2013年3月31日日曜日

安倍首相の掌(たなごころ)で弄(もてあそ)ばれた小西洋之の予算委員会での質疑

 2013年3月29日金曜日に、民主党の小西洋之が参議院予算委員会で安倍首相に質問をしたが、暫定予算(ざんていよさん)とは関係のない憲法論議であった。

 安倍晋三が憲法学者の芦部信喜(あしべのぶよし)を知らないと答えたことで、無知なのではないかと思った人が少なからずいるようだ。

 ところが、よくよく考えると、安倍首相は、わざと答えない、知らないという手段に出たことが窺(うかが)われる。つまり、知っていても、わかっていても、知らない・わからないと、態(わざ)とやったらしいのだ。

 小西洋之は、ブログなどの記述からすると、つぎのようなシナリオを考えていたらしい。

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 安倍首相に質問をする。安倍首相が「第13条です」と答える。そこから、現行憲法と自民党の改正案を比較する。その上で、自民党の改正案は中華人民共和国憲法第51条や大日本帝国憲法と変わらないと指摘して攻撃する。
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 ところが、しょっぱなの質問から、安倍首相は答えない。答えようとしない。答える気がない。事前に小西洋之から配布された資料があるのに、答えない。知らないふりをする。

 答えなければ、質問者が質問の答えを述べて、説明しなければならない。そうすると、質問者の質問時間が空費(くうひ)される。

 途中で、麻生太郎が出てきて、質問をもう一度言ってくださいと言う。

 時間稼(かせ)ぎである。

 ところが、小西洋之は時間稼ぎに気づかない。べらべらと話すのである。勝ち誇っているらしい。

 結局、自分が描いたシナリオどおりには進まなかった。

 おまけに、「国会でクイズをするな」などの批判を浴(あ)びる。

 憲法学者の芦部信喜(あしべのぶよし)を知っているかと訊(たず)ねたが、存じ上げませんと言われる。

 これまた、安倍首相による時間稼ぎである。

 ここで小西洋之が芦部信善の学説について解説することを安倍首相は狙(ねら)ったようだ。説明すれば、その分だけ、質問の持ち時間がどんどん減っていく。ところが、小西洋之は、手短(てみじか)に芦部信善のことを説明する能力がなかったせいで、この時間稼ぎ作戦にはひっかからなかったというか、ひっかかりようがなかった。ちょっと残念。

 小西洋之には、特定の学者の業績を咄嗟(とっさ)に解説する能力がなかったようだ(まあ、私にもないけど)。

 安倍首相が芦部信喜を知らないと言ったことから、興奮してしまって、「高橋かずひろさん、佐藤幸治さんという憲法学者、ご存知ですか?」と質問する。

 安倍首相は、これまた、知らないと答える。知っていても知らないと躱(かわ)す。第1次安倍内閣のときに得た教訓によるものだろう。

 憲法学者の高橋和之(たかはしかずゆき)を間違えて、高橋かずひろと小西洋之は言ってしまった。そりゃあ、知っている人はいないわな。実在(じつざい)しないのだから。

 この手の間違いは、生半可(なまはんか)な知識のときに生じやすい。たとえば、「シミュレーション」simulationを「シュミレーション」と言ってしまうとか、「オランウータン」orangutanを「オラウータン」と間違えるような類(たぐい)の間違え方である。

 こうした間違え方をすると、本当は憲法のことは詳しくないんじゃないのと邪推(じゃすい)されてしまう。自(みずか)ら墓穴(ぼけつ)を掘(ほ)ったわけだ。

 ほかにも、「たぶん、谷垣総裁なら知っているでしょう」と、安倍晋三自民党総裁に向かって言った。「谷垣総裁」と言うべきところである。

 さらには、「総理が声高(こだか)に言っている……」と言っていた。「声高」は「こだか」なのであって、「こだか」ではない。流石(さすが)に、これはまずい。うちの小学生たちでさえ、「こわだか」だと知っている。

 声音(こわね)、声色(こわいろ)などがあるのだから、どうしてこういう読み間違いをするのか理解に苦しむ。

 まあ、「陵」の訓読みが「みささぎ」だとは知らない人は多いし、また「肉」の訓読みが「しし」で、「台」の訓読みに「うてな」があるということを知らない人は多い。最近では、「酒米(さかまい)」「酒代(さかだい)」を「さけまい」「さけだい」と読む人が多くなっているから、「声高」を「こえだか」と読む若僧(わかぞう)がいても不思議はないのだろうけど。でも、ちょっと恥ずかしいよね。

 ところで、この小西洋之の経歴を調べたら、徳島大学医学部に進学して、2年生で中途退学して、東京大学に進学している。教養学部出身だが、入学時に文科1類なのか文科2類なのか文科3類なのか明記していない。ということは、たぶん、文科3類なのだろう。

 医学部を2年生の時点で中途退学するというのは、どういうことか?

 うーん、これはもしかすると、骨学(こつがく)の試験に嫌気がさしたのではないだろうか? 人間の骨は200くらいだが、ひとつひとつの骨にも、突起(とっき)している部分や凹(へこ)んでいる部分などにも別個(べっこ)に名前がついている。そうすると、合計で900くらいの名前をラテン語で憶(おぼ)えなければならない。レベルの低い大学では、英語名だけでよいらしい。

 早い大学では、大学2年生で人体解剖をする。もしかすると、人体解剖に耐(た)えられなかった可能性もある。しかし、徳島大学医学部は、和歌山県立医科大学よりもレベルが低いのだから、2年生で人体解剖をやっているとは思えない。

 また、小西洋之は、東京大学に進学したものの、したい学問がなかったらしく、教養学部に進学した。国家公務員1種試験を受験したものの不合格になっている。翌年、なんとか合格しているが、点数が低かったらしく、エリート省庁には入省できず、郵政省だか、総務省だかに入っている。

 それなりに努力したけれども報われなかった人の中には、小学校からエスカレータ式で大学を卒業した者を憎む者がいる。野心的でありながら、無能な努力家である場合には、家柄がよくて、育ちがよい人間を異常なまでに憎む者がいる。

 家柄や育ちがよいからといって、他人(ひと)を不当に差別してはいけないと思うのだが。

 以上を纏(まと)めるとこうなる。

1)わかっていることでも「知らない」と惚(とぼ)けられ、自(みずか)らが描いたシナリオどおりにいかなかったので、切れた。
2)興奮して、憲法学者の「高橋和之(かずゆき)」を「高橋かずひろ」と間違ってしまった。
3)「声高(こだか)」を「こだか」と小学生でもしない読み間違いをしてしまった。
4)「谷垣総裁」を「谷垣総裁」と言ってしまった。
5)たぶん、骨の名前をラテン語で900個、憶えられなかったので医学部を中途退学したらしい。
6)たぶん、文科3類に合格したものの、文学部や教育学部の学問内容には興味がなく、とりあえず、教養学部に進学した。
7)国家公務員1種試験に落ちて、浪人して、翌年、なんとか合格したが、点数がよくなかったので、郵政省だか、総務省だかにしか入れなかった(文部科学省にしか入省できなかった奴らよりもましだけど、財務省や国土交通省よりはレベルが遙(はる)かに低い)。
8)事務次官などにはなれそうにないので、退職して政治家になった。

 なんだか、恥ずかしい人生だなあ。

 ところで、他人を攻撃する場合には、もっと用意周到(よういしゅうとう)にしなきゃね。まあ、止むに止まれぬ場合以外は、攻撃しないのがいちばんなんだろうけど。

2013年3月30日土曜日

自転車泥棒を見分ける警察官の基準のひとつ

 サドルの高さが合っていない、これである。

 少しくらい合っていなくでもいいが、極端におかしい場合は、ものすごく怪(あや)しいそうである。

 知り合いが廉(やす)いママチャリに乗っていた。ホームセンターで売っている9,800円だか、6,800円だかの代物(しろもの)である。その自転車は、サドルをちょうどよい高さにして、力一杯(ちからいっぱい)締(し)め上げても、ちょっとずつ下(さ)がってゆく。ある程度まで下がると、彼はサドルの高さを調節する。

 うちの近所だと、千川通りと環状7号線の交差するところで、環状7号線の高架下の千川通りの歩道で警察官が盗難自転車の検問を午前3時までしていることがある。

 ライトを点灯しているのに停(と)められるときと、停められないときがあったという。停められたときはいつも、サドルの位置が下がっているときだったそうだ。

 ある機会(きかい)に、警察官に質問してみたところ、それも基準のひとつだが、経験を積むとなんとなく雰囲気でわかるようにもなるという。

 私自身、警察官に停められそうになったことがあった。明らかに新人と思われる警察官が停めようとして、隣にいたベテラン警察官がそれを制止した。ベテランだと、怪しくないということがわかるわけだ。

 それでも、1度、停められたことがあった。その警察官に、「この種類の自転車で、この恰好(かっこう)だと、普通は(自転車泥棒は)疑われませんよ。……あ、この4月から警察官になったばかりでしょ?」と訊(き)いてみたら、去年の4月からだという。

 おかしいなあ。1年以上の経験があれば、停めるはずはないし、警視庁で採用される警察官は、周辺の千葉県警察・埼玉県警察・神奈川県警察の警察官よりも採用試験の成績は高い、つまり学力水準が高いのだから、そこまで学習能力が低いというのは考えづらいと思いながら、自宅マンションに向かっていた。はたと気づいた。あの警察官は、警察学校の10か月も入れて答えていたにちがいない。

 ところで、警視庁は不祥事(ふしょうじ)の発生件数が周辺の県警察よりも多いが、それは警察官数が多いからであって、警察官の人数当たりの不祥事発生件数は、周辺の県警察のほうが高い。その理由を学力差で説明する者もいる。

2013年3月29日金曜日

アメリカ合衆国の保険の掛け金は、加入者の知能が高ければ高いほど廉(やす)くなるそうだ。

 以前に、保険の代理店をしていたというおじさんから聞いた話だが、アメリカ合衆国の保険では、加入者の知能が高ければ高いほど、掛け金が廉(やす)くなるそうだ。

 尚(なお)、知能の高い低いはどうやって決めているかは不明である。大学進学時に受験するSAT(大学進学適性試験Scholastic Assessment Test)と知能にはある程度の相関関係があるから、それを利用するのかもしれないし、大学での成績を参照するのかもしれない。まあ、わからない。

 それはともかく、古い情報なので、今でもそうなのかは知らないが、アメリカ合衆国的には合理的な設定だろう。事実、知能が高い人のほうが交通事故死の割合は低い。昔の高校生によるオートバイの死亡事故も、偏差値の低い高校ほど多い印象が強くある。

 知能が高くないせいで、低所得に喘(あえ)ぐ人々は平気で中国産の食品を食べるだろうから、知能が高い階層よりも、平均寿命は短いだろう。

 知的な階層は、病気に罹(かか)った際には、その疾病(しっぺい)に関する書物を読み、充分に理解した上で、禁止事項を守る傾向があるが、そうでない人は「これくらいなら、大したことはなかろう」と、医師の指示を守らない傾向がある。以前、私が若年性急性心筋梗塞を患(わず)った際に、こうしたことを担当医師から聞かされた。

 ほかにも様々(さまざま)な要因から、知能が高ければ掛け金を低くするというのは、アメリカ的な意味では、合理的であろう。

 今後、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定Trans-Pacific Strategic Economic Partnership)に日本が参加したなら、アメリカ合衆国の保険会社が、アメリカ流の掛け金の設定方法で参入するかもしれない。そうなると、日本国内の頭のいい人は、そうした設定方法の保険に加入するが、頭がよいとは言えない人々は、従来型の掛け金設定方法の日本の保険会社の保険に加入するだろう。

 しかし、そうなると、日本の保険会社は知能に拘(かか)わりなく、同一掛け金にしているのだが、優良な顧客(こきゃく)である知能の高い階層がアメリカの保険会社に流れれば、採算が悪化する。病気になったり、事故に遭(あ)ったりする確率の低い人間が少なくなるのだから。となれば、掛け金を上げざるをえなくなる。あるいは、アメリカの保険同様、知能による掛け金の細分化(さいぶんか)が必要になる。

 最終的には、アメリカ型の掛け金の計算方法になる。

 すると、知能が高くない貧困層は保険に入れなくなる。実際、アメリカ合衆国では健康保険に入っていない階層が存在する。診療費(しんりょうひ)の高い合衆国では「病気になるのも命懸(いのちが)け」と言われているそうだ。

 現時点で、日本の保険会社は、どういうシミュレーションを行ない、どういう対策を施(ほどこ)そうとしているのだろうか?

