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2014年5月29日木曜日

文字を大きくすると正解率が上がるのだが……。

問題の文字を大きくすると正解率が上がる。これには確かなデータがある。

だから、勉強が得意(とくい)ではない子どもには、文字の大きい教材を与えるのがよい。

ところが、小学生の親の場合、問題がたくさん詰(つ)まっている問題集がお得(とく)だと考えてしまうらしく、それに対応して、出版社も、勉強が得意ではない生徒には適さないサイズの文字で、問題集を出版せざるを得(え)なくなる。

そうなると、勉強が得意でない子どもの場合、無駄に苦労することになる。

こうしたことを知っている親の場合、拡大コピーをして問題を解かせれるということもあろうかと思われるが、自宅にコピー機のあるような裕福(ゆうふく)な家庭では、勉強が苦手(にがて)な子どもは少ない。

うーん、社会の矛盾(むじゅん)を感じてしまう。

ところで、一方、早稲田大学の英語の入学試験の問題は、滅茶苦茶(めちゃくちゃ)文字が小さい。大学受験という制約(せいやく)があるので、高度すぎる内容は出題できないので、文字を小さくすることで、正解率を下げようとしているらしい。

2014年4月30日水曜日

ヘボン式以外のローマ字表記には一体、何があるんだと南カリフォルニア大学の教授が言った。

大学生だったとき、早稲田大学の国際学部で、南カリフォルニア大学の哲学の教授が1年間、客員教授を務(つと)めた。交換留学生の教授版である。

この国際学部というのは、主に英語圏の大学生が交換留学生として在籍しているのだが、日本語に堪能(たんのう)なわけはなく、日本の大学に留学しながらも、英語で授業を受けているだけだった。

その国際学部に、南カリフォルニア大学の哲学の教授が1年間、在籍した。

英会話が好きな日本人の学生が、国際学部の校舎によく出入りしていた。

学生たちが自由に出入りし、雑談をしたりする部屋があった。ある日本人の学生が、南カリフォルニア大学の教授と話をしたところ、この大学の哲学科の学生たちと会いたいと言った。

そう言われた日本人学生が私をその教授に紹介し、哲学科哲学専修の学生数人で、教授の住まいを毎週1回、訪問して、ざっくばらんな講義を英語で受けるようになった。

その教授は、日本に来る前に、日本語会話の本を何冊も読んだ。

すると、どの本でも、「日本語をアルファベットで表記するにはさまざまな表記法があるが、本書ではヘボン式ローマ字を採用している」ということが書いてあった。

日本語会話の本を何冊読んでも、「日本語をアルファベットで表記するにはさまざまな表記法があるが、本書ではヘボン式ローマ字を採用している」と書いてあるばかりである。

それで、その教授は、「ヘボン式以外のローマ字表記には一体、何があるんだ?」と言った。

それで「訓令式(くんれいしき)ローマ字」を教えた。

「『し』をsi(シィ)と表記する訓令式は駄目(だめ)だ。英語を話す人には発音に関して誤解を与える。『し』はshi(シ)でないといけない」とその教授は言った。

いやはや、だから、ヘボン式ローマ字表記で日本語会話を説明しているんだって。

この教授の話は、明日に続く。

2014年4月5日土曜日

綺麗で性格もよいのに、まったく男子学生にモテなかった女子学生の話

大学入学後に、クラスで呑(の)み会を開いた。

たいそう美しく、聡明(そうめい)そうな女子学生がいた。きょうこちゃんだった。指定校推薦で入学したという。

ある男子学生が、指定校推薦で入学したっていうのは、どのくらいの成績だったのかを訊(たず)ねた。

高校の3年間の成績で、「4」がひとつだけで、あとはすべて「5」であったという。

名門高等学校の出身で、それほどの成績ならば、東京大学でも合格できるのはないかというくらいだった。

とはいえ、そんな名門高等学校で、そんな成績だったということを知った男子学生は、畏(おそ)れをなした。

その結果、男子学生は、私を除いて、きょうこちゃんに近づかなくなった。どうも、一般の男子学生は、自分よりも遥(はる)かに能力の高い女子学生が好きではないらしい。

その後、同じクラスのようこちゃんと話をしたときに、うちのクラスの男子学生にモテるのは、それほど勉強が得意と感じれなく、ちょっと弱々しい感じがして、それでも、それなりに可愛いあいこちゃんや、よしこちゃんがモテるだろうと言った。

また、ようこちゃん自身は、男子学生を意識しないでだれにでも話しかけるから、(女に縁(えん)のない)中高一貫の男子校出身の男子学生に言い寄られそうだと指摘した。

すると、1年生の6月の時点で既(すで)に2人から告白されたと言っていた。おもわず笑ってしまった。

その上で、「きょうこちゃんはうちのクラスの女子学生が、あんなふうになりたいと憧(あこが)れる存在なんだろう、性格がよくて、スタイルもよくて、聡明(そうめい)で、顔が小さくて、綺麗だから。でも完璧(かんぺき)すぎて男子学生にはモテないだろうな」と言った。

すると、ようこちゃんは驚いて、「そうなのよ、あんなふうになりたいと(うちのクラスの女子学生は)みんな、憧(あこが)れているのよ」と言った。

ようこちゃんは私がそういうことを言ったことをきょうこちゃんに言った。きょうこちゃんはそのことがうれしかったらしい。

私が授業で、講師の誤訳を指摘したり、鋭(するど)い質問をしたりすると、きょうこちゃんは「掃除機くんって、すごーい」と授業中にあからさまに言った。そういうことが何度もあると、事情を知らない学生は、きょうこちゃんは掃除機くんが大好きなんだと勘違(かんちが)いした。

また、学生食堂でも、よく、私の隣に来ないかと呼ばれた。

女性というものは、自分のことを、性格もスタイルもよくて、知的で、綺麗だと言われると嬉(うれ)しいものであるらしい。しかも、そんなふうに称賛(しょうさん)しても、別段(べつだん)、言い寄ってくることがなければ、面倒な存在ではない。

すると、「消極的に大好きな人」になるようだ。

あるとき、早稲田大学の文学部のスロープ(坂道)で、母方の祖母に写真を送ろうと思って、カメラを持っていって、知り合いに写真を撮(と)ってもらった。祖母に「ぼくは大学で元気にやっています」という報告をするためだった。

そうしたところ、授業を受けに来た学生たちがやって来た。

同じクラスの女子学生たちと、ふたりで並んだ写真をたくさん撮った。

その中で、きょうこちゃんと撮った写真は、うちの女子中学生たちや女子高校生たちからすると、「超ラブラブ」だと思い、てっきり、つきあっていたのだと思ったという。

その後、きょうこちゃんは、ファッション誌の読者モデルとして、登場した。早稲田大学や立教大学は出版社に近いので、読者モデルにスカウトされやすい。

普通の読者モデルは、1ページに4人が掲載(けいさい)されていたのだが、きょうこちゃんは1ページをまるまる独占していた。そのくらいに綺麗(きれい)だった。

それで、面白(おもしろ)いかなと思って、きょうこちゃんが掲載されているそのファッション誌を買って、当該(とうがい)のページに、「超ラブラブ」の写真を挟(はさ)んで、7歳年上の叔母(おば)に送り、「ぼくにもこんな綺麗な彼女ができました」と嘘(うそ)の手紙を送ってみた。

ちなみに、昔は、8人くらいの兄弟姉妹なんてものは普通で、長女の息子と、最年少の叔母とはそれほど年が離れていないということが多い。たとえば、『サザエさん』のタラちゃんからすれば、ワカメちゃんは叔母になるのだが、それほど年齢は離れていない。昔は、そういう状況がよくあったのである。

それはともかく、7歳年上の叔母に、ファッション誌と「超ラブラブ」写真を送ったところ、一族で大騒ぎになっていた。

掃除機はそこそこモテていたけれども、ぶっさいくなのにしかモテなかったとか、こんな美人とそういう関係になるわけがないとかいう意見が出たという。

夏休みに帰省(きせい)したとき、うちの母ちゃんは、きょうこちゃんのことを「この子は、ほんまに別嬪(べっぴん)さんやなあ」と言っていた。

私は早稲田大学時代には、英語では、ひとつを除いてすべてA評定だった。

大学の評定では「優」「良」「可」があるが、早稲田大学の文学部と理工学部では「優」にはA評定の「優」とB評定の「優」があった。私の場合、語学とレポートでは基本的には「A評定」の「優」ばかりだった。

しかし、英語でひとつだけ「B評定」の「優」がひとつあった。

全体で「優」が8割を超え、「A評定」の「優」が65%を超え、GPA (Grade Point Average)が3.76という驚異的(きょういてき)な成績のだったのだから、決して馬鹿ではないのだが、英語で「B評定」の「優」がひとつあったのだ。

その「B評定」だった英語の科目で、「A評定」だったのは、うちのクラスではきょうこちゃんだけだった。こういうのは、どんなに努力しても素質が違うので、どうにもならないのだろう。

まあ、私は他人(ひと)の5倍から10倍の努力をしていただけの努力家にすぎないからなあ。

よく考えると、きょうこちゃんって、楽に単位が取れる科目のときには比較的、手を抜いていたらしい。単位認定が厳(きび)しいとされる科目のときには本気を出して、優秀な成績を修(おさ)めていたようだ。

才能が違うというのは、こういうことだろう。

でもね、才能が違うということを本当に実感するには、努力した人間でなければわからないから、努力したうえで彼我(ひが=相手と自分)の才能の違いを理解するのは、人生の上で大事なことなんじゃないかな。

自分がただの努力家だったということがわかっても、別段、なんとも思っていない。

人生とは、まあ、そういうものだろう。

2014年4月2日水曜日

おばあちゃんの聴講生が早稲田にいたんだけど……。

当時の早稲田大学第一文学部では、2年進級時に、専門課程に進んだ。

哲学科哲学専修では、必修科目として、キルケゴールの『死に至る病』を扱っていた。

呑(の)み会をすることになったので、その案内を作成し、そのコピーを教室で配った。

昨年、その科目を落第して、その年も受講している人たちもいたが、案内を配らないというのは、なんだか仲間はずれにしているようで、悪いので、そうした落第生たちにも案内のコピーを配った。

