2013年1月31日木曜日

日本人は、なぜ、摺り足(すりあし)が好きなのか?

日本人は、異常なまでに摺り足(すりあし)が好きである。弓道・相撲・剣道・柔道・茶道・日本舞踊など、摺り足(すりあし)だらけである。ところが、この摺り足は、コーカソイド(白人)が見ると、滑稽(こっけい)らしい。

日本人が摺り足を好む理由を調べたところ、答えは単純だった。

日本人の骨盤(こつばん)が後ろに傾斜(けいしゃ)しているからであった。

骨盤が後ろに傾斜しているから、足を高く上げると、後ろに倒れやすくなる。だから、日本では足を高く上げる舞踊(ぶよう)も武術も存在しない。

蹴(け)りを多用する空手があるじゃないかという反論がありそうだが、空手はそもそも日本生まれの格闘技ではない。支那で生まれた武術を琉球人が改良を加え、「唐手(からて)」と呼ばれていたものを「空手」と改め、船越義珍(ふなこしぎちん)が東京の渋谷にある松濤(しょうとう)で道場を開き、広めたものである。

第2次世界大戦後、連合軍が武術・武道を日本人に禁じ、空手も一旦(いったん)は入っていたが、日本的なものではないということで、早々に解禁された。その結果、日本古来(にっぽんこらい)のものではない空手の普及が進んだとする見方もある。

ネグロイド(黒人)は骨盤が前に傾斜しているそうであるし、コーカソイド(白人)は骨盤が直立なのだそうである。陸上競技の100メートル走では、ネグロイドは足を高く上げて走るが、一般の日本人がそれを真似(まね)ても無駄である。

そうしたことから、末續慎吾(すえつぐしんご)(200m走20.03秒)は、足をあまり上げない走法で、2003年の世界陸上パリ大会の200メートル走で3位となった。全盛期にはパトリック=ジョンソンPatrick Johnson(100m走9.93秒)とともに、「世界最速の非ネグロイド」と呼ばれた。勿論(もちろん)末續慎吾の場合、足を高く上げないだけでなく、蜥蜴(とかげ)が走るように身体(からだ)をぐねぐねと動かしたりと、ほかにもさまざまな工夫をしているけどね。

日本人は骨盤が後傾(こうけい)しているので、足を上げる文化が生じなかった。足を上げることがないので、着物が普及したとも言える。乗馬用の袴(はかま)などを除けば、足を上げられる服装は多くないようだ。

骨盤の後傾から、帝国陸軍や陸上自衛隊の行進でも、他国と較べてあまり足を上げない。尤(もっと)も、警視庁では、深く考えずに、どこかの国の行進を模倣(もほう)したらしく、無駄に足を高く上げる。この点で、軍隊と警察の真剣味(しんけんみ)の違いを見てとれそうである。

日本人のアイドル=グループは、持ち歌を唄うときに、手をよく動かすし、横への移動が多くなる。盆踊りと共通する動作・所作(しょさ)が多い。また、パラパラとかいうダンスも盆踊りと共通点が多い。パラパラでは足をあまり使わない。

足を高く上げるのは、下賤(げせん)の民(たみ)のすることだと日本人は無意識のうちに感じているのではないだろうか? 

日本人同士の喧嘩(けんか)でも、育ちが悪いやつや出自が悪いやつほど、蹴(け)りを使いたがる傾向があるが、育ちが幾分(いくぶん)よくなると、腕だけでしか反撃しなくなる。もっと育ちがよくなると、そもそも喧嘩はしないけどね。

但(ただ)し、ひとつ、謎(なぞ)がある。ももいろクローバーZである。紅白歌合戦に出場したということで、動画を見てみたが、無闇矢鱈(むやみやたら)と足を上げたり、跳(と)んだりしている。バレエを習っていたらしい女の子もいる。

私の考えでは、彼女たちの動作は、日本人が好まないものであるはずなのに、人気があるそうである。そうしたところ、つぎの答えが出てきた。

1) 整形していない割には、顔がいい。
2) 口パクではなく、生歌(なまうた)である(生歌ということばができるくらいに口パク全盛であるらしい)。
3) 日本人が足を高く上げたり、動きまわったりするのは新鮮である。

うーん、ももいろクローバーZの動画をYouTubeで見る分には、それなりにおもしろいのだけれど、その人気の高さは、私にとっては謎(なぞ)である。

2013年1月29日火曜日

アクセス解析を見たら、スマートフォンからの接続が圧倒的だった。

 このブログのほかに、高等学校生用に、英語の対訳などを掲載しているブログ「掃除機496和訳道場」というものも運営している。

 このブログにも無料のアクセス=カウンターをつけているが、そのアクセス=カウンターは、パソコンからの接続しか解析しない。ところが、GoogleのBloggerの「統計」では、携帯電話などからの接続も解析(かいせき)している。

 この「掃除機庵主人日乗 l'homme révolté」では、iPhone、Android、iPad、iPod、KDDI、DoCoMoからの接続が3分の1くらいである。

 一方、「掃除機496和訳道場」では、携帯電話などからの接続が4分の3を超える。だから、少なくとも最近の場合、アクセス=カウンターの数字を4倍したら、実態(じったい)に近づくということになる。

 うちの高校生や中学生に訊(たず)ねてみたところ、まず、パソコンを立ち上げる時間が煩(わずら)わしいという。また、英語の対訳を見ながら勉強するなら、パソコンよりはiPhoneを帳面(ちょうめん;ノート)の横に置いたほうが便利だという。

 そう言われれば、そういうものなのかなという気もする。

 iPhoneなどでインターネットに接続するのは発展途上国に多く見られるという。iPhoneなどが「貧者(ひんじゃ)のインターネット」と呼ばれる所以(ゆえん)である。インターネット回線などの社会基盤infrastructure(通称:インフラ)が整っていないところでは、iPhoneなどでインターネットを利用する。電話回線が整っていない国々では、固定電話よりも携帯電話の普及率が高いのと同様である。

 そうすると、このブログへのアクセスの3分の1が携帯電話系からというのは、日本のような高度先進国(こうどせんしんこく)からすると異常値であると考えられなくもない。

 私の場合住まいと仕事場が徒歩2分しか離れていない。iPhoneもiPadもiPodも必要としないわけだ。今の携帯電話も、所謂(いわゆる)ガラケー(「ガラパゴス=携帯電話」の略;「ガラクタの携帯電話」の略ではない)どころか、それ以前のものである。そういうことだから、3分の1が携帯電話系からの接続というのは不思議に思った。自分の感覚では、多すぎるのだ。

 はたと気がついた。首都圏を中心に、日本は通勤・通学時間が長すぎるのだ。電車やバスの中から接続していると考えれば、合点(がてん)がいく。やっと、納得(なっとく)した。

2013年1月28日月曜日

東京都立高等学校の偏差値が上がれば上がるほど、主要5教科の教員のレベルも上がる理由

 東京都立高等学校の偏差値が上がれば上がるほど、主要5教科の教員のレベルも上がる。ということは、偏差値の低い都立高校に進学すると、レベルの低い教員に教わることになるし、更(さら)には、使用している教科書のレベルも下がるので、難関大学には進学できなくなる。偏差値が58を切ると早稲田大学の底辺学部も無理になる(スポーツ推薦などを除く)。

 偏差値の高い都立高校の教員のレベルが、それに応じて高いのは、都立高校の進学実績が上がるようにと、石原慎太郎・前都知事が画策した結果である。

 進学実績を上げろと命じただけでは、さほどの効果は期待できない。そこで、上位の高等学校の校長に強い権限を与えた。

 それ以前には、教員の移動は「垂直移動」であった。頗(すこぶ)る優秀な教員でも、底辺校で教鞭(きょうべん)を執(と)るということがあった。

 教員の移動は3年毎(ごと)だった。ある高等学校に3年間、勤務すると移動するという仕組みだったのである。

 ところが、平成12年以降、校長の権限が強化されてから、当該(とうがい)の校長が手放したくない人材であれば、申請書などを提出し、1年間の延長が認められるようになった。極(きわ)めて優秀な教員の場合、平成12年以降、一旦(いったん)、優秀な高校で勤務すれば、毎年、1年間の延長が繰り返されるようになった。

 一方、授業が下手で、学識(がくしき)も教養もない教員の場合、勤務してから1年後には、校長権限で他校へ移動させられる。

 ある都立高校の校長が、転任してきた教員を紹介するにあたって、「4年かけて私が口説(くど)き落として、○○高校から引き抜いてきました」と自慢することもあった。

 また、授業で極左思想(きょくさしそう)をばら撒(ま)く教員も排除(はいじょ)されているようだ。君が代反対(きみがよはんたい)・国旗掲揚反対(こっきけいようはんたい)という教員が都立高校では減っているように感じているからだ。極左思想の持ち主は信念を貫(つらぬ)いて底辺校に飛ばされるくらいのことをしなければならないと思うのだけど、信念が足りないのかもしれない。

 以上のことから、下位の都立高校には優秀な教員がいないことになる。

 これについては、経営学でいうところの「選択と集中」からすれば仕方がないことだろう。

 軍隊に優秀な人材が必要だったとき、陸軍士官学校にしても、海軍兵学校にしても、給料を支払いながら、前途有為(ぜんとうい)の人材の養成に励(はげ)んだということもあり、貧困層(ひんこんそう)でも受験できたから、入学試験に合格するのは、今の東京大学よりも遙(はる)かに難しかった。

 なお、最上位の数校で、10年、あるいはそれ以上、勤務しているとなれば、その間に校長も変わっても、手放したくないとされる人材であるということがわかる。

2013年1月27日日曜日

安倍首相をインドネシア政府が紅白の典礼服で迎えたことを一部の保守系は誤解しているようである。

 2012年1月18日に安倍首相がインドネシアを訪問した。インドネシア政府は、紅白の典礼服で安倍首相を歓迎した。紅白の典礼服であるのは、インドネシアの国旗の色に由来すると考えらる。

 インドネシアの国旗は上下2色で、上が赤で下が白である。モナコ公国の国旗とそっくりであるが、縦横(たてよこ)の比率(ひりつ)が異(こと)なっている。インドネシアの国旗は2:3であり、モナコ公国のものは4:5である。

 以下の画像は、歓迎式典で閲兵(えっぺい)する安倍首相である。首相官邸ホームページから借りた。

















 あちこちのブログを読んだところ、所謂(いわゆる)保守系は、やっぱりインドネシアは親日国なんだな、日本の日章旗(にっしょうき:日の丸)に敬意を表して、紅白の典礼服で安倍首相を迎えてくれたという感想を抱いている。

 インドネシアのことを謂(い)わば「強い親日国」と考える場合、つぎの2点によるようだ。

1) 帝国陸軍がオランダ軍を駆逐(くちく)した。9日後、オランダ軍は全面降伏した。身体(からだ)の小さな日本人が大柄(おおがら)なオランダ人を蹴散(けち)らすのを目にしたインドネシアの人々に自信が芽生(めば)えた。大東亜戦争終結後、オランダはインドネシアの再植民地化に乗り出した。インドネシアの人々たちは帝国陸軍が残した武器を以(もっ)て、オランダ軍と戦った。旧帝国陸軍兵も2000人(一説によれば3000人)が残留し、インドネシア軍とともに戦い、1000人以上の戦死者を出した(因(ちな)みに独立戦争でのインドネシアの犠牲者は80万人である)。

2) また、インドネシアの政治家たちが大日本帝国を絶讚(ぜっさん)する発言をしたことがいろいろとある。

 以上のようなことがあって、保守系はインドネシアのことを「強い親日国」だと思っているようだ。「普通の親日国」だと思うんだけどねえ。

 そうした思い込みから、単に、自国の国旗の色で設(しつら)えた典礼服を、日章旗に対する敬意と把(とら)えてしまうのではないだろうか?

