2009年3月31日火曜日

LazyTown

LazyTownというアイスランドの子ども向けテレビ番組がある。100か国以上で放送されているすごい番組なのだが、日本の子どもたちはだれも知らないといってよい。

YouTubeの関連動画を観ていると、LazyTownの動画が出てきて、引き続いて、いろいろと観てみたのだが、パロディやMAD、その他の動画が数多くあることから、これは相当に有名な番組かなにかだろうと考えて、ずいぶんと以前に調べてみたことがある。
いつのまにか、日本語版のWikipediaにもレイジータウンの項目ができていた。興味のある人は、そこを読んで、さらに興味がわけば、英語版などのWikipediaも読むとよいだろう。
この番組は、Magnus Scheving(Magnusのuの上には´がつく。マグヌース=スキーヴィングと読むと思うのだが、日本語版のWikipediaの表記はちがう)が、アイスランドの子どもたちが観るのに適したテレビ番組がないということから、ならば、自分で製作してしまおうと始めた番組である。Magnus Scheving自身、Sportacusという役で出演している。上に貼りつけたYouTubeの動画で青い服を着ているお兄さんだ。スポーツ=エアロビック(エアロビック=ジムナスティックス)で、2年連続チャンピオンになっている。
ピンクの服を着た女の子も、ブロードウェーの女優をやっているらしい。
100か国以上で放映されているということは、国連加盟国の過半数となる。テレビの普及率の高い地域から順に100か国くらいと考えられるから、先進国のほとんどでは放送されていると考えてよいだろう。
こういう番組をどうして日本で放送していないのだろうか?
放映権を買って、吹き替えをするだけで済むのだから、きわめて安上がりに番組ができるはずだ。
将来、今の日本の子どもたちがある程度の年齢になって、海外に留学したり、あるいは仕事で海外勤務したりしたときに、ほかの国々の人たちが、子どものころにLazyTownを観ていたという話題になったときに、日本人だけが蚊帳の外になるだろう。これを、文化の鎖国とはまではいわないけれど、どうして、日本で放送しないのか気になるところだ。
テレビのキー局と広告代理店は、スポンサーから法外な制作費を取り、それぞれが、いわゆる「中抜き」というかたちでピンはねしているそうだ。数字は正確ではないが、たとえば、1億円の制作費の場合、広告代理店とキー局がそれぞれ、1500万円ずつ、ピンはねまがいのことをして、さらに、下請けの制作会社が孫請けの制作会社に丸投げする際に、ピンはねまがいのことをするらしい。
海外の良質なコンテンツを買いつけて、吹き替えをするだけだと、放映権と吹き替えの費用しか要らないから、高額な制作費をスポンサーに要求できない。つまり、中抜きができないので、海外のドラマなどを積極的には放送したくないのではないか? その結果、つまらないテレビ番組を観るくらいならと、GEOやTSUTAYAで海外ドラマを借りる人が多くなったのではないかな。
たとえば、LazyTownの場合、1話あたりの制作費は100万ドル(約1億円)だが、コンテンツの販売先が海外に多数あるからこそ、可能な制作費である。国内市場だけで、これほどの制作費をかけられる子ども番組はないだろう。
中抜きに拘泥(こうでい)しているうちに、だれもテレビを観なくなるわけだ。
LazyTownの英語版のDVDでも買おうかと検討している。
ちなみに、うちにはテレビはない。だって、観るべき番組がないんだもん。

2009年3月30日月曜日

化学調味料アレルギー

 化学調味料アレルギーというか、グルタミン酸ソーダアレルギーが自分にはある。いや、正確には、「アレルギー」と呼ぶほどのものではないんだが。
 食べた途端に、眠ってしまうのである。どんなに睡眠をとったあとでも、化学調味料入りの食品を摂(と)ると、寝てしまう。30分から1時間くらい寝てしまう。目が醒めると、脳が痺れた感覚が残っている。
 ほとんどの店で外食はできない。中華料理屋やラーメン屋は基本的に駄目。
 スナック類も駄目だ。食べた突端に、30分ほど寝てしまう。
 まさか、こういうちんまりした店の手作り弁当なら、大丈夫だろうと思うようなところのものでも、化学調味料満載だったりする。