教室には、白髪頭(しらがあたま)のおばあちゃんもいた。ひと声かけて、その人にも案内を配った。

その人は聴講生(ちょうこうせい)だった。

クリスチャン(キリスト教徒)なんだが、教会での説教は聞くが、学問的にというか、アカデミズムの世界ではキリスト教がどういうふうに説明されているのかに興味を抱き、聴講生になったという。

その人は、高田馬場(たかだのばば)の居酒屋での呑み会にもやって来た。

男子学生は、おばあちゃんには興味がないので、あまり話しかけなかった。私は幹事ということもあって、そのおばあちゃんとある程度は話をした。

見ていると、そのおばあちゃんと積極的に話していたのは、第1子長女ばかりだった。どうも、第1子長女は、この手の心遣(こころづか)いに長(た)けているようだ。

2年生の夏休みに、早稲田大学の大隈講堂(おおくまこうどう)の前で、午後6時から翌日の午前6時まで呑み会をすることにした。各自(かくじ)が酒とつまみを持参するというものだった。

哲学科哲学専修の教授2人を誘ったけれども、夏とはいえ、石の上に坐(すわ)って12時間も呑み会をするというはついていけないということで、参加を断られた。

ところが、このおばあちゃんは、お酒とおつまみをたんまりと持って、やって来た。

途中、大隈講堂の裏にある劇団木霊(こだま)(正式な漢字は木偏(きへん)に旁(つくり)が霊という一文字である)の連中も合流して、おもしろかった。劇団をやっている人たちは基本的には貧乏なので、ただで酒が呑(の)めるとあれば、喜んでやって来る。中島さんという女子学生の劇団員が大好きになったな。

そして、3年生になったのだが、そのおばあちゃんは、よほど楽しかったらしく、哲学科哲学専修の必修授業を受講していた。うちの専修の第1子長女たちが気を遣(つか)って楽しくかまってあげたのが理由だろう。

ドイツ語ができないと単位が取れないイマヌエル=カントの『純粋理性批判』の授業なので、大丈夫なんですかと訊(たず)ねたが、気にしていない様子だった。

まあ、聴講生として受講するには、問題はないし、聴講生の場合、「修了証」が発行され、成績が記される。「修了証」の成績が悪くても、聴講生なのだから、卒業には関係はない。

このおばあちゃんは、4年生になっても、これまた、必修授業の講義に出席していた。

「この授業はフランス語で形而上学(けいじじょうがく)の文献を淡々と読む授業だから、大丈夫なんですか? もっとも、英訳のプリントを配るそうですけど」と言ったが、まったく気にしていなかった。

そのおばあちゃんは、結局、哲学科哲学専修の必修授業を3年間、受講し、哲学専修の呑み会にはすべて出席した。

「私はね、みなさんと一緒に卒業いたしますわ」とそのおばあちゃんは言った。女学校しか出ていないから、大学という雰囲気(ふんいき)が楽しかったと言っていた。

高級住宅地がある芦屋(あしや)のお嬢さんだったそうだ。

2014年3月16日日曜日

学生服の第2ボタンを欲しいという人がいないかと大学の卒業式の日にキャンパスに行ったが、だれからも求めれなかった。

大学生のときに、夏にはリーバイスのジーンズに、ヘインズの白いTシャツ、それにドクター=マーティンの靴だけでいた。リーバイスのジーンズは数本、ヘインズの白いTシャツは10枚くらいあった。ドクター=マーティンの靴も、8穴のブーツから、普通の靴まであった。

それ以外では、学生服でいた。

服を毎日替(か)えるのが面倒だったからだ。ズボンは、大学生活協同組合(生協)で売っていた黒いズボンにした。脚が太いので、一般学生用のものではなく、体育会用の太いズボンを買った。

夏以外では、学生服でいた。一般的に、学生服でいるのは、体育会の運動部の連中と、応援団、ならびに、早稲田精神高揚会(わせだせいしんこうようかい)という変なサークルの連中だけである。

好(す)き好(この)んで学生服を着ているから、詰襟(つめえり)もきちんと留(と)める。いわゆる変形学生服(袖(そで)のボタンが3個以上あるとか、定形(ていけい)よりも長い、あるいは短いなど)は身につけていない。

私は高校生のときの学生服を実家から送ってもらって、ボタンだけを大学のものに変えた。学生服はいわゆる「中ラン」というやつで、普通の学生服よりも裾(すそ)までがちょっとだけ長い。ズボンは体育会用のものだったので、幅が広い。だから、ちょいとばかり変な恰好(かっこう)だった。

しかし、女子校出身者や、制服のない都立高等学校出身には、それがいくぶん妙な学生服だというのはわからなかったようである。

ときおり、近所にある早稲田高等学校(早稲田大学の附属でも系属(けいぞく)でもない)や、当時は早稲田鶴巻町にあった早稲田実業高等学校の生徒が文学部の学生食堂に食事に来た。男子校だから、綺麗な(?)おねえさんのいるところでご飯(はん)をたべようというのであるらしかった。彼らのほとんどは詰襟(つめえり)を留(と)めていないので、簡単にわかった。

卒業式の日に、制服の第2ボタンを求める女子学生がいるのではないかと、学生服でキャンパスをうろうろしていた。式典(しきてん)というものは好きではないので、卒業の式典そのものには出席しなかった。なお、入学式も出席していない。

ところが、キャンパスで出逢(であ)っても、だれからも制服の第2ボタンを求められなかった。

そうしたところ、知り合いの大学院生のおねえさん2人に逢(あ)った。

そこで、学生服のボタンを外(はず)した。

当時は、ボタンを糸でくくりつけるものではなくなっていて、すでに、プラスチックの部品で、裏からカチリと嵌(は)めるだけで済(す)むようになっていたから、学生服のボタンを簡単に外(はず)せるようになっていた。

5つのボタンを混(ま)ぜて、「5分の1の確率で『第2ボタン』が当たります」とやった。

ちょっとばかり嬉(うれ)しそうだった。

先日、そのうちのひとりが、ウェブで検索して、私を調べ、メッセージを送ってきた。「あのときのボタンは今でも大切に持っています」と。

2014年3月14日金曜日

早稲田大学くらいでもサークルの部長・幹事長なら、あちこちの企業から勧誘が来る。

大学の運動部や文化部、ならびにその他のサークルで、部長をしていると、企業からの勧誘を受ける。

私自身、勉強ばかりしていたので、サークルにでも入りたいと思ったが、3年生になってから入るのは、なんだかなあと思った。

そこで、友人と一緒にサークルを立ち上げることにした。

当初は、「現代論理学研究会」にしようと考えたが、早稲田大学には「数学研究会」がなかったので、最終的には「数学研究会」にした。

とはいえ、実際にやっていたことは、現代論理学の勉強だった。

現代論理学のクルト=ゲーデルKurt Gödelの「完全性定理」と「不完全性定理」は理解した。

ちなみに、ゲーデルの「不完全性定理」を解説し、証明方法を説明する授業をしたいと思っているのだが、うちの生徒はだれも興味を示してくれない。

早稲田大学には、「マイル=ストーン」という同人誌を発行しているサークルがある。

毎年、サークル紹介(しょうかい)の同人誌を4月に発行する。

その紹介号に「早稲田大学数学研究会」を掲載した。

すると、全国の企業から、勧誘のダイレクト=メールが連日、おそろしいほど届いた。

「マイル=ストーン」に掲載された住所や電話番号があちこちに流出(りゅうしゅつ)したようである。

早稲田大学くらいでも、サークルの部長なり、幹事長なりを務(つと)めているというのは人望があると判断されるらしい。もっとも、旧帝国大学ほどには評価はされていはいないようであるが……。

2014年2月6日木曜日

サッカー部のことを、早稲田大学では「ア式蹴球部」と呼ぶが、慶応義塾大学では「ソッカー部」と呼ぶ。

一般の大学では、サッカー部は「サッカー部」なんだろう。

けれども、早稲田大学では「ア式蹴球部(あしきしゅうきゅうぶ)」という。

「ア式」というのは、「アソシエーション式」、つまり、「フットボール協会式association式」ということである。

なお、早稲田のアメリカン=フットボール部は「米式蹴球部(べいしきしゅうきゅうぶ)」であり、ラグビー部は「ラグビー蹴球部」という。

一方、慶應義塾大学のサッカー部は「ソッカー部」という。

アメリカ英語のsoccerを、どうやら、イギリス英語読みをしているらしい。

これは、かなり恥(は)ずかしい。

これに対する言い訳として、慶應義塾大学のソッカー部は、「ラテン語読みをしているのだ」と言い張っている。

soccerは、ラテン語では、「病気」という意味らしい。

恥(はじ)の上塗(うわぬ)りだ。

2013年10月9日水曜日

早稲田くらいのマンモス大学なら、あちこちで女子学生に告白してもいいだろうと考えた男子学生の失敗

1年生と2年生の語学などのクラスいた男子学生で、あちこちで女子学生に交際してくださいと告白しまくったやつがいた。

今は、どうなのか知らないが、当時の早稲田大学は1学年1万人の学生がいた(卒業するのは9千人くらい)。そのくらいのマンモス大学でなら、あちこちで告白しても大丈夫だろうと考えたらしい。

彼はひとりっ子で、いとこに女性がいなく、かつ、駒場東邦という中高一貫の男子校出身だった。だから、女性の情報ネットワークの怖(こわ)さを知らなかった。

彼は、まず、同じクラスの女子学生に告白した。

ついで、第一文学部の別のクラスの女子学生にも告白した。

加入したサークルにいる教育学部の女子学生にも告白した。

また、別のサークルで、他大学の学生も入れる、いわゆるインターカレッジ=サークルにいる日本女子大学の女子学生にも告白した。

しかも、告白のことばが同じだった。

初めて、君を見たとき、心が揺(ゆ)れ動きました

なかなか、いい表現だと高く評価するが、生涯(しょうがい)で、ひとりにしか言ってはいけないよな。

彼の失敗の原因は、女性の情報ネットワークの怖(おそ)ろしさを知らなかったことにある。

まず、音羽女子学生会館という、いいとこのお嬢様が入る学生寮が比較的近くにあり、うちのクラスには3人いた。

今はなくなってしまったが、原宿にある東郷神社のそばに、東郷女子学生会館があった。原宿にあり、渋谷にも近い。これもいいとこのお嬢様が入る。うちのクラスには2人いた。

