2009年4月30日木曜日

スイス方言のドイツ語では「大好きだよ」というのはI ha di gärn.(イハディガーン)というと聞いた。

 スイス方言のドイツ語で、「大好きだよ」つまり標準ドイツ語のIch liebe dich.(イッヒリーベディッヒ)や英語のI love you.やフランス語のJe t'aime.(ジュテーム)やイタリア語のTi amo.(ティアーモ)やスペイン語のTe quiero.(テキィェーロ)などに相当するのは、

I ha di gärn. イハディガーン

だそうだ。
 なんだかわけがわかんないなと思っていたのだけど、じっと眺めていたら、閃(ひらめ)いた。これは標準ドイツ語の

Ich habe dich gern. イッヒハーベディッヒゲルン

のことだろう。直訳は「私は喜んできみを持つ」だろう。

 つぎに、英語に直訳するとこんな感じだ。

I have you willingly.

 適当に意訳するなら、「きみと一緒にいるとたのしい」というくらいの意味かな。
 控えめな感じで、いいなと思う。

 スペイン語のTe quiero.は、用法つまり使い方が英語のlove you.と同じということから、Google翻訳や。excite.翻訳にかけると、love you.と出てくるし、日本語に訳させても、Googleなら「愛している」と、excite.なら「あなたが好きだ」となるが、日本語に直訳すると、「あなたが欲しい」で、英語ではI want you.だし、フランス語ではJe te veux.に相当する。スペイン語は情熱的なんだよな。息苦しくならないのかと心配してしまう。

 なんとなくYouTubeでha di gärnを検索してみたら、その題名の歌があった。



 Göläという人がドイツ語のベルン方言で唄っているそうだ。真っ白い男性が左目から血の涙を流している画像が使われているが、これは公式サイトのホームページの画像だ。ベルンはスイスの首都だけど、知らない人が多い。ベルンの市章に熊が描かれているからか、以前、ベルンの動物園には熊が数頭いたのだけれど、今年になって最後の1頭が亡くなった。
 Göläというのはベルン方言でどう発音するのかわからない。標準ドイツ語だと「ゲーレ」くらいだが、たとえば、gärnは私の耳では「ガーン」としか聞こえなかったが、gärnは標準ドイツ語だと、「ゲルン」くらいの発音だと思う。同じ綴(つづ)りでも発音がちょっと違うのかもしれない。スイス方言でGöläは「ゲーラ」くらいかもしれない。

 それにしても、ha di gärn.を使う必要性に迫られることは、これまでにもなかったし、これからもないだろうな。

2009年4月29日水曜日

ソニーの凋落、ホンダの……

 ソニーと本田技研工業は、戦後にできた企業のうちで世界に躍進した企業として、以前(1970年代)には、きわめて評価が高かった。
 ところが、今の若い人たちにとっては、ソニーというのは、大した企業というイメージではないどころか、ろくでもない会社という感じらしい。
 ホンダはというと、若者にとってのイメージはともかく、オートバイが好調だというせいもあるが、この金融恐慌下でも黒字を維持していることから、依然として立派な企業として活躍しているように思われる。

 理由・原因というものは、いろいろと考えられるが、コネ入社という観点に絞って考察したい。

 ホンダは、創業者の本田宗一郎の意向で、コネ入社を禁止した。当人自身が高等小学校卒業のたたき上げ職人だったということもあるのだろう。また、息子の博俊が「おやじのころは、開発するべき課題がたくさんあったけど、今は、そういうものがないから」という意味のことを言い、課題を見つけることができないおまえのような奴には会社は継がせんと憤(いきどお)り、息子の博俊に会社を継がせることはないばかりか、課長職以上の役職に就いた者の子弟の入社を禁止した。その結果、本田技研工業の社員には、課長以上の役職に就いた者の子弟はいない(ことになっている)。
 本当に実力があれば、役員の子弟であっても入社させるべきだという考えはあるかもしれないが、ひとつでも認めると、なし崩し的に無能な者も入社するようになってしまうから、やはり、認められないらしい。それに、実力のある者なら、逆に親父と同じ会社に入りたいとは、普通、思わないだろうし、自力で、ロータスなり、アストン=マーティンなり、マゼラッティなり、ポルシェなり、BMWなりに入社すればよいだけのことである(ここを読んで、「ホンダ以外で、自分の好きな自動車屋を並べたんじゃないのか?」と失礼なことを思った人に言っておきたい。そのとおりだ)。

 一方、ソニーは、創業者のひとりである盛田昭夫が「学歴無用論」を唱えた。製造業に関しては、管理職候補でなければ、学歴はそれほど重視されないのにかかわらず、製造業であるソニーがわざわざ学歴無用論を唱えるのは、なんかおかしいと思わないかな。自分の教え子には、駿台全国模試の偏差値で42の大学から本田技研工業に研究開発で入社した者がいるが、ホンダはわざわざ学歴無用などとは言っていない。学歴無用と言った時点で、ソニーは、なにかあやしいのだ。
 そこで考えたのが、コネ入社である。コネ入社を認め、聞いたこともないような大学出身者で、かつ能力の低い人物を入社させていると、「馬鹿の〇〇を採用したソニーは、コネ入社を堂々とやっているらしい」となる。それを防ぐには、「うちは学歴無用ですから」と公言する必要がある。そう考えるのが妥当じゃないかな。
 ソニーの学歴不問を唱える前の1990年の採用実績を見てみよう。
 旧帝国大学(東京大学・京都大学・東北大学・名古屋大学・九州大学・大阪大学・北海道大学)・一橋大学・東京工業大学・早稲田大学・慶應義塾大学(これをまとめて旧帝一工早慶という)の合計が95名であったが、それ以外の大学出身者の採用は86名であった。学歴不問を唱える前から、ある意味、学歴不問であったわけだ。
 しかし、コネ不問であったかどうかはわからない。
 コネなしの学歴不問であったなら、口コミ情報として大学生に、ソニーはコネなしで、うちの大学からでも採用されているということが伝わり、その大学からの応募者が殺到するから、学歴不問を打ち出す必要はない。にもかかわらず、学歴不問を打ち出しているのだから、コネ入社によって、なんだかわからない大学出身者をコネによって入社させているのをごまかすためであるとしか思えない。ソニーの場合、テレビ局に放送機器などを販売することもあって、テレビ局の役員から頼まれれば、コネ入社を断りにくい。そのテレビ局に対する売り上げを維持するためには、コネ入社を認めるほうがよいと考える人もいるのは事実だ。
 2001年から2005年の採用実績を見てみよう。
 旧帝一工早慶は860名で、それ以外は113名であった。
 あれ、学歴不問だったんじゃないのかな。
 で、売り上げを容易に維持するためにコネ入社を認めていたら、無能社員が多くなって、経営が思わしくなくなったので、軌道修正をし、その結果、逆に、むしろ、有名大学出身者だらけになってしまっているように思える。製造業でこの構成は、過剰な学歴偏重とさえいえる。

