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2014年6月4日水曜日

ホンダ=ウイングというエンブレムの元ネタは、ガリア人(フランス人)の翼のついたヘルメットなのではないか?

ホンダのオートバイのタンクなどの両側に、ホンダ=ウイングと呼ばれるエンブレムがついていた。今でもついているものがある。こんなやつだ。












昔は、つぎのような意匠(いしょう)であった。


ずいぶんと以前から、感じているのだが、これはフランスのヘルメット、あるいはガリア人のヘルメットのデザインを元ネタとしているとしたのではなかろうか?










ヘルメットの両側に翼がある点と、オートバイのタンクの両側に翼がある点で、じつによく似ている。

この仮説が正しければ、ホンダ=ウイングは雄鶏の翼ということになり、「空を翔(かけ)るほどに速い」ということにはならない。

フランス人は雄鶏(おんどり)が好きである。フランス人の祖先はガリア人であるとされ、ガリア人の表すラテン語はgallusであるが、これは、同時に雄鶏をも意味する。

それで、フランス人は雄鶏をすこぶる好んでいる。戦うときの雄鶏の勇猛さも好んでいる。

たとえば、フランスのスポーツ用品メーカーであるル=コック=スポルティフLe Coq Sportifの商標は、雄鶏のデザインである。

のみならず、いたるところで、雄鶏を目にする。

ちょっと違うが、フランス語で、ガリア人はGolois(ゴロワ)という。フランスで売れている煙草(たばこ)のひとつが、ゴロワーズGoloisesであるが、これは「女性のガリア人」の複数形である。

移民国家となったフランスでは、ネグロイド(黒人)やイスラム系と、コーカソイド(白人)であるフランス人とを区別するため、コーカソイド系フランス人の民族主義者は、自(みずか)らのことをGoloisと自称(じしょう)する。日本だったら、「うちは大和(やまと)民族の家系ですから」とか言うものかな。

ところで、子どものころ、手塚治虫の漫画『ビッグX(エックス)』のヘルメットの両側に翼があるのを、変なデザインだと感じた。意味不明だった。















手塚治虫もまた、フランスのヘルメットを元ネタにしていたのだろう。

昭和のものには、元ネタがわからなければ、どういうところからそんなものを思いついたんだと感じるものが少なくない。



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2014年5月12日月曜日

『エッフェル塔の思い出』La Mémoire de La Tour Eiffelをフランス語で読んだときの衝撃

『エッフェル塔の思い出』 La Mémoire de La Tour Eiffel というのを、若いときに読んだ。

題名から考えて、エッフェル塔にまつわる思い出を、だれかが語るのだろうと思った。

ところが、冒頭からして、みょうなのだ。

「私の父はギュスターヴ=エッフェルGustave EIFFELであり、母は近代科学だった」

なんだ、これは!?

エッフェル塔自身が、一人称で語り始め、自(みずか)らの生い立ち(おいたち)や人生を振り返るという小説だった。

フランス文学史なんてものは、いわば、実験小説の歴史みたいなところがあるから、こんな程度では驚いてはいけないんだよね。

ギュスターヴ=エッフェルは、もともとは橋の設計の専門家であった。だから、エッフェル塔には、橋の設計のノウハウが取り入れられている。

パリの真ん中に塔を設計するのは、フランスのエリートたちからは蔑(さげす)まれた。景観を破壊する醜悪(しゅうあく)な塔を設計するなどというのはエリートのすることではない、と。

そこで、橋の設計をしているギュスターヴ=エッフェルが、塔の設計を担当することになった。だから、エッフェル塔のデザインは、橋の設計を応用したものになっている。

東京タワーや、法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔に基づく東京スカイツリーとは、設計思想がまったく違っている。

