2013年11月30日土曜日

「特定秘密保護法案」に関する個人的な危惧(きぐ)

特定秘密保護法案が取り沙汰(ざた)された当初は、「特定秘密」を自分が知ることはないから、別にどうでもよいと考えていた。

また、安倍晋三首相自身、一般の民間人にはアクセスすることができない情報だから、(おそらくは、極左や左翼などを除けば)問題はないという意味のことを述べていた。

これは杞憂(きゆう)にすぎないのだろうが、少し気になることがある。

このブログでは、軍事関係のことをお笑いネタとして、ときおり、認(したた)めている。

アクセス解析を見ると、グアムにある米軍基地(アンダーセン空軍基地か、ブリガダ通信基地か、どちらからしい)から、このブログにアクセスがあったことがあり、数分後に、同じ基地から別のIPアドレスでアクセスがあったということが判明した。

このときは、ちょっとだけビビッた。なんか不味(まず)いことを書いたのかと心配になった。

その後も、ドイツの米軍基地からアクセスがあったり、ワシントンDCからアクセスがあったり(ホワイトハウスからとは限らないが)、台湾政府からアクセスがあったりして、そのたびに、ビビッている(軍事基地や各国政府からアクセスがあっても、当該(とうがい)の記事がアニメや食べ物ネタだとビビリはしないが)。

まあ、このあたりについては、ちょっとでもキーワードに引っかかれば、自動的にアクセスして情報収集をしているにすぎないのだろうけど。

アメリカの無料アクセス解析を使っているのだけれど、それにはロシアからのアクセスはない。しかしながら、このブロガーについている「統計」を見ると、国別のアクセスの多さの順位が、1位:日本、2位:アメリカ、3位:ロシアなのである。

ロシアに日本人が多くいるとは思えないから、これらのアクセスも、ロシアの諜報機関(ちょうほうきかん)などによるものではないだろうか?

諜報活動(ちょうほうかつどう)では、とりあえず、キーワードは虱潰(しらみつぶ)しにするようだ。

で、話は特定秘密保護法案に戻って、ウェブ上で普通に転がっている情報と、書籍・新聞・週刊誌などにある情報から、ある特定の推測をしたら、どんぴしゃりと当たっていたら、「特定秘密保護法案」違反として、間違って、逮捕されてしまうのではないかと思うと、ちょっと不安だ。

2013年11月29日金曜日

「ど根性商品券」は成功だったのだろうか?

「ど根性商品券」はプレミアム付き練馬区内共通商品券である。2009年と2010年に販売された。漫画『ど根性ガエル』のイラストが入っていた。

1,000円の商品券が11枚つづりのものを、10,000円で購入できた。10,000円で1,1000円分の商品券が手に入った。

この商品券によって、練馬区内の景気をよくしようとした。

ところが、この商品券は、現金と同じ扱いであり、1,000円以下の買い物の場合、お釣りがもらえた。

すると、1,000円分の商品券で、10円のうまい棒を買って、990円のお釣りを受け取る者が現れたそうだ。

(1,000円-10円)×11枚=10,890円

100,000円分を購入して、うまい棒作戦をすれば、手許(てもと)に108,900円が残ることになる。8,900円の儲(もう)けである。けれども、なんだか、地味(じみ)な金儲(かねもう)けだなあと思った。

だから、地域振興には役に立たないのではないかと思ったのだが、2011年・2012年と、今度は「ねり丸商品券」というものが販売された。ねり丸とは、練馬区のマスコットである。

続いているということは、それなりに、地域振興には役立っていたということか?

2013年11月28日木曜日

ミッドシップ形式の車輌(しゃりょう)の運転特性:アクセル操作でステアリング特性が変化する。

ミッドシップ形式rear mid-engine, rear-wheel-drive layoutの車輌(しゃりょう)とは、エンジンが運転席と後輪の間にあって、後輪駆動の自動車である。F1カーやフェラーリなどが、そうである。

ステアリング特性には、大別して、3つある。アンダーステアundersteer・ニュートラルステアneutralsteer・オーバーステアoversteerの3つである。

アンダーステアは、前輪が後輪と較(くら)べて外側に滑(すべ)り、運転手の意図よりも外側に膨(ふく)らむステアリング特性である。

オーバーステアは、前輪が後輪と較(くら)べて内側に切れ込みむ。

ニュートラルステアはこの2つの中間である。

さて、ミッドシップ形式の車輌(しゃりょう)の場合、これが一筋縄(ひとすじなわ)にはいかない。

アクセル操作でステアリング特性がオーバーステアに変化するのである。激変するといってよい。

コーナーではステアリングをそのままで、アクセルを踏み込めば、オーバーステアに変化する。

F1レーサーなどがスピン=ターンをする際、ステアリングは少ししか切らずに、アクセルをうんと踏み込んでいる。超オーバーステアになるのだ。

ミッドシップ形式の車輌では、それほどステアリングを切らずに、アクセル=ワークによってステアリング特性を変化させて、コーナーを曲がるのである。だから、あまりハンドルを動かさずに、曲がり方を変えられるし、そこがおもしろくて、楽しい。

このことを知らないモーター=ジャーナリストが、一般の人が購入する市販車だから、この自動車は弱アンダーステアの味つけになっていると記事に書いているのを読んだときには、びっくりした。本当にモーター=ジャーナリストなのかと思ったのだ。

弱アンダーステアでも、ハンドルの操舵角(そうだかく)とアクセルの踏み加減によって、スピンや事故が頻発(ひんぱつ)しているのだ。

ちなみに、私が本田技研工業のビートBeatというミッドシップ形式のオープン=カーを買ったときに、販売店の人に、雪の日にはどうすればいいのかと訊(たず)ねたら、乗るのはすっぱりと諦(あきら)めてくださいと言われた。

また、コーナーの出口や、車線変更した際に、フェラーリなどが大事故を起こすのは、ハンドルを切りながら、アクセルを踏み込んだことによって、超オーバーステアになったからである場合が多いようだ。

