2009年8月31日月曜日

なんだかんだと、小池百合子は選挙に強いなあ。

 衆議院東京9区の菅原一秀(自民党)にしても、東京10区の小池百合子(自民党)にしても、選挙に強いとは思っていたが、今回の逆風では、さすがにこのふたりでも、落選の憂き目に遭いそうだと考えていた。両者ともに小選挙区では敗れはしたが、惜敗率90%前後で、比例区での復活当選を果たしている。うーん、強いなあ。

 前回の第44回衆議院選挙で、刺客として、また、落下傘候補として、小池百合子が兵庫6区から鞍替(くらが)えして東京9区から出馬するのに同意したのは、対立候補である民主党公認の鮫島宗明(さめじまむねあき)と小林興起(こばやしこうき、郵政民営化に反対したため自民党の公認が得られず新党日本初代代表代行であった)との両者が、東京大学同期生(小林は1944年1月1日生まれ、鮫島は1943年43年12月3日生まれ)ということから各分野の支援が割れると考え、関西学院大学中退の自分でも勝てると判断したそうだ。
 今回の第45回衆議院選挙でも、新党日本から離党して無所属の小林興起と、民主党公認候補の江端貴子(えばたたかこ)が立候補する予定であったから、反自民票が小林興起と江端貴子に流れ、小池百合子は安泰だと思われたが、直前で、小沢一郎が小林興起に要請して、民主党入りして比例代表東京ブロックからの出馬となり、江端貴子支援にまわった。
 それでも、小池百合子は惜敗率90%台に止(とど)まっている。この状況で、この惜敗率は選挙に強いといえる。

2009年8月30日日曜日

無効票の第1位は「ドラえもん」だった。

 和歌山県橋本市の出身なのだけれど、選挙管理委員会のメンバーの息子から耳にしたところでは、市長選挙・市会議員選挙・衆議院議員選挙・参議院議員選挙のいずれであっても、無効票の最大多数は、いつでも「ドラえもん」であったそうだ。つぎに多かったのがウルトラマンだったという。
 ドラえもんなら、いろいろと便利な道具を出してくれそうだけど、漫画では、道具を利用していい目を見たぶん、のび太は、必ずしっぺ返しをくらっているのだから、ドラえもんに投票するのは、どうかと思われる。
 なんと、まあ、民度の低いところだと思うかもしれないが、本当に民度が低いのである。



いったい、だれが買うんだろう?

2009年8月29日土曜日

電子レンジと電子炊飯器のない生活

 電子レンジと電子炊飯器(でんしすいはんき)なしで、自炊(じすい)をしている。たいていの人には、「困らないのか?」と訊(き)かれるが、べつに困っていない。一般の主婦からすると、電子レンジと電気炊飯器がないのは、面倒きわまりないと感じるらしい。

 炊飯(すいはん)には、文化鍋(ぶんかなべ)を使っている。
 冷や飯があれば、朝食はお粥(かゆ)にする。昼食・夕食では炒飯(チャーハン)にすることが多い。
 文化鍋で炊飯するようになったのは、20年以上前だと、電子炊飯ジャーよりもおいしいご飯ができたからである。もっとも、最近の電子ジャー炊飯器の最高機種は、すこぶるおいしいご飯に仕上がるらしいから、関心はあるのだけれど、わざわざ買おうという気になれないでいる。ちゃんとしたものだと、6万円もするし。 また、炊飯土鍋(すいはんどなべ)にも興味はあるが、一時期、ブーム的に販売されたようなので、値段と品質が一致しないものが多そうなので、手を出す気になれない。

 電子レンジに関しては、電子レンジを使うことを前提としない生活スタイルが身についているので、むしろ、どういう局面で困ることが生じるのか、イメージすらできなくなっている。
 冷えると不味(まず)くなるものは調理しない。ガスなどで温め直しにくいものも調理しない。それだけのことだ。



ひとり暮らしには、このサイズくらいがよいと思う。

2009年8月28日金曜日

どうやら、開成中学校で落ちこぼれないよりも、東京大学文科3類に合格するほうが簡単らしい。

 『教育格差が日本を没落させる』(福地誠著・新書y/洋泉社)をずいぶんと以前に読んだ。開成中学校で落ちこぼれないよりも、東京大学文科3類に合格するほうが簡単らしい。
 著者である福地誠は開成中学校で落ちこぼれて、中学3年生のときに、中学3年生を繰り返すか、ほかの高等学校に進学するかを迫られ、偏差値60台の私立錦城高等学校に進学した。
 進学後は、錦城高校の生徒の中では、勉強のできる生徒になり、ついうっかり勉強したら、東京大学文科3類に合格、のちに、教育学部に進学した。

 開成中学校で落ちこぼれないよりも、東京大学文科3類に合格するほうがよっぽど簡単だという印象を受けた。

 まあ、実際、開成中学校でドロップ=アウトする生徒は80人くらいいるという話も聞いたことがある(巣鴨中学校は30人くらいだそうだ)。

 教育関係の月刊誌で、開成中学校では1年生の1学期中間試験の社会科で、国連加盟国の国名と首都名とを憶えさせるということを読んで、なんというむちゃなことをしている学校なんだろうかと思ったものだが、試験までにちゃんと憶え切れる生徒がうじゃうじゃいるそうだ。

 

2009年8月27日木曜日

パソコンが壊れた。

 機動しようとしたら、つぎのような表示が出た。

次のファイルが存在しないかまたは壊れているため、Windowsを起動できませんでした。:
¥system32¥hal.dll.
上記のファイルをインストールし直してください。

 なんのことかわからない。
 調べようにも、マニュアルがない。簡単なマニュアルはあるが、本格的なものは電子マニュアルということで、パソコン内部にあるから、機動できない以上、読むことすらできない。
 さらには、ウェブで検索することができない。パソコンが起動しないのだから。
 しょうがないから、パソコン購入時の状態に戻す「再セットアップ」をすることにした。パソコンが起動しない以上、必要なファイルのバックアップはとれない。これは仕方がない。
 再セットアップディスクをインストールしようとしたら、CD/DVDドライブの蓋(ふた)が開かない。調べてみたら、Windowsが起動していないときには開かないという。
 Windowsが起動しないから再セットアップしようとしているのに、CD/DVDドライブが使えないのである。
 強制的に蓋(ふた)を開けようと、小さい穴を捜した。その穴にクリックの太さの針金を突っ込めば、強制気に開けることができるはずである。ところが、それがない。
 簡易マニュアルによれば、「ディスクの強制取り出しは、パソコンカバーを取り外して行ってください」とあるから、パソコンカバーを外してみた。その上で、適当にいじっていたら、偶然、CD/DVDドライブの蓋(ふた)が開いたので、ようやく、再セットアップを開始した。

 ということで、うちのパソコンの欠点を列挙する。
1) 機動できないときにマニュアルを見ようにも、電子マニュアルはパソコンを起動しないかぎり閲覧できないし、ウェブで検索することもできない。
2) 再セットアップのときに、ファイルのバックアップがとれなかった。
3) 再セットアップしようにも、Windowsが起動していないかぎり、CD/DVDドライブの蓋(ふた)が開かず、強制的に開けることができない。

 日立製作所のパソコンなんてものもは買いたくなかったのだが、あまりにも強く店の人が勧めるものだから、根負けして買ってしまったのであるが、今後は日立製作所のパソコンなんて、絶対に買うものかと思ったが、とっくの昔にパソコン部門から撤退していた。
 なんか、腹が立つなあ。

2009年8月26日水曜日

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」につづいて「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が公開されたので……

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』につづいて『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』が公開された。「序」だけなら、気にかけることもなかったが、「破」がつづいたので、ヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズのつぎは「急」になると考えられる。
 序破急とは、もともとは雅楽の演奏について用いられたことばであるが、曲を構成する3つの部分のことであるが、これをすべての芸事に通用するものとして論じたのが世阿弥である。世阿弥の著『風姿花伝』ではつぎのように述べられている。

問。能に、序破急をば何とか定(さだ)むべきや。
答。これ、やすき定めなり。一切の事に序破急あれば、申樂(さるがく)もこれ同じ。能の風情(ふぜい)をもて定むべし。先(ま)づ、脇の申樂には、いかにも、本説正しき事の、しとやかなるが、さのみに細かになく、音曲・働きも大方(おほかた)の風體(ふうてい)にて、する/\とやすくすべし。たとひ、能は少し次なりとも、祝言(しうげん)ならば、苦しかるまじ。これ、序なるがゆえなり。二番・三番になりては、得たる風體の、よき能をすべし。殊さら、挙句(あげく)急なれば、揉(も)み寄せて、手數(てかず)にいれてすべし。また、後日の脇の申樂には、昨日の脇に變(かは)れる風體をすべし。泣き申樂をば、後日などの中ほどに、よき時分を考へてすべし。

