2016年1月1日金曜日

Kawasaki KSR 110

カワサキKSR110を手に入れた。

ひとり乗り専用車だ。後ろに女は乗せられない。「男カワサキ」だからな。

レース仕様のキャブレターのせいで、雨の日には乗れない。「男カワサキ」だから。

ちんたら走ると調子が悪くなる。「男カワサキ」だから。

東京23区内だと1速と2速で間に合う。どうして、5速まであるのか。「男カワサキ」だからな。

2015年12月24日木曜日

つい、うっかり、こんなものを買ってしまった。

ローストビーフを買った。

ローストビーフは、そもそも、イングランドの労働者階級が安い赤身の肉をおいしく食べるためにしつらえた食べ物である。グレイビーソースで味をごまかして、おいしく食べた気になるためのものである。

本来は、安価な赤身の肉をおいしく食べるためのものを、田村牛を使ってローストビーフにしている。

田村牛って、松阪牛並みのもので、そのローストビーフは、世界最強であるにちがいない。

ひと切れで400円になる。

だが、それほどの肉にグレイビーソースをかけては台なしになる。肉本来の味が紛(まぎ)てれてしまう。

添付されている調味料はホースラディッシュだった。

2015年10月14日水曜日

お肉を柔らかく焼く方法

専業主婦でも知らない人が少なくないので、お肉を柔らかく焼く方法について認(したた)めよう。

まず、フライパンを熱して、油を引く。

お肉を投入してよいくらいになったら、そこで一旦(いったん)、火を止めて、充分に冷えるまでフライパンを置いておく。

冷えた状態のフライパンにお肉を投入して、そのまま焼く。

これだけで、普段よりもお肉が焼きあがる。

一般の飲食店がこの方法で調理しないのは、フライパンを冷ますための空間と時間とが必要となり、効率が悪くなるからである。

2015年10月9日金曜日

脳梗塞(のうこうそく)になった近所のおじいさんの話

初めて目にしたとき、そのおじいさんは実にゆっくりと歩いていた。

買い物に出かけて、20分後に戻っても、5メートルくらいしか進んでいなかった。

そのおじいさんは脳梗塞で右半身が不自由になっていたようだった。

朝・昼・晩と、毎日、只管(ひたすら)、歩いていた。歩くことがリハビリであるようだった。

1年も経つと、歩く速度が随分(ずいぶん)と速くなっていた。

ある日、単車で走っていたら、「あのおじいさんがこんなところを歩いている」というのに出喰(でく)わした。信じられないくらいに遠くまで出かけていた。

こんなところまで歩いて来られるくらいになったのだなと感心した。

それから暫(しばら)くして、自宅に戻ったら、そのおじいさんはタクシーで帰宅した。

タクシーを使わないと戻つて来られないくらいに遠くまで歩いて行けるようになっているということに、私は大層(たいそう)感動した。

その後、そのおじいさんは、タクシーを使わないと戻れなくなるほども遠くに出かけたことに懲(こ)りたらしく、自宅周辺をぐるぐると廻(まわ)るようになった。

2015年10月8日木曜日

「これが伝統の力というものか❗」と日産の技術者は言った。

ル=マン24時間レースに参加していた頃、日産はポルシェPorscheのレース用エンジンを2基、購入した。当時のポルシェは1基あたり10億円出せば、だれにでも売ってくれた。

ひとつはテスト用に使用し、もうひとつは分解してどんな秘密が匿(かく)されているのかを調べようとした。

ところが、電子制御などの先進技術はなにもなかった。「工夫(くふう)」というものさえなかった。昔ながらの構造のエンジンだった。旧来のものをただ極度に洗練しただけのものだった。

日産の技術者たちは唖然(あぜん)とした。

「これが伝統の力というものか❗」と日産の技術者は言った。

しかしながら、「伝統の力」に胡座(あぐら)をかいたせいで、今の日産のGT-Rに対費用効果で上回るものが製造できなくなっている。

2015年10月7日水曜日

TAKEO KIKUCHI のジーンズを古着屋で300円で買った。

TAKEO KIKUCHI (菊池武夫)のジーンズを、BAZZSTORE (バズストア)江古田店という古着屋で300円(税込み324円)で買った。

単に日本製というだけでなく、株式会社ワールドの製品なので、たぶん、新品なら2万円くらいの品物だろう。

BAZZSTORE という古着屋は、最近、店舗を増やしている。店舗を増やしすぎて、目利(めき)きが足りないのだろう。

西武新宿線沼袋駅の商店街にあるコリエ=リフォーム=スタジオという店で、裾(すそ)あげをしてもらった。840円だった。

その店の人も、300円という値(ね)づけに呆(あき)れていた。

日本人の体型の特徴を研究しつくしているので、菊池武夫のジーンズは、穿(は)いていて、楽だよ。

2015年10月5日月曜日

手抜きうどん

「手抜きうどん」の看板のある手打ちうどんの店が、環状7号線の杉並区高円寺南5丁目あたりにある。

2015年10月1日木曜日

吹石一恵が特定の年齢層には魅力的に見える理由

吹石一恵がデビューして間もないころ、清純派女優として、中高年が読者層のグラビアを飾るの見て、それほどの美人ではないのに、なぜ、あちこちから仕事が舞い込むのが不思議だという意味のことを言っていたので、理由を説明した。

元・近鉄バファローズの内野手である吹石徳一(ふきいしとくいち)の娘だからである。あのいかつい顔の吹石徳一から、あのくらいに素晴らしい容姿の娘さんがいれば、実際の美人度の5割増しに見える。