2013年3月28日木曜日

テリー伊藤の『お笑い大蔵省極秘情報』『お笑い大蔵省極秘情報(2)大蔵官僚の復讐』を読み返したら、相変わらず面白かった。

 テリー伊藤の大蔵省を扱った書籍を、久しぶりに読み返した。『お笑い大蔵省極秘情報』(飛鳥新社、1996年)と『お笑い大蔵省極秘情報(2)大蔵官僚の復讐』(飛鳥新社、1998年)である。

 テリー伊藤が、2冊で、国家公務員1種試験(現・国家公務員総合職試験)を経(へ)た総合職の官僚(所謂(いわゆる)キャリア)5名と、国家公務員2種試験(現・国家公務員専門職試験)を経た専門職の官僚(所謂ノンキャリ)2名とのインタービューから成り立っている。

 2000年頃に読んだもので、ほんの少ししか内容を憶(おぼ)えていなかったが、やはり面白かった。


 大蔵官僚(現・財務官僚)は、意外とせこい。以下の内容は今でもそうなのかは知らない。

 官舎は、一見すると、都営住宅3軒分に見せかけているが、見かけは3軒分だが、中身は1軒分なのだ。千代田区などの都心にありながら、面積が110平方メートルもある。しかも、見た目とちがっては、内装は豪華で、防音などにも贅沢(ぜいたく)に金をかけている。

 検察庁だったと記憶しているが、これまた、幹線道路から見えやすい場所には古い建物を残して、その裏に豪華なハイテクビルを持っている。興味がないかぎり、気づきにくくなっている。

 少なくとも当時の大蔵省の建物はオンボロで、ダニなどもいるくらいで、接待漬(せったいづ)けになっているのが後ろめたいからと、自分のところの庁舎を豪華にすると、他省庁の予算が削りにくくなるかららしい。

 大蔵省のキャリア官僚の場合、たとえば、午後6時に庁舎から黒塗りの自動車で接待に出かけ、翌日の午前1時に庁舎に戻ってきても、その分の残業手当てがちゃんとついた。

 ガリ勉で入れるのは精々(せいぜい)、建設省(現・国土交通省)までだと言ったりして、他の省庁を小馬鹿にする。

 その一方で、外務省の官僚は、シャツの襟(えり)と身頃(みごろ)の色のちがうシャツを着ているのが多いことに驚いたことがあると、自(みずか)らのファッション=センスのなさを告白してみたり、外務省のアルバイトの事務員の若い女性が全員、美人で、外見だけで採用しているにちがいないと羨(うらや)ましがったりした上で、女にモテるのは外務省だと言ったりする。外務省は家柄(いえがら)・出自(しゅつじ)が悪いと出世しにくいので、たぶん、大蔵官僚は、家柄・出自がよくないのだろうな。

 通商産業省(現・経済産業省)出身の秘書官に大蔵省が嫌がらせを受けたので、大蔵省は通商産業省に復讐(ふくしゅう)すると宣言するが、その方法がせこい。通商産業政策に関わる予算を削(けず)ると大蔵省が復讐したとバレるから、ボールペン1本からはじまって、建物の保守・修理に関わる営繕費(えいぜんひ)などを査定(さてい)の段階からネチネチといちゃもんをつけていくという。「営繕費を削られると、実際に勤めている人が結構困るわけですよ。エアコンがちゃんと働かなかったり、窓がちゃんと閉まらなかったり」と言って、それを「神経戦」よる復讐と名づけて、悦(えつ)に入(い)っている。

 意外とみみっちい小人物ばかりのような気がした。世界を念頭(ねんとう)において、天下国家を語る人物はいなかった。


 なかでも、最高に可哀(かわい)そうなキャリア官僚の例がつぎのもの。

 まず、国家公務員1種試験はおよそ2万人が受験して、合格するのは1000人くらいであるが、合格したからといって、どこかの省庁に入れるとはかぎらない。何年ごろのことか忘れたけれども、こういうのがある。日東駒専の中では専修大学はこうした試験対策がうまく、駒沢大学や東洋大学よりも一般の就職もよい。その専修大学から2年連続で3名、国家公務員1種試験合格者を出したが、だれひとりとして、どの省庁にも採用されなかった。合格してもキャリア官僚になれない例さえあるわけだ。一方、大蔵省には毎年20名ほどが入省するが、合格者のトップ20位までだと考えてよい。

 さて、この哀(あわ)れなキャリア官僚は、学生時代から東京女子大学の学生とつきあっていた。結婚をせがむので、大蔵省入省が決まり、東京大学法学部卒業後にその女子学生と結婚した。

 テリー伊藤に挫折(ざせつ)はなかったのかと訊(き)かれ、自分の人生にはミスは2つしかないと答える。あるミスについては話さなかったが、一方のミスは、結婚が早かったことだという。

 インタービューでは、結婚生活を気にしながら、仕事に打ち込まなければならないのが嫌だったから挫折であると説明し、その後、脈絡(みゃくらく)もなく、閨閥(けいばつ)を利用しなくてものし上がれると信じていたとも言っている。

 しかし、べつの箇所(かしょ)で、大学時代に自分が所属(しょぞく)していたゼミの教授は世俗(せぞく)のことを教えない人だったと述懐(じゅっかい)していた記憶がある。また、インタービュー当時、このキャリア官僚は30歳であった。30歳あたりで、世俗のことを知らなかったが故(ゆえ)に後悔したことがあったと見て取れる。それは何か?

 挫折経験を語った暫(しばら)く後で、外務官僚の閨閥を持ちだして、閨閥(けいばつ)を利用しなくても、自分は、のし上がれると、脈絡(みゃくらく)なく、述べる条(くだり)があるのが、これがあやしい。尚(なお)、閨閥とは、妻の姻戚関係(いんせきかんけい)で結ばれた勢力のことである。藤原兼家や藤原道長・頼通などによる摂関政治(せっかんせいじ)は閨閥の一例である。

 日本のパワー=エリート(権力エリートpower elite)の生き方のひとつにこういうのがある。高級官僚となり、28歳あたりから、大蔵省の場合、さまざまな縁談が持ち込まれる。28歳で地方の税務署長となれば、地元の名士(めいし)から娘を嫁に貰(もら)ってくれと頼まれ、大蔵省に戻れば、上司を通じて、社長令嬢や家柄が名門の令嬢との見合いの依頼を受ける。

 こうしたことは、権力に関心のない私でさえ、大学1年生か2年生の頃には知っていたけどなあ。

 実際、官僚としてはトップの事務次官になれそうにないので、退職して、奥さんの実家の父親に足りない分の資金を支援してもらって、当選した国会議員もいた。義理の父親が会社経営をしていた例である。

 同僚の見合い話を目(ま)の当たりにして、結婚を早まったと後悔したにちがいない。

 因(ちな)みに、悲しき高級官僚の話をうちの生徒に話してみたら、中学生以上には、頗(すこぶ)る同情されていた。

「じゃあ、その人、コンクールで優勝するような血統書付(けっとうしょつ)きが貰(もら)えるのに、雑種(ざっしゅ)を拾(ひろ)っちゃたんだ」

 子どものメタファー(隠喩(いんゆ))は、ときどき、面白いのだが、ちょっと待てよ、当時の東京女子大学は、今よりも偏差値高かったし、いくらなんでも、「雑種」はないだろう。世間知らずだなと思ったが、あ、今、キャリア官僚の視点(してん)で、ものを見ているのか。

 その官僚は、お茶の水女子大学・津田塾女子大学・東京女子大学と学生時代に合コン(合同コンパ)をするけれども、学生時代の遊びで終わらせるものであって、結婚するのは、大蔵官僚としては恥ずかしいことだという意味のことを述べていた。

 ふと思い出したが、「上(うえ)見て暮らすな、下(した)見て暮らせ」と、うちのばあちゃんはよく言っていたな。



2013年3月27日水曜日

日本人で最高レベルの縫製職人(ほうせいしょくにん)とアイロンがけ職人がやってる仕事

 分(ずいぶん)と以前に、近所のクリーニング屋の工場で、週1回、勤めているアイロンがけ職人のおじいさんから聞いた話である。

 縫製職人(ほうせいしょくにん)、つまり、ミシンがけをして、服を作る仕事をしている人で、日本人で最高レベルの人が働くのは、コム=デ=ギャルソンCOMME des GARÇONなのだそうである。といっても、賃金(ちんぎん)は通常の2倍程度に過ぎないそうだ。最高レベルなんだから、もっと出してやれよと思うのだけれども、一般の日本人、とりわけ職人というものは、金銭に対する拘(こだわ)りよりも、遣り甲斐(やりがい)のある仕事かどうかを重視するから、2倍程度の賃金でも充分に誇(ほこ)りが持てるだろう。

 今のデザインは知らないが、昔のコム=デ=ギャルソンだと、アシメトリー(asymmetry非対称)なデザインもあったから、相当に腕がよくないと、きちんと縫製できなかったのだろう。

 また、あんまり詳(くわ)しいことは知らないのだけれども、ブランド品の服は、店頭に置いたり、飾ったりする前には、仕上がった商品を一旦(いったん)、クリーニングにかけ、アイロンがけをするという。

 コム=デ=ギャルソンに雇われるアイロンがけ職人も高賃金だという。しかも、仕事の質が落ちないのであれば、正月なんかのときには、ビールを飲みながらやってもよいという高待遇なのだそうだ。

 なぜ、こうしたことをこのおじいさんが知っているのかと思っていたら、そのおじいさんがコム=デ=ギャルソンでアイロンがけをしている職人さんだった。ほほえましい自慢だった。

「欲しくなったら、いつでも言ってくれ。社員割引で買えるから」

 ウェブで検索(けんさく)した。

 調べてみると、素材も日本製、製造もすべて日本国内で行なわれている。デザイナーも日本人しかいないようだ。

 オール日本なのである。

 これは是非(ぜひ)とも着てみたいと思った。

 しかし、おっさんには似合(にあ)わないデザインしかなかった。残念。

2013年3月26日火曜日

130万円の篦竿(へらざお)を政治家2人に贈った友人の父親

篦竿(へらざお)とは、篦鮒釣(へらぶなづ)り専用の竿(さお)である。私の実家がある和歌山県橋本市は篦竿の全国シェアの90%を占める。

AKB48の総選挙で、投票権をできるかぎり獲得(かくとく)するために、同じCDを何枚も購入する例があった。なかには、200万円以上を費(つい)やしたファンもいたそうである。

そこで、いい年したおっさんで、似たような例を挙(あ)げてみた。

高校時代の友人の父親は篦竿(へらざお)職人だった。その父親は、元・自衛隊員であったが、何年もかかって部下が5人か6人持てるようになった。しかし、防衛大学校の1期生が入隊すると、はじめから同じ数の部下を持つのを見て、軍隊は勉強ができないと出世できないと悟(さと)り、職人として生きることにし、篦竿(へらざお)職人となった。なお、息子は国公立大学の医学部に進学して、現在、評判のよいクリニックを経営しているから、別段、地頭(じあたま)の悪い家系ではないだろうし、また、地頭(じあたま)が悪ければ、トップクラスの職人にはなれない。

自衛隊を辞めたとはいえ、職人としての生活の傍(かたわ)ら、自衛隊に関わる業務を少しはしていた。たとえば、自衛隊員のスカウトだとか。

その人は2人の政治家を尊敬していた。中曾根康弘(なかそねやすひろ)と源田實(げんだみのる)である。

中曾根康弘は元・内閣総理大臣で、防衛庁長官を歴任している。また、1954年に「原子力予算」を国会に提出し、成立させている。これは、核武装したければ、いつでもできるようにするための布石(ふせき)だったらしい。