問い。能で、序破急はどうやって決めるべきなのか。
答え。これは、簡単に決められることである。すべてのものには序破急があるので、申楽もこれと同じである。曲の趣きをもって決めるべきである。まず、最初の申楽には、いかにも、確かな出典をもっていて、しとやかであるが、それほど細やかでなく、音曲・働きも大方の風体にて、するするとたやすくするべきである。祝賀の意を第一にするべきである。いかによい初演の能であっても、祝賀の意が欠けては仕方がない。たとえ能が少し今ひとつであっても、祝賀の意があれば見苦しいことはない。これは、序であるがゆえである。二番・三番になっては、よく心得た風体の、よい演能をするべきである。特に、最後の能は急に当たるので、調子を早め身の動きを力強くして、激しい演技をすべきである。また、つぎの日の初演の申楽には、昨日の初演と違った雰囲気のものをするべきである。涙を誘う猿楽は、つぎの日の中ほどに、よい時分を考えてするべきである。

 有名なアニメ作品の題名に「序」「破」が用いられたことで、序破急が国語の入学試験で出題される可能性が高くなったといえる。
 もともとは雅楽の用語だけれども、世阿弥が有名にしたものだから、雅楽に関してのものとしてではなく、あくまでも「世阿弥が論じたもの」として出題されるだろう。その場合、受験生のレベルにおうじて、ヒントを多くして、序破急を知らない受験生でも考えればわかるようにするなどの工夫をする。ときには、序破急について論じた文章を出題するであろう。
 一方、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』を通じて、序破急を知ったアニメヲタクもいるわけで、単に序破急について訊ねるたけの出題では、アニヲタに利するだけなので、ちょっと変化球で、世阿弥のことばとして有名な「秘すれば花」「初心忘るべからず」などを出題するという手もある。

2009年8月25日火曜日

日中戦争での犠牲者3500万人:中国政府の公式見解だが、自国の軍人の士気に係(かか)わるということに気づいていないらしい。

 1937年から45年までの日中戦争での中国側の犠牲者数は、中国政府の公式見解では、3500万人だ。この犠牲者が、死亡した者だけなのか、死傷者なのか不明だが、ここではどちらでもよい。
 こういった種類の数字は、いろいろあるので、どれが妥当なのかは、ここでは考えないし、ここで取り上げる数字についても、さまざまな説のあるうちから、適当に採り上げる。中国政府がこうした数字を発表しているという点について、さまざまな意見がある。たとえば、被害を大きくすることで賠償請求しようとするものだという説や、反日感情を高めることで国内政治への不満を逸(そ)らすという説があるが、ここでは、こうした数字がもたらす影響について述べたい。
 さて、中国の国定教科書にも、中国側の犠牲者数として3500万人が掲載されているそうである。この数字の真偽はどうであれ、幼少の頃から聞かされていれば、事実だと思うだろう。南京大虐殺にしても、30万人の犠牲者だと信じて疑わないだろう。
 そうした環境で育った者が、万が一でも、日本と交戦状態になったときに(そんなことにはならないでほしいが)、まともに戦えるのであろうか? 3500万人の犠牲者をもたらした軍隊を相手に戦いたくはないと考えるのが一般的ではなかろうか?
 もちろん、日本と中国が戦争状態になるということは考えたくないが、万が一にでも、そういう状態になった場合のことを想定して、戦線に向かう中国軍の兵卒の気持ちを想像してみよう。妄想に近いものだが。

「おれたちは日本のことを『小日本』と馬鹿にしてきたが、日本は戦争に強いか? 20世紀中葉の日中戦争(支那事変)では、3500万人の犠牲者が出たそうだが、日本軍の被害はどれくらいだったのか? 日中戦争は中国が勝ったのだから、5000万人くらいの被害を日本軍は出しているのだろうか?」
「戦死者は45万人くらいだったそうだ」
「えっ。わが国の犠牲者の100分の1程度じゃないか!? 3500万人には民間人も含むとはいえ、それほどの犠牲者が出るまで、わが軍は何をしていたのだ? 弱かったのか? いや、むしろ、それほどまでに日本軍は強かったのか?」
「さあね。ただし、7世紀の唐の時代に、白村江の戦いで、わが国は日本に勝っている」
「なんだ。勝っているんだ」
「1300年以上も昔の話だ。だが、日清戦争では、清軍の戦艦のほうが優秀だったのに敗れている」
「それは、清王朝の女真族の連中が駄目だっただけじゃないのか?」
「どうかな? 日露戦争では、当時、欧州最強といわれたバルティック艦隊を日本海海戦で殲滅(せんめつ)した。日本の戦死者が100人ほどだが、ロシア側は5000人だった」
「戦死者が50倍か。犠牲者が100倍近いわが国よりはましだな」
「モンゴルは13世紀に2度、日本に攻め込んだが、2度とも敗退している。2度目の攻撃では、14万の兵力で攻め込み、12万人が死んでいる。日本の兵力は6万5000くらいだったらしい。13世紀といえば、モンゴルがユーラシア大陸の大部分を支配し、当時の世界の総人口の半数を支配下においた時代だ。それが、日本相手にほぼ殲滅(せんめつ)状態にされたらしい」
「モスクワあたりも版図(はんと)に加えていた当時のモンゴルが日本だけは支配できなかったのか!? 怖ろしい」
「それだけじゃない。南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)って、知っているか?」
「ああ、知っている。30万人が日本軍に虐殺されたやつだろ」
「一説によると、あれはたったの6週間で行なわれたそうだ」
「なんだって!? 1週間あたり5万人を虐殺したわけか。クラスター弾や核兵器のような大量殺戮兵器(たいりょうさつりつへいき)のない時代に、いったい、どうすれば、短期間にそれほどの虐殺ができるんだ?」
「さあね。おれにはわからん。とにかく、日本軍は、それだけのことをやってのけたんだ。硫黄島(いおうとう/いおうじま)の戦いというのがあるが、知っているか?」
「何だ、それは?」
「第2次世界大戦末期に、日本軍が守る硫黄島にアメリカ合衆国軍が攻め込んだ。日本軍の兵力2万2000に対して、アメリカ合衆国軍は約11万の兵力を投入した。アメリカ側は5日で制圧できると考えていたが、実際には1か月以上かかり、損害が2万1000だった日本軍に対し、アメリカ軍の死傷者は2万8000を超えたらしい」
「大戦末期といえば、日本軍には碌(ろく)な装備もなかっただろ? どうしてそれほどの戦果を上げることができたんだ?」
「さあな」
「日本軍の戦死者45万人で、わが国の犠牲者が3500万人。わずか6週間で30万人を虐殺。……おれたちがこれから戦うのは、悪魔のような連中だな」
「違うな。やつらは、悪魔以上だ」

 こんなやりとりにでもなれば、敵前逃亡したくなる。少なくとも兵卒の士気は下がりまくるだろう。
 それにしても、中国は、どうしてこれほどまでの自虐史観で、国民を教育するのであろうか? 3500万人の犠牲者が出るまで、まったくと言ってよいほど有効な手は打っていなかった間抜けな政権であり、軍部であったということを国民に知悉(ちしつ)させてよいものかどうか、疑問を抱いてしまう。
 中国政府は、犠牲者が3500万人と訴えるよりも、歴史的事実を捏造(ねつぞう)してでも、たとえば、日本軍45万人の戦死者に対して、中国軍の戦死者は30万人だったとでも過少に公表して、日本軍は弱いとしておかないと、いざというときに軍人の士気に係(かか)わるのではなかろうか?

 ところで、旧厚生省の資料では、中国本土での日本軍の戦死者は、455,700人となっている。旧満州での戦死者は46,700人だ。中国本土での戦死者は万の位で四捨五入すれば、50万人に、千の位で四捨五入すれば、46万人となるところを、45万人と紹介している。引用しよう。「日中戦争」についての朝日新聞掲載の『キーワード』の解説だ。

……。両国(りょうこく)の死者数は正確には分からないが、中国での日本軍の死者は推計で約45万人とみられる。中国側は1931年の満州事変から45年までを抗日戦争とし、この間(かん)の中国軍民の死傷者について「3500万人余」を政府の公式見解としている。(中略)中国側は国民党と共産党とが「一致抗日」で内戦を停止していた。……。盧溝橋(ろこうきょう)事件が起きると……中国側は徹底抗戦に入った。……。8月には上海(しゃんはい)で戦闘となり、制した日本軍はさらに首都・南京に進撃して12月13日に占領したが……。国民政府は南京から重慶に首都を移し抗戦を続け、共産党の八路軍もゲリラ戦で日本軍と戦った。

