて、それで、鉢巻も真似しているのだろう。
日本に対する憧(あこが)れが見て取れなくもない。
ところが、帝国海軍の神風特攻隊や帝国陸軍の振武隊(しんぶたい)による特別攻撃は、民間人を狙うことはなかったが、イスラムの自爆テロは民間人を巻き添えにする。特別攻撃(特攻)と自爆テロは根本的に違うものである。
善意にもとづく勘違(かんちが)いは批判しにくい。
なんだかなあ。
2013年9月23日月曜日
サイレント=クレーマーとしての日本人
イタリアあたりでは、日本人観光客は怖(こわ)いらしい。
日本人観光客はボッタクられても何も文句は言わない。だから、日本人相手にはボッタクってもいいと考える。
ところが、日本人は、その後、ブログなどでその店について、どのくらいボッタクられたかを書き記す。すると、日本人観光客はその店には足を運ばなくなる。
イタリア人のオーナーからすると、日本人観光客がぱったりと来なくなるのを不審に思うが、理由がよくわからない。
そこで、日本人観光客のことを「サイレント=クレーマーsilent claimer」だの、時限爆弾だのと呼ぶようになった。
その前に、ボッタクリをやめればいいのにねえ。
日本人観光客はボッタクられても何も文句は言わない。だから、日本人相手にはボッタクってもいいと考える。
ところが、日本人は、その後、ブログなどでその店について、どのくらいボッタクられたかを書き記す。すると、日本人観光客はその店には足を運ばなくなる。
イタリア人のオーナーからすると、日本人観光客がぱったりと来なくなるのを不審に思うが、理由がよくわからない。
そこで、日本人観光客のことを「サイレント=クレーマーsilent claimer」だの、時限爆弾だのと呼ぶようになった。
その前に、ボッタクリをやめればいいのにねえ。
2013年9月20日金曜日
イギリス料理はまずいことで有名だが、イギリス料理店で結婚式の2次会を開いたやつがいた。
イギリス料理はまずい。キドニー=パイ(腎臓(じんぞう)のパイ)は臭(くさ)みをとっていない。野菜であれ、なんであれ、くたくたになるまで煮こむ。素材を活かすという発想がない。
帰国子女や英国留学者に、英国でおいしいものを訊(たず)ねると、ハイド=パークのそばにある店のサンドイッチだの、ハロッズ(英国の三越百貨店のようなもの)の食品売り場で食べた生牡蠣(なまがき)だの、やっぱりサラダがいちばんうまかっただの、つまりは、手を加えていないものがうまいという。
フィッシュ=アンド=チップスfish and chips、すなわち、鱈(たら)の揚げ物とポテト=フライくらいが、手を加えた料理でまともに食えるものかもしれない。ちなみにイギリス英語のchipsは、アメリカ英語のfrench friesの意味である。イギリス英語では、ポテト=チップスのことをpoteto crispsという。
そのイギリス料理店の料理は日本人の感覚としては、やっぱり、まずかった。
ところが、これがウケた。
「イギリスの料理はまずいとは聞いていたが、本当にまずいんだ」「これほどまずい料理の店が存在すること自体が考えられない」と、そんなのばかりだった。しかし、味のよしあしとは別に、評判はよかった。新鮮な体験だったのだ。
すると、英国からの帰国子女が、「イギリス料理としては、かなり洗練(せんれん)されている。本当のイギリス料理はこんなもんじゃない」と言った。すると、全員が愕然(がくぜん)として、「洗練されていても、これだけまずいのか!」という声が上がった。
帰国子女や英国留学者に、英国でおいしいものを訊(たず)ねると、ハイド=パークのそばにある店のサンドイッチだの、ハロッズ(英国の三越百貨店のようなもの)の食品売り場で食べた生牡蠣(なまがき)だの、やっぱりサラダがいちばんうまかっただの、つまりは、手を加えていないものがうまいという。
フィッシュ=アンド=チップスfish and chips、すなわち、鱈(たら)の揚げ物とポテト=フライくらいが、手を加えた料理でまともに食えるものかもしれない。ちなみにイギリス英語のchipsは、アメリカ英語のfrench friesの意味である。イギリス英語では、ポテト=チップスのことをpoteto crispsという。
そのイギリス料理店の料理は日本人の感覚としては、やっぱり、まずかった。
ところが、これがウケた。
「イギリスの料理はまずいとは聞いていたが、本当にまずいんだ」「これほどまずい料理の店が存在すること自体が考えられない」と、そんなのばかりだった。しかし、味のよしあしとは別に、評判はよかった。新鮮な体験だったのだ。
すると、英国からの帰国子女が、「イギリス料理としては、かなり洗練(せんれん)されている。本当のイギリス料理はこんなもんじゃない」と言った。すると、全員が愕然(がくぜん)として、「洗練されていても、これだけまずいのか!」という声が上がった。
2013年9月10日火曜日
「おもてなし」で画像検索すると、日本人の民族性がわかるようだ。
オリンピック招致のプレゼンテーションで滝川クリステルが「おもてなし」を強調していた。
「おもてなし」を耳にした外国の人はGoogleなんかで検索するだろうと思って、どんなイメージを獲得するのかを調べてみた。
「omotenasi」と訓令式ローマ字で検索すると忍者が出てきた。戦国時代の武将の画像が出てきた。外国の人には「おもてなし」の正体がわからなくなる。
「omotenashi」とヘボン式ローマ字で検索しても戦国時代の武将が出てくる。わけがわからんと思ったら、忍城(おしじょう)おもてなし甲冑隊(かっちゅうたい)だの、名古屋おもてなし武将隊だの、そういったものが出てくる。
外国の人からすると、「おもてなし」は謎の概念になっているのではないか?
ひらがなの「おもてなし」で検索すると、今度は食べ物の画像だらけになる。
そこで、つぎの有名な日本人ジョークを思い出した。
---
これが元ネタなんだけど、それに日本人が続きをつけ加えた。
---
どうしたら日本人を怒らせられるのか、各国の政治家は悩んだ。
「そういえば、愛知万博(あいちばんぱく)[=愛知万国博覧会(あいちばんこくはくらんかい)]では、弁当の持ち込みができないと、大騒ぎになって、持ち込みが許可されたな」
中国の政治家が言った。
「領海侵犯ではそれほど騒がないのに、毒入り餃子を輸出したときも信じられないくらいに騒いでいた」
「日本人は、食べ物以外では怒らないのか!?」
---
「おもてなし」の第一義として、「おいしい食べ物でもてなす」であるのが、日本人らしくて、私は好きだけどね。
ミシュランに掲載されているレストラン・料亭がいちばん多い都市は、パリではなく、東京であるし、1粒1,050円のチョコレートを売っていたり、コース料理がひとり63,000円で2人でないと受け付けない店があるし(2人で126,000円で、1回の食事でインド人の平均年収を超える)、200ミリリットルで1,470円の醤油が売られていたりする。ほかにも枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
それにしても、どういう経緯(いきさつ)から、日本人は食い意地のはった民族になったんだろうか?
「おもてなし」を耳にした外国の人はGoogleなんかで検索するだろうと思って、どんなイメージを獲得するのかを調べてみた。
「omotenasi」と訓令式ローマ字で検索すると忍者が出てきた。戦国時代の武将の画像が出てきた。外国の人には「おもてなし」の正体がわからなくなる。
「omotenashi」とヘボン式ローマ字で検索しても戦国時代の武将が出てくる。わけがわからんと思ったら、忍城(おしじょう)おもてなし甲冑隊(かっちゅうたい)だの、名古屋おもてなし武将隊だの、そういったものが出てくる。
外国の人からすると、「おもてなし」は謎の概念になっているのではないか?