 戦後に設立され、世界的な企業になった両社の現状がここまでちがうのは、コネ入社のせいだと考えたくなるのも無理はないと思わないかな。

 両社の明暗がわかれるのはロボットの開発技術だ。
 HY戦争が理由で、本田技研工業はロボット開発に本格的に着手したとされる。HY戦争とは、販売好調だったヤマハ発動機が業界第1位を狙うべく、本田技研工業に戦争をしかけたことで勃発した販売競争である。無理な値引き合戦となった。最終的にはホンダの勝利に終わったが、後味の悪いものだった。そこで、技術力に劣る企業に戦争をふっかけられたのは、「とりあえず走るオートバイ」というものは、それほどの技術が要らないからであるから、今後は他社が真似のできないものも造らなくてはならないと考えて、HY戦争以後、ロボットや小型ジェット機などの開発を始めたそうだ。その成果が、1996年に発表されたASIMOだ。この名前を聞いたとき、SF作家のアイザック=アシモフIsaac Asimovから採ったものだと思ったが、公式には、Advanced Step in Inovative MObiliy(無理に直訳すると「革新的機動性における先進的な歩行」)の略ということになっているけど、やっぱり、本当は、作家のAsimovと、それに加えて、「足」から採ったんだろうな。
 バイク屋・自動車屋が2足歩行ロボットを発表したので、電子機器メーカーは面目丸潰(めんもくまるつぶ)れだ。
 そう思っていたら、2000年11月に2足歩行ロボットSDR-3Xをソニーが発表した。それ以前にも犬のロボットAIBOは一応あったけど。ホンダがASIMOを発表してから4年後に2足歩行ロボットを発表したということから、ソニーも密(ひそ)かに研究開発をしていたのかと思ったが、真相はちがっていた。ホンダがASIMOを発表するまでは、2足歩行ロボットの研究開発の最先端は早稲田大学理工学部だとされていたんだけど、ホンダのASIMOはそれをはるかに上回る人間型自律2足歩行ロボットだった。とはいえ、その時点で、早稲田大学理工学部の研究室のレベルは世界で2番目の研究開発であることにはまちがいはない。
 自動車屋に2足歩行ロボットを発表されたソニーとしては、イメージ悪化を避けたい。そこで、早稲田の当該(とうがい)の研究室出身の社員をその研究室に出向かせ、莫大(ばくだい)な研究資金提供という形でロボット技術を買い取った(内部情報)。自前では2足歩行ロボットは開発できていなかったのである。ところが、経営悪化で、2006年に新規開発・生産を中止した。
 やる気、ねえな、こいつら。
 そういえば、ソニー製品で買いたいものは何もないなあ。以前、ちょっとだけ購入を考えたことがあるのは、ICF-SW07(希望小売価格62,790円、実勢価格50,000円くらい)というラジオくらいだけど、ラジオなんてものは、大きさを気にしなければ、いい部品を組み合わせて、アンテナさえよければ大丈夫だし、いっそのこと、配線に金や銀を使えば、すごいものが自作できそうなので、ICF-SW07の購入はやめにした。
 それはともかく、ソニーはテープレコーダー・カセットテープレコーダー・トランジスタラジオ・ウォークマンを自前で開発していた頃に戻れよな。

 関係ないけど、英語で、WALKMAN(ウォークマン)の複数形は、WALKMENじゃなくて、WALKMANSだよ。納得いかないんだけど。

 

 ICF-SW11は私が持っている唯一のソニー製品。ジーンズのポケットに入る点を指摘して「腐ってもソニーだな」と言ったら、うちの生徒たちが笑っていた。
 ミニカーはホンダ=ビート。同じ色のものを持っている。

2009年4月28日火曜日

洋食屋で「ちょろ残し」する人

「ちょろ残し」とは、食べ物をなにかとちょっと残すことである。一般的には、食べ物に限定しないことばなのであるが。

洋食屋で「ちょろ残し」するのは若い女性に多いような気がする。皿の上のごはんをちょっと、サラダをちょっと、というぐあいに残すことが多いようだ。

性格ゆえにきちんと食べないで「ちょろ残し」する人はいる。洋食屋に限らず、和食であろうと、居酒屋であろうと、ちゃんと食べずにいる人はいるが、「握り箸(にぎりばし)」の人以外の場合は、性格上の問題から「ちょろ残し」をしている。握り箸の場合、箸の先端で小さいものをつまむことができないから、「ちょろ残し」をせざるをえないようだ。

男性の場合、和食で「ちょろ残し」をしない人は、洋食でもしない。

ところが、とりわけ、若い女性の場合、和食では「ちょろ残し」をしない人でも、洋食だと「ちょろ残し」をする人がいる。

よくよく観察すると、ナイフとフォークが使えないわけではないが、しかし、小さなものを運ぶ技術がないようだ。多少のかっこわるさに目をつぶれば、運べなくはないのだろうけど、「上品な使いこなし方」では、小さなものを口元に運ぶのが難しいというレベルであるらしい。

和食で「ちょろ残し」をしない男性が洋食でも「ちょろ残し」をしないのは、「上品さ」にこだわらないからであろう。

ということで、女の子は、小さなものでもナイフとフォークで小さなものを上品に運べるように、早いうちから練習しておいたほうがよいのだろうと思ったけど、中学や高校の女子校などでは、授業の一環として「マナー講座」があって、ナイフとフォークの使い方を習うくらいだから、小さいものも上品に運べるようには、なかなかなれないんだろうな。

洋食の場合だけ、「ちょろ残し」を常習的にする男性は、ナイフとフォークの使い方が壊滅的に下手な場合が多い。

そもそも、日本人一般は、ナイフとフォークの使い方の上手下手を考えないから、下手だから「ちょろ残し」をしていることを自覚していない人もいるような気がする。

2009年4月27日月曜日

国道、都道、府道、県道、道道

 国道とは、が造り、管理している路のことである。
 都道とは、東京が造り、管理している路のことである。
 府道とは、大阪あるいは京都が造り、管理している路である。
 県道とは、各が造り、管理している路である。

 北海が造り、管理している路は、理屈からして「道道(どうどう)」となるはずである。そんなことはどうでもいいと思うのだけど、小学生には、きわめて気になる問題であるようだ。
 それで、北海道札幌市出身の友人に訊ねてみた。

なにも考えずに、ふつうに「道道(どうどう)」って言ってたよ。

 ああ、そうなんだとしか思わないのだが、一部の小学生、とりわけ男子小学生の中には、こんなことで興奮するのがいる。
 どうしてそんなに興奮するのか理解できないでいる。

2009年4月26日日曜日

英国のポケットサイズの辞書って、どう考えてもポケットに入らなさそうなんだが……

 英国のポケットサイズの辞書は、日本人の感覚からすると、ポケットに入るという感じがしない。大きすぎるのだ。私自身、以前はそう感じていた。
 事実、同じようなことを考える人は少なくない。Pocket Oxford English Dictionaryを見たHAL496の生徒が「どうしてこれが『ポケット』なんですか?」と訊いたりする。
 また、Amazon.co.jpで調べると、たとえば、Pocket Oxford-Duden German Dictionaryのカスタマーレビューにこんなことを書いている人がいる。

Pocketとは名ばかりで、書籍サイズはぜんぜんポケットサイズではありません(笑……いや、笑えません)。研究社の新英和中辞典とほぼ同じサイズでした。

 ポケットサイズというと、日本人は、一般に、背広やシャツの胸ポケットに入るものを思い浮かべるようだ。

 この疑問は、ある出来事をきっかけに、劇的に解消した。
 英国のバーバリー社(BURBERRY)のコートである。これをもらったのがきっかけで、英国のポケットサイズの謎が一挙に解決したのである。
 つまり、英国人が「ポケット」というとき、最初にイメージするポケットは、背広やシャツの胸ポケットではなく、あくまでもバーバリーのコートのポケットらしい。
 バーバリーのコートのポケットなら、余裕で入るのだ。