また、ギュスターヴ=エッフェルは、アメリカ合衆国にある「自由の女神」の設計を担当している。

エリートではなかったが、後世(こうせい)に名を残した例である。


















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2014年4月12日土曜日

人生を日数で考えたら、意外と短い気がするぞ。

人生を日数で考えたら、意外と短い気がする。

80歳まで生きたとしても、閏年(うるうどし)を考慮(こうりょ)に入れなければ、365日×80年=29200日である。3万日もない。

100歳まで生きたとしても、これまた、閏年(うるうどし)を考慮(こうりょ)に入れなければ、365日×100年=36500日である。4万日も生きられない。

人生というのは、そういうものなんだろうね。

2014年3月11日火曜日

柄物(がらもの)文化としての日本

日本人は、古来から、柄物(がらもの)の着物を着てきたし、今でも、柄物が好きだという傾向がある。

もっとも、戦乱(せんらん)となると柄物のような手間のかかるものを拵(こしら)えることが難しくなるので、シンプルな着物になることもあった。

その一方で、アニメでは、柄物の衣服にすると、作画に関して作業工数(さぎょうこうすう)が増え、予算の関係で、柄物を着せるのは難しいようである。

たいていは、柄のない衣服を纏(まと)っている。

日本らしくするなら、柄物の服を着せればよいと思うのだが……。

なお、武術の稽古着(けいこぎ)は、白一色だったり、紺一色だったりするが、これは、修行(しゅぎょう)の場にお洒落(しゃれ)を持ち込んではいけないということだろう。

2014年3月5日水曜日

なんでも「崩す」日本文化(その2):能管(のうかん)

日本の楽器は不思議なものである。

西洋の楽器は倍音を極めるために、研(と)ぎ澄(す)まされてきた。倍音というのは、基音とされる音の整数倍の周波数の音である。

ところが、和楽器は、噪音(そうおん)という倍音以外の音が多い。いわば、雑音的な音が多いのである。この理由を説明することはできない。日本人の民族性としか言えないらしい。

また、西洋楽器は、倍音を研ぎ澄ましつつ、楽器の役割を細分化した。たとえば、バイオリンとビオラとチェロとコントラバスのようにサイズの違うものを考案した。サキソフォンにしても、アルトサックス・テナーサックス・バリトンサックスなどとサイズの違うものを開発している。

しかしながら、和楽器はさほど進化していないし、機能に応じての細分化もない。

支那から入った龍笛(りゅうてき)はそのままの形であるし、篠笛(しのぶえ)も、ずいぶんと長く同じままである。

さて、なんでも「崩す」日本文化という観点から取り挙(あ)げたいのは、能管(のうかん)である。

能管は、室町時代に能のために考案されたものである。

龍笛を元に、その内部に細い竹の棒を入れることで、能管は独特なものになっている。

能管の音は、一般の人が耳にするのは甲高(かんだか)いものが特徴のひとつである。また、幽霊が登場するときの効果音でも用いられる。

ところが、能管は、旋律(せんりつ=メロディ)も出せなければ、リズムを刻(きざ)むこともできない。

龍笛(りゅうてき)を改変して、わざわざこんなものを作った。

日本人なら、折(おり)にふれて和楽器の音色を耳にしているから、それほど抵抗はないのだろうが、たとえば、西洋音楽しか知らない人間が、能管の音を耳にするとどう感じるのだろうか?

私自身、インドネシアのガムランという音楽を耳にしたとき、まったく馴染(なじ)めなかった。

2014年2月27日木曜日

なんでも「崩(くず)す」日本文化(その1):「織部焼(おりべやき)」

日本人は、なんでもかんでも「崩(くず)す」のが好きなようである。

西洋の食器には、円形の皿しかなかった。

ところが、有田焼(ありたやき)を大量に日本からオランダを通じて輸入したところ、なかには、円形ではない皿があった。

すると、ヨーロッパでも、円形以外の皿が作られるようになった。いわゆるジャポニスム、フランス語でjaponisme、あえて訳せば「日本趣味」である。

日本人は、子どものときから、さまざまな形状の皿を使っているので、円形以外の皿を最初に使い始めたのが日本だという意識を持たない。

というか、そもそも、円形以外の皿が、型を「崩した」ものだという意識もない。

その最たるものが、織部焼(おりべやき)である。

歪(ゆが)んだ茶碗である。

日本人って、こういうのが好きなんだなあ。

なお、以下は私が日常で、使用している織部焼の茶碗である。





2014年2月23日日曜日

アーミッシュと呼ばれる人々のことを考えるとキリスト教徒は頭がよくないのではないと考えられるのではないか。

アーミッシュ(英語Amish、ドイツ語Amische)は、アメリカ合衆国のドイツ系移民の宗教集団である。

彼らは基本的に電は使わない。水車や風車によって蓄電したものだけ使用してよい。自動車も使わず、馬車を使う。すべてというわけではないが、基本的には現代文明を否定している。

言語は、ドイツ古語の変化したものを使用する。外部とのコミュニケーションのために、英語を使う。

読書は、聖書やその関連のもの以外は禁止されている。

教育は、8年間の義務教育以上のものは禁止されている。8年の義務教育では、ペンシルベニアドイツ語と英語と算数しか習わない。

それ以上の教育を受けると、信仰心を失い、神を信じなくなるという。

事実、ある年には、大学にした者の9割が、アーミッシュの信仰を捨て、俗世で生活することを選んだそうである。

こうした点から、敬虔(けいけん)なキリスト教徒は、頭が悪いのではないかと疑念(ぎねん)を抱(いだ)いてしまうのだが、どうなのだろうか?