ひらがなの「おもてなし」で検索すると、今度は食べ物の画像だらけになる。
そこで、つぎの有名な日本人ジョークを思い出した。
---
日本人を怒らせる方法
各国の政治家が集まって「どうしたら日本を怒らせることができるか」について話し合った。
中国の政治家が言った。
「わが国は潜水艦で日本の領海を侵犯した。それでも日本は潜水艦を攻撃してこなかった」
韓国の政治家が言った。
「わが国は竹島を占領した。それでも日本は攻撃してこない」
ロシアの政治家が言った。
「わが国はもう長きに渡って北方の島々を占領している。それでも日本は攻撃してこない」
それらの話を黙って聞いていた北朝鮮の政治家が、笑いながら言った。
「そんなこと簡単ですよ。我々が核兵器を日本へ使いましょう。さすがの日本も怒るでしょう」
すると、アメリカの政治家が首を横に振りながらこう言った。
「無駄だね。それ、もうやったもの」
---これが元ネタなんだけど、それに日本人が続きをつけ加えた。
---
どうしたら日本人を怒らせられるのか、各国の政治家は悩んだ。
「そういえば、愛知万博(あいちばんぱく)[=愛知万国博覧会(あいちばんこくはくらんかい)]では、弁当の持ち込みができないと、大騒ぎになって、持ち込みが許可されたな」
中国の政治家が言った。
「領海侵犯ではそれほど騒がないのに、毒入り餃子を輸出したときも信じられないくらいに騒いでいた」
「日本人は、食べ物以外では怒らないのか!?」
---
「おもてなし」の第一義として、「おいしい食べ物でもてなす」であるのが、日本人らしくて、私は好きだけどね。
ミシュランに掲載されているレストラン・料亭がいちばん多い都市は、パリではなく、東京であるし、1粒1,050円のチョコレートを売っていたり、コース料理がひとり63,000円で2人でないと受け付けない店があるし(2人で126,000円で、1回の食事でインド人の平均年収を超える)、200ミリリットルで1,470円の醤油が売られていたりする。ほかにも枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
それにしても、どういう経緯(いきさつ)から、日本人は食い意地のはった民族になったんだろうか?
2013年8月23日金曜日
ジャニーズの二宮和也(にのみやかずなり)の名前を読み間違えたときの女子生徒たちの反応
『硫黄島からの手紙』を観(み)た。ジャニーズの二宮和也の演技に感心した。
それで、二宮和也(にのみやかずなり)の和也を「かずや」だと思って、「二宮かずやの演技には感心した」と言ったところ、女子生徒たちが一斉(いっせい)に「『かずなり』です!」と声を合わせて言った。
意表を突かれた。
地名と人名は読み間違えても恥(はじ)ではないという伝統が日本語にはあるのだが……。尤(もっと)も、戦前の日本では読み方がよくわからない人名の場合、音読みをして間違えたとしても、失礼にはあたらないというものがあったけれども、「和也」を敢(あ)えて「わや」と読むのは、むしろ、変である。「和也(かずなり)」を「かずや」と読み間違えたとしても、勘弁(かんべん)してくれよという気持ちになる。
あまりにもびっくりして、以下の動画を思い出した。韓国人と間違えられて、すごい反応をした台湾人の様子である。日本人と思われたときには、それほどの反応はしていない。
それで、二宮和也(にのみやかずなり)の和也を「かずや」だと思って、「二宮かずやの演技には感心した」と言ったところ、女子生徒たちが一斉(いっせい)に「『かずなり』です!」と声を合わせて言った。
意表を突かれた。
地名と人名は読み間違えても恥(はじ)ではないという伝統が日本語にはあるのだが……。尤(もっと)も、戦前の日本では読み方がよくわからない人名の場合、音読みをして間違えたとしても、失礼にはあたらないというものがあったけれども、「和也」を敢(あ)えて「わや」と読むのは、むしろ、変である。「和也(かずなり)」を「かずや」と読み間違えたとしても、勘弁(かんべん)してくれよという気持ちになる。
あまりにもびっくりして、以下の動画を思い出した。韓国人と間違えられて、すごい反応をした台湾人の様子である。日本人と思われたときには、それほどの反応はしていない。
2013年7月7日日曜日
フロンガスによるオゾン層破壊の嘘とデュポン社の失敗
最近ではオゾンホールの話題を耳にすることはない。というのも、フロンガスによるオゾン層破壊そのものが嘘だったからである。
オゾンホールのせいで、オーストラリアでは皮膚癌(ひふがん)が多いとされたが、オーストラリアの日差しはコーカソイド(白人)には強すぎるだけのことである。逆の事例としては、ネグロイド(黒人)が北ヨーロッパに移住すると、紫外線が少ないので、骨の病気になりやすく、骨折しやすくなる。
詳しくは、「オゾン層 嘘」などで検索するとよいだろう。
では、一体、誰がフロンガスによるオゾン層破壊をしかけたのだろうか?
アメリカ合衆国の化学会社デュポン社DuPontである。
デュポン社は代替フロン(だいたいふろん)を開発・商品化した。これを売って、大儲(おおもう)けしようとした。だから、こっそりと仕掛け人となって、フロンガスによるオゾン層破壊のキャンペーンを行なった。
デュポン社は大儲けできるはずだったが、失敗した。
日本とドイツのメーカーがそれぞれ、デュポン社の製品よりもすぐれたものを即座に開発したからである。日本とドイツのメーカーが儲(もう)かったにすぎなかった。
オゾンホールのせいで、オーストラリアでは皮膚癌(ひふがん)が多いとされたが、オーストラリアの日差しはコーカソイド(白人)には強すぎるだけのことである。逆の事例としては、ネグロイド(黒人)が北ヨーロッパに移住すると、紫外線が少ないので、骨の病気になりやすく、骨折しやすくなる。
詳しくは、「オゾン層 嘘」などで検索するとよいだろう。
では、一体、誰がフロンガスによるオゾン層破壊をしかけたのだろうか?
アメリカ合衆国の化学会社デュポン社DuPontである。
デュポン社は代替フロン(だいたいふろん)を開発・商品化した。これを売って、大儲(おおもう)けしようとした。だから、こっそりと仕掛け人となって、フロンガスによるオゾン層破壊のキャンペーンを行なった。
デュポン社は大儲けできるはずだったが、失敗した。
日本とドイツのメーカーがそれぞれ、デュポン社の製品よりもすぐれたものを即座に開発したからである。日本とドイツのメーカーが儲(もう)かったにすぎなかった。
2013年7月2日火曜日
終戦にあたり自決した軍人がいたが、抗議の自決もあった。
1945年8月15日に日本は終戦を迎えた。その日から、1か月くらいの間に500人以上が自決している。戦争に勝てなくて申し訳ないという意味合いで自決しているのだと思っていたが、そうではない自決もあった。
とりわけ、帝国陸軍は本土決戦になれば、勝てると考えていた。
そのため、抗議の自決が少なからずあった。
とりわけ、帝国陸軍は本土決戦になれば、勝てると考えていた。
そのため、抗議の自決が少なからずあった。
2013年6月29日土曜日
日本人は野球とゴルフが好きな理由を考えたら、学歴社会も見えた。
日本人は剣術では日本刀を、剣道では竹刀を振り回していた。農民は鍬(くわ)hoeを使っていた。このあたりに、鍵があるのではないかと考えている。
棒状のもの、あるいはそれに準ずるものを使うスポーツは、相当に特殊である。
野球baseballとゴルフgolf以外にも、クリケットcricket・フィールド=ホッケーfield hockey・アイス=ホッケーice hockeyなどがある。ほかにも、ゲート=ボールの原型であるクロッケーcroquetがある。
アイス=ホッケーを除けば、いずれも、イングランド発祥(はっしょう)のものである(アイス=ホッケーの起源は諸説あり、不明)。
これらのうちで、競技人口の多さから考えると、クリケット・ゴルフ・野球が、棒状のものを使うスポーツで上位にくるであろう。
さて、野球やゴルフで必要とされる動作は、バットやクラブを振ることが基本である。しかし、これは、人間の筋肉のつき方や骨格の構造からすると、相当に不自然であるそうだ。したがって、年少の頃から一定レベル以上に訓練しないと、自然にバットやクラブやスティックは振れない。だから、素振りという行為を繰り返す。
オリンピックで野球が正式競技になるにあたって、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が野球に乗り出した。それなりに身体能力の高い若者を集めて、野球に取り組ませた。強化のために試合をしなければならないが、アメリカや日本のプロ野球団を招聘(しょうへい)することはできない。そこで、早稲田大学の野球同好会・サークルを招(まね)いて、試合を行なった。不確かな記憶だが、すべて20点以上の差で、ソ連チームは無得点というように圧倒的な早稲田大学の野球同好会・サークルの勝利ばかりだった。
20歳(はたち)あたりを超えてから、野球に取り組んでも、なかなかものにはならない。人間の人体の構造からすると、筋肉の使い方が不自然だからである。これはゴルフでも同様である。
なぜ、イングランドでこうしたスポーツが発達したのだろうか? 年少から取り組み、それなりの期間の訓練を必要とするスポーツである。
まず、イングランド人も剣(つるぎ)を使っていた。ということは、つまり、剣を水平に振るという動作は、普通にあったと考えられる。
日本でも、剣術や剣道などで、日本刀や竹刀を横に振(ふ)るという動作はあった。また、農民は鍬(くわ)を使っていた。樵(きこり)は斧(おの)を水平に振っていた。
一方、ヨーロッパ大陸は地面が硬(かた)いので、主に犁(すき)plough/plowを使っていた。犁(すき)は牛や馬や騾馬(らば=馬と驢馬(ろば)の混血)に曳(ひ)かせるものである。フランス人がクリケット・ゴルフ・野球を好まない理由のひとつであるように思える。また、フランスは剣(つるぎ)を使うことをやめ、フェンシングに進んだ。突っつくだけのスポーツである。もちろん、フランスとイングランドは仲が悪いということもあるのだろうけれど。
つぎに、イングランドが階級社会であることが挙(あ)げられる。
労働者階級の出身者は、幼少の頃、身体(からだ)が小さい間は煙突掃除(えんとつそうじ)をする。体格が大きくなると、炭鉱(たんこう)で働いたり、配管工(はいかんこう)として働いたりする。訓練に時間のかかるスポーツを習得することはできない。また、クリケットのように正式なルールでは2週間もかかるスポーツもできない。働き詰(づ)めでそんな時間がないからだ。労働者階級ができないスポーツを楽しむことで、階級差を思い知らせるのである。