 「『一致抗日』して、徹底抗戦し続け、ゲリラ戦も用いて、戦った」のに、日本軍の戦死者45万人に対して、中国側は3500万人もの犠牲者を出したと読める。46万人あるいは50万人とするところで、あえて45万人と小さい数字にしているのは、中国側の戦力の貧弱さを強調することになる。朝日新聞は、思う存分、中国をこけにしているようだ。
 そういえば、今年(2009年)8月22日の記事でも、英国は5万人もの将校を日本軍の捕虜にされたということも書いてあった。第2次世界大戦のビルマの戦いにおける最大の勝利者であるイギリス軍ならびに英連邦諸国軍のことを、そんなふうに書けば、日本軍が強かったと錯覚(さっかく)してしまう。実際は、投入された30万の日本軍兵力のうち18万5000人が戦死している。日本軍は強かったととれるようなことを、朝日新聞は、なぜ、好んで書きたがるのか、私には理解できない。おそろしいまでに歪(ゆが)んだ愛国者に見えるのだが。

追記:基本的に、たまに受験ネタのある「お笑いブログ」なので、誤解のないように。

2009年8月24日月曜日

人民解放軍は「ひとりっ子軍隊」:ひとりっ子政策導入30年

 中華人民共和国で「ひとりっ子政策」が導入されたのは1979年である。2009年で30年が経過したことになる。一人っ子政策が敷(し)かれているといっても、香港・澳門(まかお)では適用されないし、また、少数民族にも適用されない。とはいえ、圧倒的大多数はひとりっ子である。
 30歳以下は、基本的には、ひとりっ子である。となると、人民解放軍の兵卒(へいそつ)は、基本的にひとりっ子であり、人民解放軍は「ひとりっ子軍隊」である。

 ひとりっ子軍隊。

 なんとなく、怖いな。
 自分が指揮官だったとしたら、扱いにくそうで厭(いや)だな。むしろ、指揮はしたくない。
 また、対戦するとなると、一個大隊が従来の軍事常識からは考えられない展開をしそうな気がしてくる。動きが読めない可能性もありそうだ。
 幼少の頃から、困ったことがあれば、両親あるいは祖父母がなんとかしてくれるという発想が身についている人間が圧倒的多数派を占める軍隊である。相当にいいかげんなことをしそうな気がする。
 ところが、適当なことをして展開したにすぎないのに、対戦しているほうは「むむむ、これは……。常識では考えられない展開の仕方をしている。……なにか裏があるのだろうか?」と、悩み始めてしまう可能性もなくはない。
 そんなふうに、場合によっては、プラスに働くこともあるかもしれないが、最終的には、ひとりっ子軍隊であることを踏まえれば、たやすく対処できるようになるだろう。
 今後は、指揮官までもひとりっ子ばかりになりそうだ。
 もともと弱いということで有名な軍隊が、さらに弱体化しそうだ。

追記:「ひとりっ子軍隊」の対義語を考えた。「ひとりの軍隊」だ。これは、AK-47という突撃銃assault rifleを開発したミハイル=カラシニコフMikhail Kalashnikovに、M16アーマライトArmaLiteの改造銃を愛用する理由を訊ねられた際のゴルゴ13の答え「俺は一人の軍隊だ」に由来する。すべての作戦は自分で考え、すべてを自分で敢行(かんこう)し、すべての責任を自らが背負う軍隊ということだ。

2009年8月23日日曜日

第2次世界大戦での日本人の戦死者の割合

 第2次世界大戦で、日本人はどのくらい死んだのかと質問された。
 民間人も含めた戦死者・行方不明者の合計は250万人くらいという史料がある(最近は310万人くらいというのが一般的らしい)。当時の日本人の人口、台湾や韓国の人を除いた「現在的基準の日本人」人口は、7200万人くらいという史料がある。大雑把にいって、30人にひとりが亡くなった計算になるから、30人クラスしかなければ、戦争が終わったら、どのクラスでも同級生が、もれなく1名が亡くなっているということになる。
 そんなことを述べたところ、反応が2つにわかれた。

1)なんだ、その程度で降伏したのか。だらしない。
2)30人にひとりが亡くなったなんて、たいへんな戦争だったようだ。

 1)については、17世紀の30年戦争では、ドイツの人口が3分の2くらいになったそうだから、それと較べれば、大したことはないといえなくもないが、このあたりは、人命の重さをどう考えるかによるだろう。

追記:日本が降伏したのは、原子爆弾を2発落とされた上に、日ソ不可侵条約を破棄して、ソビエト社会主義共和国連邦(要するに、露西亜)が侵攻してきたからである。

2009年8月22日土曜日

「性ビールサービス」

 近所に「軍鶏八(しゃもはち)」という店がある。入ったことがないから、よくはわからないが、「軍鶏(しゃも)」とあるのだから、ちょっとした高級焼き鳥屋なんだろう。その店のチラシが、開店10周年記念ということで、郵便受けに投げ込まれてあった。手書きの原稿をコピー機で複写したものだった。

「このチラシをご持参の方に、性ビールサービス」

「性ビール」とは、いったい、何なんだろうかと、一瞬、悩んだが、どうやら、「小生ビール」、つまり、「生ビール(小)」、あるいは、「生ビール、小ジョッキ」のことらしい。しかし、手書きの文字が、どう見たって「性ビール」にしか見えないのだ。
 はじめは、小学校のときに漢字の稽古(けいこ)をきちんとしていない人が書いたものかとも考えたが、ほかの部分の文字は、むちゃにひどくはない。
 そうなると、考えられることは、ひとつだ。
 店側の意図的な作戦だ。つまり、わざと「性ビール」と読めるようにして、客を誘(おび)き寄せる作戦だ。
「性ビール」とは、いったい何なんだと思った客がやって来て、ひととおり註文をしてから、読み上げるのは恥(は)ずかしいので、チラシの「性ビール」を指差しながら、「これも願いします」と言って、ちょっとわくわくしながら、何が出てくるのかを期待しながら待つ。すると、小さなジョッキに入った生ビールが出てきて、客は「性ビール」ではなく、「小生ビール」=「生ビール(小)」のことだったのかと悟(さと)り、にやりとするわけだ。
 と、まあ、ここまで想像したのだけれど、軍鶏八(しゃもはち)に足を運んでいないので、これが正しいかは不明である。もしかすると、本当に「性ビール」というものが出てくるかもしれない。それがどういうものかは、想像できないが。
 また、この作戦は東京だからできるのであって、関西、とりわけ、大阪でやったら、客が暴れるような気がする。

2009年8月21日金曜日

柿渋石鹸:なんか、いんちきくさいぞ。

 べつに見たくもないのに、やたらと目に入る広告がある。柿渋石鹸(かきしぶせっけん)だ。

今、40代の男性中心に、通販のみで40万個も売れている。

 まず、「40万個も売れている」と謳(うた)っているが、いつまで経(た)っても、「40万個」のままだ。相当、以前に見たときから、「40万個」のままというのはおかしい。そろそろ、「40代の男性中心に、通販のみで50万個突破!」などになってもよさそうなものだが、その気配(けはい)はない。
 数字を出せば説得力が増すと一元的に考えるのは誤りである。
 たとえば、ブラジリアン柔術のヒクソン=グレイシーRickson Gracieは400戦無敗と称(しょう)していたが、いつまで経っても、400戦無敗から数字が増えずにいた。そのことを指摘されてから「400戦以上無敗」と称するようになった。その後、450戦以上無敗にも、500戦以上無敗にもなっていない。
 ドクター中松こと中松義郎の自称による発明件数もずいぶんと長い間、更新されることなく、同じ数字のままであった。ある人が事務所に電話をかけ、発明件数が増えていないことを指摘し、おかしいのではないかと告げたところ、後日、発明件数が増えたそうだ。
 数字を出すことで説得力を増そうとするのはいいけれども、嘘(うそ)の数字だと、見破られてしまう。

「嘘の三八(さんぱち)」ということばがある。人は嘘を吐(つ)くときに、「3」と「8」を多く使うということだ。実際には「3」と「8」のほかに、「5」も使う。たとえば、数を実際にはかぞえることなく、適当に数字をいう場合、「30人くらい」や「50人くらい」という傾向が強いが、「40人くらい」はない。
 ちなみに、作家の村上春樹は初期の『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』の描写で、むやみやたらと数字を出している。そのことのついて、『ウォーク・ドント・ラン』という村上龍との対談集で、リアリティを出すために、数字を多用したとの発言を村上春樹はしているが、「3」「5」「8」が多くて、むしろ、リアリティのない数字の羅列(られつ)の終わっていることに気づいていないらしい。
「40万個」という数字は「嘘の三八」を逆手にとって説得力のある数字にしたかったのかもしれない。しかし、数字が変わらないままだと、胡散(うさん)くさくなってしまう。

