2009年10月25日日曜日

トイレットペーパー 無印良品 VS LAWSON 100

 いつも思うのだけれど、100円ショップとか、百均(ひゃっきん)とか呼ばれている店の商品はどれほどのものなのだろうか? まず、食べ物に関しては、健康に関わることなので、試してみることすら怖ろしい。野菜に関しては、中国野菜がほとんどなのだろうけど、私は中国野菜を食べるとほぼ確実に肌が荒れたり、腫れ物ができたりしたので、一切、買わないことにしている。私の体質が敏感すぎるらしく、普通の人にとってなんだもないものでも、体調が悪くなるので、仕方がない。
 飲食品でなければ、100円ショップの商品がどういうものかを較べられると思った。もともと無印良品のトイレットペーターを使っていたので、それとLAWSON 100で売っているトイレットペーターを較べることにした。流通というか、小売業というか、そうした分野では大儲けはできない構造になっていると思うのだが、そうした業界で100円均一(税込み105円)で販売するというのは、よほど品質の悪いものを売っているはずだ。
 無印良品のトイレットペーパーを使っているのは、品質が特に気に入っているわけではなく、1ロール当たりの重量が重いからである。なんだかよくわからない理由であると自覚している。

 無印良品のトイレットペーパーとLAWSON 100のものとでは、1ロール当たりの長さが違う。

無印良品    60メートル
LAWSON 100 25メートル
(いずれも二枚重ねのもの)

 どちらも4ロールで、無印良品は313円、LAWSON 100は105円だ。

無印良品    240メートル 313円 (100メートル当たり約130円)
LAWSON 100 100メートル 105円 (100メートル当たり 105円)

 これだけだと、LAWSON 100のトイレットペーパーのほうがお得だと考えてしまうだろうが、ここで品質の問題が出てくる。
 LAWSON 100のものだと、紙が弱いので、何回も折りたたまないと適切な使用に耐えない。無印良品2枚重ねのものだと2回か3回折りたたむだけで大丈夫だ。

 総合的には、無印良品のほうがお得だと思うのだが、それでも100円ショップでトイレットペーパーを買う人がいるとして、その根拠はどこにあるのであろうか?
 もっとも、無印良品のトイレットペーパーの場合、肌触りに関して好みがわかれるだろう。もっと柔らかくて同じくらいに丈夫なものがよいというむきもあろう。その場合は、高価なトイレットペーパーを買うしかないだろう。

2009年10月24日土曜日

『ようこそ[鳩山レストラン]へ』を図書館から借りてきた。

 鳩山由紀夫が首相に就任してから、いつのことだったか忘れたが、朝日新聞の夕刊だか、朝刊だかの一面に左上隅に比較的大きく、朝の食卓を写しこんだ写真が掲載された記事があった。
 その写真を見た途端、レシチン(脳を使うのに必要不可欠な物質)の摂取量の少ない食事だと思った。頭の悪い女性の好みそうな食卓だった。ビタミン(ビタミンCなど)しか意識していないようなメニューだった。
 そこで、区立図書館に『ようこそ[鳩山レストラン]へ』という奥さんである鳩山幸の著書を予約した。

 その本に掲載されているメニューを見ると、頭を使うのにはまったく適していないものばかりだった。そんなものばかりを食べている。頭をきちんと働かせることができないようなメニューばかりだ。理詰めできちんと考えないといけないようなことに対して、精密に検討を加えることができないんじゃないかと、不安になる。
 深い考えのない発言が鳩山由紀夫には多いように感じているのだが、もしかすると、家庭での食事に、その理由の一端があるのかもしれない。そう思ってしまう。

2009年10月23日金曜日

「東アジア共同体」って、「大東亜共栄圏」と同じだと思うんだが……

 東アジア共栄圏を唱えている人がいるが、これって、地域ブロック経済を目指しているだけの、そうした地域内だけで経済に関するなにごとかを乗り切ろうというものでしかないように思える。
 第2次世界大戦の大東亜共栄圏構想と、なにがどう違うのかもわからない。
 東アジア共同体が、すばらしい構想であるならば、大東亜共栄圏もすばらしい構想であったということになるのだが、中身がほとんど同じものでも、「大東亜共栄圏」の構築を目指すといえば、ひどい反撥(はんぱつ)を受けるであろう。
 こうしたことを口にする政治家というのは、いったい、どこまで、ものごとを考えているのであろうか?

2009年10月22日木曜日

ユニクロが売れているという報道が実感できない。

 現在の経済状況で、ユニクロUNIQLOと楽天が好調だという報道を目にするが、これが実感できない。
 当校の小学生が着ているものを見ると、ラルフ=ローレンRalph Laurenが「無難な選択」として、圧倒的多数派である。
 いったい、どういう人たちがユニクロを身につけているのであろうか?