労働者階級の人々にとっては、2時間以内で終わるア式蹴球(あしきしゅうきゅう=サッカー)が適している。クリケットのような時間のかかるスポーツを、もっと短時間でできるようにルールを改変しようとした動きがあった。そのうちのひとつが、野球である。
それでも、野球のバットやゴルフのクラブを振るのは、相当に訓練の必要な動作である。野球とゴルフくらいしか知らなければ、実感できないことかもしれないが。野球で素振りを繰り返す理由のひとつは、そこにあるのだろう。ゴルフでも打ちっぱなしで何度も練習しなければならないのは、同じ理由であろう。似たような動作なので、野球経験者はゴルフを始めても、上達が速いそうである。
日本では、開国してまもなく、あちこちの欧米諸国がやって来たにも拘(かか)わらず、舶来のスポーツでは、野球が最もよく普及したようである。意外なところでは、日本は、幕末の開国以来、ともに、ヨーロッパ諸国からは小馬鹿にされているという共通点から、アメリカ合衆国とは親密なところがあるということもあるのかもしれない。
英国の水兵がサッカーを持ち込み、それが普及した例が他国にはある。南米にある公用語がスペイン語やポルトガル語の国に英語名のサッカー=チーム(ただし、現地語の読み方をしている場合がある)があれば、英国の水兵によってもたらされたものである。
日本では早い時期からのサッカーの人気は出なかった。20年くらい前にJリーグの創設とともに育成プログラムが始まって、少しずつ人気が出てきたが、それでも、日本代表の試合は耳目(じもく)を集めるが、Jリーグそのものには人気はない。
日本人は骨盤が後ろに傾斜しているので、脚を上げる動作に適していない。つまり、サッカーには骨格が適していないのである(その割には、なかなか強い)。
以上のようなことを考えていたら、注目すべき事実を知った。
日本に野球を伝えたは、1887年(明治4年)にお雇い外国人として来日したホーレス=ウィルソンHorace Wilsonである。まず、第一番中学で英語を教えつつ、野球を伝えた。第一番中学校は、その後、開成学校となり、東京開成学校となり、帝国大学となり、東京帝国大学となり、東京大学となった。
明治時代あたりに最強だった野球チームは、第一高等中学校(のちの、第一高等学校で、現在の東京大学教養学部)であった。今では東京六大学野球で50連敗以上をしている東京大学野球部であるが、明治時代には最強チームであり、言ってみれば、超古豪なのだ。
この点から、エリートが嗜(たしな)み、かつ、そこが最強チームであったということから、野球が普及したといえる理由の一端(いったん)があるのではなかろうか?
ここから、同様のことに思い至(いた)った。
たとえば、柔道は官立開成学校(後の東京大学)出身の嘉納治五郎(かのうじごろう)が普及に尽力(じんりょく)し、オリンピック競技にもなった。一方、中卒の植芝盛平(うえしばもりへい)の合気道は、より実戦的であるということから、軍隊や警察でも指導したが、柔道ほども普及していない。
京都大学がアメリカン=フットボールで大学日本一になったときには、世間の耳目(じもく)がアメリカン=フットボールに集まった。それ以前には、日本大学がアメリカン=フットボールで大学日本一に何度もなったが、そういうことにはならなかった。
ラクロスlacrosseなんてスポーツは日本で一般にはまったくといってよいほど知られていなかった。カナダの国技とはいえ、日本ではマイナー=スポーツであった。ところが、1986年に慶應義塾大学が日本で最初のラクロス=チームを結成すると、急速に知られるものとなり、続々とラクロス=チームが各大学で結成され、今では、高校にもラクロス=チームがあるようになった。
以上のように、立派な大学が活躍すると、そのスポーツは急速に普及するようだ。
まとめ
日本人は元々、剣術や剣道などで棒状のものを振り回すのが好きだった。
野球の場合、現在の東京大学が明治期に大活躍したので、普及した。
まとまりのない文章になってしまったが、面倒くさいので、書き直す気力はない。
追記:フィールド=ホッケーの日本男子代表は、1932年開催のロサンゼルス=オリンピックで銀メダルに輝いている。日本人は棒を振り回すのが得意な民族らしい。
棒状のもの、あるいはそれに準ずるものを使うスポーツは、相当に特殊である。
野球baseballとゴルフgolf以外にも、クリケットcricket・フィールド=ホッケーfield hockey・アイス=ホッケーice hockeyなどがある。ほかにも、ゲート=ボールの原型であるクロッケーcroquetがある。
アイス=ホッケーを除けば、いずれも、イングランド発祥(はっしょう)のものである(アイス=ホッケーの起源は諸説あり、不明)。
これらのうちで、競技人口の多さから考えると、クリケット・ゴルフ・野球が、棒状のものを使うスポーツで上位にくるであろう。
さて、野球やゴルフで必要とされる動作は、バットやクラブを振ることが基本である。しかし、これは、人間の筋肉のつき方や骨格の構造からすると、相当に不自然であるそうだ。したがって、年少の頃から一定レベル以上に訓練しないと、自然にバットやクラブやスティックは振れない。だから、素振りという行為を繰り返す。
オリンピックで野球が正式競技になるにあたって、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が野球に乗り出した。それなりに身体能力の高い若者を集めて、野球に取り組ませた。強化のために試合をしなければならないが、アメリカや日本のプロ野球団を招聘(しょうへい)することはできない。そこで、早稲田大学の野球同好会・サークルを招(まね)いて、試合を行なった。不確かな記憶だが、すべて20点以上の差で、ソ連チームは無得点というように圧倒的な早稲田大学の野球同好会・サークルの勝利ばかりだった。
20歳(はたち)あたりを超えてから、野球に取り組んでも、なかなかものにはならない。人間の人体の構造からすると、筋肉の使い方が不自然だからである。これはゴルフでも同様である。
なぜ、イングランドでこうしたスポーツが発達したのだろうか? 年少から取り組み、それなりの期間の訓練を必要とするスポーツである。
まず、イングランド人も剣(つるぎ)を使っていた。ということは、つまり、剣を水平に振るという動作は、普通にあったと考えられる。
日本でも、剣術や剣道などで、日本刀や竹刀を横に振(ふ)るという動作はあった。また、農民は鍬(くわ)を使っていた。樵(きこり)は斧(おの)を水平に振っていた。
一方、ヨーロッパ大陸は地面が硬(かた)いので、主に犁(すき)plough/plowを使っていた。犁(すき)は牛や馬や騾馬(らば=馬と驢馬(ろば)の混血)に曳(ひ)かせるものである。フランス人がクリケット・ゴルフ・野球を好まない理由のひとつであるように思える。また、フランスは剣(つるぎ)を使うことをやめ、フェンシングに進んだ。突っつくだけのスポーツである。もちろん、フランスとイングランドは仲が悪いということもあるのだろうけれど。
つぎに、イングランドが階級社会であることが挙(あ)げられる。
労働者階級の出身者は、幼少の頃、身体(からだ)が小さい間は煙突掃除(えんとつそうじ)をする。体格が大きくなると、炭鉱(たんこう)で働いたり、配管工(はいかんこう)として働いたりする。訓練に時間のかかるスポーツを習得することはできない。また、クリケットのように正式なルールでは2週間もかかるスポーツもできない。働き詰(づ)めでそんな時間がないからだ。労働者階級ができないスポーツを楽しむことで、階級差を思い知らせるのである。
労働者階級の人々にとっては、2時間以内で終わるア式蹴球(あしきしゅうきゅう=サッカー)が適している。クリケットのような時間のかかるスポーツを、もっと短時間でできるようにルールを改変しようとした動きがあった。そのうちのひとつが、野球である。
それでも、野球のバットやゴルフのクラブを振るのは、相当に訓練の必要な動作である。野球とゴルフくらいしか知らなければ、実感できないことかもしれないが。野球で素振りを繰り返す理由のひとつは、そこにあるのだろう。ゴルフでも打ちっぱなしで何度も練習しなければならないのは、同じ理由であろう。似たような動作なので、野球経験者はゴルフを始めても、上達が速いそうである。
日本では、開国してまもなく、あちこちの欧米諸国がやって来たにも拘(かか)わらず、舶来のスポーツでは、野球が最もよく普及したようである。意外なところでは、日本は、幕末の開国以来、ともに、ヨーロッパ諸国からは小馬鹿にされているという共通点から、アメリカ合衆国とは親密なところがあるということもあるのかもしれない。
英国の水兵がサッカーを持ち込み、それが普及した例が他国にはある。南米にある公用語がスペイン語やポルトガル語の国に英語名のサッカー=チーム(ただし、現地語の読み方をしている場合がある)があれば、英国の水兵によってもたらされたものである。
日本では早い時期からのサッカーの人気は出なかった。20年くらい前にJリーグの創設とともに育成プログラムが始まって、少しずつ人気が出てきたが、それでも、日本代表の試合は耳目(じもく)を集めるが、Jリーグそのものには人気はない。
日本人は骨盤が後ろに傾斜しているので、脚を上げる動作に適していない。つまり、サッカーには骨格が適していないのである(その割には、なかなか強い)。
以上のようなことを考えていたら、注目すべき事実を知った。
日本に野球を伝えたは、1887年(明治4年)にお雇い外国人として来日したホーレス=ウィルソンHorace Wilsonである。まず、第一番中学で英語を教えつつ、野球を伝えた。第一番中学校は、その後、開成学校となり、東京開成学校となり、帝国大学となり、東京帝国大学となり、東京大学となった。
明治時代あたりに最強だった野球チームは、第一高等中学校(のちの、第一高等学校で、現在の東京大学教養学部)であった。今では東京六大学野球で50連敗以上をしている東京大学野球部であるが、明治時代には最強チームであり、言ってみれば、超古豪なのだ。
この点から、エリートが嗜(たしな)み、かつ、そこが最強チームであったということから、野球が普及したといえる理由の一端(いったん)があるのではなかろうか?