源田實(げんだみのる)は、元・海軍大佐で、26歳で真珠湾攻撃の作戦計画案を作成した。また、自衛隊の第3代航空幕僚長も務めている。全国区選出の参議院議員を4期24年務(つと)めた。

友人の父親は、百貨店などで買えば130万円ほどする超高級篦竿(へらざお)をこの2人の政治家に贈った。

友人の父親によれば、問屋(といや)に卸(おろ)すときは、30万円くらいだけれども、百貨店に並ぶときには130万円くらいになっているという。もはや、実用品ではなく、美術品の扱いなのだそうである。

職人本人はというと、篦鮒釣(へらぶなづ)りするときには、カーボン製の竿(さお)を使っているという。「竹製だと強い引きのときに竿が曲がってしまうから」とのことである。

その一方で、カーボン製の竿は落雷が怖いとも言っていた。雷(かみなり)の日に釣りに行かなくてもいいんじゃないかなと心の隅(すみ)でこっそり思った。

元値(もとね)が30万円の竿を、市場価格が130万円だからといって、たとえば、70万円で問屋を通さずに個人で売ると、取り引き停止の罰則(ばっそく)があった。しかし、自分で製作した竿を、友人や知人に無料で譲(ゆず)ることは許(ゆる)されていた。

そこでその人は、竹藪(たけやぶ)を探しまわり、これぞ、最高の素材だという竹を見つけ、自らの職人魂(しょくにんだましい)を発揮(はっき)し、丹精(たんせい)込めて、篦竿(へらざお)を2竿(ふたさお)、製作して、1竿(ひとさお)ずつ、大ファンである中曾根康弘と源田實に手紙を添(そ)えて贈った。

それぞれから、色紙と鄭重(ていちょう:丁重とも書く)な礼状が送られてきた。

中曾根康弘の色紙の文言(もんごん)は思い出せないのだけれども、源田實の色紙にはこう書いてあった。

  知者不言
  言者不知

「知る者は言わず、言う者は知らず」という『老子』にあることばだ。

また、両者の礼状は、巻紙(まきがみ)に認(したた)められたものだった。達筆(たっぴつ)で、昔の人は字が上手(うま)いとつくづく感心した。

因(ちな)みに、曾(かつ)ての日本の小学校では、書道の時間が毎日あったそうだ。

ところで、政治家に市場価格130万円のものを贈って、贈賄(ぞうわい)にならないのかという疑問があった。私は法律を真面目に勉強したことがないので、よくわからない。

ものを贈っても、利益誘導(りえきゆうどう)などがなければ贈賄にはならないらしい。

但(ただ)し、近所の竹藪(たけやぶ)で見つけた竹を使って、加工し、漆(うるし)や金箔(きんぱく)を使用していても、材料費だけだと、1万円にもならない(竹は0円とした)。市場価格が130万円といえども、材料費はそのくらいだ。

さて、市場価格130万円のものを贈ったといっても、便宜(べんぎ)を図(はか)ってくれとは依頼していないし、利益誘導を依頼しているわけでもない。

色紙がもらえるとうれしいというだけのことだった。

そう考えると、贈賄(ぞうわい)にはならないと思える。

一方、市場価格130万円の篦竿(へらざお)となると、贈与税の控除額(こうじょがく)は110万だから、脱税にならないのだろうか? 

それとも、材料費1万円の手作り品ということで、1万円くらいの贈与だということになるのだろう?

30数年前の話だから、なにかあっても時効(じこう)だから、書いてみた。

AKB48の総選挙で大金をつぎ込む人と較べて、市場価格の合計金額で260万円分のものを進呈した人のことをどう思うかと生徒に訊(たず)ねてみたところ、中曾根康弘や源田實の色紙は、将来、高く売れそうだから、AKB48に大金を投ずるよりも、よっぽどいいという意見が多かった。

2013年3月25日月曜日

インドネシアではジャワ語を話す住民が多数派なのに、マレー語を基(もと)にしたインドネシア語が公用語になっている理由

インドネシア語のサイトを閲覧(えつらん)すると、Google(グーグル)大先生が「これはマレーシア語のページです。翻訳しますか?」と表示してくる。

インドネシア語とマレーシア語とを区別できないというのはどういうことなのかと思った。

調べてみたら、インドネシア語とマレーシア語は、ほとんど同じといっていいくらいの言語らしい。

Wikipediaの「インドネシア語」の項目によると1928年10月27日・28日の第2回インドネシア青年会議でつぎの決議が出されたという。

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青年の誓い
我々インドネシア青年男女は、インドネシア国というただ一つの祖国をもつことを確認します。
我々インドネシア青年男女は、インドネシア民族というだた一つの民族であることを確認します。
我々インドネシア青年男女は、インドネシア語という統一言語を使用します。
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「青年の誓い」での「インドネシア語」は、現在のインドネシア語を想定していたのかどうかははっきりしないようだ。ジャワ語優先主義を退(しりど)けたいという勢力がいたらしいというくらいのことしかわからない。

インドネシアの人口は2億3000万人くらいだが、日常的にインドネシア語を話すのはおよそ3000万人にすぎない。一方、インドネシア人の総人口の45%はジャワ語の家系か、ジャワ語が支配的な地域で暮らしている。

では、何故(なにゆえ)に、ジャワ語ではなく、もともとは貿易用に使われていた言語の「海峡(かいきょう)マレー語」を基(もと)にインドネシア語ができたのか? それが疑問だった。

陸軍中野学校のせいだった。

陸軍中野学校とは、現在の東京都中野区中野4丁目あたりにあった学校で、諜報部員(ちょうほうぶいん=スパイ)などを養成していたところである。中野駅の北側の中野サンプラザのあるあたりにあった学校である。

蘭印作戦(らんいんさくせん)によって、帝国陸軍はジャワ島に3月1日に上陸、オランダ軍をはじめとする連合軍は敗走につぐ敗走により、9日後の3月9日にオランダ軍は全面降伏した。

帝国陸軍は、インドネシアの独立を約束し、インドネシアの民族軍として、ジャワで郷土防衛義勇軍(略称PETAペタ)を設立し、軍事教練(ぐんじきょうれん)を施(ほどこ)した。軍事教練をするにあたって、意思疎通(いしそつう)を円滑(えんかつ)にするには、統一語とか、公用語とか、共通語とか、そういうものがなくてはならない。

インドネシアは多言語国家だけれども、郷土防衛義勇軍(PETA)をジャワで設立したんだし、話者の数からすれば、ジャワ語を基(もと)に共通語を作るのが妥当(だとう)なところだろう。

ところが、陸軍中野学校出身者に、ジャワ語を勉強した者がいなかった。マレー語(マレーシア語)がわかる人しかいなかったのだ。

それで、マレー語を基(もと)にインドネシア語を作り、軍事教練(ぐんじきょうれん)での使用言語とした。ジャワ語と較(くら)べ

大東亜戦争終了後、オランダの再植民地化がはじまり、インドネシア独立戦争となる。軍隊あるいは武装勢力が使用する言語は、陸軍中野学校出身者が作ったインドネシア語になる。そして、そのまま、インドネシア共和国の公用語となる。

これは、いいかげんな喩(たと)えをすると、沖縄の琉球語(りゅうきゅうご)が日本の公用語になったようなものである(喩(たと)えに使ってしまって、沖縄の琉球民族のみなさん、ごめんなさい)。

陸軍中野学校のせいで、インドネシア共和国ではマイナー言語であるマレー語を基にしたインドネシア語が公用語になってしまったのである。

これは当時の大日本帝国がやった間抜(まぬ)けなことのひとつなだけど、私が知るかぎり、日本人のインドネシア研究者はこのことを指摘したがらないようだ。日本の汚点(おてん)なんだろうな。

日本が、というか、当時は大日本帝国なんだけど、それが、もともと、大東亜戦争をやる気満々だったら、ジャワ語話者(じゃわごわしゃ=ジャワ語を話す人)を陸軍中野学校は養成していたはずである。それがいなかったということは、不本意ながら戦争に突入せざるをえなかったということの傍証(ぼうしょう)になるのではないだろうか?

2013年3月24日日曜日

うちの大黒鼠の半兵衛と幸村を狙った猫

 当校の南側の窓は2重窓である。窓が2重になっている。

 以前に、ドアを開けていたら、幸村が逃げ出したので、ドアは開けずに、南向きの2重窓をちょっと開けるようにしている。室内から見た場合、外側の窓の向かって左側を少しだけ開け、内側の窓の向かって右側を少し開けている。

 生徒が帰った後で、大黒鼠(だいこくねずみ)の半兵衛と幸村を放し飼いにする。

 すると、ときには、半兵衛と幸村が、2枚の窓の間で、遊んでいたりする。

 あるとき、窓の外で、近所の野良猫(のらねこ)が、じぃーっとうちの半兵衛と幸村を見つめながら、坐(すわ)っていた。

 窓から鼠のにおいが漂ってくるので、野良猫がそれを狙(ねら)って、じっと坐(すわ)っていたわけだ。うちの鼠たちを見つめる姿には「野生」を感じた。

 それでも、2重窓だから、その野良猫にやられることはなかろうと踏(ふ)んでいた。

 けれども、数日後、その野良猫は窓の近くに置いてある自転車に跳び乗ってから、うちの半兵衛と幸村に跳びかかった。

 無論(むろん)、透明なガラスに激突しただけだった。

 半兵衛と幸村は大慌(おおあわ)てで、室内に避難した。

 東京で、このような野生の攻防(こうぼう)が発生するとは思いもしなかった。

2013年3月23日土曜日

「ABCD包囲網」のDだけは、どうして、Dutchという形容詞なんですかと生徒に質問された。

「ABCD包囲網」とは、亜米利加(アメリカ)合衆国United States of Americaと、英国(グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国)United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandと、戦争状態にある支那Chinaと、オランダ王国による、日本に対する経済封鎖である。

 ところが、オランダ王国は、オランダ語ではNederland(ネーデルラント)だし、英語だとNetherlands(ネーザーランズ)である。

 話は逸(そ)れるが、フランス語だとles Pays-Basあるいはle Royaume des Pays-Basである。les Pays-Basはレ=ペイエ=バと読む。-ay-や-ai-は発音の規則どおりだと「エ」と読み、語末の子音字は発音しないのが普通なので、発音の規則どおりだと、paysは「ペ」と読むはずなんだけど、paysは例外で「ペイエ」と読むPays-Basは文字通りには「低い土地:低い国」である。こういうところにフランス人の意地悪さが窺(うかが)われる。

 さて、オランダ王国のところだけが、英語の形容詞のDutchの頭文字(かしらもじ)だというのは、大抵(たいてい)の者が疑問に思う。

 私自身も疑問に思っていた。

 曖昧(あいまい)な記憶なんだけど、ABCD包囲網のDはDutch East Indies(オランダ領東インド=今のインドネシアのこと)の頭文字だという記述を目にしたことがある。

 Dutch East Indiesはオランダ語では、Nederlands-Indiëであり、英語への直訳はDutch Indiesであるが、どういうわけか、Dutch East Indiesと英訳された。オランダ語から日本語にするなら「阿蘭陀領印度(オランダりょうインド)」となる。英訳からだと「阿蘭陀領東印度(オランダりょうひがしインド)である。今のインドネシアである。

 なお、「ABCD包囲網」に相当する用語は、英語・フランス語・ドイツ語にはない。

追記(2014年11月20日):いつの間にか、英語版のWikipediaに、ABCD line(ABCDライン)という項目が存在するようになっていた。ABCD lineそこでは、Dはthe Duitch(オランダ人)とされていた。また、ABCD encirclement(ABCD包囲陣)というものも掲載されていた。

2013年3月21日木曜日

1粒350円のチョコレートを女子生徒に配ったら、おもしろかったぞ。

 以前に、バレンタイン=デーに貰(もら)ったチョコレートをあちこちに横流しした結果、判明した女性の業(ごう)というのを認(したた)めた。

 その中で、こんなことを書いた。

 昨年までは無料で当校のプリントを添付ファイルとして配布していた。すると、頗(すこぶ)る成績が向上した子どもの親(の一部)が、バレンタインデーに高級チョコレートを贈(おく)ってきた。お中元やお歳暮もあった。