2013年1月26日土曜日

「吉永小百合」と「加賀まりこ」で画像検索した場合の結果を分析する。

「吉永小百合」と「加賀まりこ」で画像検索した場合の結果に著(いちじる)しい違いが見られた。

 その画像を拡大したり、その画像のあるウェブサイトに進んで行ったりした回数の多いものほど、検索結果の上位に並ぶ。ということは、上位にあるものほど、一般の人々が求めるものだということになる。

「吉永小百合」で画像検索した場合、勿論(もちろん)、若いときの写真が多いが、意外と、最近の写真も少なくない。

 一方、「加賀まりこ」の場合、少しはあるけれども、最近の写真はきわめて少なく、若いときの写真が圧倒的である。

 つまり、「吉永小百合」の場合、昔も綺麗だったが、今も綺麗だと思って検索しているが、「加賀まりこ」の場合は、今はあんなおばちゃんだが、昔はものすごく綺麗だったと思って検索しているということが窺(うかが)われるわけだ。

 匿名(とくめい)となると、思いの外(ほか)、意地の悪いことをする日本人の民族性が現(あらわ)れている。

2013年1月25日金曜日

若いときの渡辺謙の動画をYouTubeで再生してみせたら、うちの生徒にウケたぞ。

 渡辺謙(わたなべけん)というと、今の中学生・高校生には『ラストサムライ』The Last Samuraiでの勝元盛次(かつもともりつぐ)や『硫黄島(いおうじま)からの手紙』The Letters from Iwo Jimaの栗林忠道(くりばやしただみち)中将のイメージくらいしかない。




『硫黄島からの手紙』で栗林忠道中将を演ずる渡辺謙







『ラストサムライ』で勝元盛次を演ずる渡辺謙






 つぎのものは、渡辺謙が20台半ばで出演した『タンポポ』(1985年公開)での場面。『タンポポ』は伊丹十三監督によるコメディ映画の名作である。

 ところが、渡辺謙が今からは想像できないくらいに若いということと、「ラーメンの正しい食べ方を老人から伝授される」場面だということとで、むやみに滑稽(こっけい)に感じるようだ。

 挙げ句(あげく)は、「渡辺謙(の頭)に毛が生えている」とさえ言う者もいた。このあたりに関しては、中学生は容赦(ようしゃ)ないな。



 中学生の場合、ヴィデオ=ゲームをする時間があるのなら、この映画を観たほうがよいぞ。

2013年1月24日木曜日

「北里大学 薬学部 結婚は」で検索している人がいた。

 アクセス解析(かいせき)にStatCounterというのを使っている。どういう検索ワードなのかがわかる。

 特殊法人のサーバーから、「目黒区 うまい豆腐」を勤務時間中に調べているのを目にすると、なんだかなあと思う。

 衆議院のサーバーからやってくる場合と、特殊法人でも、理系の研究所の場合は、勤務時間外でしか、明らかな私用での検索は記憶にない。

 今日(2013年1月24日木曜日)に、「北里大学 薬学部 結婚は」という検索ワードで調べている人がいた。これは、たぶん、受験生ではなく、親御さんが調べたのであろう。

「『北里大学 薬学部 結婚は』で検索している人がいるぞ」と言ったところ、中学生と高校生は笑っていた。小学生には意味がわからなかったらしい。

「津田塾大学」と「結婚」を入れた文章を書けば、検索にひっかかりそうだな。ちなみに、津田塾の卒業生の3分の1は近所にある一橋大学の卒業生と結婚し、3分の1は早慶以上の大学の卒業生と結婚し、残りの卒業生は、一生、未婚のまま人生を終えると言われている。ま、これはネタなんだろうけどね。

2013年1月23日水曜日

バレエをやっている女の子たちがスリムである理由

 バレエをやっている女の子たちは、なぜか、ほぼ全員、スリムで、背筋(せすじ)がまっすぐである。小学生低学年だと、ぽっちゃりしている子もいる。それが中学生以上になると、ほっそりした子ばかりになる。

 背筋がしゃっきと通っているのは、訓練の賜物(たまもの)だろうということはわかる。

 ところが、スリムな体型なのは、俄(にわ)かには理解できない。もしかすると、バレエにおける不自然な関節の動きによって、謂(い)わば、鍼灸(しんきゅう)のような効果があるのではないかと考えた。つまり、一定の所作(しょさ)で関節を動かすと、ツボが刺激され、瘦(や)せてしまうのではないかと考えたのだ。

 そこで、バレエを習っている生徒の母親たちに訊(たず)ねてみた。

 バレエ教室には巨大な鏡がある。鏡に映る自分の動作をチェックして、修正を加える。思春期ともなると、ぽっちゃり系の子は、鏡に映る自分の姿を見て、こんな体型じゃあ、バレエを続けても意味がないと考えるようになる。そして、やめていくという。

 バレエをするとスリムな体型になるのではなく、スリムな体型の子しか続けないだけだった。

 音楽でもスポーツでも勉強でも、高いレベルになると、同様に、残酷な側面はあるが、体型と股関節(こかんせつ)などの柔らかさなどによって、諦(あきら)めなければならない世界というのは、きわめて厳(きび)しいと感じる。

 2012年のローザンヌ国際バレエ=コンクールで1位になった菅井円加(すがいまどか)は「バレエの世界では相当なデブになる」そうだ。彼女がローザンヌ国際バレエ=コンクールで1位となり、ついで、ショソン=ドール国際バレエ=コンクールConcours International de Danse Classique LE CHAUSSON D'ORで2位に大差をつけて優勝したことで、体型に悩むバレエ=ダンサーたちとその母親たちを勇気づけたそうだ。

 ローザンヌ国際バレエ=コンクールで、菅井円加が登場するコンテンポラリーの動画を貼りつけておく。私には、どうしても、デブには見えない。

2013年1月22日火曜日

最近、お辞儀(じぎ)の角度がみょうに深くなったのが、バレエ動画のせいだった。

 最近、お辞儀を深くするようになっていた。しばらく前から、これは、どうしてだろうかと考えていた。

 バレエballetを観るようになったかららしい。バレエの人って、深くお辞儀するので、それを目にしているうちに、こっちも深くお辞儀するようになったようだ。

 生徒でバレエを習っているのがちょくちょくいるので、影響されて、動画を観るようになったのである。

 ところで、1月27日(28日)から2月2日までローザンヌ国際バレエ=コンクールPrix de Lausanneが催(もよお)される。

 本当に才能のあるバレエ=ダンサーは15歳でプロになっていたりする。だから、出場できない。この大会の格式(かくしき)はどのくらいのものなのだろうか?

 また、ローザンヌ国際バレエ=コンクールに出場する場合、コーチの旅費ならびに滞在費は保護者が負担するのが通例だそうである。才能の前に、親が財産家でないと出場できないそうである。

 そういえば、日本人の出場者は、みんな、育ちがよさそうだ。

 ローザンヌはレマン湖lac Lémanに面する街である。大陸性気候だから、夏と冬の気温差が大きく、昼と夜の寒暖差(かんだんさ)も大きい。同じくレマン湖に面するジュネーヴGenèveも寒暖差が大きい。冬の昼間は暑いくらいのときがあるのに、夜はすこぶる冷え込む。

「ジュネーヴで風邪(かぜ)を引かない者は、世界中、どこに行っても風邪を引かない」という俚諺(りげん)さえあるくらいだ。

 今なら、あんまり、行きたくないなあ。ま、若いときには、ローザンヌもジュネーヴも行ったとこがあるけどね。それも真冬に。

 風邪は引かなかったけどね。

 ローザンヌ国際バレエ=コンクールの宣伝動画を貼りつけておこう。

2013年1月21日月曜日

もしも「宇宙戦艦ヤマト2199」のガミラス星人のモデルが◯◯だったら……

 昨日付けの記事で、ガミラス軍の行動パターンには、性格の悪い将校もいないくもないが、ドイツ軍と大日本帝国陸海軍を足したようであると指摘した。

 そこで、ふと、思ったのであるが、ガミラス星人のモデルを、別の民族・国民にした場合、どうなるだろうかということを考えてみた。

 もしも、ガミラス星人のモデルが蒋介石(しょうかいせき)率(ひき)いる国民党軍だったら

 ヤマトに1発、撃たれただけで、蜘蛛(くも)の子を散らすように艦隊が逃げ出す。その後は、民間の輸送船のふりをする。

 もしも、ガミラス星人のモデルが毛沢東(もうたくとう)率(ひき)いる共産党軍だったら

 山奥(?)に隠れたままで終わる。

 もしも、ガミラス星人のモデルがインドネシア駐留のオランダ軍だったら

 戦闘開始後、敗走につぐ敗走で、9日目に全面降伏する。

 もしも、ガミラス星人のモデルが仏印駐留のフランス軍だったら

「イスカンダル星に行くんですか? どうぞ、どうぞ、お通りください」となる。弾薬よりもワインの貯蔵量が多かったりする。

 もしも、ガミラス星人のモデルがアメリカ合衆国軍だったら

 ひたすら物量作戦で攻撃してくる。戦略も戦術も作戦もない。単なる物量作戦である。波動砲の存在を知ると、その20倍くらいの威力のものを作り、波動砲のものよりも遙(はる)かに長距離の射程距離のものにする。そして、ヤマトの波動砲の射程距離外から、波動砲以上の威力のある兵器・超弩級(ちょうどきゅう)スーパー=デスラー砲(←「超弩級」の使い方がまちがっているような気がする)でヤマトを撃沈する。もうちょっと、頭を使えよ。

 もしも、ガミラス星人のモデルが、英国人だったら

 植民星の兵士を前線に展開し、自分たちは後方にしかいない。おまけに、本星の食料不足を補(おぎな)うために、植民星の食糧を奪(うば)い取り、植民星では厖大(ぼうだい)な餓死者(一説には戦死者を含めて350万人)を出す。こんな下衆(げす)な連中とは戦争したくないな。

 もしもガミラス星人のモデルがイタリア人だったら

 戦争に負けそうになると、革命が起こり、デスラー総統(そうとう)を逆(さか)さ吊(づ)りにして、リンチを加え、挙げ句(あげく)の果(は)ては、殺してしまう。その上で、「いやぁ、地球を攻めたいとは思ったことはないんですが、デスラーの馬鹿野郎に命令されて、しかたなく攻撃していました。われわれは、はじめから地球とは友好関係を築きたいと思っていたんです」と言う。どの口が言うんじゃという結末になる。

 もしもガミラス星人のモデルがソビエト社会主義共和国連邦の人民であったなら

 第2次世界大戦でソ連はドイツ軍に対して圧倒的に劣勢であった。アメリカ合衆国の大量物量作戦とはちがって、ソ連には、厖大(ぼうだい)な人海戦術しかなかった。ところが、急に、息を吹き返した。アメリカ合衆国が厖大(ぼうだい)な兵器を供与し、莫大(ばくだい)な戦費を貸与したからである。ところが、宇宙戦艦ヤマト対ガミラス星の戦いにあっては、アメリカ合衆国に相当するものがない。1940年の時点で、2億人弱の人口だったソ連は、2000万人以上の犠牲者を出したが、アメリカ合衆国の援助がなければ、ドイツ軍に壊滅状態(かいめつじょうたい)にされていたと考えられる。少なく見積もっても、1億人以上の犠牲者を出していたのではないかな。ということで、貧弱な兵器しかないのに地球に戦争をしかけ、簡単に撃退(げきたい)されて、終わりになる。ヤマトがイスカンダルに行く必要もない。物語は始まりもしない。

 以上のことから、宇宙戦艦ヤマトが闘う相手も、日本人的なものを中心として、ドイツ的要素を取り入れつつ、アメリカ的なよい部分とイギリス的なよい部分をちょっぴり入れなければ、物語が成立しないということになるのではないか?

*関連記事

宇宙戦艦ヤマト2199のガミラス軍がドイツ軍と大日本帝国陸海軍みたいだということについて

2013年1月20日日曜日

宇宙戦艦ヤマト2199のガミラス軍がドイツ軍と大日本帝国陸海軍みたいだということについて

『宇宙戦艦ヤマト2199』(初代のリメイク)を見ていると、ガミラス軍が、第2次世界大戦のドイツ軍と大日本帝国軍を足したもののようになっていると感じた。

まず、登場人物である。デスラーはヒトラーHitlerに由来する。ドメル将軍はロンメルRommel将軍だ。シュルツ大佐はカール-ロタール=シュルツKarl-Rothar Schulzがモデルかもしれない。カール-ロタール=シュルツは、第2次世界大戦のイタリア戦線でモンテ=カッシーノMonte Cassinoの戦いに参加している。その戦いでは、アメリカ合衆国陸軍史上最強の部隊とされる日系アメリカ人から構成される第442連隊が活躍している。

メ号作戦において、旗艦(きかん)「きりしま」が無事、地球に戻れるようにと、宇宙突撃艦(うちゅうとつげきかん)「ゆきかぜ」は敵の真っ只中(まっただなか)に突入していく。単艦突撃(たんかんとつげき)である。

これのモデルは、大東亜戦争のときの駆逐艦「初月(はつげつ)」であろう。1944年10月23日から25日のレイテ沖海戦でのことである。味方の残存艦艇(ざんぞんかんてい)が逃げおおせられるようにと、単艦突撃(たんかんとつげき)を敢行(かんこう)した。

1対16の闘(たたか)いとなった。

1時間以上にわたって、「初月(はつげつ)」は闘い続けた。艦長以下290名が戦死し、生存した乗員は8名だけだった。

これが「ゆきかぜ」のモデルなんだろう。

さて、ガミラス軍の行動も、意外と、大東亜戦争の日本軍のような行動をする。

「勝利か、しからずんば死か」とガミラスでは言われているが、これは日本の「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」の焼き直しである。

左翼ならびに極左の人たちが「宇宙戦艦ヤマト2199」を批判しないのが不思議なくらいであるが、資金を提供してくれるところの命令どおりにしか活動しないから、資金提供がなければなにもしないのであろう。

第2章第6話では、宇宙戦艦ヤマトが冥王星基地を(めいおうせいきち)を攻撃したときに、最後にはガミラス軍には2隻の艦艇(かんてい)しか残らなかったが、そのうちのヴァル=ヤルトラーが指揮する艦艇(かんてい)は、急遽(きゅうきょ)、反転し、単艦突撃をおこない、シュルツ大佐の艦艇が逃げられるようにした。「初月(はつげつ)」と同じだ。

