2013年2月27日水曜日

成人式の数日後に高学歴限定で小学校の同窓会を行なった人々が近所にいた。

 数年前の話である。

 成人式後に、同じ小学校出身者で2次会を行なった。懐かしくて、楽しかったそうである。

 その生徒(当校には大学生の生徒もいる)に、後日、メールが届いた。

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 今度(このたび)、◯◯小学校出身者で、中高一貫校に進学して、東京六大学や旧帝国大学や旧国立大学1期校(実質的に、東京工業大学・一橋大学のみ)に通う者に限定した呑(の)み会を開くので、参加願いたい。
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 公立中学校・都立高等学校に進学して、高校を中退したり、その時点で働いている人や、なんだかわからない大学に通っている人がいたりすると、気を遣(つか)わざるをえず、のびのびと話ができないから、高学歴限定の呑(の)み会を催(もよお)すことにしたのだという。

 中高一貫の私立に通って、それなりに難関の大学に進学している者だと、世帯収入なども近いので、服装などにかける金額に大きな隔(へだ)たりもない。

 将来の職業について語る場合も、似たレベルの大学だと、気楽に話ができる。しかし、逆立ちしたって総合商社に採用されるわけがない人の前で、総合商社に採用されるようにと、こんな努力をしているなんてことは話せない。

 また、帝京大学や日本大学生産工学部の英語の授業は中学3年生以下のレベルらしいなんてことも言えない。

 さて、高学歴限定の小学校の同窓会に参加したうちの生徒によれば、変に気を遣(つか)わなくてよかったので、ものすごく楽しかったという。

 この話を当校の中学生・高校生にしたところ、強い不快感を示した生徒と、そりゃあ、そうだろうなと納得した生徒とのふたつに別れた。

 また、慶應義塾大学法学部出身の知り合いにこの話をしたところ、「そんなことをしたら、俺(おれ)の場合、ひとりぼっちの同窓会になってしまう」と言った。

2013年2月26日火曜日

ラルフ=ローレンを8割引きで買う方法

 ラルフ=ローレンRalph Laurenのチノ=パンツを新品で8割引きで買う方法について述べよう。私自身は、ラルフ=ローレンの商品が支那製(しなせい)になってからは買わないことにしているから、ここで公開する。但(ただ)し、この方法はおっさん限定であるし、決して人気商品に対しては使えない。

 まず、直営店には行かない。

 足を運ぶべきは、百貨店やデパートである。百貨店やデパートが独自にコーナーを作って扱っている場合は、買い取り制である。

 買い取り制ということは、シーズンが終われば、とりわけ、そのシーズンにだけ販売した商品は、最悪の場合、廃棄(はいき)する。

 つぎに、セールのときに行く。もともと、3割引きや4割引きになっているのは、とにかく、廃棄処分(はいきしょぶん)にするよりは売り切りたいと相手が考えているからである。

 3つ目に、3万円から5万円のジーンズを穿(は)いていく。これは、もしもラルフ=ローレンのチノ=パンツを気に入れば、「気楽に定価で購入するリピーターになる可能性が高い」というメッセージになる。スニーカーも2万円以上のものを履(は)いていく。ラルフ=ローレンの品揃(しなぞろ)えにあるものと同じ商品は、ラルフ=ローレンのポロPOLOよりもちょっぴり高いものを身に着けていく。その場合、ファッションに強い拘(こだわ)りはなさそうな恰好(かっこう)にする。

 4つ目に、フロアーの責任者らしき年配の店員に話しかける。権限のある店員でなければ、更(さら)なる値引きは決められないからである。

 交渉(こうしょう)はつぎのような具合(ぐあ)いである。

 フロアの責任者らしき年配の店員を見つけ、話しかける。

「あのぉ、この歳になって、いつまでもジーンズにスニーカーという恰好(かっこう)というのもなんなので、チノパンを試しに穿(は)いてみたくて、買いにきたんですが……」

 すると店員は、こちらの服装を見て、瞬時に、ラルフ=ローレンの商品を躊躇(ためら)いなく購入できる所得水準であるということを見てとる。そして、チノ=パンツを穿(は)けば、ジーンズよりも楽なので、おっさんなら、ほぼ確実にリピーターになるに違いないと判断する。しかも、デザインなどに対する拘(こだわ)りもなさそうであるから、今シーズンの不人気商品を廉(やす)く売って、穿(は)き心地(ごこち)だけを経験してもらおうと考える。

 ついで、価格を訊(たず)ねる。すると、高級ジーンズを穿(は)いているおっさんに、ラルフ=ローレンのチノ=パンツを気に入ってもらおうと、最初から「6割引き」あたりを提示する。

 そこで、「えっ、チノパンて、(6割引きでも)そんなにするんですか?」と言ってみる。3万円から5万円のジーンズを穿(は)いている奴が、どの口でそんなことを言うんやと、ほっぺたを抓(つね)りたくなるところだ。しかしながら、これは、ファッションに拘(こだわ)りや強い興味がなく、チノ=パンツの相場を知らないということになり、気に入れば、繰り返し購入するタイプであろうというメッセージになる。

 すると商品のよさがわかれば、強烈なリピーターになるにちがいないと考え、かつ、買い取り品ゆえに売れなければシーズン終了後に廃棄するのだからと、さらなる値引きを提示(ていじ)する。その結果、7割引きから8割引きになる。

 チノ=パンツ購入後に、ポロ=シャツなどを検討し、迷っているふうを装(よそお)う。その場合、不人気色のものを手に取る。白と下品な色は人気がない。

 すると、件(くだん)の店員が寄ってきて、6割引きでよいと申し出る。

 そして、こうしたことを、百貨店・デパートでセールの日に繰り返す。だから、ラルフ=ローレンは定価で買ったことがない。

 ユニクロUNIQLOを定価で買う人は本当に金持ちだ。私は13,650円のラルフ=ローレンのチノ=パンツを2,730円で買っているのに、ユニクロ=ユーザーは、2,990円のチノ=パンツを2,990円という高額で買っているのだから。

 以上の話を知ったうちの生徒たちは、ラルフ=ローレンを定価で買うのが馬鹿らしくなるそうで、もともとは生徒のラルフ=ローレンの着用率の高い塾だったのに、ラルフ=ローレンよりもワンランク上の服が増えてきたような気がする。

 不人気なシーズン商品や不人気色を身に着けていると、珍しものを着ているということから、お洒落(しゃれ)さんだと勘違(かんちが)いされることがある。ちょっと困ったことだ。

2013年2月25日月曜日

ペントハウスに住んでいる生徒がいる。

 ペントハウスpenthouseに住んでいる生徒がいる。

 話を聞いているうちに、「それって、もしかして、ペントハウス?」と訊(き)いてみたところ、その生徒はペントハウスということばを知らなかった。

「ペントハウスということばは知っていたが、本当に住んでいる人は君が初めてだ」とか、「(ペントハウスで暮らすことは)アメリカ合衆国では、人生の成功者の象徴として扱われる場合がある」だの、そんなことを言って、ちょっぴり興奮していたら、「ペントハウスって、何ですか?」と訊(たず)ねた生徒がいた。

 そこで、マンションの屋上に建てられた1軒家風(いっけんやふう)に見える豪華な住居のことで……と説明しながら、Googleの画像検索を使って写真を見せて、イメージを摑(つか)んでもらおうと思った。

 こうした場合、私は基本的に英語で検索する。そのほうが多くの画像が得られるからである。

 しまった。

『プレイボーイ』PLAYBOYに対抗する男性誌に『ペントハウス』PENTHOUSEという月刊誌があるのを忘れていた。

 お色気画像(いろけがぞう)がわんさか出てきた。すぐにタブtabを閉じたのでちゃんと見ていないが、セーフサーチSafeSearchのお蔭(かげ)で、お下劣画像(げれつがぞう)はなかったようだ。

 つぎに、グーグル=マップGoogle Mapsのアメリカの地図を航空写真に変更して、ペントハウスを探した。

 ところで、日本では、ペントハウスはあまり見かけない。

 地域によって建築物の高さの制限がある。ペントハウスを拵(こしら)えると、場合によっては2階分の高さを要するので、ペントハウスの価格をきわめて高くしなければならない。すると、売りづらくなる。利益を最大にするのは、普通の分譲マンションにしたほうがよいのだろう。

 また、ほかの生徒からつぎのような発言があった。「ペントハウスってことばは知らなかったから、うちって庶民(しょみん)だったんだと思った」

 アメリカの文学・映画・ドラマに親しんでいない日本人なら、知らないのが普通だろうと答えておいた。

2013年2月24日日曜日

『宇宙戦艦ヤマト2199』に登場するドメル将軍の「宇宙の狼」という形容は言語哲学的におかしい。

『宇宙戦艦ヤマト2199』という初代『宇宙戦艦ヤマト』のリメイク作品では、初代と同様にドメル将軍が登場する。

エルク=ドメル将軍Domelが「宇宙の狼(おおかみ)』と呼ばれているのには、違和感がある。

エルク=ドメル将軍のモデルは「沙漠(さばく)の狐(きつね)」Würstenfuchs / Desert Foxと呼ばれたエルヴィン=ロンメル将軍Erwin Rommelである。彼は北アフリカ戦線で英国軍を何度も壊滅(かいめつ)させたので、「沙漠(さばく)の狐」と呼ばれた。ここでの「沙漠」は北アフリカを指しており、「狐」は狡猾(こうかつ)な作戦の立案能力の持ち主であることを表している。

「◯◯の△△」と呼ばれる場合、◯◯の部分には地域名などの限られた領域・地域が入り、△△には喩(たと)えられるものが入る。

ア式蹴球(サッカー)の場合、アジアのある代表チームは「アジアの虎(とら)」と自称している。ところが、その国は、アジアの国であり、よくよく考えると、これも言語哲学的におかしい。虎はインドにベンガル虎が、シベリアにはシベリア虎(アムール虎)が、スマトラにはスマトラ虎が、中国南部には厦門虎(あもいとら)が、ミャンマーからベトナムまでには印度支那虎(いんどしなとら)が棲息(せいそく)している。つまり、虎はアジアにしかいないのである。アジアにしかいないものを用(もち)いて、「アジアの虎」と自称するのは、言語哲学的にはおかしな言語表現なのである。「日本の日本猿と呼ばれた男」「日本の日本氈鹿(にほんかもしか)と呼ばれた男」と同じくらいに変な表現なのである。