 贈られてきたチョコレートは生徒にあげたり、親御さんに横流ししたりした。

「毎年、毎年、1年間で食べたいちばんおいしいチョコレートが掃除機先生からのものだと悲しい」という生徒が何人かいた。

 ところが、学習プリントの添付ファイルでの無料配布をやめたから、今年は高級チョコレートが届かないと思うと言ったところ、女子中学生を中心に「学習用プリントの無料配布を再開しろ」運動が起こった。なんだか、質(たち)の悪い労働組合みたいだ。

 そういうことから、1粒350円のチョコレートを自腹(じばら)で買った。

 目黒区自由が丘にあるモンサンクレールMont St. Clairのボンボン=ショコラbonbon chocolatだ。レザベイユLes Abeillesで販売しているおふらんす産の蜂蜜(はちみつ)の入ったものだ。

「『この1年間で食べたいちばんおいしいチョコレートが掃除機先生からのものだと悲しい』と、昨年、一昨年と、そう言った生徒が何人かいたので、今日は、嫌がらせで、1粒350円のチョコレートをみんなに配るぞ。この1年で、食べたチョコレートでいちばんおいしいチョコレートが、こんなおっさんから貰(もら)ったものだと、悲しくなるだろう」と私は言った。

 色めき立った。

「すごい。1粒で、明治のミルクチョコ、3.5枚分じゃん」

「『うまい棒』35本分だと考えたほうがいいわ」

 どういうわけか、当校の周辺では、「うまい棒」換算(かんさん)でものを考える子どもが少なくない。

「この嫌がらせ、甘んじて受け入れようぞ……あ、おいしーぃ」

 この生徒は、変な時代小説かなにかを読んでいるにちがいない。

 女子高校生のひとりは、携帯電話で写真を撮って、「モンサンクレールの1粒350円のチョコを食べた」とTwitter(ツイッターというマイクロ=ブログ)に書き込んでいた。

 まあ、なんだか、ノリノリなのであった。

 その後、どんなふうにおいしかったのかをことばで説明するように求めたところ、初めての味なので説明できないという意味のことを小学生や中学生が言った。

 富裕層の女子高校生になると、いくぶん詳しく説明できるようになる。富裕層であっても、一般的には、小学生・中学生は贅沢(ぜいたく)をさせてもらえないので、高級チョコレートを語るのは難しいようだ。

 ロッテのガーナチョコレートのように砂糖が60%というものとはちがって、高級チョコレートは、賞味期限が短い。10日くらいのものがある。

 ある生徒が欠席したので、賞味期限の関係で、その生徒の分を、ちょうどお迎えに来たお母様に差し上げたところ、ピエール=マルコリーニPierre Malcoliniというチョコレート職人Chocolatierのチョコレートとの比較で、そのボンボンショコラの味の解説をしてもらった。ピエール=マルコリーニのチョコレートは、私も、たまたま、昨年、貰(もら)い物を食べていたので、少しはわかった気がした。

 また、生徒には言っていないのだけれども、1粒1050円(税込み)のチョコレートをお世話になった人に差し上げたのだけれども、同じような感想を耳にした。

 なんでも、ヨーロッパのチョコレート職人は、たとえば、シャンパンなどによって、どーんとアクセントをつけるが、日本人のチョコレート職人は、素材のよさを限界まで研(と)ぎ澄(す)まして、それらを組み合わせたものを作るそうである。

 チョコレートというヨーロッパ由来(ゆらい)の食べ物をも、日本人の優秀な職人は完璧(かんぺき)に「日本化」させているらしい。工業製品などではよくあることだけど、チョコレートでもそういうことをしているというのを見聞(けんぶん)すると、日本って、本当におもしろい国だし、その国に生まれたことがうれしい。

 まあ、結局のところ、私は食べていないから、細かいところの実感はないのだけど。男性でチョコレートに執着(しゅうちゃく)するのは、たぶん、あんまりいないんじゃないかな。

 うちの生徒たちは、おもしろいぞ。1粒350円のチョコレートを食べた後、こんなふうだった。

「また、嫌がらせをよろしくお願いしまーす」

 オメーら、ハモりながら言ってんじゃねーよ。

2013年3月20日水曜日

細田守のジブリに対する対抗心、あるいは怨念(おんねん)

 細田守はスタジオジブリStadio Ghibli, Inc.には嫌な目に遭(あ)わされている。

 スタジオジブリの研修生採用試験の一次試験で、2枚以上の絵を提出するという課題に対して、150枚以上の絵を提出したところ、「君のような人間を入れると、かえって君の才能を削(そ)ぐと考えて、入れるのをやめた」と書いた手紙を宮崎駿(みやざきはやお)から受け取った。

 スタジオ=ジブリからの依頼で、『ハウルの動く城』Howl's Moving Castleの監督に起用され、ジブリに出向(しゅっこう)するが、諸般(しょはん)の事情によって製作中止となり、集めたスタッフからの人望(じんぼう)を失った。

 こうした経緯(いきさつ)から、細田守は常にジブリを意識しているようである。

 たとえば、宮崎駿版『ハウルの動く城』の最後のほうで、ソフィーSophieがハウルに向かって

「未来で待ってて!」

と叫ぶ。

 一方、細田守の『時をかける少女』The Girl Who Leapt Through Timeの最後のほうで、未来に帰る間宮千昭(まみやちあき)は紺野真琴(こんのまこと)に

「未来で待ってる」

と言う。

 ジブリのアニメでは、プロのアニメ声優はあまり起用せず、人気のある俳優や芸能人を起用する。宮崎駿がプロのアニメ声優による声の演技が好きではないというため、また、鈴木敏夫が観客動員数を増やすために、人気の芸能人を起用した

 細田守も、プロのアニメ声優よりも、俳優・女優を好む傾向がある気がする。しかし、観客動員数を増やすのが主たる目的ではないようだ

 また、ジブリの『崖の上のポニョ』Ponyo on the Cliff by the Seaと細田守の『おおかみこどもの雨と雪』Wolf Children Ame and Yuki / Les Enfants loups, Ame et Yukiとを比較してみよう。

 ポニョは、もともとは人間であるフジモトと「海なる母」であるグランマンマーレGranmamare(←なぜか、英語だと、グランママーレとなっている)との混血児である。

 一方、おおかみこどもの「雪」と「雨」はおおかみおとこと人間との混血児である。

 『崖の上のポニョ」でポニョとつきあうのは、宗介(そうすけ)であり、『おおかみこどもの雨と雪』で「雪」を思いやるのは草平(そうへい)である。

 宮崎駿が『崖の上のポニョ』以前に、海を舞台にしたアニメーション映画を製作しなかったのは、手描(てが)きだと、波を描(か)くの面倒だったからである。

 一方、細田守は、渓流(けいりゅう)や滝や水の泡(あわ)を最新の技術で描出(びょうしゅつ)し、ジブリの描写を凌(しの)ぐものを打ち出した。まあ、後出(あとだ)しジャンケンみたいなもんだけどね。

 ポニョは「人間になりたい」と思っている

 一方、おおかみこどもの「雪」は人間として生きることを決意するが、「雨」はおおかみとして生きることを決意する

 細田守は人間中心主義anthropocentrisim / humanismを否定(ひてい)することによって、『風の谷のナウシカ』Nausicaä of the Valley of the Windなどの浅薄(せんぱく)なエコロジーecologyを超えている。

 以上のように、細田守はジブリを意識しているのである。でも、同時に、喧嘩(けんか)を売っているようにしか見えない。



2013年3月19日火曜日

まもなく、ワールドカップ最終予選のヨルダン戦なので、今更(いまさら)ながら、昨年(2012年)の日本代表との埼玉スタジアム2002での対戦について述べよう。

 まもなく、ワールドカップ最終予選のヨルダンJordan戦である。日程は2013年3月26日火曜日である。試合開始時刻は日本時間の23時(午後11時)だ。その試合が開催されるスタジアムは、アンマンにあるキング=アブドゥッラー=スタジアムKing Abdullah Stadiumだろう。

 2012年6月8日金曜日に、日本代表対ヨルダン代表は、埼玉スタジアム2002で戦った。

 それまでの対戦はつぎのとおりだった。

 2004年7月31日土曜日にジーコZico率いる日本代表は、アジアカップの準決勝で戦い、引き分けたが、PK戦を4対3で勝ち上がった。

 2011年1月9日日曜日にザッケローニ監督の下(もと)で、アジアカップのグループリーグで戦ったが、1対1の引き分けに終わった。選手の若返(わかがえ)りを図(はか)ったばかりだったということもあるだろう。

 以上の対戦から、2012年の埼玉スタジアム2002での試合では、ホームとはいえ、いくぶん苦戦するのかと思った向きもあろうが、実際には6対0の圧勝だった。

有利な点その1

 中東は緑が少ない。植物が少ないので、緑が好きである。サウジ=アラビア代表のユニフォームは緑色である。

 植物が少ないので、サッカー場の芝生(しばふ)にしても、緑が多くなるように、極端(きょくたん)に刈(か)り込んでいないようだ。そもそも、ワールドカップの芝生の長さは35mmが基準である。

 一方、たとえば、横浜Fマリノスの場合、試合のときに、17mmから18mmくらいの長さの芝生にしている。

 さらには、日本代表の岡田武史前監督はホームゲームでは20mmまで刈り込むことを競技場に要請したことがある。

 短く刈り込んだ芝生のほうがボールが転がりやすく、日本代表のように、パスを中心にしたサッカーを行なうチームに適している。

有利な点その2

 試合前に、水をじゃぶじゃぶ撒(ま)いていた。これも、ボールがよく転がるので、パス=サッカーに適している。

 ところが、6月のヨルダンの月間降水量は0.0mmなのである。雨がまったく降らない。

 6月に雨の降らない国からやって来て、びしょ濡(ぬ)れの芝生でサッカーをやらされたのである。滑(すべ)った選手がいたり、ちょっと足許(あしもと)があやしい選手がいたりしたような記憶があるのだが。

有利な点その3

 ヨルダン代表の練習に千葉県にあるサッカーグランドを提供したが、どこなのか、一切(いっさい)、報道されていない。報道機関に緘口令(かんこうれい)を敷(し)いたとしか思えない。ということは、なにか裏がある筈(はず)だ。尤(もっと)も、『サッカーマガジン』などの専門誌では報道されていたかもしれないが。

 そこで、思い出したのが、1993年のJリーグ開幕年にジーコがやった手だ。その逆を日本代表のスタッフたちはやったのではないだろうか?