 日本でも似たようなことはあった。
 パスポートサイズだ。
 旧式のパスポートは、おそらく世界でいちばん大きかったようだ。少なくとも日本国旅券よりも小さいパスポートを持っている外国人を私は見たことがなかったし、やはり、大きすぎるという意見が多かったからこそ、現在のパスポートは、当時のものと較べて小さいものになったのだろう。
 ソニーがハンディカムの広告で、This is passport size.とテレビ広告で出演者に言わせていた(This is passport size.が正しい英語かどうは不明。カムはcamでcameraのこと)。1988年のことだ。おそらくは世界最大のパスポートを引き合いに出して、「パスポートサイズ」と呼ぶのに対して、詐欺(さぎ)に近いものを、当時、感じていた。ま、ソニーだからな。

2009年4月25日土曜日

「うまい棒」を初めて食べてみた。

 今まで、食べたことがなかったので、うまい棒を食べてみた。
 中学生の会話などで、「ええっ、それって、うまい棒、150本分じゃん」などという発言が聞こえると、やっぱり、気になるものである。
 しかも、いまどき、1本10円とは、畏(おそ)れ入る。いったい、どういうものが添加されているのだろうかと勘(かん)ぐってしまう。
 実際に食べてみると、添加物だらけなんだろうなという味だった。
 べつのところで述べたことがあるが、本格的なものではないとはいえ、私には化学調味料アレルギーがある。ただ、眠くなるだけなのだが。

 結果は、

 うまい棒1本で、眠くなる
 うまい棒4本で、即座に昏睡状態(こんすいじょうたい)になる

 というものであった。

 よほど強烈な化学調味料を使っているようだ。

 念のためにつけ加えておくと、自分が化学調味料で眠ってしまうからといって、化学調味料が悪いとは、短絡的には考えていない。
 蕎麦(そば)アレルギーの人は、蕎麦を食べると死んでしまう場合があるが、この場合は、その人の体質がそうなのであって、人一般にとって「蕎麦=毒」というわけではない。
 同様に、自分に軽い化学調味料アレルギーがあるからといって、化学調味料が人間一般にとって悪いとは判断できない。

 「うまい棒4本で、睡眠薬代わりになりますね」という意見があった。
 これは適切ではない。化学調味料を分解するなり、体外に排出するなりするために、眠っているにすぎず、本来の睡眠とは、眠りの質がちがいすぎるからだ。

2009年4月24日金曜日

時間の最小単位

 現代の物理学では、時間の最小単位というものは存在しない。もっとも、測定できる範囲での最小は、0.0000000000000001秒くらいらしい。
 運動がまったく存在しない空間というものがあるとすれば、そこに時間は存在しないと言える。時間とは、物の運動を別の視点から見たものだと考えられるからだ。
 しかし、こうした議論の際に、とりわけ、理系学部出身者に、「そうは言うけど、仏教では1刹那、すなわち0.013秒が時間の最小単位なんだよな」と言うと、どういうわけか、大笑いされる。
 一定レベルのことを理解した上で、「仏教では……」というところがおもしろいのかもしれない。

2009年4月23日木曜日

自己紹介してくださいと言われて……

 自己紹介してくださいと言われて、「1週間前に自動車で追突事故を起こした掃除機496(仮名)と申します。……」と言った。
 すると、どの程度の事故だったのか、けがはしていないか、むち打ち症にはなっていないのか、相手は性質(タチ)の悪そうな人ではなかったか、任意保険に入っているかなどと、真面目に心配してくれた。
 自分としては、笑いを取りながら、親密になれると判断していた。ところが、そんなことはなかった。
 関西だったら、「おまえ、その『じこ』ちゃうやんか!」と言われて、頭を叩かれてから、「で、事故の状況はどうやったん?」となっていたところだろうな。
 東京で暮らしていると、「ボケ」てみても、だれも「突っ込ん」でくれなくて、非常に困る。
 関西と東京は違う国だと感じることがよくある。

2009年4月22日水曜日

Wittgensteinは「ウィトゲンシュタイン」か、「ヴィトゲンシュタイン」か

 オーストリアのウィーン生まれの哲学者にLudwig Josef Johan Wittgensteinという人物がいる。
 Wittgensteinという綴りだから、標準ドイツ語の発音をカタカナ表記にすれば、「ィトゲンシュタイン」となるはずである。しかし、日本の哲学界では、「ィトゲンシュタイン」と表記するのが一般的である。
 ちなみに、ウェブで"ィトゲンシュタイン"で検索すると、約131,000件だったが、"ィトゲンシュタイン"だと約52,000件だった。
 「ィトゲンシュタイン」と表記する理由は、こうだ。
 標準ドイツ語では"w"の発音は英語の"v"と同じなのだが、ウィーン方言のドイツ語では「柔らかい」音で発音する。そもそも「ウィーン」という地名自体、"Wien"だから、標準ドイツ語だと「ヴィーン」となるが、ウィーン方言の発音にあわせて「ウィーン」と日本語では表記する。
 日本語は、西洋語に関しては、きわめて原音重視だ。いや、むしろ、中国語以外では原音重視だといったほうがいいかな。
 人名に関して、出身地の方言を採用するのは、どういうものかなと思う。
 日本の地名・人名に関しては、地元の発音、とりわけ、抑揚(よくよう、イントネーション)を重視することはあまりないようである。「中田」さんの場合、地方によって、「なかだ」であったり、「なかた」であったりする。このあたりは区別するようだ。
 たとえば、長崎県「佐世保」の場合、地元での発音は「させほ」に近い発音であるのに、「させぼ」が一般的な読みとなっている。
 また、作家の太宰治(だざいおさむ)の本名は津島修治(つしましゅうじ)であるが、津軽弁では「つすますーず」と発音するそうだが、しかし、太宰治について述べる際に「太宰治の本名はつすますーずです」とはだれも言わない(ようだ)。
 私自身、自分の名前を述べる場合、基本的には共通語(標準語)のイントネーションで発音する。出身地の方言のイントネーションで発音するのは、地元にいるときだけだ。
 ウィーン方言ではそう発音するといわれても、「ィトゲンシュタイン」と表記することには、すこぶる抵抗を感じている。
 しかしながら、この考え方で英語を考えると、英語に由来する語のカタカナ表記はすべからくイギリス発音でないといけないことになってしまう。英語は、本来、イングランドの言語なのだからね。
 そうすると、schedule(スケジュール)は、「シェジュール」となってしまう。parents(ペアレンツ)は「パレンツ」になってしまう。
 このあたりについては、イングランドの植民地だったアメリカ合衆国が、今では、唯一の超大国となり、インターネットを、ある意味では、支配しているという現状を鑑(かんが)みなければならないのだろう。
 一貫性のない主張で申し訳ない。

  ヴィトゲンシュタイン関係の著作(amazon.co.jpに飛ぶよ)

2009年4月21日火曜日

「三つ子の魂、百まで」の「三つ子」とは

 「三つ子の魂、百まで」の「三つ子」を3歳児だと思っている人が多いが、これは、厳密にいうと、正しいとはいいかねる。ましてや、双生児(そうせいじ)/双子(ふたご)よりもひとり多い三つ子(英語でいうと、triplets)のことでもない。
 3歳児でないとすれば、いったいなんなのだと思うであろう。
 たしかに、3歳児ではあるが、「三つ子の魂、百まで」といわれ始めたときの年齢は数え方は、あくまでも数え年であった。

 数え年のついて述べよう。
 まず、生まれた時点で、「1歳」である。これは、仏教の思想による。母親の胎内にいる間も、「生命」として把(とら)える思想が仏教にあるからだ。つまり、母親の胎内に、だいたい1年くらいいたから、生まれた時点で「1歳」とする。
 つぎに、生まれてから最初の1月1日を迎えると、数え年では、年齢が1歳増える。
 具体的に述べよう。

