2012年12月25日火曜日

神風特攻隊は、本当は、きわめて有効で効率的な作戦なんじゃないかと思ったのだが……

特別攻撃隊、所謂(いわゆる)、特攻隊は、本当は、きわめて有効、且(か)つ効率的な作戦だったのではないかと思うようになった。

特攻隊といえば、帝国海軍による神風(かみかぜ)特別攻撃隊ばかりが有名だが、帝国陸軍も特攻を敢行(かんこう)している。振武隊(しんぶたい)という。

関係ないが、神風は「しんぷう」が正式な読み方だったが、NHKのラジオのアナウンサーが間違えて「かみかぜ」と読んだので、それが定着したそうである。

小学校のときに、神風特別攻撃隊・陸軍特別攻撃隊は犬死(いぬじに)であり、無駄死(むだじに)であったと習った。アメリカ合衆国海軍につぎからつぎへと撃墜され、「七面鳥の踊(おど)り撃ち」だったと教えられた。七面鳥はよたよたと歩くので、簡単に狙撃(そげき)できるということに由来するものらしい。

のちに、マリアナ沖海戦でのことを、アメリカ軍が「マリアナの七面鳥撃(しちめんちょうう)ち」と呼んでいたということを知った。特別攻撃隊のことではなかった。

私が幼少のときの漫画誌(たぶん、『少年マガジン』だったと思う)に、特攻隊を描いた漫画が掲載されていた。それによれば、100機出撃して、特攻を成功するのは、0.5機だとあった。言い換(か)えれば、200機が出撃してもたったの1機しか、敵の艦艇に体当たりできなかったということになる。

しかし、それが本当ならば、特別攻撃隊そのものが異常なまでに効率が悪いものになる。資材や人材が枯渇(こかつ)している状態でそんなことを続けるのは、愚(おろ)かでしかない。通常の戦闘を続けているほうがよっぽどましだ。

これはおかしい。いくらなんでも、そこまで帝国陸海軍が馬鹿だったとは思えない。

実際には、200機に1機しか体当たりできなかったというのは、連合国による戦後の情報操作によるものらしい。

特別攻撃を続けているということは、それなりのメリットがあったということになると考えるが普通であろう。実際のころ、体当たり攻撃は成功していた。

特別攻撃隊のことを、当時の日本の状態からすれば、最も効率のよい作戦であったと高く評価したアメリカ合衆国海軍の将校がいた。

立派な軍人というものは、戦争が終われば、妙な駆け引きなしに、好敵手(こうてきしゅ)のことを賞賛する(英国軍のマウントバッテン卿(きょう)などを除く)。立派なスポーツマンと同じだ。だから、あながち、妥当性(だとうせい)のない見解ではなさそうである。

また、ニミッツ提督(ていとく)が、1日あたり1.5艦の艦船を失っているから、早急に艦艇の補給をするようにと本国に依頼したという記事を読んだことがある。

1日あたり1.5隻(せき)であるのだから、10日で15隻、100日で150隻となる。これは大したものだ。300日なら、450隻となる。

事実、戦争末期になると、アメリカ合衆国は艦船を製造するのに、コンクリートを使うようになっている。艦船の損害が激しく、鉄鋼の製造が間に合わなくなり、コンクリートを使わざるをえなくなっていた。

したがって、特別攻撃隊は相当に効率のよい攻撃であったことになる。

また、特別攻撃隊によって、アメリカ合衆国海軍の兵士の2万8千人が発狂したという。

ある艦艇では、精神上のものも含めて健常な乗務員が30%しかいなかったという場合もあったという。3分の2以上がおかしくなっていたのだ。

ついでに、つけ加えておくと、沖縄戦では、2万人以上の兵士が発狂したそうだ。

なんだか、精神的に脆(もろ)い連中だな。

不謹慎(ふきんしん)ながら、笑ってしまったことがある。

特別攻撃隊は基本的に空母などを狙っていた。空母や戦艦、巡洋艦(じゅんようかん)を狙(ねら)うのは当然である。

ところが、敵に撃たれ、本来の標的に辿(たど)りつけなくなった特攻機は、手近な標的として近くにある駆逐艦に突っ込む場合もあった。250㎏の爆弾を抱えて突っ込むには、駆逐艦が対象では効率はよくない。

駆逐艦の乗務員からすれば、特別攻撃隊は空母などの大物(おおもの)を狙うものであって、駆逐艦のような小物(こもの)を狙(ねら)うわけがないと思っているので、自分が乗船している駆逐艦に特攻機が突っ込んでくるとなると、異常なまでのパニックに陥(おちい)ったそうだ。

それほどまでに、精神的なダメージを兵士たちに与えていたようである。

精神的なダメージは、兵士のみならず、アメリカ合衆国国民にもありうると考えたアメリカ合衆国政府は、特別攻撃隊のことを戦後まで知らせなかった。

そりゃそうだろう。太平洋戦線に出兵した愛すべきわが子が日夜、250㎏の爆弾を、ときには500kgの爆弾を抱えて突っ込んでくる航空機に悩まされていると知れば、即時の停戦や講和をしろとアメリカ合衆国国民が言い出したにちがいない。