 ジーコが所属していた鹿島アントラーズのカシマサッカースタジアムにある練習用グランドの芝生を短く刈り込み、やってきた対戦チームの試合前の練習に提供した。メインスタジアムは、「芝が傷(いた)むから」という理由で、試合開始まで使わせなかった。

 ところが、カシマサッカースタジアムのメインスタジアムは、長い芝生にしてある。表向きの理由は、ジーコが高齢であるため、膝(ひざ)にかかる負担を軽減するためというものであった。対戦相手が短い芝生の感覚でパスを出すと、ボールが途中で止まってしまう。

 こうして、鹿島アントラーズはJリーグ元年の開幕戦では名古屋グランパスエイトを相手に5対0で快勝し、そのままの勢いで前期優勝した。当時の選手層の厚さからすると、どう考えても川崎ヴェルディ(現・東京ベルディ)が優勝するとたいていの者は思っていたにも拘(かか)わらずである。

 2012年6月8日の対ヨルダン戦に向けて、同じようなことをしていたとすれば、つぎのことが考えられる。

 まず、前日の練習場として提供した千葉県にあるサッカーグランドの芝は、35mmにしておく。

 ついで、試合直前の練習用に使用させたグランドも35mmの芝にしておく。埼玉スタジアム2002には天然芝の第2グランドと第3グランド、ならびにロングパイル人工芝の第4グランドがある。

 こうしておけば、ヨルダン代表の選手にしろ、監督にしろ、35mmの芝生で試合をすると思い込む。中東の芝生は、もともと、長めであるということもあって、短い芝生用のサッカーシューズを用意していなかった可能性もある。

 もしも、長い芝生用のスパイクしか用意しておらず、長い芝生のグランドでしか練習をさせてもらえず、不意に短く刈り込んだピッチで試合をやらされる破目(はめ)に陥(おちい)り、しかも、降水量0.0mmの時期の国からやってきて、ピッチはビショ濡れときたら、水で滑(すべ)ったバウンドも読みにくいだろう。実力は発揮(はっき)できないだろう。

 事実、ヨルダンの選手の走り方や、足許(あしもと)の動きが、ちょっとおかしいと感じた。

 ということで、ルール違反にならない範囲で小技(こわざ)を使いまくる日本代表であった。

 ま、このくらいのことはサッカー先進国なら、どこでもやっているんだけどね。

 私の知るかぎり、以上のことがらを敗因(はいいん)に挙(あ)げていなかったので、ヨルダン代表監督アドナン=ハマドAdnan Hamadはじつに男らしい。顔は怖(こわ)いけど。

 しかし、今度のヨルダン戦は、荒れたピッチで、かつ、長い芝生で行われるので、日本代表は苦戦するだろう。できれば、この予想が外れて、快勝しますように。

 この試合に勝てば、ワールドカップの出場が確定する。ということは、その後の試合では、いろんなことが試せるし、早々にワールドカップに向けての準備を始めることができる。そうなって欲しい。

 下の画像はヨルダン代表のアドナン=ハマド監督。耳が大きいのは、知将(ちしょう)の証(あかし)だ。でも、笑った顔も怖(こわ)いよ。私はハマドの面構(つらがま)えが大好きなんだけど。

追記:試合の開始時刻を日本側の要望に合わせ、日本側の希望どおりに、試合前にピッチにスプリンクラーで水を撒(ま)いたが、ヨルダン側の要望を日本側は一切、受け入れなかった。にも拘(かか)わらず、ヨルダンは日本を1対2で退けた。前半の選手交代などを見ると、ハマド監督はやっぱり知将だ。顔は怖いけど。
















2013年3月18日月曜日

『おおかみこどもの雨と雪』の冒頭における大学での講義の内容から見える細田守の決意

「花」がおおかみおとこと出逢うのは、大学の授業である。初夏のある日、「花」はおおかみおとこを知る。

 おおかみおとこは、モグリの学生として、講義(こうぎ)に出席して、熱心にノートをとっていた。

 そのときの講師のことばはつぎのものであった。

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 ソクラテスはこのように言っています。テキストから引用しましょう。「世間で賢者(けんじゃ)の誉(ほま)れの高い人物は、確かに自分の得意な分野や雑学などもよく心得(こころえ)ている。しかし、真・善・美(しん・ぜん・び)やアレテーについては、なにも知らない」
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 アレテーΑΡΕΤΗとは一般に「徳(とく)」と訳されるものである。

 さて、この台詞(せりふ)に大した意味がないとすれば、DVDの日本語字幕で、この講師のことばを表記しないだろう。しかし、きちんと日本語字幕で表記している。

 とすれば、なんらかの意図で以(もっ)て、挿入(そうにゅう)したはずである。

 因(ちな)みに、講師のことばの部分は、デルフォイ(古代希臘(ギリシア)語ではデルポイ、現代希臘(ギリシア)語ではデルフィ)の神託で「ソクラテスに勝(まさ)る賢者(けんじゃ)なし」というお告(つ)げが出されたので、それを確かめるためにソクラテスが賢者(けんじゃ)といわれる人々と対話をして得た結論を述べた件(くだり)である。所謂(いわゆる)「無知の知」である。つまり、彼らは大切なことを知らないということを知らないが、自分は大切なことを知らないということを知っているというものだ。

 細田守は、自分は大切なことを知らないということを知っているが、その大切なことをこれから描くつもりだと宣言しているように感じた。

 尚(なお)、「花」がおおかみおとこと出逢った講義のそのつぎの講義での講師のことばはつぎのもの。

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 この裁判の告訴人(こくそにん)となったのは、詩人のメレトス、政治権力を持っていたアニュトス、ソフィストのリュコンの3人です。代表はメレトスですが、アニュトスが裏で画策(かくさく)していたのだとされています。
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 ソフィストsophistは「智慧(ちえ)のある者」という意味だが、悪い意味である。希臘語(ギリシアご)の原語に近い読みは「ソピステース」ΣΟΦΙΣΤΗΣである。

 この部分は、『ソクラテスの弁明』にある件(くだり)で、ソクラテスが裁判にかけられて、死刑判決を受ける。『クリトン』によると、脱走(だっそう)するように説得されるが、ソクラテスは「悪法もまた法なり」と毒人参の杯(さかづき)を呷(あお)って死ぬ。このとき、ソクラテスは70歳くらいで、当時の平均寿命からすると、今の日本では100歳を超える年齢に相当するので、脱走までして生き延(の)びようとするのは、かなり見苦しいことであったであろう。

 それはともかく、ここの部分は、正しい行為であっても、不利益を被(こうむ)ることがあるということや、あるいは、善きことを目指したけれども理解されないということがある可能性を示唆(しさ)しているようである。



2013年3月17日日曜日

インドネシア独立戦争のときのオランダ軍の蛮行(ばんこう)は酷(ひど)いと思うのに、東京大空襲や広島・長崎への原子爆弾投下はそれほど感じないらしい。

 大東亜戦争終戦後、オランダはインドネシアの再植民地化に乗り出した。インドネシア共和国軍は、帝国陸軍が残した武器・弾薬を使って、戦った。

 武装勢力の兵器は、3万丁以上の三八式歩兵銃(さんぱちしきほへいじゅう)と数百の野砲くらいだった。三八式歩兵銃は1度に5発しか弾(たま)が装填(そうてん)できない上に、旧式のボルトアクション式だった。

 一方、オランダ軍は12万の兵力である上に、装備や練度でインドネシアを遙かに上回っていた。

 ところが、いつまで経(た)っても、インドネシアは降伏しない。

 そりゃ、ここで降伏すれば、オランダ人に蹂躙(じゅうりん)された以前の被殖民生活(ひしょくみんせいかつ)に戻るんだからな。

 それに、自分たちと身長も変わらない帝国陸軍に僅(わず)か9日で全面降伏した連中に、自分たちは負けるわけにはいかないという気持ちもあっただろう。

 すると、オランダ軍は、インドネシアの女子どもを殺し始めた。降伏しなけりゃ、このまま女子どもを殺し続けるぞと脅(おど)した。

 以上の話をすると、ほとんどの生徒は、オランダ人は酷(ひど)いと感じるようだ。

 ところが、東京大空襲や広島・長崎の原子爆弾投下は、それほど酷(ひど)いとは感じていない。これだけで40万人くらいの非戦闘員(ひせんとういん)が殺されているのにも拘(かか)わらず、である。

 また、大東亜戦争では、約80万人の非戦闘員が犠牲(ぎせい)になっている。

 不思議なことだ。

 あ、もしかすると「非戦闘員」というから、大したことだと感じないのかもしれない。犠牲者80万のうち、若い男性は戦地に赴いていたから、半分以上の50万人が女性ならびに少女で、少年や男子児童については、学童疎開で幼い子どもは都会にいなかったから、少年などが10万人くらいだと考えて(このあたりの数字は適当です)、「非戦闘員」の代わりに「女子ども」に変え、「犠牲者」は使わず、「殺された」とすれば、事態(じたい)を深刻(しんこく)に受け止めるかもしれない。

「米軍によって約60万人の女子どもが殺された」

 これなら、非道(ひどう)な行為(こうい)だと感じるな。

 でも、除外(じょがい)された爺(じい)さんなどの男どもが哀(あわ)れになってきた。

2013年3月16日土曜日

ステルス=マーティングの営業電話があった。

ステルス=マーケティングstealth marketingとは、消費者に宣伝とは気づかれずに宣伝することである。

ステルスは、名詞だと「密やかなやり方・こっそりした行為」などの意味である。ステルス戦闘機といえば、レーダーに映りにくい戦闘機のことであり、戦闘機によっては、小さな昆虫くらいにしか映らない。

marketing(マーケティング)はひとことでは訳しづらいことばである。辞書から引用すると「製品やサービスの市場調査・開拓を行ない、販売に到(いた)るまでの一連のプロセスを指す。宣伝広告などによる市場の開拓・価格決定・パッケージデザインの選定なども含まれる」とのことである。

英語ではほかに、undercover marketing(秘密のマーケティング)、marketing buzz(マーケティングするためのざわめき)、roach baiting(ゴキブリを誘惑すること)などともいう。

昨日、ステルス=マーケティングの営業電話があった。

その会社と契約しているブロガー(blogger=ブログを書く人)が14,500人以上いて、その会社に申し込めば、ブログでさりげなく「御社の宣伝をブログでする」という。

「そんな犯罪まがいの卑怯(ひきょう)なことができるか!」と私は答えた。

すると、「犯罪!?」と甚(いた)く気にして、「『あの会社はいいらしい』と『らしい』をつけるので、卑怯でもなければ、嘘(うそ)になりません」という。

まるで子どもの言い訳(わけ)だな。精神性(メンタリティ)が私とは根本(こんぽん)からちがうようだ。

それはともかく、「らしい」「そうだ」などと逃げ道を拵(こしら)えた表現の場合、その会社が仕掛(しか)けたステルス=マーケティングである可能性が高いということだけはわかった。それに、「らしい」「そうだ」があれば、広告効果はさほど期待できないだろう。

こんな仕事をしていて、恥(は)ずかしくないのだろうか?

日本の新聞社やテレビ局は、広告費に大金をかける企業の不祥事(ふしょうじ)は取り挙(あ)げず、広告費をかけない企業の不祥事は、大々的(だいだいてき)に叩(たた)いたり、あるいは、この記事を書いて欲しくなければ、これこれの金額分の広告をうちの新聞に出せと恐喝(きょうかつ)したりするそうだから、それよりはマシかもしれないけれど。

2013年3月13日水曜日

若手のアニメはなんでも貶(けな)す富野由悠季が、なぜ、『おおかみこどもの雨と雪』を絶讚したのだろうか?

 富野由悠季(とみのよしゆき)は、若手監督の製作したアニメーションを褒(ほ)めたことがないように記憶している。


 ところが、『おおかみこどもの雨と雪』だけは絶讚(ぜっさん)した。
富野由悠季は「『おおかみこどもの雨と雪』の衝撃」というコメントを公表した。そのコメントは以下のとおり。「刮目(かつもく)」以外のふりがなはこちらでつけた。


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 「おおかみこどもの雨と雪」の衝撃 富野由悠季
 新しい時代を作ったと言っていい。革新(かくしん)を目指していると言ってもいいだろう。が、作者であり監督は、そこまで意識していたかどうか。手法(しゅほう)を追求していったらこうなったのかも知れない。
 どうであれ、本作の前では、もはや過去の映画などは、ただ時代にあわせた手法をなぞっているだけのものに見えてしまうだろう。
 本作は、変身物でもなければ、恋愛物でもないし、エコやら環境問題をあげつらったメッセージ物でもない。まして癒(い)やし系でもない。
 それら過去のジャンル分けなどを飛び越えた物語になっている。描写が冷静だからだろう。文芸大作と言っても良い。それほどリアルに命の連鎖(れんさ)を描き、子供の成長の問題を取りあげている。そこに至った意味は刮目(かつもく)すべきなのだ。
 むろん、技術的に気になる部分があるのだが、細部(さいぶ)の問題などには目をつぶれる。しかし、アニメならではの手法で可能になっている構造でもあるので、アニメ映画というレッテルを貼られてしまうのが、無念(むねん)ではある。
 このような作品に出会えたことは、同じ作り手として幸せである。
 アニメの可能性を開拓(かいたく)してくれたのだから、本作に関係した監督以下のスタッフに敬意(けいい)を表(ひょう)する。
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梗概(こうがい=粗筋(あらすじ))はこちら。