ミッドシップ=カーの事故は、FR車(エンジンを前に置き、後輪が駆動するもの)の運転の仕方をしていることに起因(きいん)しているようだ。

こうしたことも、自動車教習所で教えればいいのにと思うのだが……。

それにしても、さらに挙動がシビアなRR車(エンジン後ろ置きの後輪駆動車)で、アイスバーン[=路面凍結、ドイツ語:Eisbahn]まであるモンテ=カルロ=ラリーで優勝したアルピーヌ=ルノーA110 Alpine Renault A110のドライバーは、魂消(たまげ)るほど凄(すご)い。

↓前輪に着目すればわかるが、ステアリングをそれほど切っていないのに、スピン=ターンができているよ。



2013年11月27日水曜日

アマンディーヌ あるいは2つの庭(2/18)

水曜日

 アニィとシルヴィとリディがやって来ました。クロードは女の子たちにじゃれつきました。仔猫たちはもう目が見え、よたよたとなんとか歩けるようになってい ます。女の子たちは仔猫をそれぞれ手に取りました。女の子の猫だと困るので、女の子たちはカミシャを残していきました。アニィはベルナールを、シルヴィは フィリップを、リディはエルネストを飼うことにしました。私はカミシャを飼います。ほかの仔猫がもらわれて、カミシャだけが残ったので、カミシャが大好き になりました。

2013年11月26日火曜日

ベトナム軍の強さ(2/2)―そして、フランスは貧乏になった―

ベトナム軍が戦(いくさ)に強いのは、帝国陸軍の軍事教練と軍事マニュアルによる。

1946年から1954年に亘(わた)っての戦いの後(のち)、フランス軍は撤退(てったい)した。

すると、翌年、ベトナムごときを相手に、フランスが撤退したということで、アフリカなどにあるフランスの殖民地が蜂起(ほうき)し、1960年には、アルジェリアを除けば、すべて独立した。

フランスは、アルジェリアだけはどうしても手放したくはなかった。かなり見苦しい対応をした。それでも1962年には独立を認めざるをえなくなる。

大東亜戦争によって、英国とオランダは殖民地を悉(ことごと)く失った。その結果、英国は経済力が半分に、オランダは3分の1になった。貧困に喘(あえ)ぐようになった。

ある年齢から上になると、日本を相当に恨(うら)んでいる英国人やオランダ人がいなくもない。

英国に到(いた)っては、動物性蛋白質(どうぶつせいたんぱくしつ)が足りなくなり、泣きながら、鯨(くじら)の肉を食べていた。英国の捕鯨反対運動の起源はこのあたりにあるのではないだろうか?

一方、英国人とはちがって、日本人は喜んで鯨肉(げいにく)を食べていたのみならず、学校給食では「鯨の龍田揚(たつたあ)げ」という名前で海豚(いるか)の肉も喜んで食べていた。

フランスも、英国やオランダと同様に、殖民地を失うことで、経済力が圧倒的に低下した。

しかし、ベトナム軍の強さが、帝国陸軍による軍事教練と軍事マニュアルによるものだとは思っていないので、英国やオランダほども日本を恨(うら)んでいないようだ。

フランスでの柔道の競技人口は日本よりも多く、杖道の道場も20くらいはあり、むしろ、親日的であるようだ。

また、2010年に開催された第1回世界弓道大会では、団体の部の初代王者は、フランス代表だった。

話は逸(そ)れるが、団体の部の日本代表は予選敗退だった。個人の部の初代王者は、フェリックス F. ホフFeliks F. Hoffというドイツのじいさんだった。戦後、GHQによる武道教育禁止の影響がまだ残っているような気がする。

さて、自分たちが貧乏になったのは、ベトナムにいた元・日本兵のせいだったと知って、それでも親日的なままのフランス人はどのくらいいるのだろうか?

前編→ベトナム軍の強さ(1/2)―帝国陸軍による軍事教練と軍事教本だった―

2013年11月25日月曜日

ベトナム軍の強さ(1/2)―帝国陸軍による軍事教練と軍事教本だった―

ベトナム軍の強さの秘密がわかった。帝国陸軍の軍事教本がそのひとつであった。

ベトナムは、蒙古襲来(もうこしゅうらい)を3度にわたって撥(は)ね退(の)けた。この点から、一般の日本人はベトナム人は戦(いくさ)に強いというイメージを抱(いだ)いている。

それにしては、フランスに100年に亘(わた)って殖民地にされたし、支那の属国であった期間も短くはない。

それにも拘(かか)わらず、第1次インドシナ戦争(フランスからの独立戦争)では、1946年から1954年にわたり、戦い続け、フランス軍を撥(は)ね退(の)けた。

第2次インドシナ戦争、いわゆるベトナム戦争では、アメリカ合衆国軍を退(しりぞ)けた。

ベトナム戦争で疲弊(ひへい)しているところで、カンボジア=ベトナム戦争が始まり、支那(しな)が介入し、人民解放軍が攻め込み、いわゆる中越戦争[個人的には越支戦争と呼びたい]となったが、支那の陸軍はベトナムにボコボコにやられてしまった。

これほどまでに戦(いくさ)に強いベトナムがフランスのような戦(いくさ)に弱い国に100年に亘(わた)って殖民地であったというのがわからない。むろん、第2次インドシナ戦争では、ソビエト社会主義共和国連邦などからの武器の供与(きょうよ)があったのもあるだろうが、それだけではあるまいと考えていた。

元・日本兵による軍事教練であった。

帝国陸軍は、大東亜戦争中、インドネシアやビルマ、ならびにインド国民軍には軍事教練を施(ほどこ)したが、ベトナムにはそうしたことはしていなかった。

ところが、大東亜戦争終結後、帝国陸軍はベトナム人に軍事教練を施した。

史料にもよるが、500人から800人の元・日本兵がベトナムにいた。当時、ベトナムは「印度支那(インドシナ)」と呼ばれたところだ。ベトナムの民間人たちが、元・日本兵たちに戦争の仕方を教えてくれと依頼した。元・日本兵たちはその依頼に応じ、8か月に亘(わた)る訓練を施(ほどこ)したのだ。