第3章第8話では、シュルツ大佐の艦艇が特攻を試み、玉砕(ぎょくさい)している。全員が2階級特進になり、遺族は名誉ガミラス市民となった。

第3章第10話も、ガミラス軍も宇宙戦艦ヤマトも、互いに日本的な行動をする。

宇宙戦艦ヤマトがワープ航法をおこなった際に、異次元断層に迷い込む。

同じく異次元断層で漂流しているガミラス艦が交信を求めてきた。

波動砲によって異次元断層に開口部(かいこうぶ)を作り出すことは、ヤマトにはできる。ところが、波動砲は厖大(ぼうだい)なエネルギーを必要とするので、発射後は暫(しばら)く、航行不能に陥(おちい)るので、自力では脱出できない。

一方、ガミラス艦には、波動砲に匹敵(ひってき)する兵器がない。

そこでガミラス側は、ヤマトが波動砲で異次元断層に開口部を作り、その後、ガミラス艦がヤマトを曳航(えいこう)して両艦が脱出するという提案を出す。

しかし、もしもガミラス側が約束を守らなければ、どうなるか? ヤマトの沖田艦長は「相手を信じることだ」「これは男と男の約束だ」と言う。

そして、波動砲を発射して開口部を作り、ガミラス艦はヤマトを曳航するが、1等ガミラス人の親衛隊大尉(しんえいたいたいい)が、曳航用牽引(けんいん)ビームの接続を断ち切る。2等ガミラス人である艦長は、約束を破ることを許さず、艦長の部下が親衛隊大尉を射殺する。1等ガミラス人の血は紫色だった。

卑怯(ひきょう)なガミラス人も登場する。

第3章第10話では、銀河方面作戦司令長官グレムト=ゲールは、撤退命令(てったいめいれい)を出さずに、自(みずか)らが乗艦する旗艦を戦線から離脱させている。部下に諫(いさ)められると「死にたいのか、貴様(きさま)」と言った。

 実際のところ、大日本帝国陸軍の関西出身者で構成される部隊は、命令違反となろうが、ところかまわず、退却してばかりいるのが少なくなかった。そんなことをすれば、通常は銃殺刑になるところが、律儀(りちぎ)に全部を銃殺刑にすると、軍が成り立たなくなるので、かなりの場合、精神病ということで処理していた。

大東亜戦争中の勝手な退却でいちばん有名なところでは、つぎのものが挙(あ)げられる。インパール作戦Battle of Imphal(ウ号作戦Operation U-Go)の佐藤幸徳の第31師団は独断退却(どくだんたいきゃく)をおこない、第15師団が壊滅(かいめつ)した。第15師団からすれば、大迷惑としか言いようがない。

また、同じく第3章第10話では、ヤマトを攻撃するのに、邪魔(じゃま)だとして、味方のガミラス艦に砲撃(ほうげき)を加えて、撃沈(げきちん)させている。

帝国海軍の場合は、意図的なものではないが、こんなのがある。

九三式酸素魚雷(きゅうさんしきさんそぎょらい)の射程距離(しゃていきょり)は最大で40kmだった。1942年3月1日、バタビア沖海戦で、アメリカ合衆国海軍の重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)を狙(ねら)った6本の九三式酸素魚雷が目標を逸(そ)れ、遥か彼方(はるかかなた)を航行中の味方輸送船団に到達し、轟沈(ごうちん)1隻(せき)、沈没1隻、大破(たいは)3隻となった。笑ってしまうわな。

*以下の記事もそれなりにおもしろいと思うよ。

もしも「宇宙戦艦ヤマト2199」のガミラス星人のモデルが◯◯だったら……

2013年1月19日土曜日

さみしいので、大黒鼠(だいこくねずみrat)と暮らすことにした。

 大黒鼠(ラット)と暮らすことにした。ひとりじゃさみしかろうと、ふたり、お迎えすることにした。男の子ふたりにするか、女の子ふたりにするか、悩んだ。かなり悩んだ。結局、男の子ふたりにした。

「どうして男の子にしたんですか?」と生徒が問うので、「いまだに女の考えていることがわからないから」と答えたら、大笑いされた。

 それにしても、愛玩動物(あいがんどうぶつ)用の商品は、概(がい)して、人間用のものよりも高いものが多い。寒さ対策のために、愛玩動物用の湯湯婆(ゆたんぽ)を買おうとしたが、同じ容量の人間用のものが半額だった。愛玩動物用のものといっても、そのために特化した特徴があるわけではないようだった。

 また、近所のペット=ショップでは、小動物用にミネラル=バランスを調(ととの)えたミネラル=ウォーターが500mlで200円だった。

 名前を考えた。最初はケンブリッジ大学で数学の教授であるジョン=コーツJohn Coatesとか、その弟子で、フェルマーの定理を証明したアンドリュー=ワイルズAndrew Wilesとか、群論のエヴァリスト=ガロワEvariste Galoisとか、不完全性定理のクルト=ゲーデルKurt Gödelとか、そうした候補を検討した。

 結局、うちを家紋は「丸に九枚笹(くまいざさ)」なので、同じ家紋の竹中重治(しげはる)の通称名「半兵衛(はんべえ)」と、実家の隣町である和歌山県九度山町(くどやまちょう)に蟄居(ちっきょ)していた真田信繁(のぶしげ)の一般に知られている名前である真田幸村(さなだゆきむら)から、「幸村(ゆきむら)」にした。

 ふたりとも12月8日生まれである。対英米開戦記念日で、馬来作戦(マレーさくせん)(日本側作戦名「E作戦」)と真珠湾攻撃(日本側呼称「布哇海戦(ハワイかいせん)」)の日だ。

 お迎えした大黒鼠は、ダヴセルフダンボという種類である。実のところ、ダヴセルフの意味はわからない。どうやら、全身が同じ色をことをセルフと表現しているらしいが、確証はない。「ダヴ」といわれると、dove(鳩)が思い浮かぶのであるが、鳩の色がどいうものがわからない。ダンボは耳が大きいものを示す。

追記(2013年1月22日火曜日):「ダヴ」はdove colourのことで、「鳩色;赤または紫(むらさき)を帯(お)びたグレー」のことだそうだ。また、「セルフ」はselfで、「全身が同じ色になっている」ことのようである。

 ふたりともダンボ耳の子にした理由はこうである。

 アメリカ合衆国陸軍史上最強部隊である第442連隊戦闘団の退役軍人の動画を見ると、みんな、耳が大きいのである。

 また、フェルマーの定理を証明したアンドリュー=ワイルズAndrew Wilesの業績を紹介する動画を見ても、そこに登場する高名な数学者は耳が大きい傾向があり、多少小さい人でも、コーカソイド(白人)の水準からすると、平均以上に大きいのである。

 さらには、大日本帝国陸軍の大将や中将なども耳が大きい傾向があった。

 そういえば、英国王室の皇太子チャールズCharles, Prince of Walesも耳が大きい。チャールズ皇太子は、決して優秀な人間とは思えないのだけど。



 半兵衛

 携帯電話のカメラで撮った。照明などの関係で、幸村と色が違うように見えるが、毛色はまったく同じ色である。うちの生徒は、半兵衛と幸村の区別が今のところ、つかないようであるが、半兵衛は、幸村と較べて、耳が大きい。思慮深(しりょぶか)く、冷静なタイプであるようだ。2例で考えるのはよくないのは承知(しょうち)しているが、耳が大きいほうが、性格がよくて、頭がいいような気がする。


 幸村

 半兵衛と較べると、耳がちょっと小さい。やんちゃである。無駄にちょろちょろと動き回る。半兵衛と兄弟なのに、性格がまったくちがう。いくぶん猪突猛進型(ちょとつもうしんがた)であるようだ。

2013年1月18日金曜日

「夢のメルヘンに行ってしまいました、あははは」と言った当校生徒のおじいちゃん

 その生徒は、中学校に入学したときの1学期の中間試験で、学年でビリから5番以内という成績だった。

 その生徒は小学校のときから勉強が苦手だった。それに母子家庭でもあった。それを心配した祖父母が、自宅ならびに経営している店舗の近くで、学習塾を探した。当校は、店舗から自宅に帰る道すがらにあった。パンフレット=スタンドにあるパンフレットを読むと、信じられないくらいの成績の向上が書いてある。

 自宅に帰る途中、ときどき、塾の様子を伺(うかが)った。笑い声が聞こえたり、遊んでいたりする。それで、どうして、成績がそんなに伸びるのか、不思議だったけれど、埼玉県に住んでいる孫を、1時間以上の通学時間がかかるけれども、土曜日と日曜日には当校に通うようにと説得した。

 その生徒は、部活動の大会がなければ、土曜日と日曜日に当校に通っている。土曜日に来て、祖父母宅に泊まり、日曜日にも受講するのが通常である。

 1年と数か月が経(た)った。中学2年生である。

 その生徒が、中学校で実施された業者テストで、数学で100点満点をとった。

 埼玉県の公立中学校では、生徒の進路指導を的確(てきかく)にするために、東京都の区立中学校とはちがって、業者テストを校内で実施している。

 公立中学校を対象にした業者テストだから、それほど難しいわけではないだろう。けれども、母親はびっくりして彼の祖父母のところに電話をかけた。あの子が業者テストの数学で100点をとったんです、と。

 担当の数学教師は、学年でビリに近かったのに、100点をとったことを、ほかの生徒がいないところで大いに褒(ほ)めたそうである。

 その生徒の祖父母が、その報告をしてくれた。おじいちゃんがこう言った。

「業者テストの数学で100点をとったんですよ。あの子は夢のメルヘンに行ってしまいました、あははは」

「夢のメルヘン」という表現がおもしろかった。勢いで「夢のメルヘン」と言ったけれども、これは適切ではないと思ったようで、後で「夢のメルヘンの国」と言い直していた。

なんだか、すごく、おかしかった。

2013年1月17日木曜日

とある超1流企業の社員がサウジ=アラビア支店の支店長をしていたときの主たる仕事

 サウジ=アラビア支店の支店長の主たる仕事がおもしろかった。

 イスラム圏、それも、厳格な地域では、女性は肌(はだ)を人目(ひとめ)にさらしてはならない。目と手足の先以外をすべて隠した服装をしている。しかも、目が見えるからといって、目を見てはいけない。

 ところが、日本から新しく派遣された社員のみならず、以前からいる社員も、つい、うっかりと、女性の目を見てしまうという。

 即座に警察に捕まり、牢屋(ろうや)に留(と)め置かれる。

 そうした社員を引き取りに行くのが支店長の仕事だったという。社員の引き取りばかりをしていた支店長というのがいるそうである。

2013年1月16日水曜日

高校受験用の駿台模試で全国1位をとったやつを凹(へこ)ませたうちの生徒の発言

 何年か前の話である。

 駿台予備学校では、中学3年生を対象にした高校受験用の模擬試験を実施している。

 その模擬試験で、東京学芸大学附属竹早中学校の生徒が、全国1位をとった。ほかにも、好成績の生徒が何人かいた。彼らは、成績を自慢して、浮かれていた。

 すると、うちの生徒が余計(よけい)なことを言った。

「でも、よく考えると、(中高一貫の超進学校である)灘や麻布や桜蔭なんかの人はだれも(高校受験用の)その試験は受けていないんでしょ?」

 そう言われて、全員が、急に、しゅんとなったそうだ。

 まあ、灘中学の3年生なら、高校2年生レベルの数学をやっているようだし、愛知県にある海陽学園(101人中13人が東京大学に現役合格)だと中学2年生あたりから高等学校用の検定済み教科書でいちばんむずかしいとされる三省堂のCrownをやっているという噂があるのだから、中学3年生で高校受験用の実力試験を受けている時点で、2年遅れなのである。

 当校でも、なるべく先取り学習をしてもらいたいと思っているのだけれど、普通の生徒は、英語・数学で2年分先取りすると、あまり勉強をしなくなってしまう。困ったことだ。

 大学受験に関しても、本当に頭がよくて勉強ができる高校3年生は、代々木ゼミナールや河合塾の全国模試は受験しない。本当のハイレベルな高校生にとっては、受験するだけ、時間の無駄だからだ。駿台予備学校のハイレベル模試(もし)にしても、早い時期では受験しない。11月やら、12月やらになって、ちょっと力試(ちからだめ)しに受けてみるかというのがいるだけである(東京大学用の模擬試験や京都大学用の模擬試験なら、図抜(ずぬ)けて頭がいいのに受験する奴はいるだろうけど)。

 なぜ、受験しないのかというと、ものすごくハイレベルな高等学校の場合、自分の所属する高校の学年順位がこれだから、東京大学理科1類は余裕(よゆう)だとわかるから、全国模試を受ける必要がないからである。一方、田舎の県立高等学校の生徒だと、全国レベルでの自分の立ち位置がわからないから、受験するしかない。

 ちなみに私は、現在の駿台予備学校ハイレベル模試に相当する実力試験を1学期に相当する時期に3教科合計で全国2位、偏差値82.4だったが、11月あたりに、超難関中高一貫校の上位の連中が力試しに受験する時期には、自分よりも上に成績優秀な受験生の数が増えた。もっとも、英語の偏差値は70を切ることはなかったけれど。

 国会議員の片山さつきは、駿台予備学校の実力試験で全国1位となっているが、これも1学期に相当する時期に受験したものである。けれども、彼女は官僚になり、フランス国立行政学院École nationale d'administrationに留学しているから、相当に勉強ができたのだろう。1位というのは、どこまで果てしなく勉強ができるのか、判断できないから、どの程度にすごいのか、あるいはどの程度にすごすぎるのか、適切には判断しづらい。ま、すごいのは確かだけどね。