週刊誌の編集者は、「吹石一恵そのもの」を見ているのではなく、「吹石徳一の娘なのに美しい一恵さん」として見ていた。この視点がわからなければ、謎のグラビア起用としか思えなくなる。

逆に、父親が優男(やさおとこ)系の美男子の場合、その娘が可愛(かわい)くても、美人でも、3割減の評価になってしまう。

母親の場合は、ややこしい。

母親が娘よりずっと美人である場合、自分はこの娘(こ)のことを綺麗(きれい)だと思っていたが、それほどでもなかったんだと思ってしまう。

反対に、母親がデブで不細工(ぶさいく)で、かつ、若いころの写真が今の娘と似ていた場合、つきあっている男性は「この娘(こ)も将来はこうなっちゃうんだろうか?」と苦悶(くもん)する。

娘の将来を考えると、「いかつい顔つきの父親」がいちばんであるようだ。

ところで、吹石一恵と福山雅治とが結婚したそうだが、福山雅治が15歳のとき、吹石徳一は近鉄バファローズの現役選手だった。

まさか「いかつい顔つきの父親マジック」に嵌(はま)ったんじゃないよね。

http:/m.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/05/jpeg/G20121105004492050_view.jpg

2015年9月29日火曜日

特攻の街:荻窪(おぎくぼ)

知り合いのおばあさんと話していたら、こんな話がでてきた。
「近所の2つ年上と3つ年上の戦闘機乗りは、全員、特攻で死んだんですよ」
どこかの地方の町か村かで、2歳年上・3歳年上の戦闘機乗りが4人くらいしかいない程度の田舎での話だろうと思って、出身地を訊(たず)ねた。
杉並区荻窪(おぎくぼ)だった。
荻窪には帝国陸軍の職業軍人が多く住んでいた。今とはちがって、戦前の、というか、高度経済成長の前までの荻窪は、ただの田舎だった。明治時代・大正時代と、多摩地区の扱いであった。だから、土地が廉(やす)かった。
荻窪には中将通(ちゅうじょうどお)りというものがある。杉並区立中央図書館の東側の道路で、荻窪団地あたりまで南下する道路である。帝国陸軍中将の自宅があった通りで、帝国陸軍の将校が多く住んでいた。
中将通りではないが、226事件で、陸軍大将・渡辺錠太郎(わたなべじょうたろう)は、杉並区上荻窪312番(現在の上荻2丁目7番地)の自宅で襲撃され、殺害された。
荻窪周辺には職業軍人が多くいた。したがって、その子弟も多くいた。
帝国海軍では、特別攻撃、所謂(いわゆる)神風特攻隊は、最初から志願制であったが、帝国陸軍にあっては、志願制にすると、全員が志願し、混乱する可能性があり(帝国海軍では、突撃攻撃隊に志願したのに選ばれなかつた戦闘機乗りの落胆ぶりはすごかったし、最初のほうの特別攻撃作戦で選ばれた者は、とりわけ、名誉なことと考えた)、帝国陸軍航空隊の一員であれば、志願するのが当然ということて、当初は指名制だったけれども、途中から志願制に変わった。
神風特別攻撃隊は帝国海軍のもので、帝国陸軍では、振武隊という名称であった。振武隊の「振武」とは「武に振(ふ)るう」という意味である。
戦闘機乗りとなった近所のお兄さんたちが、次から次へと、そして、最終的には全員が特攻で戦死していくというのは、稀有(けう)な経験だろう。
荻窪の街を単車や自動車で走ると、いつも、このことを思い出して、ほんのちょつと敬虔(けいけん)な気持ちになる。
全員が特攻で戦死したとき、どういう気持ちだったかを、そのおばあさんに訊(たず)ねてみた。
「私も頑張(がんば)らなくてはと、本土決戦に備えて、終戦まで毎日、薙刀(なぎなた)の稽古(けいこ)をしていました」と言った。
そのおばあさんは軍国少女だつた。

2015年9月7日月曜日

「今のは、おやすみのキス? そ・れ・と・も……」と彼女は言った。

「笑い」の感覚は人によってまったく違う。

18歳のときに、フランス人の女の子とデートした。

彼女を送って、下宿の玄関の前で、キスをした。唇(くちびる)に軽くキスをした。

「ねえ……。今のは、おやすみのキス? そ・れ・と・も……」
'Well....  Is that a goodnight kiss?  Or....'

その後(あと)、私たちは黙(だま)ったままでいた。

「Is that...?のところは、過去形か、あるいは現在完了にしなければいけないんじゃないのかな?」と私は思っていた。

一方、彼女は「『おやすみのキス』の反対のことばは、何だっけ?」と考えていた。

私たちふたりは、初(はじ)めから違う方向を見ていたのだろう。


あることをきっかけにして、30年以上も前のこのことを思い出したわけなんだけどね。

それから、このことを話してみたところ、男性はくすっと笑って、「気の利(き)いたことをいう娘さんだね」とか、「おもしろいことを言うねえ」とか、そういう反応をした。

ところが、女性の場合、なぜか、全員が大笑いした。10代後半から80代まで、爆笑した。

近所のスーパーマーケットで、後ろにほかのお客さんがいないときに、馴染(なじ)みのレジのおばちゃんに「今のは、おやすみのキス? そ・れ・と・も……」の話したところ、そのおばちゃんだけでなく、残りのレジのおばちゃんたちも大笑いして、レジ全部が5秒ばかり崩壊(ほうかい)した。