『おおかみこどもの雨と雪』に関して特筆すべきは、新たに導入された技術である。これに関しては、メイキングセミナーが催(もよお)されたくらいである。風に靡(なび)く草花(くさばな)や樹木(じゅもく)の枝(えだ)の動きの描写(びょうしゃ)は息を呑(の)むほどである。また、渓流(けいりゅう)の流れや水中の泡(あわ)の描写にも感服(かんぷく)する。

 ところが、富野由悠季は「技術的に気になる部分がある」と言っているので、技術面に感銘(かんめい)を受けたわけではないようだ。

 富野由悠季は「文芸大作と言っても良い。それほどリアルに命の連鎖を描き、子供の成長の問題を取りあげている」と述べている。」と言っている。ということは、物語そのものに感動したらしいと判断できる。また、「子供の成長」と言及しているから、富野由悠季本人は自分の子育てに失敗したと思っていたところ、おおかみとして生きる弟のことも、人間として生きる姉のことも、どちらをも肯定(こうてい)している「花」を目にして、自分の子育ては失敗だったと思わなくてよいと勇気づけられた可能性が高い

 富野由悠季が絶讚(ぜっさん)しているということを耳にして、どんな物語なのかと興味を抱いて、まずは文庫本を買って、読んでみた。

 私個人の感想としては、隠喩(いんゆ=メタファーmetaphor)としての「おおかみおとこ」は、「獣臭い」という藤井草平の台詞(せりふ)から、日本のマイノリティにひとつである被差別なんとかの「あれ」だなと思い、弟の「雨」がおおかみとして生きると決意し、一方で姉の「雪」が人間として生きると決めたのは、折衷案(せっちゅうあん)はなく、いずれかを選択するほかないという意味だと思った。つまり、被差別なんとか民(みん)として生きるか、それともそのことを隠(かく)し続けて生きるか、どちらしかないということだと考えた。

 つまり、今の日本では禁忌(きんき=タブーtaboo)とされることを隠喩(いんゆ)という形で描いたことを高く評価したのかもしれない

 ということで、富野由悠季が『おおかみこどもの雨と雪』を絶讚した理由にはつぎの2つが考えられる。

1) 子育てに失敗したと思っていたが、子どもがおおかみとして生きる道を選んでも、人間として生きる道を選んでも、どちらも肯定(こうてい)しているのを目にして、心が救われた。

2) 日本の禁忌(きんき)に、隠喩(いんゆ)とはいえ、踏み込んだことに感心した。


 富野由悠季が感動した理由は、この2つのうちのどちらかだろう。

 なお、富野由悠季に子どもがいるかどうかさえ、現時点では知らない。この記事を公開してから、調べよう。

追記:調べてみたら、現時点で、姉は劇団の演出助手をしており、妹は国士舘大学中途退学後、コンテンポラリー=ダンスのダンサーをしている。

追記その2:コメントが寄せられた。私はアニメ=ヲタクではないので、知らなかったが、富野由悠季は、原恵一という人の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』は『千と千尋の神隠し』よりもアカデミー賞に相応(ふさわ)しいと絶讚しているそうである。また、「ちゃんと頑張っている」程度の発言もあるそうだ。また、姉は劇団を退団して、現在、海外で暮らしているという。すると、おおかみとして山で生きることを決意した「雨」がおおかみの姿のままで母の説得を振り切り、山の頂で遠吠えをしたときに、母の「花」は「元気で……しっかり生きて」と叫ぶところが、富野由悠季の琴線(きんせん)に触れたのかもしれないなあ。



2013年3月12日火曜日

『おおかみこどもの雨と雪』の梗概(こうがい=粗筋あらすじ)

両親を既(すで)に亡(な)くし、天涯孤独(てんがいこどく)の身である「花(はな)」は、奨学金を授業料にあて、アルバイトをしながら、一橋大学をモデルにした東京郊外にある国立大学の社会学部に通う。

およそ100年前に絶滅したとされる日本狼(ニホンオオカミ)の末裔(まつえい)というおおかみおとこに出逢い、交際を始める。

子どもを身籠(みごも)り、大学を休学し、おおかみおとこの「彼」と一緒に子どもを育てることにする。

子どもは年子(としご)でふたりいた。姉は雪の日に生まれたので「雪(ゆき)」と、弟は雨の日に生まれたので「雨(あめ)」と名づけられた。

ところが、おおかみおとこの「彼」は川で溺(おぼ)れて亡くなり、おおかみの姿をしていたので、清掃局の人々によって、袋詰(ふくろづ)めにされ、ゴミ収集車に回収される。

子どもたちはことあるごとに、おおかみに変身してしまい、おおかみこどもの正体がばれることを怖(おそ)れて、富山県の山奥にある廃屋(はいおく)に近い築100年の古民家(こみんか)に、修繕(しゅうぜん)しながら住み始める。

半自給自足(はんじきゅうじそく)の生活を目指し、農業に手をつけ、最初はうまくいかなかったけれども、近所の人々に助けられる。他者(たしゃ)との交わりを拒絶(きょぜつ)するために、人里離(ひとざとはな)れた古民家(こみんか)に住むことに決めたのだが、いつしか、近所づきあいが深まる。

姉の「雪」とちがって、内向的(ないこうてき)な弟「雨」は学校生活に馴染(なじ)めず、山へと頻繁(ひんぱん)に出かけ、「先生」と呼ぶ老狐(ろうこ)に教えを受け、山で暮らすための技術を身につける。

ある日、姉の「雪」のクラスに転校してきた藤井草平(ふじいそうへい)に「ねえ、お前んち、犬、飼ってない?」と訊(き)かれ、「え、なんで?」と理由を訊(き)くと「なんか、獣臭(けものくさ)いから」と言われ、「雪」は草平を避けるようになる。

怪訝(けげん)に思った草平に問い詰(つ)められた際に、激昂(げっこう)した「雪」はおおかみに変身して、草平の右耳を傷つけてしまう。

草平は「おおかみがやったんだ。やったのはおおかみだ」と言い張るが、だれも信じない。この時、「雪」は「人間として生きる」ことを強く決意したようである。

ある集中豪雨(ごうう)の晩(ばん)、親が迎(むか)えに来ない草平と「雪」は学校に取り残される。「雪」は草平に自分がおおかみこどもであることを告白する。「わかってた、ずっと。『雪』の秘密、だれにも言ってない。だれにも言わない。だから……もう泣くな」と草平は答える。「今までだれにも言ったことがないんだ」と「花」に語ったおおかみおとこである「彼」のことばに呼応(こおう)する。

一方、弟の「雨」は、死期(しき)の迫(せま)った老狐(ろうこ)の「先生」の代わりとして、山で生きることを決意する。

豪雨の中、「雨」を心配した母の「花」は山へと「雨」を捜(さが)しに出かけるが、崖(がけ)で足を滑(すべ)らせる。以前、山翡翠(ヤマセミ)を捕(と)らえようとして渓流(けいりゅう)で溺(おぼ)れかけて姉の「雪」に助けられた「雨」が、母の「花」を助けるほどに成長していた。

「花」の意識が戻(もど)り、家に帰るように呼びかけるが、「雨」はおおかみの姿のままで山を駆(か)け登(のぼ)り、頂(いただき)で遠吠(とおぼ)えをする。

「花」は「元気で……しっかり生きて」と叫(さけ)ぶ。

その翌朝、母の「花」は、集中豪雨によって綺麗(きれい)に洗い流された世界を「一夜にして生まれ変わった」と感じる。

翌年、中学に進学する際、「雪」は寮に入り、「花」はひとり、古民家で暮らすこととなる。



国会でのブータン国王の演説で、unity in thought and actionを「知行合一(ちこうごういつ)」と訳した翻訳官の意図を勘繰(かんぐ)ってみた。

 2011年11月17日にシグミ=ケサル=ナムゲル=ワンチュク陛下が国会で演説を行なった際に、同時通訳では、unity in thought and actionを「知行合一(ちこうごういつ)」と陽明学(ようめいがく)の用語で訳していた。

 まず、該当(がいとう)する段落の英文と、翻訳官による訳文を併記する。

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 The world always identified Japan as a people of great honour, pride and discipline – a people with a proud tradition in history – who approach everything with tenacity, determination and a desire to excel – a people of unity in thought and action; of brotherhood and fraternity and unfailing strength and fortitude.
 世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さ併せ持つ国民であると認識してまいりました。 
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 ブータン王国で陽明学は普及(ふきゅう)しているとは思えない。主たる宗教はチベット仏教(ドック派・ニンマ派)である。敢(あ)えていうなら、日本の仏教で最も近いのは真言宗である。

 だから、「知行合一」を訳語として用いる必然性はないといえる。そもそも、unity in thought and actionなら、「考えと行ないの一致」くらいでもよさそうである。がちがちの直訳なら「思想と行動との点での統一性」である。「考えていることをきちんと実践する国民」という訳もありだ。「思想と行為の一致」と訳しても、時間の制約からして、それほど困りはしない。この演説では、同時通訳といっても、事前に原稿を受け取っているだろうから、訳文の前後の文言(もんごん)をいじって、調節できるはずである。


 陽明学とは、王陽明による儒教の解釈のひとつである。「知行合一」とは、知識と行為は一体とならねばならぬという考えであり、知ることは行なうことの始まりであり、行なうことは知ることの完成であるという考えである。この考えを突き詰めると、許せないことをした者は暗殺しなければならないとなる。危険な革命思想になるわけだ。

 日本における陽明学の代表的な人物として、「大塩平八郎の乱」を起こした大塩平八郎が挙(あ)げられる。

 また、松下村塾(しょうかそんじゅく)の吉田松陰(よしだしょういん)もいる。彼は明治維新の指導者を育てた。

 2011年の時点で、どういうことがあったのかを考えると、アメリカ合衆国はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定(かんたいへいようせんりゃくてきけいざいれんけいきょうてい)Trans-Pacific Strategic Economic Partnership; Trans-Pacific Partnership)に日本が参加するのを想定していなかったのに、菅直人(かんなおと)が自らの発案で参加すると言い出した。

「第2の開国」と言い出したわけだ。「日米和親条約」や「日米修好通商条約」に次(つ)ぐものと考えたようだ。

 ところが、日本は、江戸時代の鎖国(さこく)のみならず、歴史上、70年から80年くらいの鎖国を繰り返している。平安時代の国風文化にしても、遣唐使を廃止し、鎖国しているから成立した文化である。

 TPPで「第2の開国」と言っているようでは日本の歴史がわかっていない。これまでにも何度も鎖国と開国を繰り返していたからだ。まあ、菅直人は東京工業大学で落第したような、理系でも文系でもないような人物だからな。謂(い)わば、無系人間だ。それに、日本人ではない血筋(ちすじ)も入っているそうだしね。

 さて、以上の経緯(いきさつ)から「知行合一」を考えてみよう。

 朝廷の勅許(ちょっきょ)もなしに、日米修好通商条約を結んだ彦根藩主(ひこねはんしゅ)にして大老(たいろう)である井伊直弼(いいなおすけ)を水戸藩(みとはん)・薩摩藩(さつまはん)の脱藩浪士(だっぱんろうし)たちが襲った。

 桜田門外の変である。

 水戸藩には水戸学があった。陽明学を取り入れた実学的な学問であった。

 井伊直弼のことが、とてもじゃないが許せるものではないとなれば、暗殺せざるをえない。水戸藩に迷惑がかからないように、脱藩(だっぱん)してから、桜田門外の変を起こした。

 こうしたことから、unity in thought and actionを「知行合一」と翻訳官が訳出したのを耳にして、その翻訳官はTPP反対論者(はんたいろんじゃ)で、菅直人に対して、「てめぇ、世が世なら、『桜田門外の変』のように暗殺されても仕方がないぞ」と遠回しに恫喝(どうかつ)しているように感じた。そんな皮肉を他国の国王による演説の訳に入れて、それが当時の与党・民主党に知られたら、その翻訳官は当時の政権によって、更迭(こうてつ)されたり、なんらかの処分を受ける可能性があると思い、ちょっと心配になったくらいである。