2013年12月17日火曜日

貧乏な国の女性は、髪の毛が長い傾向があるようだ。

スカーフで頭を隠すイスラム教徒を除けば、東南アジアなどでは、女性の髪は長い。少なくとも日本人女性の平均的な髪の長さよりも長い。

雇用が充分ではないので、所得が低くく、それゆえに貴金属などの高価なもので着飾ったりできないからではないだろうか? つまり、長い髪が唯一のお洒落(しゃれ)ということになるらしい。

一方、日本の一流企業の中には、肩よりも長い髪の女性は、履歴書などの写真で、不採用にしているところがある。この場合、コネ入社を除く。

一流企業でも、コネ入社の女性は受付の担当だったりして、給料の数倍はしそうな服を身につけている場合が多い。

肩よりも長い髪の女性は、あまり仕事をしない傾向があるそうだ。日本の女性の場合、自らの「女性性(じょせいせい)」、つまり、女らしさを訴えるのは、熱心には仕事をしないそうである。

となると、面接のある大学受験の場合も、髪の毛が肩より長い女性は、いくぶん、マイナスの印象を与える可能性がある。

教官・教員にしても、長年、面接をしていて、経験的にわかっているだろうし、それに、大学によっては、そうしたデータを集積しているところもあるのだから。

髪の毛の長い女性は、貴金属などの高価なものでお洒落ができず、仕事もしない発展途上国にいがちな女性であるとはいえるのではなかろうか?

2013年12月16日月曜日

東京生まれの人は「にゅうめん(煮麺)」を食べない。

にゅうめんとは、そうめん(素麺)を茹でたものである。元来は「煮麺」であり、それが変化したものである。

東京生まれの人は、親が関西出身でもないかぎり、にゅうめんを知らない。知っていたとしても、たとえば、風邪を引いたときに、食べたことがあるくらいだというのがせいぜいである。

東京は蕎麦(そば)が主流なので、にゅうめんは食べない。にゅうめんを食べるのは、素麺の産地周辺に限られるのだろう。

ところが、東京生まれの人には馴染(なじ)みがないのに、にゅうめんがフリーズ=ドライ食品で売られていた。

びっくりした。

コンビニエンス=ストアは、客に飽(あ)きられないようにするために、新製品をつぎからつぎへと販売する。

ベトナムの麺類であるフォーなども売られている。タイのトム=ヤム風味のカップ入りの春雨(はるさめ)も売られている。

ネタが切れて、関東以北を対象に、フリーズ=ドライのにゅうめんもコンビニエンス=ストアの店頭で販売するようになったのだろう。

ベトナムのフォーなどと同じ扱いといえる。

ということは、関東でにゅうめんを拵(こしら)えて食べるのは、エスニック料理を食べるようなものということだろう。

ちょっとうれしいかな。

だれも買わないだろうが、うちの近所のコンビニエンス=ストアで売っていたものを貼りつけておこう。私の感覚では、にゅうめんはフリーズ=ドライで食べるものとは思えないのだが。



2013年6月22日土曜日

日本人は、なぜ、ちょっぴり猫背(ねこぜ)なのか?

 たいていの日本人は、ちょっぴり猫背(ねこぜ)である。

 その日本人の体型に合わせて、TAKEO KIKUCHI(タケオ=キクチ:菊池武夫)のブランドでは、ちょっと猫背の日本人に適したスーツを作っているそうである。そのスーツを愛用している友人によれば、相当に「楽(らく)」であり、「疲れない」という。

 私はスーツを着る生活をしていないので(今の時期だと、ポロシャツばかりである)、菊池武夫ブランドの素晴らしさを実感することはないのだけれども、愛用している人たちの絶讚(ぜっさん)ぶりは大したものである。

 さて、日本人は、なぜ、ちょっぴり猫背なのかである。

 日本人の骨盤(こつばん)は後ろに傾いている。ネグロイドNegroid(黒人)の骨盤は前に傾斜している。重量のバランスという点で、彼らが足を高く上げて走るのは理に適っている。けれども、日本人が足を高く上げて走っても意味はない。コーカソイドCaucasoid(白人)は骨盤が直立している。