 柿渋石鹸が、そんなに売れているのであれば、広告を出す必要はない。
 通信販売でそれほどまでに売れている商品の広告を出し、註文(ちゅうもん)が激増すれば、生産量を増やさなくてはならないから、工場の生産ラインを改善しなければならず、困ったことになる。
 にも拘(かか)わらず、広告を出し続けているのは、怪(あや)しい。
 この点に関しては、たとえば、サントリーが「伊右衛門」を販売したところ、さしたる宣伝はしていなかったが、あまりのヒットぶりに、ペットボトルそのものの生産が追いつかなくなり、生産ラインの建て直しのために、一時的に工場を閉鎖していることが挙げられよう。一時的な販売停止になっていないところを見ると、広告のわりにはさっぱり売れていないらしいと推測できる。

「通販限定」というのもあやしい。
 それほど人気のある商品であるならば、どこかの商社が乗り出して、一般の販路でもっと売ろうとするのが普通だ。実演販売も行なわず、パイロット=ショップも出さず、通信販売限定のままというのは、説得力がないばかりか、あやしさを倍増するだけである。

 柿渋石鹸には1個(110g)で2,100円もするものがある。
 薬用石鹸ミューズでさえ、コンビニエンス=ストアで買っても、1個135円くらいだったと思う。この1個135円というのは、石鹸のなかでも、高額である。
 柿渋石鹸やオリーブオイル石鹸で儲(もう)けようとするのは、卑(いや)しいとしか思えない。
 ちなみに、柿渋そのものは、純国産の無臭柿渋で、20ℓで31,200円で手に入る。1ℓあたり1,560円だ。100gなら156円だ。探せばもっと廉(やす)いものがあるかもしれない。そんなものを混ぜた110gの石鹸に関して、どこから、2,100円という値段が出てくるのか。



村上龍と村上春樹の対談。絶版だからといっても、この程度の対談がこれほどの高額で取り引きされているということに、村上春樹の人気のすごさをうかがわせる。当人たちが復刊に同意していない点からもわかるように、しょうもない本だよ、これ。図書館で借りて読むだけで充分だ。私は、今よりも若いときに、買って読んだけどね。

追記:いつのまにか柿渋石鹸の売り上げが40万個から50万個に増えていた。しかし、増えないままだとまずいと思ったのだろうが、「50万」というのは、適当に数字をでっち上げる際によく用いられるものなので、理屈ではなくとも、直観的に「胡散臭(うさんくさ)い」と感じる数字なので、いつまで経っても40万個のままよりも宣伝効果は下がるに違いない。かといって、すぐに60万個にすると、「生産設備はどうなっているのか?」という疑念を呼び起こすに違いないから、柿渋石鹸ビジネスは袋小路に入ったと考えても差し支えないだろう。なお、うちの近所のLAWSON 100では「柿渋エキス入り石鹸」が105円で売られているそうだ。(2009.11.09)

追記その2:2010年6月の時点で70万個の売り上げになっていた。7か月で20万個、売り上げたことになる。楽天ランキングの「石けん・ボディ洗浄料」部門の第21位が「ミョウバン柿渋石鹸」で累積販売数が68,803個(2010年6月16日)にすぎない。

2009年8月20日木曜日

コロッケとハッシュド=ポテトとポテト=サラダ

 当校の生徒が、ちょっとお腹が空いたからと、近所のファミリー=マートに買い物に行った。生徒が買ってきたのは、牛肉コロッケcroquetteとハッシュド=ポテトhash brownsとポテト=サラダpotate saladであった。

「それ、全部、じゃがいもやないか!? いつの間にドイツ人になったんだ」
「あ、本当だ。なんとなく、食べたいものを買っただけなんだけど」

 けっこうウケていた。
 もしかすると、計算づくの行為かもしれないな。わざとやったのか、無自覚だったのかはともかく、お笑いとして使えるな。
 コロッケとハッシュド=ポテトとポテト=サラダに、さらにフライド=ポテトGB chips/US French friesを加えるというのは、どうだろうか? ここまですると、わざとらしく感じられる。3品(さんしな)が限界だろう。
 さらにジャンボ=フランクfrankfurterを加えると、「おまえはドイツ人か!?」というツッコミが入れやすくなるだろう。

 ドイツ人はじゃがいもKartoffelが好きである。いや、正確には、好きとか嫌いとかではなく、アルプスの氷河によって肥(こ)えた表土が削(けず)り取られているので、土地は貧しく、じゃがいもくらいしか収穫(しゅうかく)できない。フランスの土地は表土を氷河で削られていないので、農業国として君臨している。
 日本でも、戦後に復員してきた人々が痩(や)せた土地に入植・開墾(かいこん)した際、最初の2年間はじゃがいもくらいしか食べるものがなかったというような事例は多い。
 ドイツ人はヴルストWurst(ソーセージsausage)も好きで、ソーセージは豚肉で作るものだが、豚は貧しい土地で育てるのが比較的容易である。
 じゃがいもとソーセージには「貧しい」イメージが伴う。
 ずいぶんと以前のことだが、知り合いのドイツ人に、ドイツ人はじゃがいもをよく食べるようだねえと言ったところ、昔はそうだったが、今はちがうと、いくぶん強く否定されたことがある。ドイツ人自身、じゃがいもに貧しさを感じているのかもしれない。

 私自身は、新じゃがの季節に、いったん、調理したじゃがいもに、とろけるチーズとオリーブオイルを振りかけて、グリルで熱してから、バジルを振りかけて食べるのが好きなんだけど。

  

2009年8月19日水曜日

ロイヤル=ブルーとブルー=ブラック

 万年筆のインクは、ブルー=ブラックblue-blackしか使ったことがない。
 ブルー=ブラックというのは、濃い藍色(あいいろ)、あるいは暗藍色(あんらんしょく)のことだが、これはほかの色と違って、経年劣化(けいねんれっか)することなく、いつまでも色褪(いろあ)せない。
 一方、ロイヤル=ブルーroyal blueは、簡単に色褪(いろあ)せてしまう。ロイヤル=ブルーは、英国の王室に因(ちな)む色で、明るい感じの青色だ。癒(いや)し効果もある色だそうだ。
 知り合ってから、かれこれ、20年以上になる友人は、ずっとロイヤル=ブルーのインクで手紙を送ってくる。電子メールが多くなったが、今でも、ときどき、航空便で手書きの手紙が届く。
 ロイヤル=ブルーのインクが好きなのは、彼女の場合のように、女性に多いように思う。綺麗な色なんだけど、色褪(いろあ)せる。

 

2009年8月18日火曜日

無理に大学に進学しないほうがよい場合

 今は、大学が700以上もある。大学の進学率も男性の場合は50%を超えている。
 同じ会社で、大学卒業者が優遇されているのを見て、なかには、自分の子どもは大卒にしたいと考える高卒がいるのは理解できる。しかし、聞いたこともないない大学に進学させることに意味はあるのであろうか? たぶん、それほどの意味はないだろう。親のコネで入社する場合を除けば、聞いたこともない大学・知名度のない大学に進学しても意味はない。
 就職に関して、「大卒枠」「高卒枠」というものがある。
 学力・能力が低く、向学心が高くないのに、大学に進学すると、「高卒枠」の就職には応募できない。
 大学中退という学歴のフリーライターがゴミ収集の仕事に応募したところ、「高卒枠」の仕事だということで、書類選考で落とされたそうだ。彼によれば、大学中退なのであるから、「高卒枠」は大丈夫だと思っていたのだが、大学中退ということは、大学に進学するために必要な入学金などが出せるような家だということで、書類で落とされたそうだ。
 わからなくもない処置だと思うのだけれど、大学中退者にとっては腹立たしい出来事かもしれない。
 勉学熱心でもないのに、大学に進学・卒業すると、大卒枠の就職試験では筆記試験の点数が足りず、採用されない。
 かといって、高卒枠には応募すらできない。
 となると、「学歴不問」の企業しか就職できなくなる。そういうところは、労働条件が悪そうだ。
 ある予備校講師は、偏差値50以下の大学なら行かないほうがよいと言っているが、これは単に、もっと勉強しろという意味ではなく、本当に、不利な方向に進んでしまうということであろう。少なくとも、そうとも把(とら)えることができる。
 現実問題として、駄目大卒によって、「逆学歴詐称」が横行している。
 横浜市役所では、700人もの職員が、学歴を低く、高卒と偽(いつわ)って採用されていることが発覚した。大阪市役所でも、400人もの職員が、逆学歴詐称によって採用されていることが判明した。ほかの地方自治体などでも同様のことが発覚している。
 こうしたことを考慮に入れると、多少の例外はあるが、戦前から大学であるところを除けば、進学する意味はないような気がしてくる。

2009年8月17日月曜日

真夏にランドセルの新聞広告!?