 そんなわけで、ほとんどの食事を自炊をしているのは、グルタミン酸ソーダアレルギーによる。自炊しているうちに、だんだん自分の味付けしか、あまりおいしいと感じなくなってきているから、外食は「口に合わない」状態になっている。

2009年3月29日日曜日

パスタ屋の心意気はカルボナーラでわかる。

カルボナーラla pasta alla corbonaraで、パスタ屋の営業方針がわかる。

日本人はフランス料理がそれほど好きではない。フランス料理は、日本人の好む「うまみ」に乏しい料理なので、普通の日本人がフランス料理を食べても、おいしいとは感じない。

イタリア料理は、トマトを熱することで「うまみ」が増す。また、ふんだんにチーズを使うので、チーズのうまみも堪能(たんのう)できる。

そうしたイタリア料理のなかでも、カルボナーラはやや異質だ。熱したトマトのうまみがない。そのぶん、日本人向きの料理ではない側面がある。

カルボナーラは、イタリア料理のなかでは、日本人にとって、うまみがない料理であるわけだ。

そうなると、素材そのものが上質でないと、おいしいとは感じられないものになる。

ちゃんとカルボナーラをこしらえようとすると、おいしいパスタに、豚の頬肉(ほほにく)を塩漬けにして数週間寝かせたものであるグアンチャーレguanciale di maiale(または豚のばら肉を塩漬けしたパンチェッタpancetta)と、1個60円くらいの卵、その場で挽いた上質な黒胡椒(くろこしょう)を使わないと、うまいカルボナーラにはならない。ちなみに、レボーニ社LEVONIのグアンチャーレは100g861円だ。

料理の原価率は30%に抑えるものだそうだから、一皿3000円くらいでも、経営が苦しい。業務用で材料を仕入れるともっと廉(やす)くなるのだろうけど。

一皿1200円くらいにすると、添加物だらけのベーコンをはじめ、廉い素材で調理しなければならなくなる。日本人に訴えるうまみに乏しい料理であるうえに、素材がよくないとなれば、おいしいとは感じない。

そこで、味を追求しているわけではないパスタ屋では、日本人好みの「うまみ」を人工的に加える。

安直なところでは、化学調味料を添加する。ましなところでは、昆布茶(こぶちゃ)を隠し味に入れたり、昆布粉を入れたりする。

さらには、別のものを加えて味をごまかす。ひどいものになると、キムチカルボナーラなんてものがある。辛いものを入れることによって、素材の悪さをごまかすという作戦だ。キムチカルボナーラだの、カルボナーラ(キムチのせ)だの、カルボナーラ(キムチ風味)だの、素材の悪さを辛さでごまかしていると自ら宣伝しているようなものであるとしか、考えられない。

その一方で、個人経営の店のなかには、適当な値段で本当においしいカルボナーラはつくれないということで、メニューからはずしている店もある。潔い態度だ。

イタリア人が調理人だったり、あるいはイタリアで修行してそのとおりに調理している料理人の店では、日本人に迎合せず、「うまみ」を加えずにカルボナーラをこしらえるところもある。個人的にはこういうのが好きなんだな。

2009年3月28日土曜日

生徒に宿題を出された。

 生徒に宿題を出された。
 『青い蓮』Le Lotus bleuを読んで感想文を書くというもの。
 『青い蓮』はタンタンの冒険旅行シリーズLes Avantures de Tintin et Milouの1冊で、『ファラオの葉巻』Les cigares du pharaonの続編らしいが、『ファラオの葉巻』を知らないままだと、読んで愉しいのだろうかという疑問を抱いている。

 知り合いの京都産業大学の学生が卒業論文のかわりに、タンタンの冒険旅行の1冊を訳して、カラーコピーで複写したものに日本語訳を貼りつけ、製本したものを卒業論文として提出したそうだ。そういうものが卒業論文として受理されるというのを聞いて、ひどく驚いた。

