子どもは、美術史の知識がなく、ただ、直観と本能とで、その絵が好きか嫌いかを考える。だから、美術史がわからないと理解できないパブロ=ピカソPablo Picassoの絵はどこがいいのかわからない。
普通の大人は、美術史的なものも含めた観点から絵画を眺める。
ちょっと嫌な大人は、その絵を誰が描いたか、美術史的な価値はどの程度あるのか、値段はどのくらいかを考え、値段が高いものはいい絵だと思う。
もっと嫌な大人は、絵の額縁を見ただけで、その絵の値段の見当がつく。
ただし、これは、美術館や画廊にも責任がなくもない。絵画の格式と、額縁の格式が、どこに行っても、だいたい一致している。絵画の世間的な評判に踊らされているのは、美術館それ自体なのではないかと思うことがある。
私自身、額縁を見て、絵画の値段がわかる。以前のマンションの近くに画材屋兼額縁屋があって、そこで絵の具や色鉛筆や画用紙を買っていたのだが、店主自らが額縁を作っている。店主といろいろと話しているうちに、額縁の値段が見ただけでわかるようになり、額縁の値段と絵画そのものの値段の相関関係に気づいた。
ごくたまに、額縁の値段と絵画の値段が対応しないときがあり、そのときばかりは、「ここの学芸員は、私を試そうとしているのか?」と、ちょっとどきどきする。
ところで、人間の場合、どういうわけか、身につけているものの値段と、その人間の中身が対応しない場合が多い。これは、どうしてなのだろうか?
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