2014年5月27日火曜日

東京都23区内でむやみに路地が多く、道路がみょうに曲がっている地域

杉並区や世田谷区では、どうしてこんなに狭隘(きょうあい)な路地が多いのかとか、どうしてこうも不自然な曲がり方をしているのかという道路が少なくない。

ずっと不思議だったのだけれども、あるとき、気がついた。

このあたりは、第2次世界大戦当時、空襲に遭(あ)っていないのではないかと。

調べてみると、杉並区や世田谷区は、実際、ほとんど空襲されていなかった。

東京大空襲といえば、10万人くらいが亡くなったという大虐殺(だいぎゃくさつ)であった。しかし、当時の東京都内の人口からすれば、8人にひとりくらいしか死んでいない。アメリカ軍も効率の悪いことをしていると思ったことがある。

ところが、最も名高い1945年3月10日の東京大空襲で、大いに被害を受けたのは、今の江東区・墨田区・台東区・中央区・港区あたりだった。人口密集地(じんこうみっしゅうち)だけを狙(ねら)ったのである。

激しい空襲に曝(さら)された地域では、1平方メートル当たり、3発の焼夷弾(しょういだん)を喰(く)らっている。

こうした地域では、東京大空襲での生存率はどのくらいのものだったのだろうか?

話は逸(そ)れるが、日本の木造家屋(もくぞうかおく)を焼きつくすために焼夷弾が使用されたという印象が強いが、当初の空襲では普通の爆弾を使っていたようだ。

それはともかく、一方、空襲されていない地域が多い杉並区の場合、たとえば、当時の「荻窪村(おぎくぼむら)」などは、「疎開先(そかいさき)」となっていたくらいである。

都内で、狭い路地が多く、みょうな曲がり方をしている地域は、概(がい)して、空襲の被害には遭(あ)っていないようである。農道だったものがそのまま残っている場合が少なくないらしい。

そして、そうした地域の住人は、比較的のんびりしているような気がする。

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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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