 8月14日だったと思うが、朝日新聞にランドセルの広告が載っていた。セイバンというメーカーの「天使のはね」とかいうランドセルだった。相当な高級品だ。本革(ほんがわ)ではなく、クラリーノなのに定価59,850円の製品もある。

 それにしても、なぜ、真夏にランドセルの広告なんだろう? 小学校の入学式は半年以上も先だ。

 こんな疑問を抱きつつ、買い物にでかけたら、近所のコンビニエンス=ストアにおでんがおいてあった。こんなに暑いときに売れるのかどうか、店員さんに訊(たず)ねた。
「売れませんよ」
「えっ! じゃあ、どうして売ってるんですか?」
「今の時期から出しておかないと、売れる時期の売り上げが伸びないんです」

 同じ理窟(りくつ)で、ランドセルも早めに広告を打って、認知度を高めておかなければならないのかもしれないと思ったが、どうも、しっくりこない。12月なら、そうだとも考えられるが、8月は、やっぱり、早すぎる。

 その後も、8月のランドセルが頭の隅(すみ)にひっかかっていた。
 8月14日。
 そうか、お盆休みに幼稚園児の孫が遊びに来ているときに、じいさんにランドセルの広告を見せて、その時点で、「よし、おじいちゃんがランドセルを買ってあげるよ」と約束させるのが目的か。
 そうだとすれば、8月15日だと、じいさんというものは戦争特集を読み耽(ふけ)り、ランドセルに目がいかなくなるし、16日だと、孫は自宅に戻っている。8月14日というのが、広告効果が最適になる日付ということになるのだろう。

 繁盛(はんじょう)している(たぶん)会社というのは、こんなことまで考えているのか。

追記:以上のことを8月に考えたのだけど、ちょっと違っていた。9月19日土曜日から23日水曜日までが「シルバーウィーク」で、このときに、祖父母が孫にランドセルを買ってやるのが多いだろうと予想されているそうだ。(2009.09.17)

  

2009年8月16日日曜日

スープは飲むか、食べるか;けんちん汁は飲むか、食べるか

 スープは、英語では「食べる」to eatものだと思っている人が少なくないようだが、そうとはかぎらない。しかしながら、同時に、「食べる」to eatか、「飲む」to drinkかだけで考えているようでは、自然に話すことは身につかない。

『英語達人塾―極めるための独習法指南』(斎藤兆史(よしふみ)著・中公新書)に、つぎの記述がある。

 日本語と英語との差異ばかりが強調された結果、ある英語表現に関して間違った固定観念が生まれることがある。そのいい例がスープの「飲み方」。日本語ではこのとおり、味噌汁やスープは「飲む」と表現することが多い。だが、英語ではスープは「食べる」(eat)ものだと習った人が多いのではないか。オックスフォード大学出版局の『英語の疑問』(Questions of English, 1994)は、Do you eat soup or drink it?という質問に対し、実に明快に答えている。曰く、どちらも正解。コンソメのような薄いスープなら「飲む」だろうし、野菜スープのようなものなら「食べる」。外国人に「けんちん汁は食べるものか飲むものか?」と真顔で聞かれたら、どう答えたらいいだろうか?
(原文では「味噌汁」の「噌」は、旁(つくり)が「曾」となっている正字体)

 けんちん汁にかぎらず、特定の社会階層では、食べ物はおしなべて「いただく」ものなんだけど。

夕食で、けんちん汁をいただきました。

 外国人に日本語を教えるのであれば、「いただく」で教えるべきであって、「食べる」「飲む」は、論外であろう。下品である。さらには、「いただく」の思想的背景も教えるのがよいだろう。けんちん汁は「食べるものである」あるいは「飲むものである」と結論するようだと、次元の低い問題設定と次元の低い解答でしかないような気がしてならない。

 ついでにsoupについては、to drinkto eatのようなあからさまな表現は下品であり、「食べる」「飲む」のほかにもさまざまな意味のあるto haveを使うものなので、実際の会話では困ることはない。

I had vegetable soup.
野菜スープをいただきました。

For dinner, I had consommé.
夕食に、コンソメ=スープをいただきました。

 著者は英語圏で暮らしたことがないのかと思ったが、インディアナ大学やノッティンガム大学に留学している。もしかすると、研究ばかりしていて、地元の人とあまり話さなかったのかもしれない。

   

 これらの著書が、まっとうなことが書いてある説得力のあるものであることは保証する。著者はスープをいただくようなライフスタイルではないのかもしれないのだけれど。

2009年8月15日土曜日

終戦か、敗戦か

 言うまでもなく、8月15日は終戦記念日だが、本当は「敗戦記念日」とすべきであると、以前から思っている。
 いや、正式な降伏文書への調印は1945年9月2日だから、本来の「終戦記念日」「敗戦記念日」は9月2日にすべきであるといえなくもない。尤(もっと)も大日本帝国軍が武装放棄したのは8月15日だから、実質的には8月15日が敗戦記念日だというのも、わからなくもないが。

 ところで、8月1日から15日までに、ベッドで寝たのが、3回しかない。忙しい。

2009年8月14日金曜日

海軍兵学校出身の社長

『会社四季報―未上場会社版―2009年上期』を図書館でなんとなく借りたら、「最年長社長」という欄があった。ちなみに、『2009年下期』は蔵書してはいるが、貸し出してはいない。
 で、「最年長社長」の欄だが、「最年長」と「最」がついているのに、90歳から78歳までの42名が掲載されている。
「就任年月」を見ると「1954年09月」となっている社長がいる。轟産業の酒井貞美という人だ。55年間も社長をやっているわけか。さすが、未上場会社だな。
「出身学校」を見ると、「台北帝大院(理農)」となっている人がいる。これは、たぶん、台北(たいぺい)帝国大学大学院だろう。当時なら、正字体で「壹北帝國大學」だ。なんとなく、かっこいい。
 海軍兵学校出身の社長が2人もいた。
 ひとりは埼玉建興株式会社の武井清という人で、もうひとりは、タチバナという会社の鎌田嘉作という人だ。
 鎌田嘉作は第76期生だというのは「海軍兵学校出身者名簿」でわかったが、武井清は見つからなかった。
 うーん、どうしてなんだろう。16歳から19歳の受験年齢の制限があるので、そのあたりのところは調べたのだけど。婿養子(むこようし)になったり、改名をしたりしたのだろうか?

  

2009年8月13日木曜日

人体実験としての原爆投下

 広島・長崎への原子爆弾投下には、人体実験としての側面が大きかった。
 広島にはウラニウム型原子爆弾が、長崎にはプルトニウム型原子爆弾が投下された。
 この点を指して、アメリカ合衆国は「人体実験」を行なったと見なすことができる。
 もしも、効率よく攻撃するのであれば、重量が少なくて済むウラニウム型原子爆弾に統一し、さまざまなサイズのウラニウム型原子爆弾を事前に製造しておいて、広島での結果に基づいて、小倉あるいは長崎に投下するのであれば、このくらいのサイズのものが最も効率的であると計算することができる。
 にも拘(かか)わらず、敢(あ)えてプルトニウム型の原子爆弾を投下している。これは、種類の違う原子爆弾による殺傷力を比較するための人体実験だと考えられても仕方がない。
 こうしたことを、少なくとも、30年前の日本では教育現場では教えていなかった。被爆国ではないドイツでは、ごく普通に教えられていたにも拘(かか)わらず、である。
 ところが、うちの生徒からの話によれば、最近では、原子爆弾による人体実験という説明が、公立中学校でも教えられるようになっているそうだ。

 

2009年8月12日水曜日

携帯電話をどこにしまうか:おっさんと若者の違い

 若者は携帯電話を、後ろのポケットであれ、前のポケットであれ、ズボンのポケットに入れる傾向がすこぶる強い。

 一方、おっさんは胸のポケットに入れる。

 おっさんが携帯電話を胸のポケットにしまうのは、ズボンのポケットだと、自動車に乗ったり、椅子に腰かけたりした際に、いくぶん、邪魔に感じるからであるらしい。胸ポケットがあるから、そこにしまい込む。

 若者は、胸にポケットのない服を身につけていることが多い。Tシャツには胸ポケットがない。すると、胸にポケットのある服を着ても、普段の習慣から、ズボンのポケットに携帯電話をしまい込む。
 この場合、席に着いたときに、携帯電話が邪魔に感じないのかと思うのだが、中学生や高校生は、ごく当たり前に、ポケットから取り出して、机の上に置く。一般の大人からすれば、そうした行為は面倒くさいように感じるのだが、若い場合は、気にならないようだ。そういうものだと思っているのだろう。

 おっさんは携帯電話を胸のポケットにしまい込み、若者はズボンのポケットにしまい込む。周囲を観察すれば、確かにその傾向があるということに気づくだろう。これは、男性の場合であって、女性の場合については、観察していないので、細かいところは不明。

 ちなみに私はというと、スナップ式ベルトループつきの小さいポーチに携帯電話を入れている。おっさんでも若者でもないスタンスだ。

追記:この記事の内容に関して、うちの生徒から、スナップ式ベルトループつきポーチを吊(つ)り下げるのは、ジョギングおやじと山歩きおやじに限定されるという指摘を受けた。そのどちらでもない私の立場は?