 ある人が、12月末日(旧暦では末日が29日だったり、30日だったりする)に生まれたとする。その時点で1歳である。その翌日の1月1日、すなわち元日を迎えると、2歳となる。生まれてから2日目で、2歳になってしまう。旧暦の1年後の1月1日に3歳になる。旧暦の1年は354日である。
 こうした場合には、生まれてから356日後に「3歳」になる。

 1月1日に生まれた場合について考える。生まれた時点で「1歳」であるが、「2歳」になるのは、ほぼ1年後の1月1日である。旧暦の閏月というものがなければ355日後だ。2歳になるまでに1年かかっていない。ついで、「3歳」になるには、さらに1年がかかる。1月1日生まれの場合、数え年で「3歳」になるには、閏月がなければ709日かかる。

 しかしながら、現在の満年齢での3歳は、1095日はかかる。

 以上のことから、「三つ子の魂、百までも」というのは、われわれがイメージする満年齢の3歳よりもずっと幼い時点での性格・性向が変わらないということを言っているのである。この諺(ことわざ)の意味は、人間の生まれもった性質は変えられないということである。
 「満年齢での3歳までの育て方が大切だ」というのではない。

2009年4月20日月曜日

車椅子の女児入学拒否問題

 奈良県で、地元の中学校への進学希望の女児が、施設のバリアフリー化などが財政の問題などできないということから、入学を拒否された問題があった。
 これに関して、自分が大学生だったときのことを思い出した。
 自分が学生だったときに、早稲田大学商学部に車椅子の受験生が合格し、入学の手続きをした。当時の商学部の施設は、20年以上も前のことなので、バリアフリーではなかった。それでも、車椅子の入学生がいるということで、春休みに突貫工事をしていた。その学生が移動する際に通るところは、すべて車椅子で移動できるようにした。
 費用は、1億円くらいだったそうだ。
 一方、その学生が4年間で払う入学金・授業料・施設費の合計は、たぶん、400万円にも満たなかっただろう。
 そこで、9600万円の損だと考えるようだと、なにか大切なものを見落としている。
 早稲田ってのは、学問という点で考えると、どうしようもない大学だけど、この点だけは評価している。

2009年4月19日日曜日

秋山眞之(真之)が7歳か8歳のときに詠んだ歌

 秋山眞之が7歳か8歳のときの詠んだ歌を見つけた。
 眞之は雪の日に北の窓をあげてそこから用を足して歌をつくったという。

 雪の日に北の窓開けシシすれば
  あまりの寒さにチンコちぢまる

 秋山眞之は海軍兵学校を主席で卒業し、日露戦争での日本海海戦の作戦を立てた人物だが、幼少のときに、こんな歌をつくったというのがおもしろい。
 HAL496の生徒に紹介したら、男子生徒が大笑いするのは当然として、女子生徒も大笑いしていた。女子生徒にこの歌のおもしろさがわかるのだろうか?

2009年4月18日土曜日

1,100万円くらいの自動車は売れていないような気がする。

 サンプル数(標本数)が少ないのだけれど、当校の生徒の保護者や、近所の人の自動車のことを聞いていると、1,100万円くらいの自動車は売れていないような気がしたことがある。
 自動車に3,000万円以上をつぎこむとなると、これはたんなる自動車道楽である。よっぽどその自動車が好きだということになる。
 クルマ好きでも、ふつうのサラリーマンなら、妥当なところでは300万円台だろう。
 もちろん、本物のクルマ好きは、中古で150万円ほどのものを買って、改造しまくるものであるという意見もある。
 趣味の問題だろうな。
 それはともかく、当校の生徒の保護者や、知り合いや、近所の人と話をしているうちに、つぎのことが判明した。しつこいようだが、サンプル数が少ないので、的を射た見解なのかどうかについては保証できない。
 クルマ道楽の人たちの間では、購入した自動車の定価でみると、990万円くらいの自動車と、1200万円台の自動車が、妙に多く、1,100万円くらいの自動車を買った人というのが、今のところ、皆無である。
 不思議な現象だ。
 もしかすると、BMWやメルセデス=ベンツには、1,100万円くらいの商品がラインナップにないのかと考えてみたが、ないことはない。というか、ちゃんとあるのである。
 それなのに、どういうわけか、自分の周囲では、990万円くらいと、1,200万円くらい以上に2極分化している。
 今のところの仮説は、奥様の影響によるというものである。
 自動車に関心のない女性からすれば、1,000万円を超えるのは、許せないところがあるようだ。
 「あんた、たかがクルマに1,000万円はないでしょ!」というぐあいだ。
 そこで、クルマ好きのお父さんは、妥協できる範囲内で高価なものを買おうと画策し、その結果、990万円くらいの自動車に落ち着く。
 一方、1,000万円の壁を気にしなくてよい場合は、販売する側も、あと200万円出せば、ぐっとグレードが上がるように値段を設定しているのではないだろうか? 1,200万円超えが急に増えるわけだ。
 900万円台の自動車に乗っているお父さんは、奥さんに頭が上がらないところがあり、1,200万円以上の自動車に乗っているお父さんは、亭主関白であるか、あるいは、すこぶる高価な自動車を買っても文句を言われることがないくらいの高収入なのであろう。

 というわけで、結論。1,100万円の自動車は、値段のわりにお得であっても、売れにくいような気がする。
 同時に、800万円くらいの自動車は、値段のわりにお得であっても、売れにくいような気がする。「8」がつくと安い印象を受けるものだからね。
 だから、なんなんだという反応がありそうだな。

2009年4月17日金曜日

捕鯨とシー=シェパードと日本の食料自給率

 ベトナム戦争での枯葉剤(かれはざい)の影響が取り沙汰(ざた)されそうになったときにキッシンジャー国務長官Henry Kissinger(当時)が、視線を逸(そ)らせるために、捕鯨問題を取り上げたとはいえ、世界全体で考えれば、捕鯨反対の趨勢(すうせい)である。
 しかも、シー=シェパードSea Shepherd Conservation Societyなんていう、自称「海の自然・環境保護のために警備」を名目として、日本の捕鯨船に対して、明らかな違法行為を行なう連中もいる。義が相手になくとも、喧嘩を売られるのは面倒だから、捕鯨なんてやめればいいのに思うむきもあるのではないだろうか? 捕鯨が文化の一部としても、鯨肉がないと困るというわけでもないんだし……ってね。
 それでも、日本は捕鯨にこだわっている。文化の保持だけだとするには、無理があるような気がしないかな?
 ところで、日本の食料自給率はわずかに40%にすぎない。先進国としても、相当に低い。かといって、補助金ばら撒(ま)き行政で、食料自給率を上げるというわけにはいかない。
 人口爆発による食料難の時代がいずれは訪れるだろうし、今でも、オーストラリアでの旱魃(かんばつ)の発生などによって、小麦価格の急騰(きゅうとう)で、多方面が困惑するという事態にも陥(おちい)った。
 現時点での日本政府が捕鯨に対してこだわりを見せているのは、将来の食糧危機に備えてのものだと考えると、納得できるようだ。30年間、捕鯨をやめると、捕鯨技術というものは、廃(すた)れてしまう。食糧危機に備えて、捕鯨技術を維持するため、捕鯨を続けているのではないかと考えるのは妥当なものだといえよう。

2009年4月16日木曜日

ミネラル=ウォーターのネーミング

 「南アルプス天然水」というミネラル=ウォーターがある。南アルプスって、赤石山脈のことだよね。日本アルプスは、南から北へと、つぎのように憶える。

赤い木、飛んだ。

赤→赤石山脈
木→木曾山脈
 、
飛→飛騨山脈

 南アルプスと呼んでいるのは、赤石山脈のことである。
 「南アルプス天然水」というと、おいしそうだけれども、これを「赤石山脈の湧(わ)き水」とすると、どうであろうか? あんまり、おいしそうな感じがしないな。