また、東京にある女子学院という高校からは、毎年、早稲田大学には200人以上の合格実績があり、実際に進学するのはどのくらいなのか知らないが、まあ、うじゃうじゃいるのである。

この女子学生情報ネットワークは怖(おそ)ろしいのである。

しかも、女性というものは、告白されると、周囲にしゃべるものなのである。さらに、具合の悪いことに、「初めて、君を見たとき、心が揺れ動きました」という印象的なことばを彼は全員に使ってしまっていた。

以上の経緯(いきさつ)から、女子学生は、みな、彼に近づかなくなった。

3年生になれば、1年生の女子学生なら大丈夫だと、これまた「初めて、君を見たとき、心が揺れ動きました」と告白したが、怖(おそ)ろしき女子学生情報ネットワークにより、やっぱり、玉砕(ぎょくさい)した。

女の子は「自分ひとりだけを見てくれる人」でないと嫌だということが彼はわかっていなかった。

当時の早稲田大学第一文学部は、女子学生が半分にちょっと足りないくらいいたが、女子学生からはまったく相手にされなくなったというか、むしろ、避けられるようになった。

ちょっと不憫(ふびん)に思うが、致(いた)し方(かた)ないな。

なぜ、こんなことを知っているのかって? ある女子学生から聞いたからなんだけど、どういうわけか、私は、男子学生なのに、女子学生情報ネットワークに入っていたからである。

2013年8月28日水曜日

いわゆる「出席カード」を大量にもらって人気者になったことがある。

マンモス大学にかぎらないが、大学では「出席カード」というものがある。出席しているかどうかを点呼して確かめる時間が惜(お)しいので、「出席カード」を助手や副手と呼ばれる者が学生に配り、学籍番号や氏名・専修(専攻)を記入させて、その「出席カード」を回収して、出席したかどうかを確認するのである。

細田守の『おおかみこどもの雨と雪』では、一橋大学がモデルになっている大学で「出席カード」が登場したが、早稲田大学とはちがって、助手などが回収することなく、箱に入れるようになっていたが、こんなことを早稲田大学でやれば、鉛筆で書いた出席カードを取り出して、消しゴムで消して、悪用される。

早稲田大学では助手などが回収するとはいえ、4人掛けの机に3人しかしなくても、どこかから手に入れた出席カードをズル休みする学生が出席する学生に、自分の出席カードを一緒に提出するように依頼するのであった。助手などにしても、忙しいから、いちいち、4人掛けの机に3人しかいないのに出席カードを4枚も出されてもあまり気がつかない。出席点というものがある授業では、出席カードを出しておけば、その分、成績が上がる。

ある教授が、第1回の講義で、助手などを使わず、自分で出席カードを配って、回収した。出席カードを配ったのは、その最初の授業だけだった。

そのとき、「先生、出席カードを何枚か、貰(もら)えませんか?」と私は気楽に訊(たず)ねた。すると、「事務所から叱責(しっせき)されるので、出席カードを学生にやるわけにはいかない。だから、うっかり忘れて帰るので、勝手に持っていってください」とその教授は言った。

というわけで、私は200枚近くの出席カードを手に入れた。古き良きいい加減な時代だったのである。

すると、大量の出席カードを持っているということを聞きつけた学生たちが、私のところにやって来て、出席カードがほしいと言ってきた。私は気楽にわけてあげた。

ものすごい人気者になった。しかし、出席カードがなくなったら、私に話しかけなくもなった学生がたくさんいた。なんだか、悲しい思い出だ。

2013年8月17日土曜日

法律上、国立大学の講師から教授までは「教官」だが、私立大学の講師から教授までは「教員」である。

法律上、国立大学では講師から教授まで「教官」だが、私立大学では「教員」である。

「教員」ということは、高等学校の教師と同じ扱いであるからということで、早稲田大学のある講師が「私立大学に対する差別である」と言っていた。

しかし、「教官」となると、自動車教習所と同じだから、「教員」のほうがましだと言えなくもないと思ったが、言わないでいた。

2013年5月29日水曜日

デーモン小暮閣下の住んでいる高級マンションが判明したときの話

 隨分(ずいぶん)と前の話になるが、デーモン小暮閣下の住んでいる高級マンションがわかった。そういう話は、意外と簡単に入ってくるのだ。うちの近所に住んでいる有名人はだいたい把握(はあく)している。

 その話をしたところ、聖飢魔IIという楽団(バンド)のことを直接的は知らない中学生も興味を示した。

 そして、何人かの中学生が、とある日曜日に、自転車でそのマンションの前まで行って、そのあたりをうろうろした。しかしながら、デーモン小暮閣下らしき人物は見かけなかったが、よくよく考えると、(世を忍ぶ仮の姿である)素顔がわからないのだから、本人が目の前を通ってもわからないということに気づいた。

 なお、その近くで漫画家のやくみつるを見かけたという生徒がいて、世田谷区桜新町に住んでいる人がこんなところを歩いているのだろうかと疑問に思っていたが、デーモン小暮閣下が住むマンションがあるということで、疑問が解消したという。デーモン小暮閣下とやくみつるとは、高校と大学が同じなのである。

 ちなみに、そのマンションの周辺をうろうろした中学生は、私服姿の西武ライオンズの選手を目にしたので、うれしかったという。その高級マンションには西武ライオンズの選手も2人か3人、住んでいるらしい。

2013年4月16日火曜日

所属ゼミをプロフィールに記載する理由:早稲田出身の国会議員

 私立大学では、教員数に対して学生数が多いので、ゼミナール、所謂(いわゆる)ゼミに入れる学生数は限定される。早稲田大学の場合、半分くらいの学生がゼミに入れない所謂(いわゆる)「ゼミなしっ子」になる。

 ゼミなしっ子は、1年生と2年生の成績が悪いか、成績がよかったとしても、人格に問題がありそうだということで、ゼミの面接で落とされたか、そういう学生である。

 半分の学生はゼミに入れない。ということは、ゼミに入っていないということは、真ん中以下の成績であったと考えてよい。この手の連中は就職活動で大いに苦戦する。

 そう考えて、早稲田大学出身の国会議員のプロフィールを読むと、ほとんどの議員は所属ゼミについて書いていない。ということは、ほとんどの議員は、真ん中以下の成績でしかなかったらしいということになる。

 衆議院に関しては、うちの選挙区の隣の選挙区に、菅原一秀(選挙用では「すがわら一秀」という表記を採用している)という国会議員がいるが、彼のウェブサイトには、所属したゼミと何を学んだのかが書かれている。わかる人にはわかるように、勉強ができたということをアピールしているのである。

 一方、国立大学では、学生数に対する教員数が、私立と較べて多いので、だれでもどこかのゼミや研究室に入れるので、その大学の出身者でなければ、あの研究室だから勉強ができたのだろうなどということはわからない。

 しかしながら、私立大学の場合だと、ゼミに入れるのは限られているので、ゼミに入っているというだけで馬鹿ではないということになる。

 ところで、ちょっと前の話だが、立教大学で、ある学生の親が、同じ授業料を払っているのに、うちの子がゼミに入れないのは不公平であると訴(うった)えたそうである。

 全員がゼミに入れるようにすれば、教員数を増やさなければならず、そうなると、授業料は現行よりも3倍以上になるだろう。さらに、だれでもどこかのゼミに入れるとなれば、日本の1流企業の人事部は、この大学では、なんとかという教授のゼミ出身者は能力が低いということを調べあげるので、3倍以上の授業料を払っても、就職の成果は、今と変わらない。そんなことがわからない親が「同じ授業料」というだけで、アホなことを言っていたのである。親子揃(そろ)って馬鹿だったのである。

2013年1月12日土曜日

楽しき早稲田大学


昨日の日付(2013年1月11日)のブログに書き込んだものの、別枠(べつわく)にしたほうがよいと思ったものを、こちらに転載する。

早稲田大学の単位認定がいかに厳(きび)しいかに関するものである。

千葉県にある「普通科普通クラス」偏差値64「普通科選抜クラス」偏差値68の高等学校(国府台女子学院高等学校のことだけど)から早稲田大学法学部に合格したものの、1年終了時の成績に「優」がひとつもなかった。数日に亙(わた)る家族会議が繰り広げられたそうである。

岩手県の名門高等学校(盛岡第一高等学校のことだけど)(偏差値67)出身で、3年間オール5の成績で指定校推薦で早稲田大学第一文学部に進学したものの、「A評定」がひとつもなかった。A評定がひとつもなくても、大人気で、競争率の高いイギリス文学専修には進級できていた。相当に優秀な学生でもA評定が少ないということである。

早稲田大学教育学部を卒業したものの、「優」の上の成績である「秀」がひとつもなく、「優」も片手で数えられる程度であった。欠席せずに真面目に受講して、教場試験も受けたのに、「不可」になるという信じられないことをやってのける男であった。「書き賃(ちん)ぐらい、払え!」と怒っていた。教場試験で答案用紙に文字を埋めたのだから、「可」ぐらいの成績をつけろ、という意味らしい。第一文学部に対する劣等感から、かなり「不正」に近い裏工作(うらこうさく)をして、教育学部卒業後、早稲田大学第一文学部史学科東洋史学専修に学士入学(3年編入)した。しかし、専門外国語の予習ができないばかりか、レ点や返り点、送り仮名(がな)のない白文と呼ばれる漢文の史料(しりょう)も読めないので、中国史の演習授業の予習もできず、授業で訓読(くんどく)するようにと指名されても、まったくできなかった。5月の連休明けから大学に来なくなり、中途退学した。入学金・前期授業料など、80万円くらいで、「早稲田大学第一文学部中途退学」という学歴(正しくは学校歴?)を買ったようなものだった。

成績表を受け取り、学生食堂でカレーライスを食べていたら、テーブルの向かいにいる女子学生2人のうちのひとりが「もう、いったい、レポートで何を書けばAになるのか、さっぱりわからない」と泣きそうな顔で呟(つぶや)いていた。すると、もうひとりが苦々しげに、「私は(丸暗記だけでなんとかなる)語学だけはAで揃(そろ)えることにした。あとは、何を言っているのかわからない授業ばかりだし……」と応じていた。