 以上のことから、とりわけ、1学期の時期に、駿台予備学校の全国模試(今でいうハイレベル模試)で、全国2位でしかない私は、じつは、あんまり大したことはないのである。灘や麻布には、わけがわからないくらいに頭のよいのが揃(そろ)っているからな。

2013年1月15日火曜日

前向きな胃癌患者(いがんかんじゃ)

 友人が胃癌(いがん)だと判明した。その人物からメールが届いた。胃癌となったので、胃を相当、切り取らなければならない。胃が小さくなるから、これからは、肥(ふと)ることを気にしなくすむので、うれしいという。

 それで、返信でつぎのことを認(したた)めた。

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「胃癌(いがん)に禿(はげ)なし」という諺(ことわざ)がある。胃癌(いがん)の患者には禿(はげ)がいないというのは、相当に以前から、医療関係者の間では知られていた。

 久留米大学医学部がこれを大真面目(おおまじめ)に検証(けんしょう)した。

 本当に胃癌患者(いがんかんじゃ)に禿(はげ)がいないということが、実証(じっしょう)された。
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 その人物から返信が届いた。

「肥満を気にしなくてよいばかりか、禿(はげ)の心配もしないですむんだから、俺はラッキーだな」

 頑張(がんば)れよな。

2013年1月14日月曜日

東京で雪が積もり始めたときに、事故を起こす自動車は、四輪駆動車が多い。

1月14日月曜日に雪が降った。積雪7センチメートルだそうだ。

一見すると、不思議なことだが、東京では、雪が積もり始めたときに事故を起こすのは四輪駆動車が多い。四輪駆動車は雪に強いはずなのに、である。

雪にいちばん弱いのは、後輪駆動のミッドシップ=カーである。ミッドシップ=カーというのエンジンが自動車の真ん中に配置してあり、運転席の後ろに置いてあるものである。フェラーリ・本田技研工業のNSXやビートである。

また、RRと呼ばれる、エンジンが後ろに置いてあって、後輪駆動も雪に弱い。ポルシェ911やアルピーヌ=ルノーA110などだ。

スポーツカーは雪に弱いのだ。

こうした自動車は、雪があると、簡単に尻を振る。危なっかしくてしょうがない。だから、ドライバーはきわめて慎重に運転する。

つぎに、雪に弱いのは、エンジン前置きの後輪駆動車である。

四輪駆動車は、雪に対しては、いちばん強い。

ところが、トロトロと走っているスポーツカーを見て、「雪道では四輪駆動が最強じゃあ!」と、スピードを出す莫迦(ばか)が東京にはうんざりするほどいるのだ。雪道用のタイヤではなく、ノーマル=タイヤであることを忘れて、速度を上げる。

そして、追突したり、ガードレールに突っ込んだりして、道路の脇に多数の四輪駆動車が停まっているのである。

雪国の人々からすれば、信じられないだろうが、東京人には、こんな莫迦(ばか)が多くいるのである。

2013年1月13日日曜日

インターナショナル=スクールの小学5年生の宿題が難しすぎて、笑ってしまった。

 インターナショナル=スクールに通う小学5年生の宿題が難しすぎて、笑ってしまった。

 揚力(ようりょく)などに関するものだった。

 以下に掲げる用語の説明をするという宿題だった。

aerodynamic force 揚力(ようりょく)
Bell X1 世界で初めて水平飛行で音速を突破した有人実験ロケット機
Charles Yeager ベルX1の操縦士
Mach マッハ/音速
Newton's laws of motion ニュートンの運動の法則(ほうそく)
Newton's first law 第1法則(慣性(かんせい)の法則)
Newton's second law 第2法則(ニュートンの運動方程式(うんどうほうていしき))
Newton's third law 第3法則(作用・反作用(さよう・はんさよう)の法則)
Bernoulli's principle (流体力学の)ベルヌーイの定理
four forces of flight 航空の4つの力
thrust 推力(すいりょく)
drag 抗力(こうりょく)
lift 揚力(ようりょく)
weight 重力

 さらに、イラストも2つ描(か)かなければならなかった。

 ひとつは、航空機の絵を描(か)いて、矢印を記入して、それぞれに、thrust(推力)・drag(抗力)・lift(揚力)・weight(重力)を書き込むというものだった。

 もうひとつは、翼(つばさ)の断面を描(か)いて、空気の流れを描(か)き込んで、揚力を説明するというものだった。

 宿題の処理については、ウェブ上で、適当な資料を見つけて、印刷したものを渡してから、要約したり、そのまま書き写したりしてもらって、こちらが点検するだけだった。また、揚力そのもののイメージを摑(つか)んでもらうために、わかりやすそうな動画を見てもらった。

 直してもらったのは、つぎの2点だけだった。

 まず、Bell X1のところで、「音速を超えた」としているところにin level flight(水平飛行で)をつけ加えてもらった。1945年に日本の陸軍機である三式戦闘機「飛燕」が急降下で音速を超えているから、in level flight(水平飛行で)とつけたほうがいいんじゃないかと指摘した。

 つぎに、翼の断面図の上に、low pressure(低い圧力)としか書いていなかったので、high velocity(高い(空気の)速度→空気の流れ 速い)を、また、翼の下にhigh pressure(高い圧力)しか書いていなかったので、low velocity(低い(空気の)速度→空気の流れ 遅い)を書いておいたほうがいいよと言った。

 high velocityという語を耳にした高校生が、「あのぉ、去年の4月に、velocity(速度)って単語を知ったんですけど……」と言って、驚いていた。

 私自身、小学5年生で、この内容にはびっくりした。キリスト教に基づく一貫教育校だから、聖書に関する宿題が難しいのは理解できる。また、カナダ出身の教師も多く、カナダの一部は北極圏内にあるので、北極圏に関して、無闇矢鱈(むやみやたら)と細かいことを調べさせるのも理解できる。しかし、小学5年生で揚力というのは、ごく一部の理系小僧にしか無理だろう。

 ちなみに、中学受験の四谷大塚が開催している理科実験教室で揚力を扱うのは、選抜制の最上級クラスでのみ、それも6年生の1月のことである。

 まあ、アメリカ合衆国が誇れる唯一の重工業が航空機製造業といえなくもないからなあ。教育にも、お国柄(くにがら)は出るものなのである。

 ところで、日本車叩(たた)きの嵐がアメリカ合衆国で吹き荒れたときに、日本車輸入全面禁止措置(そち)を求める声すら上がった。そのとき、航空機産業界からつぎのような発言があった。

「やめろ! そんなことをすれば、あいつら[=日本人]は、本気で航空機を作り始めるぞ!」

2013年1月12日土曜日

楽しき早稲田大学


昨日の日付(2013年1月11日)のブログに書き込んだものの、別枠(べつわく)にしたほうがよいと思ったものを、こちらに転載する。

早稲田大学の単位認定がいかに厳(きび)しいかに関するものである。

千葉県にある「普通科普通クラス」偏差値64「普通科選抜クラス」偏差値68の高等学校(国府台女子学院高等学校のことだけど)から早稲田大学法学部に合格したものの、1年終了時の成績に「優」がひとつもなかった。数日に亙(わた)る家族会議が繰り広げられたそうである。

岩手県の名門高等学校(盛岡第一高等学校のことだけど)(偏差値67)出身で、3年間オール5の成績で指定校推薦で早稲田大学第一文学部に進学したものの、「A評定」がひとつもなかった。A評定がひとつもなくても、大人気で、競争率の高いイギリス文学専修には進級できていた。相当に優秀な学生でもA評定が少ないということである。

早稲田大学教育学部を卒業したものの、「優」の上の成績である「秀」がひとつもなく、「優」も片手で数えられる程度であった。欠席せずに真面目に受講して、教場試験も受けたのに、「不可」になるという信じられないことをやってのける男であった。「書き賃(ちん)ぐらい、払え!」と怒っていた。教場試験で答案用紙に文字を埋めたのだから、「可」ぐらいの成績をつけろ、という意味らしい。第一文学部に対する劣等感から、かなり「不正」に近い裏工作(うらこうさく)をして、教育学部卒業後、早稲田大学第一文学部史学科東洋史学専修に学士入学(3年編入)した。しかし、専門外国語の予習ができないばかりか、レ点や返り点、送り仮名(がな)のない白文と呼ばれる漢文の史料(しりょう)も読めないので、中国史の演習授業の予習もできず、授業で訓読(くんどく)するようにと指名されても、まったくできなかった。5月の連休明けから大学に来なくなり、中途退学した。入学金・前期授業料など、80万円くらいで、「早稲田大学第一文学部中途退学」という学歴(正しくは学校歴?)を買ったようなものだった。

成績表を受け取り、学生食堂でカレーライスを食べていたら、テーブルの向かいにいる女子学生2人のうちのひとりが「もう、いったい、レポートで何を書けばAになるのか、さっぱりわからない」と泣きそうな顔で呟(つぶや)いていた。すると、もうひとりが苦々しげに、「私は(丸暗記だけでなんとかなる)語学だけはAで揃(そろ)えることにした。あとは、何を言っているのかわからない授業ばかりだし……」と応じていた。

私が下宿していたワンルームマンションの隣の部屋に、同じ学部の女子学生が住んでいた。彼女の友人たちは、出席しなくても、また、碌(ろく)でもないレポートを提出しても、必ず単位は出してくれるという教授の授業を科目登録した。レポート提出となって、その選択科目を前年度に受講した学生たちから、提出したレポートの下書きを掻(かき)き集めた。ところが、読んでみて、理解できるレポートは悉(ことごと)くD評定のものばかりで、C評定、B評定と成績がよくなるにつれて、何が書いてあるのかわからない部分が増え、A評定のレポートになると、まったく理解できないと、大騒ぎしていた。隣のお姉さんが私の部屋にやってきて、「ねえ、掃除機ちゃん、◯◯先生の□□の授業、去年、とったぁ?」と訊(き)いてきた。去年、提出したレポートの下書きを持って、女子学生で溢(あふ)れるワンルームマンションの一室に足を運んだ。「このレポートの成績、どうだった?」と訊(き)くので、「A評定だった」と答えると、「やっぱり、何が書いてあるのかさっぱりわからないもの」と言う。レポートや試験勉強で忙しいのに、その日の午後は、女子学生たちを相手に、その講義の内容を解説をした(あ、羨(うらや)ましいとは思わないでね。早稲田に美人はいないから)。

女優の小川範子は、公募推薦かなにかで早稲田大学社会科学部に入学した。早稲田祭でライブを行なったのが評価されたそうである。大学在学中は勉学を優先し、極力(きょくりょく)仕事を入れないでいたが、卒業までに5年かかった。ある新聞のインタビューで彼女はこう言った、「早稲田って、本当にすごいですね。あれだけ真面目に勉強したのに、『優』が1個しかなかったんですよ」と。ということは、文学部や理工学部でいうと、ひとつを除いてC評定とD評定しかなかったわけだ。あ、今、これを読んでいて、「可愛(かわい)いから別にいいじゃん」と思ったおっさんは、根拠(こんきょ)はないけど、反省しろよ。

「おいしいカレーライスの作り方」を教場試験の答案やレポートに書いたら、「優」だったという伝説がある。実際に、こうしたことは極稀(ごくまれ)にある。年寄りの教授が、成績の記入する箇所(かしょ)を間違えた場合である。早稲田の場合、この授業は難しすぎて、「可」すらとれる自信がないと、レポートや試験を放棄する学生が多数、存在する。全員が試験を受けていれば、学籍番号順に並んだ成績記入欄を順に埋めていけばいいので、記入ミスは生じにくい。ところが、試験を受けた学生と試験を放棄した学生が混じっているので、目の悪くなった爺(じい)さん先生が記入ミスをするのである。ところが、これを本気で信じていた学生がいた。彼は、前期試験・後期試験・レポートで「おいしいカレーライスの作り方」「おいしいキチンラーメンの作り方」などを書いた。勿論(もちろん)、凡(すべ)て「不可」であった。彼は中途退学して、お笑い芸人になった。ラサール石井である。あ、今、これを読んでいて、「ラサール石井なら、同情に値(あたい)しないな」と思ったおっさんは、根拠(こんきょ)はないけど、反省しろよ。

出席もとらず、学年末にレポートを提出しさえすれば、必ず「可」以上の成績をつける教授は、学生たちから「神」と呼ばれる。しかし、それを遙(はる)かに上回る教授がいた。出席はとるものの、レポートの規定(たとえば、400字詰め原稿用紙8枚から10枚など)を満たしてさえいれば、どんな内容でも、全員に「A」の成績をつけるのだ。その教授は学生たちから、「超越神(ちょうえつしん)」と崇(あが)め奉(たてまつ)られていた。個人的には「超越神」よりも「大日如来様(だいにちにょらいさま)」などのほうがいいと思うんだけど。それはともかく、早稲田大学には「国内留学」という制度がある。一定の年限(ねんげん)を勤めると、授業を一切、担当しなくてよく、教授会などの雑用もせずに、1年間、好きな研究に没頭(ぼっとう)できるのである。「△△という選択科目は『A』が簡単にもらえる」という噂を聞いて、駄目(だめ)な学生が群(むら)がる。ある年、その教授が「国内留学」となった。ところが、駄目な学生たちは「講義要項(こうぎようこう)」(今でいうシラバスsyllabus)を読まないから、その授業の担当者が変わったことに気がつかなかった。替(か)わった教授は、滅多(めった)なことでは「優」(B評定)すら出さない、A評定をもらったという学生もいない、「不可」を連発する、講義内容は難解である。だから、「鬼」と呼ばれていた。第1回の授業に出席した学生たちは、心の中で悲鳴(ひめい)を上げたに違いない。2回目の授業からは、9割以上の学生が出席しなくなった。