 似たような事例として、「六甲のおいしい水」が挙げられる。
 「神戸市内の住宅地の井戸から汲(く)み上げた水」としたら、なんだか、お金を出してまで飲みたいという気持ちが失(う)せてしまう。実際は、船に積み込んでから赤道を越えても品質が悪くならないということから、各国の船員がKOBE WATERと特別に呼んだくらいに高品質の水なんだけどね。

 「東京23区内の井戸水」という名前で販売されているミネラル=ウォーターはないし、今後も、販売されることはないだろう。しかし、東京都内の井戸水はすごいらしい。
 井戸水といっても、雨水が井戸水になったというわけではない。東京はほとんどの地表がコンクリートやアスファルトで覆われている。だから、雨水が地中に沁(し)み込むことはほとんどない。雨水のほとんどは下水道や護岸工事が施された河川に流れ込む。
 では、東京23区内の井戸水の源泉は何か?
 水道管からの漏水である。つまり、水道管からわずかなりとも漏(も)れて出てくる水が、井戸水となっているのである。まず、水道水は一定水準以上に適切な処理をされている。そうした処理をされた水が地中を通ることで、ミネラルを含むようになる。
 その結果、近所に化学物質を使ういくぶん怪しい工場でもなければ、井戸水は立派においしいのである。私自身、かなり以前のことであるが、井戸水を使うマンションに住んでいたことがあるが、現在の水道水よりも、よほどおいしかったと記憶している。
 でも、東京23区内で、「井戸水ブーム」は、起こらないだろう。
 「赤石山脈の湧(わ)き水」「神戸市内の住宅地の井戸から汲(く)み上げた水」などよりも、イメージが悪いからな。

2009年4月15日水曜日

今までにだれからも評価されなかった朝食メニュー

 私は豆腐と厚揚げと油揚げと納豆が好きだ。最悪の場合でも、このうちのひとつは毎日、食べている。
 そんな私が推奨する朝食は、卵かけごはん・豆腐(または厚揚げ)と油揚げの入った味噌汁・納豆である。納豆には、当然、醤油をかける。
 ところが、「そんなのを食べるのは、頭がおかしい」と言われる場合もある。理由は、こうだ。

豆腐 大豆製品
(厚揚げ 大豆製品)
油揚げ 大豆製品
味噌 大豆製品
納豆 大豆製品
醤油 大豆製品

 こうした組み合わせが「あほだろ」いうことらしいが、毎日、米の飯を食ってるやつには言われたくないな。
 なんなら、湯葉刺しとおからもつけてやろうかと考えている。

2009年4月14日火曜日

アイルランドの人口10万人あたりの犯罪発生率は0.32件なんだが……

 アイルランドの人口10万人あたりの犯罪発生率は0.32件で、EU(European Unionヨーロッパ連合)全体で最低である。項目によっては、日本よりも発生率が低いものもある。
 日本よりも、部分的には治安がよい国というのは、すごいよなあ。
 こういうことを知ると、その理由を知りたくなるのだが、結局、よくわからない。
 勝手な仮説を立ててみた。
 ずっと大英帝国の植民地として収奪されていたから、残った農産物をみんなで分け合わなければ暮らしていけなかった。だから、仲良しになってしまったというのはどうだろうか?
 じつは、アイルランド自体は、農産物が豊富で、生産された農産物で、食糧は充分に足りていたのだが、英国に収奪されることで、たいていは食糧難の状態が続いていた。英国のせいで、食糧の生産が思うようにまかなえない国々と同じ状態になっていた。
 食糧が足りないと、昔の日本でいうところの村八分にされるようなタイプの人間は生きていけないから、自然と淘汰されて、現在、生き残っている住人には、犯罪に走るようなタイプが少なくなっているということが考えられると思ったのだが、どんなもんかしら。
 そのアイルランドも、EU内での住人の移動が自由になってから、犯罪発生率が以前よりは上昇しているそうだ。

2009年4月13日月曜日

北欧は格差の小さい社会だが……

 北欧、つまり北ヨーロッパの国々は、格差の小さい社会であるような印象を、たいていの人は抱いていると思う。ただ、自然に格差のない社会になっているわけではなく、懸命に努力して格差を減らしているという印象も受ける。
 とはいえ、地理的な条件から格差がなくなっている部分がないわけではないようだ。
 格差を示すジニ係数などについてものを読んでいたら、ニューヨークのジニ係数について述べてあった。
 ジニ係数Gini's coeffientとは、主に社会における所得分配の不平等さを測る指標で、0に近いほど格差が少なく、1に近いほど格差が大きい。
 ニューヨークでは、春先にはジニ係数が小さくなり、秋には大きくなるそうである。毎年、そんな具合だそうだ。
 冬の間に、いったい、何が起こるのか?
 ホームレスが凍死することで、ニューヨーク市内にいる底辺層の住人が大幅にいなくなってしまうのが原因だそうだ。
 北欧は格差が小さい理由に関して、底辺層の住人が冬の間に減るということが少しはあるのではないかと考えたのである。ところが、これを検証する方法がわからない。
 また、アイルランドも、農業などに関して、昔から豊かであるとはいえない社会なのであり、互いに助け合わなければならないところであるのだが、このアイルランドもまた、日本などと較べれば、格差の小さい社会である。
 自然環境が厳しいがゆえに、格差が小さい社会と、格差が小さくなくはないけれども、凍死したり、餓死したりすることがない暖かい(あるいは暑い)国とでは、どちらがよいのであろうか?

2009年4月12日日曜日

「いらっしゃいませ」の本当の意味は「万引きするな、おい、こら」である。

B〇〇K 〇FF(BOOK OFFとはかぎらない)とかいう古本屋に入ると、「いらっしゃいませ」と店員のひとりが言い、それに呼応して、ほかの店員がつぎからつぎへと「いらっしゃいませ」と言う。うざったらしいこと、この上ない。

コンビニエンス=ストアでも、店舗によっては「いらっしゃいませ、こんにちは」と店員がつぎからつぎへと言う。

あまり意味のある発話行為とは思えないでいた。

ところが、これには意味があった。

万引き防止だ。

「いらしゃいませ」と声をかけることで、「客としての自分は店員に注目されている」と思い知らせる作戦である。「注目されている」と思わせると、その客は万引きしなくなる。

だから、この手の店で「いらっしゃいませ」と言っているのは、本当は「いらっしゃいませ」と思っているわけではなく、万引きしにくくするために「いらっしゃいませ」と言っているにすぎない。つまり、「おまえの存在にこちらは気づいているから、万引きしたら、気がつくぞ。万引きするなよ、おい、こら」というメッセージを伝えているにすぎない。

なんか、ムカつかないかな?