なぜ、そんなにおもしろいのか、私にはさっぱりわからないままである。

2014年7月11日金曜日

三輪素麺(みわそうめん)が揖保乃糸(いぼのいと)より太かった理由

三輪素麺(みわそうめん)は奈良県桜井市を中心とする三輪地方で製造されており、素麺発祥(そうめんはっしょう)の地とされる。

しかも、「三輪そうめんの池利」は、ウェブサイトによれば、「大正13年昭和天皇御成婚、昭和3年嚝古(こうこ)[=前例のない]の御大典(ごたいてん)、昭和7年大和平野(やまとへいや)[=奈良盆地]での大演習行幸(だいえんしゅうぎょうこう)の砌(みぎり)前後3回にわたりまして、 弊社謹製(へいしゃきんせい)素麺を献上。以来毎年、皇居をはじめ各宮家(かくみやけ)の皆様にご嘉納(かのう)頂(いただ)いております」とのことである。

日本小麦(にほんこむぎ)は中力粉(ちゅうりきこ)や薄力粉(はくりきこ)に分類されるもので、外国品種の強力粉(きょうりょくこ)と較(くら)べて、グルテンが少ない。当然のことながら、グルテンが少ないと日本小麦(にほんこむぎ)を用いて、素麺や饂飩(うどん)を作れば、強力粉の場合とちがって、コシが弱くなる。

だから、江戸時代の素麺や饂飩は、現在、多数派を占(し)めるものよりも、コシが弱かった。

かつての三輪素麺の標準的な太さは、日本小麦で生産できる限界の細さであった。その伝統を守り続けていた。素麺発祥(そうめんはっしょう)の地としての誇(ほこ)りもあったのであろう。

そこへ、外国品種の小麦を使って、揖保乃糸(いぼのいと)が擡頭(たいとう)した。

三輪素麺の太さは、冷麦(ひやむぎ)との差が小さく、揖保乃糸(いぼのいと)の細さが際立(きわだ)った。

すると、揖保乃糸くらいに細いほうが、素麺らしいと感じる人が増えた。

私自身は奈良県桜井市の近くにある和歌山県橋本市出身なので、子どもの頃(ころ)から、素麺といえば、三輪素麺であった。

あるとき、揖保乃糸が好きな友人に三輪素麺をご馳走(ちそう)したら、「なんや、この太さ、冷麦やんか」と言われたことがある。

一旦(いったん)、揖保乃糸の細さが、なんとはなしに、素麺の標準だと感ぜられるようになったらしい。

しかも、揖保乃糸は450以上の業者による協同組合の統一ブランドであり、組織力があるらしく、東京では三輪素麺は見かけることが少なく、コンビニエンス=ストアでは揖保乃糸ばかりである。

近所にある高級食材スーパーマーケットでは、揖保乃糸は3種類、販売されているが、三輪素麺は享保(きょうほう)2年創業の「三輪そうめん山本」のもので、3年間、蔵で寝かせた大古(おおひね)と呼ばれる「山本の土藏囲(どぞうがこ)い」(これは細麺(ほそめん))だけである。

揖保乃糸のおかげで、素麺は細ければ細いほどよいという傾向が出てきた。

すると、「三輪そうめん山本」は、0.3mmという超極細麺(ちょうごくさいめん)で、茹(ゆ)で時間30秒の「銘品(めいひん)白髪」[たぶん、「しらが」ではなく「はくはつ」と読むと思う]や茹(ゆ)で時間1分の極細麺(ごくさいめん)の「白龍はくりゅう」を販売するようになったが、しかし、長崎県の業者に委託生産(いたくせいさん)してもらっているので、「三輪素麺」と称(しょう)することはできない。

こうした細さの闘(たたか)いの一方で、徳島県つるぎ町半田(はんだ)地区の半田素麺(はんだそうめん)は、素麺は1.3mm以下であるはずなのに、1.4mmから1.6mmの太めの素麺を製造している。