ほかにも、ア式蹴球(サッカー)の場合、サウジ=アラビア代表は「沙漠(さばく)の太陽」であり、チュニジア代表は「カルタゴの鷲(わし)」である。太陽は砂漠以外の土地にも昇るし、鷲はカルタゴ以外にも生息している。この2つの表現「沙漠の太陽」「カルタゴの鷲」は、おかしな表現ではない。

「宇宙」という全体を示す語を含む「宇宙の狼」は変なのである。「世界の狼」「宇宙の狼」であれば、それは、唯(ただ)の狼にすぎない。

尤(もっと)も、「世界のミフネ」という表現があるが、これは意味が違う。「世界に通用する俳優である三船敏郎」という意味である。

「ガミラス星を除いた宇宙」での狼という意味で「宇宙の狼」としたのかもしれないが、「宇宙」という語には、ガミラス星や地球も含むと考えるが一般的であるから、やはり、適切なネーミングとはいえない。

もしかすると、大日本帝国海軍の重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)「足柄(あしがら)」がモデルの一部になっている可能性もある。重巡洋艦「足柄」は、キリスト教暦1937年(昭和12年、皇紀2597年)にジョージ6世戴冠記念観艦式(たいかんきねんかんかんしき)に参加した際に「飢(う)えた狼」と呼ばれたことが関係しているのかもしれない。

この「飢えた狼」は、徹底して居住性を排除した「足柄」を揶揄(やゆ)したものであったが、褒(ほ)めことばであると勘違いした日本人もいたそうである。

『宇宙戦艦ヤマト2199』のスタッフには大日本帝国海軍が好きな人が多そうだから、重巡洋艦足柄に因(ちな)んで、どうしても「狼」を使いたかったのかもしれないし、また、例えば、「◯◯星雲の狼」だと、小物(こもの)に感ぜられるから、仕方なく「宇宙の狼」としたのかもしれない。「天翔(あまか)ける狼」なら、みょうな表現ではないのだが。

追記:「宇宙の狼」は「宇宙空間の狼」の意味ではないかという指摘を受けた。もし、そうなら、おかしな表現ではないな。



2013年2月23日土曜日

少人数制・学力別クラス編成など、どのような教育形態が生徒の学力が最も伸びるのか?

 少人数制クラスと大人数制クラス、学力別クラス編成といろいろな教育形態(けいたい)がある。その中で、どれが生徒の学力を上げるのかについて考察(こうさつ)してみよう。

 少人数制(しょうにんずうせい)あるいは小人数制(こにんずうせい)は、教師の目が行き届くので、生徒の学力を上げるように思われているが、それほどでもない。

 たとえば、6人のクラスで、そのうちの2人が、『ドラえもん』に登場するジャイアンとスネオだとしたら、学校・塾に行くことさえ憂鬱(ゆううつ)になるだろう。

 一方、学力別クラス編成でない大人数制(おおにんずうせい)の場合、同じクラスに、真面目に勉強する頭のよい生徒がいるので、一部の生徒は、そうした生徒を見習って、自分も勉強しなければならないと考え、勉学に勤(いそ)しむようになり、その結果、学力が向上する場合がある。これをピア効果peer effectsという。

 学力別クラス編成の場合、つぎのような状況になると成績が下る。

 学力別ではないクラス編成の場合には、クラスで5番の成績である者が、学力別クラス編成になると、トップ=クラスに編入され、そのクラスでは最下位になる場合がある。そうなると、勉学意欲をなくす場合が生じる。学力別でなければ気分よく勉強できていたのに、やる気を失くしてしまいかねない。

 その一方で、3番目のクラスで1番になると、気分よく勉強できるので、成績が向上する。そのまま勉学に励(はげ)めばよいのだが、学力向上にともなって、上のクラスに入れられ、クラス内順位が芳(かんば)しくなくなり、成績の向上が沈滞(ちんたい)する場合もある。

 尚(なお)、進学塾では上から2番めのクラスでトップの成績をとっても、上から1番目のクラスの平均点を超えない場合には、クラスを上げないのが一般的である。クラスが上になればなるほど、月例テストなどでは出題されない内容だが、難関高校対策用の内容も多く盛り込むので、下のクラスでいちばんだからといって、安易に上のクラスに上げると、上記のような事態、つまり、努力の割に芳(かんば)しくない成績に陥(おちい)るのである。

 以上のことから、どのようなシステムであっても、学力向上に関する効果は全体を均(なら)すとあまり変わらないのである。

 たったひとつだけ、母親が人格障害であるとか、特殊な条件の場合を除けば、必ず生徒の学力が向上する場合がある。

 教師の学力が頗(すこぶ)る高く、異常なまでに知能指数が高く、人格が良好である場合だけである。

 しかしながら、現在の賃金の最低でも3倍は支払わなければ、それだけの人材は集められないので、現実的ではない。3倍の賃金で人材を集めるとして、従来の教師の賃金をそのままにするわけにはいかない。また、公立の学校だと、ほかの公務員からの不満も続出するだろう。

 因(ちな)みに、東京都内の中高一貫校に関しては、立地条件や伝統をも考慮に入れて検討すると、偏差値が上がれば、教員の給料も上がる傾向にある。2校以上から採用される水準の教務(きょうむ)能力が備わっているのであれば、給料の高いほうに勤(つと)める場合が多いからであろう。

 また、同じような進学実績の場合、詰め込み型の学校は、そうではないところよりも給料が安くなる。給料が安いと詰め込むしか能のない教員の割合が高くなるようである。たとえば、麻布学園(麻布中学校・高等学校)の給料は、開成学園(開成中学校・高等学校)よりもうんと高いので、詰め込み度は開成が上だろうと推測できる。

 以上のことから、人件費を大幅に上げないかぎり、即効性(そっこうせい)のある確実な学力向上策(がくりょくこうじょうさく)はないということになろう。



『学歴社会の法則 教育を経済学から見直す』が、この文章の元ネタである。

2013年2月22日金曜日

「少人数制」と「小人数制」のどちらが正しい表記か?

「少人数制」「小人数制」のどちらが正しい表記なのかという問題がある。

 それに答える前に、それぞれの対義語(たいぎご)を検討しよう。「少」と対(つい)になる漢字は、「多少」ということばからわかるように「多」である。

 一方、「小」と対(つい)になる漢字は「大小」ということばがあることから「大」である。

 また「少数(しょうすう)」に対しては「多数(たすう)」という語(ご)がある。となると、「少人数制」の対義語は「多人数制」となるが、「多人数制」ということばは使われない。

「小人数」は「こにんずう」と読むのが正しく、「しょうにんずう」ではない。「小人数」の対義語は「大人数(おおにんずう)」である。

 このような混乱が生じたのは、元来(がんらい)、江戸時代の寺子屋での教育は「少人数制(しょうにんずう)」「小人数制(こにんずうせい)」が当たり前だったからである。

 第2次世界大戦後に「団塊(だんかい)の世代」が登場して、大人数(おおにんずう)で授業を行なうのが当たり前になり、大手予備校でも、1クラス200人が当たり前になった。同じ受講料であれば、大人数で授業を行なえば、そのほうが儲(もう)かる。

 大人数制(おうにんずうせい)では落ち零(こぼ)れる生徒が出てきて、尚且(なおか)つ、大人数制では成績を上げることができない予備校・学習塾が「少人数制」を謳(うた)い始めた。

 ところが、「多人数」ということばがなく、「大人数(おおにんずう)」ということばがあるのだから、「少人数制」ではなく、「小人数制」とすべきだと考えて、そうしている大手予備校が出現(しゅつげん)した。どうも、「しょうにんずうせい」と読ませたいらしいのだが、これは「こにんずうせい」と読むのが妥当(だとう)であろう。

 もともと、「少人数制」「小人数制」であったものが、「多人数制」「大人数.制」になり、改(あらた)めて、少ない人数の生徒を対象に授業を行なう制度に名称を与えようとした結果、以上のような混乱が生じたのである。

 当校では、「少人数制」「小人数制」のうちのどちらの名称を使っているかって?

 少数精鋭制(しょうすうせいえいせい)だよ。

 あ、嘘です。ほんとは、個別対応型です。

2013年2月20日水曜日

マレー作戦も奇襲だったのに、真珠湾攻撃と違って、喧伝(けんでん)されていない。

マレー作戦the Malayan Campaign(日本側作戦名:E作戦)も奇襲であった。しかし、真珠湾攻撃と違って、喧伝(けんでん)されていない。

マレー作戦とは、12月8日午前1時30分に開始された英国領への侵攻作戦(しんこうさくせん)である。マレー半島に奇襲上陸し、快進撃を続けた。稀(まれ)にみる快進撃であった。

真珠湾攻撃の場合、フランクリン=ルーズヴェルト大統領Flanklin Rooseveltが日本に最初の一撃を行なわせ、日米開戦とし、ついで、日本と軍事同盟を結んでいるドイツとも開戦する段取りであったから、対日開戦に関して国民からの同意を得(う)るためにも、卑怯な奇襲攻撃を受けたと喧伝(けんでん)する必要があった。

尤(もっと)も、実際は、真珠湾攻撃の1時間半前に日本の潜水艦が公海上でアメリカ合衆国海軍の駆逐艦に撃沈されている。帝国軍の暗号は解読されていたので、潜水艦の位置など筒抜(つつぬ)けだった。

厳密にいえば、「卑怯な奇襲攻撃」を最初にしたのは、アメリカ合衆国海軍であった。日本人の大半は、負けた戦(いくさ)に関して、ぐだぐだ抜かさないという民族性を備えているので、何も言わないでいる。

真珠湾の場合は、攻撃の直前に宣戦布告する予定であったが、間に合わなかった。従来、転任する大使館員の送別会によって寝坊したとされていた。しかし、実際には、直前になって、宣戦布告の文言(もんごん)を変更することになり、それに手間取(てまど)ったのが真相だとされる。