軍事教練では、「気をつけ」「回れ右」から教えなければならなかった。100年に亘(わた)る殖民地支配によって、戦(いくさ)の仕方がわからなくなっていた。

一般的な軍事教練のほかに、元・日本兵たちは、帝国陸軍の軍事教本をすべて、フランス語に訳した。ベトナムの上流階級はフランス語がわかるし、帝国陸軍には十全(じゅうぜん)にはベトナム語がわかる者がいなかったらしい。ベトナム兵は帝国陸軍のそのマニュアルに従って戦った。

それでも、武器が足りないので、第1次インドシナ戦争では、フランス軍の精鋭部隊(せいえいぶたい)とは正面攻撃に拘(こだわ)らず、徹底して補給部隊を攻撃するなどして、兵力の乏(とぼ)しさを補(おぎな)った。

一方、帝国海軍は、自分の階級を上げるために、補給船や輸送船を狙(ねら)わず、軍艦や空母を狙ってばかりいた。おまけに、インド洋からハワイ諸島までと戦線を広げすぎた。

戦(いくさ)の仕方を示すため、元・帝国陸軍兵が最前線に立ち、闘(たたか)い方の規範(きはん)を示し、半分が戦死した。

このときに生き残った元・日本兵は、こう述べている。

「あれは、大東亜戦争の続きだから」

後編→ベトナム軍の強さ(2/2)―そして、フランスは貧乏になった―

2013年11月24日日曜日

アマンディーヌ あるいは2つの庭(1/18)

Amandine ou les deux jardins 
par Michel Tournier
アマンディーヌ あるいは2つの庭
作:ミシェル=トゥルニエ

日曜日

私は青い目をしていて、真っ赤な唇をしています。薔薇色のほっぺはふっくらとしていて、金色の髪は波打っています。私はアマンディーヌといいます。大きな鏡に映った自分を眺めると、まるで10歳のかわいい女の子のようです。でも、びっくりすることではありません。私は本当にかわいい女の子で、おまけに10歳なんですよ。私にはパパとママとアマンダというお人形と、それに猫がいます。その猫は女の子だと思います。でも、男の子にも女の子にもクロードという人がいるので、その猫が女の子だという自信がありません。2週間くらい、クロードはとても大きなおなかをしていましたが、ある朝、籠の中に、クロードと一緒に4匹の仔猫がいました。仔猫たちは二十日鼠くらいの大きさで、小さな手足をゆっくりと動かしながら、おっぱいを吸っていました。仔猫たちがしまい込まれていたおなかは、まったいらになっています。やっぱり、クロードは女の子です。

仔猫たちは、それぞれ、ベルナール、フィリップ、エルネスト、カミシャといいます。はじめの3匹は、男の子の名前がついているので、男の子だということがわかっています。でも、カミシャは男の子の名前でも、女の子の名前でもないので、男の子なのか、女の子なのか、わかりません。

5匹も猫は飼えません」とママが言いました。どうしてかしら。よく考えてみましたが、わかりません。学校のお友だちに、仔猫がほしいかどうかたずねてみました。

2013年11月23日土曜日

学生のときのフランスの童話を訳したことがある。

学生のときに、フランスの童話を訳したことがある。当時、つき合っていた彼女へのクリスマスのプレゼントにと、訳してみたものだ。

『アマンディーヌ あるいは2つの庭』Amandine ou les deux jardinsという作品で、ミシェル=トゥルニエMichel Tournierによるものである。

10歳の女の子の日記という形式で話が進む。

日記は、日曜日と水曜日に記される。フランスでは、日曜日と水曜日が休みである。

水曜日が休みであるのは、フランスでは宗教教育は公的な教育機関では行なってはならないので、水曜日(地域によっては木曜日)に、近くの教会などで宗教教育を受けることになっているからである。

この日曜日から、日曜日と水曜日に掲載する予定である。

日曜日の分の日記を日曜日の0時00分にアップするのは奇妙なものだが、まあ、気にしないでほしい。

また、10歳にしては難しい日本語になっているが、もとのフランス語も難しい。

2013年11月22日金曜日

大学受験の英文法で最も出題されるのはshould have done((あのとき)……していればよかったのに)であるが、知っていても意味はない。

大学受験の英文法で最も出題されるのはshould have done((あのとき)……していればよかったのに)であるが、知っていても意味はない。

30年以上に亘(わた)って、should have done(doneは過去分詞を示す)が最頻出文法事項であるが、しかし、難関大学受験に関しては、何も得はしない。

というのも、難関大学の受験生はみんなが知っているので、出題する意味がなく、その結果、出題されないからである。

効率よく難関大学受験を攻略するとすれば、たとえば、偏差値65以上の大学に限定して、傾向を把握(はあく)し、頻出事項を纏(まと)めて、勉強するのが最も効果的ということになる。

しかし、地頭(じあたま)が悪いのにそんなことをした場合、偏差値65以下の大学に対する滑(すべ)り止めが効(き)かなくなる。

つまり、どこにも合格できなくなる。

2013年11月20日水曜日

「(-1)×(-1)=1」の証明

(-1)×(-1) = 1

を証明するのに必要な知識は 


分配法則

だけである。

a(b+c) = ab+ac  ……分配法則

初めて分配法則を目にしたときには、「法則」というほどのものなのだろうか、きわめて自明で「当たり前すぎる」と思った人も多いのではないだろうか。

つぎの計算をしてみよう。

(-1){(-1)+1} = ?

計算で工夫のできる人は、

(-1){(-1)+1} = ?



