個人的には、サクソフォンの金属製曲がり尺八と、カレーライスの辛味入り汁掛け飯の言い換えには笑ってしまった。
敵国の言語を敵性語として禁じるのであれば、日中戦争(支那事変(しなじへん))勃発後(ぼっぱつご)にも、中国語や漢語を禁じるのが道理(どうり)であるはずだが、さすがに、そんなことをすれば日本語そのものが使えなくなるので、実施してはいない。
さて、今日、近所のじいさんと話をした。えらく年輩の人で、太平洋戦争時に航空隊の兵士として出兵(しゅっぺい)していた。
敵性語云々(うんぬん)の話から、ゼロ戦(零式艦上戦闘機)の呼称についての話になった。ゼロ戦は、皇紀2,600年(西暦1940年、昭和15年)に制式採用された。2,600年の下2桁が「00」ということから、「零式艦上戦闘機」となった。略して「ゼロ戦」というわけだ。
ところが、「ゼロ」zeroは敵性語なのだから、「ゼロ戦」という略称は使えないはずである。太平洋戦争開戦後は、敵性語として英語は禁止されているからだ。
尤(もっと)も、英語のzeroの発音は、/zɪˈroʊ/または/zi:ˈroʊ/なのだから、「ゼロ」とはちょっと違う。なお、/ɪ/は「エ」の口の形で「イ」と発音するような音なので、実際には「エ」と聞こえる場合が多い。一方、/i:/は日本語の共通語(標準語)の「イー」を4分の3以下の長さで発音する。
さて、ウェブで調べると、「れいせん(零戦)」「れいしきせん(零式戦)」と呼ばれていたとか、建前(たてまえ)としては「れいせん」だったが、現場では「ぜろせん」と呼ばれていたとある。第2次世界大戦の撃墜王であり、『大空のサムライ』の著者でもある坂井三郎も「ゼロ戦」と戦時中から呼んでいたらしい。
で、近所のじいさんによれば、「零式艦上戦闘機」は「雷電1号」と呼ぶ上官がいたというのである。上官が「雷電1号」と言ったときには「ゼロ戦」のことだと判断しながら聞いていたという。そして、本来の雷電は「雷電2号」と呼んでいたそうだ。
これは初めて耳にした。
失礼ながら、なにかの記憶違いかもしれないと思ったが、雷電は零戦に替わる海軍の主力戦闘機となる予定であったし、零戦と同様に堀越二郎を設計主務者とする設計陣だったということからすると、ゼロ戦を「雷電1号」と呼び、雷電を「雷電2号」と呼ぶ部隊があったとしても、不思議ではないといえば不思議ではない。
本当のところはどうなんだろうか? 気になるところだ。ま、どうでもいいことなんだけど。
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