一般の大学と較べて、スクールカラーに対して愛着をおぼえる学生が早稲田には多いような気がする。合わせにくい色なのに、臙脂色のジャケットなんかを着ている学生が少なくない。
もちろん、体育会のユニフォームにも臙脂色は使われているし、また、学生服の襟章にも臙脂色が使われている。あちこちに使われているわけだ。
小学生のラグビーチームで、ユニフォームが早稲田大学のラグビーと同じ臙脂と黒の横縞というデザインのところも多い。これは、たぶん、地元でラグビーの指導をしている早稲田大学ラグビー部のOBが同じデザインを採用しているからだろう。小学生のラグビーチームのユニフォームのデザインは、早稲田型と、黄色と黒の横縞の慶應義塾型が、おそらく、2大メジャーだろう。
さて、鹿島アントラーズのユニフォームの色は、アントラーズレッドというものである。早稲田の臙脂という暗い赤と較べれば、やや明るい赤であった。
あまり日本のサッカーは観ない。とはいえ、Jリーグが始まる前年の1992年のナビスコカップの鹿島アントラーズ対ヴェルディ川崎(東京ヴェルディの当時の名称)の試合を国立競技場で観戦しているし、また、翌年の1993年5月16日の鹿島アントラーズ対名古屋グランパスエイトの試合もカシマスタジアムで観戦している。
鹿島アントラーズの初代監督が早稲田出身の宮本征勝で、コーチなどのスタッフにも早稲田出身者が6人はいたと記憶している。パス回しなども、早稲田っぽくて、パスコースが容易に予想できるもので、こちらとしては観ていて楽しかった。もちろん、早稲田っぽいサッカーというよりは、むしろジーコのサッカーだという意見もあるが、当時の鹿島アントラーズのパス回しは早稲田っぽかったのだ。
Jリーグ開幕のときに鹿島スタジアムで販売されているグッズを観たら、アントラーズレッドとはちがって、臙脂色のキャップなんかが置いてあった。変だなと思いながらも、強い違和感は感じなかった。早稲田出身者がスタッフに多くいるから、ちょっと臙脂っぽい色のものも入れたかったくらいにしか思わなかった。
ユニフォームやキャラクターのデザインを決めるときには、おそらく、広告代理店の提案・助言を受けているはずである。広告代理店は、この色の場合にはどういう色調が一般に受け入れられるのかとか、この年齢層が好む赤の色調はどういうものかとか、そうしたデータを持っているから、臙脂を奨めることはないと思われる。だから、アントラーズレッドは、暗い赤ではないのである。
早稲田出身者のなかには、臙脂にこだわりを抱いている人が少なからずいることを経験上、知っている私は、臙脂に近い色のキャップが販売されているのを見て、早稲田出身のスタッフが紛れ込ませたのだろうと思ったのだ。それでも、やはり、ユニフォームに臙脂を採用するのは、広告代理店などからは却下されたはずだ。
試合が始まって、元イングランド代表主将のゲーリー=リネカーGary Linekerのパスは力強いなと感心しながら、鹿島アントラーズが圧倒していた。
試合の途中で、ひとつの重大な事実に気がついた。
汗をかくと、当然、ユニフォームは濡れる。濡れると、たいていの色は暗く濃くくすんだほうに色調が変化する。
つまり、アントラーズレッドは、汗をかくと、早稲田のスクールカラーの臙脂色に変化する色だったのである。
早稲田魂、ここにあり。
いやはや、しょうもない魂だなあ。
試合は、元ブラジル代表主将のジーコZicoのハットトリックとアルシンドAlcindoの2得点の5対0の圧勝でした。
追記:現在のアントラーズのユニフォームは、Jリーグ開幕の1993年のものよりも、深みを増して、早稲田カラーに近づいているというか、早稲田のスクールカラーに見える。現在のトップチームコーチ兼サテライト監督の奥野僚右は早稲田大学ア式蹴球部(早稲田のサッカー部の正式名称。association footballつまり、アソシエーション=フットボールあるいはアソシエーション式フットボールのことで、協会式蹴球とでも呼べるもの。だれも協会式蹴球とは呼ばないが)の出身で、社長の大東和美は早稲田大学ラグビー蹴球部(ラグビー部の正式名称)出身、一時、監督代行を務めた関塚隆は早稲田大学教育学部・ア式蹴球部出身だ。少しずつ、早稲田のスクールカラーに近づけていったらしい。いやはや、この根性には畏(おそ)れ入るな。(le 4 février 2009)
実際の色よりも赤のところが明るいような気がする。
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