{(-1)+1}

に着目して、

{(-1)+1} = 0

であり、0に何をかけても答えは0であると考える。

(-1){(-1)+1}

= (-1)×0

= 0

(-1){(-1)+1} = 0

さて、ここで、分配法則を当てはめて、式を展開する。

すると、(-1){(-1)+1= 0はこうなる。

(-1)×(-1)+(-1)×1 = 0

そして、(-1)×(-1)+(-1)×1 = 0のうちの、(-1)×1の部分だけを計算する。

(-1)×(-1)+(-1) = 0

(-1)を右辺へ移項させる。まず、両辺に+1を加える。

(-1)×(-1)+(-1)+1 = 0+1

(-1)+1 = 0であり、0+1 = 1なので、つぎのようになる。

(-1)×(-1) = 1


2013年11月19日火曜日

カフェオレ=ボウルを知らないときに悩んだフランス語の文

大学1年生の夏休みに、アルベール=カミュArbert Camusの『異邦人』L'Étrangerを読んだ。

..., il a empilé des tasses autour d'une cafetière.
直訳:彼はカフェティエール[=コーヒー=ポット]の周囲にカップを積み重ねた。

カップというと、英国のティー=カップのように把手(とって)のついたものしかイメージになかった。若いころの自分はカフェオレ=ボウルなんて知らなかった。だから、把手(とって)のついたカップを積み重ねているにちがいないと思い込んでいるから、わけがわからなかった。一体全体、そんなことができるだろうかと不思議に思った。

そんなとき、明治通りを歩いていたら、雑貨屋にカフェオレ=ボールがあった。もちろん、カフェオレ=ボウルとはわからなかったので、お店の人に、それは何に使うものなのかを訊(たず)ねた。

それで、やっとこさ、「カップを積み重ねる」ということがどういうことなのかがわかった。

「生活の様式」がわからなければ、辞書や参考書を読んでもわからないことがある事例だ。

なお、把手(とって)のないボウルでフランス人がカフェオレを飲むのは、手で持てるくらいの温度のカフェオレがおいしいからだと説明する場合があるが、それはちがっている。日本人と較(くら)べると、フランス人は基本的には異常なまでに猫舌(ねこじた)だからである。

L'Étranger par Albert Camus
フランス語の原文で読めるよ。

2013年11月18日月曜日

宝くじで11連勝したが、それっきり、宝くじは買うのはやめた。

早稲田大学の近くに第一勧業銀行があった。宝くじは第一勧業銀行が主催していたから、宝くじを売る屋根つきの屋台のような売り場があった。

あるとき、なんとなく、宝くじを買った。5等賞だかなんだかの末等(まっとう)だった。100円の宝くじを買って、100円が戻ってきた。

自分は運がいいかもしれないと思って、また、宝くじを買った。

末等(まっとう)だった。

そして、宝くじを買い続けたところ、1枚ずつしか買わなかったのに、11回連続して、末等が当たった。収支に関してはプラス=マイナス=ゼロである。

しかしながら、ふと、考えた。これは、確率的にはどういうものだろうか、と。

計算してみたら、ある人がたまたま宝くじを買って、1等賞が当たるよりも難しいことが判明した。それで、宝くじは買わないことにした。

この話をしたところ、つまらないことに人生の運を使い果たしたんですねと言われた。

2013年11月17日日曜日

野球の台湾代表は、日本代表に3連勝したことがある。

野球の台湾代表は、日本代表に3連勝したことがある。しかし、彼らはそのことを自慢しない。

2013年の3月に、ワールド=ベースボール=クラシック(WBC:World Baseball Classic)の2次ラウンド1組1回戦で台湾代表は惜(お)しいところで日本代表に敗(やぶ)れた。

台湾代表の監督はつぎのように述べた。

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選手は素晴らしいプレーをしてくれた。国際試合で日本の高いレベルに近づきたいと思っていた。尊敬する日本に勝つことこそできなかったが、重圧をかけられた。残念な結果だが、いつか勝つ日が来ることを願っている。反省から学びたい。
---

この発言から、台湾代表は日本代表に勝ったことがないと思った人が多いようである。

ところが、1992年のバルセロナ=オリンピックでは、日本代表は台湾代表に、予選リーグで負け、決勝トーナメントで負け、準決勝で負けている。3連敗だ。

そのことは誇ってもよいと思うのだが、当時のオリンピックはアマチュアしか出場していなかったから、それに勝ってもたいしたことはないと考えているらしい。

WBCの日本代表、つまりプロ選手が参加した日本代表に勝ったことがないと考えているようだ。

ある条件下(じょうけんか)で勝ったことよりも、最高レベルでの戦いで負けたことを反省する。こうした国民性を備えた国は、これからも、すこぶる発展するのだろう。

2013年11月16日土曜日

元F1ドライバーの鈴木亜久里は、自動車教習所の路上教習で交通事故を起こしていた。

鈴木亜久里(すずき=あぐり)は12歳でカート=レースを始めた。自動車の運転免許が取得できる18歳の時点で、すでに6年もの間、カート=レースをしていた。

鈴木亜久里は、運転免許の取得にあたり、所沢中央自動車教習所に通ったそうである。

彼は、『ENGINE(エンジン)』か、あるいは『NAVI(ナヴィ、ネイヴィ)』のどちらかの雑誌で、自動車教習所の教え方などを罵(ののし)っていた。

自動車教習所では、合理性に欠ける指導法があったり、指導するには適正に欠ける教官がいたりするのは理解できるが、そこまで悪口を言わなくてもいいだろうと感じた。

暫(しばら)くしてから理由がわかった。

鈴木亜久里は、所沢中央自動車教習所の路上教習で交通事故を起こしていた。

しかも、驚いたことに、所沢中央自動車教習所は、鈴木亜久里が交通事故を起こした教習所として宣伝していた(今は宣伝には使っていないようだ)。

鈴木亜久里は、12歳からカートを始め、18歳で全日本F3選手権で最年少デビューを飾り、日本人で中嶋悟(なかじま=さとる)につぐ2人目のフルタイムのF1ドライバーとなり、日本人初の表彰台となった人物である。

その人物が、交通事故を起こした路上教習のある自動車学校って、どんな難コースなんだと思って、生徒が集まらないのではないだろうか?