ここから、同様のことに思い至(いた)った。
たとえば、柔道は官立開成学校(後の東京大学)出身の嘉納治五郎(かのうじごろう)が普及に尽力(じんりょく)し、オリンピック競技にもなった。一方、中卒の植芝盛平(うえしばもりへい)の合気道は、より実戦的であるということから、軍隊や警察でも指導したが、柔道ほども普及していない。
京都大学がアメリカン=フットボールで大学日本一になったときには、世間の耳目(じもく)がアメリカン=フットボールに集まった。それ以前には、日本大学がアメリカン=フットボールで大学日本一に何度もなったが、そういうことにはならなかった。
ラクロスlacrosseなんてスポーツは日本で一般にはまったくといってよいほど知られていなかった。カナダの国技とはいえ、日本ではマイナー=スポーツであった。ところが、1986年に慶應義塾大学が日本で最初のラクロス=チームを結成すると、急速に知られるものとなり、続々とラクロス=チームが各大学で結成され、今では、高校にもラクロス=チームがあるようになった。
以上のように、立派な大学が活躍すると、そのスポーツは急速に普及するようだ。
まとめ
日本人は元々、剣術や剣道などで棒状のものを振り回すのが好きだった。
野球の場合、現在の東京大学が明治期に大活躍したので、普及した。
まとまりのない文章になってしまったが、面倒くさいので、書き直す気力はない。
追記:フィールド=ホッケーの日本男子代表は、1932年開催のロサンゼルス=オリンピックで銀メダルに輝いている。日本人は棒を振り回すのが得意な民族らしい。
2013年6月22日土曜日
日本人は、なぜ、ちょっぴり猫背(ねこぜ)なのか?
たいていの日本人は、ちょっぴり猫背(ねこぜ)である。
その日本人の体型に合わせて、TAKEO KIKUCHI(タケオ=キクチ:菊池武夫)のブランドでは、ちょっと猫背の日本人に適したスーツを作っているそうである。そのスーツを愛用している友人によれば、相当に「楽(らく)」であり、「疲れない」という。
私はスーツを着る生活をしていないので(今の時期だと、ポロシャツばかりである)、菊池武夫ブランドの素晴らしさを実感することはないのだけれども、愛用している人たちの絶讚(ぜっさん)ぶりは大したものである。
さて、日本人は、なぜ、ちょっぴり猫背なのかである。
日本人の骨盤(こつばん)は後ろに傾いている。ネグロイドNegroid(黒人)の骨盤は前に傾斜している。重量のバランスという点で、彼らが足を高く上げて走るのは理に適っている。けれども、日本人が足を高く上げて走っても意味はない。コーカソイドCaucasoid(白人)は骨盤が直立している。
日本人は骨盤が後ろに傾いているから、ちょっぴり猫背になる。骨盤が後ろに傾いているから、上半身は前方に傾斜しなければならない。重量のバランスをとる必要があるからだ。ちょっとした猫背に合わせて、型紙などを日本人に適したものにするべきなのである。
その日本人の体型に合わせて、TAKEO KIKUCHI(タケオ=キクチ:菊池武夫)のブランドでは、ちょっと猫背の日本人に適したスーツを作っているそうである。そのスーツを愛用している友人によれば、相当に「楽(らく)」であり、「疲れない」という。
私はスーツを着る生活をしていないので(今の時期だと、ポロシャツばかりである)、菊池武夫ブランドの素晴らしさを実感することはないのだけれども、愛用している人たちの絶讚(ぜっさん)ぶりは大したものである。
さて、日本人は、なぜ、ちょっぴり猫背なのかである。
日本人の骨盤(こつばん)は後ろに傾いている。ネグロイドNegroid(黒人)の骨盤は前に傾斜している。重量のバランスという点で、彼らが足を高く上げて走るのは理に適っている。けれども、日本人が足を高く上げて走っても意味はない。コーカソイドCaucasoid(白人)は骨盤が直立している。
日本人は骨盤が後ろに傾いているから、ちょっぴり猫背になる。骨盤が後ろに傾いているから、上半身は前方に傾斜しなければならない。重量のバランスをとる必要があるからだ。ちょっとした猫背に合わせて、型紙などを日本人に適したものにするべきなのである。
2013年6月21日金曜日
社会主義国のサッカー代表は、なぜ、どうしても強くならないのだろうか?
社会主義圏や独裁国歌では、サッカーは、どうしても強くなれなかった。
東西冷戦当時、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)は、資本と人材を投入したが、強くなれなかった。
軍事政権下で開催されたワールドカップのアルゼンチン大会でアルゼンチンが優勝したのが例外ではなかろうか?
社会主義圏や独裁国家では、サッカーのプレーに必要な「自由な発想」が育たないのだろうか? そういうのが気になっているのだが、決定的なものが見つからない。
東西冷戦当時、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)は、資本と人材を投入したが、強くなれなかった。
軍事政権下で開催されたワールドカップのアルゼンチン大会でアルゼンチンが優勝したのが例外ではなかろうか?
