一方、核武装論も喧(かまびす)しい。核武装していないから、他国に舐(な)められるという主張もあり、アメリカ合衆国の「核の傘」も十全には信用できないとされる。
非核三原則と核武装論の対立があり、解消されていない。
そこで、私が提唱したい第3の道がある。
「『日本は核武装しているんじゃないか』と疑心暗鬼(ぎしんあんき)に陥(おとしい)れる作戦」である。
核抑止力を行使するのに、実際に核武装する必要はない。日本が本気になれば、1か月で核兵器が作れると、某国軍部(ぼうこくぐんぶ)は潜在的な恐怖心を抱いているのだから、そこにつけ込むのである。
また、日本には人工衛星打ち上げの技術があるので、その気になれば、大陸間弾道弾を開発する技術もある。
そういう国が核武装したならば、某国からすれば、たまらない。
具体的な作戦について述べよう。
まず、厳重な警戒態勢で、自衛隊がカモフラージュしたと思わせる車両が原子力発電所から「何か」を搬出(はんしゅつ)する(ふりをする)。厳重な警戒態勢から、「何か」はプルトニウムの可能性が高いと思ってしまうであろう。
しかるのちに、その「何か」を、原子力の研究機関に搬入(はんにゅう)する(ふりをする)。
また、核兵器搭載(とうさい)のミサイル発射台らしきものも日本各地に作ってみせる。場合によっては、あからさまに、某国にミサイルを向けているふりをする。
以上のことをやっても、その情報が某国諜報機関(ぼうこくちょうほうきかん)に入らなければ意味がないので、どこかの新聞に「特ダネ」として、すっぱ抜いてもらう。日本共産党の機関紙『赤旗』あたりにやってもらうと、説得力があるだろう。日本共産党は核武装を容認していないけれども、「『日本は核武装しているんじゃないか』と疑心暗鬼にかける作戦」ならば協力してくれるかもしれない。
正体不明の車両が原子力発電所から「何か」を搬出して、原子力研究機関に搬入したが、核兵器の開発を開始したのではないかと、『赤旗』が記事を掲載すれば、相当な説得力がある。
すると、査察(ささつ)させろという意見が外国から出てくる。アメリカ合衆国には、内密(ないみつ)に、「『日本は核武装しているんじゃないか』と疑心暗鬼にかける作戦」を伝えておいて、アメリカ合衆国軍が査察するようにし、アメリカ合衆国は「日本は核武装していない」と発表する。ところが、日米安全保障条約があるので、「アメリカ合衆国と日本はグルになっている」と疑(うたぐ)り、日本は核武装の可能性があると主張する外国が出てくる。
そこで、今度は、右寄りの産経新聞あたりに、「現在の日本は核武装していないのに、言いがかりにもほどがある」などと社説あたり論陣を張ってもらう。こういう社説があると、むしろ、「本当のところは、日本は核武装しているのではないか」と考えてしまうだろう。
さらには、地下核実験をしたふりもする。地下10キロメートルのところで、ダイナマイトなどを使って地下核実験をしたふりができるのかどうか、技術的なことは知らないが、日本の技術者に工夫してもらいたい。実験後の地震の揺れ方から、核兵器によるものではないとバレてしまいそうだが、その点については、偽情報を流して、新しい技術による核兵器なので、まるでダイナマイトを爆発させたような揺れ方だったと思い込ませるようにもっていきたい。
このあたりになると、国際原子力機関(IAEA、Internationa Atomic Energy Agency)が強制査察に乗り出す。
ところが、いくら調査しても、核武装の証拠は見つからない。「『日本は核武装しているんじゃないか』と疑心暗鬼に陥れる作戦」なんだから、当然である。
それでも、日本は、実に巧妙な手口で核兵器を隠しているのではないかと疑(うたぐ)ってしまうだろう。昔から、日本は外交において、自らの実力を誇示(こじ)しない傾向があるという伝統もあることだし。核武装の証拠が見つかれば、それはそれで、ある意味、安心できる事態であるが、状況証拠は、核武装しているらしいのに、いくら調べても、いつまで経(た)っても、確たる証拠が見つからないというのは、ある種、恐怖にほかならない。人間というものは、未知のもの、正体のわからないものに対して、強い恐怖心を感じるものだからである。
なお、「『日本は核武装しているんじゃないか』と疑心暗鬼に陥れる作戦」の大きな利点は、実際には核兵器を持っていないので、莫大(ばくだい)な維持費がまったくかからないことである。
ただし、この作戦の欠点は、某国にバレた際に、強い反感を抱かれてしまうことである。場合によっては、核兵器をぶち込まれるかもしれない。駄目じゃん。
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