 日本人は骨盤が後ろに傾いているから、ちょっぴり猫背になる。骨盤が後ろに傾いているから、上半身は前方に傾斜しなければならない。重量のバランスをとる必要があるからだ。ちょっとした猫背に合わせて、型紙などを日本人に適したものにするべきなのである。

2013年4月26日金曜日

どの国でも美男美女の輩出率が高いのは、最底辺の階級・階層である理由

「その人は、インドのカースト制でも、最底辺に属しているよ」

「その人の祖父はイングランドで炭鉱夫をしていた労働者階級の出自(しゅつじ)だよ」

 そんなことを言っていたところ、上流階級には美男美女は少ないのかという話になった。

 もちろん、そんなことはない。ただ、最底辺の階級・階層のほうが、とびきりの美男美人の輩出率が高いような気がする。

 しかし、考えてみれば、これは当然のことである。

 彼らには、資産はないし、教養もないし、誇るべき家柄や血筋もない場合が多い。

 すると、結婚し、子孫を残すための基準は、外見のよさと、男性の場合は肉体の逞(たくま)しさになる。一方、外見が悪く、肉体も貧弱だと、子孫が残せない。その結果、最下層の人々は、美人や逞(たくま)しい男前が多くなる。

 実際、英国に関しては、労働者階級のほうが逞(たくま)しい男前の割合が高いし、謂わば、原石としての美人の割合が高いようだ。

 貴族階級はというと、顔の輪郭(りんかく)が微妙に歪(ゆが)んでいたり、鼻がちょっと曲がっていたりしている人の割合が高くなる。家柄や血筋を重視して配偶者を決めるからだろう。

 日本でも、いささか、そういう傾向があるようだ。

 私? 家柄がよすぎるので、男前じゃありません(すいません、嘘です)。

2013年4月14日日曜日

ちょんまげ結びは、なぜ、日本人しかしないのか?

丁髷結(ちょんまげむす)びというものがある。つぎのようなものである。ちっちゃい女の子の画像はじつに多いのだが、一般人ばかりなので(まあ、かわいらしいんだけど)、そこそこの年齢で可愛らしい歌手の画像を選んでみた。



ちょんまげ結びをするのは、日本人しかいないようである。そうはいっても、たいていは、風呂あがりやシャワーを浴びたあとに一時的にするだけであって、ちっちゃい子どものを除けば、街を歩くときにするわけではない。

なぜだろうかと、考えた。

まず、金髪などの毛質(もうしつ)が柔らかい場合、結んだところから倒れてしまうので、ちょんまげ結びができない。

つぎに、ネグロイド(黒人)のように1本1本の髪の毛が太すぎる場合も不恰好(ぶかっこう)になりそうだ。

お、なんとか説明がつきそうだと思ったが、以上の2点だけだと、日本人以外の東洋人がちょんまげ結びをしない理由がわからない。


そこで、当校の女子高校生に訊(たず)ねてみた。

「ちょんまげ結びって、日本人しかしないようなのだが、理由はわかるか?」

「風呂あがりや勉強中に前髪がうざいと思ったときにするくらいで、男の人の前ではしませんよ」

「いや、これまでにも、といっても、若いときの話だが、何人もの女の人が、私の前でちょんまげ結びをしていたんだけど……」

「じゃあ、好きな人の前ではしません」

「つきあっていた女性で、ちょんまげ結びをしていた人が何人かいるんだけど……」

「わかりました。訂正します。かっこいい大好きな男の人の前ではちょんまげ結びはしません

お前、おっさん相手に喧嘩(けんか)、売っとんのか!

ということで、ちょんまげ結びの謎は解決しないままであった。

2013年2月5日火曜日

どういうわけか、奴隷あるいは奴隷的身分だった人々は足を使いたがる傾向にあるようだ。

 2013年1月31日付けの記事で、日本人は骨盤(こつばん)が後ろに傾(かたむ)いているので、世界的に見て、異常なまでに足を上げたがらない民族であるということを述べた。

 目立つところだけでしか考えていないが、奴隷(どれい)や、あるいは奴隷に準(じゅん)ずる身分であった民族などは、足を多用するようである。


 アイルランドは、実質的にイングランドの植民地であった。1946年にアイルランド侵攻がオリバー=クロムウェルによって行なわれて以来、ほぼ植民地であった。


 アイリッシュ=ダンスIrish danceには足だけで踊るダンスがある。踊りによっては、足だけで、手をまったく動かさないものもある。なお、このような踊りが発達した理由として、遊んでいるとイングランド人に叱(しか)られるため、窓の外からは踊っているのがわからないようにするために、足だけの踊りが発達したと説明されている。しかし、なんとなく、足を使うのが好きだったんじゃないかと思う。