私が下宿していたワンルームマンションの隣の部屋に、同じ学部の女子学生が住んでいた。彼女の友人たちは、出席しなくても、また、碌(ろく)でもないレポートを提出しても、必ず単位は出してくれるという教授の授業を科目登録した。レポート提出となって、その選択科目を前年度に受講した学生たちから、提出したレポートの下書きを掻(かき)き集めた。ところが、読んでみて、理解できるレポートは悉(ことごと)くD評定のものばかりで、C評定、B評定と成績がよくなるにつれて、何が書いてあるのかわからない部分が増え、A評定のレポートになると、まったく理解できないと、大騒ぎしていた。隣のお姉さんが私の部屋にやってきて、「ねえ、掃除機ちゃん、◯◯先生の□□の授業、去年、とったぁ?」と訊(き)いてきた。去年、提出したレポートの下書きを持って、女子学生で溢(あふ)れるワンルームマンションの一室に足を運んだ。「このレポートの成績、どうだった?」と訊(き)くので、「A評定だった」と答えると、「やっぱり、何が書いてあるのかさっぱりわからないもの」と言う。レポートや試験勉強で忙しいのに、その日の午後は、女子学生たちを相手に、その講義の内容を解説をした(あ、羨(うらや)ましいとは思わないでね。早稲田に美人はいないから)。

女優の小川範子は、公募推薦かなにかで早稲田大学社会科学部に入学した。早稲田祭でライブを行なったのが評価されたそうである。大学在学中は勉学を優先し、極力(きょくりょく)仕事を入れないでいたが、卒業までに5年かかった。ある新聞のインタビューで彼女はこう言った、「早稲田って、本当にすごいですね。あれだけ真面目に勉強したのに、『優』が1個しかなかったんですよ」と。ということは、文学部や理工学部でいうと、ひとつを除いてC評定とD評定しかなかったわけだ。あ、今、これを読んでいて、「可愛(かわい)いから別にいいじゃん」と思ったおっさんは、根拠(こんきょ)はないけど、反省しろよ。

「おいしいカレーライスの作り方」を教場試験の答案やレポートに書いたら、「優」だったという伝説がある。実際に、こうしたことは極稀(ごくまれ)にある。年寄りの教授が、成績の記入する箇所(かしょ)を間違えた場合である。早稲田の場合、この授業は難しすぎて、「可」すらとれる自信がないと、レポートや試験を放棄する学生が多数、存在する。全員が試験を受けていれば、学籍番号順に並んだ成績記入欄を順に埋めていけばいいので、記入ミスは生じにくい。ところが、試験を受けた学生と試験を放棄した学生が混じっているので、目の悪くなった爺(じい)さん先生が記入ミスをするのである。ところが、これを本気で信じていた学生がいた。彼は、前期試験・後期試験・レポートで「おいしいカレーライスの作り方」「おいしいキチンラーメンの作り方」などを書いた。勿論(もちろん)、凡(すべ)て「不可」であった。彼は中途退学して、お笑い芸人になった。ラサール石井である。あ、今、これを読んでいて、「ラサール石井なら、同情に値(あたい)しないな」と思ったおっさんは、根拠(こんきょ)はないけど、反省しろよ。

出席もとらず、学年末にレポートを提出しさえすれば、必ず「可」以上の成績をつける教授は、学生たちから「神」と呼ばれる。しかし、それを遙(はる)かに上回る教授がいた。出席はとるものの、レポートの規定(たとえば、400字詰め原稿用紙8枚から10枚など)を満たしてさえいれば、どんな内容でも、全員に「A」の成績をつけるのだ。その教授は学生たちから、「超越神(ちょうえつしん)」と崇(あが)め奉(たてまつ)られていた。個人的には「超越神」よりも「大日如来様(だいにちにょらいさま)」などのほうがいいと思うんだけど。それはともかく、早稲田大学には「国内留学」という制度がある。一定の年限(ねんげん)を勤めると、授業を一切、担当しなくてよく、教授会などの雑用もせずに、1年間、好きな研究に没頭(ぼっとう)できるのである。「△△という選択科目は『A』が簡単にもらえる」という噂を聞いて、駄目(だめ)な学生が群(むら)がる。ある年、その教授が「国内留学」となった。ところが、駄目な学生たちは「講義要項(こうぎようこう)」(今でいうシラバスsyllabus)を読まないから、その授業の担当者が変わったことに気がつかなかった。替(か)わった教授は、滅多(めった)なことでは「優」(B評定)すら出さない、A評定をもらったという学生もいない、「不可」を連発する、講義内容は難解である。だから、「鬼」と呼ばれていた。第1回の授業に出席した学生たちは、心の中で悲鳴(ひめい)を上げたに違いない。2回目の授業からは、9割以上の学生が出席しなくなった。

1年生のときのフランス語の文法を担当する講師が、こんなことを言った、「100点満点のうち、出席点が30点で、教科書に登場する単語や例文や演習問題およびその解答を全部、憶(おぼ)えておけば、前期試験・後期試験の合計点70点のうち、30点分は確実にとれる教場試験を実施します。全部の授業に出席して、教科書を全部、憶(おぼ)えれば、確実に60点になり、『可』はとれます」と。これは厳(きび)しそうだと思ったが、その講師は東京外国語大学出身で、東京外国語大学では、こんな甘い単位認定ではなかったらしい。実際、4年での卒業率は40%に満たない。その講師は「どんなに能力が低くても、努力を惜(お)しまなければ、『可』は出してあげる心優しいぼく」をアピールしていたのだった。ちなみに、当時、存在したフランス語の教科書でいちばん難(むずか)しいものを使用していた。

哲学科哲学専修(てつがっかてつがくせんしゅう)の必修授業(単位をとらないと卒業できない)で、イマヌエル=カントの『純粋理性批判』Kritik der reinen Vernunftを扱う演習授業があった。通常の筆記試験のほかに、『純粋理性批判』の原書からドイツ語の文章が出題され、訳すという問題も出された。第2外国語でドイツ語選択した者の場合、出題範囲は、『純粋理性批判』の本文全部だった。マイナー出版社Felix Meiner Verlagの所謂(いわゆる)「マイナー版」あるいは「ビブリオテーク版」では、本文が766ページある。また、フランス語・ロシア語・中国語選択者の場合にも、ドイツ語の本文を試験に出題し、訳させるが、心優しいこの教授は、フランス語・ロシア語・中国語選択者には、出題範囲を120ページ程度にしていた。ドイツ語以外の第2外国語を選択した者も、ドイツ語を習得しないと卒業できなかった。ある年度では、3分の1以上が中途退学したという噂がある。

大学1年終了後、政治経済学部や法学部の学生が、急にマスコミ志望になり、マスコミ就職用の専門予備校に通い始めるものが少なからずいた。ちゃんとした一流企業は、当時、3年終了時に「優」が20個以上なければ、指定校でも採用されなかった。この成績では大学3年終了時に「優」20個以上は確保できないと悟(さと)り、こんな成績でも入れる給料のよいところとなると、大手マスコミしかないとなる。だから、高田馬場や早稲田界隈(かいわい)にはマスコミ就職用の専門予備校がある。

理工学部を中心に、大学5年生・6年生になっても、1年次のドイツ語・フランス語を落とし続けて留年しているものがかなりいた。ちなみに2年次以降は、原書講読なので、日本語訳を必死で暗記すればなんとかなったらしい。

中学生や高校生のみならず、大学生にもフランス語やドイツ語の指導をしていてわかったことだが、東京大学・早稲田大学の第2外国語の授業(フランス語とドイツ語、それ以外の言語についてへ不明)は、中堅上位とされる大学(まあ、日東駒専のことだけど)の第2外国語の授業の進み具合と較べて、文法事項が4倍から5倍の速度で進み、1回の授業当たりの内容も5倍くらいである。つまり、20倍から25倍の学習量を要求される。今は、どうなのか知らないが、昔の難関大学は夏期休業がむやみに長かった。7月から9月下旬までは授業がなかった。4月・5月・6月・10月・11月の5か月間の授業だけで、12月には原書講読ができるようにするには、普通の大学の20倍から25倍、勉強しなければならなかったのである。フランス語の場合、京都大学はもっと凄(すご)かった。正確に発音できるようにと、発音専用の授業が、通常の授業のほかに、さらに週1回あって、めちゃくちゃ発音を鍛(きた)えられたそうだ。

当校で週に1回だけ非常勤講師をしていた早稲田大学理工学部数学科の学生は、フランス語やドイツ語とちがって学習の負担が桁違(けたちが)いに大きいロシア語を選択していた。言語学者によると、日本人に向いていない3大外国語は、英語・ロシア語・アラビア語であるとされる。そのロシア語選択者であったのだが、それでも、学部を卒業するときには、数学科60人中6番の成績であった。彼が負担の小さいフランス語かドイツ語を選択していれば、首席卒業していただろうと私は考えているし、当校での彼の教え子たちもそう考えている。その彼が、物理学の授業を受けていたところ、さっぱり内容が理解できなかったことがあった。授業が終わってから、数学科でいちばん物理学が得意な友人に授業内容を説明してくれるように依頼したところ、その学生も理解していなかった。つまり、数学科の学生全員が理解できない物理学の授業だったのだ。真面目な学生たちは物理学科の研究室の助手のところに出向き、懇切丁寧(こんせつていねい)に授業を行なってもらい、やっと理解できたという。

早稲田大学には、学生が100人いれば、上から3番目の学生に授業のレベルをあわせる教授・助教授がゴロゴロいる。1番目や2番目に授業のレベルをあわせないのが、教授・助教授の真心(まごころ)であった。

理工学部数学科で、数学のレポートを課す教授がいて、研究室のドアのところに提出箱を置いておき、たとえば、5月16日午前10時締め切りの場合、午前10時きっかりに提出箱を回収する。午前10時1分にレポートを持ってきた学生には受け取りを拒否した。1分遅れでその科目の落第が決定した学生が数人いた。

数学のレポートなんてものは、ちゃんと理解している学生のものを写せばよいだろうと高(たか)を括(くく)って、他人のものを写して提出した者が少なからずいた。そのレポートはワープロによるものは不可で、手書きでなければならなかった。すると、十全(じゅうぜん)に理解している者が清書するときに、ここでシャーペンを持ち替えるのは不自然だというのが多数あった。学生たちを呼び出し、本当に理解しているかどうかの口頭試問(こうとうしもん)が行なわれ、つぎからつぎへと落第が決定した。