茹(ゆ)で時間が、3分30秒から5分というのは、もはや素麺とは言えないのではないかと思うのだが、これはこれで、個人的に好きだ。

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2014年7月3日木曜日

集団的自衛権に抗議をして焼身自殺を試みた人について

集団的自衛権に抗議をして新宿駅南口で、焼身自殺を試みた人について疑問に思うことがある。

日本人というのは、謝罪や反省、抗議をするときには、切腹する民族である。

この点から、集団的自衛権に抗議をして新宿駅南口で、焼身自殺を試みた人っていうのは、日本人としては、ものすごく奇妙な感じがする。

2014年7月1日火曜日

アマンディーヌ あるいは2つの庭

Amandine ou les deux jardins par Michel Tournier
アマンディーヌ あるいは2つの庭 作:ミシェル=トゥルニエ


日曜日
 私は青い目をしていて、真っ赤な唇をしています。薔薇色(ばらいろ)のほっぺはふっくらとしていて、金色の髪は波打っています。私はアマンディーヌといいます。大きな鏡に映った自分を眺めると、まるで10歳のかわいい女の子のようです。でも、びっくりすることではありません。私は本当にかわいい女の子で、おまけに10歳なんですよ。私にはパパとママとアマンダというお人形と、それに猫がいます。その猫は女の子だと思います。でも、男の子にも女の子にもクロードという人がいるので、その猫が女の子だという自信がありません。2週間くらい、クロードはとても大きなおなかをしていましたが、ある朝、籠(かご)の中に、クロードと一緒に4匹の仔猫がいました。仔猫(こねこ)たちは二十日鼠(はつかねずみ)くらいの大きさで、小さな手足をゆっくりと動かしながら、おっぱいを吸っていました。仔猫たちがしまい込まれていたおなかは、まったいらになっています。やっぱり、クロードは女の子です。
 仔猫たちは、それぞれ、ベルナール、フィリップ、エルネスト、カミシャといいます。はじめの3匹は、男の子の名前がついているので、男の子だということがわかっています。でも、カミシャは男の子の名前でも、女の子の名前でもないので、男の子なのか、女の子なのか、わかりません。
「5匹も猫は飼えません」とママが言いました。どうしてかしら。よく考えてみましたが、わかりません。学校のお友だちに、仔猫がほしいかどうかたずねてみました。


水曜日
  アニィとシルヴィとリディがやって来ました。クロードは女の子たちにじゃれつきました。仔猫たちはもう目が見え、よたよたとなんとか歩けるようになってい ます。女の子たちは仔猫をそれぞれ手に取りました。女の子の猫だと困るので、女の子たちはカミシャを残していきました。アニィはベルナールを、シルヴィは フィリップを、リディはエルネストを飼うことにしました。私はカミシャを飼います。ほかの仔猫がもらわれて、カミシャだけが残ったので、カミシャが大好きになりました。

日曜日 
  カミシャは狐みたいな色をしています。左目の上に白い部分があって、まるでなにかをぶつけたようです……でも、何をぶつけたんでしょう? 殴(なぐ)られたりした んじゃないと思います。キス、そうよ、パン屋さんのキスよ。きっとパン屋さんの白い粉が左目の上についたんだわ。とにかく、片方の目のところに白いあざのようなものがついています。


水曜日
  ママの家とパパの庭が大好きです。家の中は夏でも冬でもいつでもすごく綺麗です。庭の芝生は1年中緑色で手入れがゆきとどいています。まるで家にいるママと庭にいるパパは、清潔さを競争しているみたいです。家の中では、床を汚(よご)さないようにフェルトのスリッパを履(は)いて歩かなくてはなりません。庭では、煙草(たばこ)を喫(す)いながら散歩する人が、芝生の上に喫(す)い殻(がら)を捨てたりしないように、パパは灰皿を並べました。パパとママはよいことをしていると思います。そんなふうにしていれば、床も芝生も汚れません。でも、ときには、うんざりすることもあります。


日曜日
 カミシャは生まれたときよりも大きくなりました。おかあさんのクロードとじゃれながら、いろんなことをおぼえます。そんなカミシャを見ると私はうれしくなります。
  今朝、猫を飼っている籠(かご)を見に行きました。からっぽです。だれもいません。クロードが散歩に出かけたときは、カミシャたちはとてもさみしがったものでし た。今日、クロードはカミシャを連れていきました。いいえ、クロードがカミシャを運んだにちがいありません。カミシャはクロードについていけないからです。カミシャはまだよたよたとしか歩けないのです。クロードはどこに行ったのかしら。


水曜日
  日曜日からいなくなっていたクロードが突然、帰ってきました。庭で苺(いちご)を食べていたら、不意に足のところに動物の毛が触れたんです。見るまでもありません。クロードです。クロードが帰ってきたんです。カミシャも戻ってきているかもしれないと思って、籠(かご)のところに行ってみました。やっぱり、からっぽです。ク ロードが近づいてきました。クロードは籠の中を眺(なが)め、金色の目を閉じながら、私のほうに顔を上げました。「カミシャはどこなの?」とクロードにたずねてみ ました。クロードは答えないで、そっぽを向いてしまいました。


日曜日
  クロードの生活はすっかり変わってしまいました。いつでも、私たちと一緒だったのに、今では、よく出かけるようになりました。クロードはどこに出かけるのかしら? 私はクロードをつけようとしました。でも、だめでした。見張っていると、クロードはじっとしています。クロードはこう言いたそうです。「どうしてあたしを見るんだい? あたしが家にいることはよくわかっているだろうに」
  でも、ほんのちょっと目を離せばおしまいです。クロードはいなくなっています。そんなときは、捜(さが)しまわるしかありません。そのくせ、つぎの日には、煖炉(だんろ)の そばに戻っていたりします。クロードは、なにも悪いことはしていないというようすで、私を見つめます。クロードは幻のようです。

水曜日
  なにか変なことを見たばかりです。私はちっともおなかがすいていません。それにだれも見ていなかったので、お肉をひと切れテーブルからクロードに落としてあげました。お肉やお菓子を投げると、犬は空中ですばやく捕らえ、すぐにかぶりつきます。猫はそんなことはしません。うたぐりぶかいんです。お肉を投げてもらっても、空中で捕らえたりせず、落ちるままにします。それからよく調べるんです。クロードもよく調べました。でも、このときは食べたりしないで、お肉をくわえていきました。お肉をくわえたクロードをパパとママが見たら、お肉をあげた私が叱(しか)られてしまうのに、そんなことにはおかまいなしに、クロードは お肉を庭に持っていきました。
  クロードは繁みの中に消えました。たぶん、人目を避けるためでしょう。私はクロードを見張っていました。突然、クロードは塀に向かって跳びかかり、地面を 走るみたいに、塀を駆け上がりました。でも、塀はまっすぐに立っていました。クロードは、お肉をずっとくわえたまま、自分の跳びあがれる高さの3倍のところにいました。だれも自分のあとをつけていないことを確かめるかのように、クロードは私たちのほうを見ました。そして、塀の向こうへ行ってしまいました。
  4匹の仔猫のうち、3匹もとられて、クロードは怒っているんです。だから、クロードはカミシャを安全なところに隠しておきたいのです。クロードは塀の向こうでカミシャを隠(かく)していて、塀のこちらにいないときはいつもカミシャと一緒にいるのです。きっとそうにちがいありません。