社会主義圏や独裁国家では、サッカーのプレーに必要な「自由な発想」が育たないのだろうか? そういうのが気になっているのだが、決定的なものが見つからない。
2013年4月21日日曜日
エジプト政府が観光客誘致のために、それまで禁止していたベリーダンスを解禁したが、観光客が集まらなかった理由
ベリーダンスbelly danceとは、イスラム文化圏の踊りである。
厳格(げんかく)なイスラム圏では女性は肌を見せてはならない中で、お腹(なか)を出して、くねくねと踊るのであるから、イスラム教徒にとってはきわめて卑猥(ひわい)なダンスであるにちがいない。
あるとき、エジプト政府は、外国人観光客が気楽に楽しめるようにと、外国人の前で行なうのを解禁した。観光によって外貨(がいか)を稼(かせ)ごうとしたのである。
彼らは、できるかぎり観光客が集まるようにと、素晴らしい美女たちを選んだ。
ところが、外国人観光客はさっぱり集まらなかった。
彼らが選んだ美女たちは、彼らの美的感覚(びてきかんかく)に基(もと)づくものであったからだ。
中東にしろ、インドにしろ、こうした国々は貧しいので、あるいは、貧しかったので、肥満は富の象徴である。太れるくらいに飲み食いができる社会階層であるということになる。
だから、デブが好きなのである。
そういえば、ファッション=ショーのミラノ=コレクションにモデルとして出演してもおかしくないくらいのアラブ人の美女がいたのだけれど、あの人って、とても綺麗ですよねと、あるサウジアラビアの男性に言ったところ、ええーっ、お前、なに言ってんの、あんなの駄目だよと言われた。じゃあ、どういうのが美人なのかと訊いたところ、そうだな、◯◯さんかなと言う。◯◯さんはただのデブ女だった。
その人が特殊な趣味の持ち主だと考えて、ほかのイスラム教徒たちに訊(たず)ねた。
全員がデブ好きだった。
一時期、ウェブでベリーダンスの動画を集中的に視聴したことがあるが、悉(ことごと)くデブ女ばかりだった。
すごいのになると、妊娠数か月の女性がベリーダンスを踊り、喝采(かっさい)を浴(あ)びるという動画さえあった。このあたりになると、日本人の感覚では、理解はできない。そういう文化なんだろうと思うだけだな。
どうでもいいけど、マーケティングくらい、ちゃんとやれよ。
厳格(げんかく)なイスラム圏では女性は肌を見せてはならない中で、お腹(なか)を出して、くねくねと踊るのであるから、イスラム教徒にとってはきわめて卑猥(ひわい)なダンスであるにちがいない。
あるとき、エジプト政府は、外国人観光客が気楽に楽しめるようにと、外国人の前で行なうのを解禁した。観光によって外貨(がいか)を稼(かせ)ごうとしたのである。
彼らは、できるかぎり観光客が集まるようにと、素晴らしい美女たちを選んだ。
ところが、外国人観光客はさっぱり集まらなかった。
彼らが選んだ美女たちは、彼らの美的感覚(びてきかんかく)に基(もと)づくものであったからだ。
中東にしろ、インドにしろ、こうした国々は貧しいので、あるいは、貧しかったので、肥満は富の象徴である。太れるくらいに飲み食いができる社会階層であるということになる。
だから、デブが好きなのである。
そういえば、ファッション=ショーのミラノ=コレクションにモデルとして出演してもおかしくないくらいのアラブ人の美女がいたのだけれど、あの人って、とても綺麗ですよねと、あるサウジアラビアの男性に言ったところ、ええーっ、お前、なに言ってんの、あんなの駄目だよと言われた。じゃあ、どういうのが美人なのかと訊いたところ、そうだな、◯◯さんかなと言う。◯◯さんはただのデブ女だった。
その人が特殊な趣味の持ち主だと考えて、ほかのイスラム教徒たちに訊(たず)ねた。
全員がデブ好きだった。
一時期、ウェブでベリーダンスの動画を集中的に視聴したことがあるが、悉(ことごと)くデブ女ばかりだった。
すごいのになると、妊娠数か月の女性がベリーダンスを踊り、喝采(かっさい)を浴(あ)びるという動画さえあった。このあたりになると、日本人の感覚では、理解はできない。そういう文化なんだろうと思うだけだな。
どうでもいいけど、マーケティングくらい、ちゃんとやれよ。
2013年4月13日土曜日
台湾映画『セデック=バレ』が、早ければ4月20日から劇場で観られるぞ。
台湾映画『セデック=バレ』は霧社事件を扱った映画である。
原題は『賽德克・巴萊』であり、英題はWorriors of the Rainbow: Seediq Baleである。
霧社事件とは、1930年に発生した台湾原住民であるセデック族による抗日反乱である。
当時、台湾は貧しかったが、日本も貧しかった。それでも、欧米列強に殖民地にされぬようにと、防衛線を構築しなければならなかった。日清戦争後に、朝鮮半島を支那の属国から離脱させ、台湾を統治した。
そうした地政学上のことがわからなければ、台湾原住民が、使役(しえき)で酷使(こくし)されたことに不満を抱くのは理解できないことはない。
そうした状況で事件が起こった。婚礼の祝賀に通りかかった日本人巡査が、セデック族から婚礼の祝杯を呷(あお)るように勧められた。
しかし、彼らの酒は、咀嚼法(そしゃくほう)による醸造(じょうぞう)だった。つまり、原料を一旦(いったん)口に入れ、噛(か)み砕(くだ)いてから、それを吐き出したものを醗酵(はっこう)したものだったので、一般の日本人の感覚では不潔極(ふけつきわ)まりない。
しかも、酒を差し出した者の手は、血に塗(まみ)れていた。婚礼の祝いのための獲物(えもの)を捕らえた際のものだった。
それでも、原住民は日本人巡査(じゅんさ)に酒を呑(の)むように勧めた。巡査は彼をステッキで殴った。
これをきっかけにして、反乱が起こった。
その霧社事件に基(もとづ)いて製作されたのが『セデック=バレ』である。
監督である魏德聖(ぎとくせい:ウェイ=ダーション)は、すこぶるつきの親日家である。前作『海角7号 君想う、国境の南』は、日本人なら恥ずかしくなるくらいの親日ぶりである。
その彼が、セデック族による抗日暴動(こうにちぼうどう)を描き、日本側の数千人の鎮圧軍(ちんあつぐん)が大砲・機関銃・航空機・毒ガスを用いて、虐殺(ぎゃくさつ)していく様子を描いたのか、不思議だった。
また、日本の映画では考えられない展開もあった。
バワン=ナウイという少年が反乱に参加し、日本兵をつぎつぎと斃(たお)し、勇者になる。勇者になると、死後、祖先の元に行けるという伝承(でんしょう)がある。彼は、銃の弾が切れ、蕃刀(ばんとう)で戦おうとするが、日本兵が撃った弾が蕃刀に中(あた)り、手が痺(しび)れてしまって、蕃刀が使えなくなる。すると、崖(がけ)の近くに立っている日本兵に素手のまま跳(と)びかかり、日本兵とともに崖の下に落ちて死ぬ。
日本の映画ではまず考えられない展開である。日本の映画だと、戦いを通じての経験と智慧(ちえ)を、後の世代に伝える役割として、年少者は死なないものである。
たとえば、黒澤明の『七人の侍』では、7人のうち4人が命を落とすが、生き残った3人のうち、最年少である岡本勝四郎が含まれている。人間の経験と叡智(えいち)は蓄積(ちくせき)されていくというのを日本人は好む傾向にあるようだ。
ところが、『セデック=バレ』では、少年までもが、勇猛果敢(ゆうもうかかん)に戦死する。
だから、びっくりした。
魏德聖監督は、異なる文化が出逢ったときのことを淡々と描いたというようなことを言っていたように記憶している。
まあ、日本でも、開国後に生麦事件から薩英戦争となったし、ほかにも神戸事件や堺事件も起こっている。
けれども、いちばん言いたかったことは、つぎの台詞にあるのではないだろうか?