  

2009年8月10日月曜日

お金か、愛情か:どっちを選ぶ?

 以前に住んでいたマンションの同じ町内に、ある程度以上に漫画を読む者であれば、だれでも知っているほどの著名漫画原作者の自宅があった。まあ、西武池袋線沿線には、漫画家が多いんだけど。

 たとえば、手塚治虫は豊島区南長崎3丁目(当時は椎名町5丁目)にあったときわ荘に住んでいたことがあるし(最寄り駅は東長崎駅)、東長崎駅が最寄り駅となるところに『バビル2世』『三国志』で有名な横山光輝も住んでいた。手塚治虫は、その後、富士見台駅の近くに住み、仕事場も富士見台にあった。
 『タッチ』のあだち充や『はじめの一歩』の森川ジョージは桜台駅の近くに住んでいるという噂である。
 『あしたのジョー』のちばてつやの仕事場は今でも富士見台駅の近くにある。
 ちばてつやの弟で、『キャプテン』『プレーボール』のちばあきおの自宅は練馬高野台駅のすぐそばにあるし、『ど根性ガエル』の吉沢やすみの住居は石神井公園駅が最寄り駅だ。
 『臨死!!江古田ちゃん』の作者・瀧浪ユカリは日本大学藝術学部写真学科出身だから、江古田駅界隈に住んでいたのだろう(今でも住んでいるかもしれない)。

 それはともかく、西武池袋線沿線には漫画家が多いということを、以前のマンションの近くにある焼き鳥屋で言ったら、同じ2丁目に、くだんの著名漫画原作者の自宅があると教えられた。

「ええっ、じゃあ、あの〇〇〇さんとすれ違う可能性もあるわけですね」と言ったものの、写真を公開していないから、「すれ違ってもわからないな」と言ったところ、焼き鳥屋の親父が、「最近は、事務所(たぶん仕事場のこと)と愛人宅にいるばかりで、滅多なことでは自宅に帰って来ないようです。そうはいっても、高額の生活費を入れているので、揉(も)めることはないようですよ」と言った。

 で、こうしたやりとりを生徒たちに話してから、うちの女子生徒たちにアンケート調査をしてみた。これはあくまでも、仮定の話として、作り上げた条件である。実在の人物とはまったく関係がない。関係ないからね、絶対。

可愛(かわい)い子ども(女の子が好きな場合には女の子、男の子が好きな場合は男の子)がいるとして、どっちを選ぶ?
(1) 愛情に溢(あふ)れ、細(こま)やかなことにも心遣(こころづか)いができ、浮気もせず、家事の半分を手伝ってくれるが、月収30万円・年収540万円(ボーナス込み)の夫
(2) 愛人宅に入り浸(びた)りで、滅多なことでは帰宅しないが、毎月100万円(年間1,200万円)を生活費としてきちんと振り込む、金払いはよいが、愛情のない夫

 当校の女子生徒(中学生・高校生・大学生)は、全員、(2)を選んだ(笑)。

 

2009年8月9日日曜日

当校のすぐ隣にある自動販売機

当校のすぐ隣に自動販売機がある。KIRIN(キリン)のものだ。

すぐ近くに、公営の駐輪場がある。「練馬区立新江古田駅自転車駐車場」というのが正式名称だ。定期券もあるけれど、1回かぎりの使用の場合には、駐輪場を出る際に、100円硬貨を投入しなければならない。100円硬貨を持ち合わせていない人は、KIRINの自動販売機に千円札を投入して、両替のために飲み物を購入する。

その結果、なにかと「つり銭切れ」の表示が出現し、売り上げが頭打ちの状態になっていた。

そのことを、ドリンクの補充担当者(ほじゅうたんとうしゃ)に告げたところ、即座に、釣銭(つりせん)を多く収納できる器具を自動販売機内に装着していた。

夏になって、おふらんすのミネラル=ウォーターVolvic(ヴォルヴィック:関係ないけど、Volvic.co.jpでは「ヴィック」と表記しているのだが、一貫性がない。「ボルビック」または「ヴォルヴィック」のほうがよいような気がするのだが)の330mlのものが自動販売機に入った。ほかの商品は120円なのだが、これは100円だ。

すると、駐輪場の料金支払いのために両替機として自動販売機を利用する人々が、こぞって、100円のVolvicを購入したらしい。すぐさま、品切れになった。飲みたいものがなければ、いちばん廉いものを買うということらしい。

すると、補充担当者は、Volvicのところをひとつからふたつにした。

このまま、Volvicが増えていけば、ミネラル=ウォーターがみょうに多い不思議な自動販売機になりそうで、ちょっと期待している。



2009年8月8日土曜日

ベッドで寝ていない。

 8月1日から8月8日までの間で、ベッドで寝たのは、1日だけだった。あとは、机に突っ伏して寝たか、椅子(いす)に坐(すわ)ったままで寝た。
 疲れが溜(た)まってきた。
 暇なのも辛(つら)いが、忙しすぎるのも辛い。

追記:8月1日から15日までにベッドで寝たのは3日だけだった。

2009年8月7日金曜日

日本が欧米の殖民地(しょくみんち)にならなかった理由について考えてみた。(お笑い編)


日本が殖民地にならなかった理由(ちょっと真面目な戦国時代編)


 日本が欧米の植民地にならなかった理由について、「資源のない国だったから」というものが、少なくとも、教育現場では圧倒的多数意見であるようだ。
 まず、ミャンマー(ビルマ)は、見るべき資源がないにも拘(かか)わらず、植民地化された。「資源のない国だから」は充分な理由にはならないだろう。
 尤(もっと)も、資源がないから、フランスは鉄道を敷設(ふせつ)するなど、インフラinfrastructureを整えることはなかった。ほかの元・植民地と較べて経済の発展が遅れているのは、独立した時点での道路や鉄道が充分ではなかったことが理由とされている。

 イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルは、日本人は民度が高いから、殖民地にはできないだろうという主旨の書簡を本国に送りつけている。
 民度が高かったから殖民地にされなかったというのは、少しはあるかもしれない。
 話は逸(そ)れるけれど、日本を殖民地にできるかどうかの可能性を本国に報告するような人物が属していた団体であるイエズス会が運営するような大学・高等学校・中学校(上智大学・上智短期大学・エリザベト音楽大学・栄光学園・広島学院・六甲学院・泰星中学校・泰星高等学校)に進学したいと考える人間の気が知れないと私は思っている。

 また、戦国時代末期には日本には50万挺(てい)の火縄銃があった。世界一の銃大国であり、軍事大国であった。兵農分離(へいのうぶんり)が進んでいない時点では、農民も戦闘に加わった。その結果、成年男子の8割は軍事に関わった。そんな軍事大国を相手に殖民地化(しょくみんちか)を試みる馬鹿はいないだろう。

 さて、日本が明治維新後、欧米の殖民地にならなかった理由である。「切腹」が鍵となると私は考えている。

 神戸事件というものがある。酒鬼薔薇と名乗る神戸の中学生が小学生の首を切ったものも「神戸事件」と呼ばれることがあるが、それではない。
 神戸事件とは、1868年、神戸において、備前藩兵が隊列を横切ったフランス水兵を負傷させ、明治政府初の外交問題となった事件だ。備前藩砲術隊長・瀧善三郎が切腹することで、解決をみた。
 瀧善三郎の切腹は神戸事件を収拾させたのみならず、一大センセーションを捲き起こした。検視にあたった英国駐日公使館書記官ミットフォードAlgernon Freeman-Mitfordが瀧善三郎の切腹の様子を本国に伝え、『イラストレイティッド=ロンドン=ニューズ』(無理やり訳すと『挿絵(さしえ)つき倫敦(ろんどん)新聞』)が報じた。
 ミットフォードは『旧日本の物語』Tales of Old Japanで、瀧の切腹の模様を描写しているので、孫引きになるが、引用しよう。

……軈(やが)て「介錯(かいしゃく)」を左に従えて、滝善三郎はやおら日本人検視役の方へ進み出た。二人は検視役に向かって丁重に辞儀(じぎ)をして、次いで外国人検視役の方に近づいて、同様に一段と丁重(ていちょう)な挨拶(あいさつ)をした。どちらの検視役も厳(おごそ)かな答礼で応(こた)えた。

 そこで、この咎人(とがびと)はゆっくりと威風(いふう)辺りを払う態度で切腹の高座に上り、正面の仏壇に二度礼拝をしてから仏壇に背を向け、毛氈(もうせん)の上に正座した。「介錯」は彼の左側にうずくまった。三人の付き添いの役人の裡、一人が神仏に献げる時に用いる台──三宝(さんぽう)を持って前に進み出た。その三宝には白紙で包まれた「脇差(わきざし)」が載せられている。(中略)長さは凡(およ)そ九寸五分、切っ先と刃はカミソリの様に鋭い。役人はこの三宝を咎人に手渡し、一礼した。善三郎は三宝を両手で頭の高さに迄(まで)捧(ささ)げ、恭(うやうや)しく受取って、自分の前へ置いた。再度、丁重な辞儀を繰り返した後、善三郎は次の様に口上を述べた。其の声には痛ましい告白をする人から予想される程度の感情の高ぶりと躊躇(ちゅうちょ)が顕(あらわ)れてはいたが、その顔色や物腰には少しもその様な様子が見受けられなかった。

