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2013年6月20日木曜日

大日本帝国憲法(明治憲法)でも、憲法改正には3分の2の賛成が必要だった。

 第2次安倍政権は、憲法改正をしやすくするために、現行の「日本国憲法」の第96条を改正して、その後の改正をやりやすくしようとしている。

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第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2異常の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときには、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして。直ちにこれを公布する。
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 ところが、大日本帝国憲法(明治憲法)にあっても、改正は同様の手続きであった。

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原文
第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス 出席議員ノ三分ノニ以上ノ多数ヲ得ル非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

現代語訳
第73条 ① 将来にこの憲法の条項を改正する必要がある場合は、勅命をもって議案を帝国議会の議に付さねばならない。
② この場合、両議院は各々総議員の三分の二以上出席しなければ、議事を開くことはできない。また出席議員の三分のニ以上の多数を得られなければ、改正の議決をすることはできない。
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 日本の憲法が極端に改正しづらいわけではない。アメリカ合衆国の場合、両院、すなわち上院と下院でそれぞれ3分の2以上の賛成を得て、その上で全州の4分の3以上の州議会の賛成が必要である。1945年以降、6回も改正している。

 3分の2以上から、過半数以上に改正しなければならないのか、そのあたりの根拠が見えてこない。改正しやすくしたいのだろうけど。

 日本国憲法そのものが占領下で強制的に与えられたものであるから、国際法違反であり、憲法廃止として、一旦、明治憲法に戻してから改正手続きを踏むという手もありだとは考えられなくもないが、輿論(よろん)は許さない可能性が高い。

2009年3月14日土曜日

学生のとき、新宿区早稲田町に下宿していたんだが……

 大学生のとき、新宿区早稲田町70番地に下宿していた。早稲田町は正式には「わせだまち」と読むんだが、たいていの人は「わせだちょう」と読む。エガワ=エンタープライズという、野球評論家の江川卓が巨人軍の選手のときに開設した事務所が早稲田町にあった。早稲田町は〇〇番地だけで、1丁目などの区分がないくらい小さい行政区画だったが、小さいといっても、東西に細長くて、エガワ=エンタープライズは近くにはなかった。
 下宿は大学の南門から徒歩1分、文学部キャンパスから徒歩3分(実際は信号待ちも含めて5分くらい)のところだった。当時、道路の向かいには早稲田実業中学・高校があった。
 ちなみに、早稲田実業の敷地の南側あたりに、駐車違反し放題の場所があった。少なくとも当時の早稲田実業は、キャンパス周辺に駐車違反車両があっても通報することはなかったようだ。
 大学の合格発表後に、近所の不動産屋をまわって、早稲田町の物件に決めた。
 隣の部屋の人は、その年の3月に大学を卒業したばかりで、公認会計士の資格を取るため、勉強をしているという。てっきり早稲田の商学部を卒業したのかと思いきや、明治大学商学部卒業なのだという。
 どうして、こんなところに下宿しているんですかと訊いた。
 大学受験で浪人することになって、東京の予備校に通うために上京した。来年は早稲田大学に進学する予定なので、今のうちから、早稲田界隈の下宿にしておけば、大学合格後に引越しする手間が省けると思った。ところが、早稲田全滅で、明治大学商学部に進学した。
 そういういきさつだった。
 まあ、地下鉄東西線で早稲田駅から3駅先の九段下駅まで乗って、九段下駅から15分も歩かないところに大学があるから、下宿としては遠いわけではないどころか、「早稲田の近所」という点を除けば、ごく普通の大学と下宿の位置関係だろう。
 お隣さんは公認会計士の試験に合格した。推定6割以上が落ちこぼれる早稲田に入って、落ちこぼれてしまうよりは、よっぽどいい人生だろう。



↑噂では、早稲田の応援団は明治と対戦するときには、「チョッコレート、チョッコレート、チョコレイトは明治」のメロディで「ちょっと足りない、ちょっと足りない、足りないのはメ・イ・ジ」と唄っているらしい。私自身は早慶戦すら見物に行ったことがないから、実際には目にしていないが。

自己紹介

自分の写真
和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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