河原(かわはら)さぶ演ずる鎌田彌彦(かまだやひこ)支援総司令少将(史実では台湾守備隊司令官:陸軍士官学校10期:最終階級は陸軍中将)が最後のほうで語る。
「三百人の戦士が数千人の大軍に抵抗して、戦死しない者は自決したとは。私は、百年前に失った……、日本から遙(はる)かに遠いこの台湾の山岳(さんがく)で、われわれ大和民族が百年前に失った武士道の精神を見たのだろうか? それともこの土地の桜がこんなにも紅(あか)く咲き誇(ほこ)っているからなのか?」
すると、安藤政信演ずる小島源治巡査部長が答える。
霧社事件をつうじて、大日本帝国は悠久の大義に目覚め、殖民地解放戦争である大東亜戦争へと突入するということを仄(ほの)めかしているようだ。
投降勧告(とうこうかんこく)の小さな紅(あか)いチラシが航空機からばら撒(ま)かれたときに、幼い女の子が「空に桜の花びらだ」とかなんとかいう場面がある。
鎌田彌彦支援総司令少将のことばに対して、小島源治巡査部長が「(桜は)咲くのが早すぎます。まだ桜の季節ではありません」と述べるところは、11年後の大東亜戦争突入を暗示している。
1941年12月8日に桜が咲き、玉音放送(ぎょくおんほうそう)の1945年8月15日、あるいは降伏文書調印(こうふくぶんしょちょういん)の9月2日に桜が散ったということだろう。
そういえば、ペリリュー島の戦いで玉砕する際に送った電文は「サクラ、サクラ、サクラ」だった。
註:台湾の桜は寒緋桜(カンヒザクラ)であり、1月下旬から2月中旬あたりに咲くようだ。標高によって開花時期も変わるだろう。史実によれば、暴動の鎮圧(ちんあつ)は12月であった。
史実(しじつ)では、1930年10月下旬に起こった霧社事件は12月中に鎮圧(ちんあつ)している。11月初めに頭目のモーナ=ルダオが失踪(しっそう)し、跡目(あとめ)を継いだ長男のタダオ=モーナが戦闘を指揮していたが、タダオ=モーナは12月8日に自決(じけつ)する。
12月8日は大東亜戦争開戦の日である。
ついでにいうと、うちで飼っている大黒鼠(だいこくねずみ)の半兵衛(はんべえ)と幸村(ゆきむら)の誕生日でもあるが、これはまったく関係ない。
また、セデック族の戦いぶりを見ていると、映画の中のこととはいえ、これほどの戦いができるのであれば、大東亜戦争で、ゲリラ戦・白兵戦(はくへいせん)・夜間の偵察(ていさつ)に関して、帝国陸軍で最高の部隊が高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)であったというのは、すこぶる説得力のあるものとして感ぜられる。
抗日暴動を描きつつも、大東亜戦争での、高砂義勇隊を中心とする大日本帝国の戦いをも描いた映画なのだ。「隠喩(いんゆ)で描かれた大東亜戦争」でもあり、大日本帝国軍の賛美(さんび)でもありうるわけだ。帝国陸軍の軍人がセデック族の戦いぶりを賞讃(しょうさん)することが、同時に、大日本帝国軍を賞讃することにもなっている。あるいは、日本もすごかったけれども、台湾にだって同じくらいにすごい部族がいるのだということにもなるだろう。つまりは、台湾と日本の両方を褒(ほ)め称(たた)えているのである。
魏德聖監督は大したもんだな。この映画の梗概(こうがい=あらすじ)だけを目にしたときには、前作がすこぶる親日的な作品だったのに、どうしてなんだろうと怪訝(けげん)に思ったが、こんな仕掛けがあったのだ。
撮影のために村をひとつ拵(こしら)えたとか、最後に、(わかる人にしかわからない)どんでん返しをするとか、なんていうか、「自虐史観(じぎゃくしかん)のない黒澤明」というものがあるとして、魏德聖監督は、さらにそれを超えているといえる。
ちょっと好きな台詞(せりふ)を紹介(しょうかい)する。
反乱の前のエピソードだったと思うが、少年が、部族の頭目(とうもく)であるモーナ=ルダオに言う。
「じいちゃんが言っていたけど、モーナは若いとき、勇者だったんだってね」
モーナが答える。
「私は今でも勇者だ。じいちゃんはわかってるのかな?」

3枚目は、セデック族出身で、花岡一郎という日本名を名乗り、巡査となっている者のポスターで、そこには「我們到底日本天皇的子民、還是賽德克祖霊的子孫」と書いてある。中国語は勉強したことがないので、よくわからんが、「われわれは天皇陛下の臣民であり、セデック族の祖先の血を受け継ぐ末裔(まつえい)である」というくらいの意味か。
原題は『賽德克・巴萊』であり、英題はWorriors of the Rainbow: Seediq Baleである。
霧社事件とは、1930年に発生した台湾原住民であるセデック族による抗日反乱である。
当時、台湾は貧しかったが、日本も貧しかった。それでも、欧米列強に殖民地にされぬようにと、防衛線を構築しなければならなかった。日清戦争後に、朝鮮半島を支那の属国から離脱させ、台湾を統治した。
そうした地政学上のことがわからなければ、台湾原住民が、使役(しえき)で酷使(こくし)されたことに不満を抱くのは理解できないことはない。
そうした状況で事件が起こった。婚礼の祝賀に通りかかった日本人巡査が、セデック族から婚礼の祝杯を呷(あお)るように勧められた。
しかし、彼らの酒は、咀嚼法(そしゃくほう)による醸造(じょうぞう)だった。つまり、原料を一旦(いったん)口に入れ、噛(か)み砕(くだ)いてから、それを吐き出したものを醗酵(はっこう)したものだったので、一般の日本人の感覚では不潔極(ふけつきわ)まりない。
しかも、酒を差し出した者の手は、血に塗(まみ)れていた。婚礼の祝いのための獲物(えもの)を捕らえた際のものだった。
それでも、原住民は日本人巡査(じゅんさ)に酒を呑(の)むように勧めた。巡査は彼をステッキで殴った。
これをきっかけにして、反乱が起こった。
その霧社事件に基(もとづ)いて製作されたのが『セデック=バレ』である。
監督である魏德聖(ぎとくせい:ウェイ=ダーション)は、すこぶるつきの親日家である。前作『海角7号 君想う、国境の南』は、日本人なら恥ずかしくなるくらいの親日ぶりである。
その彼が、セデック族による抗日暴動(こうにちぼうどう)を描き、日本側の数千人の鎮圧軍(ちんあつぐん)が大砲・機関銃・航空機・毒ガスを用いて、虐殺(ぎゃくさつ)していく様子を描いたのか、不思議だった。
また、日本の映画では考えられない展開もあった。
バワン=ナウイという少年が反乱に参加し、日本兵をつぎつぎと斃(たお)し、勇者になる。勇者になると、死後、祖先の元に行けるという伝承(でんしょう)がある。彼は、銃の弾が切れ、蕃刀(ばんとう)で戦おうとするが、日本兵が撃った弾が蕃刀に中(あた)り、手が痺(しび)れてしまって、蕃刀が使えなくなる。すると、崖(がけ)の近くに立っている日本兵に素手のまま跳(と)びかかり、日本兵とともに崖の下に落ちて死ぬ。
日本の映画ではまず考えられない展開である。日本の映画だと、戦いを通じての経験と智慧(ちえ)を、後の世代に伝える役割として、年少者は死なないものである。
たとえば、黒澤明の『七人の侍』では、7人のうち4人が命を落とすが、生き残った3人のうち、最年少である岡本勝四郎が含まれている。人間の経験と叡智(えいち)は蓄積(ちくせき)されていくというのを日本人は好む傾向にあるようだ。
ところが、『セデック=バレ』では、少年までもが、勇猛果敢(ゆうもうかかん)に戦死する。
だから、びっくりした。
魏德聖監督は、異なる文化が出逢ったときのことを淡々と描いたというようなことを言っていたように記憶している。
まあ、日本でも、開国後に生麦事件から薩英戦争となったし、ほかにも神戸事件や堺事件も起こっている。
けれども、いちばん言いたかったことは、つぎの台詞にあるのではないだろうか?
河原(かわはら)さぶ演ずる鎌田彌彦(かまだやひこ)支援総司令少将(史実では台湾守備隊司令官:陸軍士官学校10期:最終階級は陸軍中将)が最後のほうで語る。
「三百人の戦士が数千人の大軍に抵抗して、戦死しない者は自決したとは。私は、百年前に失った……、日本から遙(はる)かに遠いこの台湾の山岳(さんがく)で、われわれ大和民族が百年前に失った武士道の精神を見たのだろうか? それともこの土地の桜がこんなにも紅(あか)く咲き誇(ほこ)っているからなのか?」
すると、安藤政信演ずる小島源治巡査部長が答える。
「いえ、今年は咲くのが早すぎます。まだ桜の季節ではありません」
また傍証(ぼうしょう)として、件(くだん)の鎌田彌彦(かまだやひこ)を起用した宣伝用のポスターには、つぎのことばが記(しる)されていたことが挙(あ)げられる。
また傍証(ぼうしょう)として、件(くだん)の鎌田彌彦(かまだやひこ)を起用した宣伝用のポスターには、つぎのことばが記(しる)されていたことが挙(あ)げられる。
「為何我會在這裡見到我們巳経遺失百年的武士精神?」
(何故(なにゆえ)に、われわれがすでに百年前に失った武士道の精神を私はここで目にしたであろうか?)