なお、極東国際軍事裁判(所謂(いわゆる)、東京裁判)では、真珠湾奇襲攻撃そのものには無罪判決が出されている。

マレー作戦は、宣戦布告一切なしのガチの奇襲作戦だった。

ところが、英国は卑怯(ひきょう)な奇襲作戦だと騒いだりはしていないようである。

英国人には、実質的に負けたのだと潔(いさぎよ)く認める性質が備わっているようだ。

マレー沖海戦では、レパルスHMS Repulseと、当時、世界最新鋭の戦艦プリンス=オヴ=ウェールズHMS Prince of Walesを帝国海軍は撃沈した。

作戦行動中の戦艦を航空機が沈めることはできないという、当時の常識を覆(くつがえ)した。

この2艦(かん)が撃沈された報(しら)せを受けたウインストン=チャーチル英国首相Winston Churchillは、ショックのあまり、思わず、電話の受話器を落とした。のちに、自叙伝で、それほどの軍事力のある国家が、英国に対しての外交交渉(がいこうこうしょう)で、どうしして、あれほどの譲歩(じょうほ)を繰(く)り返したのか、理解に苦しむと述(の)べた。

インパール作戦the Battle of Imphal(日本側作戦名:ウ号作戦)では、英印軍は、勝つには勝ったが、敗北を覚悟していた。

ところが、当時の英国軍人にとっては不思議であったが、突如(とつじょ)、佐藤幸徳(こうとく)師団長が独断で第31師団を退却させた。これによって、インパール作戦の失敗が確定し、第31師団の側面に展開していた第15師団が壊滅(かいめつ)した原因となった。

とはいえ、英印軍は敗北の縁(ふち)に追いやられていた。その後、帝国陸軍の貧弱な装備を目にすると、愕然(がくぜん)とした。

英国人に媚(こ)び諂(へつら)うインド人がインパールの戦いの戦勝会を開きましょうと進言したが、そんなもの、しなくてよいと答えた。勝った気がしなかったのである。

英国陸軍・海軍ともに、実質的に、帝国陸軍・海軍に打ちのめされた。

極東国際軍事裁判に、英国はラダ=ビノード=パール判事Radhabinod Pal(ベンガル語では「ラダビノド=パル」と発音する)という有色人種のベンガル人を送り込んでいる。パール判事は日本無罪論を主張した。

有色人種を敢(あ)えて派遣(はけん)したという点でも、英国人の潔(いさぎよ)さが見て取れるであろう。

マレー作戦はガチの奇襲攻撃であったけれども、英国軍と較(くら)べて貧弱な装備の日本軍にあそこまでやられたら、あいつら、奇襲しやがってと騒いだりはしないというところに、英国人気質(えいこくじんかたぎ)があるように感じる。

但(ただ)し、ビルマの戦いthe Burma Campaignで日本軍に痛い目に遭(あ)わされたマウントバッテン卿(きょう)Louis Mountbatten, the 1st Earl of Mountbatten of Burmaだけは、死ぬまで日本のことを恨(うら)み、遺言で、自らの葬儀には日本人を参列させるなとした。

ところで、一部の左翼系を除けば、一般の日本人も空襲や原子爆弾による非戦闘員の無差別殺戮(むさべつさつりく)を声高(こわだか)に批難しない。保守陣営は、国益(こくえき)には繋(つな)がらないと考えて、あまり批判しないような気がする。

負けた戦(いくさ)については、ぐだぐだ言わないという日本人の民族性があらわれている。

2013年2月19日火曜日

こういう仕事には就きたくないというのをうちの生徒たちに訊いてみたら、すごい回答があった。

 当校の生徒たちに、将来、こういう仕事には就(つ)きたくないというものを挙(あ)げてもらったら、一部に物凄(ものすご)く意外な答えがあって、笑ってしまった。随分(ずいぶん)と過去のものも含む。

 まず、それほど不思議ではない回答。

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 大手都市銀行を含めた金貸し一般。ものづくりをしないで、金を貸すだけで儲けているから。
 単純作業をひたすら繰り返すだけの仕事。気が狂いそうになりそうだから。
 接客業一般。同級生でいちばん性格の悪い奴も客になるかもしれないと思うと、怖くてできないから。
 商社勤務。烏賊(イカ)・蛸(タコ)の取り扱いを担当して30年という例があると聞いたからという。
 不動産屋。1億円の物件の所有権を右から左に移すだけで、売り主と買い主から300万円ずつ、計600万円を貰(もら)うのはあまりにもふざけているから。
 暴力団員。(それって、仕事っていえるのか?)
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 私が笑ったのは、つぎの2つの回答。

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「美空ひばりの息子」

 なんでも、デーブ=スペクターがなにかのテレビ番組で、美空ひばりの息子の加藤和也に向かって「あなたの職業は『美空ひばりの息子』でしょ」と言ったことがあって、なんだか恥ずかしいと感じたという。

「黒澤明の息子」

 黒澤明第1子長男の黒澤久雄のことである。親の映画の著作権を管理して、そこから収入を得ているだけだからだという。
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 加藤和也にしても、ひばりプロダクション代表取締役社長として、美空ひばりの遺産を管理しているから、黒澤久雄と変わらない。ま、こういう仕事は尊敬されないということなんだろうな。

 どうでもいいけど、上記の2例は「仕事」とはいえない気がする。

 個人的には、黒澤明の映画のDVDやブルーレイ=ディスクBlu-ray Discを廉(やす)くしてもらえないかなと思っているし、また、黒澤明の映画を、画質を落としてYouTubeで無料で視聴できるようにすると、若年層(じゃくねんそう)も黒澤作品に興味を示(しめ)し、DVDなどの売り上げが増えると思うのだが、そういうことはしていない。

 ところで、どういう仕事に就(つ)きたいのかと訊(き)いたところ、小学生の女の子の場合、お菓子屋さんや花屋さん、バレリーナなどが挙(あ)がった。まあ、これはよくありそうな回答である。

 税務署員という回答もあった。うちの近所に練馬東税務署があり、忙しい時期を除けば、普段(ふだん)、残業している気配がないので、楽そうだと思ったという。子どもらしくない回答だな。

 一方、高校生になると、つぎの回答がいちばん多かった。

 潤沢(じゅんたく)な研究費で好きな研究ができて、しかも成果を求められない仕事。

 こいつら、世間の厳(きび)しさがわかっていないな。

2013年2月18日月曜日

310万人の犠牲者を出した大東亜戦争は、数字で考えると、それほど無謀な戦争とは言えないのではないだろうか?

 大東亜戦争は無謀(むぼう)な戦争であったといわれるが、どうも、そうではないように感じる。

 大東亜戦争の犠牲者は、一般には310万人とされているが、保守の人たちには、これよりも少なめの犠牲者数だとする場合がある。

 靖国神社に祀(まつ)られているのは、満州事変・支那事変・大東亜戦争を合計しても234万2341柱である。軍人ではない軍属が靖国神社に祀られているのかどうか、知らない。

 原子爆弾と無差別空襲で亡くなったのが65万人くらいだから、310万人には届かない。もしかすると、戦後に大陸から日本に帰る途中に虐殺された日本人も勘定(かんじょう)に入れているのかもしれない。

 どうも、310万人という数字は多いように感じている。だが、310万人としておこう。

 昭和26年(キリスト教歴1951年)5月3日にマッカーサーはアメリカ合衆国上院議会の軍事外交合同委員会で、つぎのように証言している。所謂(いわゆる)、マッカーサー証言である。意識的にちょっと直訳にしてみた。

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There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.
蚕(かいこ)を除けば、事実上、日本にとって国内に備わっているものはなにもなかった。

They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
彼らは綿を欠いており、彼らは羊毛を欠いており、彼らは石油製品を欠いており、彼らは錫(すず)を欠いており、彼らはゴムを欠いており、彼らはそのほかの多くものを欠いており、そのすべてはアジアの海盆(かいぼん≒海底)にあったのである。

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
もしもこれらの供給が断たれた場合、日本には1000万人から1200万人の失業者が生まれるであろうと、彼らは怖(おそ)れた。

Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
したがって、戦争へと突き進む場合の彼らの目的は、大部分は安全保障によって決定された。
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 さて、あのままだと、工業化した日本で失業者が1000万人から1200万人が生まれるとしよう。ひとりあたり3人の扶養家族(ふようかぞく)がいれば、失業者当人を含めて、4000万人から4800万人が餓死(がし)することになる。

 明治維新(めいじいしん)当時の日本の人口は、1872年(明治5年)で3480万6000人くらいだった。1941年(昭和16年)の日本の人口は7221万8000人くらいだった。

 7221万8000人から4000万人を引くと、3221万8000人となる。工業化する前の日本の人口になるわけだ。計算が合う。ま、計算が合うようになるようにと扶養家族の人数を設定したんだけどね(笑い)。

 4000万人以上の餓死者を出すくらいなら、310万人の犠牲者で終わった大東亜戦争は、為政者(いせいしゃ)や国家の指導者であるならば、それ以外に打つ手がなかったといえなくもない。当時としては、謂(い)わば、最善手(さいぜんて)であったのではないだろうか?

 左翼と呼ばれる人々は、常に、社会の底辺に存在する人々の視点でものを見るので、こうしたことがわからないらしい。左翼の人って、超難関大学のハイレベルな勉強ができなかった人が多いからな。

 また、「人ひとりの生命(いのち)は地球よりも重い」と教えられるので、ひとりでもそれくらいの価値があるだから、310万人となると、べらぼうなまでに法外な人数であり、価値の集積(しゅうせき)と感じる人は一般的だろう。

 しかし、論理学(ろんりがく)や幾何学(きかがく)を真面目(まじめ)に勉強していれば、部分が全体を超えるわけがないということを知っている。

 話は逸(そ)れるけれども、フランス革命のときに「第3身分とはすべてである」と演説した奴がいたが、部分が全体になるわけもない。レトリック(rhetoric:修辞技法)といえばレトリックなんだけどね。

 ところで、インドネシアはオランダに支配されている間、300万人程度が餓死(がし)している。またインドネシア独立戦争では80万人が犠牲になっている。合計で、380万人がオランダの犠牲になっているわけだ。さらには、インドネシア独立戦争では、いつまで経(た)っても降伏しないインドネシア共和国側に業(ごう)を煮(に)やしたオランダ軍は、女・子どもを虐殺(ぎゃくさつ)し始め、このまま降伏しないのなら、女・子どもを殺し続けると脅(おど)した。まさに鬼畜(きちく)としかいいようがない。

 イギリスは本国の食料などの物資の不足を補うために、インド人から強奪(ごうだつ)し、その結果、300万人の犠牲者が出た。大半は餓死であったとされる。

 ベルギーが支配したコンゴでは、過酷(かこく)な収奪(しゅうだつ)によって2500万人から1500万人へと1000万人もの人口が減った。

 コーカソイド(白人)の中には、300万人くらいを死なせてもなんとも思わない連中がいた時代である。

 たかだか310万人の犠牲者で済んだのだから、それほど無謀(むぼう)な戦争だったとは思えないのだけれども、書籍や新聞やテレビでこんなことを口にすると、ものすごく叩(たた)かれるのだろうな。