2013年11月15日金曜日

自転車のタイヤを交換した。

自転車のタイヤがボロボロになったので、交換した。

頑丈(がんじょう)で、パンクしにくければよいという基準で選んだ。

パナソニックの子会社のPanaracer(パナレーサー)のPasela Blacks(パセラ=ブラックス)の700×23Cにした。

頑丈だけれどれも、やたらと重い。

ロード用のタイヤは、200gを切るものが一般的だと思うし、以前のタイヤはそんなものだった。

ところが、Pasela Blacks(パセラ=ブラックス)700×23Cは、カタログ=データで410gである。2倍以上の重さである。実際は、450gくらいであるようである。

それでも、前後輪合わせて、せいぜいのところ500gしか重量は増えないと考え、頑丈さで選んだ。

ところが、いわゆる「バネ下重量」の500gは、強い影響力を備えていた。

ずいぶんと昔に講談社ブルーバックスの『オートバイの科学――トータルバランスの限界を求めて』を読んだ。トータル=バランスを追求するには、まず、「マスの集中」(重量物を中心に集めること)と「バネ下重量の軽減」の2点が重要で、そこから、パワーがなくとも、全体としての操作性の向上を目指すとよいらしい。筆者は500cc単気筒エンジンで組み立てたプロトタイプで鈴鹿8時間耐久レースに参戦し、ワークス相手に、8位入賞を果たした。そのマシンを基に製品化されたのがヤマハのSR500である。

それにしても、たかだか500gの重量増加で、これほど軽量感が損なわれるとは思わなかった。

以前は、かなりの金額を費(つい)やして、バネ下重量を200g軽減したという話を耳にすると、心の中で「お前が5kg、痩(や)せろ」と思ったものだが、気持ちがわかるようになった。













2013年11月14日木曜日

子どもの火遊び防止のために、100円ライターの着火ボタンを重くしたら、マッチが売れるようになったようだ。

子どもの火遊び防止のために、100円ライターの着火ボタンが重くなった。いわゆるライター規制である。

その結果として、ジッポーのオイル=ライターの売り上げが増すのではないかと、当初、睨(にら)んでいた。

コンビニエンス=ストアによっては、廉(やす)いジッポーのオイル=ライターを置いている店があったから、ジッポーを置く店が増えるのではないかと考えていたが、そういうことはなかったようだ。

オイル=ライターの場合、オイル缶と着火石flintが必要で、いささか面倒くさい。このあたりの面倒くささが私には読みきれていなかった。

実際は、マッチの売り上げが増えていたのだった。

老人によっては、ペット=ボトルの蓋(ふた)が空けられないほどの握力(あくりょく)しかない人もいるのだから、今の100円ライターは使いこなせないだろう。

着火ボタンの重い100円ライターからマッチへの動きは、比較的予測しやすい事例なのだろうけれども、このあたりの因果関係(いんがかんけい)は基本的に難しい。

携帯電話とインターネットが普及したら、オートバイの売り上げが激減した。バナナの輸入を解禁したら、林檎(りんご)の売り上げが落ちた。

こういうのを的確(てきかく)に予測できる人というのは、理窟抜(りくつぬ)きで感服(かんぷく)してしまう。

2013年11月11日月曜日

「サマンサタバサ」というブランド名に感心した。

「サマンサタバサ」というブランド名はよく考えられている。

「サマンサ」と「タバサ」といえば、『奥様は魔女』の登場人物である。サマンサSamanthaは魔女の奥様で、タバサThavasa(原作の英語版ではTabitha)はその娘である。

ある年齢層、『奥様は魔女』Bewitchedをリアル=タイムで観ていた世代以上になると、若い女性向けのブランドであっても、一度耳にすれば、すぐに憶(おぼ)える。そして、孫に、サマンサタバサの商品をせがまれたら、さほどの抵抗なしに買ってやるだろう。このあたりの戦略はうまい。

つぎに、商標登録の権利を避けることができる。

商標登録ビジネスというものがあり、将来的にこういう名前を使う企業があるだろうということで、とりあえず、商標登録をしておき、その名称を使用したい企業がいれば、それなりの金銭を受け取って、登録しておいた商標を販売するのである。

ドクター中松こと中松義郎(なかまつよしろう)は、発明家と称しているが、実際には発明はほとんどしておらず、主たる収入は、商標登録ビジネスによるものであるそうだ。

「サマンサ」で衣料関係の商標登録をしておいて、「サマンサ」ブランドを立ち上げようとする者がいれば、大金を請求する。やくざよりも質(たち)が悪い。

ところが、「サマンサタバサ」のように、2つの名前をひとつにすると、事前に商標登録をしている可能性はすこぶる低い。

うまいことを考えたものだ。


2013年11月10日日曜日

イトーヨーカ堂が「30年前価格セール」というのをしたことがあったのだが……。

イトーヨーカ堂が「30年前価格セール」というのをしたことがあった。すべての商品を30年前の価格で売るという企画であった。

ある分野の商品だけは、「30年前価格セール」で販売されなかった。

上着やズボンなどの衣料品である。

国産品が普通であった30年前の価格よりも、現在の価格のほうが安いからだった。

反日国家の製品なんか、買いたくないんだけどな。

2013年11月9日土曜日

地域別に見るUFOキャッチャーの難易度

UFOキャッチャーは、場所によって、難易度が相当に違うそうである。

池袋などの繁華街となると、 バネなどの設定を辛(から)くして、景品を獲得(かくとく)しにくくしているという。

西武池袋線江古田駅周辺は、設定が厳(きび)しいようである。周辺に大学が3つもあるということもあるかもしれないが、いちばんの原因は、私立武蔵高等学校があるからではないだろうか? 