2009年10月21日水曜日

不況になると文学部の女子学生の割合は高くなるらしい。

 大学の案内なんてものを生徒が持ってきたりするのだが、先日、早稲田のものをちょろっと見てみた。
 早稲田の文学部の女子学生の占める割合が50%を超えていた。
 青山学院あたりの文学部となると、もともと女子教育ということで始まった団体だから、女子学生の割合が70%以上だったりするのだけど、自分が早稲田に在籍していたときの文学部(第一文学部、当時)は、男子学生が50%を超えていたと記憶している。
 経済的な利得だけで考えた場合、男子学生は文学部に集まりにくいが、景気が悪くなると、それに拍車がかかり、男子学生の割合が減るようだ。

 このあたりは、不況になると、都立高校の競争率が上がるのと同じだ。

2009年10月20日火曜日

知っていることばなのに漢字で書けないもの

 知っていることばは漢字で書けるようにしておくとよいと言って、「はげ」「くそ」「でたらめ」を漢字で書けるかどうかを中学生たちに訊いてみた。
 意外と、書けないものなんだな。

禿(はげ)
糞(くそ)
出鱈目(でたらめ)

「出鱈目」は、当て字だからよいとしても、ここまで漢字が書けないというのは、どうかなと思う。

 ほかに、ことばは知っているが書けない漢字として、つぎのものがあった。

笑窪(えくぼ)
黒子(ほくろ)
瞼/目蓋(まぶた)

2009年10月19日月曜日

ピーマンの値段が上がらないかと願っている小学生

 当校にはピーマンの値段が上がらないかと願っている小学生がいる。どういうことかと思えば、ピーマンの値段が上がれば、食卓に出る回数が少しは減るそうだ。
 ピーマンに含まれている栄養分などはつぎのとおり。

カロチン
ビタミンC
鉄分
カリウム
食物繊維
クロロフィル

 こうした栄養素であれば、べつにピーマンにこだわらなくてもいいわな。身体を使うと、ピーマンは食べたくなるけど。

2009年10月18日日曜日

せこいビールの買い方

 好き嫌いがわかれるのだろうけど、ヱビス〈ザ・ホップ〉YEBISU THE HOPのホップの香りが嫌いではない。ところが、普通のビールよりちょっと値が張る。
 それで、2本ともヱビス〈ザ・ホップ〉を買うのがためらわれる。それに、1本目を呑んだあとは、アルコールによって、多少は、味覚・嗅覚は鈍っているだろうから、ヱビス〈ザ・ホップ〉を続けて呑むのは効率が悪いのではないか? となれば、1本目はヱビス〈ザ・ホップ〉で、2本目はサッポロの「黒ラベル」やキリンの「ラガー」などの普通のビールでよいとなる。
 というわけで、ヱビス〈ザ・ホップ〉を2本続けて呑んだことがない。

2009年10月17日土曜日

レジにおける硬貨の入れるところの配置について

 近所の店で、買い物をしているうちに気がついたのだが、レジ(レジスター、自動金銭登録機、cash register)の硬貨を入れるところの配置がちがっている店がった。
 普通、金額順に並べると思う。
 一般的には、500円硬貨は一段奥のところに入れ、残りを手前の列に入れる。こんな感じだ。

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500円硬貨

100円硬貨 50円硬貨 10円硬貨 5円硬貨 1円硬貨
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 ところが、ある店ではつぎのように配置されていた。

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500円硬貨

100円硬貨 10円硬貨 50円硬貨 5円硬貨 1円硬貨
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 これはすごい。
 これだけだとわかりにくいので、500円硬貨を除いて、硬貨の色で表現するとつぎのようになる。

一般的な配置(金額の大きい順に並んでいる)

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100円硬貨 50円硬貨 10円硬貨 5円硬貨 1円硬貨
銀色 銀色 銅色 銅色 銀色
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ある店の場合(同じ色の硬貨が並ばないようにしている)

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100円硬貨 10円硬貨 50円硬貨 5円硬貨 1円硬貨
銀色 銅色 銀色 銅色 銀色
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 どう考えたって、後者のほう、つまり、
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100円硬貨 10円硬貨 50円硬貨 5円硬貨 1円硬貨
銀色 銅色 銀色 銅色 銀色
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のほう(同じ色の硬貨が並ばないようにしている)がミスが激減すると思われるのだけれども、ほとんどの店では、硬貨の金額順に並んでいる。これは、まあ、長年、ある形式に慣れた人にとっては、違う形式に変えるのが困難だからであろう。

2009年10月16日金曜日

自家製パン屋のパンの耳は意外とうまい。

 貧乏話でよく登場するのが、「パンの耳」である。
 芸能人や作家が喰えない時代に、近所のパン屋からパンの耳を廉(やす)く買って、糊口(ここう)を凌(しの)いだなどという話をする。
 なんとなく、「パンの耳」=「貧乏」というイメージがあった。
 もともと、パンは好きではない。脳へのブドウ糖の供給その他の理由から、パン食が中心だと頭がよくならないというか、勉強ができるようにならないというか、そういう点から、パンは好きではない。分子の大きさの点で、米の場合とちがって、パンの場合は、一挙に血糖値が上がり、一挙に下がってしまう。それでいいのであれば、砂糖を多く入れた紅茶・コーヒーでよいし、むしろ、そのほうが廉(やす)くつく。実際、ライターを主な生業(なりわい)としている人には、砂糖の多いコーヒーを飲んでばかりいる人がいる。

 それはともかく、パンは好きではないが、最近、忙しくなりすぎて、弁当をこしらえて、当校に持っていくことができなくなった。それで、近所の店で弁当を買ってみたが、どれもこれも化学調味料が入っていて、アレルギーが出てしまう。アレルギーといっても、ただひたすら、眠ってしまうだけなのだが、しかし、それでも、当校の授業に支障をきたす。
 その結果、化学調味料アレルギーを避けるには、エスカマーレescamareというスーパーで弁当を買うか(ここの弁当には化学調味料は入っていないようだ)、小麦粉と塩と水だけでこしらえるフランスパンpain français, pain traditional(バゲットbaguetteやバタールbâtard)を食べるしかない。