店によっては、というか、店員によっては、この人は万引きするタイプではないと判断して、私に対しては「いらっしゃいませ」とは言わなくなる店がある。そういう店は、「袋は要りません」と言った場合でも、買った商品にシールを貼ったりはしない。そういうところには好感を抱いている。

その一方で、いつまで経っても、「いらっしゃいませ」を連発する店は、行かないようにしている。自分の判断で行動できない店員しかいないか、あるいは、マニュアルを一方的に強制するオーナー・店長の店であるかのいずれかであるからだ。

硬直したシステムほど、たちの悪いものはない。

「いらっしゃいませ」を連発する店舗は、あるいは、万引きをするのが当然のような客層が中心の店舗(てんぽ)なのかもしれない。万引き常習者が集まる店舗というのは、どういうものなのだろうか? それはわからない。

が、いずれにしろ、「いらっしゃいませ」を連発する店は、あまり気分のよいものではない。おれのことは、ほっといてくれよと思う。

しかしながら、世の中には、いろんなタイプの人がいるもので、「いらっしゃいませ」と声をかけられることで、普段はだれからもその存在を顧(かえり)みられない人にとっては、唯一といってよいくらいに、自分のことを注目してもらえる機会であって、そういう人にとっては、うれしいことなのかもしれない。「声かけがしっかりしていて、好感のもてる店でした」とブログなんかで書いている人もいる。でも、そういう人は、よほど孤独なのだろう。知らない人に声をかけられてうれしいという人の気持ちが、私にはわからない。

2009年4月11日土曜日

コンビニエンス=ストアで「袋は要りません」と言うとシールを貼られてしまうが……

 コンビニエンス=ストアで「袋は要りません」と言うと、買ったばかりの商品にシールを貼られてしまうが、つねづね、あれはおかしいと思っている。
 代金を支払った時点で、その商品の所有権は売り手から購買者に移動している。ということは、ほんの少し前までは、その商品の所有者は、店側であったが、代金を支払った時点で、それは自分の物になっている。それなのに、商品にシールを貼るということは、他人の持ち物の勝手にシールを貼るのに等しい。「おまえ、他人のもんに勝手になにすんじゃあ!」と、殴られてもしかたのない行為である。
 同時に、煙草を買ったときには、どうしてシールを貼らないのかという疑問があったが、しかし、これは解決済みである。たいていのコンビニエンス=ストアでは、客が直接、手に触れられる場所に煙草は置いていない。
 単品を買った場合にシールを貼るのは理解できるが、エコバッグを持っているときに、「袋は要りません」と言ったときに、過去に1度、10個くらいの商品すべてにシールをつぎからつぎへと貼られた経験がある。ま、1度だけだけど。

 万引き防止といえば、コンビニエンス=ストアやスーパーマーケットのビニル袋(英語ではplastic bag)を、最初にスーパーマーケットが導入したのは、万引き防止がいちばんの理由だったと聞いたことがある。買い物籠(かご)や買い物袋を持ってこられ、その中に万引き商品を入れられても、摘発しにくいという事情があった。そこで、1枚あたり2円で済むのならと、無料ビニル袋を導入した。しかも、ビニル袋の材料は、石油化学工業ではもともとは捨てているようなものであったし、ゴミ袋のかわりにもなったから、本来は、エコロジカルであり、万引き防止にもなるという一挙三得・一石三鳥の美技(ファイン=プレー)であった。
 ところが、そうした事情を忘れたころに、「無駄をなくそう」ということになった。本来は、決して無駄というわけではなかったのに、そういう流れになってしまった。
 そこで、コンビニエンス=ストアもスーパーマーケットも、各店舗でエコバッグを売り始めた。これが、どう見ても原価の安そうなものばかりで、買いたくなるような代物ではなかった。とにかく、いかなる機会をも逃さずに「儲(もう)けよう」としたわけだ。「信じる者」と書いて「儲(もう)け」と読む。いかした漢字だな、「儲」って。
 エコバッグが普及した結果、今では、万引きが増えて、困っているらしい。おやおや。

2009年4月10日金曜日

スーパーサイズ=ミー(Super Size Me)について考えてみた。

 『スーパーサイズ=ミー』Super Size Meはアメリカのドキュメンタリー映画で、1日3食、30日間、マクドナルドMacDonald'sのファスト=フードだけを食べ続けると、どうなるかを記録したものである。
 結果はつぎのようなものであった。
 まず、体重が24.5ポンド(11.1kg)増えた。13%増である。
 体脂肪率は18%になった。7ポイントアップだ。
 BMI指数(Body Mass Index)は27になった。BMI指数は、体重を身長の自乗で割るものである。その際、身長の単位はメートル(m)である。
 そのほか、鬱状態(うつじょうたい)に陥り、肝臓の炎症なども経験している。

 マクドナルドのファスト=フードだと、特に顕著に身体の不具合が出るのであろうけど、ファスト=フードでなくても、1日3食、30日間、同じものを食べ続ければ、どんなものでも、具合が悪くなるのだろうから、『スーパーサイズ=ミー』が公開されたとき、さほどの興味を惹かれなかった。

 以下のものに挑戦して、同じようなドキュメンタリーを制作してくれる人がいたら、ちょっと観てみたい気がする。

 1日3食、30日間、握り寿司だけを食べ続ける。
 1日3食、30日間、カップヌードルだけを食べ続ける。
 1日3食、30日間、カルボナーラだけを食べ続ける。
 1日3食、30日間、玄米のごはんだけを食べ続ける。
 1日3食、30日間、チョコレートと牛乳だけを食べ続ける。

 結果を比較してみたい。



2009年4月9日木曜日

「まじっぱねえっす」の意味がわからなかった。

 最近、ウェブで「まじっぱねえっす」という言い回しをみた。なんとなく、「本格的です」や「本当です」というような意味で使っているように思ったが、語源や由来がさっぱりわからなかったので、高校生に訊ねてみた。
 「まじで半端(はんぱ)ないです」が省略されたものだそうだ。「ぱねえっす」あるいは「ぱねえす」「ぱねー」だけで使うこともあるそうだ。
 これは、教えてもらわないとわからないな。ある年齢以上で、「まじっぱねえっす」から、「まじで半端ないです」に自力でたどりつける人がいるのだろうか?
 「まじ」そのものが「真面目(まじめ)」の略されたものだから、さらに遡(さかのぼ)ると、「まじっぱねえっす」は「真面目に半端ないです」が変化したものといえなくもない。だが、「真面目に半端ないです」と書くと、もとの表現のもつ「感じ」が出ない。その理由はというと、「真面目」が元だとはいえ、意味が変化して、ここでは「真面目」が「本当」の意味に変化しているからである。こういうことは、頭が悪くなければ、すぐにわかるはずだが、語源的な考察ができない場合、「真面目に半端ないです」に強い違和感を抱くだけで終わってしまうらしい。頭が悪くなければ、すぐに「本当に半端ないです」ということだと、脳内で変換でき、納得できるはずである。「まじ」は「真面目」の略されたものだが、たとえば、人口に膾炙(かいしゃ)されている「『本気』と書いて『まじ』と読む」などの表現から、「まじ=本当」とだけしか考えず、真面目→まじ→本気・本当という流れが見えていないからであろう。
 ところで、初めの部分を省略する言語表現はよくみられる。
 「ばっくれてんじゃねえ」は「しらばっくれてんじゃない」つまり「しらばくれているのではありません」が変化したもので、「んだよぉ」は「何だよぉ」が変化したものだ。
 遡(さかのぼ)って、江戸っ子が口にする「てやんでぇい」は「何、言ってやんでえ」つまり「何を言っているのですか」が変化したものだ。
 英語では、becauseを 'cause と書いたり、 'coz と書いたりする。また、It was ...を 'Twas ...と、Iを省略した上に、1語で表記する場合もある。
 人間というのは、すぐに舌がだらけて、きちんと発音するのが面倒になるものらしい。