つまり、台湾の原住民にも、武士道の精神がある、と。そして、桜に言及(げんきゅう)することにより、日本の特攻機「桜花(おうか)」や軍歌の「同期の桜」を想起(そうき)させることによって、セデック族の戦いは、大東亜戦争での日本の戦いぶりをも連想させる。
だから、つぎの2重構造を孕(はら)んだ物語なのだといえよう。
セデック族VS日本の鎮圧軍=大日本帝国VSアメリカ合衆国をはじめとする連合国軍
霧社事件をつうじて、大日本帝国は悠久の大義に目覚め、殖民地解放戦争である大東亜戦争へと突入するということを仄(ほの)めかしているようだ。
投降勧告(とうこうかんこく)の小さな紅(あか)いチラシが航空機からばら撒(ま)かれたときに、幼い女の子が「空に桜の花びらだ」とかなんとかいう場面がある。
鎌田彌彦支援総司令少将のことばに対して、小島源治巡査部長が「(桜は)咲くのが早すぎます。まだ桜の季節ではありません」と述べるところは、11年後の大東亜戦争突入を暗示している。
1941年12月8日に桜が咲き、玉音放送(ぎょくおんほうそう)の1945年8月15日、あるいは降伏文書調印(こうふくぶんしょちょういん)の9月2日に桜が散ったということだろう。
そういえば、ペリリュー島の戦いで玉砕する際に送った電文は「サクラ、サクラ、サクラ」だった。
註:台湾の桜は寒緋桜(カンヒザクラ)であり、1月下旬から2月中旬あたりに咲くようだ。標高によって開花時期も変わるだろう。史実によれば、暴動の鎮圧(ちんあつ)は12月であった。
史実(しじつ)では、1930年10月下旬に起こった霧社事件は12月中に鎮圧(ちんあつ)している。11月初めに頭目のモーナ=ルダオが失踪(しっそう)し、跡目(あとめ)を継いだ長男のタダオ=モーナが戦闘を指揮していたが、タダオ=モーナは12月8日に自決(じけつ)する。
12月8日は大東亜戦争開戦の日である。
ついでにいうと、うちで飼っている大黒鼠(だいこくねずみ)の半兵衛(はんべえ)と幸村(ゆきむら)の誕生日でもあるが、これはまったく関係ない。
また、セデック族の戦いぶりを見ていると、映画の中のこととはいえ、これほどの戦いができるのであれば、大東亜戦争で、ゲリラ戦・白兵戦(はくへいせん)・夜間の偵察(ていさつ)に関して、帝国陸軍で最高の部隊が高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)であったというのは、すこぶる説得力のあるものとして感ぜられる。
抗日暴動を描きつつも、大東亜戦争での、高砂義勇隊を中心とする大日本帝国の戦いをも描いた映画なのだ。「隠喩(いんゆ)で描かれた大東亜戦争」でもあり、大日本帝国軍の賛美(さんび)でもありうるわけだ。帝国陸軍の軍人がセデック族の戦いぶりを賞讃(しょうさん)することが、同時に、大日本帝国軍を賞讃することにもなっている。あるいは、日本もすごかったけれども、台湾にだって同じくらいにすごい部族がいるのだということにもなるだろう。つまりは、台湾と日本の両方を褒(ほ)め称(たた)えているのである。
魏德聖監督は大したもんだな。この映画の梗概(こうがい=あらすじ)だけを目にしたときには、前作がすこぶる親日的な作品だったのに、どうしてなんだろうと怪訝(けげん)に思ったが、こんな仕掛けがあったのだ。
撮影のために村をひとつ拵(こしら)えたとか、最後に、(わかる人にしかわからない)どんでん返しをするとか、なんていうか、「自虐史観(じぎゃくしかん)のない黒澤明」というものがあるとして、魏德聖監督は、さらにそれを超えているといえる。
ちょっと好きな台詞(せりふ)を紹介(しょうかい)する。
反乱の前のエピソードだったと思うが、少年が、部族の頭目(とうもく)であるモーナ=ルダオに言う。
「じいちゃんが言っていたけど、モーナは若いとき、勇者だったんだってね」
モーナが答える。
「私は今でも勇者だ。じいちゃんはわかってるのかな?」

3枚目は、セデック族出身で、花岡一郎という日本名を名乗り、巡査となっている者のポスターで、そこには「我們到底日本天皇的子民、還是賽德克祖霊的子孫」と書いてある。中国語は勉強したことがないので、よくわからんが、「われわれは天皇陛下の臣民であり、セデック族の祖先の血を受け継ぐ末裔(まつえい)である」というくらいの意味か。
マクザム (2013-10-31)
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2013年4月2日火曜日
アバクロンビー&フィッチの白人至上主義には笑った。
アバクロンビー&フィッチAbercrombie & Fitchのコーカソイド(白人)至上主義は凄(すご)いぞ。
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基本的にコーカソイド系アメリカ人しか店員に雇(やと)わない。有色人種は雇用(こよう)されたとしても、倉庫係などにされる。
ネグロイド(黒人)の店員が髪型が変だと解雇された。
イスラム教徒の女性がヒジャブというスカーフを身に着けているという理由で不採用になった。
先天的に左腕のない男性が、特例として長袖の服を着ることを許されたが、のちに服装規定に反するということで倉庫係にされた。
自閉症autismらしき女の子の試着を拒否した。
同社の姉妹ブランドの従業員が韓国において差別的発言を繰り返した。
支那人らしきアジア人を卑下(ひげ)するデザインのTシャツを販売した。
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これだけではない。広告にはコーカソイドしか起用しないとされる。
そこで、"Abercrombie & Fitch"で画像検索してみた。
確かにほとんどがコーカソイドばかりだったが、ちょっと例外があった。8分の1あるいは16分の1くらいネグロイド(黒人)の血が入っているのはよいらしい。それでも、ベースはコーカソイド(白人)でなければならない。
モンゴロイド(黄色人種)の血が入っているのは皆無(かいむ)であるようだった。
一方、白黒の写真だけれども、髪の毛の具合いや雀斑(そばかす)などから、この女性は赤毛じゃないかなと思われるモデルがいた。コーカソイドなら、赤毛でもよいらしい。
ネグロイドの血が入っているモデルはいたが、モンゴロイド(黄色人種)の血の入っているモデルは見当たらなかった。勿論(もちろん)、純然たるモンゴロイドは皆無(かいむ)だ。
モンゴロイドは駄目だけれども、犬は広告に出してもらえるらしい。ただし、洋犬にかぎるらしい。ここまで徹底すると、寧(むし)ろ、清々(すがすが)しい。
イングランドでは、ジーンズにダッフルコートだと入れないレストランがあるけれども、犬は入れるレストランがある。ま、そういうもんだろう。
日本の着物の広告でも、コーカソイドやネグロイドは起用せず、日本人ばかりだ。白人や黒人をモデルに起用しろという声はない。だから、安物カジュアル=ウェアはコーカソイドの文化だと考えれば、いいんじゃないかな。
この画像は、Abercrombie & Fitch Kidsの広告だが、私にはどうしても中学生に見えないんだが。
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基本的にコーカソイド系アメリカ人しか店員に雇(やと)わない。有色人種は雇用(こよう)されたとしても、倉庫係などにされる。
ネグロイド(黒人)の店員が髪型が変だと解雇された。
イスラム教徒の女性がヒジャブというスカーフを身に着けているという理由で不採用になった。
先天的に左腕のない男性が、特例として長袖の服を着ることを許されたが、のちに服装規定に反するということで倉庫係にされた。
自閉症autismらしき女の子の試着を拒否した。
同社の姉妹ブランドの従業員が韓国において差別的発言を繰り返した。
支那人らしきアジア人を卑下(ひげ)するデザインのTシャツを販売した。
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これだけではない。広告にはコーカソイドしか起用しないとされる。
そこで、"Abercrombie & Fitch"で画像検索してみた。
確かにほとんどがコーカソイドばかりだったが、ちょっと例外があった。8分の1あるいは16分の1くらいネグロイド(黒人)の血が入っているのはよいらしい。それでも、ベースはコーカソイド(白人)でなければならない。
モンゴロイド(黄色人種)の血が入っているのは皆無(かいむ)であるようだった。
一方、白黒の写真だけれども、髪の毛の具合いや雀斑(そばかす)などから、この女性は赤毛じゃないかなと思われるモデルがいた。コーカソイドなら、赤毛でもよいらしい。
ネグロイドの血が入っているモデルはいたが、モンゴロイド(黄色人種)の血の入っているモデルは見当たらなかった。勿論(もちろん)、純然たるモンゴロイドは皆無(かいむ)だ。
モンゴロイドは駄目だけれども、犬は広告に出してもらえるらしい。ただし、洋犬にかぎるらしい。ここまで徹底すると、寧(むし)ろ、清々(すがすが)しい。
イングランドでは、ジーンズにダッフルコートだと入れないレストランがあるけれども、犬は入れるレストランがある。ま、そういうもんだろう。
日本の着物の広告でも、コーカソイドやネグロイドは起用せず、日本人ばかりだ。白人や黒人をモデルに起用しろという声はない。だから、安物カジュアル=ウェアはコーカソイドの文化だと考えれば、いいんじゃないかな。
この画像は、Abercrombie & Fitch Kidsの広告だが、私にはどうしても中学生に見えないんだが。
2013年3月12日火曜日
国会でのブータン国王の演説で、unity in thought and actionを「知行合一(ちこうごういつ)」と訳した翻訳官の意図を勘繰(かんぐ)ってみた。
2011年11月17日にシグミ=ケサル=ナムゲル=ワンチュク陛下が国会で演説を行なった際に、同時通訳では、unity in thought and actionを「知行合一(ちこうごういつ)」と陽明学(ようめいがく)の用語で訳していた。
まず、該当(がいとう)する段落の英文と、翻訳官による訳文を併記する。
---
The world always identified Japan as a people of great honour, pride and discipline – a people with a proud tradition in history – who approach everything with tenacity, determination and a desire to excel – a people of unity in thought and action; of brotherhood and fraternity and unfailing strength and fortitude.