 以上の考えに致命的(ちめいてき)な欠点があるとすれば、是非(ぜひ)とも知りたいと思う。

2013年2月17日日曜日

逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ:よく考えると『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督の人生は逃げてばかりいる。

 エヴァンゲリオンの碇シンジの有名な台詞(せりふ)に、「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ」というのがある。

だが、庵野秀明の人生は「逃げている」ばかりである。

まず、大学受験からも、就職からも逃げた

それで、1年間、ニートをしていた。怒った父親が、大学に行くか、働くかしろと迫った。そこで、庵野秀明は就職から逃げ出した

大学受験はというと、学科試験のあるところから逃走した。絵を書いただけで合格できる大阪芸術大学映像計画学科に進学した。今でこそ偏差値46くらいだったりするが、当時は40以下であった(と記憶している)。

大学の勉強のレベルは高校とは較(くら)べものにならない。すると、庵野秀明は勉強から逃げ出した

それで、大学での勉強から逃げ出し、アニメの制作会社でアルバイトをしたり、『愛國戦隊大日本』という映画を製作したりする。

最終的には、大学から退学するという形で逃げ出し、アニメーターになる。

ところが、メカだけは描けるが、人物はからきし駄目ときた。エヴァンゲリオンの碇シンジの顔を見てもわかることだが、デッサンの訓練が足りないので輪郭(りんかく)などがおかしい。人物が描けないことから、作画などから逃げ出す。そこで演出・監督を目指すことにする。

オリジナル作品を作ることから逃げ出し、『宇宙戦艦ヤマト』のパクリなどをする。

『新世紀エヴァンゲリオン』では、貼(は)りまくった伏線(ふくせん)が回収できず、最後の数回は投げ出すこということで逃げる

ところが、ただ投げ出しただけなのに、なにか深い意味があるのではないかと考えた馬鹿が騙(だま)され、劇場版が製作されることになる。劇場版でも、最後が纏(まと)められず、またもや投げ出して、逃げる

次回作に期待がもたれたが、アニメではパクリ(あるいはオマージュhommage)しかやっておらず、自信がないので、それをごまかすためにアニメ製作から逃げ出し、実写映画を製作するが、『ラブ♡ポップ』は見事にコケた。

どうも、エヴァンゲリオンが好きな中学生・高校生は真面目に勉強しない傾向があるように感じているが、こんなふうに逃げ出してばかりの人生でも、それなりに成功しているのを目にすると、勉強する気がなくなるのだろう。

碇シンジにしても、たまたま、シンクロ率が高いというだけで主人公になっている。なんの努力もしないで主人公になっているのだ。

これは日本の教育に悪い影響しか与えない。


関連記事庵野秀明の大ファンに『宇宙戦艦ヤマト2199』のDVDを第1章から第6章まで貸したときの反応

2013年2月16日土曜日

バレンタイン=チョコレートの1粒あたりの単価の急変

バレンタイン商戦のチョコレートの値段が変わった。少なくとも、有名百貨店の通信販売では、1粒あたりの単価が急上昇したようである。

昨年(さくねん=2012年)までの印象だと、1粒あたり280円を超えるのは避けるような自主規制がチョコレート業界にあったように思う。

ところが、たとえば、ピエール=マルコリーニPierre Malcoliniのトリュフ=シャンパーニュTruffe Champagneは小さな粒なのに、1粒あたり350円のを出していて、それがちゃんと売り切れていた。1グラムあたり270円という代物だったと記憶している。

インターネットがあれば、超高級チョコレートでもそれなりに売れるらしい。

銀座や自由が丘に店を構えていても、そこに来る人しか、買わない。ところが、銀座や自由が丘に店を構えている有名店のチョコレートを、試しに食べてみたいを思う女性は少なくない。

それを見たチョコレート業界は、インターネットを使った通信販売では、1粒あたり400円や500円でも売れると踏(ふ)んだ。

そして、そうしたものでさえ全部、売り切れていた。

うーん、インターネットの力は凄(すご)いなあ。

1粒あたり500円のチョコレートを買った女性は、たぶん、男性への贈り物としてではなく、たぶん、「自分へのご褒美(ほうび)」なんだろうな。男性にとって、チョコレートの旨(うま)さは、繊細(せんさい)なところは、わからないから、贈るだけ無駄だからな。

追記:東京都目黒区自由が丘にあるモンサンクレールMont St Clairでは、1粒1,000円のチョコレートが売られている。

2013年2月15日金曜日

動物行動学からすると、東日本大震災があったので、2030年あたりから新宿2丁目のゲイバーは東北出身者が増えると考えられるようだ。

 災害があった地域からは、その後、自衛隊入隊者が急増するという。

 自分が死ぬかもしれないという状況で、鍛(きた)え上げられた自衛隊員の活躍を目(ま)の当たりにすると、自衛隊ってかっこいいと思うものらしい。そして、高校を卒業すると自衛隊に入隊したり、あるいは学力が高ければ、防衛大学校に進学したりする者が続出する。

 その一方で、災害があってから暫(しばら)くしてから生まれた男の子には、同性愛者が多くなるという。

 このことが判明したのはドイツのベルリンである。ベルリンでは、ある一定の年齢層で同性愛者数が異常値(いじょうち)を示していた。そこでいろいろと調査をしたところ、同性愛者が多い年齢層では、妊娠中に共通したできごとがあった。

 ベルリン空襲だった。

 連日、空襲を受けると、胎児(たいじ)を身籠(みごも)っている母親は生命の危険を感じる。すると、胎児が男の子である場合、その脳が女性化する。生物として考えれば、雌(めす)のほうが優秀である。人間でも、女性のほうが平均寿命は長い。それに、生物としては、先に出現したのは雌(めす)であって、雄(おす)ではない。初期には、生物はみな、無性生殖であったのだから、雌(めす)であったといえる。雄は単独では子孫を残せない。

 母親が生命の危機を感じると、胎児である男の子の脳が女性化するのは、一種の適応であるといえよう。

 しかも、東日本大震災にあっては、当時の民主党政権の無能ぶりによって、対応がきわめてまずかった。妊娠中の婦人は、死の恐怖を強く味わったにちがいない。自由民主党政権であったらと仮定した場合と較)(くら)べ、同性愛者の出生率(しゅっしょうりつ)が格段(かくだん)に上がったと考えられる。

 以上のことから、2011年後半から2012年初頭に生まれた男子には同性愛者の割合が突出(とっしゅつ)して高くなるといえることになる。その結果、その頃に生まれた男の子が高校を卒業する頃になる2030年あたりから、ゲイ=バーの従業員には、従来と較(くら)べて、東北出身者の割合が高くなると考えられるのである。

 それにしても、と思う。社会環境や家庭環境が悪いと同性愛者が出現しやくすくなるということになるのだから、同性愛者には罪はまったくないが、同性愛者が多い社会は、いろいろと改善の余地があると言えそうだ。

 また、家庭内暴力がひどい家庭でも、たとえば、母親が妊娠中に血塗(ちまみ)れにされるくらいの暴力を夫から受けるような場合、男児の同性愛率が高まると考えられる。そうした家庭に育った子どもの学歴は低くなりがちなので、低学歴者の同性愛率は高くなるはずである。

 にも拘(かか)わらず、同性愛者といえば、比較的高学歴に多いような印象がある。これは、多分(たぶん)、高学歴者ほどカミングアウトする傾向にあるからではないかと考えている。

2013年2月14日木曜日

1980年あたりの「荒れる中学生」の原因は高度成長期に「金の卵」と呼ばれた中卒だった。

1980年あたりに「荒れる中学生」が出現した。『3年B組金八先生』の第2シリーズで荒れる中学生を扱ったが、初回放送は1980年10月3日だった。

この「荒れる中学生」の主体は、高度経済成長期に都会に出てきた最終学歴が中学卒業の者の子どもたちであった。ちょうど最近の、というか、ちょっと前の支那(中華人民共和国)と同じような状況で、1弗(ドル)=360円の時代では、作れば作るほど輸出できたから、中卒でもできるような単純作業の仕事をしていても賃金はぐんぐん上昇していった。

終戦直後は、食べるものさえなく、戦災孤児(せんさいこじ)になった子どもたちが、生きていくために強盗殺人を行なった時代である。

食べていけるだけでしあわせだったであろう。同盟罷業(どうめいひぎょう:ストライキ)などはあったが、全体として考えると、彼らは特段の不満を抱くことがなかった。

1960年には池田勇人内閣のときには「所得倍増計画」を策定(さくてい)されたくらいである。しかも、日本の経済は所得倍増計画以上に成長した。賃金が上昇していくのだから、勉強していなくても、真面目(まじめ)に働けば、よりよい暮らしになると思ってしまったのも無理はない。

しかも、当時の東北地方をはじめとする地方の中学校では、定期試験も実力試験もなかった。高等学校の進学率が20%の時代に、試験を行なう必要はなかった。そうした緊張感のない生活を送ってきた者たちが、中学を卒業すると「金の卵」として、都会に出てきた。集団就職のための「就職列車」というものがあった時代である。

経営者たちは、安価(あんか)な労働力の確保のために、地方の中学校を駈(か)けずりまわった。福利厚生(ふくりこうせい)を厚(あつ)くし、全寮制にして、家賃・食費を無料またはきわめて安価に抑(おさ)え、人材確保に奔走(ほんそう)した。

高度経済成長期に都会に出てきた中卒の人々は当時の基準で結婚適齢期となり、子どもが生まれる。それが1965年を中心とするものであった。その15年後は1980年である。

子どもをもうけた中卒の人々が、いつまでも、安アパート暮らしのままではいけないということで、団地の建設ラッシュが始まった。

中卒で都会に出て、単純作業ではあるが真面目に働けば、結婚もできたし、子どももできたし、立派な団地にも住めるようになった。なんの不満もない人生だ。

ところが、その子どもたちはというと、親が定期試験すらない中学校を出ただけで、試験勉強というものをしたことがない。難関大学や難関高校に進学するには、いろいろと逆算(ぎゃくさん)して、この時期にはこういうことができていないとまずいという発想がないどころが、毎日、勉強をするという発想すらない。