 ブラジルの黒人の間で生まれたのが、カポエイラcapoeiraである。格闘技舞踏という名称があるくらいに舞踏なのか格闘技なのかよくわからないものだが、兎に角(とにかく)、足を多用する。


 サンバsambaにしても、足を多用する。


 タップ=ダンスtap danceはアメリカ合衆国南部の黒人によって編み出されたものである。


 琉球舞踊(りゅうきゅうぶよう)も、日本舞踊と較べれば、太腿(ふともも)が水平になるくらいに脚(あし)を上げるようである。

 なぜ、虐(しいた)げられた人々が足を使いたがるのか、私にはわからない。


 柔道には多彩(たさい)な足技があるではないかという反論があるだろうが、講道館柔道(こうどうかんじゅうどう)は嘉納治五郎(かのうじごろう)の趣味で作られたものであって、伝統的・日本的なものではない。


 講道館柔道は、寝技(ねわざ)と関節技(かんせつわざ)を中心とする高専柔道(こうせんじゅうどう)には歯が立たなかった。講道館柔道側は負けると、高専柔道に対して「卑怯者(ひきょうもの)!」などの罵声(ばせい)を浴(あ)びせたこともあったそうだ。

 嘉納治五郎は柔術を「柔道」という名のスポーツにしたかっただけなのだろう。そして、オリンピック競技になって、更(さら)にスポーツ化した。


 いずれにしろ、虐げられた人々が足を多用するのが、私には不思議なのである。

 以下の動画は、アイルランドの「足踊(あしおど)り」である。見る分には、嫌いじゃないけれども、日本人の骨格(こっかく)に合っていないから、習いたいとは思わない。

2013年2月4日月曜日

バレンタイン=デーに貰(もら)ったチョコレートをあちこちに横流しした結果、判明した女性の業(ごう)

 当校には、バレンタイン=デーあたりにたくさんの高級チョコレートが送られてきた。というのも、当校で作成した学習プリントを遠隔地に限り、無料で添付ファイルとして送信しており、劇的に成績が伸びた者の保護者がお歳暮やバレンタイン=デーにいろいろと送ってきたのである。

 1粒あたり200円以上が当たり前で、1gあたり170円というものもあった。こんなのを貰っていると、ゴディバGodivaが安物に感じてくる。

 生徒に食べられないようにと、シャンパンなどのお酒入りのものが多かった。同時に、生徒のみなさんとお食べくださいとばかりに、1粒あたりの単価が高くはない(とはいえ、1粒で、森永のミルクチョコレート2枚分)のをたくさん送ってくる場合もあった。

 1個200円の生チョコを好きなだけ食べていいぞと、教室に置いておいたら、男子小学生が「これはすごく美味(おい)しい!」とつぎからつぎへと食べていたので、「今、食べたので、1200円分になるぞ」と言ったら、まるで山梨県の国道で夜間に跳(と)び出してきた狸(たぬき)が自動車のヘッドランプに驚いて、立ち竦(すく)んだような顔をした。ちょっとおもしろかった。

 たくさんのチョコレートが届くので、生徒に分けたり、とりわけ高級なお歳暮やなにかをいただいた親御さんに横流ししたりした。その場合、家族構成を考えて、横流しした。

 1粒300円以上のチョコレートとなると、子どもが食べたいと言っても「あなたには味のよさがわからないから食べても無駄よ」とか「これはお酒が入っているから子どもには毒です」と言って、あげたりしなかったり、そもそも、高級チョコレートを横流しで貰(もら)ったことを子どもにも、ほかの家族にも教えず、自分ひとりだけで食べたりと、そんなことが判明した。35歳を超えて、そういうことをした例が数知れないのである。

 女の人は、どうして、それほどまでにチョコレートが好きなんだろうか?

