2013年11月26日火曜日

ベトナム軍の強さ(2/2)―そして、フランスは貧乏になった―

ベトナム軍が戦(いくさ)に強いのは、帝国陸軍の軍事教練と軍事マニュアルによる。

1946年から1954年に亘(わた)っての戦いの後(のち)、フランス軍は撤退(てったい)した。

すると、翌年、ベトナムごときを相手に、フランスが撤退したということで、アフリカなどにあるフランスの殖民地が蜂起(ほうき)し、1960年には、アルジェリアを除けば、すべて独立した。

フランスは、アルジェリアだけはどうしても手放したくはなかった。かなり見苦しい対応をした。それでも1962年には独立を認めざるをえなくなる。

大東亜戦争によって、英国とオランダは殖民地を悉(ことごと)く失った。その結果、英国は経済力が半分に、オランダは3分の1になった。貧困に喘(あえ)ぐようになった。

ある年齢から上になると、日本を相当に恨(うら)んでいる英国人やオランダ人がいなくもない。

英国に到(いた)っては、動物性蛋白質(どうぶつせいたんぱくしつ)が足りなくなり、泣きながら、鯨(くじら)の肉を食べていた。英国の捕鯨反対運動の起源はこのあたりにあるのではないだろうか?

一方、英国人とはちがって、日本人は喜んで鯨肉(げいにく)を食べていたのみならず、学校給食では「鯨の龍田揚(たつたあ)げ」という名前で海豚(いるか)の肉も喜んで食べていた。

フランスも、英国やオランダと同様に、殖民地を失うことで、経済力が圧倒的に低下した。

しかし、ベトナム軍の強さが、帝国陸軍による軍事教練と軍事マニュアルによるものだとは思っていないので、英国やオランダほども日本を恨(うら)んでいないようだ。

フランスでの柔道の競技人口は日本よりも多く、杖道の道場も20くらいはあり、むしろ、親日的であるようだ。

また、2010年に開催された第1回世界弓道大会では、団体の部の初代王者は、フランス代表だった。

話は逸(そ)れるが、団体の部の日本代表は予選敗退だった。個人の部の初代王者は、フェリックス F. ホフFeliks F. Hoffというドイツのじいさんだった。戦後、GHQによる武道教育禁止の影響がまだ残っているような気がする。

さて、自分たちが貧乏になったのは、ベトナムにいた元・日本兵のせいだったと知って、それでも親日的なままのフランス人はどのくらいいるのだろうか?

前編→ベトナム軍の強さ(1/2)―帝国陸軍による軍事教練と軍事教本だった―

0 件のコメント:

ブログ アーカイブ

自己紹介

自分の写真
和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

人気の投稿

pageTacker

フォロワー

StatCounter

ashi@