そうした環境で育った子どもたちは自宅ではまったく勉強しないまま中学3年生を迎(むか)える。

そこへ、実力試験を受けさせられる。偏差値30台や40台の成績を残す。偏差値の正確な意味はわからないけれども、偏差値75を超えた◯◯君は、難関進学校に入学して、東京大学にも合格し、超一流企業に入社するか、高級官僚とかいうものになってもおかしくないという話を耳にする。

15歳で、取り戻せないほどの「差」を実感することになる。かといって、これまで勉強したことがないので、今更(いまさら)、何をどう勉強すればいいのかすらわからない。

団地と1戸建(いっこだて)との「差」も実感する。なんだか正体のわからない感情が渦巻くが、自分でも何なのかわからない。「憤(いきどお)り」でも「不満」でも「怒り」でもない感情である。

 しかも、貧困家庭(ひんこんかてい)であるが故(ゆえ)に、高校に進学できないとか、大学に進学できないという時代ではなくなっていた。最早(もはや)、『キューポラのある街』の時代ではなくなっていたのだ。

 勉強が苦手なのに、上級学校に進学しなければならない状態になっていた。親も高校ぐらいは出てくれという。

しかし、中学生の半分は中学数学がわからなくなっている。そんな状態で、進学しなければならないのでは、絶望的な気分になる者がいるのは理解できなくもない。

そうして、「荒れる中学生」が出現した。主体は「金の卵」第2世代だった。

第3世代は、出生年度(しゅっしょうねんど)がバラけたので、1980年あたりほどのことにはならなかった。

2013年2月13日水曜日

うちの近所で流行している学習塾の受講費の値切り方

 どうも、ある特定の方法で学習塾・予備校の受講費の値切り方が、うちの近所で流行(はや)っているように感じる。

 その方法とは、つぎのものである。

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 対象は、個人運営の学習塾である。個人運営だと、代表あるいは運営者の独断で値引きを決定することができる。

 まず、「生活が苦しい」「家計が苦しい」と言ってから、退塾を示唆(しさ)する。

 集団指導型の学習塾では、20人の生徒が19人になっても、授業の負担は変わらない。だから、退塾されるくらいなら、半額で構わないと提案する。

 保護者としては、半額になって嬉(うれ)しいとなる。
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 この手を使って値切るというのが横行(おうこう)しているようである。

 学習塾側の対応としては、受験まで1年だとすると、半額ずつ2年間に亙(わた)って支払うという提案もありうるが、卒業後に約束を反故(ほご)にする例が少なからず見受けられる。

 大手の学習塾で同じことをすれば、ローンを組まされたりするが、ローンを組ませるところにいい塾はない。

 当校にあっても、だいたい2年に1件くらいのペースでそういう保護者が出現する。

「智慧(ちえ)」に対して報酬(ほうしゅう)を支払うことを嫌がるタイプが存在する。そういうことをしてくるからには、保護者のそういう態度は子どもの知育に悪影響を与える可能性がなくもない。だから、当校ではすっぱりと退塾して貰(もら)っている。

 つぎのような事例があった。

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保護者「受講料がきついので、塾を辞めさせようかと考えているのですが……」

私「そうですか。わかりました。特段の手続きは不必要ですから、お辞めください」

保護者「えっ……、あの……、えっ……。(受講料が)ゼロになるくらいなら、半額のほうがマシじゃないんですか?」

私「マシじゃないです。ひとりひとりに合わせたプリントを作成しているので、正規受講料でも、同じ教材を使っている同じレベルの生徒が数人いればいいのですが、ひとりしかいません。なおかつ、教科書のレベルが低いので、おそらく、今、作成しているプリントの使い回しも無理でしょう。正規受講料でも退塾してもらいたいくらいです」

保護者「えっ、でも、ゼロなら半分のほうがマシでしょう」

私「いやあ、もう、退塾で結構です。うちは受講料以上の価値があると考えていますので」
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 集団指導型の個人運営の学習塾でしか通用しない手段を個別対応型で用いようとして失敗した例である。

 当校で頗(すこぶ)る成績が上がり、大学の附属高等学校にも進学できて、よい成績を修(おさ)めて希望の学部に進学したいと考えていた生徒本人はやる気満々だったこともあってか、相当にがっくりとなったらしい。うちの生徒と近所でばったりと遇(あ)うと、さみしげに視線を逸(そ)らしたという。

 大卒でない保護者は、きちんと勉強して、高校でも大学でも一定の成績を修めなければならないということがわかっておらず、大学の附属で、ほぼ全入で大学進学できるとなれば、受講料がもったいないと思う場合がある。

2013年2月12日火曜日

製造業などを中心として、一部の企業は就職の採用にあたって、文系と理系とを比較する場合、理系の偏差値に「8」を足して比較する。

 製造業を中心として一部の企業は、新規採用にあたって、文系と理系とを比較する場合に、出身大学・学部の偏差値に関しては、理系の応募者の大学・学部の偏差値に「8」を加えて、文系学部出身者と較(くら)べるという。

 具体的に述べると、偏差値62の理系学部の学生と、偏差値69の文系学部の学生の場合、理系学部の学生の偏差値62に「8」を加えた70で考えるので、偏差値69の文系学部の学生の評価は低くなる。

 数学受験をしていない文系学生には、異常なまでに数理感覚のないのがいるからな。

 当校でさえも、暗記科目で得点を稼(かせ)いで大学に合格した学生は講師に採用しないからな。

2013年2月11日月曜日

ゲルト=ファルティングス:アンドリュー=ワイルズが怖れたにちがいない男

アンドリュー=ワイルズAndrew Wilesはフェルマーの最終定理Fermat's last theoremを証明した。

1986年の夏、証明に着手した。

彼は徹底した秘密主義で、証明を推(お)し進めた。フェルマーの最終定理を証明したという名誉が欲しかったようだ。証明の途中までを公表して、その続きをだれかにやられたら、証明をしたという名誉はその人物のものとなってしまう。

当時、アンドリュー=ワイルズが在籍していたプリンストン大学Princeton Universityには、谷山=志村予想Taniyama-Shimura-Weil conjectureの志村五郎がいた。フェルマーの最終定理は、谷山=志村予想、即(すなわ)ち、「すべての楕円曲線はモジュラーである」というのを証明すれば、その系として、フェルマーの最終定理の証明もおまけとしてついてくることがわかっていた。その志村五郎にまったく相談していない。

また、怖ろしく仕事が速いゲルト=ファルティングスGerd Faltingsもプリンストン大学の同僚であった。アンドリュー=ワイルズが最も怖れたのはゲルト=ファルティングスだという気が、なんとなく、私にはしていた。

学会誌などに、証明の途中経過を公表すれば、たとえば、フェルマーの最終定理の証明において貢献をしている加藤和也(美空ひばりの息子である加藤和也ではなく、美空ひばりの息子よりも男前で、しかも美空ひばりの息子よりも数学が得意なほう)あたりも、証明を完了するかもしれなかった。

フェルマーの最終定理を証明したと発表したのが1993年6月23日で、ここまでで7年かかっている。その間、代数幾何学を専門とするニック=カッツNick Katz(キャッツと発音する人もいる)を自分の研究室に呼び出し、この部屋でのことはだれにも言わないとの約束をしてもらった上で、苦手な分野について、これで問題はないかと訊(たず)ねようとしただけだった。

その後、自分の考えをニック=カッツに詳細に確認してもらうために、大学で講義を設定した。受講生はニック=カッツと、数人の大学院生だったが、大学院生たちは、講義のレベルが高すぎるために、つぎつぎと受講するのをやめた。その後は、ニック=カッツを相手に1対1で講義をするようになった。

最終的には、ニック=カッツは、それでいいと思うよと答えた。ニック=カッツは証明上の致命的な欠点に気づいていなかった。

最初の証明は、5人の数学者が分担(ぶんたん)して査読(さどく)し、不明な箇所についてはメールで質問し、アンドリュー=ワイルズから返信が届くということを繰り返した。

ところが、証明の過程上(かていじょう)に致命的(ちめいてき)な溝(みぞ;gap)が存在することが判明した。それに気づいたのは、皮肉(ひにく)にもニック=カッツだった。1993年8月のことだった。

その後、致命的な溝を修正するために、アンドリュー=ワイルズは1年以上、格闘することになる。

どうしても溝を埋めることができないままでいると、だれかに手伝ってもらえばという助言を受けるようになるが、どうしてもひとりで証明したいので、断り続けた。ひとりで証明したという名誉が欲しかった。

アンドリュー=ワイルズの弟子のリチャード=テイラーRichard Taylorなら、性格も人柄(ひとがら)もよいから、共同で証明したとは言い出さないだろうから、彼に手伝ってもらえばいいのではないかという提案は受け入れた。

ところで、一向(いっこう)に新たな証明が完成しないことを耳にしたゲルト=ファルティングスは「ワイルズができないんだったら、証明はそもそもできないんじゃないの」と言った。

最終的には、証明を実質的に完成させたのは1994年9月19日のことだった。それまで採用していたコリヴァギン=フラッハ法Kolyvagin-Flach methodを棄(す)て、以前に採用していたが、それを拡張した方法の証明ができなかったので応用することをやめた岩澤理論Iwasawa theoryを再び採用した。

これによって、致命的な溝を埋めることはなく、溝を巧(たく)みに回避した。致命的な欠点を解決したto solveのではなく、謂(い)わば、「解消」したto dissolveのである。

 新たなる論文はプリンストン大学・プリンストン高等研究所Institute for Advanced Studyが発行するAnnals of Mathematics(敢(あ)えて訳せば『数学紀要(きよう)』)の特別号に掲載された。

その後、アンドリュー=ワイルズは、自らの証明を、更(さら)にエレガントに[=簡潔で美しく]したものを執筆し、5人の数学者に配布した。そのうちのひとりがゲルト=ファルティングスだった。

ゲルト=ファルティングスは、その証明のうち、3分の1か、5分の1かの部分を、更(さら)にエレガントなものにしてアンドリュー=ワイルズに送った。

この話を知ったとき、腹を抱(かか)えて笑ってしまった。彼ならそういうことを悪意なしにやりそうだからだ。

当校の生徒の反応は2つにわかれた。

1)性格の悪い禿(はげ)のおっさんだ。
2)数学者なら当然のことをしたにすぎない。

ところが、話はここで終わらない。

京都大学数理解析研究所教授・望月新一の登場である。

彼は2012年8月30日、abc予想を証明する論文をウェブ上で公開した。

このabc予想の証明が正しければ、数多くの予想や定理が導かれる。のみならず、フェルマーの最終定理も簡単に証明できる。ということは、フェルマーの最終定理を証明するために8年かけたアンドリュー=ワイルズの業績が、空無化(くうむか)するとまではいえないまでも、霞(かす)んでしまう。