1年生のときのフランス語の文法を担当する講師が、こんなことを言った、「100点満点のうち、出席点が30点で、教科書に登場する単語や例文や演習問題およびその解答を全部、憶(おぼ)えておけば、前期試験・後期試験の合計点70点のうち、30点分は確実にとれる教場試験を実施します。全部の授業に出席して、教科書を全部、憶(おぼ)えれば、確実に60点になり、『可』はとれます」と。これは厳(きび)しそうだと思ったが、その講師は東京外国語大学出身で、東京外国語大学では、こんな甘い単位認定ではなかったらしい。実際、4年での卒業率は40%に満たない。その講師は「どんなに能力が低くても、努力を惜(お)しまなければ、『可』は出してあげる心優しいぼく」をアピールしていたのだった。ちなみに、当時、存在したフランス語の教科書でいちばん難(むずか)しいものを使用していた。

哲学科哲学専修(てつがっかてつがくせんしゅう)の必修授業(単位をとらないと卒業できない)で、イマヌエル=カントの『純粋理性批判』Kritik der reinen Vernunftを扱う演習授業があった。通常の筆記試験のほかに、『純粋理性批判』の原書からドイツ語の文章が出題され、訳すという問題も出された。第2外国語でドイツ語選択した者の場合、出題範囲は、『純粋理性批判』の本文全部だった。マイナー出版社Felix Meiner Verlagの所謂(いわゆる)「マイナー版」あるいは「ビブリオテーク版」では、本文が766ページある。また、フランス語・ロシア語・中国語選択者の場合にも、ドイツ語の本文を試験に出題し、訳させるが、心優しいこの教授は、フランス語・ロシア語・中国語選択者には、出題範囲を120ページ程度にしていた。ドイツ語以外の第2外国語を選択した者も、ドイツ語を習得しないと卒業できなかった。ある年度では、3分の1以上が中途退学したという噂がある。

大学1年終了後、政治経済学部や法学部の学生が、急にマスコミ志望になり、マスコミ就職用の専門予備校に通い始めるものが少なからずいた。ちゃんとした一流企業は、当時、3年終了時に「優」が20個以上なければ、指定校でも採用されなかった。この成績では大学3年終了時に「優」20個以上は確保できないと悟(さと)り、こんな成績でも入れる給料のよいところとなると、大手マスコミしかないとなる。だから、高田馬場や早稲田界隈(かいわい)にはマスコミ就職用の専門予備校がある。

理工学部を中心に、大学5年生・6年生になっても、1年次のドイツ語・フランス語を落とし続けて留年しているものがかなりいた。ちなみに2年次以降は、原書講読なので、日本語訳を必死で暗記すればなんとかなったらしい。

中学生や高校生のみならず、大学生にもフランス語やドイツ語の指導をしていてわかったことだが、東京大学・早稲田大学の第2外国語の授業(フランス語とドイツ語、それ以外の言語についてへ不明)は、中堅上位とされる大学(まあ、日東駒専のことだけど)の第2外国語の授業の進み具合と較べて、文法事項が4倍から5倍の速度で進み、1回の授業当たりの内容も5倍くらいである。つまり、20倍から25倍の学習量を要求される。今は、どうなのか知らないが、昔の難関大学は夏期休業がむやみに長かった。7月から9月下旬までは授業がなかった。4月・5月・6月・10月・11月の5か月間の授業だけで、12月には原書講読ができるようにするには、普通の大学の20倍から25倍、勉強しなければならなかったのである。フランス語の場合、京都大学はもっと凄(すご)かった。正確に発音できるようにと、発音専用の授業が、通常の授業のほかに、さらに週1回あって、めちゃくちゃ発音を鍛(きた)えられたそうだ。

当校で週に1回だけ非常勤講師をしていた早稲田大学理工学部数学科の学生は、フランス語やドイツ語とちがって学習の負担が桁違(けたちが)いに大きいロシア語を選択していた。言語学者によると、日本人に向いていない3大外国語は、英語・ロシア語・アラビア語であるとされる。そのロシア語選択者であったのだが、それでも、学部を卒業するときには、数学科60人中6番の成績であった。彼が負担の小さいフランス語かドイツ語を選択していれば、首席卒業していただろうと私は考えているし、当校での彼の教え子たちもそう考えている。その彼が、物理学の授業を受けていたところ、さっぱり内容が理解できなかったことがあった。授業が終わってから、数学科でいちばん物理学が得意な友人に授業内容を説明してくれるように依頼したところ、その学生も理解していなかった。つまり、数学科の学生全員が理解できない物理学の授業だったのだ。真面目な学生たちは物理学科の研究室の助手のところに出向き、懇切丁寧(こんせつていねい)に授業を行なってもらい、やっと理解できたという。

早稲田大学には、学生が100人いれば、上から3番目の学生に授業のレベルをあわせる教授・助教授がゴロゴロいる。1番目や2番目に授業のレベルをあわせないのが、教授・助教授の真心(まごころ)であった。

理工学部数学科で、数学のレポートを課す教授がいて、研究室のドアのところに提出箱を置いておき、たとえば、5月16日午前10時締め切りの場合、午前10時きっかりに提出箱を回収する。午前10時1分にレポートを持ってきた学生には受け取りを拒否した。1分遅れでその科目の落第が決定した学生が数人いた。

数学のレポートなんてものは、ちゃんと理解している学生のものを写せばよいだろうと高(たか)を括(くく)って、他人のものを写して提出した者が少なからずいた。そのレポートはワープロによるものは不可で、手書きでなければならなかった。すると、十全(じゅうぜん)に理解している者が清書するときに、ここでシャーペンを持ち替えるのは不自然だというのが多数あった。学生たちを呼び出し、本当に理解しているかどうかの口頭試問(こうとうしもん)が行なわれ、つぎからつぎへと落第が決定した。

ラミネート加工の学生証を最初に採用したのは早稲田大学である。それ以前には、紙切れの学生証に白黒写真を貼り、割印(わりいん)を押しただけのものだった。ところが、落第しそうな学生が、優秀な学生に学年末試験などで身代わり受験を依頼することが多かった。写真を剥(は)がし、身代わり受験をする学生の学生証の写真を貼りつけるのである。多少割印(わりいん)がずれていても、滅多(めった)なことでは発覚しなかった。しかし、大学当局は、このことに気づき、ラミネート加工を施(ほどこ)して、写真の貼り替えができないようにした。すると、学生証を紛失したといって、身代わり受験をする学生が、新たに学生証を発行するように依頼するようになった。学籍番号が同じで、写真の違う学生証を何枚も持っている学生が出現した。そこで、今では、大学入学時に提出された写真を卒業まで用いる方式に変更し、学生証を紛失したとしても、新たな写真ではなく、入学時にコンピュータに登録した写真の学生証が再発行されるようになったそうである。ところが、高校3年生の写真なので、大学3年生くらいになると、顔つきも雰囲気も変わっていて、本人がどうかを認証するのに、いくぶん、困難を来(きた)すようになった。奇抜な髪型で、髭(ひげ)を生(は)やしたり、奇妙な眼鏡をかけたりをして、本人認証が難しくなるようにすると、似たようなタイプだと身代わり受験ができるらしい。

教場試験で、座席指定がない場合、私はいつも前のほうの席で試験を受けていたので、目撃してはいないが、落第しそうな女子学生は、極限まで縮小コピーしたカンニング=ペーパーをスカートの中に潜(ひそ)ませていたそうだ。友人たちの証言によると、指定校推薦の女子学生に多く見られたという。

落ちこぼれ学生によるカンニングが絶えないので、前期試験・後期試験(学年末試験)の前には、1回でもカンニングが発覚すれば、その年の単位は凡(すべ)て剥奪(はくだつ)される旨(むね)の通達が何度も出されていた。

指定校推薦で早稲田に進学した者が、1つでも単位を落とすと、その高等学校は指定校推薦を取り消される。最低でも5年間は指定校推薦がなくなる。その学部への進学者が一定数に達していれば、5年後に復活する。ところが、以前は、進学校であったものの、近所に進学実績の高い私立の中高一貫校ができていたりして、進学者数が一定数に達しないという状態になっていることがある。その場合、指定校推薦は永遠に復活しない。すると、出身高等学校の近くに実家のある者の場合、なにかにつけて、「昔は早稲田の◯◯学部の指定校推薦があったけど、あそこの家のひとり息子が単位を落としたせいで、1980年から指定校推薦がなくなったそうだ」と、自分の出身高等学校の後輩に言われ続ける。帰省(きせい)して、実家から出たところ、出身高等学校の制服を着た高校生が、「あっ」と言って、こちらを指差(ゆびさ)し、それから、ひそひそを何かを話すということがよくあるという。「あのおっさんのせいで、早稲田の指定校推薦がなくなった」と言われているのではないかと思われ、帰省するのが辛(つら)いと言っている30年くらい前に卒業した早稲田OBがいる。

旧帝国大学合格者がおらず、早稲田大学・慶應義塾大学進学者の数人程度の高校の出身者で、5月の連休・夏休み・早稲田祭(大学祭)の休み・冬休み・春休みに、なにかと帰省して、本人が所属していた高校の部活動に顔を出す早稲田大学の学生は、漏(も)れなく「落ちこぼれ」である。早稲田のしょぼい学部の学生であっても、高校生当時は、その高校では秀才であったという過去の郷愁(きょうしゅう)に浸(ひた)りたくて、むやみに帰省するのである。トップクラスの学生であっても、勉学に忙しく、度々(たびたび)帰省している暇(ひま)はないのである。

卒業論文が期限までに仕上げられそうにない学生がいた。京都大学では、卒業論文にパンチ穴を空けて、紐(ひも)で綴(と)じるだけでよかったが、早稲田大学では、厳(おごそ)かに製本をしたものを提出しなければならなかった。中身がない分、卒業論文の見た目だけは立派なものにするという目的であった。卒業論文を仕上げてから、製本に出すと、どう考えても、論文提出に間に合わない学生が、白紙の原稿用紙100枚を製本業者に製本させて、それを提出し、その後、研究室の助手のところに出向き、白紙のまま製本させたものを助手が教授のところに届けるまでの数日の間に、とにかく、論文を書き込む荒業(あらわざ)をやった莫迦(ばか)が何人もいた。それに気づいた事務所側は、論文提出時に、製本された卒業論文の中に、ちゃんと文字が書いてあるのかを確認するようになった。

卒業論文提出の締(し)め切りの時間になると、卒業論文を受けつけるために指定した教室の鍵(かぎ)を内側からかける。1分遅れを認めると、つぎには2分遅れも認めなければならず、すると、3分遅れも認めなければならず、そうなると、延々(えんえん)と、卒業論文の提出を受け取り続けざるを得(え)なくなる。だから、時間きっかりに受け付けなくなるのだった。3分遅れで当該(とうがい)の教室に来た女子学生たちが、教室のドアをドンドンと叩(たた)きながら、「開けて! 開けて! お願いだから開けて!」と半狂乱(はんきょうらん)になりながら、叫ぶという修羅場(しゅらば)が毎年、繰り返された。ちなみに、男子学生は、意外とあっさりと諦(あきら)める場合が多いようだった。

卒業論文の指導教授と交渉(こうしょう)して、とにかく、400字詰め原稿用紙60枚に文字が書いてあれば、卒業させてもらえるように確約してもらった演劇専修の学生がいた。ところが、何を書けばよいのかわからなかった。冗談で、「30万円をくれるんだったら代筆してもいいよ」と私が言ったところ、翌日、30万円を持ってきた。文字が埋まっていさえすれば卒業できるというくらいのことで本当に30万円を貰(もら)うのは、さすがに気が引けるので、5万円だけ貰(もら)って、代筆した。口頭試問(こうとうしもん)をどうやってクリアするのかと思っていたが、「いやぁ、書いていたときには、それなりの考えがあって、そう書いたはずですが、正確には思い出せません」と誤魔化(ごまか)したそうだ。その論文の内容は、私が見たことのない映画の評論であった。その映画のパンフレットと数人の映画評論家が書いた文章を参考に、見てはいない映画の評論を書いた。それでも、B評定つまり「優」の成績だった。どうやら、演劇専修の学生は、まともな文章が書けないらしい。数年後、用事があって、彼の自宅に電話をかけたところ、息子が落第することなく、4年で卒業できるようにしてくれた恩人として母親が応対(おうたい)したので、ちょっと気まずい感じがしたが、留年すると、前期授業料(たぶん40万円くらい)と残った単位数✕5000円の費用が必要になるので、それをたったの5万円で回避してくれたということで、恩人ということになっていた。

