ところが、実際はそれほどかわいそうではないし、むしろ、彦星は織姫に飽きてきているのではないかと推察できると、個人的には考える。
「牽牛(けんぎゅう)」「織女(しょくじょ)」という語の初出は『詩経』らしい。大雑把に考えて、2,500年前には既(すで)に七夕の話はあったと考えてよいだろう。伝説や伝承というものは、もともと、それ以前からあるものが、具体的な物語になっている。ここでは、七夕の伝説は5,000年前の話であったと仮定する。
5,000年のうち、仮に1,350回、雨だったと仮定しても、3,650回は彦星と織姫は逢瀬(おうせ)を楽しむことができたことになる。
3,650回といえば、毎日逢い続ければ、およそ10年分になる(「およそ」をつけたのは、閏年(うるうどし)のことを計算に入れると2回または3回を足さなければならないからである)。もう飽きているころだろう。
『愛はなぜ終わるのか―結婚・不倫・離婚の自然史』の著者によれば、愛は4年で終わるのが自然であるという。人種・民族・宗教・文化が異なっていても、離婚のピークは世界中で結婚の4年後であるということから、著者が仮説を立てた。結婚後1年で子どもが生まれ、3歳になると、父親がいなくても共同体で育てることが可能なので、男性はつぎの女性を求めるようになる、だから、離婚のピークは結婚の4年後なのだという。
この仮説が正しいのであれば、およそ10年分にあたる3,650回も逢っていれば、飽きているはずだ。だから、雨で逢えないとなると、「今年は雨のおかげで織姫と逢わなくていいから、ラッキー」なんてことを彦星は思っているかもしれない。
だから、雨のせいで、彦星と織姫が逢えなくても、ちっともかわいそうじゃない。
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