2009年4月8日水曜日

fast foodの発音について

 fast foodとは、いうまでもなく、ハンバーガーhamburger、フライド=チキンfried chicken、ピザpizza、ホット=ドッグhot dogなど、簡単に調理ができ、すぐに客に出せる料理のことである。
 関係ないけど、ハンバーガーの綴りがどうしても思い出せないという人は、ハンバーガーはもともとハンバーガー=ステーキHamburger steak(ハンブルグ風ステーキ)に由来しており、Hamburgハンブルグというドイツの地名からきているということを踏まえれば、どこが-a-で、どこが-u-なのかわかるだろう。
 このfast foodは日本語では「ファースト=フード」と呼ばれているのが、これはイギリス発音に近い。日本語にはfの発音がないから、そのあたりは目をつぶるとして、fastは、アメリカ発音では、 /fæˈst/であり、イギリス発音では/fɑ':st/である。ピザ以外のfast foodはアメリカ生まれなのだから、当然、アメリカ発音のほうがよさそうだが、どういうわけか、「ファースト=フード」と、イギリス発音の/fɑ':st fú:d/に近い読み方をしている。そういえば、先日、「ファースト=フード」のことをfirst foodだと思い込んでいる人がいた。
 また、アメリカ合衆国軍が使用する迎撃ミサイルを日本語で「パトリオット=ミサイル」と呼んでいるが、Patriotはアメリカ企業が開発・製造しているのだから、アメリカ発音の/peɪˈtriət mɪˈsəl | peɪˈtriət mɪˈsl/に近い「ペイトリオット=ミサル」または「ペイトリオット=ミスル」にしないのも不思議といえば不思議だ。ちなみに、イギリス発音なら、/pæˈtriət mɪˈsail /である。
 「日本人とアメリカ人のハーフ」という言い方にしても、halfはアメリカ英語では/hæˈf/(ハフ)であって、/hɑ':f/(ハーフ)はイギリス英語なんだよな。

2009年4月7日火曜日

天才参謀秋山眞之(真之)は試験のヤマを当てるのがうまく、海軍兵学校を主席で卒業した。

 秋山眞之(さねゆき、真之とも)は、日本海海戦開戦時、連合艦隊主任作戦参謀海軍少佐であった。「天気晴朗ナレド波高シ」は、眞之によるものだ。村上水軍の戦法を基に「丁字戦法」を編み出し、「七段構えの戦法」(「七段の構え」とも)を考案した。
 眞之は海軍兵学校では素晴らしい成績を修めている。海軍兵学校第17期の主席卒業である。海軍兵学校では主席卒業者の名前でその年次のクラスを呼ぶ。第17期生は、すなわち、「秋山クラス」である。
 眞之は試験のヤマを当てるのがうまかった。

過去の問題を見て、教師の癖を見ているとヤマは当たる。教官というものは、癖から離れられないものだ。必要な問題はたいてい繰り返して出す。平素から教官の講義態度――顔つきや説明ぶりを注意深く見ていると、何が出るかわかる。

 真之は、以上のように述べている。
 これは、おそらく、海軍兵学校であったから言えることであると思う。
 世の中の教師には、何も考えずに適当にやっている者も少なくない。出題傾向の分析をしていると、この学校はどういうタイプの生徒を求めているのかが見えてこないというものがある。ここ数年、これこれの問題を出していないからそろそろ出してみるかというタイプがあったりする。この手の学校は、どんなに頑張っても大学進学の実績を上げられないケースが多い。また、問題分析を的確にはできない学習塾が合格させられる上限の高校・中学がこの手合いであったりする。
 また、中学・高校の定期試験の対策においても、狙いが見えない出題をする教師もいる。適当に満遍(まんべん)なく勉強しなさいというメッセージとも受け取れなくもないが、こうした出題をする学校は、生徒に努力させる量の割には大学進学実績が悪いように思う。
 海軍兵学校の場合、富国強兵の下、列強に伍(ご)して行くために、教官も学生も必死だったのだから、無駄なことはやっていられない。また、教官も学生もレベルが低くはなかったであろう。教官が重視するところ、重要だと考えるところから出題されるから、ヤマが当てやすいのである。
 大学の入試問題を分析すると、難関大学ほど、何を狙っているのかがわかるし、偏差値の上では同じくらいの大学でも、東京大学出身者(大学院からではなく学部からの出身者)の教員の割合が高い大学のほうが狙いがわかりやすい。
 ただし、難関大学とされるところでも、ミッション系、つまりキリスト教系の大学は、何も考えずに暗記量を競わせる問題が多い。論理的思考ができるかどうかを試す問題が異常なまでに少ない。

2009年4月6日月曜日

「俄然」の意味

 最近、「俄然」の意味を取り違えている人がいるようだ。もちろん、「俄然」の意味は、「にわかに、急に」であるが、同時に、「断然」と間違えた用法が増えているらしい。
 なんでも、avexが『俄然パラパラ』というオムニバスCDシリーズを販売した影響だそうだ。これが「俄然」を「断然」の意味で使っており、たぶん、意図的な誤用によって、急速に普及したらしい。
 「俄然」の「俄」は、訓読みでは「俄(にわ)かに」である。「俄(にわ)か雨」は、「急に降り始めた雨」のことであるし、「俄(にわ)かファン」は、最近になって急にファンとなった人のことである。
 「俄かに」を知ってれば、「俄然」を「断然」の意味であるはずがないということが推測できるはずなのだが、「にわか」の漢字を知らなければ、「俄然」を「断然」だと間違えてもしかたないのかもしれないな。

2009年4月5日日曜日

「ありがとうございました」と「ありがとうございます」

以前は、「ありがとうございました」というのが当然であった。ところが、最近、「ありがとうございます」という店員を見かけるようになった。たぶん、そう言うように指示するマニュアルがあるのだろう。

「ありがとう」は、もともとは「有り難(がと)う」と書く。「ありがとうございました」は「有り難う御座いました」であり、「う音便」が入る前は「有り難(がた)く御座いました」であった。

よく言われることだけれども、「ありがとうございました」というのは、「有ることが難(むずか)しいことでございました」ということである。

「有ること、つまり存在することが難(かた)い=難(むずか)しいことであった」と、過去に発生したできごとに対して、そのような感想を述べるというかたちで、「現在の感謝の念」を表明するものである。「いやはや、あなたさまがわたくしに対してなさっことは、滅多にないことでございます」と言っているのである。

「過去形」を使って「現在の感謝」を表明しているわけだ。

ヨーロッパの言語にある仮定法・条件法・接続法などに近い「ものの言い方」であろう。

ところが、一般の日本人は、文法を精密には学ぶことがない。

日本語の文法にしても、橋本進吉による橋本文法を基にしたものだ。体系性に問題がないわけではなく、整合性にも頭をかしげる部分がある(もちろん、こういうことを指摘したからといって、私には、よりよい文法が作れるわけではないが)。

英語の文法も、中学以上で学ぶのであるが、仮定法に関しては、中堅上位とされる大学の文法問題をクリアする程度のレベルしか理解していない。日本人のほとんどは仮定法の本当のところを理解していないんだろうな。

いいかげんな日本語文法を習い、英語の仮定法を充分には学習していないので、ほとんどの日本人は「ありがとうございました」の「」を単なる過去形だと思ってしまうらしい。そこから、「現在の感謝を過去形で言うのは何事か! 『ありがとうございます』と現在形で言え!」という発想が出てくるんだろうな。