以上、思い出すままに認(したた)めてみたが、なんとまあ、楽しい大学なんだろう。読み返してみたら、笑いがこみ上げてきた。

でもね、高校生のみんな、どうやら、今は、そんなことはないらしいぞ。第2外国語の負担も、ものすごく減っているらしい。だから、地頭(じあたま)が並(なみ)レベルの高校生も、安心して、勉学に励(はげ)み、早稲田に進学して、地獄を見てくれ

私が調べたところ、早稲田大学・一橋大学・東京工業大学・京都大学・大阪大学などには、きわめてハイレベルな授業があり、学生がついていけないものが少なくない。単位認定も厳(きび)しかったりする。ただし、京都大学は、どちらかというと、気楽に「可」は出しまくる。べらぼうに難しい授業が行なわれるのは、どうやら、東京大学への対抗心からであるらしい。東京大学に負けるもんかと、ハイレベルすぎる講義内容になってしまうようだ。しかしながら、一橋大学・東京工業大学・京都大学・大阪大学が東京大学への対抗心から、学生がついてこられない授業を展開するというのは、いくぶん理解できるが、早稲田が、なぜ、そんなことをするのか大いに疑問である(このことを一橋大学や京都大学の出身者に話すと、今のところ、全員が大笑いした。微妙な学歴自虐ギャグでは笑わないように心がけている者でさえ、大笑いしてしまうのである)。

追記:なお、最近になって、学生がついていけない講義をする教授たちに関しては、東京大学に対する対抗心からではなく、ヨーロッパの大学基準で授業をしているのではないかと思うようになった。英国では、大学生の中途退学率は23%だとかいうし、ドイツ共和国の大学卒業平均年齢は30歳である。一方、アメリカ留学組は、それほど厳しい授業をしない傾向があるように思う。アメリカの大学の数学って、極言(きょくげん)すると、精々(せいぜい)のところ、日本の進学校の高校レベルなんだぜ。

2013年1月11日金曜日

一部のマスメディア(マスコミ)は何故、偏向しているのかついて、精神分析の観点から考えてみた。

 ウェブを利用している人たちの間では、マスメディア(マスコミ)が偏向しているのは、最早(もはや)自明であるとさえいえる。

 では、なぜ、マスメディア、即(すなわ)ち、所謂(いわゆる)マスコミと称される新聞・テレビ・NHKなどが、異常なまでに偏向しているのかを、精神分析の観点から考えてみよう。勿論(もちろん)、精神分析は、厳密にいえば、似非科学(えせかがく)にすぎないから、一顧(いっこ)だにされなくてもかまわない。

 まず、マスメディアの人間のほとんどは、大学での勉強ができなかった。地頭(じあたま)が悪かったのである。

 勿論(もちろん)、地頭(じあたま)がよいちゃんとしたジャーナリストはいる。大雑把にいって、新聞学科出身者には立派な人が多いような気がする。成績が悪いから仕方なくマスコミ志望になったわけではないからだ。

 つぎに、反日的な言動をする行なうマスメディアの人間は、家柄(いえがら)や出自(しゅつじ)が悪く、且(か)つ、野心家であったと考えられる。

 さて、曾(かつ)ての日本では、1流企業は人材を効率よく確保するために、指定校制を敷(し)いていた。

 たとえば、「国立大学の旧1期校」からしか採用しないとか、「旧1期校、竝(なら)びに東京6大学と同志社大学と関西学院大学まで」とか、そんなふうに指定校制を敷いていた。

 これは、じつのところ、今でもそうである。建前としてはだれでも入社試験を受けられるということにしていても、リクルート社が運営しているリクナビというサイトでは、就職活動を始めた学生がそこに登録するのだが、偏差値の高くない大学の学生の場合、リクナビに掲載されている1流企業の会社説明会に出席したい思っても、定員が埋まっているからと拒否される。

 ところが、同じ企業の会社説明会に申し込んだ慶應義塾大学の学生の場合は、会社説明会への出席が許可されるばかりか、友人も誘ってくださいと催促(さいそく)される。

 東京大学の学生にいたっては、「東京大学の学生のみなさまには、一般の大学の方々とは別の日に、会社説明会を特別に行ないます。ついては、他大学の方々にこのことについてはお話しないでくださいませ」となる。

 1流企業の指定校に入学できれば、人生は明るくなると思ってしまう。

 ところが、よい人材が集まる優良1流企業の場合、たとえ指定校の学生といえども、大学での勉強で落ちこぼれたものは採用しない。その基準は、大学3年生終了時の成績での「優」の数であった。大学3年生終了時で、「優」が20個なければならなかったのである。その基準を満たせなければ、東京大学だろうが、京都大学だろうが、優良1流企業に就職できないどころか、門前払(もんぜんばら)いされたのである(一部例外はあるらしい)。

 大学3年生終了時に「優」が20個なかった学生が就職できるところは、マスメディア(マスコミ)つまり、新聞社・テレビ局・ラジオ局ぐらいしかなかったのである。あ、それからレコード会社もかな。

 大学によって、多少の違いはあるのだろうけれども、大学3年生終了時で、取得している科目数は、だいたい50を超える。

 それで、「優」というのは、中学の5段階評価の成績表でいえば、「優」は「4」である。「良」が「3」で、「可」は「2」である。「1」は「不可」である。「5」に相当するのは、A評定であり(一部の大学では「S評定」)、「㊝(まるゆう)」であり、「秀(しゅう)」であった。

 今はちがうかもしれないが、早稲田大学の場合、法学部では、「優」の上に「㊝」(文字化けするかもしれないので説明すると、◯の中に「優」の字がある。「まるゆう」と読む)があり、教育部では「優」の上の「秀」というのがあった。第一文学部と理工学部では「A」評定が、「㊝(まるゆう)」や「秀」に相当し、「B」評定が普通の「優」である。

 つまり、大学3年生終了時に「優」が20個ないというのは、中学校の主要5教科の成績でいうと、「4」が2個で、残りの3個が「2」でしかないという成績を下回っているような成績なのである。最低の場合、「4」が2個、「2」が3個(つまり、50の科目のうち、「優」が20個で、「可」が30個)でも、指定校であれば、1流企業の入社試験を受けることができたのである。マスメディアの連中は、それを下回っているのである。

 それって、ただの莫迦(ばか)じゃんと思った人がいるかもしれないが、1流大学での学問を前にしたときには、本当にただの莫迦(ばか)だったのである。

 だから、マスメディアでは、30年先、100年先のことを考えた行動すらできない者が多いのである。自分を高く評価しないこんな社会なんか、壊れてしまえと考えてしまうらしい。だから、反日になる。これは、左翼も同じである。

 勿論(もちろん)成績のよくなかった者が皆(みな)、偏向し、反日になるわけではない。「自分はこの程度のものだったか」と諦観(ていかん)する者もいる。というよりも、寧(むし)ろ、そのほうが圧倒的多数であろう。

 また、頭がよかったために、クラス担任がこの子は大学に進学させるべきであると、親を説得して、本人には強い進学の意志がなく、勉学の意欲もなかったのに、1流大学に進学させられて、大学在学中には勉学以外の好きなことに打ち込み、その結果、成績がよくなかったというのもいるが、そういう者は、別段、1流企業に入れないことで、おかしくはならない。そもそも、1流企業に入りたいとは思っていない。


 1950年代後半から1973年までは高度経済成長期である。製造業に就職するのが花形であった。そうした職種を目指していたものの、「優」が20個なかったから、マスメディアにしか就職できなかった。

 こういう事例がある。中條高德(なかじょうたかのり)アサヒビール名誉顧問の『孫からの質問状 おじいちゃん 戦争のことを教えて』という著書ではつぎのことが書いてある。

……新聞社の就職試験を受けるつもりだと話すと、私の両親、ことに母親は大反対した。新聞記者になどなったら死んでしまうとさえいって、涙を流すのだ。……母には新聞といえばいわゆるアカ新聞、ゴロツキ、いまでいうブラックジャーナリズムのイメージが強くあったのだろう。「新聞などというものは品性下劣な世界で、人間の屑(くず)がやることです」とさえいう。
『孫からの質問状 おじいちゃん 戦争のことを教えて』中條高德著、小学館文庫2002年9月1日初版第1刷発行pp.102-103

 早稲田大学理工学部では、平均評定B以上で、無試験でそのまま大学院に進学できた。また、英国の名門大学院への進学ではGDP3.3から3.6が望ましい。中堅の大学院でも2.7から3.0は必要である。GDP (Grade Point Average)とは、A評定を「4」、B評定を「3」、C評定を「2」、D評定を「1」とし、その合計を総科目数で割るものである。

 このあたりを基準に考えると、早稲田の学生の65%以上は、所謂(いわゆる)落ちこぼれなのである。「マスコミへの就職に強い早稲田」というイメージがあるが、これは間違いである。「マスコミくらいしか就職試験を受けさせてもらえない学生が半分くらいいる早稲田」が正確なところである。また、1万人が入学して9千人が卒業するのだが、大学中途退学者は、10%ではなく、15%くらいであろう。5%分は、学士入学による3年編入で補(おぎな)っている。

 高田馬場や早稲田鶴巻町などにマスコミへの就職用専門予備校があるのも、そういう理由からである。入学時にマスメディア志望でなかった学生が、1年終了時に、突然、マスコミ志望に変わり、そうした予備校に通い出した例をいくつか知っているが、これは、1年終了時の成績からして、3年終了時に「優」を20個、確保できないということが判明したから、このままではまともな会社には入社できないと知って、「マスコミ志望」に転向(てんこう)したのである。


 つぎに、モデル=ケースを考えてみよう。実在の人物をモデルにしているが、推測によるものもあるので、凡(すべ)てが事実であるとは思わないでもらいたい。

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 偉くなりたいと思って、努力したが、立派な国立大学には進学できず、早稲田大学政治経済学部しか行けなかった。なお、共通1次試験導入前は、早稲田大学に限らず、私立大学は、今よりも偏差値が10から15、低かった。早稲田にしか進学できなかったというのは、相当な精神的ダメージがあるわけだ。

 それでも、気をとり直して、勉学に励(はげ)めば、出世コースには乗れなくてもよいから、それなりの1流企業に入社できるかもしれないと思って頑張(がんば)ってはみた。しかし、「優」が20個とれそうになかった。

 それならと、「優」が20個以下でも入れる大手マスコミを志望することにする。

 努力の甲斐(かい)あって、なんとか、朝日新聞社に採用してもらった。周りも「優」が20個以下だから、気後れせずに済むと思うと、入社式が楽しみになった。

 ところが、配属先が社会部だった。そのころの朝日新聞の社長は、政治部出身者が社長になり、そのつぎは経済部出身者が社長になり、そのまたつぎは政治部出身となるという所謂(いわゆる)襷掛(たすきが)け人事であった。つまり、社会部にまわされたということは、はじめから「社長の器(うつわ)」ではあるわけがないと宣告されたも同然である。「優」が20個とれなかった者のなかで、さらに能力が低いと認定されたわけだ。

 さらには、ヨーロッパの言語を習得するには学習能力が低いと判断され、日本人にとって習得が容易(ようい)とされる朝鮮語を学ぶようにと指示される。大韓民国の大学に留学させられ、千葉支局・大韓民国特派員・中華人民共和国特派員になる。パリ支局やワシントンD.C.支局が羨(うらや)ましくてしょうがなかった。

 いくら努力しても、爪(つめ)の先ほども報われない、こんな日本は、壊れてしまえという気持ちになる。

 そして、彼は、朝日新聞の社会面で、日本に重大な悪影響を与える誤報記事を意図的に書いた。
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 朝日新聞などを揶揄(やゆ)することばにつぎのものがある。

学歴社会を批判して、自社は有名大卒のみを採用する。

 ところが、厳密(げんみつ)にいうと、有名大卒といっても「優」が20個なかったのであるから、「高学歴」ではない。高いレベルの学問をこなしていないからである。「高学校歴」でしかない。だから、朝日新聞の社会面では、勉強ができないからといって莫迦(ばか)にするなという論調がみられるのである。彼らは大学レベルの勉強ができなかったのだ。

2013年1月10日木曜日

国債残高が1000兆円近いけど、戦時国債のことを考える意外と大丈夫な気がするのだが……。

 大東亜戦争(第2次世界大戦・太平洋戦争)のときの戦時国債は1400億円で、政府短期借入金は2000億円だった。当時の貨幣価値は、1円が今の1万円に相当するから、現在ならば、3400兆円の借金が政府にはあったわけだ。

 戦後、税収を超える償還を行なったところ、ハイパーインフレとなり、貨幣価値が下がり、償還された紙幣(しへい)は紙屑(かみくず)同然となった。戦時国債を買っていた者は、大いに損をしたわけだ。

 それでも、わが国は蘇(よみがえ)ったのだから、現在の1000兆円近い国債は、大したことはないように感じる。

 ところで、私の母方の祖母は大地主の娘だった。戦前の法律では、長男のみが遺産相続することになっているが、実際には、それぞれの家庭ごとに細かな事情は異(こと)なっていて、祖母は不動産以外の遺産をたんまりと受け取った。

