原題は『賽德克・巴萊』であり、英題はWorriors of the Rainbow: Seediq Baleである。
霧社事件とは、1930年に発生した台湾原住民であるセデック族による抗日反乱である。
当時、台湾は貧しかったが、日本も貧しかった。それでも、欧米列強に殖民地にされぬようにと、防衛線を構築しなければならなかった。日清戦争後に、朝鮮半島を支那の属国から離脱させ、台湾を統治した。
そうした地政学上のことがわからなければ、台湾原住民が、使役(しえき)で酷使(こくし)されたことに不満を抱くのは理解できないことはない。
そうした状況で事件が起こった。婚礼の祝賀に通りかかった日本人巡査が、セデック族から婚礼の祝杯を呷(あお)るように勧められた。
しかし、彼らの酒は、咀嚼法(そしゃくほう)による醸造(じょうぞう)だった。つまり、原料を一旦(いったん)口に入れ、噛(か)み砕(くだ)いてから、それを吐き出したものを醗酵(はっこう)したものだったので、一般の日本人の感覚では不潔極(ふけつきわ)まりない。
しかも、酒を差し出した者の手は、血に塗(まみ)れていた。婚礼の祝いのための獲物(えもの)を捕らえた際のものだった。
それでも、原住民は日本人巡査(じゅんさ)に酒を呑(の)むように勧めた。巡査は彼をステッキで殴った。
これをきっかけにして、反乱が起こった。
その霧社事件に基(もとづ)いて製作されたのが『セデック=バレ』である。
監督である魏德聖(ぎとくせい:ウェイ=ダーション)は、すこぶるつきの親日家である。前作『海角7号 君想う、国境の南』は、日本人なら恥ずかしくなるくらいの親日ぶりである。
その彼が、セデック族による抗日暴動(こうにちぼうどう)を描き、日本側の数千人の鎮圧軍(ちんあつぐん)が大砲・機関銃・航空機・毒ガスを用いて、虐殺(ぎゃくさつ)していく様子を描いたのか、不思議だった。
また、日本の映画では考えられない展開もあった。
バワン=ナウイという少年が反乱に参加し、日本兵をつぎつぎと斃(たお)し、勇者になる。勇者になると、死後、祖先の元に行けるという伝承(でんしょう)がある。彼は、銃の弾が切れ、蕃刀(ばんとう)で戦おうとするが、日本兵が撃った弾が蕃刀に中(あた)り、手が痺(しび)れてしまって、蕃刀が使えなくなる。すると、崖(がけ)の近くに立っている日本兵に素手のまま跳(と)びかかり、日本兵とともに崖の下に落ちて死ぬ。
日本の映画ではまず考えられない展開である。日本の映画だと、戦いを通じての経験と智慧(ちえ)を、後の世代に伝える役割として、年少者は死なないものである。
たとえば、黒澤明の『七人の侍』では、7人のうち4人が命を落とすが、生き残った3人のうち、最年少である岡本勝四郎が含まれている。人間の経験と叡智(えいち)は蓄積(ちくせき)されていくというのを日本人は好む傾向にあるようだ。
ところが、『セデック=バレ』では、少年までもが、勇猛果敢(ゆうもうかかん)に戦死する。
だから、びっくりした。
魏德聖監督は、異なる文化が出逢ったときのことを淡々と描いたというようなことを言っていたように記憶している。
まあ、日本でも、開国後に生麦事件から薩英戦争となったし、ほかにも神戸事件や堺事件も起こっている。
けれども、いちばん言いたかったことは、つぎの台詞にあるのではないだろうか?
河原(かわはら)さぶ演ずる鎌田彌彦(かまだやひこ)支援総司令少将(史実では台湾守備隊司令官:陸軍士官学校10期:最終階級は陸軍中将)が最後のほうで語る。
「三百人の戦士が数千人の大軍に抵抗して、戦死しない者は自決したとは。私は、百年前に失った……、日本から遙(はる)かに遠いこの台湾の山岳(さんがく)で、われわれ大和民族が百年前に失った武士道の精神を見たのだろうか? それともこの土地の桜がこんなにも紅(あか)く咲き誇(ほこ)っているからなのか?」
すると、安藤政信演ずる小島源治巡査部長が答える。
「いえ、今年は咲くのが早すぎます。まだ桜の季節ではありません」
また傍証(ぼうしょう)として、件(くだん)の鎌田彌彦(かまだやひこ)を起用した宣伝用のポスターには、つぎのことばが記(しる)されていたことが挙(あ)げられる。
また傍証(ぼうしょう)として、件(くだん)の鎌田彌彦(かまだやひこ)を起用した宣伝用のポスターには、つぎのことばが記(しる)されていたことが挙(あ)げられる。
「為何我會在這裡見到我們巳経遺失百年的武士精神?」
(何故(なにゆえ)に、われわれがすでに百年前に失った武士道の精神を私はここで目にしたであろうか?)