 そんなわけで、パンは好きでないのだけれど、夜、食べるために、パンを買うようになった。最近のことだ。そして、自家製パン屋に足を運ぶようになった。
 「パンの耳」が売られていた。
 パンの耳とはいえ、一般にイメージされるサンドイッチなどを作った際に切り落としたものではなく、焼き上がったイギリスパンの両側を切り落としたもので、ほぼ正方形のものだ。
 パンの耳を食べて、「貧乏な暮らし」を当校の生徒たちに体験させようと思って、買ってみた。1斤分のパンの耳が60円だった。
「貧乏というものがどういうものかを体験してもらおう」と言って、食べさせた。

「あのぉ、このパンの耳、悔しいけど、うますぎるんですが……」

 自分も食べてみた。うまかった。

 パンの耳というと、一般には、サンドイッチを作った際に切り取ったパンの耳を想像するかもしれないが、そこで売られていた「パンの耳」はちがっていた。
 自分のところで焼いているパン屋で売られているものは「パンの耳」でも、半端(はんぱ)なくおいしいということを知った。
 もしも、貧乏だから「パンの耳」で糊口を凌いだとしても、うまい自家製パン屋の「パンの耳」だったら、ちっとも悲惨ではないということを知った。ほんとにうまかった。
 ただし、その店では、たぶん、1日あたり、1斤分しか売っていないようだから、買いたいときに買えるわけではないし、また、小麦粉の原価って、100gあたり10数円だから、1斤60円でも、それでも、まだ利益が出るんだよね。
 自家製パン屋って、意外と異常なまでに利益率が高いんだよね。利益率が高くなければ、西武池袋線江古田駅周辺に10軒くらいあって、どこも潰(つぶ)れることなく、存続しているわけはないわな。

2009年10月15日木曜日

文化祭での「お化け屋敷」禁止の高校

 高校の文化祭では、お化け屋敷が多い。
 これは、たぶん、少女漫画などで、お化け屋敷に入るという設定が多かったからじゃないかな。心理学なんかでは、恐怖心を抱いた直後に出逢った人に、人間というものは親近感を抱くようになるということだから、それを利用して物語を展開しているのだろう。
 文化祭でお化け屋敷に入る。びっくりしたり、怖がったりする。女主人公(ヒロイン)が、恐怖心に駆られてある男子生徒に抱きついたり、あるいは、直後に、偶然に出逢ったりする。そうして、女主人公は、その男子生徒を意識するようになる。
 こうしたことから、少女マンガにはお化け屋敷がよく出てくる。その影響から、高校の文化祭ではお化け屋敷という催し物が多いのだろうと思っていた。

 お化け屋敷禁止の高校があった。お化け屋敷をするという申請を出すクラブやクラスがあまりにも多くて禁止しているのかと思ったが、そうではなかった。

 痴漢行為が原因であった。

 お化け屋敷という暗い状況で、次から次へと痴漢行為を働く生徒が続出し、高校当局への苦情が殺到したことから、お化け屋敷禁止となったという。

 日本大学の、とある附属高校でのことだそうだ。

2009年10月14日水曜日

「%(パーセント)」の筆順

「%パーセント)」の筆順(書き順)について訊ねられた。小学生は思いもよらないことを質問してくる。

 一般的には、「%」の左上の「0」を数字のゼロを書くのと同じように、頂点から反時計回りに描き、「/」を右上から左下へと描いてから、右下の「0」を、これまた数字のゼロを書くのと同じように描く。

 こうしたことは、「‰」(パーミル)」を知っていれば、容易に推測できるはずだと指摘したが、小学生は「‰」(パーミル)」を知らないのが普通なので、当然のごとく、説得力はなかった。

 ところが、実際の「%」の由来は、「小学校算数科に対するQ&A」によれば、こういうことだそうだ。そのままコピーする。

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「per cent」という言葉は15世紀にヨーロッパの商業の中心であったイタリアで多く用いられるようになり,当初は「p cent」 などと表記されていました。その後,「p」が省略され,「cent」が「Cの真上に小さい○を付した記号」に変わるなど徐々に変化を続けた結果,最終的に現在の「%」になったとのことです。
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 もともとイタリアではprimo(第1),secundo(第2)・・・などの代わりに,1や2などの数字の真上に小さい○を付した記号で表す習慣がありました。そのため「100について1」という共通単位を表す際に,cent(100)の頭文字をとって「Cの真上に小さい○を付した記号」が使われるようになったようです。
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 生徒から「%」の筆順を訊かれなかったら、たぶん、知らないままで人生を終えていたんだろうな。べつに、知らないままでも、困らないけど。
 でも、知らないままでも困らないことっていうのは、広い意味での教養ではある。

2009年10月13日火曜日

ダイオキシンの毒性について

 ダイオキシンが猛毒であるならば、各地のゴミ焼却場に勤める者の死者が多数いてもおかしくないのに、死亡どころか、健康被害の統計すらない。しかも、そのことに関して日本国政府は何もしていない。
 少なくとも、ゴミ焼却場勤務の人に死者が出ていないのがダイオキシンの実態である。そうであるならば、実際に、喉(のど)の詰まらせて死んだ人がいる「蒟蒻畑(こんにゃくばたけ)」よりも安全である。