「拙者(せっしゃ)は唯一人、無分別にも誤って神戸に於(お)いて外国人に対し、発砲の命を下し、その逃れんとするを見て、再度撃ちかけしめ候(そうろう)。拙者(せっしゃ)今、その罪を負いて切腹致(いた)す。各々方(おのおのがた)には検視の御役目御苦労に存知候(ぞんじそうろう)。」

 再度の一礼の後、善三郎は麻の裃(かみしも)を帯(おび)辺(あた)り迄(まで)脱ぎ下げ、上半身を露(あらわ)にした。慣例通り、注意深く彼はその袖(そで)を膝(ひざ)の下へ敷(し)き込み、後方へ倒れない様(よう)にした。身分のある日本の武人は前向けに倒れて死ぬものとされてきたからである。

 善三郎はおもむろに、しっかりとした手つきで、前に置かれた短刀をとりあげた。一(ひ)と時(とき)彼はそれをさもいとおしい物であるかの様に眺めた。最期(さいご)の時の為(ため)に、彼は暫(しばら)くの間、考えを集中している様に見えた。
 そして、善三郎はその短刀で左の腹下を深く突き刺し、次いでゆっくりと右側へ引き、そこで刃の向きを変えてやや上方へ切り上げた。この凄(すさ)まじい苦痛に満ちた動作を行う間中、彼は顔の筋(すじ)一つも動かさなかった。短刀を引き抜いた善三郎はやおら前方に身を預(あず)け、首を差し出した。その時初めて苦痛の表情が彼の顔をよぎった。だが、声はなかった。

 その瞬間、それ迄(まで)善三郎のそばにうずくまって、事の次第を細大(さいだい)漏(も)らさず見つめていた「介錯」が立ち上がり、一瞬、空中で剣を構えた。一閃(いっせん)、重々しく辺りの空気を引き裂(さ)くような音、どうとばかりに倒れる物体。太刀(たち)の一撃で、忽(たちま)ち首と胴体は切り離れた。

 室内寂(じゃく)として声なく、只(ただ)我々の目前に有る最早(もはや)生命を失った肉塊(にくかい)から、どくどくと流れる血潮の恐ろしげな音が聞こえるばかりであった。一瞬前迄(いっしゅんまえまで)の勇者にして礼儀正しい偉丈夫(いじょうぶ)は斯(か)くも無残に変わり果てたのだ。それは見るも恐ろしい光景であった。

「介錯」は低く一礼し、予(あらかじ)め用意された白紙で刀を拭(ぬぐ)い、切腹の座から引き下がった。血塗られた短刀は、仕置きの血の証拠として、厳(おごそ)かに持ち去られた。

 こうしたことを見せつけられたヨーロッパ人は、ちょっとビビっただろう。
 ちょっとしたことをきっかけにして、いわば難癖をつけて、少しでも刃向(はむ)かえば、それを口実に、神戸を香港や澳門(マカオ)のような租借地(そしゃくち)となっていた可能性がある。そればかりか、殖民地化されていた可能性もある。
 それを防いだのが、瀧善三郎正信なのだ。

 ところが、欧米列強の日本殖民地化計画は終わることはなかった。
 堺事件だ。
 これは、土佐藩士など29人が11人のフランス人を殺傷・溺死させた事件だ。これに対して、フランス公使レオン=ロッシュは20人の切腹を要求した。
 森鷗外の『堺事件』には以下の記述がある。

 呼出の役人が「箕浦猪之吉」と読み上げた。寺の内外は水を打ったように鎮(しずま)った。箕浦は黒羅紗(くろらしゃ)の羽織に小袴(こばかま)を着して、切腹の座に着いた。介錯人馬場は三尺(さんじゃく)隔(へだ)てて背後に立った。総裁宮以下の諸官に一礼した箕浦は、世話役の出す白木の四方を引き寄せて、短刀を右手(めて)に取った。忽(たちま)ち雷のような声が響き渡った。
「フランス人共聴け。己(おれ)は汝等(うぬら)のためには死なぬ。皇国のために死ぬる。日本男子の切腹を好(よ)く見て置け」と云ったのである。
 箕浦は衣服をくつろげ、短刀を逆手(さかて)に取って、左の脇腹へ深く突き立て、三寸切り下げ、右へ引き廻して、又三寸切り上げた。刃が深く入ったので、創口(きずぐち)は広く開いた。箕浦は短刀を棄てて、右手を創(きず)に挿し込んで大網(だいもう)を掴(つか)んで引き出しつつ、フランス人を睨(にら)み付けた。
 馬場が刀を抜いて項(うなじ)を一刀切ったが、浅かった。
「馬場君。どうした。静かに遣れ」と、箕浦が叫んだ。
 馬場の二の太刀は頸椎(けいつい)を断って、かっと音がした。
 箕浦は又大声を放って、
「まだ死なんぞ、もっと切れ」と叫んだ。この声は今までより大きく、三丁位(さんちょうくらい)響いたのである。
 初から箕浦の挙動を見ていたフランス公使は、次第に驚駭(きょうがい)と畏怖(いふ)とに襲われた。そして座席に安んぜなくなっていたのに、この意外に大きい声を、意外な時に聞いた公使は、とうとう立ち上がって、手足の措所(おきどころ)に迷った。
 馬場は三度目にようよう箕浦の首を墜(おと)した。
 次に呼び出された西村は温厚な人である。源姓、名は氏同(うじあつ)。土佐郡江の口村に住んでいた。家禄四十石の馬廻である。弘化二年七月に生れて、当年二十四歳になる。歩兵小隊司令には慶応三年八月になった。西村は軍服を着て切腹の座に着いたが、服の釦鈕(ぼたん)を一つ一つ丁寧(ていねい)にはずした。さて短刀を取って左に突き立て、少し右へ引き掛けて、浅過ぎると思ったらしく、更に深く突き立てて緩(ゆるや)かに右へ引いた。介錯人の小坂は少し慌(あわ)てたらしく、西村がまだ右へ引いているうちに、背後から切った。首は三間ばかり飛んだ。
 次は池上で、北川が介錯した。次の大石は際立った大男である。先ず両手で腹を二三度撫(な)でた。それから刀を取って、右手で左の脇腹を突き刺し、左手(ゆんで)で刀背(とうはい)を押して切り下げ、右手に左手を添えて、刀を右へ引き廻し、右の脇腹に至った時、更に左手で刀背を押して切り上げた。それから刀を座右に置いて、両手を張って、「介錯頼む」と叫んだ。介錯人落合は為損(しそん)じて、七太刀目に首を墜(おと)した。切腹の刀の運びがするすると渋滞なく、手際の最も立派であったのは、この大石である。
 これから杉本、勝賀瀬、山本、森本、北城、稲田、柳瀬の順序に切腹した。中にも柳瀬は一旦左から右へ引き廻した刀を、再び右から左へ引き戻したので腸(はらわた)が創口(きずぐち)から溢(あふ)れて出た。

 こうした凄惨(せいさん)な場面に遭遇(そうぐう)したフランス人の心持ちはどんなものだったんだろうか? 
 11人の切腹が終わった時点で、立ち会っていたフランス軍艦長のプティ=トゥアールPetit Thouarは中止を要請している。本人の日記によれば、土佐藩士への同情を感じつつも、このままでは土佐藩士が英雄視され、逆効果であると考えて、中止させたという。また、一説には、日も暮れた帰途に襲撃されることを怖れたからともされている。

 現代の日本人が、仮に、逆の立場だったら、どうだろうか? そんなことはないだろうが、あくまでも、仮定として、殖民地化のために、いろいろと嫌がらせをしたのに、刃向かうことなく、従容(しょうよう)として、それも切腹という作法で、死に赴(おもむ)かれたら、これは怖(おそ)ろしいだろう。
 少なくとも、この連中が本気になったら、どうなるかわからないと考えるだろう。
 こんなところに、日本が殖民地されずに済んだ大きな理由があると考えているのだが、どうだろうか?

追記:お笑いネタのつもりで書いたところ、本気で反論しているのをウェブ上で見つけたので、いずれ、真面目なものをしたためたいと考えている。

日本が殖民地にならなかった理由(ちょっと真面目な戦国時代編)

  


2009年8月6日木曜日

笑っている人と怒っている人:どちらが怖(こわ)いか?