日曜日
  思っていたとおりでした。3か月くらい、いなくなっていたカミシャに会ったばかりです。とても変わっていました。今朝(けさ)、いつもよりも早く起きました。庭の 散歩道をゆっくり歩いているクロードが窓から見えました。クロードは死んだ野鼠(のねずみ)をくわえていました。でも、不思議なことに、おかあさん鳥が雛(ひな)に取り巻かれ て歩くときみたいに、クロードがのどを鳴らしたんです。そんなときには雛(ひな)がすぐ現れるものです。雛が現れました。4本足の太った赤毛の雛(ひな)です。目の縁(ふち)が白 いので、すぐにカミシャだとわかりました。とてもたくましくなっていました。野鼠を前足で何度かさわりながら、クロードのまわりをカミシャ動きまわりまし た。すると、クロードはカミシャが野鼠をつかまえられないように自分の頭を高く持ち上げました。それから、野鼠を落としました。カミシャはすばやく野鼠を 捕らえましたが、すぐには食べたりはしないで、野鼠をくわえて、繁みの中に隠れてしまいました。カミシャが野生化しているのではないかと心配になりました。カミシャは塀の向こうで、おかあさん猫以外のだれとも会わないで育てられたんです。

水曜日
 このごろでは、毎日、だれよりも早く起きます。早起きは簡単です。とても天気がいいわ。早起きをして、1時間くらいは家の中で好きなことをするのです。パパとママが眠っているあいだ、世界の中で自分がひとりぼっちであるような気がしてきます。
  すると、すこし怖(こわ)くなります。でも、同時に、とてもうれしくなります。なんだか、変ですね。パパとママのお部屋でなにかが動く音が聞こえるとさみしくなり ます。おたのしみはおしまいです。それから、庭の中にあるたくさんの珍しいものを見ます。パパの庭はたいへん手入れがゆきとどいていて、なにも起こったり するわけがないと思うくらいです。
  でも、パパが眠っているあいだに、庭ではいろんなことが起こります。夜が明ける直前に庭では大騒ぎが起こります。夜の動物が眠り、昼の動物が起きる時間だからです。ほんのすこしだけ、夜の動物と昼の動物がみんな庭にいるときがあるのです。動物たちはぶつかり、ときには殴り合ったりします。夜と昼が一緒だか らです。
  光が苦手な梟(ふくろう)は夜が明けないうちに自分の巣に帰ろうと急ぎます。すると、リラの花のあいだから出てきた鶫(つぐみ)に梟(ふくろう)が軽くぶつかってしまいました。ヒースがたくさん生えているところに、身体を丸めた針鼠(はりねずみ)がいます。ちょうどそのとき、古い小楢(こなら)の木の穴から天気を知ろうとして、栗鼠(りす)が顔をのぞかせ ました。

日曜日
  まちがいありません。カミシャはすっかり野生化してしまっています。今朝、芝生の上にクロードとカミシャがいるのを見かけたとき、私は家から出て、クロー ドとカミシャのほうに行きました。クロードは喉(のど)を鳴らして、私の足もとに身体をすりよせてきました。ところが、カミシャはあわてて酸塊(すぐり)の林の中に隠れ ました。やっぱり変です。クロードが私を恐れていないということをカミシャは知っているはずです。なのに、どうしてカミシャは逃げるのでしょうか? それに、どうしてクロードはカミシャを引き止めようとしないのでしょうか? 私がお友だちだということを、クロードはカミシャに説明したっていいのに。いい え。私が来た途端(とたん)にクロードはカミシャのことを忘れてしまったようです。塀の向こうでの生活と、パパの庭やママの家で私たちと過ごす生活と、まったくち がう2つの生活をクロードは送っています。

水曜日
 カミシャになついてほしかったので、並木道のまん中にミルクを入れたお皿を置きました。家の中に戻って、どんなことになるのか、窓から見ていました。
  まず、クロードがやって来ました。クロードはお行儀(ぎょうぎ)よく前足をそろえて、お皿の前にすわり、ペチャペチャと音を立てて飲みました。しばらくして、カミシャの白いあざのついた目が、草むらの間から現れるのが見えました。カミシャはおかあさん猫を眺(なが)めていましたが、おかあさん猫が何を考えているのかを考えてい るようでした。そして、カミシャは腹ばいになって進み、ゆっくりとゆっくりとクロードに近づきます。急いで、カミシャ! でないとお皿はからっぽになってしまいますよ。とうとう、カミシャはたどりつきました。でも、ミルクはすこし残っているだけです。カミシャはお皿のまわりを腹ばいのまま、ぐるぐるとまわっています。なんて、なつきにくい猫なんでしょう。本当に野生の猫です。カミシャはきりんみたいに首を長く伸ばしています。首を伸ばしているのは、できるかぎりお皿から離れていたいからです。カミシャは首を伸ばし、顔をお皿に近づけると、突然、くしゃみをしたんです。くしゃみをするなんてことをカミシャ は思ってもみなかったようです。きっと、お皿を使ったことがなかったからでしょう。カミシャはあちこちにミルクのしずくをはねかけました。カミシャはあとじさりして、うんざりしたようすで、舌なめずりをしました。ミルクをはねかけられたクロードは、カミシャの失敗をあざ笑っているようです。クロードはてきぱきと規則正しく、音を立てながら、ミルクを飲んでいます。機械みたいです。