 また、近所にある行きつけの雑貨屋の女性店員に事情を話して、大量に貰(もら)ったお裾分(すそわ)けだと言ってからあげると、たいへん喜ばれる。「気持ちが籠(こも)っていない高級チョコレート」は頗(すこぶ)る喜ばれるのである。尤(もっと)も、「気持ちの籠った高級チョコレート」をおっさんから貰ったら、さぞかし気持ち悪かろうが。

 なお、こんなふうに貰った高級チョコレートを横流しするし、超弩級(ちょうどきゅう)高級チョコレートを食べ慣れていることから、うちの生徒はだれもチョコレートはくれない

 そればかりか、「毎年、この1年間に食べたチョコレートでいちばん美味(おい)しいチョコが掃除機先生から貰ったものなのが悲しい」と言うので、「だったら、食べなきゃいいじゃん」と言うと「いえ、もう1個、いただきます」ときたもんだ。

 そんな当校も、今年は高級チョコレートは届きそうにない。

 というのも、中学校の英語教科書が改訂され、すべての学習用プリントを新たに作成しなければならなくなったので、有料での請(う)け負い作成でしか応じないという方針に変更し、問い合わせに対して、その旨(むね)をメールで返信したところ、再返信がなかったり、「考えさせていただきます」のまま、音沙汰(おとさた)がないものばかりになった。

 今年も高級チョコレートが食べられるのを期待している生徒がいたら、不憫(ふびん)であるなあ。

 ところで、以前に書いた以下の記事でレシピだけを送ってきたというのがあって、個人的にはたいそう気に入っている。

St. Valentine's Day ヴァレンタイデー:「もっとおいしいにんじんケーキの作り方」

追記:学習プリント有料化によって、今年は超高級チョコレートが届きそうにないということを述べたところ、女子中学生を中心に、英語の学習プリント無料配布を再開しろ運動が起こった。2012年度には中学校用の英語教科書が改訂され、2013年には高校1年生用の英語教科書が、2014年には高校2年生用のものが、ついで、2015年には高校3年生用のものが改訂されるので、生徒用のものだけで手一杯(ていっぱい)だから、どうしたって無理なんだけど。

2013年1月31日木曜日

日本人は、なぜ、摺り足(すりあし)が好きなのか?

日本人は、異常なまでに摺り足(すりあし)が好きである。弓道・相撲・剣道・柔道・茶道・日本舞踊など、摺り足(すりあし)だらけである。ところが、この摺り足は、コーカソイド(白人)が見ると、滑稽(こっけい)らしい。

日本人が摺り足を好む理由を調べたところ、答えは単純だった。

日本人の骨盤(こつばん)が後ろに傾斜(けいしゃ)しているからであった。

骨盤が後ろに傾斜しているから、足を高く上げると、後ろに倒れやすくなる。だから、日本では足を高く上げる舞踊(ぶよう)も武術も存在しない。

蹴(け)りを多用する空手があるじゃないかという反論がありそうだが、空手はそもそも日本生まれの格闘技ではない。支那で生まれた武術を琉球人が改良を加え、「唐手(からて)」と呼ばれていたものを「空手」と改め、船越義珍(ふなこしぎちん)が東京の渋谷にある松濤(しょうとう)で道場を開き、広めたものである。

第2次世界大戦後、連合軍が武術・武道を日本人に禁じ、空手も一旦(いったん)は入っていたが、日本的なものではないということで、早々に解禁された。その結果、日本古来(にっぽんこらい)のものではない空手の普及が進んだとする見方もある。

ネグロイド(黒人)は骨盤が前に傾斜しているそうであるし、コーカソイド(白人)は骨盤が直立なのだそうである。陸上競技の100メートル走では、ネグロイドは足を高く上げて走るが、一般の日本人がそれを真似(まね)ても無駄である。

そうしたことから、末續慎吾(すえつぐしんご)(200m走20.03秒)は、足をあまり上げない走法で、2003年の世界陸上パリ大会の200メートル走で3位となった。全盛期にはパトリック=ジョンソンPatrick Johnson(100m走9.93秒)とともに、「世界最速の非ネグロイド」と呼ばれた。勿論(もちろん)末續慎吾の場合、足を高く上げないだけでなく、蜥蜴(とかげ)が走るように身体(からだ)をぐねぐねと動かしたりと、ほかにもさまざまな工夫をしているけどね。

日本人は骨盤が後傾(こうけい)しているので、足を上げる文化が生じなかった。足を上げることがないので、着物が普及したとも言える。乗馬用の袴(はかま)などを除けば、足を上げられる服装は多くないようだ。

骨盤の後傾から、帝国陸軍や陸上自衛隊の行進でも、他国と較べてあまり足を上げない。尤(もっと)も、警視庁では、深く考えずに、どこかの国の行進を模倣(もほう)したらしく、無駄に足を高く上げる。この点で、軍隊と警察の真剣味(しんけんみ)の違いを見てとれそうである。

日本人のアイドル=グループは、持ち歌を唄うときに、手をよく動かすし、横への移動が多くなる。盆踊りと共通する動作・所作(しょさ)が多い。また、パラパラとかいうダンスも盆踊りと共通点が多い。パラパラでは足をあまり使わない。

足を高く上げるのは、下賤(げせん)の民(たみ)のすることだと日本人は無意識のうちに感じているのではないだろうか? 

