2013年2月20日水曜日

マレー作戦も奇襲だったのに、真珠湾攻撃と違って、喧伝(けんでん)されていない。

マレー作戦the Malayan Campaign(日本側作戦名:E作戦)も奇襲であった。しかし、真珠湾攻撃と違って、喧伝(けんでん)されていない。

マレー作戦とは、12月8日午前1時30分に開始された英国領への侵攻作戦(しんこうさくせん)である。マレー半島に奇襲上陸し、快進撃を続けた。稀(まれ)にみる快進撃であった。

真珠湾攻撃の場合、フランクリン=ルーズヴェルト大統領Flanklin Rooseveltが日本に最初の一撃を行なわせ、日米開戦とし、ついで、日本と軍事同盟を結んでいるドイツとも開戦する段取りであったから、対日開戦に関して国民からの同意を得(う)るためにも、卑怯な奇襲攻撃を受けたと喧伝(けんでん)する必要があった。

尤(もっと)も、実際は、真珠湾攻撃の1時間半前に日本の潜水艦が公海上でアメリカ合衆国海軍の駆逐艦に撃沈されている。帝国軍の暗号は解読されていたので、潜水艦の位置など筒抜(つつぬ)けだった。

厳密にいえば、「卑怯な奇襲攻撃」を最初にしたのは、アメリカ合衆国海軍であった。日本人の大半は、負けた戦(いくさ)に関して、ぐだぐだ抜かさないという民族性を備えているので、何も言わないでいる。

真珠湾の場合は、攻撃の直前に宣戦布告する予定であったが、間に合わなかった。従来、転任する大使館員の送別会によって寝坊したとされていた。しかし、実際には、直前になって、宣戦布告の文言(もんごん)を変更することになり、それに手間取(てまど)ったのが真相だとされる。

なお、極東国際軍事裁判(所謂(いわゆる)、東京裁判)では、真珠湾奇襲攻撃そのものには無罪判決が出されている。

マレー作戦は、宣戦布告一切なしのガチの奇襲作戦だった。

ところが、英国は卑怯(ひきょう)な奇襲作戦だと騒いだりはしていないようである。

英国人には、実質的に負けたのだと潔(いさぎよ)く認める性質が備わっているようだ。

マレー沖海戦では、レパルスHMS Repulseと、当時、世界最新鋭の戦艦プリンス=オヴ=ウェールズHMS Prince of Walesを帝国海軍は撃沈した。

作戦行動中の戦艦を航空機が沈めることはできないという、当時の常識を覆(くつがえ)した。

この2艦(かん)が撃沈された報(しら)せを受けたウインストン=チャーチル英国首相Winston Churchillは、ショックのあまり、思わず、電話の受話器を落とした。のちに、自叙伝で、それほどの軍事力のある国家が、英国に対しての外交交渉(がいこうこうしょう)で、どうしして、あれほどの譲歩(じょうほ)を繰(く)り返したのか、理解に苦しむと述(の)べた。

インパール作戦the Battle of Imphal(日本側作戦名:ウ号作戦)では、英印軍は、勝つには勝ったが、敗北を覚悟していた。

ところが、当時の英国軍人にとっては不思議であったが、突如(とつじょ)、佐藤幸徳(こうとく)師団長が独断で第31師団を退却させた。これによって、インパール作戦の失敗が確定し、第31師団の側面に展開していた第15師団が壊滅(かいめつ)した原因となった。

とはいえ、英印軍は敗北の縁(ふち)に追いやられていた。その後、帝国陸軍の貧弱な装備を目にすると、愕然(がくぜん)とした。

英国人に媚(こ)び諂(へつら)うインド人がインパールの戦いの戦勝会を開きましょうと進言したが、そんなもの、しなくてよいと答えた。勝った気がしなかったのである。

英国陸軍・海軍ともに、実質的に、帝国陸軍・海軍に打ちのめされた。

極東国際軍事裁判に、英国はラダ=ビノード=パール判事Radhabinod Pal(ベンガル語では「ラダビノド=パル」と発音する)という有色人種のベンガル人を送り込んでいる。パール判事は日本無罪論を主張した。

有色人種を敢(あ)えて派遣(はけん)したという点でも、英国人の潔(いさぎよ)さが見て取れるであろう。

マレー作戦はガチの奇襲攻撃であったけれども、英国軍と較(くら)べて貧弱な装備の日本軍にあそこまでやられたら、あいつら、奇襲しやがってと騒いだりはしないというところに、英国人気質(えいこくじんかたぎ)があるように感じる。

但(ただ)し、ビルマの戦いthe Burma Campaignで日本軍に痛い目に遭(あ)わされたマウントバッテン卿(きょう)Louis Mountbatten, the 1st Earl of Mountbatten of Burmaだけは、死ぬまで日本のことを恨(うら)み、遺言で、自らの葬儀には日本人を参列させるなとした。

ところで、一部の左翼系を除けば、一般の日本人も空襲や原子爆弾による非戦闘員の無差別殺戮(むさべつさつりく)を声高(こわだか)に批難しない。保守陣営は、国益(こくえき)には繋(つな)がらないと考えて、あまり批判しないような気がする。

負けた戦(いくさ)については、ぐだぐだ言わないという日本人の民族性があらわれている。

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早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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