ラミネート加工の学生証を最初に採用したのは早稲田大学である。それ以前には、紙切れの学生証に白黒写真を貼り、割印(わりいん)を押しただけのものだった。ところが、落第しそうな学生が、優秀な学生に学年末試験などで身代わり受験を依頼することが多かった。写真を剥(は)がし、身代わり受験をする学生の学生証の写真を貼りつけるのである。多少割印(わりいん)がずれていても、滅多(めった)なことでは発覚しなかった。しかし、大学当局は、このことに気づき、ラミネート加工を施(ほどこ)して、写真の貼り替えができないようにした。すると、学生証を紛失したといって、身代わり受験をする学生が、新たに学生証を発行するように依頼するようになった。学籍番号が同じで、写真の違う学生証を何枚も持っている学生が出現した。そこで、今では、大学入学時に提出された写真を卒業まで用いる方式に変更し、学生証を紛失したとしても、新たな写真ではなく、入学時にコンピュータに登録した写真の学生証が再発行されるようになったそうである。ところが、高校3年生の写真なので、大学3年生くらいになると、顔つきも雰囲気も変わっていて、本人がどうかを認証するのに、いくぶん、困難を来(きた)すようになった。奇抜な髪型で、髭(ひげ)を生(は)やしたり、奇妙な眼鏡をかけたりをして、本人認証が難しくなるようにすると、似たようなタイプだと身代わり受験ができるらしい。

教場試験で、座席指定がない場合、私はいつも前のほうの席で試験を受けていたので、目撃してはいないが、落第しそうな女子学生は、極限まで縮小コピーしたカンニング=ペーパーをスカートの中に潜(ひそ)ませていたそうだ。友人たちの証言によると、指定校推薦の女子学生に多く見られたという。

落ちこぼれ学生によるカンニングが絶えないので、前期試験・後期試験(学年末試験)の前には、1回でもカンニングが発覚すれば、その年の単位は凡(すべ)て剥奪(はくだつ)される旨(むね)の通達が何度も出されていた。

指定校推薦で早稲田に進学した者が、1つでも単位を落とすと、その高等学校は指定校推薦を取り消される。最低でも5年間は指定校推薦がなくなる。その学部への進学者が一定数に達していれば、5年後に復活する。ところが、以前は、進学校であったものの、近所に進学実績の高い私立の中高一貫校ができていたりして、進学者数が一定数に達しないという状態になっていることがある。その場合、指定校推薦は永遠に復活しない。すると、出身高等学校の近くに実家のある者の場合、なにかにつけて、「昔は早稲田の◯◯学部の指定校推薦があったけど、あそこの家のひとり息子が単位を落としたせいで、1980年から指定校推薦がなくなったそうだ」と、自分の出身高等学校の後輩に言われ続ける。帰省(きせい)して、実家から出たところ、出身高等学校の制服を着た高校生が、「あっ」と言って、こちらを指差(ゆびさ)し、それから、ひそひそを何かを話すということがよくあるという。「あのおっさんのせいで、早稲田の指定校推薦がなくなった」と言われているのではないかと思われ、帰省するのが辛(つら)いと言っている30年くらい前に卒業した早稲田OBがいる。

旧帝国大学合格者がおらず、早稲田大学・慶應義塾大学進学者の数人程度の高校の出身者で、5月の連休・夏休み・早稲田祭(大学祭)の休み・冬休み・春休みに、なにかと帰省して、本人が所属していた高校の部活動に顔を出す早稲田大学の学生は、漏(も)れなく「落ちこぼれ」である。早稲田のしょぼい学部の学生であっても、高校生当時は、その高校では秀才であったという過去の郷愁(きょうしゅう)に浸(ひた)りたくて、むやみに帰省するのである。トップクラスの学生であっても、勉学に忙しく、度々(たびたび)帰省している暇(ひま)はないのである。

卒業論文が期限までに仕上げられそうにない学生がいた。京都大学では、卒業論文にパンチ穴を空けて、紐(ひも)で綴(と)じるだけでよかったが、早稲田大学では、厳(おごそ)かに製本をしたものを提出しなければならなかった。中身がない分、卒業論文の見た目だけは立派なものにするという目的であった。卒業論文を仕上げてから、製本に出すと、どう考えても、論文提出に間に合わない学生が、白紙の原稿用紙100枚を製本業者に製本させて、それを提出し、その後、研究室の助手のところに出向き、白紙のまま製本させたものを助手が教授のところに届けるまでの数日の間に、とにかく、論文を書き込む荒業(あらわざ)をやった莫迦(ばか)が何人もいた。それに気づいた事務所側は、論文提出時に、製本された卒業論文の中に、ちゃんと文字が書いてあるのかを確認するようになった。

卒業論文提出の締(し)め切りの時間になると、卒業論文を受けつけるために指定した教室の鍵(かぎ)を内側からかける。1分遅れを認めると、つぎには2分遅れも認めなければならず、すると、3分遅れも認めなければならず、そうなると、延々(えんえん)と、卒業論文の提出を受け取り続けざるを得(え)なくなる。だから、時間きっかりに受け付けなくなるのだった。3分遅れで当該(とうがい)の教室に来た女子学生たちが、教室のドアをドンドンと叩(たた)きながら、「開けて! 開けて! お願いだから開けて!」と半狂乱(はんきょうらん)になりながら、叫ぶという修羅場(しゅらば)が毎年、繰り返された。ちなみに、男子学生は、意外とあっさりと諦(あきら)める場合が多いようだった。

卒業論文の指導教授と交渉(こうしょう)して、とにかく、400字詰め原稿用紙60枚に文字が書いてあれば、卒業させてもらえるように確約してもらった演劇専修の学生がいた。ところが、何を書けばよいのかわからなかった。冗談で、「30万円をくれるんだったら代筆してもいいよ」と私が言ったところ、翌日、30万円を持ってきた。文字が埋まっていさえすれば卒業できるというくらいのことで本当に30万円を貰(もら)うのは、さすがに気が引けるので、5万円だけ貰(もら)って、代筆した。口頭試問(こうとうしもん)をどうやってクリアするのかと思っていたが、「いやぁ、書いていたときには、それなりの考えがあって、そう書いたはずですが、正確には思い出せません」と誤魔化(ごまか)したそうだ。その論文の内容は、私が見たことのない映画の評論であった。その映画のパンフレットと数人の映画評論家が書いた文章を参考に、見てはいない映画の評論を書いた。それでも、B評定つまり「優」の成績だった。どうやら、演劇専修の学生は、まともな文章が書けないらしい。数年後、用事があって、彼の自宅に電話をかけたところ、息子が落第することなく、4年で卒業できるようにしてくれた恩人として母親が応対(おうたい)したので、ちょっと気まずい感じがしたが、留年すると、前期授業料(たぶん40万円くらい)と残った単位数✕5000円の費用が必要になるので、それをたったの5万円で回避してくれたということで、恩人ということになっていた。

以上、思い出すままに認(したた)めてみたが、なんとまあ、楽しい大学なんだろう。読み返してみたら、笑いがこみ上げてきた。

でもね、高校生のみんな、どうやら、今は、そんなことはないらしいぞ。第2外国語の負担も、ものすごく減っているらしい。だから、地頭(じあたま)が並(なみ)レベルの高校生も、安心して、勉学に励(はげ)み、早稲田に進学して、地獄を見てくれ

私が調べたところ、早稲田大学・一橋大学・東京工業大学・京都大学・大阪大学などには、きわめてハイレベルな授業があり、学生がついていけないものが少なくない。単位認定も厳(きび)しかったりする。ただし、京都大学は、どちらかというと、気楽に「可」は出しまくる。べらぼうに難しい授業が行なわれるのは、どうやら、東京大学への対抗心からであるらしい。東京大学に負けるもんかと、ハイレベルすぎる講義内容になってしまうようだ。しかしながら、一橋大学・東京工業大学・京都大学・大阪大学が東京大学への対抗心から、学生がついてこられない授業を展開するというのは、いくぶん理解できるが、早稲田が、なぜ、そんなことをするのか大いに疑問である(このことを一橋大学や京都大学の出身者に話すと、今のところ、全員が大笑いした。微妙な学歴自虐ギャグでは笑わないように心がけている者でさえ、大笑いしてしまうのである)。

追記:なお、最近になって、学生がついていけない講義をする教授たちに関しては、東京大学に対する対抗心からではなく、ヨーロッパの大学基準で授業をしているのではないかと思うようになった。英国では、大学生の中途退学率は23%だとかいうし、ドイツ共和国の大学卒業平均年齢は30歳である。一方、アメリカ留学組は、それほど厳しい授業をしない傾向があるように思う。アメリカの大学の数学って、極言(きょくげん)すると、精々(せいぜい)のところ、日本の進学校の高校レベルなんだぜ。

2013年1月11日金曜日

一部のマスメディア(マスコミ)は何故、偏向しているのかついて、精神分析の観点から考えてみた。

 ウェブを利用している人たちの間では、マスメディア(マスコミ)が偏向しているのは、最早(もはや)自明であるとさえいえる。

 では、なぜ、マスメディア、即(すなわ)ち、所謂(いわゆる)マスコミと称される新聞・テレビ・NHKなどが、異常なまでに偏向しているのかを、精神分析の観点から考えてみよう。勿論(もちろん)、精神分析は、厳密にいえば、似非科学(えせかがく)にすぎないから、一顧(いっこ)だにされなくてもかまわない。

 まず、マスメディアの人間のほとんどは、大学での勉強ができなかった。地頭(じあたま)が悪かったのである。

 勿論(もちろん)、地頭(じあたま)がよいちゃんとしたジャーナリストはいる。大雑把にいって、新聞学科出身者には立派な人が多いような気がする。成績が悪いから仕方なくマスコミ志望になったわけではないからだ。

 つぎに、反日的な言動をする行なうマスメディアの人間は、家柄(いえがら)や出自(しゅつじ)が悪く、且(か)つ、野心家であったと考えられる。

 さて、曾(かつ)ての日本では、1流企業は人材を効率よく確保するために、指定校制を敷(し)いていた。

 たとえば、「国立大学の旧1期校」からしか採用しないとか、「旧1期校、竝(なら)びに東京6大学と同志社大学と関西学院大学まで」とか、そんなふうに指定校制を敷いていた。