  カミシャは身体をふきおわりました。ミルクの滴(しずく)を舐(な)めているうちにカミシャはなにかを思い出したにちがいありません。すこし前のことを思い出したようです。カミシャは、はいつくばっています。腹ばいになって進み始めました。でも、今度はお皿にではなく、クロードに向かっています。カミシャは頭をクロー ドのおなかの下にすべりこませました。カミシャはおっぱいを飲みます。
  ほらほら、太ったおかあさん猫がお皿のミルクをペチャペチャと飲んでいて、仔猫はおかあさん猫のおっぱいを飲みます。きっと同じミルクです。お皿のミルク はおかあさん猫の口に入り、おかあさん猫のおっぱいから出てきて、仔猫の口に入ります。ちがいは、温められるということです。仔猫は冷たいミルクが好きで はないのです。仔猫はミルクを温めるためにおかあさん猫を利用しているのです。
 お皿はからっぽになっています。クロードが叮嚀(ていねい)に舐(な)めたので、太陽の光が当たるとお皿はきらきらと光ります。
  クロードは頭をおなかのほうに向けました。カミシャがおっぱいを吸っているのが見えます。「あらあら、そこで何をしているの、カミシャ」とクロードは言っているようです。すると、クロードは前足を伸ばしました。まあ、クロードって、やさしいのね。クロードは爪(つめ)を全部ひっこめたんです。でも、夢中でおっぱい を吸っているカミシャの頭をポカンと叩(たた)きました。するとカミシャは自分が大きくなっているということを思い出したようです。ほかの仔猫はカミシャと同じ くらいに大きくなってもおっぱいを吸うのでしょうか?

日曜日
  塀の向こうを探検(たんけん)することにしました。カミシャの機嫌(きげん)をとりたいからです。それに好奇心もあります。塀の向こうはきっとなにか別のものが、もうひとつの庭が、もうひとつの家が、たぶん、カミシャの庭とカミシャの家があると思います。カミシャの住んでいる素敵(すてき)なところを知ったなら、カミシャともっと仲よしになれると思います。

水曜日
  今日の午後、隣の敷地(しきち)の外側をぐるりとひとまわりしました。それほど広くはありません。10分もあれば、ひとまわりできます。当たり前のことです。パパの庭と同じ広さだからです。でも、変なことがあります。門も何もないんです。どこにも出入り口がないんです。もしかすると出入り口はふさがれているのかもしれません。塀の向こうへ行くには、カミシャのように塀を跳(と)び越えるしかありません。でも、私は猫ではありません。じゃあ、どうすればいいのでしょう?

日曜日
  パパの梯子(はしご)を使うことをまず、考えてみましたが、梯子(はしご)を塀のところまで運べるかどうかわかりません。それに、そんなことをすればみんなが梯子(はしご)に気づいて、 すぐに私は見つけられてしまうでしょう。どうしてなのかわかりませんが、とにかく、私の計画に気づいたら、パパとママは計画が成功しないように、どんなことでもするだろうと思います。私の書いていることはお行儀(ぎょうぎ)の悪い、恥ずかしいことです。でも、どうすればいいのでしょうか? カミシャの庭に行くことは大切で素晴らしいことだと思います。でも、私は、だれにも、とりわけパパとママにはこのことを話してはいけません。私は不幸な女の子です。でも、わくわくし ています。

水曜日
 庭のすみには、古くてねじれた梨(なし)の木があります。太い枝が塀のほうにのびています。その枝の先のところまでうまく歩いていけたら、塀の上のところに足をかけることができると思います。