日本人同士の喧嘩(けんか)でも、育ちが悪いやつや出自が悪いやつほど、蹴(け)りを使いたがる傾向があるが、育ちが幾分(いくぶん)よくなると、腕だけでしか反撃しなくなる。もっと育ちがよくなると、そもそも喧嘩はしないけどね。

但(ただ)し、ひとつ、謎(なぞ)がある。ももいろクローバーZである。紅白歌合戦に出場したということで、動画を見てみたが、無闇矢鱈(むやみやたら)と足を上げたり、跳(と)んだりしている。バレエを習っていたらしい女の子もいる。

私の考えでは、彼女たちの動作は、日本人が好まないものであるはずなのに、人気があるそうである。そうしたところ、つぎの答えが出てきた。

1) 整形していない割には、顔がいい。
2) 口パクではなく、生歌(なまうた)である(生歌ということばができるくらいに口パク全盛であるらしい)。
3) 日本人が足を高く上げたり、動きまわったりするのは新鮮である。

うーん、ももいろクローバーZの動画をYouTubeで見る分には、それなりにおもしろいのだけれど、その人気の高さは、私にとっては謎(なぞ)である。

2009年5月4日月曜日

年寄りのあつまりではピアノの弾けるじいさんがモテるらしいが……

 井上章一の『アダルト・ピアノ―おじさん、ジャズにいどむ』という著書を読んだ。井上章一は、国際日本文化研究センター教授で、『美人論』などで知られる。それにしても『アダル・トピアノ』というタイトルは、売れることを狙った編集者が考えたものではないかと勘ぐってしまうなあ。
 『アダルト・ピアノ』は、井上章一が41歳でピアノをはじめ、猛烈に練習して、そこそこに弾けるようになった奮戦記のような部分を含むものである。

 もともと、ジャズが好きだということもあったんだろうけど、話をおもしろくするために、ピアノを始めた動機を、モテるからだということにしている。
 まず、老人のあつまりで講演をおこなった際に、ピアノの演奏ができるじいさんがモテると知らされる。ついで、大阪のバーかどこかで、店のピアノを借りて、初老の男性がジャズピアノをやってみせたら、ホステスにモテていたのを目撃する。そこで、ピアノの練習を始めるわけだ。

 女性にモテる男性は、一般にはつぎの3種類である。

 音楽の上手な男性(ミュージシャン)
 スポーツが得意な男性(スポーツ選手)
 話術が巧みな男性(お笑い芸人)


 だから、ピアノのできるじいさんがモテると指摘されても、そりゃあそうだろうなとしか思わない。
 しかし、現役時代にどんなに素晴らしいスポーツマンであったとしても、80歳になれば、むしろ、スポーツをしていなかった人たちよりも、身体の衰えが激しいだろうから、高齢になってもモテつづけることはできなさそうだ。
 また、お笑い芸人がモテると言っても、耳の遠いばあさんは、ことばが聞き取れないので、モテなくなる。
 この2点から考えると、いつまでもモテるのは、楽器の演奏のできるじいさんとなるだろう。

 だからといって、40歳からピアノを始めても、それほどモテるようにはならないような気がする。
 バーのピアノでジャズを演奏してホステスにモテていた初老の男性に関しては、たとえば、2000年の時点で60歳だと仮定すると、1940年すなわち昭和15年生まれであり、昭和20年代に自宅にピアノがあったとすれば、相当な金持ちで、ずいぶんと「育ちのよさ」を感じ取れる。だから、ピアノの演奏だけで、ホステスにモテていたわけではなく、育ち・人柄など、ピアノの演奏以外のものを含めた総合評価としてモテていたのではなかろうか?
 やはり、40歳を超えてから、ピアノを演奏するようになっても、モテモテ度はそれほど向上しないのではなかろうか?