 しかし、杞憂(きゆう)であった。

 民主党の議員はみんな、教養がないので、だれもその皮肉に気づかなかった。

2013年3月11日月曜日

ブータン国王が日本の国会で行なった演説での文体の特徴

 東日本大震災後に、ブータン国王夫婦が来日し、2011年11月17日にシグミ=ケサル=ナムゲル=ワンチュク陛下が国会で演説を行なった。

 ちょっと、ブータン国王の演説における文体の特徴を指摘してみたい。同時通訳による訳ではなく、拙訳(せつやく)をつける。

 全般的にやさしい語を先に、小難(こむずか)しい語を後ろに置く傾向がある。

 a people of great honour, pride and discipline
 大いなる名誉と誇りと規律を備えた国民

 honour(名誉)は、honorの英国式綴(つづ)りである。

 また、a peopleやpeoplesとなっているときは、「国民」などの意味であって、「人々」の意味ではない。

 honourとpride(誇り)は知っていても、discipline(規律)という語を知らない高校生は少なくはない。

 a people  ... of brotherhood and fraternity and unfailing strength and fortitude
 兄弟愛と兄弟関係、ならびに衰えることのない強さと不屈さを備えた国民

 brotherhoodは中学3年生の英語の教科書に登場する。マーティン=ルーサー=キング、ジュニアMartin Luther King, Jr.を題材にしたものに出てくる。

 一方、fraternityは難関大学の大学生でも知らない人が少なくないだろう。

 unfailingは知らなくても、to fail(失敗する)から推測できるし、strengthは形容詞strongの名詞形だと知っている人は多いだろう。

 一方、fortitude(不屈さ)はfortis(強さ)というラテン語に由来する語で、小難しい。

 ちょっとだけ例を上げたが、以上のように、英語が得意でなくても、大体(だいたい)、どういうことを言っているのかがわかるように工夫されている。

 ところが、国会議員の殆(ほとん)どは、同時通訳を聴いていた。

 シグミ=ケサル=ナムゲル=ワンチュク陛下の工夫は、なんの役にも立っていなかった。

 尚(なお)、難関高校や中堅以上の大学の入学試験の問題では、まず、小難しい語や馴染(なじ)みのない語を用い、その3行後や5行後に、わかりやすい語で言い換(か)える。また、名詞や形容詞を列挙(れっきょ)する際、最初に難解(なんかい)な語を置き、後ろにわかりやすい語を置くことで、難解な語がわからなくても文脈(ぶんみゃく)が追えるように工夫している。

 シグミ=ケサル=ナムゲル=ワンチュク陛下の演説とは逆のことをしているのである。

2013年3月10日日曜日

虐殺しない文化としての「村八分」

「村八分」とは、葬式(そうしき)の手伝いと火災時の消火活動という2点以外には、まったく関わらないということである。

 子どものときに「村八分」について小学校の授業で解説を耳にしたときに、なんとひどいことをするんだろうと思ったものだが、世界の実情を知るにつれて、「村八分」は、思(おも)いの外(ほか)、やさしい制裁(せいさい)だと感じるようになった。

 やさしい制裁だとしても、勿論(もちろん)、するべきではない。

 世界全体を見渡すと、同じような状況では、虐殺(ぎゃくさつ)する例が異様(いよう)なまでに多い。ここでの「異様なまでに」というのは、たぶん、日本人だけの感覚であろう。

 世界では、簡単に虐殺する。虐殺が普通らしい。その国から逃げ出すために、難民が発生する。

 日本から難民が発生したことはないようだ。日本の場合、ボート=ピープルとなり、難民となっても、近隣諸国(きんりんしょこく)には、日本よりも差別が酷(ひど)い国しかないから、難民になる利点(りてん)がまったくないということもあろう。

 また、日本には非差別部落の問題があるけれども、強烈な虐殺国家では、こうした問題は生じない。全員が虐殺されているから、存在できないのである。

 ところで、この「村八分」という伝統は、現代の日本にも受け継がれているようである。うちの生徒から耳にした話では、「メール八分」とでもいうようなことがあるという。同じ学級のボス的存在の人物が、自分の気に喰(く)わない人物からのメールには一切、返信するなと命じ、全員がそれに従うという。

 殴(なぐ)ったり、蹴飛(けと)ばしたりはしないけれど、日本的陰湿(いんしつ)な苛(いじ)めだ。

 そんなことはしないで、もっとみんなが楽しくなるようにできないものかな。

2013年3月9日土曜日

食は三代:アメリカン=コーヒーからスターバックスへ

 食は三代といわれる。もともとは「財(ざい)は一代、衣(ころも)は二代、食(しょく)は三代」である。

 「財は一代、衣は二代、食は三代」とは、

 財、即ち、財産を築くのは一代で充分であり、
 衣、即ち、ファッションのセンスを養い、着こなしが上手(じょうず)になるには、二代かかり、
 食、即ち、美食がわかり、テーブル=マナーを習得するには、三代かかる、

 という意味である。

 アメリカ合衆国では、所謂(いわゆる)、アメリカン=コーヒーと呼ばれる薄(うす)い味のコーヒーが主流であった。少ない元手(もとで)で、できるかぎり儲(もう)けようとしたのではないかと思っている。尚且(なおか)つ、ヨーロッパの食い詰め者(くいつめもの)は、コーヒーさえ飲めないような生活をしていたものが多かったから、薄いコーヒーでも不満を抱くことがなかったようである。


 アメリカ合衆国が工業国として発展したのは、1890年である。この年、工業生産額が農業生産額を上回ったのである。

 スター=バックスが創業したのは、1971年だが、ヒットしたのは、1987年のエスプレッソである。

 工業生産額が農業生産額を上回って以来、アメリカン=コーヒーから濃い味のコーヒーに変化するのに、概(おおむ)ね100年かかっている。1世代が30年だとすると、大凡(おおよそ)3世代分の期間である。

 以上のように、コーヒーでさえ、三代かかっている。それでも、依然(いぜん)として、スターバックス程度のものというところが笑ってしまう。

2013年3月7日木曜日

新聞にチラシを12年ぶりに入れてみたが、どうも、販売部数が嘘臭い。

 12年ぶりに新聞にチラシを入れてみた。学習塾・予備校としては、これは異例なことである。ある同業他社(どうぎょうたしゃ)からは、3年間、チラシを入れていないで潰(つぶ)れていないことで、驚かれた。12年間ともなると、考えられないこととなる。

 12年前には業者に丸投げして、印刷から、新聞販売店へのチラシの輸送までを依頼した。

 ウェブで、格安の印刷業者を見つけたので、これなら安く済むと思って、印刷を頼んだ。

 A4版片面モノクロ3万枚で、25,260円だった。

 12年前には丸投げしたから、新聞への折り込みチラシについては、まったく知識がなかった。

 チラシは、ひとつの販売店、仮(か)りに、大手新聞社のA社の販売店とすると、その販売店に◯◯店や△△店で撒(ま)いてもらうチラシも持って行くと、各戸(かっこ)に配達するべき新聞を運んでくる業者が、ついでに、チラシを◯◯店や△△店に運んでくれるのだが、そのことを知らなかった。

 それで、1店ごとに電話で問い合わせ、販売部数を訊(たず)ね、自転車で運んだ。

 ある店舗では、「千百……あ、いや、千二百です」と言われ、1,200枚のチラシを持って行ったら、チラシ1,000枚分だけの料金を求められた。電話で問い合わせたときの1,200枚はどういうことなんだ!? 

 近所の新聞販売店の従業員に訊(たず)ねてみた。

 販売部数は3,200部って言ってましたけど、本当は3,050部くらいじゃないんですか、と。

 そのときの答えは「うちの(新聞への折り込み広告を入れる)機械は古いから」というものだった。

 機械が古いから、チラシが曲がったりして、チラシを必ずしもすべてを適切に入れることができないということらしい。しかし、入れられるチラシの数だけ料金を請求すべきであって、多めに請求するのはおかしいと思うのだが、新聞のチラシというのはそういうものらしい。

2013年3月6日水曜日

高級品を身に纏(まと)ってバイトしたら、オーナーの服装なども高級品に変わっていった話

 近所の大学生の話である。

 彼の家は富裕層(ふゆうそう)に属(ぞく)する。だから、お金に困っているわけではないが、なんとなく経験してみたいと思って、西武池袋線の、とある駅前にあるコンビニエンス=ストアで、週2回、午前中に3時間ほど、アルバイトを始めた。

 オーナーの服装や靴を見ると、ユニクロUNIQLOを着ていたり、なんとなく安物を身に着(つ)けていたりしていた上に、運動靴はダンロップの4,000円程度のものだった。

 因(ちな)みに、ダンロップやブリジストンの3,000円から4,000円のカジュアル=シューズやスポーツ=シューズは、費用性能比(ひようせいのうひcost performance)にすぐれるので、運送業の人たちに愛好者が多い。

 客の数が多く、通常のコンビニエンス=ストアではレジが2つしかないところ、その店には3つもあり、しかも客の行列ができる店なのに、オーナの恰好(かっこう)から、あんまり儲(もう)かっていないのかもしれないと考えた。

「仕事がしやすく、疲れにくいように、ジーンズに運動靴で来てください」と彼はオーナーに言われた。

 周囲にあわせた身(み)なりで行ったほうがよいだろうとは思ったものの、高級品しか持っていないので、仕方なく、5万円のジーンズを穿(は)き、定価3万円ちょいのニュー=バランスNew Balanceのシューズを履(は)いて行った。シャツもベルトも腕時計も、すべて高級品だった。

 若い男性のアルバイトには、グランジ=ファッションgrunge fashion(ぼろ屑(くず)ファッション)が多いなと思ったが、ファッションではなく、単にお金がないだけだと気づいたのは、隨分(ずいぶん)と時間が経(た)ってからだった。彼には「お金がない」というのがわからなかったのだ。

 アルバイトを始めてから、オーナーの服装が変化した。高級品を身につけるようになった。

 なんでも、こういうことらしい。

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 オーナーは、小汚(こぎたな)い恰好(かっこう)をしているアルバイト店員に気を遣(つか)って、安物を身に着(つ)けていた。

 ところが、大学生が高級品を身に纏(まと)っていても、だれも気がつかなかった。アルバイト店員たちは貧乏なので、安物と高級品の区別がつかなかったのだ。

 それに気づいたオーナーは気兼(きが)ねなく、好きな靴・好きな服を身に着(つ)けるようになり、その学生アルバイトに感謝の意(い)を示したそうである。
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 オーナーが穿(は)いているチノ=パンツはノー=ブランドだが、明らかに生地(きじ)が高級品で、釦(ぼたん)ホールも手縫(てぬ)いだというのが見て取れるものだった。

 それで、彼は「いい生地(きじ)ですね。仕立て屋さんに作らせたようですけど、合計で、いくらかかりました?」と訊(たず)ねた。

「ん? ……言わないよ」

 そんなふうなのに、オーナーに年収を訊いたら、500万円くらいだという。そのことに彼は疑問を抱(いだ)いていた。

 私の答えはつぎのようなものであった。

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 伝統的に日本的価値観では、金を稼(かせ)ぐことは恥ずかしいことであり、本当に稼いでいる人は、なんらかの形で少なくなるようにして答える。

 あそこの店舗は、好立地(こうりっち)で、駅前であり、住宅地もあるし、同時に企業も多い。

 住宅地があるということは、駅から自宅に帰る夜の買い物客が多いということである。企業が多いということは、昼に弁当を買いに来る客も多いということである。

 少なく見積(みつ)もっても、年収1,500万円はいくはずである。2,000万円を超えていてもおかしくない。

 その場合、税金対策で、ほかの家族、奥さんや、存命なら母親・父親の給料として計上し、自分の分を少なくする。

 その上で、税金や年金などを引いたあとの残りの金額を答える。

 これが伝統的日本人の行動パターンである。
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 なお、逆のパターンもあって、たとえば、フリー=ライターなどは、すべて「コミコミ」の年収を答えたがる。年収を訊(たず)ねると、「大台(おおだい:年収1,000万円)にちょっと足りない」と答えたりするが、取材費まで入れた金額を答えていたりする。「大台=1,000万円」という時点で貧乏臭いな。

2013年3月5日火曜日

当校の隣にミニ防災井戸ができた。

 当校の隣に、ミニ防災井戸ができた。もともとは住人用の井戸があったが、保健所からの通達で、衛生上、問題があるからということで使用禁止になっていたという。

 ところが、近いうちに首都圏が大地震に襲われるということで、その対策の一環として、練馬区の全額負担で、下に掲(かか)げた写真にあるような手動式ポンプを設置することとなった。

 また、火災時にも利用できるようになっている。というか、火災用が名目上(めいもくじょう)はメインとなっている。

 飲み水には利用できない。

練馬区は、災害対策として、区立小学校や中学校を建て直す際に、貯水槽(ちょすいそう)も作ったり、練馬区の庁舎の屋上にヘリポートを拵(こしら)えたりと、災害用という名目でいろいろと利権が生じているように感じる。

2013年3月4日月曜日

「痛快ウキウキ通り」の動画にコメントをしたら、複数の女性からメールが届いた。

 小沢健二の「痛快ウキウキ通り」の動画にコメントをしたら、複数の女性からメールが届いた。



 こんな歌詞の歌だ。特に気に入っているところだけを引用する。

 ♪プラダの靴が欲しいの。
  そんな君の願いを叶(かな)えるため、
  マフラーを巻いて、街へ出て、
  恥ずかしながらもウキウキ通りを行ったり来たり。
  
  喜びをほかのだれかとわかりあう。
  それだけがこの世の中を熱くする!