日曜日
 やったぁ! 「梨の木」作戦は成功よ。でも、ちょっと怖かったわ。両足を広げて、片方の足を枝の上に、もう一方の足を塀の上に載(の)せていました。木の枝を離さないで、ずっと握(にぎ)っていました。もうすこしで声をあげるところでした。そして、私は跳(と)びました。塀の向こうに落ちそうになりましたが、バランスを取り戻しました。私はカミシャの庭を眺(なが)めることができました。
 草や木がごちゃごちゃと生えていました。まさに雑木林です。茨(いばら)や、傾いて生えている木々、野苺(のいちご)や高くのびた羊歯(しだ)、それにたくさんの知らない植物が生えていました。とても綺麗(きれい)で、とても手入れのゆきとどいたパパの庭とは正反対です。蟇(ひきがえる)や蛇(へび)が犇(ひし)めいて、だれも入ったことがないような森の中に入っていきたいという気にはなりませんでした。
 それから、塀の上を歩きました。簡単なことではありませんでした。ときどき、葉の繁った枝が塀の上におおいかぶさっていて、足の置き場がわからなかったし、石がはがれてカタカタと音を立てていたり、苔(こけ)が生えて滑(すべ)りやすくなっていたりします。すごいものを見つけました。梯子が塀に立てかけられていたんです。屋根裏部屋に上がるのに役に立ちそうな、手すりのついた急な階段みたいな梯子です。ずっと昔から私のために置いてあったような気がしました。苔が生えて緑色になっていて、虫に食われています。手すりはなめくじのせいで粘(ねば)りついていました。それでも、おりていくにはとても都合がよかったし、それに、梯子(はしご)がなかったら、どうしていたのかわかりません。
 さあ、私はカミシャの庭にいるのよ。鼻のところまで届く背の高い草が生えています。森の中の古い小径(こみち)を歩きました。その小径は消えかかっています。いくつもの珍しい大きな花が私の顔に触れます。胡椒(こしょう)と小麦粉のにおいがしましたが、でも、ひどくむせてしまいます。よいにおいなのか、いやなにおいなのか、決めることはできません。たぶん、同時に2つのにおいなのでしょう。
 すこし怖かったのですが、好奇心がありました。この場所全体は、ずっとずっと昔からほったらかしにされているようです。かなしげで、今日のように太陽が沈むときの光景みたいに綺麗です……。曲がり角、緑の廊下、そして私は敷石(しきいし)がまん中にあるまるい空き地のようなところに到(つ)きました。カミシャが敷石の上にすわっていました。私が近づいてくるのをカミシャは静かに見つめています。パパの庭にいるときよりもカミシャは不思議と大きく、たくましく見えます。大きく、たくましく見えてもカミシャです。私にはわかります。目の縁(ふち)のところに白い痣(あざ)をつけている猫はほかにいませんからね。カミシャはものしずかで、立派に見えます。あわてて逃げ出したりしません。なでてもらおうと私のところにやってくるわけでもありません。カミシャは立ち上がり、空き地の向こうへ静かに歩いてゆきます。教会のろうそくのようにしっぽをぴんとまっすぐに立てています。繁みに隠れる前にカミシャは立ち止まって、ふりかえり、私がそこにいるかどうかを確かめました。ええ、カミシャ、来ましたよ、私は来たんですよ。カミシャは長い間、満足そうに両目を閉じていました。そして、また、静かに歩きはじめました。私にはカミシャがカミシャに見えません。だって、もうひとつの庭にいるのですから。この庭では、カミシャは王子様のようです。
 草が繁っていて、ところどころ、小径(こみち)は消えていました。そんな小径に沿って、何度も曲がったりして、私たちは進んでいきました。そうして、私たちはたどりついたようです。カミシャはふたたび立ち止まり、私のほうをふりかえって、金色の目をゆっくりと閉じました。
 私たちは雑木林(ぞうきばやし)のはずれにいます。目の前には、まるい柱の東屋(あずまや)があります。まるくて広い芝生のまん中に、東屋(あずまや)のまるい柱はまっすぐに立っています。大理石のベンチが東屋(あずまや)のまわりにとりかこんでいます。大理石は苔が生え、ひびが入っています。東屋(あずまや)のまるい屋根の下では台の上に石像が立っています。石像はまるはだかのかわいい男の子で、背中に羽根が生えています。男の子はかなしげなほほえみを浮かべながら、巻き毛の頭を傾けています。えくぼのある顔で、指先を自分の唇のところにあてています。弓と矢が台にぶらさがっています。

 カミシャはまるい屋根の下に坐(すわ)っています。私のほうに向かって顔を上げました。石像の男の子のようにカミシャは神秘的なほほえみを浮かべています。カミシャと石像の男の子は同じ秘密をもっているのかもしれません。その秘密は、ほんのすこしかなしいけれど、とても素敵な秘密です。それに、カミシャと石像の男の子はその秘密を私に教えたがっているようです。ここでは、なにもかもがかなしそうです。崩れた東屋(あずまや)も、罅(ひび)の入ったベンチも、この風変わりな芝生も、たくさんの野の花も、なにもかもがものかなしいようです。でも、私は大きな喜びを感じています。泣き出してしまいたかったけれども、しあわせでした。手入れのゆきとどいたパパの庭にも、床がよく磨かれているママの家にも戻れないような気がしてきました。
 突然、神秘的な男の子やカミシャや東屋(あずまや)に背を向け、私は塀のほうへ逃げ出しました。気が狂ったように走りました。たくさんの枝や花が、ピシッ、ピシッと当たりました。そして、塀にたどりつきました。でも、梯子(はしご)がどこにあるのかわかりません。あっ、あそこにあるわ。できるだけ速く塀の上を歩きました。古い梨の木があります。私は跳(と)び移りました。私は自分が育った庭にいます。
 2階にある自分の部屋に上がっていきました。ずいぶんと大きな声で泣きました。どうしてなのかわからないけれども泣いていました。いつのまにか、すこし眠ってしまいました。目がさめてから鏡を見ました。服は汚れていません。無事だったのです。あら、いいえ、血がすこしついているわ。ふともものところに血の痕(あと)がすこしついています。不思議です。どこにもかすり傷ひとつ見当たりません。どうしてかしら。困ったことです。私は鏡に近づいて、すぐ近くで自分の姿を眺(なが)めてみました。
 私は青い目をしていて、まっ赤な唇をしています。ばら色のほっぺはふっくらとしていて、金色の髪は波打っています。
 でも、10歳の女の子のようではありません。私はどんなふうに見えるのでしょうか。指先を自分のまっ赤な唇のところにあててみました。自分の巻き毛の頭を傾けてみました。神秘的なほほえみを浮かべてみました。石像の男の子にそっくりです……。
 涙がほんのすこし浮かびました。

