2008年12月23日火曜日

『悪問だらけの大学入試――河合塾から見えること』(その2)

 つぎのような問題も推測すれば正解できるようになっている。

栄西より日本茶が中国からもたらされたのは西暦何年か。
①1250年 ②1191年 ③1320年 ④1110年

 栄西について、受験生ならば、最低でもつぎの知識は備えているだろう。すなわち、栄西は、鎌倉仏教と呼ばれる宗派のうちのひとつである「臨済宗」の創始者である。
 栄西が、何年に、宋にわたり、戻ってきたのかを知っている必要はない。
 ポイントは、彼の宗旨・宗派が、「鎌倉新仏教」に分類されている点である。時代区分がその名称につくものは、たいてい、その時代の最初のころに登場したものである。
 たとえば、「昭和維新」とは、昭和初期に起こった国家改革の標語である。
 平安仏教といえば、真言宗と天台宗である。場合によっては、融通念仏宗も含むことがあるが、一般的ではない。平安時代は794年に始まり、1185年(ないしは1192年)まで続いている。真言宗も天台宗も9世紀初頭に、日本に持ち込まれている。真言宗も天台宗も、800年代に登場しているわけだ。
 もしも「昭和の歌姫」を選ぶとするならば、昭和20年から活躍した美空ひばりがふさわしいだろう。ただし、山口百恵という反論は認める。しかし、中森明菜は「昭和の歌姫」の称号には無理がある。登場が遅すぎるからだ。
 以上のように、時代を表すことばが伴うものは、その時代区分の初期に登場している。
 栄西の臨済宗が鎌倉仏教に数えられるという最低限の知識から、正解が得られる。選択肢の年号を並べなおそう。

1110年 1191年 1250年 1320年 

 鎌倉時代は、1185年(かつては1192年)から始まり、1333年に終わる。
 すでに述べたことからわかるように、臨済宗が鎌倉仏教に分類されるのであれば、栄西が活躍したのは、鎌倉時代の初期であるはずである。
 となると、1110年は、鎌倉幕府の始まりよりも75年(ないしは82年)も前のことなので正解ではない。
 1320年は鎌倉幕府崩壊の13年前なので、これも正解ではない。
 また、ちゃんと勉強している日本史選択者であれば、臨済宗が鎌倉幕府の庇護を受けたという事実は知っているはずであるが、かりに、栄西が宋から戻るのが1250年であれば、鎌倉幕府の庇護を受けたというのは考えづらくないだろうか? ある体制が整ってから50年以上も経過してから、幕府公認の仏教となるとは考えにくい。このあたりにまで考えることができれば、1250年も正解であるはずがないと判断できる。
 以上の推測を成り立たせるために、出題者は意図的に「1110年 1191年 1250年 1320年」という選択肢を用意したのであろう。
 つまらない瑣末な知識を憶えておけというのであれば、たとえば「1188年 1191年 1197年 1201年」という選択肢を用意していたはずである。
 出題者は、日本史で「稼ぎ逃げ」をされないようにしつつ、地頭(じあたま)のよい受験生ならば、得点できるようにと選択肢を工夫しているのである。

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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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