 笑っている人と怒っている人とでは、どちらが怖いかと訊くと、小学生は「怒っている人」と答える。

「ちくしょう! あの野郎! 今度、逢ったら、ただじゃおかねえぞ!」
 そんなことを言いながら通りを歩いている人がいても、ちっとも怖くない。

「うへ、うふふ……あははは……」
 こんなふうに、ひとりで笑いながら歩いている人がいたら、これは、なんとなく、怖い。原因・理由が見えにくいものに、われわれは恐怖を感じる。

2009年8月5日水曜日

上達すると受講料が廉くなるベース教室

 うちの中学生・高校生がエレクトリック=ベース=ギターを買ったというので、ベース教室に関係するものを検索してみたら、上達すると受講料が廉くなるベース教室が見つかった。しかも、共同運営者が、知っている人だった。
 子安フミと瀬川信二のベーススクール
 このレッスン料の体系はおもしろいと思った。「レッスン料」ではなく、「料金表」と表記している点も興味深いと思った。

 工業製品は製造にかかる作業工数と材料費で製品の値段が決まる。材料費が同じであれば、手間がかかるかどうかで、値段が変化する。
 芸術作品は、作業工数では値段は決まらない。芸術的価値によって、値段が決まるらしい。芸術的価値というのが何なのか、よくわからないが。

 音楽も芸術である。となれば、「芸術作品の価格体系」に準じた受講料体系であってもおかしくない。
 実際、ヴァイオリンの個人レッスンでは、上達すると、特別な技術を教えるということから受講料が上がる場合がほとんどである。また、教える側のレベルが高いからなのか、東京藝術大学出身者・桐朋学園大学出身者のレッスン料は、他大学出身者よりも高い傾向があり、さらに有名音楽院留学経験があると、さらに高くなる一方、たとえば、特定の音楽大学出身者の場合は比較的廉い傾向にある。
 「教える側の手間」とは関係なしにレッスン料が決まるようだ。

 上達すると、レッスン料が上がるのは、ほかの人には教えられない「奥義」などを伝授するからであろうと推察するのであるが、このベース教室の「姿勢」は、何に由来するものなのだろうか?
 ヴァイオリンやピアノと違って、エレクトリック=ベース=ギターが、あくまでも「庶民的な楽器」だからだろうか? それとも、クラシック音楽的もったいぶったところ(本当はべつにそんなことはないと思うけど)に対するアンチ=テーゼとでもいうようなものを提示しようとしているのであろうか?

 ところで、ベース教室の共同運営者の子安フミ(子安文)が出てくる本や本人の本を、以前、読んだことがある。以下に挙げたもの以外にも数冊読んである。

   

  

 関係ないけど、リットーミュージックって出版社は「全知識」ということばが相当に好きらしい。『ベーシストのための全知識―本格派を目指すキミに!』『ギタリストのための全知識』『エフェクターの全知識』などがある。よくよく調べてみたら、「全知識」シリーズってのを出していた。

2009年8月4日火曜日

天気とは関係ないが、今年は猛暑ではないようだが……

 ここ数年、地球の温暖化を懸念(けねん)するという見解が囁(ささや)かれているが、今年は、どうやら、猛暑ではないようだ。気候というものは、ちょっとしたことで変動するものだから、今年が冷夏であったとしても、温暖化を否定する要因にはならない。けれども、本当に温暖化していくのだろうかという気になってしまう。
『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』を著した武田邦彦によれば、温暖化よりも、むしろ、寒冷化のほうが問題らしい。
『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』『環境問題はなぜウソがまかり通るのか2』を読むと、世間で言われていることが、ほとんどが誤りで、エコロジーを利用した利権らしいことが書いてあり、説得力があるのだけれど、それならば、どうして、マスコミの論調は、武田邦彦の見解と、これほどまでに違うのであろうかと不思議に思えてくる。
 武田邦彦の見解のほうが説得力があるから、わからないなあという感想を抱いてしまう。

  

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか3』はまだ読んでいない。

2009年8月3日月曜日

薬用石鹸ミューズだけの生活

 うちには、シャンプーがない。リンスやコンディショナー、トリートメントもない。シェーヴィング=フォーム(髭剃(ひげそ)りに使う泡(あわ))もない。

 すべて、薬用石鹸ミューズだけで済ませている。
 べつに困ることはない。

 ところが、最近の若者からすると、リンスどころか、シャンプーすら使わないのは、異常なことだと感じるらしい。そもそも、男がシャンプーを使うようになったのは、いったい、いつなのだろうか?
 サンスターが男性用のトニックシャンプーの販売を開始したのが、1968年で、ついで、花王がトニックシャンプーを販売したのが、1974年だ。1968年のトニックシャンプーまでのシャンプーは、お花の香りなんかがする、いかにも若い女性向けのものしかなかった。それ以前には、シャンプーなんてものを使う男性はほとんどいなかったようだから、石鹸で頭を洗っても、べつだん、困ることはなかったのだろう。

 それはともかく、薬用石鹸ミューズだけで済ましていると、こんな質問を受けることがある。

ミューズで髪の毛も洗っているということは、そんなに黴菌(ばいきん)だらけの頭なんですか?

 この質問はまちがっている(と思う)。
 薬用石鹸ミューズで頭を洗っているのだから、一般の人よりも黴菌の少ない頭になっているはずだ。測定して、確かめたわけではないが。

 

2009年8月2日日曜日

因数分解とフォークボール

 因数分解factorizationならびに平方完成completing the squareで苦労している中学生がいた。そこで、こんなことを言ってみた。

 因数分解と平方完成ができるようになるのは、フォークボールforkballの投げ方をマスターするよりは簡単だろ?

 ところが、フォークボールをマスターする方が簡単だという。
 そこで、野球部所属の高校生に、同じことを訊(き)いてみたのだが、フォークボールをマスターする方が簡単だという。

 いくらなんでも、それはないよなと思いつつも、いろいろと検討したところ、理由がわかった。
 このふたりは、手がでかいのである。一方、私はというと、手がそれほど大きいわけではない。少なくとも、フランツ=リストFranz Lisztの「超絶技巧練習曲」Etudes d'exécution transcendanteが演奏できるほどの手の大きさではない。 
 変化球に関しては、私の手の大きさは、SFF、すなわち、直球と似た軌道・球速で小さく縦に落ちるスプリットフィンガード=ファストボールsplit-finger fastballはマスターできても、フォークボールは相当にむずかしいものらしい。

 場合分けをしてものごとを考えられない人は、若いときに勉強をろくにしていなかった人だと、普段言っているのに、少なくとも、フォークボールに関しては、手の大きさによる場合分けをしていなかったことを反省している。

 ところで、SFFの日本語名は英語の綴(つづ)りと関係なく、「スプリットフィンガード」と「ド」がつくのだろうか?

  

2009年8月1日土曜日

夏の甲子園予選が弱い自慢

私の出身高等学校は和歌山県立橋本高等学校である。

元・女学校なのに、学区ナンバーワン校であるのだが、和歌山県外の人には、元・旧制中学校だった高等学校がナンバーワンではないということで不思議がられる。

この点については別の機会に述べるとして、私が高校生だったとき、うちの高校は野球が弱かった。いや、今でも弱い。

夏の甲子園予選で、連続1回戦敗退の和歌山県記録を更新中だったし、連続無得点イニング数も同じく和歌山県記録更新中だった。

そんな状態なのに、運動部の部活動の予算が、ほかの運動部の数十倍というのはおかしいということで、生徒総会で訴えてみたが、一蹴(いっしゅう)された。

そんなにも弱い野球部だったが、私が1年生のとき、春の県大会で、たまたま準優勝した。

1学年上の投手がすごかったのである(確か、スポーツ推薦で同志社大学に進学したと記憶している)。

その投手はプレッシャーに弱いタイプだったらしく、1回戦敗退で、連続無得点イニング数も更新した。

うちの高校は、第1子長男・第1子長女が多く、さらには元・女学校に由来する校風のせいで、「競争」「戦い」には弱いところがある。

他校の生徒との喧嘩も弱く、逃げ足だけは速い。

私が高校3年生のときの甲子園予選では、試合中に監督が心臓発作を起こした。

花屋の若旦那で、店はまかせっきりで、高校の野球部の監督をしていた。

その監督もプレッシャーに弱いタイプだったらしい。

持病の心臓病をかかえていたのだが、試合中に心臓発作を起こし、救急車が来たりしていた。

私が高校に在籍していた3年間、夏の甲子園予選の連続1回戦敗退と連続無得点イニング数の和歌山県記録を着実に更新中していた

ところで、大阪府立生野高等学校というものすごく勉強のできる高校があるのだが、この高校の出身者の甲子園予選自慢がかっこいい。

野茂英雄が高校2年生のときに、完全試合やったやろ。対戦相手はな、うちやねん

羨(うらや)ましい。

どうせ、野球が弱いのであれば、このくらいの偉業は成し遂げてもらいたいものだ。



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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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