世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。
---
ブータン王国で陽明学は普及(ふきゅう)しているとは思えない。主たる宗教はチベット仏教(ドック派・ニンマ派)である。敢(あ)えていうなら、日本の仏教で最も近いのは真言宗である。
だから、「知行合一」を訳語として用いる必然性はないといえる。そもそも、unity in thought and actionなら、「考えと行ないの一致」くらいでもよさそうである。がちがちの直訳なら「思想と行動との点での統一性」である。「考えていることをきちんと実践する国民」という訳もありだ。「思想と行為の一致」と訳しても、時間の制約からして、それほど困りはしない。この演説では、同時通訳といっても、事前に原稿を受け取っているだろうから、訳文の前後の文言(もんごん)をいじって、調節できるはずである。
陽明学とは、王陽明による儒教の解釈のひとつである。「知行合一」とは、知識と行為は一体とならねばならぬという考えであり、知ることは行なうことの始まりであり、行なうことは知ることの完成であるという考えである。この考えを突き詰めると、許せないことをした者は暗殺しなければならないとなる。危険な革命思想になるわけだ。
日本における陽明学の代表的な人物として、「大塩平八郎の乱」を起こした大塩平八郎が挙(あ)げられる。
また、松下村塾(しょうかそんじゅく)の吉田松陰(よしだしょういん)もいる。彼は明治維新の指導者を育てた。
2011年の時点で、どういうことがあったのかを考えると、アメリカ合衆国はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定(かんたいへいようせんりゃくてきけいざいれんけいきょうてい)Trans-Pacific Strategic Economic Partnership; Trans-Pacific Partnership)に日本が参加するのを想定していなかったのに、菅直人(かんなおと)が自らの発案で参加すると言い出した。
「第2の開国」と言い出したわけだ。「日米和親条約」や「日米修好通商条約」に次(つ)ぐものと考えたようだ。
ところが、日本は、江戸時代の鎖国(さこく)のみならず、歴史上、70年から80年くらいの鎖国を繰り返している。平安時代の国風文化にしても、遣唐使を廃止し、鎖国しているから成立した文化である。
TPPで「第2の開国」と言っているようでは日本の歴史がわかっていない。これまでにも何度も鎖国と開国を繰り返していたからだ。まあ、菅直人は東京工業大学で落第したような、理系でも文系でもないような人物だからな。謂(い)わば、無系人間だ。それに、日本人ではない血筋(ちすじ)も入っているそうだしね。
さて、以上の経緯(いきさつ)から「知行合一」を考えてみよう。
朝廷の勅許(ちょっきょ)もなしに、日米修好通商条約を結んだ彦根藩主(ひこねはんしゅ)にして大老(たいろう)である井伊直弼(いいなおすけ)を水戸藩(みとはん)・薩摩藩(さつまはん)の脱藩浪士(だっぱんろうし)たちが襲った。
桜田門外の変である。
水戸藩には水戸学があった。陽明学を取り入れた実学的な学問であった。
井伊直弼のことが、とてもじゃないが許せるものではないとなれば、暗殺せざるをえない。水戸藩に迷惑がかからないように、脱藩(だっぱん)してから、桜田門外の変を起こした。
こうしたことから、unity in thought and actionを「知行合一」と翻訳官が訳出したのを耳にして、その翻訳官はTPP反対論者(はんたいろんじゃ)で、菅直人に対して、「てめぇ、世が世なら、『桜田門外の変』のように暗殺されても仕方がないぞ」と遠回しに恫喝(どうかつ)しているように感じた。そんな皮肉を他国の国王による演説の訳に入れて、それが当時の与党・民主党に知られたら、その翻訳官は当時の政権によって、更迭(こうてつ)されたり、なんらかの処分を受ける可能性があると思い、ちょっと心配になったくらいである。
しかし、杞憂(きゆう)であった。
民主党の議員はみんな、教養がないので、だれもその皮肉に気づかなかった。
まず、該当(がいとう)する段落の英文と、翻訳官による訳文を併記する。
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The world always identified Japan as a people of great honour, pride and discipline – a people with a proud tradition in history – who approach everything with tenacity, determination and a desire to excel – a people of unity in thought and action; of brotherhood and fraternity and unfailing strength and fortitude.
世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。
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ブータン王国で陽明学は普及(ふきゅう)しているとは思えない。主たる宗教はチベット仏教(ドック派・ニンマ派)である。敢(あ)えていうなら、日本の仏教で最も近いのは真言宗である。
だから、「知行合一」を訳語として用いる必然性はないといえる。そもそも、unity in thought and actionなら、「考えと行ないの一致」くらいでもよさそうである。がちがちの直訳なら「思想と行動との点での統一性」である。「考えていることをきちんと実践する国民」という訳もありだ。「思想と行為の一致」と訳しても、時間の制約からして、それほど困りはしない。この演説では、同時通訳といっても、事前に原稿を受け取っているだろうから、訳文の前後の文言(もんごん)をいじって、調節できるはずである。
陽明学とは、王陽明による儒教の解釈のひとつである。「知行合一」とは、知識と行為は一体とならねばならぬという考えであり、知ることは行なうことの始まりであり、行なうことは知ることの完成であるという考えである。この考えを突き詰めると、許せないことをした者は暗殺しなければならないとなる。危険な革命思想になるわけだ。
日本における陽明学の代表的な人物として、「大塩平八郎の乱」を起こした大塩平八郎が挙(あ)げられる。
また、松下村塾(しょうかそんじゅく)の吉田松陰(よしだしょういん)もいる。彼は明治維新の指導者を育てた。
2011年の時点で、どういうことがあったのかを考えると、アメリカ合衆国はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定(かんたいへいようせんりゃくてきけいざいれんけいきょうてい)Trans-Pacific Strategic Economic Partnership; Trans-Pacific Partnership)に日本が参加するのを想定していなかったのに、菅直人(かんなおと)が自らの発案で参加すると言い出した。
「第2の開国」と言い出したわけだ。「日米和親条約」や「日米修好通商条約」に次(つ)ぐものと考えたようだ。
ところが、日本は、江戸時代の鎖国(さこく)のみならず、歴史上、70年から80年くらいの鎖国を繰り返している。平安時代の国風文化にしても、遣唐使を廃止し、鎖国しているから成立した文化である。
TPPで「第2の開国」と言っているようでは日本の歴史がわかっていない。これまでにも何度も鎖国と開国を繰り返していたからだ。まあ、菅直人は東京工業大学で落第したような、理系でも文系でもないような人物だからな。謂(い)わば、無系人間だ。それに、日本人ではない血筋(ちすじ)も入っているそうだしね。
さて、以上の経緯(いきさつ)から「知行合一」を考えてみよう。
朝廷の勅許(ちょっきょ)もなしに、日米修好通商条約を結んだ彦根藩主(ひこねはんしゅ)にして大老(たいろう)である井伊直弼(いいなおすけ)を水戸藩(みとはん)・薩摩藩(さつまはん)の脱藩浪士(だっぱんろうし)たちが襲った。
桜田門外の変である。
水戸藩には水戸学があった。陽明学を取り入れた実学的な学問であった。
井伊直弼のことが、とてもじゃないが許せるものではないとなれば、暗殺せざるをえない。水戸藩に迷惑がかからないように、脱藩(だっぱん)してから、桜田門外の変を起こした。
こうしたことから、unity in thought and actionを「知行合一」と翻訳官が訳出したのを耳にして、その翻訳官はTPP反対論者(はんたいろんじゃ)で、菅直人に対して、「てめぇ、世が世なら、『桜田門外の変』のように暗殺されても仕方がないぞ」と遠回しに恫喝(どうかつ)しているように感じた。そんな皮肉を他国の国王による演説の訳に入れて、それが当時の与党・民主党に知られたら、その翻訳官は当時の政権によって、更迭(こうてつ)されたり、なんらかの処分を受ける可能性があると思い、ちょっと心配になったくらいである。
しかし、杞憂(きゆう)であった。
民主党の議員はみんな、教養がないので、だれもその皮肉に気づかなかった。
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自己紹介
- 掃除機庵主人
- 和歌山県, Japan
- 早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。
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