人間とは、道具を作るための道具を作る動物である。
人間の特徴として、古来から、火を使う・道具を使う・ことばを使うの3点が挙げられてきた。ギリシア神話や聖書からの影響である。いや、人間の素朴な感覚がギリシア神話や聖書に反映しているのであって、神話や聖書から、人間とは火と道具とことばを使う動物だと考えてわけではないから、ギリシア神話や聖書の影響とはいえないだろう。とはいえ、ギリシア神話や聖書に親しんでいる西洋人のほうが、直観的に理解するだろう。
ことばを使うに関しては、たとえば、蜜蜂はダンスによって花の在り処を仲間に伝えるから、人間だけにかぎった特徴とはいえない。
火の使用については、火をおこせなくとも、たとえば日本猿は焚(た)き火にあたることができなくもないから、人間の特権とは言いがたい側面がなくもない。しかし、火をおこすことは人間にしかできない。
道具に関しては、数多くの動物が道具を使っている。ラッコは背泳ぎをしながら胸の上に石を載せ、前足で持った貝を石にぶつけて、中身を取り出して食べる。また、エジプトハゲワシは石をくわえて、駝鳥の卵にぶつけて、割って食べる。加工はしていないが、道具の使用といえる。
野生のチンパンジーは、木の枝を折って、葉をむしり取り、白蟻の巣の穴に差し込んで、白蟻釣りをする。この場合、葉をむしり取るなどの行為がみられるので、道具を製作した上で、使用しているといえる。
こうなると、道具の使用が人間の特徴といえなくなる。しかし、道具にちょっとこだわると、つぎの観点をわれわれは獲得できる。すなわち、人間とは道具を作るための道具を作る動物である、と。確かに、道具を作る道具を作る動物は人間のほかにはいない。
道具を作るための道具ってのは、つまりは、工作機械だな。ということは、工作機械メーカーはすぐれて「人間的な」企業であり、「人間らしい」企業ってことになる。
ついでに国別工作機械の生産量を調べてみたところ、日本とドイツがトップ2で、いずれも輸出量が多い。ということは、日本とドイツはすこぶる「人間的な」国家であり、「人間らしい」国家ということになる。
「人間らしい」ということばの使い方がちょっと変な気がするけど。
ところで、火をおこすのは人間にしかできないのであれば、「放火」はきわめて「人間らしい」犯罪ということになると思ったけど、理性のない存在には罪は問えないから(人が石につまずいて転んでも、石に責任は問えない)、この点からすれば、犯罪そのものが「人間的」といえなくもないんだけど。
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