 これは、じつのところ、今でもそうである。建前としてはだれでも入社試験を受けられるということにしていても、リクルート社が運営しているリクナビというサイトでは、就職活動を始めた学生がそこに登録するのだが、偏差値の高くない大学の学生の場合、リクナビに掲載されている1流企業の会社説明会に出席したい思っても、定員が埋まっているからと拒否される。

 ところが、同じ企業の会社説明会に申し込んだ慶應義塾大学の学生の場合は、会社説明会への出席が許可されるばかりか、友人も誘ってくださいと催促(さいそく)される。

 東京大学の学生にいたっては、「東京大学の学生のみなさまには、一般の大学の方々とは別の日に、会社説明会を特別に行ないます。ついては、他大学の方々にこのことについてはお話しないでくださいませ」となる。

 1流企業の指定校に入学できれば、人生は明るくなると思ってしまう。

 ところが、よい人材が集まる優良1流企業の場合、たとえ指定校の学生といえども、大学での勉強で落ちこぼれたものは採用しない。その基準は、大学3年生終了時の成績での「優」の数であった。大学3年生終了時で、「優」が20個なければならなかったのである。その基準を満たせなければ、東京大学だろうが、京都大学だろうが、優良1流企業に就職できないどころか、門前払(もんぜんばら)いされたのである(一部例外はあるらしい)。

 大学3年生終了時に「優」が20個なかった学生が就職できるところは、マスメディア(マスコミ)つまり、新聞社・テレビ局・ラジオ局ぐらいしかなかったのである。あ、それからレコード会社もかな。

 大学によって、多少の違いはあるのだろうけれども、大学3年生終了時で、取得している科目数は、だいたい50を超える。

 それで、「優」というのは、中学の5段階評価の成績表でいえば、「優」は「4」である。「良」が「3」で、「可」は「2」である。「1」は「不可」である。「5」に相当するのは、A評定であり(一部の大学では「S評定」)、「㊝(まるゆう)」であり、「秀(しゅう)」であった。

 今はちがうかもしれないが、早稲田大学の場合、法学部では、「優」の上に「㊝」(文字化けするかもしれないので説明すると、◯の中に「優」の字がある。「まるゆう」と読む)があり、教育部では「優」の上の「秀」というのがあった。第一文学部と理工学部では「A」評定が、「㊝(まるゆう)」や「秀」に相当し、「B」評定が普通の「優」である。

 つまり、大学3年生終了時に「優」が20個ないというのは、中学校の主要5教科の成績でいうと、「4」が2個で、残りの3個が「2」でしかないという成績を下回っているような成績なのである。最低の場合、「4」が2個、「2」が3個(つまり、50の科目のうち、「優」が20個で、「可」が30個)でも、指定校であれば、1流企業の入社試験を受けることができたのである。マスメディアの連中は、それを下回っているのである。

 それって、ただの莫迦(ばか)じゃんと思った人がいるかもしれないが、1流大学での学問を前にしたときには、本当にただの莫迦(ばか)だったのである。

 だから、マスメディアでは、30年先、100年先のことを考えた行動すらできない者が多いのである。自分を高く評価しないこんな社会なんか、壊れてしまえと考えてしまうらしい。だから、反日になる。これは、左翼も同じである。

 勿論(もちろん)成績のよくなかった者が皆(みな)、偏向し、反日になるわけではない。「自分はこの程度のものだったか」と諦観(ていかん)する者もいる。というよりも、寧(むし)ろ、そのほうが圧倒的多数であろう。

 また、頭がよかったために、クラス担任がこの子は大学に進学させるべきであると、親を説得して、本人には強い進学の意志がなく、勉学の意欲もなかったのに、1流大学に進学させられて、大学在学中には勉学以外の好きなことに打ち込み、その結果、成績がよくなかったというのもいるが、そういう者は、別段、1流企業に入れないことで、おかしくはならない。そもそも、1流企業に入りたいとは思っていない。


 1950年代後半から1973年までは高度経済成長期である。製造業に就職するのが花形であった。そうした職種を目指していたものの、「優」が20個なかったから、マスメディアにしか就職できなかった。

 こういう事例がある。中條高德(なかじょうたかのり)アサヒビール名誉顧問の『孫からの質問状 おじいちゃん 戦争のことを教えて』という著書ではつぎのことが書いてある。

……新聞社の就職試験を受けるつもりだと話すと、私の両親、ことに母親は大反対した。新聞記者になどなったら死んでしまうとさえいって、涙を流すのだ。……母には新聞といえばいわゆるアカ新聞、ゴロツキ、いまでいうブラックジャーナリズムのイメージが強くあったのだろう。「新聞などというものは品性下劣な世界で、人間の屑(くず)がやることです」とさえいう。
『孫からの質問状 おじいちゃん 戦争のことを教えて』中條高德著、小学館文庫2002年9月1日初版第1刷発行pp.102-103

 早稲田大学理工学部では、平均評定B以上で、無試験でそのまま大学院に進学できた。また、英国の名門大学院への進学ではGDP3.3から3.6が望ましい。中堅の大学院でも2.7から3.0は必要である。GDP (Grade Point Average)とは、A評定を「4」、B評定を「3」、C評定を「2」、D評定を「1」とし、その合計を総科目数で割るものである。

 このあたりを基準に考えると、早稲田の学生の65%以上は、所謂(いわゆる)落ちこぼれなのである。「マスコミへの就職に強い早稲田」というイメージがあるが、これは間違いである。「マスコミくらいしか就職試験を受けさせてもらえない学生が半分くらいいる早稲田」が正確なところである。また、1万人が入学して9千人が卒業するのだが、大学中途退学者は、10%ではなく、15%くらいであろう。5%分は、学士入学による3年編入で補(おぎな)っている。

 高田馬場や早稲田鶴巻町などにマスコミへの就職用専門予備校があるのも、そういう理由からである。入学時にマスメディア志望でなかった学生が、1年終了時に、突然、マスコミ志望に変わり、そうした予備校に通い出した例をいくつか知っているが、これは、1年終了時の成績からして、3年終了時に「優」を20個、確保できないということが判明したから、このままではまともな会社には入社できないと知って、「マスコミ志望」に転向(てんこう)したのである。


 つぎに、モデル=ケースを考えてみよう。実在の人物をモデルにしているが、推測によるものもあるので、凡(すべ)てが事実であるとは思わないでもらいたい。

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 偉くなりたいと思って、努力したが、立派な国立大学には進学できず、早稲田大学政治経済学部しか行けなかった。なお、共通1次試験導入前は、早稲田大学に限らず、私立大学は、今よりも偏差値が10から15、低かった。早稲田にしか進学できなかったというのは、相当な精神的ダメージがあるわけだ。

 それでも、気をとり直して、勉学に励(はげ)めば、出世コースには乗れなくてもよいから、それなりの1流企業に入社できるかもしれないと思って頑張(がんば)ってはみた。しかし、「優」が20個とれそうになかった。

 それならと、「優」が20個以下でも入れる大手マスコミを志望することにする。

 努力の甲斐(かい)あって、なんとか、朝日新聞社に採用してもらった。周りも「優」が20個以下だから、気後れせずに済むと思うと、入社式が楽しみになった。

 ところが、配属先が社会部だった。そのころの朝日新聞の社長は、政治部出身者が社長になり、そのつぎは経済部出身者が社長になり、そのまたつぎは政治部出身となるという所謂(いわゆる)襷掛(たすきが)け人事であった。つまり、社会部にまわされたということは、はじめから「社長の器(うつわ)」ではあるわけがないと宣告されたも同然である。「優」が20個とれなかった者のなかで、さらに能力が低いと認定されたわけだ。

 さらには、ヨーロッパの言語を習得するには学習能力が低いと判断され、日本人にとって習得が容易(ようい)とされる朝鮮語を学ぶようにと指示される。大韓民国の大学に留学させられ、千葉支局・大韓民国特派員・中華人民共和国特派員になる。パリ支局やワシントンD.C.支局が羨(うらや)ましくてしょうがなかった。

 いくら努力しても、爪(つめ)の先ほども報われない、こんな日本は、壊れてしまえという気持ちになる。

 そして、彼は、朝日新聞の社会面で、日本に重大な悪影響を与える誤報記事を意図的に書いた。
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 朝日新聞などを揶揄(やゆ)することばにつぎのものがある。

学歴社会を批判して、自社は有名大卒のみを採用する。

 ところが、厳密(げんみつ)にいうと、有名大卒といっても「優」が20個なかったのであるから、「高学歴」ではない。高いレベルの学問をこなしていないからである。「高学校歴」でしかない。だから、朝日新聞の社会面では、勉強ができないからといって莫迦(ばか)にするなという論調がみられるのである。彼らは大学レベルの勉強ができなかったのだ。

2009年10月21日水曜日

不況になると文学部の女子学生の割合は高くなるらしい。

 大学の案内なんてものを生徒が持ってきたりするのだが、先日、早稲田のものをちょろっと見てみた。
 早稲田の文学部の女子学生の占める割合が50%を超えていた。
 青山学院あたりの文学部となると、もともと女子教育ということで始まった団体だから、女子学生の割合が70%以上だったりするのだけど、自分が早稲田に在籍していたときの文学部(第一文学部、当時)は、男子学生が50%を超えていたと記憶している。
 経済的な利得だけで考えた場合、男子学生は文学部に集まりにくいが、景気が悪くなると、それに拍車がかかり、男子学生の割合が減るようだ。

 このあたりは、不況になると、都立高校の競争率が上がるのと同じだ。

2009年10月2日金曜日

娘が早稲田と慶應義塾の両方の文学部に合格したとき、早稲田出身の父親は必ず慶應義塾に入れる理由

大学受験において早稲田大学文学部と慶應義塾大学文学部の両方に自分の娘が合格した場合、父親が早稲田出身であると、ほとんどの場合、慶應義塾大学文学部に進学させる。

さまざまな事例を検討しても、その傾向が見て取れるし、早稲田の校友会誌である『早稲田学報』では、記憶しているかぎり、例外はない。

なぜか?