 蒟蒻畑>ダイオキシン

2009年10月12日月曜日

酒気帯び運転にならない人を酒気帯び運転にする方法

 酒気帯び運転ではない人間を酒気帯びにする方法がある。
 飲酒・酒気帯びを測る器具、所謂(いわゆる)、アルコール検知器を、ライターで炙(あぶ)れば、アルコールに反応したようになる。
 勿論(もちろん)、まったく身に覚えがなければ、問題になるだろうが、「これくらいなら大丈夫」と、ほんのすこしだけ呑んだ者なら、「疲れているらしい」「肝臓の調子が悪いらしい」などと、観念してしまい、認めてしまう。

2009年10月11日日曜日

女ともだちが、ある女優が住んでいた中古住宅を買ったときの話

 ずいぶんと前のことなんだけど、女ともだちが、というか、その親が中古住宅を買った。前の住人は、女優だった。その住宅は、新興高級住宅地の丘の上にあり、フランス窓なんてのがあるような小洒落(こじゃれ)た住まいだった。
 その女優には興味はなかったし、その女優のファンには申し訳ないが、背が低くて、狸(たぬき)かパンダにしか見えなかったこともあってか、一世(いっせい)を風靡(ふうび)したわりには、自分にとってはどうでもよかった。
 ところが、件(くだん)の女優の住まいを女ともだち(の親)が購入したことを、大学時代の先輩に話したところ、その先輩は「掃除機くん、ぜひとも、なにか、貰(もら)ってきてくれ」と懇願(こんがん)する。
 その上で、学士論文(要するに、ふつうの大学卒業時の卒業論文)や修士論文(大学院の前期課程での論文)を取り出し、論文の中で、その女優の名前を主語にした例文を提示し、言語哲学に関してなにごとかを論じていた。当人に言わせると、そのくらいに熱心なファンだと訴えたかったらしい。
 それで、女ともだちに問い合わせたところ、快諾を得た。
 先輩に、具体的に何が欲しいかを訊ねたところ、「便座」だという。言うまでもなく、「便座」というのは洋式トイレについている、あれである。ものによって、U字型やO型がある。この女優の旧宅のものは、U字型であった。
 私はその女優のことはなんとも思っていなかったが、それでも、自分だったら、水道の蛇口のハンドルをもらうところだと伝えてみた。手軽に持ち運びができるし、他人に見せびらかすこともできる。しかし、先輩は、やっぱり、便座がいいという。このあたりになると、もはや理解不能である。
 さて、女ともだちに連絡すると、これまた、快く受け入れられた。普通のトイレから、シャワーつきトイレ、具体的にはTOTO(旧・東洋陶器)のウォシュレットに交換したから、くだんの便座はゴミだから、気にしなくてよいという。
 で、結局は、先輩の依頼のとおりに、その女優の旧邸の便座を貰(もら)いうけ、5月の連休に、2座席のオープンカーの助手席に三越の紙袋に入った便座を載せて、国道246号線を走っているとき、「おれはいったい何をしているんだろう」という気持ちになった。
 


2009年10月10日土曜日

ヒューレット=パッカードの陰謀か?

 プリンターは、アップル社Appleのマッキントッシュ=クラシックMaccintosh Classic以来、ある1台を除いて、ずっと、ヒューレット=パッカードHewlett-Packardのものを使っている。1度、エプソンEpsonのプリンターを使ったことがあるが、すぐに壊れた。
 今、使っているプリンターは、自動で両面印刷もできるという優れものなんだけど、ひとつ、問題がある。
「高速印刷/エコノミー印刷」にすると、むやみに振動はするわ、五月蝿(うるさ)いわ、えらいことになる。ところが、「通常印刷」だと、静かに印刷してくれる。
「エコノミー印刷」でトナー代(インク代)を節約すると、振動によって、印刷機本体の寿命が縮まるのではないかとという疑問がある。
 一方、「通常印刷」にすると、振動・騒音がなく、恙無(つづがな)く、プリントが印刷される。

 こうしたことから、ヒューレット=パッカードは、トナー代を節約すれば本体が壊れやすくなり、通常印刷にすると、本体へのダメージは小さいが、トナー代がかかるということにしているのかと思った。
 ところが、パソコンpersonal computerに詳しい人に言わせると、「高速印刷/エコノミー印刷」での静粛性を追求すると、本体のコストが3倍から4倍にはなるだろうという。
 こういうことは、素人では判断できないことだな。