そして、なんと、望月新一はゲルト=ファルティングスの弟子だった。

なんというか、ゲルト=ファルティングスが送り込んだ刺客(しかく)のように見える。

この30年間のフェルマーの最終定理を巡(めぐ)るの数論の世界は、なんだか、プロレスみたいな気がする。

このあたりで加藤和也(あるいはその弟子)が参入してくれると、日本人としては、頗(すこぶ)る楽しいのだが。

また、最近は表立った活動をしていないニコラ=ブルバキNicolas Bourbakiも参入してくれると個人的に嬉(うれ)しい。ニコラ=ブルバキというのは、フランスの若手数学者の集団による共同ペンネームで、一定の年齢になると引退し、会員からの推薦により、その分野の数学者が新たに補充(ほじゅう)される。なんだか、新日本プロレスのスーパー=ストロング=マシン軍団みたいで面白(おもしろ)い。尤(もっと)も、出版に関しては、1998年以降、活動していない。



上の動画は、フェルマーの最終定理についてBBC(英国放送協会British Broadcasting Corporation)が製作したもの。

当たり前のことだが、ここに登場する数学者たちが今よりも一回り以上、若い。1995年から1996年にかけて放送されたものらしい。アンドリュー=ワイルズの師匠であるジョン=コーツJohn Coatesは、この時点で50歳くらいなんだけど、実年齢よりも若く見える。優秀な数学者と理論物理学者は、概(がい)して、実年齢よりも若く見える傾向があるようだ。

ついでに述べておくと、優秀な数学者・理論物理学者には禿(はげ)が少なく、いたとしても、前から禿上(はげあ)がる場合のみで、天辺禿(てっぺんはげ)は皆無(かいむ)である。もしも、高校で担当の数学教師が天辺禿(てっぺんはげ)の場合は、独学で勉強するしかないと、すっぱりと諦(あきら)めるしかない。

なお、サムネイル画像は志村五郎である。『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する鼠男(ねずみおとこ)と貧乏神とを足したみたいな外見だな。

2013年2月10日日曜日

大学の近所なら、下宿を探す新入生がいるだろうから、安定して稼げるだろうと、武蔵大学のすぐ近くで不動産屋を始めたのが2軒あったが、大失敗だったという。

 リーマン=ブラザーズ=ショック後に、武蔵大学のすぐ近くに不動産屋が2軒できた。

 こんな不景気に新規に不動産屋を始める、あるいは新規出店するというのは、莫迦(ばか)じゃないかと思った。マンション住まいなら、引っ越し費用が勿体(もったい)ないので、更新手続きをするだけというのが多いだろうと予想できるからだ。

 暫(しばら)くしてから、推薦入試合格発表後から一般入試合格発表後までに1年分の荒稼(あらかせ)ぎができると考えてのことなのかと思った。

 しかし、近所の日本大学藝術学部(げいじゅつがくぶ)と武蔵野音楽大学とは、全国から学生の集まる大学で、全国各地の富裕層の子弟が進学するが、武蔵大学は、東京にある地方大学である。学生の殆(ほとん)どが、西武池袋線沿線の住民か、都営大江戸線沿線の住民の子弟なのである。首都圏でそれ以外の場所から進学する人は、ちょっと変な人である。

 千葉県市川市から武蔵大学に通う学生と話をしたことがあるが、武蔵大学にした理由を訊(たず)ねたところ、日東駒専(日本大学・東洋大学・駒沢大学・専修大学)のような知名度が高い中堅上位の大学だと、その程度の大学に通っているのかと思われるのが嫌で、大学に関心のない普通の高卒の人が知らない武蔵大学にしたという。しかし、彼は間違っている。実際は日東駒専よりもレベルが高いのに、大学に関心のない人たちからすれば、「聞いたことのない大学に通っている(もしかすると頭の悪い)人」と勘違(かんちが)いされるだけなのだということに気づいていなかったらしい。

 それはともかく、武蔵大学は自宅生が多いから、下宿を探すことはない。

 リーマン=ブラザーズ=ショック後に開業した不動産屋のうち、1軒はうちの生徒の同級生の親戚(しんせき)だということで、探(さぐ)りを入れてみた。

 期待したほども、下宿探(げしゅくさが)しがなかったという。

 数学で「場合分けしてものを考える」ということを習うのに、全国から学生が集まる大学と、地元の路線沿線からしか学生が集まらない大学とを場合分けして考えることができなかったようである。

 商売とは、斯(か)くも難しきものよのお。

2013年2月9日土曜日

マレーシアの歴史教育は1945年以降だそうで、英国の中学生は1815年以降の歴史しか学ばない。

 英国では、曾(かつ)て、中学生は、中学校卒業時にO(オー)レベルO-levelという試験を受けた。Oはordinary(普通)の頭文字である。

 O-levelが実施されているときに、その参考書に目を通したことがある。

「歴史」の出題範囲は、1815年から始まっていた。

 1815年といえば、ナポレオン軍がウエリントン公爵率いる英国・オランダ連合軍ならびにプロイセン軍に敗れ去ったワーテルローの戦いthe Battle of Waterloo / Bataille de Waterlooがあった年である。

 英国の中学生は、「栄光の大英帝国の歴史」しか習わなかったわけだ(今はどうなのは、知らないが)。

 そういえば、随分(ずいぶん)と以前のことだが、渋谷区中目黒に「1066」というイングランド料理専門店があった。従業員全員がイングランド人らしかった(もしかすると、ウエールズ人やスコットランド人などがいたかもしれない)。電話をかけても英語でしか応対しない。

 店の名前である「1066」は年号に由来(ゆらい)する。

 1066年には「ノルマン征服」Norman Conquestがあった。征服された年号を店名にするという発想が理解できなかったが、店主がノルマン人の末裔(まつえい)だと考えると納得(なっとく)できなくもない。また、店の説明によれば、「ノルマン征服」以後、いかなる民族にも侵略されていないから、記念すべき年なのだという。

 ま、実際、1066年以前となると、イングランドには、なにかと侵略(しんりゃく)ばかりされている惨(みじ)めな歴史しかないからなあ。


 さて、マレーシアでは、歴史教育が1945年から始まる。名目上は、歴史資料(史料)がないからだという。

 しかし、英国に残っている史料から、ある程度のことは推(お)し量(はか)ることができるはずである。それもしないというのは、したくないからであろう。

 イングランドと同じで、植民地時代の悲惨(ひさん)な歴史を子どもには教えたくないんじゃないかな。

[追記:ちょっと訂正。マレーシアの中学校の歴史教科書は、昭和16年(皇紀2601年)12月8日の帝国陸軍のコタバル上陸から始まるそうだ]


 そういえば、ベルギー王国は、スペインに支配されたり、オーストリアに支配されたりして、1815年にネーデルラント連合王国となり、1830年にネーデルラント連合王国から離脱し、独立し、これをオランダが承認したのは1839年だった。

 あるとき、ベルギーがスペインのような、ヨーロッパの中では工業が遅れている国(スペインには産業革命がなかったんだぜ)の植民地だったと高校の世界史の教科書に書いてあるのを読んで、びっくりしたことがあるとベルギー人女性に話したところ、私がそのことを知ったのは大学に進学してからなのに、日本の高校では細かいことまで歴史の授業で習うんだと、これまた、びっくりしていた。

 そのベルギーも、コンゴを植民地にし、過酷な収奪によって、2500万人の人口が1500万人に激減した。


 オランダもスペインの植民地だったが、1568年に独立戦争が勃発(ぼっぱつ)し、独立を正式に承認されたのは、1648年のことだ。

 オランダは350年近くに亙(わた)ってインドネシアを植民地支配した。



 侵略(しんりゃく)された惨(みじ)めな歴史しかない国が力を持つと、植民地を築(きず)いたり、好戦的になったりするような気がする。

 今の支那がそうだ。

 支那の歴史には「征服王朝」Dinasty of Conquestという用語があるくらいだ。遼(りょう)・金(きん)・元(げん)・清(しん)の4つの王朝である。また、「浸透王朝」と定義される五胡十六国(ごこじゅうろっこく)や北朝もある。

 因(ちな)みに、ヨーロッパではノルマン征服による王朝は征服王朝と呼ばれることが多い。

 万里(ばんり)の長城(ちょうじょう)があるが、あんなものを構築(こうちく)しなければならないほど、戦争に負け続け、侵略(しんりゃく)され続けた歴史があるからだ。匈奴(きょうど)かなにかの夷狄(いてき)に万里の長城を破壊され、結果的には、やはり、侵入をゆるしている。

 支那は、現在、内モンゴル自治区でモンゴル人を、ウイグル自治区でウイグル人を、チベット自治区でチベット人を虐待(ぎゃくたい)している。ブータン王国との国境線を移動させ、ブータン王国の土地も奪(うば)っている。また、フィリピンやヴェトナムの島を強奪(ごうだつ)している。

 英国にしろ、支那にしろ、こういうのを目にすると、まるで小学5年生の苛(いじ)められっ子が小学3年生を苛(いじ)めているように見える。こんなカッコの悪いことはないんだけど、自覚はないようだ。


 どこかの国とは違って、捏造(ねつぞう)した歴史を教えるよりはよっぽどいいんだろうけど。

 尚(なお)、日本の歴史教育の凄(すご)いところは、石器時代からちゃんと教えているところだ。多少の意図的な省略や歪曲はあるにしても。

2013年2月8日金曜日

Amazonで「工具」で検索してみたら、工具箱のプラモデルなどが出てきた。

 帝国陸軍航空隊の三式戦闘機飛燕(キ61)の模型が欲しくて、完成品やソリッドモデルを調べたら、私の感覚では非常に高価だったので、小学生以来、プラモデルは作ったことがないが、609円という廉(やす)いプラモデルがあったので、作ってみようかと思って、まずは工具を揃(そろ)えなくてはと、Amazonで範疇(はんちゅう:カテゴリー)を「ホビー」にして「工具」で検索してみたら、私のようなプラモデルの素人(しろうと)からすると、驚くべきものが出てきた。



