2013年1月1日火曜日

先日、うちの女子高校生が石原伸晃の高校時代の成績を推測しようとしていた。

 うちは学習塾・予備校だから、進学に関わる資料はいろいろとある。とはいえ、ちんまりしたところだから、毎年毎年最新の資料を購入するわけではない。むしろ、貧乏塾なので、最近は、保護者に購入するように依頼している。

 先日、女子高校生が慶應義塾高等学校からエスカレータ式にどの学部にそれぞれ何人ずつ進学するのかを調べていた。怪訝(けげん)に思って、理由を訊(たず)ねたところ、尖閣諸島に関しての石原伸晃(いしはらのぶてる)の発言があまりに頭が悪いと思ったので、高校時代のだいたいの成績を推測しようと思ったという。

 尖閣諸島を巡(めぐ)る発言とは、テレビ番組で、領有権を主張する赤い支那が「攻め込んでくるのでは」と訊(き)かれ、「攻めてこない。誰も住んでいないんだから」と断言した件である。

 海底資源を狙(ねら)っているのだから、住人がいるかどうかは関係ないことがわからないほどに頭が悪いと、うちの生徒は思ったのだという。

 彼女は、たまたま平成14年(皇紀2662年、西暦2002年、イスラム暦1422年)の資料を基(もと)に計算した。

 基(もと)になるデータはつぎのもの。
 701人中の進学先である。1.2%くらいは外部受験するようだが、それはとりあえず無視する。

医学部:21名
理工学部:136名
経済学部:173名
法学部:220名
商学部:55名
文学部:30名
総合政策学部:24名
環境情報学部:40名
看護学部:2名


 総合政策学部・環境情報学部・看護学部は、石原伸晃が在籍していたときにはなかったので、除外する。すると、635名がエスカレータ式に進学したことになる。

 文学部以外の学部は、文学部よりも上位とされる学部である。ということは、それらの学部への進学者の合計数よりも低い成績であったと推測できる。もしも、もともと政治家志望であったり、政治家の2世であったりすると、成績がよすぎても、経済学部・医学部・理工学部には進学せず、敢(あ)えて法学部政治学科に進学するというようなことはあるらしい。

 文学部以外の上位学部への進学者数の合計は605名である。文学部進学者は30名である。

 以上のことから、彼女は、635名中605番以下の成績であったにちがいないと推測していた。

 以下は、私の返答。実際に話した内容に、多少、筆を加えている。

 まず、慶應義塾普通部(横浜市日吉にある男子中学部)に合格しているだけでも、地頭はよさそうであるし、むしろ、伸晃は身体(からだ)を張って、勉強をさぼると文学部にしかいけなくなるということを証明し、その結果、弟3人は全員、慶應義塾大学経済学部という看板学部に内部進学をしている。弟思いのいい兄貴じゃないか

 つぎに、勉強ができた者で、政治家として優秀だった人物は少ないとされるということを指摘した。

 第25代・第28代内閣総理大臣だった若槻禮次郎(わかつきれいじろう)は、帝国大学法科(今の東京大学法学部)を平均点98.5点という凄(すさ)まじい成績で首席卒業したが、政治家としてはそれほど評価されていない(関係ないけど、若槻禮次郎が間違えた問題や、あるいは記述問題やレポートで減点対象になった部分が知りたい)。

 民主党の参議院議員・江田五月は、親子2代の極左で、東京大学教養学部時代に自治会委員長として全学ストライキを指揮し、退学処分になるが、学生運動から足を洗うという条件で復学し、東京大学在学中に、司法試験に席次10番で合格、なにかに書いてあったが、司法修習(司法試験合格後、さらに2年間勉強させられて、試験に合格しないと正式に法律家にはなれない)では、首席卒業だったという。だが、政治家としては、子分がいないようである。

 鳩山邦夫(鳩山由紀夫の弟)は、高校3年生のときに受験した代々木ゼミナールの全国模試ですべて1位であった(もっとも、ハイレベルな勉強ができる人間は駿台予備学校の全国模試は受験しても、河合塾と代々木ゼミナールは時間の無駄なので受験しないのだが)。また、東京大学教養学部から専門課程への進学試験でも学年1位で、東京大学法学部政治学科を首席卒業した。ところが、平成22年(皇紀2670年、西暦2010年、イスラム暦1430年)に、新党を結成することも念頭において、自由民主党を離党したが、ついてくる子分がまったくいなかった。なお、鳩山邦夫が25歳のときから、17歳か18歳であった現在の妻・エミリー(旧姓・高見)との交際を開始したという話をすると、女子中学生や女子高校生は「気持ちの悪いロリコン」だと感じるという。25歳で高校生とつき合ったという事実がある以上、女性からの人気が高まることはなさそうなので、首相には相応(ふさわ)しくない器(うつわ)となってしまっている。もっとも、現在のエミリーおばさんの画像を目にすると、羨(うらや)ましいとはだれも思わない状態になっている。許してやれよと思うのだが。