つまり、台湾の原住民にも、武士道の精神がある、と。そして、桜に言及(げんきゅう)することにより、日本の特攻機「桜花(おうか)」や軍歌の「同期の桜」を想起(そうき)させることによって、セデック族の戦いは、大東亜戦争での日本の戦いぶりをも連想させる。
だから、つぎの2重構造を孕(はら)んだ物語なのだといえよう。
セデック族VS日本の鎮圧軍=大日本帝国VSアメリカ合衆国をはじめとする連合国軍
霧社事件をつうじて、大日本帝国は悠久の大義に目覚め、殖民地解放戦争である大東亜戦争へと突入するということを仄(ほの)めかしているようだ。
投降勧告(とうこうかんこく)の小さな紅(あか)いチラシが航空機からばら撒(ま)かれたときに、幼い女の子が「空に桜の花びらだ」とかなんとかいう場面がある。
鎌田彌彦支援総司令少将のことばに対して、小島源治巡査部長が「(桜は)咲くのが早すぎます。まだ桜の季節ではありません」と述べるところは、11年後の大東亜戦争突入を暗示している。
1941年12月8日に桜が咲き、玉音放送(ぎょくおんほうそう)の1945年8月15日、あるいは降伏文書調印(こうふくぶんしょちょういん)の9月2日に桜が散ったということだろう。
そういえば、ペリリュー島の戦いで玉砕する際に送った電文は「サクラ、サクラ、サクラ」だった。
註:台湾の桜は寒緋桜(カンヒザクラ)であり、1月下旬から2月中旬あたりに咲くようだ。標高によって開花時期も変わるだろう。史実によれば、暴動の鎮圧(ちんあつ)は12月であった。
史実(しじつ)では、1930年10月下旬に起こった霧社事件は12月中に鎮圧(ちんあつ)している。11月初めに頭目のモーナ=ルダオが失踪(しっそう)し、跡目(あとめ)を継いだ長男のタダオ=モーナが戦闘を指揮していたが、タダオ=モーナは12月8日に自決(じけつ)する。
12月8日は大東亜戦争開戦の日である。
ついでにいうと、うちで飼っている大黒鼠(だいこくねずみ)の半兵衛(はんべえ)と幸村(ゆきむら)の誕生日でもあるが、これはまったく関係ない。
また、セデック族の戦いぶりを見ていると、映画の中のこととはいえ、これほどの戦いができるのであれば、大東亜戦争で、ゲリラ戦・白兵戦(はくへいせん)・夜間の偵察(ていさつ)に関して、帝国陸軍で最高の部隊が高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)であったというのは、すこぶる説得力のあるものとして感ぜられる。
抗日暴動を描きつつも、大東亜戦争での、高砂義勇隊を中心とする大日本帝国の戦いをも描いた映画なのだ。「隠喩(いんゆ)で描かれた大東亜戦争」でもあり、大日本帝国軍の賛美(さんび)でもありうるわけだ。帝国陸軍の軍人がセデック族の戦いぶりを賞讃(しょうさん)することが、同時に、大日本帝国軍を賞讃することにもなっている。あるいは、日本もすごかったけれども、台湾にだって同じくらいにすごい部族がいるのだということにもなるだろう。つまりは、台湾と日本の両方を褒(ほ)め称(たた)えているのである。
魏德聖監督は大したもんだな。この映画の梗概(こうがい=あらすじ)だけを目にしたときには、前作がすこぶる親日的な作品だったのに、どうしてなんだろうと怪訝(けげん)に思ったが、こんな仕掛けがあったのだ。
撮影のために村をひとつ拵(こしら)えたとか、最後に、(わかる人にしかわからない)どんでん返しをするとか、なんていうか、「自虐史観(じぎゃくしかん)のない黒澤明」というものがあるとして、魏德聖監督は、さらにそれを超えているといえる。
ちょっと好きな台詞(せりふ)を紹介(しょうかい)する。
反乱の前のエピソードだったと思うが、少年が、部族の頭目(とうもく)であるモーナ=ルダオに言う。
「じいちゃんが言っていたけど、モーナは若いとき、勇者だったんだってね」
モーナが答える。
「私は今でも勇者だ。じいちゃんはわかってるのかな?」
3枚目は、セデック族出身で、花岡一郎という日本名を名乗り、巡査となっている者のポスターで、そこには「我們到底日本天皇的子民、還是賽德克祖霊的子孫」と書いてある。中国語は勉強したことがないので、よくわからんが、「われわれは天皇陛下の臣民であり、セデック族の祖先の血を受け継ぐ末裔(まつえい)である」というくらいの意味か。
マクザム (2013-10-31)
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2 件のコメント:
花岡一郎ポスターの文は、彼が自決間際のシーンで弟の二郎に「自分は天皇陛下の赤子なのか、それともセデックの子なのか」と問うた、あのセリフではないでしょうかね。
ご指摘、ありがとうございます。
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