私立武蔵高校は、私立男子校の御三家のひとつに挙(あ)げられており、近年は東京大学合格者数は減っているが、進学実績をよくよく見ると、国公立医学部への進学がたいへん増えている。

東京大学に進学しても、落ちこぼれると、超一流企業には就職できず、元も子もなくなるが、医学部なら、医師国家試験に合格しさえすれば、高収入が保証される。ほかにも、東京大学・京都大学進学者は減っているが、その分、国公立医学部進学者が増えている私立の進学校は少なくない。

そういうハイレベルの高等学校が近くにあると、なかには、暇潰(ひまつぶ)しで、UFOキャッチャーをやる。頭がいいものだから、すぐに適切な対策を講(こう)じ、景品を根こそぎ獲得(かくとく)していく。

店側は、それに対抗するために、設定を厳(きび)しくしなければならない。

すると、普通の人間には、途方(とほう)もなく難易度の高いUFOキャッチャーになってしまう。

その結果、私立武蔵高等学校周辺の区立中学校の生徒は、UFOキャッチャーはしない。まったく歯がたたないからである。負けるしかないゲームは、ゲームとはいえないのである。

「私立武蔵高等学校仕様」のUFOキャッチャーなんて、普通の人間には攻略できねえよ。

ちなみに、この景品なら、知り合いの子どもにあげると喜ばれるだろうと、江古田で初めてUFOキャッチャーに挑戦したとき、設定の厳(きび)しさに愕然(がくぜん)とした。こんなガチガチの設定だと、UFOキャッチャーの素人(しろうと)の私には、景品を獲得するのは到底(とうてい)無理だと思えるものだった。今でもそんな設定なのかは知らないが……。

頑張れば取れそうだと思える水準で設定すると、射幸心(しゃこうしん)を煽(あお)り、利益が増えるはずなのに、1回、やっただけで、「こんなん、無理やん」という設定なのである。「射幸心を煽らない」という点で、良心的といえるかもしれないけれど。

また、どういうわけか、貧困層が多い地区にあるUFOキャッチャーも設定が厳しい。貧困層が多いということから、将来的には、競馬・競輪・競艇・オートレースに入れ込むタイプの人間が多いだろうから、頭はよくなくても、経験と勘(かん)と努力で攻略するのだろう。その結果、UFOキャッチャーは難しくなる。

では、どこのUFOキャッチャーが攻略しやすいのだろうか?

個人的な経験からすると、目黒区自由が丘のUFOキャッチャーが簡単だったという記憶がある。自由が丘を訪(おとず)れるのは女性が圧倒的に多く、UFOキャッチャーに入れ込むような人間が少ない。設定が緩(ゆる)めでも、採算が取れる。

デートで自由が丘に来て、女の子が、UFOキャッチャーのあの縫(ぬ)いぐるみが欲しいと言ったとして、UFOキャッチャーの素人(しろうと)の男性でも、1,000円か、2,000円くらいを突っ込めがなんとか獲得できるようになっていれば、楽しいデートの思い出になるだろう。

「彼ったら、すごく頑張(がんば)って、1,500円も遣(つか)って、この縫いぐるみをUFOキャッチャーで取ってくれたんだ」と友だちに話したりできる。いい思い出になる。

こうした点から、超高級住宅街の最寄り駅(もよりえき)近くにあるUFOキャッチャーも設定が甘(あま)い可能性が考えられるが、超高級住宅地に足を運ばないので、そもそも、UFOキャッチャーがあるのかどうかさえ、知らない。

[追記:ある人物からの情報によれば、成城学園前駅には、UFOキャッチャーもゲーム=センターもなかったような気がするという。超高級住宅街には、そんなものを興(きょう)じる子どもはいないということか? よく考えると、たとえば、女の子だったら、3万円以上もするシュタイフ社Steiffのテディ=ベアを気楽に買ってもらえるのだから、UFOキャッチャーなんて、するわけないわな]

2013年11月8日金曜日

食品偽装表示

胡麻豆腐(ごまどうふ)――大豆は使っておらず、吉野葛(よしのくず)を使っている。

鹿のふん(正式名称:御神鹿(ごじんか)のふん)――鹿の糞(ふん)は入っていない。

キャベツ太郎――玉蜀黍(とうもろこし)が主原料であって、キャベツは入っていない。

ゴリラの鼻くそ――ゴリラの鼻くそが入っていない。

ごはんですよ――ごはんが入っていない。

タラバガニ(鱈場蟹)――やどかり(宿借)の仲間であって、カニ(蟹)の仲間ではない。

たこ焼き――イカ焼きはイカ(烏賊)を焼いているが、たこ焼きでは、たこ(蛸)を焼いてはいない。40年以上前の話になるが、たこの価格が高騰(こうとう)したときに、当時は蛸(たこ)よりも安価であったイカをたこ焼きの中に入れていた店があった。



2013年11月7日木曜日

第2次世界大戦終戦後、連合国軍占領下の日本で米兵が犯したレイプ事件の数

第2次世界大戦終戦後、連合国軍占領下の日本で米兵が犯したレイプ事件の数は、およそ1万件だった。

戦後の日本は、進駐軍が来れば、日本の婦女子の貞操が危機に曝(さら)されると危惧(きぐ)し、米兵御用達(べいへいごようたし)の慰安所、つまりは売春宿を各地に設置した。当時の金額で1億円くらいを費(つい)やした。

それに携(たずさ)わった日本側のある人物は、1億円で日本の婦女子の貞操が守れるのなら、安いものだと言ったという。

それでも、7年足らずの間に、1万件ほどのレイプ事件が発生した。

それに対する米軍の見解には驚いた。

たったの1万件しかないから、米軍の民度の高さが証明された。

自慢していた。

2013年11月6日水曜日

焼き肉とお好み焼きの値段設定はおかしい。

焼き肉とお好み焼きの値段設定はおかしい。

一般の飲食店は、料理は調理済みで出される。経費には、ほかにも値段を設定する要因はあるが、調理する人間の人件費も含まれる。

ところが、焼き肉とお好み焼き、それに、もんじゃ焼きなども、調理しないで、材料だけを提供する。調理するのは客である。

それなのに、なぜか、値段だけは、ほかの飲食店の料理と同じなのだ。調理人の人件費はいらないはずなのに、である。

なぜ、一般の人々は、このことに疑問を抱かないのだろうか?

