2009年7月22日水曜日

勉強ができると徴兵を避けられた。

 学徒出陣(がくとしゅつじん)に関するものを読んだり、映像を見たりすると、第2次世界大戦末期には、兵隊が足りないということで、26歳までの兵役猶予(へいえきゆうよ)のあった大学生も徴兵(ちょうへい)となったという。
 ところが、国立大学理系学生は、そんな時期でも徴兵されなかった(例外あり)。
 当然、合法的に兵役を忌避(きひ)したい場合には、兵役猶予が認められるところに進学すればよかったのである。
 兵役猶予を狙って、国立大学理系学部に進学し、戦後は、本来、自分がしたかった勉強をするために、文系学部に移ったという学生もいる。
 そういえば、自分の出身高校(和歌山県立橋本高等学校)には、在籍当時、大阪大学医学部中退の数学教師がいた。自分が在籍していた数学部の顧問だった。
 どうして、医学部を中退したんですかと訊ねたところ、つぎのような内容の答えだった。

医者になりたかったわけではなかった。兵役猶予のために国立大学理系学部に進学しようとしたが、それほど勉強が得意ではなかったので、大阪大学医学部くらいしか合格できなかった。医師優遇税制が導入される前は、医者になるというのは、大学で6年もかかる上に、収入もすこぶる低かった。だから、当時(たぶん、昭和16年か17年あたり)、理系学部の人気は、(1)工学部(2)農学部(3)理学部(4)医学部の順に高く、医学部は理系学部で不人気をきわめていた。だから、大阪大学医学部だからといって、勉強が得意というわけではなかった。兵役猶予のためだけに医学部に進学したにすぎず、医学の勉強に興味がもてなかったので、戦争が終わったら、さっさと中退して、高校の教師になった。

 数学部の顧問はこうした話を衒(てら)うことなく、さらりと話すので、私は常日頃(つねひごろ)、敬服していた。

 それはともかく、勉強ができれば、兵役猶予を選ぶことができたわけである。兵役猶予を狙っていないから私立大学文系に進学した学生というのは、考えづらい。兵役猶予を考えていないのであれば、大学なんぞに進学せず、とっとと志願しているはずである。志願していないということは、兵役を避けたかったが、安全確実な国立大学理系学部に進学することができなかった連中が私立大学文系だったのではないか。
 いざとなれば、死なれても、国家としては最も困らないのが私立大学文系の学生ということか。たぶん、そうだろう。

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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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