  クリスマス=イブも過ぎて、1年遅れで買うプレゼント。
  遅れてごめん! 残念無念(ざんねんむねん)!

  長い長いアラビアン=ナイト。
  ほんの一夜の物語を行こう!

  お願いはひとつ。笑顔で応(こた)えてと!
  ……。それに見合うぼくでありたい!
  痺(しび)れっぱなしの掌(てのひら)!
  鼻水出りゃ、擦(こす)りながら!
  痛快に降る雪の中、歩いてく!

 1年遅れでプラダの靴をクリスマスの贈り物にしたわけだ。この歌の男性は、「痛快に降る雪の中、歩いてく」とあるように、自動車が買えないくらいの所得水準である。そういう男が好きな女のために無理をしているということだ。

 歌詞の中に「クラクション鳴らして車が走ってく」というのがあり、なんとなく、ここから、貧乏学生が彼女のためにプラダの靴を買うために交通整理の警備員(けいびいん)のアルバイトをしているという、謂わば裏設定(うらせってい)もあるのではないかと感じる。

 結局、プラダの靴を買うのに、1年近くを要している。プラダのパンプスだと2万5千円くらいからあるけれども、クリスマスの頃だと、ロング=ブーツだろうから、20万円近くかかる。

 ま、それだけ、無理をして彼女のリクエストに応(こた)えているらしいことはわかる。

 コメント欄には、こんなことを書き込んだ。尚(なお)、コメントを書き込んだ動画は既(すで)に削除されていて、上に貼りつけたのは、同じ動画だけれども、別物(べつもの)である。

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これまで、ティファニーTiffany & Coの2万円台の銀のネックレスしかせがまれたことがない。
プラダPRADAの靴をせがまれるようになりたい。
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 すると、YouTubeで「グッド!」を押す人が何人かいた。プラダの靴をせがんでもプレゼントしてくれない男性とつきあっている女性が押したのではないかと考えた。

 Twitterにアカウントを拵(こしら)えているが、これは、他人のツイートを読むためだけのものであって、私自身はツイートしていない。頻繁にツイートしていて、自分の考えをできるかぎり多くの他人に伝えたいと思っている人が、フォローワーになることはあっても、当人がツイートしていないのに、フォローワーになることは、まず、ない。ところが、上記のコメントをして暫(しばら)くすると、本人もツイートしていないのに、フォローワーになる女性が出現した。

 ハンドル=ネームは2つしか使っていないので、YouTubeにコメントしたときのハンドル=ネームで検索すれば、ツイッターTwitterやブログやプロフィールに辿(たど)りつける。

 すると学習塾・予備校の代表だとわかる。しかも、その男が「プラダの靴をせがまれるようになりたい」と言っている。うちは貧乏塾(びんぼうじゅく)で、「代表」といっても、「決裁権(けっさいけん)がある」という程度の意味でしかないのに、勘違(かんちが)いした女性が少なくなかったらしい。

「ブログを読んで、掃除機庵主人さんの人柄(ひとがら)に惹(ひ)かれました。一度、どこかでお会いしませんか?」

 そんなメールが届くようになった。「人柄に惹かれた」と言われても、テレビで放送されると袋叩(ふくろだた)きの目に遭(あ)いそうな内容もあるのだから、妙(みょう)な気がする。

 そのメール=アドレスには所謂(いわゆる)迷惑メールが届いていなかったから、迷惑メールではなく、真面目(まじめ)なメールなんだろうけど、やっぱり、ちょっと気味(きみ)が悪い。

 うちの生徒たちに見せたところ、「婚期(こんき)を逃(のが)したおばさんばかりじゃないか」という意見が多数を占(し)めた。

 私もそう思ったので、どのメールにも返信はしなかった。

 私はイギリス英語を勉強しすぎたせいで、紹介されていない人物とは気楽に接触(せっしょく)できなくなっているような気がする。

2013年3月3日日曜日

自分が設置した店(インスタント=ストア)からAmazonに入って買い物をしたら、自分に紹介料が入っていた。

 Amazon(アマゾン)でインスタント=ストアinstant storeというショッピング=ストアを拵(こしら)えている。

当校では教材で稼(かせ)ぐことはしていないから、1,000円で仕入れた教材(価格の表示がない)を2,000円で生徒に販売するということはしていない。

乾式複写Xerox copy/photocopyで済(す)ませるか、市販の教材で済ませるかしている。大半(たいはん)は乾式複写で済ませている。最近はあまり使っていないが、塾用教材の場合でも、実費である。

池袋や中野を経由して通学する生徒の場合は自分で買ってもらうか、Amazonで買ってもらうかしている。Amazonで購入する場合は、「掃除機庵主人のお店」から購入してもらっている。その場合、現時点では、紹介料が価格の3.5%、こちらに入ってくる。

このブログの下のlinksにリンクが貼ってあるけれども、ここにもリンクを貼っておこう。

掃除機庵主人のお店

以前に、「掃除機庵主人のお店」からAmazonに入り、その後、買い物をしたところ、自分の買い物なのに紹介料が入っていた。

ちゃんとサイン=インしているのに、インスタント=ストアを設置した本人に紹介料が入るのは、なんと間抜けなシステムなんだと驚いた。

自分の買い物(主にコピー用紙とインク)で紹介料が入るとはいえ、やはり、人として卑怯(ひきょう)な生き方をしてはいけない、「義(ぎ)」に悖(もと)ることはしてはいけないと、自分のインスタント=ストアからAmazonには入らないことにした。

ところが、後日、紹介料を確認したところ、自分の買ったもので、紹介料が入っているものと、入っていないものとがあった。

念のために、註文履歴(ちゅうもんりれき)から註文した日付を調べ、インスタント=ストアの註文レポートで、たとえば、2013年2月12日から2013年の2月13日の註文を調べたりしてみた。やはり、自分が註文したものだった。

記憶を辿(たど)ると、どうやら、生徒に「掃除機庵主人のお店」について説明した日のものにのみ、紹介料が入っているようだった。インスタント=ストアを、一旦(いったん)、開くと、それを閉じてから、改めてAmazonを開いても、インスタント=ストアからやって来た顧客と認識するようだ。

それにしても、インスタント=ストアを設置した者に、本人の買い物に紹介料が入るはおかしいと感じるので、改善するようにと、Amazonに連絡しようと考えたが、アカウント=サービスに一瞥(いちべつ)を加えたところ、「梱包についてのご意見を送る」しかなかった。

うーん、となると、自分の買い物で自分に紹介料が入らないようにするには、インスタント=ストアを開かないうちに買い物をするか、あるいは、インスタント=ストアを開いたら、買い物をする度(たび)にパソコンを再起動しなければならないということになるようだ。ちょっと、面倒だな。

よい子は、わざとこんなことをやってはいけないよ。

2013年3月2日土曜日

ナチスとコミンテルンは、正式名称で表記したら、左翼のイメージが悪くなって面白いのだが……。

 どういうわけか、ナチスとコミンテルンは、決して正式名称で呼ばれることがない。

 ナチスは、「国家社会主義ドイツ労働党」Nationalsozialistische Deutcshe Arbeiterpartei である。

 コミンテルンは、「共産主義インターナショナル」のことで、英語のCommunist Internationalの赤い部分を繋(つな)げて、Comintern(コミンテルン)としている。

 ナチスにしても、コミンテルンにしても、正式な名称で表記すれば、社会主義や共産主義のイメージが悪くなるだろうが、それは妥当なことだろう。

 そうなると、日本共産党や社会民主党のイメージは悪くなるだろう。民主党にしても、左翼政党だから、地に堕(お)ちたイメージがさらに悪くなるだろう。

 日本のマスコミには左寄りが多いからだろうか? 

 表記が長くなりすぎるからという可能性も考えられるが、たとえば「国家社会主義ドイツ労働党(以下、ナチス)とすれば済む。

 私は進歩史観には与(くみ)しない。その理由については、いずれ、詳しく述べる。

2013年3月1日金曜日

大黒鼠(だいこくねずみ)の幸村(ゆきむら)の脱走

 大黒鼠(だいこくねずみ)の幸村(ゆきむら)が脱走した。

 なお、大黒鼠はラットratのうちでも、白いものを指すらしいが、ラットというと実験動物のイメージが強いし、どぶねずみだとイメージが悪いので、私は個人的に色がついているものも大黒鼠と呼ぶことにしている。

 さて、幸村はうちに来たとき、半兵衛(はんべえ)と較(くら)べて身体(からだ)が小さかった。

 動作がすばしっこくって、あまり人間に馴(な)れていないようだったが、ちがっていた。

 どうやら、苛(いじ)められっ子だったらしい。12匹くらい子鼠(こねずみ)がいれば、母鼠(ははねずみ)のおっぱいが足りない。すると、弱い子鼠や苛められやすい子鼠はおっぱいが哺(す)えない。その結果、身体が小さくなる。

 苛(いじ)められっ子だったから、人間に限らず、接触されるのを嫌(いや)がる。

 半兵衛のほうは、そういうことがなかったらしく、懐(なつ)きやすいし、潑溂(はつらつ)として、籠(かご)から出したら、あちこちへと、謂(い)わば冒険をする。

 ところが、幸村は、全然、動き回らない。籠から出しても、すぐに籠を攀(よ)じ登って、巣に戻る。あとは、食べては寝て、食べては寝ての生活である。すると、初めは小さかった身体が、半兵衛よりも大きくなった。大きくなったとはいえ、ただのデブである。

 先日、籠を洗った。半兵衛は移動用の小さな籠に入れたが、幸村は、遠くまでちょろちょろと動きまわることがないので、床に放置しておいた。

 ついでに、空気の入れ替えのために、裏口のドアを開けておいた。すると、これまで、籠から30cm以上のところに行ったことがない幸村が裏口から逃げた。

 探してみたけれども、見つからない。うちの近所には野良猫(のらねこ)が多い。野良猫に餌(えだ)をやる婆(ばあ)さんがいるのだ。たぶん、野良猫に食べられたのだろうと観念(かんねん)した。うちは相当に贅沢(ぜいたく)な餌(えさ)をあげているから、野良猫にとっては、かなり旨(うま)かったのだろうと思った。

 その3日後、みょうな物音がした。幸村だった。屋外で幸村を探している間に、屋内に戻って、冷蔵庫の裏に隠れていたらしい。

 3日間、飲まず食わずだったので、へろへろな状態になっていた。毛艶(けづや)も悪くなっていた。

 暖かい籠の中にいて、食べ物と水が無尽蔵(むじんぞう)に出てくる状態が、どれほどしあわせなことかを噛(か)み締(し)めているようだ。

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早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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