 祖母は、大東亜戦争中に、その遺産をそっくりそのまま、戦時国債に突っ込んだ。よほど、大日本帝国軍がアメリカ合衆国軍に勝つと信じていたらしい。

 そして、「不動産を持たない資産家」から、「何もない貧乏人」になった。

 それでも、わが国は、ちゃんと勉強すれば、それに応じたものにはなれる社会だから、ハイパーインフレがあっても、いいと思うのだけど……。

 私個人としては、住宅1軒を除く、殆(ほとん)ど凡(すべ)ての財産を戦時国債に突っ込んだうちの祖母の豪快さは、好きなんだな。

2013年1月9日水曜日

「掃除機庵御主人様」でメールが届いた。

 このブログは「掃除機庵主人 l'homme révolté」という題名である。掃除機庵主人(そうじきあんしゅじん)というハンドルネームは、あちこちで使っている。

 先日、「掃除機庵主人という宛名(あてな)でメールが届いた。

「掃除機庵主人」は、所謂(いわゆる)、雅号(がごう)なのだから、精々(せいぜい)のところ、「掃除機庵主人」なのではないかと思ったが、なんだか複雑な気分である。

「御主人様」とされると、秋葉原にあるメイド喫茶的なものが想起(そうき)される。まあ、送り主には悪気はないのだろうけど。

2013年1月8日火曜日

海豚(イルカ)の肉を食べさせられた世代

 鯨(クジラ)と海豚(イルカ)は、生物分類上、区別がない。体長が4mを超えれば鯨(クジラ)、それ以下だと海豚(イルカ)という一応の区別はあるが、例外はある。

 昭和時代の学校給食では、低廉(ていれん)な価格で動物性蛋白質(たんぱくしつ)が摂取できるということで、「鯨の龍田揚げ(たつたあげ)」がよく出された。

 ところが、鯨の龍田揚げだと信じて食べたものは、かなりの高い確率で、「海豚(イルカ)の龍田揚げ」であった。

 私と同年代の者でも、このことを知っている人は少なく、話すと驚かれる。とりわけ、女性の場合には、気分が悪くなることもあるようだ。

 当時の「鯨の龍田揚げ」の贋物(にせもの)、すなわち「海豚(イルカ)の龍田揚げ」は、肉が硬(かた)く、決しておいしいものではなかった。学校給食で「鯨の龍田揚げ」を食べさせられた世代は、「鯨肉(げいにく)=不味(まず)い」と思い込んでいる。

 英国でも、第2次世界大戦後、大日本帝国軍のせいで、すべての植民地を失い、国民総生産が半分になるという経済力の半減を経験し、貧困に喘(あえ)いでいたときには、鯨肉(げいにく)を食べていた。けれども、英国人のかなりは、反捕鯨である。たぶん、学校給食で「鯨の龍田揚げ」しか食べていない日本人と同様、彼らもまた、不味(まず)い部位(ぶい)しか食べなかったのであろう。

 3大高級部位(さんだいこうきゅうぶい)とされる尾の身(おのみ)・脂須の子(あぶらすのこ)・鹿の子(かのこ)のうちで、さらに高級なものを食べると、こんな旨(うま)いものは、コーカソイド(白人)には知られたくないと思ってしまう。

 日本人なら、死ぬまでに、1度は、食べておくとよい。

 また、心筋梗塞(しんきんこうそく)や脳梗塞(のうこうそく)になりやすいタイプの人にとって、鯨肉は健康にいい。

2013年1月6日日曜日

日本人のせいで製品・商品の仕様が変わった事例(その2):コンサイス=オックスフォード=ディクショナリー

 コンサイス=オックスフォード=ディクショナリーThe Concise Oxford Dictionaryは、以前、正式な名称はThe Concise Oxford Dictionary of Current Englishであった。現行のものは、The Concise Oxford English Dictionaryである。

 それはともかく、1979年から1990年までの間、英国首相であったマーガレット=サッチャーは、財政難の折(おり)から、大学への補助金を削減(さくげん)することにした。そうなると、大学が財政難に陥(おちい)る。

 自(みずか)ら資金を調達しなければならなくなったオックスフォード大学Oxford Universityは考えた。世界最大の大学出版局であるオックスフォード大学出版局の売り上げを伸ばし、その利益を大学運営にまわそう、と。

 まずは市場調査marketingである。すると、英国の旧・植民地であり、人口も頗(すこぶ)る多いインドを除けば、アジアでオックスフォード大学出版局の書籍を最も購入しているのが、日本だと判明した。

 そこで、オックスフォード大学出版局は、「日本人にやさしい」Japanese friendlyな書籍づくりに励(はげ)むことになる。

 日本は、大東亜戦争の敗戦により、第1外国語は強制的に英語となっている。となれば、英語辞典を「日本人にやさしい」ものにすればよい。

 その昔、英国の英語辞典には、そもそも発音記号が記載されていなかった。方言差(ほうげんさ)が激しく、「英語には標準語は存在しない」とする立場さえある。he(彼は)を「イー」と発音する者もいれば、often(しばしば)を「オフトゥン」と読む者もいるし、parent(親)を「パレント」と読む者もいる。スコットランド人の中には、bus(バス、乗り合い自動車)を、ドイツ人のように「ブス」と読む者もいる。ロンドンの南部やマンチェスターの連中は、myselfを「ミセルフ」という人が少なくいない。

 ちなみに、BBC(英国放送協会)のアナウンサーの発音でさえ、統一していない。ある者は、アッパー=ミドルの発音だし、ある者は、いかにもな上流階級のものである。BBCがアナウンサーの発音を統一しようと試みたことがあったが、不可能だと判断した。今は、BBCの容認発音Received Pronunciationとして、いくぶん、幅広く容認している。その容認発音でさえ、英国人の2%から3%しか使っていない。2011年の世界銀行による人口の推測値からすると、125万人から188万人にすぎない。だから、発音記号を掲載することに、それほどの利益はないのである。

 また、子音(しいん)の発音と強勢stress(所謂(いわゆる)、日本語での「アクセントaccent」だが、アクセントは強勢と抑揚intonationを合わせたもの)が正しければ、母音(ぼいん)の発音はどうでもよいとさえいえるのが英語である。したがって、精々(せいぜい)のところ、強勢の位置を示す記号がついているくらいでしかなかった。

 しかしながら、「日本人にやさしい」となると、話は別だ。発音記号を掲載したほうがよい。

 ところが、重大な事実が判明した。

 なんと、日本の英語の辞書では、当時の時点で、70年近く前の「ジョーンズ式発音記号」が主流だったのである(今でも日本では主流だが)。

「なんだと! 日本人は今でもジョーンズ式発音記号で英語を勉強しているのか!? あんな時代遅れな代物(しろもの)を! 微妙な方言の発音が表記できないではないか!」
「わが国の軍隊では、中世の武術を捨て去り、最新鋭の武装をしているのに、日本人は無駄に伝統を重んじる民族で、実際の戦闘では役に立たない弓道や剣道をいまだにやっている連中です[註:大東亜戦争では、ゲリラ戦で日本兵による弓矢で戦死したアメリカ兵が少なからずいる]。それに、火縄銃にしても、改良する能力があるにも拘(かか)わらず、戦国時代の仕様のままのものを江戸時代末期まで作り続けた民族です」
「ふーむ、だからといって、日本向けにジョーンズ式発音記号を採用するわけにはいかん。ジョーンズ式発音記号を採用すれば、世界中の笑いものになる」

 ということで、オックスフォード大学出版局は、すべてのページに国際音声記号International Phonetic Alphabet (IPA)の発音記号を印刷することにした。

 具体的には、こうだ。ひとつの発音記号を記載して、その横にその音声を含む単語を記載する。それを4ページに亙(わた)って、一覧を作成する。たとえば、「æ cat」というのから始め、4ページ分、作成するという具合。これを辞書の本文、つまり、単語とその意味を掲載しているすべてのページの余白の下に記載した。自分が調べた単語の発音記号がわからなければ、当該(とうがい)のページを含めた前後の4ページの下の余白を見れば、発音がわかるようにした。

 1990年発行の第8版でのことだ。

 オックスフォード大学といえば、英国首相を多数輩出した大学であるから、日本でいえば、東京大学に相当する。なお、ケンブリッジ大学はノーベル賞受賞者を多数輩出しているので、日本でいえば、京都大学に相当するといえる。東京大学も京都大学も、オックスフォードやケンブリッジと較べれば、どちらも、グレードは遥(はる)かに劣(おと)るが。

 東南アジアの親日国が東京大学出版会の書籍を多数購入しているからということで、東京大学出版会がその国の国民に適した仕様で書籍を刊行するようなことを、日本に対してオックスフォード大学出版局がやったということである。

 世界最大の大学出版局が日本に媚(こ)びたのだから、日本ってすごいなあ。

 但(ただ)し、辞書の売り上げは増えなかったようである。というのも、コンサイス=オックスフォード=ディクショナリーを使いこなせる日本人なら、大抵(たいてい)は国際音声記号を知っているからである。徒労(とろう)に終わったわけだ。

2013年1月5日土曜日

日本人のせいで製品・商品の仕様が変わった事例(その1):モンブランのマイスターシュトゥック#149

万年筆のペン先は、その国の言語に応じて、適したものがある。いや、その国の規範的な筆記体の字体に応じて、適したものがあるといったほうがよいかもしれない。いや、これも、あやしい。こういうペン先を使っているから、そういう筆記体の字体となったのかもしれない。

それはともかく、ずいぶんと昔のことだが、フランスでは22金や20金のペン先が多かった。フランス語の筆記体は、英語の筆記体と較べ、じつに丸っこい。丸っこい筆記体を書きたいがために、22金や20金という柔らかいペン先が好まれたのか、それとも、22金や20金のペン先を使っているから、丸っこくなったのかは、不明である。

ところで、22金などの表現の意味は、金が100%の場合、24金で、22金だと金の含有量が24分の22ということで、18金は24分の18で、14金は24分の14ということである。

一方、ドイツの万年筆のペン先は14金が主流である。因果関係ははっきりしないが、ドイツ語の規範的(きはんてき)な筆記体は、グキグキとした、直線的なものである。

モンブランMont Blancのフラッグシップ(旗艦製品(きかんせいひん))であるマイスターシュトゥック149 Meisterstück #149のペン先は、もともとは、14金であった。

ドイツ語の筆記体を書くのに適していた。

また、個人的には、一般の18金のペン先よりもちょっとだけ微妙に硬い書き味が好きだし、なんていうのかなあ、日本の気候・風土に合っていないのに、無理をして海外の流行を追いかけるがごとき被虐趣味的(ひぎゃくしゅみてき)なよろこびもあった。

ところが、そのモンブランが、あるとき、#149のペン先を18金に変えた。

#149が最も売れているのが、日本であり、日本製の万年筆の主流は18金のペン先だったからだ。モンブランは日本に媚(こ)びるために、18金のペン先に変更したのだった。

このように、日本市場を見据(みす)えて、製品の仕様を日本に合わせた高級ブランドは数多い。

ドイツの万年筆製造会社にペリカンPelikanというのがあるが、ここも14金のペン先のものもあるが、18金のペン先の製品も増やしているし、フランスのメーカーも18金のペン先を備(そな)えた製品を増やしている。

高級ブランドの日本仕様が世界標準化しつつあるわけだ。

これは、よくないことだ。舶来品(はくらいひん)を買う楽しみが減ることになる。たとえば、フランス製だから、こういうところがこうなっているんだな、と思う楽しみが少しずつ減ってしまう。

現在、日本語を書くのに、対費用効果(たいひようこうか)の点で、最もすぐれているとされるのは、パイロット万年筆エラボーElaboであり、その輸出仕様であるNamiki Falcon(ナミキ=ファルコン)である。この万年筆のペン先は14金である。じつは、加工技術によって、柔らかい14金のペン先も作れるし、硬い18金のペン先も、優秀な企業であるならば、自在(じざい)に作れるのだ。

モンブランが18金のペン先に変更したのは、万年筆に詳しくない日本の富裕層(ふゆうそう)への売り上げを増やすためのものであったということがわかるだろう。どういうわけか、万年筆のペン先は18金だと思い込んでいる日本人が多いのだ。これは「18金ペン、プラチナ」という広告の影響だろう。

日本に媚(こ)びる高級ブランドは、いずれ、衰退(すいたい)するような気がなんとなくしている。事実、神田の金ペン堂は、モンブランの万年筆を扱わなくなった。むろん、これは、近年、モンブランの経営者が変わって、製品を改悪したのが原因らしい。

まあ、モンブランの万年筆は、今は、買わないのが無難(ぶなん)だろう。


2013年1月3日木曜日

映画監督が選ぶベスト映画で小津安二郎の『東京物語』が1位となった理由

 世界最古である英国映画協会British Film Instituteは1933年に設立され、1952年からは、10年毎(ごと)に「映画監督が選ぶベスト映画」ならびに「批評家が選ぶベスト映画」を発表している。

「映画監督が選ぶベスト映画」で小津安二郎の『東京物語』が1位となった。この作品が名作であることには異論はない。しかし、これまでの映画で1位となると、頭をかしげてしまう。

2002年のときには、トップ10に入っていない。黒澤明の『羅生門』『七人の侍』がトップ10入りしていたのに、なぜか、黒澤作品はトップ10からなくなり、『東京物語』が1位となったのだ。