2009年10月9日金曜日

交通事故の原因:スピード超過と飲酒運転

 交通事故における死亡事故に関して、事故の原因はスピード違反のほうが多いのに、スピード違反は厳しく取り締まらない割には、飲酒運転の取り締まりはすこぶる厳しい。 
 これをおかしいと感じる人がいても、おかしくはないだろう。
 事実、表向きの統計では、飲酒運転よりもスピード超過が事故原因の圧倒的多数派なのであるから。
 ところが、事故原因は飲酒運転のほうが、本当は、多い。表向きの統計ではスピード違反になっているだけなのである。
 どうしてこんなことになっているのであろうか?
 自動車保険だ。
 飲酒運転の場合、自動車保険から保険金が支払われない。約款(やっかん)にそう規定されている。
 しかし、飲酒運転だったからと、一律に適用すると、交通事故の被害者に保険金が支払われなくなる。事故原因たる運転手を飲酒運転で逮捕すると、場合によっては、支払い能力がないということで、支払われずに終わることもある。交通刑務所に入って終わりだ。
 こうしたことを避けるために、飲酒運転による事故であっても、事故原因をスピード違反や前方不注意で処理をする。
 また、私の友人で、オートバイでこけたことがあるのは、飲酒運転・酒気帯び運転していたときだけであり、「飲んでいなければ、運転テクニックは最高である」と言っているとんでもない人物がいる。飲酒運転・酒気帯び運転でなければ、ほぼ確実に事故を起こすことがないタイプがいるとして、そうした中には、交通事故発生の際に飲酒運転・酒気帯び運転を事故原因としてすべて摘発するようだと、保険に入る意味がなくなるということから、任意保険に入らない人が出てくる可能性もある。
 ちなみに、飲酒運転であったのに、素面(しらふ)であったことにするのは簡単である。酒気帯び運転のラインに到達する前に呼気を測定器に通すのをやめるだけでよい。

 統計上のデータが、被害者の便宜のために、実態を反映していない場合もあるので、統計上のデータだけで論じても、机上の空論になってしまうこともあるわけだ。

2009年10月8日木曜日

正しい強盗の方法論について考えてみた。

 最近では、強盗といえば、コンビニエンス=ストアに押し入るのが多くなっているように感じている。また、昔と較べて、銀行強盗が減っているようにも感じる。
 銀行がセキュリティを多少は強化しているということもあるかもしれないが、強盗をするような人間がそうしたことを充分には把握(はあく)しているとは思えない。
 この2点、つまり、コンビニエンス強盗が増えており、銀行強盗が減っているという事実から、こんなことがいえるのではないかと考えた。

 強盗をする場合、比較的馴染(なじ)みのあるところを襲うようだ。つまり、強盗本人がよく利用するところに押し入るらしいのだ。
 銀行強盗が減ったのは、銀行がセキュリティを強化した結果、強盗が避けるようになったわけではなく、現金の出し入れがATM(現金自動預け払い機、Automated Teller Machine)だけになったゆえに、銀行の窓口を利用することが極端に減った。その結果、銀行強盗が減ったのではないだろうか?

 一方、コンビニエンス=ストアは、対面販売だ。商品単価の廉(やす)いものも多い。だれでも気軽に利用できる。馴染(なじ)みがあるわけだ。
 路頭に迷って、強盗でもやろうと考える人間は、リスク=マネージメントを考えることができない。まあ、リスク=マネージメントを考えることできるのであれば、コンビニエンス=ストアで強盗をしようとはしないであろう。
 深夜のコンビニエンス=ストアは、余分なレジを閉めて、手持ちの現金を少なくしている。深夜の店員は男性である場合が圧倒的に多い。
 おまけに、強盗に投げつけて、オレンジ色の液体をつけて、犯人の識別が容易になるような工夫までしている。

 こうしたことから、コンビニエンス強盗は割に合わないといえる。

 では、どういうところに強盗に押し入ればよいのであろうか?

 今のところ、私が思いつくのは、人通りが少ない通りで営業している雑貨屋で、女性店員がひとりで店番をしている店舗(てんぽ)に、閉店間際に押し入るというものである。
 深夜営業の雑貨屋はないから、捕まるリスクが高いのではないかと思うかもしれないが、これまでに午後8時前に強盗をする例は見られないので、むしろ、警戒されていない。
 また、こうした雑貨屋では、さほど売り上げがなさそうだから、大した額の金銭を強奪できないのではないかと思うかもしれないが、むしろ、ここがポイントなのである。たとえば、僅(わず)か2万円を強奪して逃げたとして、強盗であったとしても、警察署が署員を総動員してまでして捜査するとは思えない。つまりは、逃げ切れるわけだ。
 そして、こうしたことを繰り返せば、月額50万円くらいは稼げるであろう。もっとも、同一地域で繰り返すと、警察署も本腰をあげる可能性が高まるので、鉄道でいえば、同一路線ではないところで転々と強盗をするとよいだろう。

 で、思ったのだが、こんなことを考えられる人間は、強盗をしなくとも、月収50万円以上を稼げそうだから、このシミュレーションは、あんまり意味がないな。

2009年10月7日水曜日

当校で禁止していること:謝ること

 なにかで失敗すると、謝る生徒が少なくない。
 当校では、「謝る」のは禁止している。成長している最中では、失敗するのは当然のことであるし、新しいことに挑戦すれば、失敗もする。そんなことでいちいち謝るのは時間の無駄だと考えている。
 少しずつでよいから、改善してゆけばよい。
 もしも、いつまで経っても改善されることがなければ、なんらかの(知的)障害があると考えられるので、謝ったからといって、どうなるものでもない。むしろ、こちらが指導方法を検討しなおさなければならない。
 だから、「謝る」のは禁止している。

2009年10月6日火曜日

夫婦別姓になるということは、鎌倉時代に戻ることになると思うんだが。

 民主党が夫婦別姓を実現しそうだ。
 となると、夫婦の姓については、鎌倉時代に逆行することになるんじゃないかと思ったんだが、どうなんだろうか?
 源頼朝(みなもとのよりとも)の奥さんは北条政子(ほうじょうまさこ)だ。当時の姓(せい)・氏(うじ)・苗字(みょうじ)の取り扱いが今とはちがっているようだから、一概(いちがい)にはいえないけれど、夫婦別姓であったといえなくもない。