特別攻撃隊のことをアメリカ合衆国が自国民に知らせなかったということは、特別攻撃隊は相当に相手を苦しめたということの傍証(ぼうしょう)にならないのだろうか。

では、物理的なダメージはどうなのだろうか。

これが正確なところがわからない。大日本帝国海軍とアメリカ合衆国海軍とで、特別攻撃隊の戦果が著(いちじる)しくちがう。アメリカ合衆国海軍の発表では、艦艇の損害は、日本のものよりも少ない。

戦史家などが、さまざまな文献などを駆使して、どれほどの損害を特別攻撃隊が与えたのかを記述しているが、数値はばらばらである。

とはいえ、アメリカ合衆国軍にあっては、大東亜戦争末期には、鉄鋼が足りなくなり、新造艦艇にコンクリートを使わざるを得なくなっている。戦闘機のパイロットが不足し、挙句(あげく)には女性パイロットも使わざるを得なくなっている。

1945年の2月には、アメリカ合衆国から、一旦(いったん)、講和を持ちかけられもしている(が、帝国海軍が本土決戦になればこちらが有利と考えて、拒否している)。アメリカ軍は本土決戦になれば、900万人の兵力を投入しなければならず、損害は少なく見積もって100万人もの死傷者が出ると考えていた。そういうことになれば、ベトナム戦争のように、国内からの反戦運動が活発になるのは目に見えている。

ちなみに、ベトナム戦争では、アメリカ軍は圧倒的に勝利していた。ベトナムが降伏しない状態が続いたので、反戦運動が国内で巻き起こり、国際世論も、社会主義国家や共産主義国家が蔓(はびこ)るのを防ぎ、自由主義を守るためだとしても、いい加減にしたほうがいいんじゃないかとなった。

原子爆弾を使用せずに、通常兵器で戦争を継続していれば、ベトナム戦争と同じような事態に陥(おちい)っていたであろう。

だからこそ、原子爆弾を2発も落とさねばならない状態に追い込まれていたといえるのではないだろうか? つまり、原子爆弾を落とさざるを得ないほどに手こずったのではないか?

特別攻撃隊の存在そのものを崇拝(すうはい)している輩(やから)は、効率性や数値には興味がないようだ。祖国のために自らの生命(いのち)を投げ出したことそのものが尊(とうと)く、素晴らしいと考えているので、どの程度の損害を相手に与えたのかは、どうでもよい問題であるらしい。

それはともかく、どうして、戦後67年も経っているのに、アメリカ合衆国海軍は特別攻撃隊による正確な損害を公表していないのだろうか? もっとも、50年経てば、すべての機密文書は公開されるので、丹念(たんねん)に資料(しりょう)あるいは史料(しりょう)を漁(あさ)れば、特別攻撃隊による被害の全貌(ぜんぼう)は明らかになるだろうが。

公表しない理由はただひとつだ。

公表すると、自国の海軍に不利益を齎(もたら)すからである。

特攻隊員5845人で、そこまでの損害を受けたとあれば、実質的に敗れていたも同然であったとすると、これは隠し通すしかない。また、圧倒的兵力を以(も)ってしても、日本の特別攻撃隊と同じことをされれば、アメリカ合衆国海軍ならびに陸軍は、きわめて苦しむのだとすれば、事実を大っぴらに公表するわけにはいかない。

以上のことから、特別攻撃隊は、すこぶる効率のよい作戦であったと考えることはできないのだろうか?

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追記(2013年7月9日):
「カミカゼ特攻機の戦果」というウェブページを見つけた。
↓リンクはここ。
「カミカゼ特攻機の戦果」

また、特攻隊によって戦死したアメリカ軍の兵士は5000人を超えるという史料を目にしたことがある。これが正しいとすれば、負傷によって兵士としては使い物にならなくなったのは、少なく見積もって、5000人くらいはいるだろう。すると、これだけで、10000人となる。そこに、発狂した28000人を加えれば、38000人となる。5845人の特攻によって、38000人の兵力を削ぎ落したのだから、神風特別攻撃隊は、きわめて効率のよい攻撃方法であったといえるだろう。

さらには、保守陣営のなかには、神風特攻隊戦争抑止理論を唱える者もいる。日本人はいざとなれば特攻作戦を実行する国民なので、戦後、どの国も日本を攻撃しなかったとする理論である。この考えの妥当性については、私にはわからない。

また、マッカーサー元帥は天皇陛下を処刑するつもりだったが、天皇陛下が皇室の有価証券などを持ってきて、私は処刑されてもかまわないから、国土が荒廃して苦しんでいる日本国民を助けてやってくれと言ったから処刑するのをやめたとされるが、天皇陛下を処刑して、再び、カミカゼ特攻をされてはかなわないと考えて、処刑するのをやめたという説もある。本当のところは私にはわからないが……。

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早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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