2009年4月17日金曜日

捕鯨とシー=シェパードと日本の食料自給率

 ベトナム戦争での枯葉剤(かれはざい)の影響が取り沙汰(ざた)されそうになったときにキッシンジャー国務長官Henry Kissinger(当時)が、視線を逸(そ)らせるために、捕鯨問題を取り上げたとはいえ、世界全体で考えれば、捕鯨反対の趨勢(すうせい)である。
 しかも、シー=シェパードSea Shepherd Conservation Societyなんていう、自称「海の自然・環境保護のために警備」を名目として、日本の捕鯨船に対して、明らかな違法行為を行なう連中もいる。義が相手になくとも、喧嘩を売られるのは面倒だから、捕鯨なんてやめればいいのに思うむきもあるのではないだろうか? 捕鯨が文化の一部としても、鯨肉がないと困るというわけでもないんだし……ってね。
 それでも、日本は捕鯨にこだわっている。文化の保持だけだとするには、無理があるような気がしないかな?
 ところで、日本の食料自給率はわずかに40%にすぎない。先進国としても、相当に低い。かといって、補助金ばら撒(ま)き行政で、食料自給率を上げるというわけにはいかない。
 人口爆発による食料難の時代がいずれは訪れるだろうし、今でも、オーストラリアでの旱魃(かんばつ)の発生などによって、小麦価格の急騰(きゅうとう)で、多方面が困惑するという事態にも陥(おちい)った。
 現時点での日本政府が捕鯨に対してこだわりを見せているのは、将来の食糧危機に備えてのものだと考えると、納得できるようだ。30年間、捕鯨をやめると、捕鯨技術というものは、廃(すた)れてしまう。食糧危機に備えて、捕鯨技術を維持するため、捕鯨を続けているのではないかと考えるのは妥当なものだといえよう。

2009年1月31日土曜日

人間とは道具を作る道具を作る動物である。 はぁ?

 「人間とは道具を作る道具を作る動物である」は、意識的にわかりにくく書いたものだが、もう少しわかりやすく書き直すとこうだ。

 人間とは、道具を作るための道具を作る動物である。

 人間の特徴として、古来から、火を使う・道具を使う・ことばを使うの3点が挙げられてきた。ギリシア神話や聖書からの影響である。いや、人間の素朴な感覚がギリシア神話や聖書に反映しているのであって、神話や聖書から、人間とは火と道具とことばを使う動物だと考えてわけではないから、ギリシア神話や聖書の影響とはいえないだろう。とはいえ、ギリシア神話や聖書に親しんでいる西洋人のほうが、直観的に理解するだろう。

 ことばを使うに関しては、たとえば、蜜蜂はダンスによって花の在り処を仲間に伝えるから、人間だけにかぎった特徴とはいえない。

 火の使用については、火をおこせなくとも、たとえば日本猿は焚(た)き火にあたることができなくもないから、人間の特権とは言いがたい側面がなくもない。しかし、火をおこすことは人間にしかできない。

 道具に関しては、数多くの動物が道具を使っている。ラッコは背泳ぎをしながら胸の上に石を載せ、前足で持った貝を石にぶつけて、中身を取り出して食べる。また、エジプトハゲワシは石をくわえて、駝鳥の卵にぶつけて、割って食べる。加工はしていないが、道具の使用といえる。
 野生のチンパンジーは、木の枝を折って、葉をむしり取り、白蟻の巣の穴に差し込んで、白蟻釣りをする。この場合、葉をむしり取るなどの行為がみられるので、道具を製作した上で、使用しているといえる。
 こうなると、道具の使用が人間の特徴といえなくなる。しかし、道具にちょっとこだわると、つぎの観点をわれわれは獲得できる。すなわち、人間とは道具を作るための道具を作る動物である、と。確かに、道具を作る道具を作る動物は人間のほかにはいない。

 道具を作るための道具ってのは、つまりは、工作機械だな。ということは、工作機械メーカーはすぐれて「人間的な」企業であり、「人間らしい」企業ってことになる。
 ついでに国別工作機械の生産量を調べてみたところ、日本とドイツがトップ2で、いずれも輸出量が多い。ということは、日本とドイツはすこぶる「人間的な」国家であり、「人間らしい」国家ということになる。
 「人間らしい」ということばの使い方がちょっと変な気がするけど。

 ところで、火をおこすのは人間にしかできないのであれば、「放火」はきわめて「人間らしい」犯罪ということになると思ったけど、理性のない存在には罪は問えないから(人が石につまずいて転んでも、石に責任は問えない)、この点からすれば、犯罪そのものが「人間的」といえなくもないんだけど。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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