 夫婦別姓導入ということは、鎌倉時代に逆戻りということになるのではないか?
 同時に、以前から夫婦別姓の中国風・韓国風になると考えると、脱亜入欧(だつあにゅうおう)ではなく、脱欧入亜(だつおうにゅうあ)になる。

 夫婦別姓導入を唱える人は、たぶん、1960年代後半のアメリカ合衆国のウーマン=リブWomen's Liberation、ならびにフェミニズムFeminismなどに影響されているのだろう。
 ところが、欧米で、こうした運動が起こったのは、日本の女性よりも、女性の立場が弱い国だからである。
 たとえば、フランスでは1970年代になるまで、女性の名義で銀行口座が開設できなかった。フランス革命で「フランス人権宣言」(正式名称は「人間と市民の権利の宣言」)を採択した国とは思えないかもしれないが、これは、フランス人男性のみを対象にしたものであって、「人間」と「市民」には、決して有色人種や女子どもは含まれていない。
 アメリカ合衆国は、家庭内暴力を揮(ふる)う男性が異常に多い。
 スイスの地方議会には、女性の参政権のないところがある。
 欧米基準で考えれば、女性の権利が充実している日本が、フェミニズムの真似をしても、意味がないように思う。もっと、日本の下層階級というか、下流社会というか、そうした階層では、欧米並みに女性を蹂躙(じゅうりん)する男性がいるようだけど。しかし、その問題は、夫婦別姓にしたところで解決するものではないだろう。

2009年10月5日月曜日

和歌山県と高知県には敬語がない。

 和歌山県の紀州弁と高知県の土佐弁には敬語がない。ほかの地域に住んでいる人からすると、信じられないかもしれないが、本当なのである。
 司馬遼太郎は、紀州・土佐で自由民権運動が起こった背景には、敬語がないという事実があるとし、敬語が存在しないことから、強い上下関係がなく、古くから「平等」という思想が根づいていたとしている。
 個人的には、敬語がないのは、単に貧乏だからだと考えている。歴史上、支配階級と被支配階級が登場するのは、生産性が一定以上に高まってからである。全員が食うや食わずの生活をしている段階では、いわゆる原始共産制であり、身分差がない。
 だから、貧乏県であるが故(ゆえ)に、和歌山県には敬語がないのだと考えている。自由民権運動が起こったけれど、藩閥政治に対するただの政争の具にすぎないような気がする。

 敬語がない環境で育つとどうなるかについて述べよう。
 まず、『源氏物語』『大鏡』など、敬語を手がかりにして、発話者を特定するということを習得するのに、たぶん、敬語のある都道府県の高校生よりも、時間がかかっていた。むしろ、私の場合、『大鏡』を精密に現代語に訳すという作業を通じて、母語である日本語の敬語体系をきちんと身につけたようなところがある。
 また、このブログに関しても、たいていのブログは敬体(です・ます調)で書かれているのに、ここでは常体(である調)で書いている。これは、敬語のない紀伊国出身と無縁ではないだろう。
 また、早稲田大学進学後も、教授・助教授をはじめとする講師に対して、せいぜいのところ、丁寧語を使うくらいで、尊敬語はほとんど使わなかった。むしろ、尊敬語を使っている学生を見ると、「卑屈なやつだ」とさえ思っていたくらいだ。今から考えると、よっぽど育ちが悪いと自分は思われていたんだろうと思ったが、よく考えたら、育ちは本当に悪かった。

 先日、『プレジデント』の2009 10.09号を読んでいたら、文部科学省の全国学力テストの結果が掲載されていた。和歌山県は小学生と中学生の国語でワースト15県に入っていた。算数・数学ではワースト15県に入っていないのにもかかわらずだ。
 算数・数学が優れているわけではないが、国語は相当に悪い。
 これは、たぶん、敬語の問題や敬語が絡む問題ができないからだろう。問題は確かめていないけれど。

2009年10月4日日曜日

振り込め詐欺はマクロ経済学的には正しい行為だが、やっぱり犯罪である。

 振り込め詐欺(さぎ)は犯罪である。しかしながら、経済学的には「正しい犯罪」と「正しくない犯罪」があるということが、振り込め詐欺を検討するとわかる。

 振り込め詐欺はマクロ経済学的には正しい行為である。

 振り込め詐欺は、以前、「オレオレ詐欺」(別名:なりすまし詐欺)などと呼ばれ、犯罪のくせにコミカルな感じがして、それなりにおもしろかったが、架空請求詐欺(かくうせいきゅうさぎ)・融資保証金詐欺(ゆうしほしょうきんさぎ)などを含めて、「振り込め詐欺」に統一されたようだ。
 ところで、この振り込め詐欺は、刑法を一切無視した場合、経済学的には正しい行為といえる。
 日本の経済状況がデフレスパイラルに陥(おちい)っているのは、ユニクロなどの超低価格商品のせいも部分的にはあるが、ほかにもさまざまな要因が複雑に絡(から)み合っていることもある。
 個人金融資産の8割が50歳以上の高齢者が保有する。60歳以上にかぎっても5割強の資産を保有している。
 日本の高齢者はお金を遣(つか)わない。市場に金(かね)が出回らない。高齢者がお金を遣(つか)わないから、経済が縮小し、若者にお金が還流(かんりゅう)しない。社会全体が貧乏くさくなる。所得も下がってしまう。
 大前研一が指摘していることだが、個人金融資産の10%つまり150兆円を遣(つか)えば、それだけで経済状況が激変する。
 ところが、イタリア人とちがって、日本人は稼いだお金を死ぬまでに遣い切ろうとはしない。マクロ経済学的にはまちがっている。