仮定法・条件法・接続法なんてものがわかっていれば、「ありがとうございました」は「過去形だからよくない」という発想はないと思うんだが。

とはいえ、ことばというものは、みんなが間違えた時点で、それは間違いとはいえなくなるものだから、これからは、「ありがとうございます」が主流になるんだろうな。

2009年4月4日土曜日

日大芸術学部の看板が……

 日大芸術学部(日芸)の看板が、いつのまにか、日本大学術学部となっていた。「芸」の字が「藝」と正字体(旧字体ともいう)になっていた。
 ウェブサイトを見ても、「日本大学藝術学部」となっている。
 知るかぎり、「藝術」を使っている芸術大学は、東京藝術大学と日本大学藝術学部だけだ。
 東京藝術大学は、以前から、校門の看板では「藝」を使っていた。
 日芸は、以前は「芸術学部」だったと記憶している。どうも、「江古田キャンパス整備事業」が始まってから、看板の文字を「藝」に変えていたらしい。
 もともと、「芸」は「藝」の字を略したものではなく、まったく別の文字であった。本来の「芸」は音読み「ウン」しかなく、一種の香草のことであった。「わざ」「のり」などの意味はなかった。
 だから、けっこう以前には、漢字にやかましい人の場合、「藝術」を「芸術」とすることを嫌う場合がなくもなかった。
 「藝」の文字のほうが好きだから、「藝術学部」という看板には好感を抱いている。

2009年4月3日金曜日

使用済みの計算用紙のゴミ箱への捨て方の分類

 計算用紙の捨て方は、3種類あるようだ。
 破ってから捨てる。
 丸めてから捨てる。
 なにも手を加えず、そのまま、ゴミ箱に捨てる。

 丸めてから捨てるタイプの生徒は、野球をしている小学生であったり、野球部に所属している高校生であったりすることが多い。
 それ以外の捨て方については、傾向がつかめないでいる。
 私は、破ってから捨てる。破らずに捨てておくと、必要な書類なり、プリントなりが、誤ってゴミ箱に落ちたものなのかどうかが、判然としないからだ。

2009年4月2日木曜日

100g当たりで物の値段を考えてみた。

 自動車を高価な買い物だと考える人がいる。しかし、100g当たりで考えると、それほどでもない。

 ダイハツ工業ミラMira Lだと、118円/100gである。豚のこま切れよりもちょっと高いくらいだ。

 ベルツェデス=ベンツの場合、S550は、1327万円(税込み)だけれども、100g当たりで考えると、680円である。100g5,000円松坂牛のほうがよっぽど高価である。ちなみに、このことを指摘したときに、「松坂牛を2トンも買う馬鹿がどこにいる!?」「有機物と無機物を比較するのは間違ってへんか?」と反論された。

 本田技研工業スーパーカブ90デラックス Super Cub 90 Deluxeは、100g当たり227円である。単位重量当たりでは、ダイハツのミラのおよそ2倍である。

 1カラットの最高級のダイアモンドは、100万円くらいである。1カラットは0.2gなので、100g=500カラットとなり、1カラットの最高級ダイアモンドが500個で100gとなる。100万円×500個=5億円だ。うーん、ただの炭素のくせに。

 楽器の場合はどうだろう?
 ヤマハグランドピアノCFIIISは1417万5千円(税込み)だが、重量は500kgもある。グランドピアノは普通、330kgくらいだから、相当に重い。よい材料を使うと重くなるのだろう。で、100g当たり2835円だ。
 ヤマハアコースティック=ヴァイオリンアルティーダArtidaのラインナップにあるYVN200GならびにYVN200Sはともに94万5千円(税込み)である。ところが、ヴァイオリンは500gもないから、100g当たりで考えると、すごく高価なものになってしまう。100g当たり18万9千円だ。
 2億円のストラディヴァリウスだと、100g当たり、4000万円だ。
 まあ、楽器は、「物」に対してではなく、「音色」にお金を出すものだからな。100g当たりで考えるには、適していない。

 以上、ものごとを数字で考えるのは、一般的には、きわめて有効な手段であるが、見当違いのことを数字で考えても、無意味だという例である。

2009年4月1日水曜日

漢文で、まったく知らないときの最後の抵抗策(いんちきくさいけど、それなりに有効)

 HAL496では、生徒によっては、入学試験の過去問の演習しかしないという場合もある。
 漢文をまったく勉強したことがない生徒を対象に、問題を解いてもらって、解答・解説を行なっていたときのことだ。
 全然、勉強したことがないので、そのまま解かせるわけにはいかないので、こちらが音読してみせた。音読そのものが、理解の一助となる。内容がわかっていないと、どこで区切るのかさえわからないものである。だから、正しい音読を耳にするだけで、相当にわかる。
 音読を耳にするだけで読解力を要求する問題は、いくらか得点力が向上するが、それでも、知識問題は、知らなければまったく歯が立たない。

二重傍線部「已」と同じ読み方をする文字はどれか。正しいものを次のうちから選べ。

1 焉   2 乎   3 耳   4 之

 さて、「已」の読みは、出題文にふりがなが施されているので、「のみ」だとわかるようになっている。ところが、生徒は、ほかにどのような文字が「のみ」の読みになるのかを知らないという。それなら、100%使える方法ではないが、それで当たれば儲(もう)けものという手を説明した。
 もちろん、いつでもこれで正解できるというのものではない。あくまでも、「まったくわからない」場合に使う方法である。

 たとえば、「汝(なんじ)」という文字がある。中国人にだって、面倒くさがり屋さんはいるから、同じ発音で画数の少ない文字で代用しようとする。それで、「女」を「汝」の意味で使う例が漢文ではある。
 漢文を読む場合、その文字本来の意味で前後関係が通じない場合には、同じ発音のほかの文字を考えて、前後関係がすっきりするものを採用して、解釈する。
 ここでは、どうしようもない場合に、音読みをして、「音(おん)」が近いものを選べばよい。100%ではないが、あてずっぽうで選ぶ場合の「4分の1」よりはましだ。

已 イ

1 焉 エン
2 乎 コ
3 耳 ジ
4 之 シ

 これで、日本語で考えても、母音が同じものは、「耳」「之」の2つに絞り込める。これだけでも、有効な手段であろう。同じように対処できる問題が10問あれば、5問は正解するのだから。
 さらに、「已」に「すでに・やむ」の読みがあり、「之」に「ゆく」の読みがあるということを知っていれば、まさか、別の意味とはいえ、正反対の意味のある文字が同じ意味になる可能性は低いのではないかと想像すると、「耳」を選ぶことになるが、結果的には、正しい。
 また、ひとつの大学の入試問題ばかりを解いていくと、その大学特有の「ひっかけ」のつくり方がわかってくるので、この大学では「みみ」と読むようなものが、むしろ正解であるということがわかるということもある。
 なお、「已」と「耳」は、韻(平水韻)と四声が同じだ。

 音(おん)が同じ漢字で代用するというのは、中国人にかぎらない。日本語でもある。たとえば、「歌麿」は「哥麿」と表記される場合もある。また、和歌山県の教育水準の高くはない社会階層では、ずいぶんと以前のことだが、「和歌山」を「和可山」と書くという例も見受けられた。和歌山市内に「ぶらくり丁」というのがあるが、「丁」は「町」を略したものだと思う(ちがうかもしれない)。
 ところが、ものごとには例外があるもので、「記録」の「録」がある。「記録」の意味から考えると、「録」が「金偏(かねへん)」なのはおかしいと感じないかな? 本来は「彔」(これは「録」の旁(つくり)の正字体(旧字体))であった。どういうわけか、音が同じで、別の文字である「録」が定着してしまっている。

 それはともかく、同じ読み方をする文字はどれかという問題に対して、自らの知識で正解に辿(たど)りつけないのであれば、音から判断して同じもの、あるいは近いものを選ぶという方法はそれなりの効果がある。
 ところが、ある生徒が、以上の説明のあと、こんなことを言った。
 「漢字の音で考えると正解できることがあるというのはわかったんですが、漢字の音が全部、わからないときはどうしたらいいんですか?」
 うーん、……どうしようもないなあ。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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