 一般に、頭がよすぎると、決断できなくなる傾向があるようだ。たとえば、政策に関して、A案を採用すれば、成功する確率が35%、B案の場合は38%、C案の場合は40%という場合、もっとデータが集まれば、成功確率が変動して、自信を以(も)って政策を選べるかもしれないと考えて、なかなか決断しないという場合もある。若槻禮次郎(わかつきれいじろう)にしても、満州事変のときに、新手(しんて)を繰(く)り出すことなく、「不拡大方針(ふかくだいほうしん)」を採(と)った(その結果、閣内不一致(かくないふいっち)で総辞職)。一方、頭があまりよくないと、成功確率40%のC案でいくか、となる。それでうまくいかない場合は、つぎからつぎへと新たな政策を繰(く)り出し、多少、どたばたするが、最終的にはうまくいったりもする。

 もちろん、頭がよくて、且(か)つ、政治家として大いなる業績を残した例もある。たとえば、初代内閣総理大臣・伊藤博文(いとうひろぶみ)は、もともとは、水呑み百姓(みずのみびゃくしょう)の倅(せがれ)であったが、神童(しんどう)との噂が流れ、武家(ぶけ)の養子となった。その後の業績は書かなくてもよいだろう。

 石原伸晃自身は、長老議員にはたいそう気に入られているから、失言癖を治して、もう少し慎重に発言するようにすれば、政治家としてもっと大成する可能性もあるだろう。

 3つ目に、勉強が得意でなかったか、あるいは、勉強しなかったか、いずれにしろ、成績はよくなかったけれども、影響力のある政治家として、あるいは有効な政策を遂行(すいこう)した政治家について述べた。

 小沢一郎は東京大学を不合格になり続け、仕方なく慶應義塾大学経済学部に進学した。当時の早慶は、現在と較べると、偏差値で10から15くらい低かったので、その落差はかなり大きい。第1志望校に落ちて、偏差値で15から20低いところに進学したようなものである。小沢一郎は、そこで、はたと考えた、東京大学法学部に進学しても司法試験に合格しない連中がいるのだから、司法試験に合格すれば、見返すことができる、と。大学在学中から法律を勉強し、卒業後は日本大学大学院で法律を学ぶが、司法試験に落ち続けているうちに、国会議員の父親が亡くなり、跡を継いで国政選挙に出馬し、当選した。現在は現職衆議院議員で最多当選回数を誇る。ちなみに、民主党の仙谷由人(せんごくよしと)は、小沢一郎が不合格になった司法試験で、自分が合格しているということを自慢したそうであるが、器(うつわ)のちっこい人物だと思う。

 麻生太郎は、学習院高等科時代、学年でビリから5番以内の成績だと豪語していたが、内閣総理大臣を務めている。リーマン=ブラザーズ=ショック後の経済政策も目を瞠(みは)るものがあるし、噂では、国際基準からすると不当なまでに廉(やす)すぎるテレビ局の電波使用料を英国並に上げようと、裡(うら)で画策しているのがマスメディアに知られ、猛烈な麻生叩きとなったそうだが、もし電波使用料の値上げに手をつけようとしたのならば、政治家として有能であるといえよう。

 安倍晋三は成蹊小学校・成蹊中学校・成蹊高等学校・成蹊大学を一貫してエスカレータ式に進学しているから、あまり勉強していないようである。当時、東京大学法学部の学生であった衆議院議員・平沢勝栄は安倍晋三の家庭教師をしていたが、たぶん、冗談として、あまり成績は伸びなかったというような意味の発言をしている。また、安倍晋三が言うことを聞かないので「定規(じょうぎ)で散々(さんざん)ぶっ叩(たた)いた」という。定規でぶっ叩かれるような子どもって、いったい、どんな子どもだったのだろうか。しかしながら、麻生太郎と同様、マスメディアは報道しないが、安倍晋三の政治家としての功績は大きい。第2次安倍内閣を組閣することになったのも、過去の業績とは無縁ではないだろう。それに、第2次安倍政権成立後、ここ数日で、株価は1万円を超え、日本の経済には好都合な円安が進んだ。見ている人は見ているということだろう。

 第64代ならびに第65代内閣総理大臣であった田中角栄は、大学卒業ではないが、内閣総理大臣になった。本当の最終学歴は夜間の工業学校・中央工学校卒業であるが、高等小学校卒業が最終学歴であるようなイメージをふりまき、「今太閤(いまたいこう)」と呼ばれた。自由民主党で最大派閥を率(ひき)い、政策はともかくとして、「影響力のある政治家」であったことはまちがいない。

 第85代ならびに第86代内閣総理大臣であった森喜朗(もりよしろう)は、小学校・中学校時代はいじめの常連で、勉強はできなかったと本人が述べている。また、父親が早稲田大学ラクビー部(正式名称は、「早稲田大学ラグビー蹴球部(しゅうきゅうぶ)」)の合宿に対して、無償で宿舎を提供していたことから、なぜか、セレクションを受けることなく、スポーツ推薦で早稲田大学第2商学部(夜間)に進学し、膝(ひざ)を負傷したということで、退部して、早稲田大学雄弁会に入る。産経新聞社の就職試験では白紙の答案を提出するも、採用される。こんな人でも、内閣総理大臣になるし、清和会という派閥の親分として、自由民主党内に大きな影響力を持ち続けた。少なくとも力のある政治家である。

 ほかにも枚挙(まいきょ)に遑(いとま)がない。以上のような例を眺めると、勉強のできる・できないと、政治家としての有能さや影響力には、なんの相関関係もないような気がしてくる。

 あ、そうだ。元日だった。ということで、U2のNew Year's Dayを貼りつけておく。哀(かな)しいけれど、前向きな歌だ。

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早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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