 こうした状況に風穴を開けようとするのが、振り込め詐欺である。高齢者のいわば死蔵している現金を「振り込め詐欺」という形で吐(は)き出させ、自分たちで無駄遣(むだづか)いをする。無駄遣いしているかどうかは、確かめてはいないが、節約家(せつやくか)であり、倹約家(けんやくか)であり、貯蓄好きの振り込め詐欺師がいるとは思えない。
 かりに、振り込め詐欺の連中が無駄遣いをしているのであれば、死蔵されている資産を引き出し、無駄遣いすることによって、いくらかの金を市場に流しているのであるから、いくばくかは経済が活発になる。

 だから、振り込め詐欺はマクロ経済学的には正しい行為なのである。犯罪じゃなければ、ほかの人にも推奨できるのだが、犯罪なので、奨(すす)められない。

 同時に、こういうこともいえる。
 無駄遣いもマクロ経済学的には立派な行為である。市場にお金が回るのだから。とりわけ、デフレ=スパイラルという状況下では、これほど立派な行為はない(はずである)。

 ということで、振り込め詐欺はしたことはないが、無駄遣いをしまくっているので、マクロ経済学的に私はかなり立派な人間であるということになる。ところが、この間、近所のおばさんに説教されてしまった。何を買ったかは、秘密だが。

2009年10月3日土曜日

経済学的に正しい物の買い方

 経済学的に正しい物の買い方は、個人商店で買うことだと考えている。多少、値段が高くなっても、個人商店で買えば、その利益から市中(しちゅう)に回る金額が少しでも増える。
 ところが、格安量販店で買い物をしても、異常なまでに安い給料の従業員は、必要最低限の買い物しかできず、社会にお金が出回らないし、景気がよくなるわけもない。
 それで、基本的に、個人商店で買い物をしている。
「じゃあ、なんでアマゾンの広告を貼りつけているいるのか?」という疑問があるかもしれないが、広告を見て、個人商店で買ってもらいたい。どうしても、個人商店で購入できない人だけのためのものである。それから、ときどき、アマゾンの広告を、お笑いネタとして使用しているのだが、あまり気づいてもらえない。

 以前から、個人商店で買い物をするべきだと考えていたところ、『文藝春秋』10月号に浜矩子(はまのりこ、同志社大学大学院ビジネス研究科教授)が「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という論文を掲載していたので、早速とばかりに購入した。
 だいたい、こんなことが書いてあった。
 安売り競争を徹底すれば、最後は人件費を切り詰めなければならず、従業員の購買力は低下する。また、製造拠点を人件費の低い諸外国に移転するので、国内に失業者が増える。デフレ=スパイラルが永遠に続き、景気はよくならない。
 マクロ経済学的にまっとうなことを論じていると思うのだが、反論する人がいて驚いた。
 IT & ECONOMISTという肩書の池田信夫がブログの記事「ユニクロは日本を滅ぼすか」で、ユニクロの場合、国を滅ぼすどころか、「日本企業がグローバル化するロールモデル」とさえ、言っているし、そのブログのコメント欄を見ても、浜矩子は経済学の学部生レベルのことがわかっていないという意見が多数派のようだった。
 うーん。時間のあるときに、経済学の教科書でも読んでみようかと思ったが、金子勝(慶應義塾大学経済学部教授、「慶應義塾大学モーニング娘。研究会」顧問)が、従来の経済学は、すべて、インフレに関する理論なので、デフレの場合に、当てはまるかどうかは、わかっていないということを述べていた。これが正しいのかどうは、私には判断できないのだが。

2009年10月2日金曜日

娘が早稲田と慶應義塾の両方の文学部に合格したとき、早稲田出身の父親は必ず慶應義塾に入れる理由

大学受験において早稲田大学文学部と慶應義塾大学文学部の両方に自分の娘が合格した場合、父親が早稲田出身であると、ほとんどの場合、慶應義塾大学文学部に進学させる。

さまざまな事例を検討しても、その傾向が見て取れるし、早稲田の校友会誌である『早稲田学報』では、記憶しているかぎり、例外はない。

なぜか?

まず、私の知るかぎり、単位認定が慶應義塾よりも早稲田のほうが辛(から)いようである。

娘には苦労させたくなければ、両方に合格したなら、慶應義塾を奨(すす)めるのは当然であろう。

とはいえ、つぎの違いが大きな原因であろう。

慶應義塾の場合、いわゆる「学年割れ」で、1・2年生のときは、横浜市にある日吉キャンパスで勉学に励み、3・4年生のときは、港区の三田キャンパスで勉学に励む。

一方、早稲田の場合、文学部なら、4年間、新宿区戸山キャンパスで過ごすわけだが、「戸山キャンパス」とはいえ、本部キャンパス(新宿区西早稲田)と隣接しているようなものだから、文学部以外にも、政治経済学部・法学部・商学部などと、4年間、一緒だと考えてよい(この場合、教育学部と社会科学部は考慮に入れなくてよい。文学部の女子学生はつき合わないから)。