2009年3月27日金曜日

日本の小学校低学年の計算力は世界的に相当なものだが……

 日本の小学校低学年の計算力は世界基準で考えると、相当なものである。しかし、一般の日本人はそのことに気がついていない。日本人の計算能力しか知らないから、すごいということに気づいていない。
 日本語の数の表現は、すぐれて十進法的である。
 「十二」といえば、「10」と「2」から成り立つ数だとわかる。
 ところが、英語のtwelveでは「10」と「2」から成り立つ数だとは直観的にわからない。フランス語のdouzeでも、ドイツ語のzwölfでも、わからない。英語の「13」以降はthirteen、fourteen、fifteenなることから、「12進法」の名残だということが見て取れる。
 フランス語では「80」をquatre-vingtsという。quatreは「4」で、vingtsはvingt(20)の複数形で、つまりは、「4つの20」あるいは「4倍した20」という言い方だ。これは「20進法」の名残であろう。「97」となると、quatre-vingts-dix-septであり、これは「4倍した20に10を足して7を足したもの」という意味だ。
 東京都知事の石原慎太郎は「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする」と述べたが、「数を勘定できない」という点はそれほど間違っていない。ただし、「国際語」というものは、その言語を使用する国家が覇権を握れば国際語になるのであって、言語そのものがどうこういうものではない。
 Le Petit Nicola(かわいいニコラ、邦題は『プチ・ニコラ』)を読むと、小学生が騒いでいるときに、騒いでいると午後の授業は算数にしますよと教師が言った途端(とたん)に、全員がぴたりと静かになるという場面がある。そのくらいにフランス人は計算が苦手なんだな。
 フランス語は数を勘定できないとしても、場合によっては、利点もある。十進法的ではないから、そうしたことに囚(とら)われることなく、「数」そのものを洞察できる。その結果、フランスという国は、整数論ですぐれた業績をあげている(英国は代数が得意で、日本はなんだかんだと微積分が得意である)。

 日本語は十進法的言語表現で数を述べるので、日本の小学校低学年は、世界全体で見れば、きわめて計算が得意である。
 しかし、小学校低学年の児童の計算力が高いからといって、数学にすぐれた民族と考えるのは間違っている。たまたま使用する言語が簡単な計算に適していたにすぎない。それに「九九」なんて、すぐれたアイテムもあるにすぎない。
 とはいえ、日本人というか、東洋人というか、そのあたりが潜在的に数学の才能があると考えられる理由はあるので、気が向いたときに述べる予定である。

2009年3月26日木曜日

「数え上げ」と日本人

 数学の問題にも、流行がある。その例を述べよう。

 数学者の秋山仁とピーター=フランクルが指摘したのだが、日本人は「数え上げ」が苦手であるそうだ。数学オリンピックの成績を分析しても、日本人の「数え上げ」の苦手っぷりがよくわかるという。日本人は「数え上げ」が苦手だとこのふたりが喧伝したおかげで、その後、「数え上げ」の問題が中学入試・高校入試などでは、急に多く出題されるようになった。
 「数え上げ」の問題をしくじったせいで、受験に失敗したことがあれば、もしかすると、その「数え上げ」の問題が出題されたのは、秋山仁とピーター=フランクルの言説が原因だったかもしれない。

2009年3月25日水曜日

早稲田なのに、どうして、頭が悪くないんですか?

 ずいぶんと以前のことだけど、経営者が開成中学・高等学校出身で、東京大学出身というじつにこぢんまりとした予備校・学習塾で非常勤講師をしていたときのことだ。
 講師会議に、非常勤講師も呼び出されるというところだった。
 会議の途中で、不意に、東京大学出身の講師に訊(たず)ねられた。

 「掃除機先生は、早稲田なのに、どうして、頭が悪くないんですか?」

 すると、ほかのふたりの東京大学出身の講師が、「私も疑問に思っていたんです」という意味のことを言い、さらには、一橋大学7年生の学生バイトの講師にも、同じようなことを言われた。
 そんなことを言われてもなあ。

 そのときに思ったのは、学歴って大事だなあということだったが、同時に、「頭が悪くない」というくらいのことがわかるのであれば、それほど大事でもないような気もした。

 「早稲田なのに、どうして、頭が悪くないんですか?」と言われたってことを、早稲田出身者に言ったら、ほとんどの場合、本気で怒っていたが、それほどのことではないと思うのだが。

 どうでもいいけど、その予備校の東京大学出身者は、決して、東大とか、東京大学卒業とか、そういう言い方を絶対にしていなかったのは、どうしてなんだろうか?

自己紹介

自分の写真
和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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