 第2次世界大戦時のナチス=ドイツ軍の工具箱のプラモデルである。三式戦闘機飛燕の廉(やす)いものよりも高い。工具箱のプラモデルがあるということ自体が驚きである。



 ドイツ空軍整備士と工具箱。



「ドイツ軍戦車用工具取り付け金具」である。工具はついていない。そんなものが売っているのである。

 製品解説がふるっている。

「大戦中期から後期の戦車に最適です」
「MG34対空サイトは制空権を奪われてしまったドイツ軍には必須のアイテム」
「このパーツを取り付けるだけで戦車の精密さがグッとアップします」
「画像2枚目はMATORRO(ヘンフェン)の1/16キングタイガー(ヘンシェル砲塔)に装着してみたところ」

 まさに、マニアの世界だ。



 左官屋さんが使うコテのピンバッジ。以前から感じていたことだが、フランスにはなんでもかんでもピンバッジにする会社があるようだ。左官屋さんにプレゼントすると喜ばれるかと思ったが、いや、喜ばれないだろうな。需要がどこにあるのかわからない商品である。



 やはり、あったか。「痛マット3枚付き」である。「痛マット」って何なんだよと思った人は、クリックしてAmazonで確認するとよい。こんな工具箱に1万円近いお金を出して買う人がいるのだろうかと思ったが、やっぱり、少しはいるのだろうな。

 以上の検索結果から、プラモデルは作らないことにした。奥が深すぎるし、それに、ニッパーやラジオペンチやヤスリなどの購入で、初期費用がかかるということがわかったからね。

2013年2月7日木曜日

「クチコミで生徒が集まる塾です」「クチコミで評判の〇〇塾です」は、生徒の成績をそれほど上げることができない。

「クチコミで生徒が集まる塾です」「クチコミで評判の〇〇塾です」という宣伝をしている学習塾は、本当はそれほど成績を劇的に上げることはできない。

 ちょっと考えてみればわかることだが、「2」が6個、「3」が3個の生徒がオール「4」になれば、だれにも教えたくなくなる。また、偏差値30台から半年で立教大学に合格すれば、これまた、だれにも教えたくなくなる。

 当校で実際にあった話だとつぎのようなものが挙(あ)げられる。

 近所の区立中学校に通っている生徒が、同級生にどこの塾に通っているのかと訊(たず)ねられて、「あなたには通えないくらい遠くの塾よ」と答えた。

 大学受験に際して、どこの予備校に通ったのかと問われて「お茶の水ゼミナール」と答えた者もいた。「嘘を吐(つ)いて、相手を嵌(は)めようとしたことにならないか」と訊(たず)ねたら、「新宿セミナーと答えるよりは良心的だと思います」と答えた。うーん、私は、精々(せいぜい)のところ、駿台予備学校以外に通う価値のある予備校はないと思っているのだが、それなりに序列があるらしい。

 中学3年生になってから当校に入学した生徒に小学5年生の弟がいるということから、「君の弟を今からうちに入れておけば、相当に成績が上がると思うが」と言うと、「そんなことをしたら、うちの馬鹿弟がぼくよりも難しい高校に進学するじゃないですか!」と言った。

 また、もともとの成績が自分よりもちょっとだけでも上の生徒に紹介すると、自分よりも成績がよくなる可能性が高いので、紹介しない。絶対に成績で抜かれなさそうな生徒しか紹介しない。

 所謂(いわゆる)「紹介の仁義(じんぎ)」である。

 これは、知り合いの女性に女性を紹介してもらったら、必ずといってよいほど、紹介された女性は紹介した女性よりも美人とは言い兼(か)ねるとか、あるいは、合コン(合同コンパ)を催(もよお)した場合、女性側の参加者が女性幹事よりも美人とは言い兼ねるというのを同じである。

 軽い自閉症児を紹介したり、ちょっと知的障害があるかなという生徒を紹介したりする場合がある。成績を上げる自信があるので引き受け、成績は上がるが、その後の経過(けいか)がよくない。

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 軽い自閉症児の事例を挙(あ)げる。

 彼は偏差値40以下の私立の中学校の生徒であった。偏差値40以下と書いたが、四谷大塚やSAPIX(サピックス)や日能研では、レベルが低すぎて、偏差値算出不能となっているような私立中学校である。

 英語も国語もビリだったが、英語はなんとか、学年順位が真ん中くらいになり、国語もビリから脱出してビリから2番となった。数学に関しては、自閉症の子どもには計算だけは苦手ではないというタイプいて、彼もそうだった。だから、数学は英語・国語ほども悪くはなかった。

 英語が学年で真ん中くらいの順位になり、国語もビリではなくなると、途端(とたん)に当校での勉強量が半分以下に減った。

 軽い自閉症児の場合、偏差値40以下の中学校でも学年順位が真ん中くらいで満足してしまって、それ以上には勉強しなくなったのである。

 以上のようなことがあったので、自閉症児の成績を一般の学習塾よりは上げられるのだけれども、特別料金でしか引き受けなくなかった。
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 英語の成績が学年順位で真ん中くらいで勉強量が半減した生徒の例であったが、当校の学習用プリントを使うと、ごく普通の生徒よりちょっと頭がよいくらいの生徒でも、やる気さえあれば、中学校入学前に3年分が、高校生でも偏差値63以上の高校に通う者であれば、2年分の教科書を訳して、語順整序(並び替え)のプリントをこなすことができる。すると、2年以上先取りをしてしまうと、これ以上、勉強しなくてもいいやという気になって、当校に来なくなる生徒がだいたい2年にひとりくらいの割合で出現する。

 また、女子生徒の場合も、成績が上がり過ぎると、嫁の貰(もら)い手が減るということで、退塾させる母親がたまにいる。

 成績が上がり過ぎると、塾というものは繁盛(はんじょう)しないものなのである

 成績が上がりすぎる塾の特徴として、兄弟姉妹・親戚(しんせき)だらけになるということがある。血縁関係にある場合は、成績で抜かれても多少は構わないと考えるらしい。

 その結果、当校では、〇〇一族・△△一族・◇◇一族という具合(ぐあ)いに、血縁者だらけになっている。同じ苗字(みょうじ)の生徒が多いので、下の名前で呼ぶようになった。

 ということで、本当に成績が上がる塾の場合、兄弟姉妹ならびに親戚(しんせき)だらけになってしまうのである。

 でも、これって、なんだかよくない気がするし、多少、座席に余裕(よゆう)があるので、12年ぶりに新聞にチラシを入れることにした。

 12年前には、どういうチラシにすればよいのかを調べて、そのとおりにしたが、そうすると、児童虐待(じどうぎゃくたい)をしているらしい親とか、知的レベルが低すぎる親とか、そういうのがわんさかとやってきたので、今回は、普通の人が読む気がしないものにした。こういう形で、選別するわけである。これは如何(いか)にも日本的ないやらしいやり方だとは思う。

2013年2月6日水曜日

もしも、うちの2つのブログを読む人が1ページ=ヴュー毎に広告をクリックしたらいくらになるか計算してみた。

 うちは「掃除機庵主人日乗 l'homme révolté」と「掃除機496和訳道場」という2つのブログを運営している。

 そこで、もしも、アクセスした者全員が1ページ=ヴューにつき、広告を1クリックしたとしたら、いくらになるか計算してみた。

 1クリックで、30円くらいの収入になる。2つのブログをあわせると1日あたりのページ=ヴューは6000程度だから、つぎのようになる。

30円×6000クリック/日=180000円/日

 なんと、1日18万円になる。

 ところが実際は、昨日(さくじつ)は1クリックのみで、一昨日(おととい)は4クリックで、一昨々日(さきおととい)は1クリックのみだった。30円だったり、122円だったりである。

 而(しか)も、「掃除機496和訳道場」に至(いた)っては、クリック数ゼロの日が殆(ほとん)どである。

 うちの中学生・高校生に訊(き)いたところ、読者が広告をクリックすると、ブログ運営者に広告収入が入るということをだれも知らなかった。また、変なものをクリックして地雷を踏むことになるかもしれないと思って、極力(きょくりょく)クリックしないようにしているというのもいた。うーん、そういうものか。

 いや、まあね、私自身は、他人様(ひとさま)のブログなどを読んで、「ためになった」「おもしろかった」と思えば、広告をクリックしているのだがねえ。因(ちな)みにこうした行為を「お礼クリック」「感謝クリック」と個人的に呼んでいるだけど。

 広告収入は、あるところに寄附する予定だから、クリックが少なくてもかまわないんだけどね。

 今、確認してみたら、ブログに貼りつけたAmazonの書籍などがちょこっと売れていた。それに、うちが貼りつけたAmazonの広告から入って、新たに別のものを購入した人もいた。その場合でも、紹介料が入るのである。私自身、意識して、同じことをしている。こういう人たちは、じつにいいやつだなあ。こっちの収益(しゅうえき)は寄附しないで、Amazonの通信販売で利用するんだけど。

2013年2月5日火曜日

どういうわけか、奴隷あるいは奴隷的身分だった人々は足を使いたがる傾向にあるようだ。

 2013年1月31日付けの記事で、日本人は骨盤(こつばん)が後ろに傾(かたむ)いているので、世界的に見て、異常なまでに足を上げたがらない民族であるということを述べた。

 目立つところだけでしか考えていないが、奴隷(どれい)や、あるいは奴隷に準(じゅん)ずる身分であった民族などは、足を多用するようである。


 アイルランドは、実質的にイングランドの植民地であった。1946年にアイルランド侵攻がオリバー=クロムウェルによって行なわれて以来、ほぼ植民地であった。


 アイリッシュ=ダンスIrish danceには足だけで踊るダンスがある。踊りによっては、足だけで、手をまったく動かさないものもある。なお、このような踊りが発達した理由として、遊んでいるとイングランド人に叱(しか)られるため、窓の外からは踊っているのがわからないようにするために、足だけの踊りが発達したと説明されている。しかし、なんとなく、足を使うのが好きだったんじゃないかと思う。


 ブラジルの黒人の間で生まれたのが、カポエイラcapoeiraである。格闘技舞踏という名称があるくらいに舞踏なのか格闘技なのかよくわからないものだが、兎に角(とにかく)、足を多用する。