ちょっと離れたところで、大ヒットした焼き鳥屋があった。七輪に紀州備長炭(きしゅうびんちょうたん)を使って、客が自分で焼くのである。それなのに、料金は普通の焼き鳥屋と同じなのである。でも、盛況なのである。

絶妙な焼き加減があってこその価格であるはずが、客任(まか)せで、同じ価格というのは、納得がいかない。

自分で調理しなければならないのに、喜んで、そういう店に足を運ぶのは、家庭科の調理実習で興奮している小学6年生の男子生徒と変わらない気がする。

楽して儲(もう)けたい人ばかりが、この手の商売をするのだろうな。だから、尊敬されにくいのだろう。

2013年11月5日火曜日

あるライターが、サイバー=エージェントは、社員を顔で選んでいると書いていた。

サイバー=エージェントCyber Agentは、アメーバ=ブログAmeba Blogの運営会社である。

そのアイバー=エージェントを取材したライターが、美男美女揃(びなんびじょぞろ)いなので、社員の採用基準は、顔が基準になっているのではないかと驚いていた。

そんなところへ、YouTubeで「あなたにおすすめの動画」に「恋するフォーチュンクッキー サイバーエージェントSTAFF Ver.」があった。

思う存分(ぞんぶん)、期待して再生した。期待しすぎると、どんなものであっても、がっかりしてしまうものだなあ。




2013年11月4日月曜日

「重巡洋艦足柄」で検索してきたのが、みょうに増えたときがあった。

ちょっと前のことなんだが、アクセス解析を見たら、「重巡洋艦足柄(じゅうじゅんようかんあしがら)」を検索ワードにしてアクセスしてきたのが、むやみ多いことがあった。

「重巡洋艦足柄」に興味ある人が、それほど多いとは思えない。

不思議に思って、このことを話したところ、当校の生徒によれば、「艦隊これくしょん」(略称:「艦これ」)というゲームで「足柄」が登場したからなのではないかとのことである。

「艦隊これくしょん」は、その実体はよくわからないままなのだが、戦艦・巡洋艦・駆逐艦が、なぜか女の子になっていて、闘(たたか)うらしい。

そこで、いちばん好きな駆逐艦雪風を検索してみた。

パンツが見えそうな服装をしているではないか!

つぎに、戦国武将も女の子になっているというから、うちと家紋(丸に九枚笹)が同じ、竹中半兵衛を検索してみた。

あまりにも幼い少女だった。

特定の戦艦や特定の戦国武将が、以前から好きな人は、不快感を抱くではないかと思った。少なくとも、私は嫌な気持ちになったな。

以下は、駆逐艦雪風と竹中半兵衛の画像である。うーん、やっぱり、うれしくはないな。




2013年11月3日日曜日

綿入れ袢纏を羽織っている場合と、そうでない場合の通りがかりの女性の反応のちがい

当校の外に出て煙草を喫(す)うのだが、そのときの恰好(かっこう)によって、通りがかりの女性の反応がちがう。

普通のカジュアルな恰好(かっこう)で、路上で煙草を喫(す)っていると、若い女性は、私がいる道路の反対側へと斜めに移動しながら歩く。あからさまに避けられている。

変質者の可能性を疑われているらしい。

ただし、綺麗な女性は、そういうことはしない。ちょいブスにかぎられている。綺麗な女性は、私の男性としての全人格的な魅力に気がつくのかもしれないという可能性を検討してみたが、やはり、それはありえない。

綺麗な女性は、電車で痴漢(ちかん)に遭(あ)いにくいそうである。あまり美人とは言えない女性が痴漢の被害に遭(あ)いやすいという。痴漢が発覚したときに、「こんなブスを痴漢するわけないじゃないか」と主張するために、痴漢は、綺麗な女性や美人には手を出さないという話を聞いたことがある。その結果、綺麗な女性は、無駄な警戒心を持たなくなるらしい。ただし、痴漢に遭(あ)ったことがないからといって、その人が美人とは限らないが。

ところが、綿入れ袢纏(はんてん)を羽織(はお)っているときは、ちょいブスが斜行(しゃこう)するということはない。おっさんが、家の中では煙草が喫(す)えなくて、外で喫(す)っているにすぎないと思うらしい。

変質者の可能性を疑われていないわけだ。

ところで、綿入れ袢纏(はんてん)を羽織(はお)る人は少なくなっているそうだ。

新聞販売店に勤めている人によれば、集金でいろいろな家を訪問するが、綿入れ袢纏を羽織(はお)っている人は見かけなくなっているという。

冷暖房が完備された気密性の高い住宅が増えたからだろう。

もともとの日本は、火鉢(ひばち)など、局所的に暖(だん)をとり、基本的には厚着で冬を凌(しの)ぐのが基本であったが、そうした伝統は廃(すた)れてしまったようだ。

ちなみに、勉強に適した室温は摂氏17度から19度あたりである。

2013年11月2日土曜日

自分の出身高校では、お嬢様大学の指定校推薦枠があるのに、公表されていなかった。

神戸女学院大学は、関東でいえば、フェリス女学院大学のようなものである。

附属の中学校・高等学校はすこぶる頭がよいのだが、だれも大学にエスカレータ式で上がったりはしない。あくまでも、附属の中学校・高等学校と較べたらという話だが、それほど勉強が得意というわけではない。でも、お嬢様度は抜群(ばつぐん)である。

神戸女学院大学の指定校推薦枠(していこうすいせんわく)が、私の出身高校にはあった。

一般の高等学校では、指定校推薦枠があるというのを掲示板に貼(は)り出し、希望者は締切日までに申し出るようにとの通達を出すものである。

その上で、それぞれの高等学校の選抜方式により、指定校推薦を受けられる生徒が決まる。

ある場合には、定期試験の成績だけで決める高等学校もあれば、定期試験と実力試験の結果のそれぞれに一定の係数をかけて、その合計で決める高等学校もある。

ところが、私の出身高等学校である和歌山県立橋本高等学校では、神戸女学院大学の指定校推薦枠があるということは一切、公表されず、富裕層で、かつ家柄のよい女子生徒のうちで、成績のよい順に、三者面談などで、こっそりと、指定校推薦を利用するかどうかを打診していたらしいのである。