2012年の結果はつぎのとおりであった。

1位 『東京物語』小津安二郎監督
2位 『2001年宇宙の旅』スタンリー=キューブリック監督
3位 『市民ケーン』オーソン=ウェルズ監督
4位 『8 1/2』フェデリコ=フェリーニ監督
5位 『タクシードライバー』マーティン=スコセッシ監督
6位 『地獄の黙示録』フランシス=フォーロ=コッポラ監督
7位 『ゴッドファーザー』フランシス=フォーロ=コッポラ監督
7位 『めまい』アルフレッド=ヒッチコック監督
9位 『鏡』アンドレイ=タルコフスキー監督
10位 『自転車泥棒』ヴィットリオ=デ=シーカ監督

10年前にはトップ10に入っていなかった作品が、いきなり、1位である。

調べてみたところ、「映画監督が選ぶベスト映画」を選んだ映画監督が高齢化したのが、理由だった。10年間の2002年よりも10歳は齢(よわい)を重ねた監督たちである。

多数がすでに老境となっている。

『東京物語』の大雑把(おおざっぱ)な梗概(こうがい)をしたためる。

年老いた夫婦が東京にいる長男・長女の家を訪れるが、日々の生活に忙しく、長男・長女は両親をかまってくれない。戦死した次男の嫁だけが、仕事を休んで、観光案内をする。

これだけではないが、実の息子・娘に邪険(じゃけん)に扱われる場面が多い。

選考委員である映画監督たちが高齢化し、『東京物語』で描かれているようなことを経験することによって、身につまされるようになったのだろう。日本人と較べて、ヨーロッパ人は、親を邪険に扱う傾向が強い。

息子・娘から邪険に扱われるようになった高齢の映画監督が、『東京物語』を高く評価したということらしい。

若手監督が選ぶベスト映画となると、何が1位になるのだろうか? ちょっと気になる。





2013年1月2日水曜日

NHKの受信料の不合理さ

 NHKにかぎらず、テレビは観(み)ないので、うちにはテレビはない。だから、NHKの受信料を払う必要はない。

 ところが、最近、NHKがウェブ上(つまりインターネット上)で、動画が閲覧できるようにしている。

 どうやら、将来は、インターネットに接続しているのだから、NHKの動画に関する「インターネット受信料」を狙っているような気がする。

 地上波のNHKの放送に関しては、スクランブルをかけろという意見が少なくない。

 たとえば、勝手に郵便で商品を送りつけて、金を払えと請求してきたら、違法だろう。

 また、一人暮らしで、テレビを所有しているというだけで、NHKどころか、ほとんどテレビ番組自体を観ない人間と、10人家族でテレビが5台ある家庭とで、受信料が同じというのもおかしい。

 そもそも、受信料という制度は、ごく僅(わず)かな富裕層のみがラジオやテレビを持てた時代の発想である。現代的なシステムを再構築するべきであるはずだ。

2013年1月1日火曜日

先日、うちの女子高校生が石原伸晃の高校時代の成績を推測しようとしていた。

 うちは学習塾・予備校だから、進学に関わる資料はいろいろとある。とはいえ、ちんまりしたところだから、毎年毎年最新の資料を購入するわけではない。むしろ、貧乏塾なので、最近は、保護者に購入するように依頼している。

 先日、女子高校生が慶應義塾高等学校からエスカレータ式にどの学部にそれぞれ何人ずつ進学するのかを調べていた。怪訝(けげん)に思って、理由を訊(たず)ねたところ、尖閣諸島に関しての石原伸晃(いしはらのぶてる)の発言があまりに頭が悪いと思ったので、高校時代のだいたいの成績を推測しようと思ったという。

 尖閣諸島を巡(めぐ)る発言とは、テレビ番組で、領有権を主張する赤い支那が「攻め込んでくるのでは」と訊(き)かれ、「攻めてこない。誰も住んでいないんだから」と断言した件である。

 海底資源を狙(ねら)っているのだから、住人がいるかどうかは関係ないことがわからないほどに頭が悪いと、うちの生徒は思ったのだという。

 彼女は、たまたま平成14年(皇紀2662年、西暦2002年、イスラム暦1422年)の資料を基(もと)に計算した。

 基(もと)になるデータはつぎのもの。
 701人中の進学先である。1.2%くらいは外部受験するようだが、それはとりあえず無視する。

医学部:21名
理工学部:136名
経済学部:173名
法学部:220名
商学部:55名
文学部:30名
総合政策学部:24名
環境情報学部:40名
看護学部:2名


 総合政策学部・環境情報学部・看護学部は、石原伸晃が在籍していたときにはなかったので、除外する。すると、635名がエスカレータ式に進学したことになる。

 文学部以外の学部は、文学部よりも上位とされる学部である。ということは、それらの学部への進学者の合計数よりも低い成績であったと推測できる。もしも、もともと政治家志望であったり、政治家の2世であったりすると、成績がよすぎても、経済学部・医学部・理工学部には進学せず、敢(あ)えて法学部政治学科に進学するというようなことはあるらしい。

 文学部以外の上位学部への進学者数の合計は605名である。文学部進学者は30名である。

 以上のことから、彼女は、635名中605番以下の成績であったにちがいないと推測していた。

 以下は、私の返答。実際に話した内容に、多少、筆を加えている。

 まず、慶應義塾普通部(横浜市日吉にある男子中学部)に合格しているだけでも、地頭はよさそうであるし、むしろ、伸晃は身体(からだ)を張って、勉強をさぼると文学部にしかいけなくなるということを証明し、その結果、弟3人は全員、慶應義塾大学経済学部という看板学部に内部進学をしている。弟思いのいい兄貴じゃないか

 つぎに、勉強ができた者で、政治家として優秀だった人物は少ないとされるということを指摘した。

 第25代・第28代内閣総理大臣だった若槻禮次郎(わかつきれいじろう)は、帝国大学法科(今の東京大学法学部)を平均点98.5点という凄(すさ)まじい成績で首席卒業したが、政治家としてはそれほど評価されていない(関係ないけど、若槻禮次郎が間違えた問題や、あるいは記述問題やレポートで減点対象になった部分が知りたい)。

 民主党の参議院議員・江田五月は、親子2代の極左で、東京大学教養学部時代に自治会委員長として全学ストライキを指揮し、退学処分になるが、学生運動から足を洗うという条件で復学し、東京大学在学中に、司法試験に席次10番で合格、なにかに書いてあったが、司法修習(司法試験合格後、さらに2年間勉強させられて、試験に合格しないと正式に法律家にはなれない)では、首席卒業だったという。だが、政治家としては、子分がいないようである。

 鳩山邦夫(鳩山由紀夫の弟)は、高校3年生のときに受験した代々木ゼミナールの全国模試ですべて1位であった(もっとも、ハイレベルな勉強ができる人間は駿台予備学校の全国模試は受験しても、河合塾と代々木ゼミナールは時間の無駄なので受験しないのだが)。また、東京大学教養学部から専門課程への進学試験でも学年1位で、東京大学法学部政治学科を首席卒業した。ところが、平成22年(皇紀2670年、西暦2010年、イスラム暦1430年)に、新党を結成することも念頭において、自由民主党を離党したが、ついてくる子分がまったくいなかった。なお、鳩山邦夫が25歳のときから、17歳か18歳であった現在の妻・エミリー(旧姓・高見)との交際を開始したという話をすると、女子中学生や女子高校生は「気持ちの悪いロリコン」だと感じるという。25歳で高校生とつき合ったという事実がある以上、女性からの人気が高まることはなさそうなので、首相には相応(ふさわ)しくない器(うつわ)となってしまっている。もっとも、現在のエミリーおばさんの画像を目にすると、羨(うらや)ましいとはだれも思わない状態になっている。許してやれよと思うのだが。

 一般に、頭がよすぎると、決断できなくなる傾向があるようだ。たとえば、政策に関して、A案を採用すれば、成功する確率が35%、B案の場合は38%、C案の場合は40%という場合、もっとデータが集まれば、成功確率が変動して、自信を以(も)って政策を選べるかもしれないと考えて、なかなか決断しないという場合もある。若槻禮次郎(わかつきれいじろう)にしても、満州事変のときに、新手(しんて)を繰(く)り出すことなく、「不拡大方針(ふかくだいほうしん)」を採(と)った(その結果、閣内不一致(かくないふいっち)で総辞職)。一方、頭があまりよくないと、成功確率40%のC案でいくか、となる。それでうまくいかない場合は、つぎからつぎへと新たな政策を繰(く)り出し、多少、どたばたするが、最終的にはうまくいったりもする。

 もちろん、頭がよくて、且(か)つ、政治家として大いなる業績を残した例もある。たとえば、初代内閣総理大臣・伊藤博文(いとうひろぶみ)は、もともとは、水呑み百姓(みずのみびゃくしょう)の倅(せがれ)であったが、神童(しんどう)との噂が流れ、武家(ぶけ)の養子となった。その後の業績は書かなくてもよいだろう。

 石原伸晃自身は、長老議員にはたいそう気に入られているから、失言癖を治して、もう少し慎重に発言するようにすれば、政治家としてもっと大成する可能性もあるだろう。

 3つ目に、勉強が得意でなかったか、あるいは、勉強しなかったか、いずれにしろ、成績はよくなかったけれども、影響力のある政治家として、あるいは有効な政策を遂行(すいこう)した政治家について述べた。

 小沢一郎は東京大学を不合格になり続け、仕方なく慶應義塾大学経済学部に進学した。当時の早慶は、現在と較べると、偏差値で10から15くらい低かったので、その落差はかなり大きい。第1志望校に落ちて、偏差値で15から20低いところに進学したようなものである。小沢一郎は、そこで、はたと考えた、東京大学法学部に進学しても司法試験に合格しない連中がいるのだから、司法試験に合格すれば、見返すことができる、と。大学在学中から法律を勉強し、卒業後は日本大学大学院で法律を学ぶが、司法試験に落ち続けているうちに、国会議員の父親が亡くなり、跡を継いで国政選挙に出馬し、当選した。現在は現職衆議院議員で最多当選回数を誇る。ちなみに、民主党の仙谷由人(せんごくよしと)は、小沢一郎が不合格になった司法試験で、自分が合格しているということを自慢したそうであるが、器(うつわ)のちっこい人物だと思う。

 麻生太郎は、学習院高等科時代、学年でビリから5番以内の成績だと豪語していたが、内閣総理大臣を務めている。リーマン=ブラザーズ=ショック後の経済政策も目を瞠(みは)るものがあるし、噂では、国際基準からすると不当なまでに廉(やす)すぎるテレビ局の電波使用料を英国並に上げようと、裡(うら)で画策しているのがマスメディアに知られ、猛烈な麻生叩きとなったそうだが、もし電波使用料の値上げに手をつけようとしたのならば、政治家として有能であるといえよう。

 安倍晋三は成蹊小学校・成蹊中学校・成蹊高等学校・成蹊大学を一貫してエスカレータ式に進学しているから、あまり勉強していないようである。当時、東京大学法学部の学生であった衆議院議員・平沢勝栄は安倍晋三の家庭教師をしていたが、たぶん、冗談として、あまり成績は伸びなかったというような意味の発言をしている。また、安倍晋三が言うことを聞かないので「定規(じょうぎ)で散々(さんざん)ぶっ叩(たた)いた」という。定規でぶっ叩かれるような子どもって、いったい、どんな子どもだったのだろうか。しかしながら、麻生太郎と同様、マスメディアは報道しないが、安倍晋三の政治家としての功績は大きい。第2次安倍内閣を組閣することになったのも、過去の業績とは無縁ではないだろう。それに、第2次安倍政権成立後、ここ数日で、株価は1万円を超え、日本の経済には好都合な円安が進んだ。見ている人は見ているということだろう。

 第64代ならびに第65代内閣総理大臣であった田中角栄は、大学卒業ではないが、内閣総理大臣になった。本当の最終学歴は夜間の工業学校・中央工学校卒業であるが、高等小学校卒業が最終学歴であるようなイメージをふりまき、「今太閤(いまたいこう)」と呼ばれた。自由民主党で最大派閥を率(ひき)い、政策はともかくとして、「影響力のある政治家」であったことはまちがいない。

 第85代ならびに第86代内閣総理大臣であった森喜朗(もりよしろう)は、小学校・中学校時代はいじめの常連で、勉強はできなかったと本人が述べている。また、父親が早稲田大学ラクビー部(正式名称は、「早稲田大学ラグビー蹴球部(しゅうきゅうぶ)」)の合宿に対して、無償で宿舎を提供していたことから、なぜか、セレクションを受けることなく、スポーツ推薦で早稲田大学第2商学部(夜間)に進学し、膝(ひざ)を負傷したということで、退部して、早稲田大学雄弁会に入る。産経新聞社の就職試験では白紙の答案を提出するも、採用される。こんな人でも、内閣総理大臣になるし、清和会という派閥の親分として、自由民主党内に大きな影響力を持ち続けた。少なくとも力のある政治家である。

 ほかにも枚挙(まいきょ)に遑(いとま)がない。以上のような例を眺めると、勉強のできる・できないと、政治家としての有能さや影響力には、なんの相関関係もないような気がしてくる。

 あ、そうだ。元日だった。ということで、U2のNew Year's Dayを貼りつけておく。哀(かな)しいけれど、前向きな歌だ。

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早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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