 サンバsambaにしても、足を多用する。


 タップ=ダンスtap danceはアメリカ合衆国南部の黒人によって編み出されたものである。


 琉球舞踊(りゅうきゅうぶよう)も、日本舞踊と較べれば、太腿(ふともも)が水平になるくらいに脚(あし)を上げるようである。

 なぜ、虐(しいた)げられた人々が足を使いたがるのか、私にはわからない。


 柔道には多彩(たさい)な足技があるではないかという反論があるだろうが、講道館柔道(こうどうかんじゅうどう)は嘉納治五郎(かのうじごろう)の趣味で作られたものであって、伝統的・日本的なものではない。


 講道館柔道は、寝技(ねわざ)と関節技(かんせつわざ)を中心とする高専柔道(こうせんじゅうどう)には歯が立たなかった。講道館柔道側は負けると、高専柔道に対して「卑怯者(ひきょうもの)!」などの罵声(ばせい)を浴(あ)びせたこともあったそうだ。

 嘉納治五郎は柔術を「柔道」という名のスポーツにしたかっただけなのだろう。そして、オリンピック競技になって、更(さら)にスポーツ化した。


 いずれにしろ、虐げられた人々が足を多用するのが、私には不思議なのである。

 以下の動画は、アイルランドの「足踊(あしおど)り」である。見る分には、嫌いじゃないけれども、日本人の骨格(こっかく)に合っていないから、習いたいとは思わない。

2013年2月4日月曜日

バレンタイン=デーに貰(もら)ったチョコレートをあちこちに横流しした結果、判明した女性の業(ごう)

 当校には、バレンタイン=デーあたりにたくさんの高級チョコレートが送られてきた。というのも、当校で作成した学習プリントを遠隔地に限り、無料で添付ファイルとして送信しており、劇的に成績が伸びた者の保護者がお歳暮やバレンタイン=デーにいろいろと送ってきたのである。

 1粒あたり200円以上が当たり前で、1gあたり170円というものもあった。こんなのを貰っていると、ゴディバGodivaが安物に感じてくる。

 生徒に食べられないようにと、シャンパンなどのお酒入りのものが多かった。同時に、生徒のみなさんとお食べくださいとばかりに、1粒あたりの単価が高くはない(とはいえ、1粒で、森永のミルクチョコレート2枚分)のをたくさん送ってくる場合もあった。

 1個200円の生チョコを好きなだけ食べていいぞと、教室に置いておいたら、男子小学生が「これはすごく美味(おい)しい!」とつぎからつぎへと食べていたので、「今、食べたので、1200円分になるぞ」と言ったら、まるで山梨県の国道で夜間に跳(と)び出してきた狸(たぬき)が自動車のヘッドランプに驚いて、立ち竦(すく)んだような顔をした。ちょっとおもしろかった。

 たくさんのチョコレートが届くので、生徒に分けたり、とりわけ高級なお歳暮やなにかをいただいた親御さんに横流ししたりした。その場合、家族構成を考えて、横流しした。

 1粒300円以上のチョコレートとなると、子どもが食べたいと言っても「あなたには味のよさがわからないから食べても無駄よ」とか「これはお酒が入っているから子どもには毒です」と言って、あげたりしなかったり、そもそも、高級チョコレートを横流しで貰(もら)ったことを子どもにも、ほかの家族にも教えず、自分ひとりだけで食べたりと、そんなことが判明した。35歳を超えて、そういうことをした例が数知れないのである。

 女の人は、どうして、それほどまでにチョコレートが好きなんだろうか?

 また、近所にある行きつけの雑貨屋の女性店員に事情を話して、大量に貰(もら)ったお裾分(すそわ)けだと言ってからあげると、たいへん喜ばれる。「気持ちが籠(こも)っていない高級チョコレート」は頗(すこぶ)る喜ばれるのである。尤(もっと)も、「気持ちの籠った高級チョコレート」をおっさんから貰ったら、さぞかし気持ち悪かろうが。

 なお、こんなふうに貰った高級チョコレートを横流しするし、超弩級(ちょうどきゅう)高級チョコレートを食べ慣れていることから、うちの生徒はだれもチョコレートはくれない

 そればかりか、「毎年、この1年間に食べたチョコレートでいちばん美味(おい)しいチョコが掃除機先生から貰ったものなのが悲しい」と言うので、「だったら、食べなきゃいいじゃん」と言うと「いえ、もう1個、いただきます」ときたもんだ。

 そんな当校も、今年は高級チョコレートは届きそうにない。

 というのも、中学校の英語教科書が改訂され、すべての学習用プリントを新たに作成しなければならなくなったので、有料での請(う)け負い作成でしか応じないという方針に変更し、問い合わせに対して、その旨(むね)をメールで返信したところ、再返信がなかったり、「考えさせていただきます」のまま、音沙汰(おとさた)がないものばかりになった。

 今年も高級チョコレートが食べられるのを期待している生徒がいたら、不憫(ふびん)であるなあ。

 ところで、以前に書いた以下の記事でレシピだけを送ってきたというのがあって、個人的にはたいそう気に入っている。

St. Valentine's Day ヴァレンタイデー:「もっとおいしいにんじんケーキの作り方」

追記:学習プリント有料化によって、今年は超高級チョコレートが届きそうにないということを述べたところ、女子中学生を中心に、英語の学習プリント無料配布を再開しろ運動が起こった。2012年度には中学校用の英語教科書が改訂され、2013年には高校1年生用の英語教科書が、2014年には高校2年生用のものが、ついで、2015年には高校3年生用のものが改訂されるので、生徒用のものだけで手一杯(ていっぱい)だから、どうしたって無理なんだけど。

2013年2月3日日曜日

経済学者のポール=クルーグマンがアベノミックスを高く評価したので、クルーグマンをパクリ元にしているエコノミストや経済評論家は、今後、どうするのだろうか?

 エコノミストや経済評論家には、常にパクリ元があるようである。

 相当以前は、シカゴ学派のミルトン=フリードマンMilton Friedmanがパクリ元として大人気であったようだ。

 その後は、ジョセフ=スティグリッツJoseph Stiglitzや、ミルトン=フリードマンの弟子であるゲーリー=ベッカーGary Beckerなどがパクリ元として、流行したようである。

 最近では、ポール=クルーグマンPaul Krugmanがパクリ元としては人気らしい。

 パクリ元として人気者になる場合、高級紙quality paperでコラムを連載している場合が多い。日本の新聞の経済部なら、当然、そうした新聞を購入しているだろうし、今ではウェブもある。エコノミストや経済評論家も欧米の高級紙は購入しているだろうから、コラムに目を通すことができる。

 つまり、英米の高級紙にコラムを連載するようになると、日本の新聞の経済部やエコノミストなどの元ネタになりやすい。

 ポール=クルーグマンはニューヨーク=タイムズにコラムを連載している。コラムを連載すると、そのときそのときの直近(ちょっきん)の問題を論じることになるから、パクリ元になりやすいわけだ。実際、クルーグマンからパクっているのだろうなという記事は少なくない。

 そのクルーグマンがニューヨーク=タイムズのコラムで安倍政権によるアベノミックスを高く評価した。

 以下に、件(くだん)の記事とその訳を載せているブログを紹介する。

クルーグマンのアベノミックス評

 となると、クルーグマンをパクリ元にしていながらも、新聞やテレビ局の意向(いこう)に迎合(げいごう)してアベノミックス批判を繰(く)り広げているエコノミスト達は、これからどうするんだろうか? それが気になる。

 その一方で、おそらくは、40年くらい前の大学生のときに習った経済理論だけで、今だに、経済を論じている池田信夫には感心する。ここまで古い理論だけで経済を論じるのは、信念の人であるのだろう。コメント欄で、池田信夫に賛同する意見を表明している者も、同じような連中なのだろう。

 流石(さすが)は、大学3年終了時に「優」が20個なくて、NHKにしか入れなかっただけの人物ではある。

*なお、「『優』が20個」に関しては、昔は、大学3年生終了時に「優」が20個なければ、1流企業には就職試験さえ受けられず、マスコミぐらいしか就職先がなかった。詳細は以下の記事を参照のこと。
一部のマスメディア(マスコミ)は何故、偏向しているのかついて、精神分析の観点から考えてみた。

2013年2月2日土曜日

何年か前に1本1000円の恵方巻きを近所の超安売りスーパーで売っていたそうである。

 何年か前のことだが、近所の超安売りスーパーマーケットで1本1000円の太巻きが恵方巻きとして売られていたそうである。私はその店の商品が怖いので寄りつかないでいるので、あくまでも伝聞情報である。

 1本1000円の太巻きは、なんの変哲もないごく普通の太巻きであった。精々(せいぜい)、350円がいいところという具合であったそうだ。そのスーパーマーケットの普段の品揃(しなぞろ)えから推察するに、素材を厳選(げんせん)しているはずはない。

 東京では、巻き寿司は馴染(なじ)みのないものである。東京人は基本的に巻き寿司は食べない。だから、太巻き寿司の標準的な価格を知らない人が多かった。

 その超安売りスーパーマーケットに来る客は、所謂(いわゆる)貧困層に属するか、あるいはそれに近い社会階層である。彼らはコンビニエンス=ストアには足を運ばない。割高だと感じているからだろう。

 その近辺の貧しき人々は、その超安売りスーパーマーケットにしか足を運ばず、太巻き寿司の相場がわからない。しかも、そうした種類の人々は、広告などの扇動に乗せられやすい傾向がある。

 その結果、その超安売りスーパーマーケットによる不当な高価格商法は、功(こう)を奏(そう)していたという。

2013年2月1日金曜日

大人と子どもの違い(その3)聖バレンタイの日(セント=バンレタインズ=デー)

「去年、バレンタイデーにどのくらいチョコレートを貰(もら)った?」と訊(き)くと、小学生や中学生・高校生はこう答える。

「4個ぐらいです」

 なぜ、「ぐらい」がつくのか疑問に思っていたが、妹や母親に貰(もら)ったものを正式な「1個」とするか、迷いがあるかららしいということが最近、わかった。

 そんなことを訊いていたら、生徒から訊かれた。

「掃除機先生は、去年、どのくらい貰(もら)ったんですか?」

「ん、2万3千円分、ただし、手作りチョコはなし」

 ということで、バレンタインデーにどのくらいチョコレートを貰(もら)ったかと訊(き)かれると、子どもは個数ベースで答えるが、大人は金額ベースで答えるのである。

 大人は個数の点ではそれほど貰(もら)わないが、単価が高いものを貰(もら)う。

 だから、大人は金額ベースで答えるのである。

大人と子どもの違い:絵画の鑑賞
大人と子どもの違い:印税について

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早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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