まず、私の知るかぎり、単位認定が慶應義塾よりも早稲田のほうが辛(から)いようである。

娘には苦労させたくなければ、両方に合格したなら、慶應義塾を奨(すす)めるのは当然であろう。

とはいえ、つぎの違いが大きな原因であろう。

慶應義塾の場合、いわゆる「学年割れ」で、1・2年生のときは、横浜市にある日吉キャンパスで勉学に励み、3・4年生のときは、港区の三田キャンパスで勉学に励む。

一方、早稲田の場合、文学部なら、4年間、新宿区戸山キャンパスで過ごすわけだが、「戸山キャンパス」とはいえ、本部キャンパス(新宿区西早稲田)と隣接しているようなものだから、文学部以外にも、政治経済学部・法学部・商学部などと、4年間、一緒だと考えてよい(この場合、教育学部と社会科学部は考慮に入れなくてよい。文学部の女子学生はつき合わないから)。

ここで「4年間、一緒」というのが曲者(くせもの)である。

大学1年生のときに、3年生くらいの学生を見ると、じつに頼(たの)もしく思える(本当は大したことはないのだが)。それで、つい、うっかり、つき合ってしまう。それで、「食われ」たり、「やり逃げ」されたりするわけだ。

とりわけ、父親が女性にモテるタイプであった場合、自分のしたことから考えて、おそろしくて、自分の娘は絶対に早稲田には進学させたくないと考える。

慶應義塾の場合、入学したてのときに、横浜にある日吉キャンパスにいるわけだが、1・2年生だけである。3年生で、落した単位のために来る者はいるにしても、落第している学生はいささかも頼もしくない。ひっかかることはない。

娘を進学させるならば、慶應義塾が早稲田よりも安全なのである。

早稲女(わせじょ、早稲田の女子学生のこと)に、ぶさ……もとい、決して美人とはいえない女子学生ばかりなのは、男子学生に言い寄られることがないと確信が持てる場合にのみ、早稲田に進学させるからである。結果的に、ぶさい……もとい、決して美人とはいえない女子学生が多くなるのだ。


似たような理由から、早稲田出身者の父親は、娘を青山学院高等部には進学させたくないと考える。大学受験なしで大学に進学できる状況で、高校生の男女が同じ教室にいるというのは、すこぶる危険だと考えるからだ。

ちなみに、井上一馬という翻訳家は高校生のときに共学高に通っていたせいで、恋愛にうつつを抜かし、東京外国語大学にしか進学できなかったことを後悔した上で、娘の進学を考える上で、大学附属の共学の高等学校は避けたいと書いていた(と記憶している)。

その点、慶應義塾幼稚舎・中等部に娘を入れたとしても、高校生のなるときには、男子を慶應義塾高等学校に、女子を慶應義塾女子高等学校に進学させて、男子塾生からきちんと隔離(かくり)してくれる。じつに安心のシステムだ。

こうしたことを考慮すると、慶應義塾というのは、本当にうまいことを考えているなあと感心する。

お前は自分に娘がいたら、どうするつもりだと訊(き)かれれば、自分に似ていたら、男子学生にモテるとは思えないから、早稲田に進学してもいいと思っている。こういうことがあるから、早稲女はぶさいく……もとい、美人とはいいかねる女子学生ばかりになるんだろうな。万が一にでも、美人だったら、絶対に早稲田には入れたくないな。

ま、理想をいえば、オックスフォード大学か、ケンブリッジ大学に進学してもらえるとうれしいかな。あそこは、男子学生の出身校であるパブリックスクール(全寮制の私立男子校)の伝統から、男子学生には同性愛者が多いからな。慶應義塾以上に安心のシステムだな。

2009年9月23日水曜日

コンビニ弁当の人気ランキングは、社長や役員の出身大学と関係があった。

 コンビニ弁当の人気と、それぞれの会社の社長や役員の出身大学との相関関係に気づいた。

 まず、結論を述べておくと、おいしいと評価されるコンビニ弁当は、それぞれのコンビニエンス=ストアの役員の多数派出身大学の学生食堂の評価と一致しているという事実に辿(たど)り着いたのだ。

 このことに気づいたきっかけは、ファミリー=マートの最多数役員を輩出している大学が早稲田大学だと知ったことにある。学生時代に、学生食堂はまずいわ、大学近辺の食堂もまずいわで、ろくでもない環境で過ごしているから、まずくても気にならないから、インターネット調査会社のマイボイスコムのアンケート結果で、あまりおいしくないとされたのだろうと思った。
 その調査結果はつぎのとおり。

「どのコンビニ弁当が一番おいしいか」
セブンイレブン 44.4%
ローソン 9.6%
ファミリーマート 8.2%
サークルK・サンクス   4.3%
am/pm 3.2%
ミニストップ 1.4%
ポプラ 0.7%
デイリーヤマザキ 0.5%
スリーエフ 0.2%
その他 1.6%
わからない 25.4%
無回答 0.4%

 店舗数の少ないところを除いて、上位3社について、社長や役員についてつぎのことが言える。

セブンイレブン Seven-Eleven Japan Co. Ltd / 7-Eleven (看板ではELEVEnとなっている。もともとのアメリカのセブンイレブンは7-Elevenと表記するようだ。それにしても、看板のELEVEnは最後がどうして小文字のnなのだろうか?)
『就職でトクする大学 損する大学ランキング 2008年版』によれば、最多数役員を輩出している大学は中央大学である。社長の鈴木敏文(すずきとしふみ)が中央大学経済学部出身ということもあるのだろう。(関係ないけど、微分・積分(びぶん・せきぶん)を教えているときに、「微分・積分、いい気分」と、ときどき言ってみるが、ウケた試(ため)しがない。)

ローソン Lawson Inc.
 代表取締役社長兼CEO(Chief Executive Officer最高経営責任者)の新浪健史(にいなみたけし)は、慶應義塾大学経済学部卒業。ローソンの最多数役員を輩出している大学は不明。親会社はダイエーであったが、現在の筆頭株主は三菱商事である。代表取締役兼CEOの新浪剛史は三菱商事から、ローソンに出向、顧問・代表取締執行役員を経て、代表取締役兼CEOに就任している。慶應義塾出身の執行役員などが多い場合には、代表取締役に慶應義塾出身者を送り込むのが無難だと考えられ、執行役員に慶應義塾出身者が多いとしても不思議ではない。少なくとも代表取締役社長兼CEOは慶應義塾大学経済学部出身である。

ファミリーマート FamilyMart Co. Ltd
『就職でトクする大学 損する大学ランキング 2008年版』によれば、最多数役員を輩出している大学は早稲田大学である。慶應義塾大学出身役員もきわめて多い。ところが、代表取締役社長の上田準二(うえだじゅんじ)は山形大学文理学部出身である。もともと、伊藤忠商事の社員で、所謂(いわゆる)、落下傘社長(らっかさんしゃちょう)だ。役員の2大学閥(がくばつ)が早稲田と慶應義塾なのに、山形大学文理学部出身社長というのは、不思議な気がしたが、早稲田出身を社長にすると慶應義塾出身者から不満が出るし、慶應義塾出身者を社長にすると、早稲田出身者から不満が出そうだから、それ以外からすこぶる優秀な人間を落下傘社長にしたのではないかという充分には根拠のない推測をうちの生徒が披露(ひろう)した。でも、なんだか、的(まと)を射(い)ていそうな気がする。いずれにしても、早稲田出身の役員がいちばん多いそうだ。

 つぎに、それぞれの大学の学生食堂のランキングである。これは朝日新聞社が発行している『2007年版 大学ランキング』に拠(よ)る。

コンビニエンス=ストア 学閥(がくばつ) 学生食堂の評価
セブンイレブン 中央大学 第6位
ローソン 慶應義塾大学  第62位
ファミリーマート 早稲田大学 第74位

 上記の一覧に、コンビニ弁当の支持率を加えると、こうなる。

コンビニエンス=ストア 学閥(がくばつ) 学生食堂の評価 弁当の支持率
セブンイレブン 中央大学 第6位 44.4%
ローソン 慶應義塾大学  第62位 9.6%
ファミリーマート 早稲田大学 第74位 8.2%

 というわけで、コンビニ弁当の評価と、社長・役員の出身大学の学生食堂の評価が、見事に一致していると言える。
 私自身は、化学調味料アレルギーなので、コンビニ弁当は食べないのだが。

 

2009年7月8日水曜日

早稲田大学第一文学部ではレポートの締め切りを守らなくてもよかった。

このブログを始めたときには、毎日、記事をひとつは載せるという方針にしたが、ときどき遅れてしまう。よくよく考えると、昔から締め切りが守れない人間だった。

小学生のときには、夏休みの宿題は8月31日から始めて、9月5日くらいに終わらせていた。宿題を終えるまでは「持ってくるのを忘れました」と言い張っていた。

高校生のときのZ会の通信添削も締め切りを守らなかったし、大学生のときに日仏学院の「上級仏文和訳」の通信添削の講座も締め切りが守れないことがあった。

挙句の果ては、大学時代のレポート提出の締め切りは、あまり守ったことがない。

そんなことで、どうして卒業できたのかと思うむきもあるだろう。

大学1年生のときに、筆が遅いのと、気に入ったものに仕上がらなければ、レポートを提出する気になれなかった。それでも、単位を落とすわけにはいかない。それなのに、第一文学部の事務所提出のレポートであれ、教場提出のレポートであれ、締め切りを守らなかった。締め切りをすぎてから、一定水準以上だと思うものが書き上がった。そうしたレポートを、やけくそになって、教員の自宅に郵送した。

成績表が発行されたところ、締め切りを守らないで、レポートを教員の自宅に郵送した科目が、どれもこれも「A評定(90点~100点)」だった。

締め切りを守っていなければ、それだけで自動的に「可(D評定)」になるとか、A評定の内容だが、締め切りを守っていないのでC評定にするとか、そういうことがあるだろうと思っていたが、レポートはすべてが「A評定」だったので、笑ってしまった。

締め切りを守らなくてもA評定ばかりだったということについて、比較的気楽に話ができる教員(教授・助教授・講師)に大学2年生のときに訊いてみた。真相はこういうことだった。