このことを知ったときは、あれほど同和教育に力を入れておきながら(和歌山県は、20人に1人はそういう地域出身者になるので、経済を活性化するためにも、同和教育は必要である)、こんなことをしていたとは呆(あき)れるなと思った。

しかしながら、もしも、勉強はそこそこ以上にできるけれども、貧乏な家の子どもが神戸女学院大学に進学すれば、どうなるかを考えれば、納得できなくもない。

以下は、首都圏のお嬢様大学での事例である。

貧乏な子どもがお嬢様大学に進学すると、日本特有の同調圧力(どうちょうあつりょく)により、服装も似たようなものにしなければならないが、経済力が違いすぎるから、対応できない。だから、周囲から浮いた貧乏臭い服装になってしまう。

昼食は500円以内に抑(おさ)えようと思っても、1食1,500円のランチに誘われる。週3回でも貧乏学生には辛(つら)い。早稲田大学ごときでも、昼食時に大学近辺の高くはないけれども、安くはないレストランに誘われたりしているうちに、生活費が足りなくなって、夕方に3時間ほどアルバイトを始めた女子学生がいたくらいであるから、真(しん)のお嬢様大学なら、もっとひどい状態になるんだろう。

ローテク=シューズであるコンバースのオール=スターを履(は)いていくと、その日のうちに渾名(あだな)が「コンバ」になってしまう。

「夏休みにヨーロッパの美術館巡りをするんだけど、一緒に来ない?」と誘われても、参加できない。その結果、仲間はずれにされる。「あの人、つきあいが悪いから」となる。

なんだか古臭い腕時計をしていると思ったら、「お祖母様(ばあさま)のローレックスを譲ってもらったの」と言う。うちは昔から金持ちなのだとアピールしているのである。

以上のことを鑑(かんが)みるに、家柄のよい富裕層の女子生徒にしか指定校推薦を受ける権利を与えていない、あるいは、与えていなかったのは、致し方(いたしかた)ないと思えてくる。

ちなみに、うちの高等学校では、ひと月に1回、1時限を被差別部落の問題などに関する討論
(とうろん)に費(つい)やし、1年に1回、1日まるごと、被差別部落の問題などに関する討論に費やしていた。

被差別部落出身者の場合、高校の授業料は無料だったし、自動車教習所の費用も無料だった。経済格差を減らすためだ。

さらには、真偽の程は不明だが、被差別部落出身者は、教員や公務員の採用で優遇されているという話を耳にしたことがある。

それでも、名門お嬢様大学の指定校推薦に関しては、進学実績を維持するために、あれほど不当な差別はいけないと力説していた教員たちが屈伏(くっぷく)せざるをえなかったというのは、興味深い。富裕層を優先的に推薦するのは、「正当な差別」ということなのだろうか?

成績がよいからといって、貧乏な人を推薦した結果、その人がいたたまれなくなって、単位を落としたり、落第したり、中途退学したりすると、指定校推薦を取り消されるのだから、しょうがないかな。

なお、同級生で、指定校推薦で神戸女学院大学に進学した人は、元=庄屋(しょうや)の家柄で、今でいえば「村長」の家柄だったし、2学年下の女子生徒の場合、オートバイで彼女の自宅に遊びに行ったら、東京の平均的な場所で同じものを作れば土地代込みで10億円は超えそうな邸宅だった(ただし、関西は土地代が安いので、資産価値はそれほどではない)。



2013年11月1日金曜日

『えんぴつで奥の細道』というものの存在を知って……

『えんぴつで奥の細道』という書籍(しょせき)の存在を知った。

高名な書家が『奥の細道』の文章を書いたものを、薄く印刷してあって、それをなぞり書きするというものである。

シリーズ累計で150万部を売り上げたという。1冊1,000円とすると、出版社の取り分はそのうちの50%、つまり500円である。すると、500円×150万部=7億5千万円となる。

うーん。

『えんぴつで奥の細道』の最初の単行本がポプラ社から出版されたのは2006年1月1日である。

それに先立って、『書き込み式「般若心経」練習帳』が成美堂出版から2005年8月26日に出版されている。「般若心経」は真言宗やいくつかの宗派で重視されるものの、写経そのものは、それほどメジャーではない。

しかしながら、『えんぴつで奥の細道』はヒットしたようである。その結果、『奥の細道』以外の有名古典でも、なぞり書きシリーズを刊行し、累計150万部となった。

ところで、当校でもなぞり書きのプリントは10年以上も前から、作成していた。

最初は、小学生の漢字の書き取りの練習として作成した。

漢字が苦手な男子生徒は、手本を見ながら、そのとおりに書くことができない。止め・撥(は)ね・点をきちんと見て取ることができない。それで、なぞり書きプリントを作成したのである。

まもなく、中学生や高校生に向けて、古典のなぞり書きプリントも作成するようになった。学習にかかる負担・時間が減るのだ。『小倉百人一首』のなぞり書きプリントも作成しているが、これも刊行されていた。

また、国語の小説などでも、なぞり書きプリントを作成すると、軽い自閉症の子どもの成績も上がる。

ところが、そんなものが一般向けの商品になるとは思いもしなかった。

『奥の細道』程度の作品であれば、研究レベルとなると話は別だが、表面的な意味だけを汲(く)み取って読む分には、古文の文法を学びさえすれば、註釈を見ながら、独力で読めるようなものなので、『えんぴつで奥の細道』のようなものが商品として成立するとは思いもしなかったのである。

ちなみに私は高校1年生のときに『奥の細道』は原文で読んだ。

それにしても、私にはこういうものがヒットしたというのが信じられない。一般の日本人は、それほどまでに教養がないのであろうか?

それにしても、『えんぴつで奥の細道』を仕掛けた編集者は、じつに大したもんだ。私はそれ以前に、なぞり書きプリントを作成していたけれども、学習用以外で商品になるとは思いもしなかったもの。



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早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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