ここで「4年間、一緒」というのが曲者(くせもの)である。

大学1年生のときに、3年生くらいの学生を見ると、じつに頼(たの)もしく思える(本当は大したことはないのだが)。それで、つい、うっかり、つき合ってしまう。それで、「食われ」たり、「やり逃げ」されたりするわけだ。

とりわけ、父親が女性にモテるタイプであった場合、自分のしたことから考えて、おそろしくて、自分の娘は絶対に早稲田には進学させたくないと考える。

慶應義塾の場合、入学したてのときに、横浜にある日吉キャンパスにいるわけだが、1・2年生だけである。3年生で、落した単位のために来る者はいるにしても、落第している学生はいささかも頼もしくない。ひっかかることはない。

娘を進学させるならば、慶應義塾が早稲田よりも安全なのである。

早稲女(わせじょ、早稲田の女子学生のこと)に、ぶさ……もとい、決して美人とはいえない女子学生ばかりなのは、男子学生に言い寄られることがないと確信が持てる場合にのみ、早稲田に進学させるからである。結果的に、ぶさい……もとい、決して美人とはいえない女子学生が多くなるのだ。


似たような理由から、早稲田出身者の父親は、娘を青山学院高等部には進学させたくないと考える。大学受験なしで大学に進学できる状況で、高校生の男女が同じ教室にいるというのは、すこぶる危険だと考えるからだ。

ちなみに、井上一馬という翻訳家は高校生のときに共学高に通っていたせいで、恋愛にうつつを抜かし、東京外国語大学にしか進学できなかったことを後悔した上で、娘の進学を考える上で、大学附属の共学の高等学校は避けたいと書いていた(と記憶している)。

その点、慶應義塾幼稚舎・中等部に娘を入れたとしても、高校生のなるときには、男子を慶應義塾高等学校に、女子を慶應義塾女子高等学校に進学させて、男子塾生からきちんと隔離(かくり)してくれる。じつに安心のシステムだ。

こうしたことを考慮すると、慶應義塾というのは、本当にうまいことを考えているなあと感心する。

お前は自分に娘がいたら、どうするつもりだと訊(き)かれれば、自分に似ていたら、男子学生にモテるとは思えないから、早稲田に進学してもいいと思っている。こういうことがあるから、早稲女はぶさいく……もとい、美人とはいいかねる女子学生ばかりになるんだろうな。万が一にでも、美人だったら、絶対に早稲田には入れたくないな。

ま、理想をいえば、オックスフォード大学か、ケンブリッジ大学に進学してもらえるとうれしいかな。あそこは、男子学生の出身校であるパブリックスクール(全寮制の私立男子校)の伝統から、男子学生には同性愛者が多いからな。慶應義塾以上に安心のシステムだな。

2009年10月1日木曜日

豚インフルエンザに感染したイスラム教徒は戒律違反になるのであろうか?

 イスラム教では、豚肉食は禁忌(きんき)である。この戒律(かいりつ)はかなり厳格(げんかく)である。
 以前、インドネシアで、味の素を製造する際、発酵菌(はっこうきん)の栄養素を作るにあたり、その過程で触媒(しょくばい)として豚の酵素(こうそ)を使用したということで、現地法人の日本人社長は逮捕されたということがあったくらいだ。
 そこまで厳格なのであるから、豚インフルエンザswine flu / swine influenzaに感染したイスラム教徒は、原理主義ならば、戒律違反になるのではないかと考え、ちょっと調べてみた。
 それに相当する記事は見つけられなかった。
 ちょっと違うが、ユダヤ教でも、豚肉食は禁忌(きんき)である。ユダヤ教を国教とするイスラエルでは、豚インフルエンザを、メキシコ=インフルエンザMexican influenza / Mexican fluと改称したらしい。やっぱり、豚は厭(いや)なんだろうけど、メキシコに失礼じゃないのか? 世界保健機構WHOのように、インフルエンザA(H1N1) influenza A(H1N1)って呼んでやれよと思うな。

 最初に発見された豚インフルエンザの感染の最初の発見例は、1976年2月にニュージャージー州で19歳で死亡した2等兵の検視によるものである。最初の発見例はメキシコだとばかり、思っていた。

 豚インフルエンザについて調べていたら、こんなことがわかった。
 メキシコやアメリカ合衆国で豚インフルエンザが流行した当初、一部のイスラム教徒は、キリスト教徒が受難(じゅなん)に遭(あ)っていると考え、「イスラムこそが、真なる宗教だ」Islam is the true religion of Allah.と、えらそうにしていた。「イスラムこそが、真なる宗教だ」ってのは、普段からそう言っていることだけど、豚インフルエンザに結びつけて、キリスト教徒に神からの天罰(てんばつ)が下(くだ)ったというわけだ。キリスト教が邪教(じゃきょう)であるといわんばかりである。
 豚インフルエンザの流行を宗教的対立に結びつけるというは、一般の日本人には理解できないことだろう。
 ところが、サウジ=アラビアで、メッカへ聖地巡礼の途中で28歳のエジプト人女性が豚インフルエンザに感染し、死亡した。ほかにも、エジプトでは、900人以上の感染者の報告がなされている。
 巡礼中の感染拡大を懸念(けねん)して、大巡礼(だいじゅんれい)「ハッジHajj」の中止を検討するイスラム諸国も多くみられるそうだ。
 天罰が下(くだ)りまくってるじゃん。イスラムこそが、真なる宗教だったんじゃないのか。

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早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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