レポート提出の締め切りが、たとえば、1月20日だとする。レポートを受け取った教員はそれを元に成績をつける。科目ごとに第一文学部事務所への提出の締め切りは違うが、とにかく、教員はしかるべき締め切りに応じて、第一文学部事務所に成績を記した書類を提出する。第一文学部事務所の事務員は、提出された書類に記された成績をコンピュータに入力する。もちろん、入力ミスは避けられないので、一旦(いったん)、入力した成績をプリントアウトして、当該の教員に送りつけたり、手渡したりする。入力ミスがあれば、教員が訂正を加えて、第一文学部事務所に提出する。これの締め切りが3月15日だか、20日だか、そのあたりである。この締め切りの前に、レポートを教員宅に郵送すると、よほど性格の悪い教員でなければ、その内容に応じた成績をつけ、事務所から送られた、入力した成績をプリントアウトしたものに修正を加え、第一文学部事務所に提出する。

ということで、早稲田大学第一文学部(当時の名称、今は「早稲田大学文学部」)では、レポートの締め切りとは関係なしに、3月10日くらいまでに教員の自宅にレポートを郵送すれば、「不可」になることはなかったのである。

以上の話を、早稲田OBにすると、だれもが「学生のときに、知っておきたかった」という。

追記:今でも、締め切りを守らなくても大丈夫かどうかは、確かめていないので、「不可」を喰(く)らっても責任は持てないよ。



2009年6月12日金曜日

学生のときに語学に関して、やった勉強

 大学生のときの勉強について手短に述べよう。
 第2外国語はフランス語を選択した。大学でする予定の勉強に関しては、本来は、ドイツ語を選択すべきであったのだが、そうすると、おそらくは、フランス語にはまったく手を出さないだろうと思ったので、あえてフランス語を第2外国語にしたが、この選択は結果としては間違っていなかった。とりわけイギリスの上流階級はフランス語とラテン語を学習しており、上流階級の人々がしたためる文章には、どこかしら「フランス語的」なものがあって、ロンドンの下町の労働者階級の英語とは質が違う。英語でなにかを読む場合にも、フランス語の素養はいくばくかは必要なのである。
 大学1年生のときには、夏休みなどを除けば、英語の原書などをだいたい200ページは読んでいた。必修の英語の授業のほかに、早稲田には「語学研究所」というものがって、学生はそこでハイレベルな英文を講読することができた(ただし、ふつうの学生は授業についていけないレベル)。
 フランス語の授業でのメインとなる教科書は、「京都大学フランス語教室」が編集したもので、週2コマの授業で使用する教科書としては最も難しいレベルだったらしい。この件については、知ろうと思ったことはなかったが、こんなことがきっかけで知るにいたった。
 同じクラスのフランス文学マニアの連中が、「こんなレベルの教科書をやっていて、大学2年生になったときに辞書さえ引けば原書でフランス語が読めるようになるのでしょうか? もし、そうでなければ、適切な参考書などを指示してほしい」と、とんでもないことを6月あたりに言い出しやがった。
 私のように、英語とドイツ語の文献を読むのがメインで、フランス語はあくまでも「余技(よぎ)」である者にとっては、こうした発言をきっかけに、膨大(ぼうだい)な量のプリントが配布されて、学習量が格段に増したら、ちょっと困ると思った。
 担当講師はちょっと困って、「これよりも難しい教科書はないんだが……」と答えていた。その流れから、フランス文学マニアくんたちの要望で、希望者を対象に、これだけをおさえておけば、夏休みに自力で簡単なフランス語のものが読めるように指導することになり、夏休み前(夏休み突入直後?)に、授業以外でその講師から接続法などを習い、アルベール=カミュAlbert Camusの『異邦人』L'étrangerを大学1年生の夏休みに、ペンギンブックスPenguin Booksの英訳と照らし合わせながら読んだ。
 なお、大学1年生のときのフランス語の学習方法に関して、一般的な参考書なども読みつつ、授業に関しては律儀に予習復習をし、さらに、イギリス人向けのフランス語の入門書や文法書も紐解いた。最初の1冊目がA First Frenchとかいうタイトルだったと思う。ほかにもそうしたたぐいのイギリス人向けのフラン語の参考書を使って、時間の空いたときに英文をフランス語に、仏文を英語に訳すという作業もしていた。
 ちなみに、1年生のときのフランス語の文法の教科書の仏文和訳・和文仏訳などについて、後期試験ように、答えを印刷したプリントを作成した。当時は、まだ、たいしたワープロすらなかったので、理工学部の大学院生のコンピュータを借りて、入力し、プリントアウトした。それを配布した。数年後、12月だか、1月だかに、大学に赴(おもむ)く用があって、足を運んだら、学生食堂で、自分が作成したプリントのコピーにコピーを重ねて、文字がいささかつぶれているプリントを必死で暗記してる学生を見かけ、ワープロで打ち直して、配布するやつがいないのかと呆(あき)れた。
 大学2年生になると、ドイツ語の学習も始めた。1年生のドイツ語の授業に勝手に出席して、授業を受けることにしたのだが、名簿に載っていない学生がいると、目ざとく見つけられた。そこで、「友人から先生の授業は非常に素晴らしいと聞いたので、ぜひともドイツ語を習いたいと思い、勝手に出席しました」と嘘をついたら、たいそう喜んでくれた。本当は、時間の都合がよかっただけだったが、名簿の末尾に名前まで書き込まれ、毎回、出席をとられ、おまけに、前期試験・後期試験も受けさせられた。そのクラスで(非公式)1番だった。まあ、ハンディキャップ戦だからな。
 英語を低くはないレベルまで勉強した上で、さらにフランス語の文法をひととおり学習してから、ドイツ語を習うと、「これは英語の〇〇に相当する」「これはフランス語の〇〇と一緒だ」という部分が多くなり、学習がきわめて容易になる。英語の学習にかかる時間とエネルギーが10とすれば、フランス語で同じレベルに達するには3くらいの時間・エネルギーで、その上でドイツ語を学習すると、1くらいの時間・エネルギーで済む。そのクラスでドイツ語を勉強していると、接続法なんかはすいすいと理解できるので、まるで自分の頭が格段によくなったという錯覚(さっかく)に陥(おちい)った。
 大学3年生への進級時に専門外国語を選ぶ。ドイツ語を専門外国語にしようとしたが、1・2年次に履修した外国語でなければ駄目という規約があり、専門外国語はフランス語にした。
 大学3年次に、フランス語の発音の訓練をなおざりにしていたので、発音を少しはよくするという目的のためだけに、1学期だか、夏休みだかに、日仏学院で、2番目にやさしいフランス語の授業を受けることにした。同じクラスに早稲田大学高等学院1年生の生徒がいたので、ちょっとびっくりした。
 その学院生は、おやじにこんなことを言われたそうだ。
 「数学と漢字の読み書きと英語とフランス語がちゃんとできれば、あとは、お前の好きなようにしてよい」
 なぜ、フランス語?
 学院生によると、もともと、最低限、数学と英語と漢字の読み書きができるだけで、世の中をわたっていけるというのが彼の親父の持論で、早稲田大学高等学院では高校1年生から第2外国語が学べる(あるいは、学ばなければならない)のだから、そのメリットも生かせ、ということで、「数学と漢字の読み書きと英語とフランス語がちゃんとできれば、あとは、お前の好きなようにしてよい」となったそうだ。フランス語を入れるのであれば、個人的には、ついで、物理も入れたいところだが。それから、漢文とかも。って、こんなことを言い出したら、すべてを学習しなければならなくなるな。
 また、3年生からは、日仏学院の「上級仏文和訳」という通信添削も始めた。ところが、5回目で10点満点をとってしまった。私の悪いところは、満点をとると、モチベーションが上がるのではなく、むしろ、モチベーションが完全になくなってしまうところである。高校時代の話でも書いたが、高校1年生のときに始めた通信添削を、満点しかとれないということで、やめている。ただ、勉強方法としては、じつは、正しい。満点がとれるようだと、修正ポイントが少ないから、学力向上という点では無駄が多くなる。もっとも、性格によっては、満点をとることで調子づいて勉学に励むということもあるから、一概(いちがい)にはどちらがよいとはいいがたいが。

2009年5月25日月曜日

「なんにもお礼できないから、ノーブラにした」

 大学生のときのことだ。同期生の女の子から電話があった。時間がないので、暇(ひま)があれば、どこそこまでオートバイで送ってくれという。駄目ならタクシーで行くという。
 時間があったので、オートバイで送ることにした。
 ちなみに、そのときのオートバイは本田技研工業のブロス プロダクト ツーPROS Product Twoというやつで、色は黒だった。近所の子どもに、「蟻(あり)のように見える」と言われたことがある。
 筑波大学附属高等学校出身の彼女が住んでいる女子学生限定の寮についてから、インターホンで呼び出した。5月の連休を過ぎたころだった。

 「なんにもお礼できないから、ノーブラにした。うふ」

 オートバイの後ろへの安全な乗り方は、身体を密着させて、運転者の腰に両手をまわし、運転者の臍(へそ)のあたりで手を組むというのが基本だ。
 オートバイでずっこけた場合に備えて、造船所で働く労働者が雨の中でも作業ができるようにと防水加工が施された分厚い革ジャンをいつでも着ていた。ノーブラだからと言われても、なにもわからない旨(むね)を告げて、さっさと目的地まで運んだ。
 それにして、「うふ」とか、「えへっ」とか、そういうことばを本当に口にする女の子には、ちょっと変わった子が多いと思う。

 「なんにもお礼できないから、ノーブラにした」という発想のばかばかしさが、おかしくて、後日、ほかの女子学生数人に話して、「そういう発想がどこから出てくるのか理解できない(爆笑)」と言った。男子学生には話さなかった。なんだか、妬(ねた)まれそうな気がしたからだ。
 すると、「なんにもお礼できないから、ノーブラにした。うふ」発言は、瞬(またた)く間に広まっていた。

 「掃除機くんは、あんな人とはつきあわないほうがいいと思うよ」
 数人の女子学生が、入れ替わり立ち代り、忠告してきた。
 べつにつきあっているわけではなく、近所だということと、オートバイを持っているということで、送っただけだと答えたし、事実、そのとおりなのだ。
 もっとも、あの類(たぐ)いの発言は、一般の女性の顰蹙(ひんしゅく)を買うものらしいということがわかった。

 数日後、くだんの彼女の(陰の)渾名(あだな)が「ノーブラ」になっていた。
 おれのせいじゃないと思いたい。

自己紹介

自分の写真
和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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