2009年7月27日月曜日

教育費を完全無料化するとどうなるか?(その2)

教育に関して、幼稚園から大学・大学院までの教育費が無料になり、さらには、現実問題としてはあり得ないが、塾・予備校・家庭教師などまでもが無料になれば、勉強が得意ではないことに経済的要因を挙げることが難しくなると、「教育費を完全無料化するとどうなるか?(その1)」で述べた。

もちろん、たとえば昭和20年代であれば、学力がすこぶる高ければ、奨学金で高等学校・大学への進学が可能であったが、しかし、幼い弟妹の生活費を稼がねばならず、泣く泣く就職という例もあったが、現代では、そういうことはないだろう。

そうなると、家庭環境や保護者の教養レベル、ならびに本人の素質・努力などによって、学歴が低くなったということになる。しかし、環境が悪くても、それを撥(は)ね退(の)けて頑張った人も、数は少ないものの、いなくもない。つまりは、本人のせいというわけだ。

これは惨(みじ)めだろう。

そうした立場の人間が全員、そうなるというわけではないが、つぎのような事態が予想される。これは社会心理学では、一般的に唱えられていることだ。

学歴が低いのは、自分の素質によって、勉強に対する適性がなかったからだ。頭が悪かったからだともいえなくもない。全員ではないが、こうした事実に耐えられない者は少なくない。だからといって、もともと適性がなかったのであるから、いまさら、勉学に邁進(まいしん)することはできないし、したとしても、それほどの効果は期待できない。若いときにしか効率よく勉強できない分野があるのだ。また、加齢とともに学習能力は落ちている。

もはやどこにも抜け出せない。

このような状況に陥(おちい)った場合、惨めな自分を慰(なぐさ)めるためにも、自分が所属するなんらかの集団、たとえば、「日本人」という集団を措定(そてい)し、「日本人は優秀である」と決めつけ、日本人ではない者を「自分よりも劣(おと)っている」と考えようとする場合がなくもない。つまり、自由で平等な競争社会を実現すると、競争に敗れた者は、自分よりも弱い者を見つけ出し、差別をする危うさを孕(はら)んだ微妙な存在となる。

自由で平等な競争社会は、ファシズムの温床(おんしょう)でさえある。

自分自身がそうならないためにも、真面目に努力するしかないのだろう。でも、駄目な人は駄目なんだろうな。
 

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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