水曜日
 私がカミシャの庭を訪れてから、カミシャはたいへんなつくようになりました。カミシャはおなかを見せて、だらしなく寝そべって、何時間も過ごします。
 カミシャのおなかはとてもまるいと思います。日に日にまるくなってゆきます。
 きっと女の子です。女の子らしい名前がいいかもしれません。
 カミシャット……。
〔おしまい〕

2014年6月25日水曜日

抹茶味のスイーツに対する抹茶の位置づけ

抹茶味のチョコレートやケートを好む女性は多い。抹茶味のお菓子が氾濫(はんらん)している。

そんなに抹茶味が好きならば、抹茶そのものをいただけばいいのにと思っていた。

そういうものではないらしい。

抹茶味を好む理由は、抹茶の苦味などが、甘いもののよさを引き立てるからである。風味がよくなるそうである。(私は抹茶はいただくが、抹茶味のお菓子は食べたことがまったくない。)

つまり、お菓子に対する抹茶の立場というのは、甘さを引き立てるために、西瓜(すいか)にふりかける塩の立場と同じなのである。

その観点からすると、そんなに抹茶味が好きなら、抹茶そのものをいただけばいいのではないかというのは、西瓜に塩をかけるのが好きなら、塩そのものを食(しょく)せばいいではないかというものに等しいということになる。

ときおり、抹茶味の好きな人に、なんなら、抹茶の濃茶(こいちゃ)を練(ね)ってあげようかと言ったこともあるが、渋くて苦いから、結構ですと言われたことが何度かある。

高級な抹茶は、渋味(しぶみ)・苦味(にがみ)が少なく、甘味(あまみ)があるんだけど。

2014年6月24日火曜日

「弓杖」の読み方

弓杖は「ゆんづえ」と読む。

音読みで「きゅうじょう」と読んでしまいそうだけど。

弓杖とは、杖術(じょうじゅつ)において、折れた弓を鞭状(むちじょう)に作り替えて杖(じょう)として用いる場合のものをいう。

2014年6月23日月曜日

Caterhamの発音について

Caterhamは、以前、「ケーターハム」と読んでいたが、日本の公式サイトでは、「ケータハム」となっている。

しかし、イギリス英語では、地名の-hamのhは発音しないので、本来の発音は、「ケイタラン」「ケイトラン」に近い発音になる。ジョーンズ式の発音記号だと/kéitə(r)əm/である。

バッキンガム宮殿the Buckingham PalaceやバーミンガムBirminghamやフラムFulhamでは、hを発音しないのに、どうして、日本人は、Caterhamのときは、発音するのだろうか?

そういえば、ロールス=ロイスRolls-Royceは、「ロールズ=ロイス」/róulzrɔ'is/なのだが、日本の正規代理店も「ロールス=ロイス」としている。

日本の自動車関係者は英語の発音が苦手らしい。

2014年6月22日日曜日

ケーターハム=セブン160 Caterham Seven 160は軽自動車の規格だから、売れないだろうと思っていたが、ちがっていた。

ロータスLotusがセブンやスーパーセブンの生産を中止することにした際、ロータス製品の販売店であったケーターハムCaterhamがセブンの製造販売権を購入した。

そのケーターハムが、スズキ株式会社の660ccのエンジンを搭載し、軽自動車の規格でケーターハム=セブン160 Caterham Seven 160の日本での販売を2014年4月1日から開始した。

車輌価格にオプションをつけて、任意保険まで考えると400万円を軽く超える軽自動車は、売れないだろうと思っていたが、ちがっていた。

2014年3月の初めの時点で、納車は年末まで待たなければならない状態になったという。また、現時点で、年間生産予定の500台分の註文(ちゅうもん)が入っているという。たぶん、英国本国での販売も含めてのことだろうけど。

TPP、すなわち環太平洋経済協定Trans-Pacific Partnershipは、正式名称は、環太平洋戦略的経済連携協定(かんたいへいようせんりゃくてきけいざいれんけいきょうてい)Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreementであるのだが、そのTPPに絡(から)んで、アメリカ合衆国は、日本の軽自動車の規格は障壁(しょうへき)となっているのだから廃止しろと主張しているようである。まあ、以前から軽自動車の規格には文句をつけているけど。

ところが、Caterham Seven 160が日本で成功すれば、軽自動車規格の製品を製造しないアメリカの自動車メーカーの怠慢(たいまん)ということになってしまうのではないだろうか?

日本人がCaterham Seven 160を買いまくれば、アメリカ合衆国に反論できることになる。

ということで、私にはまったく経済的な余裕はないが、余裕があって、ああいう自動車が嫌いではない日本人が、どんどん、Caterham Seven 160を買うとおもしろそうだな。

アメリカの自動車メーカーは、元従業員への年金が高額なため、利益率の低い小型車でさえも製造しづらく、大型車を多く生産しているのだから、逆立ちしても、価格競争力のある軽自動車は製造できないだろう。

それにしても、Caterham Seven 160には、オプションとして、幌(ほろ)・ドア・フロント=シールド・ヒーター・塗装などがある。これまで購入を検討したことがなかったから、ドアとフロント=シールドまでオプションになっているのには、ちょっと驚いた。

おまけに、クーラーのオプションはないらしい。英国の家庭にはクーラーがないのが普通だからかな。

以前、ロンドンが熱波に襲われたときに、老人がつぎからつぎへと亡くなり、一般の日本人には不思議な印象を与えたらしいが、あれは基本的にクーラーがないからである。

2014年6月21日土曜日

「アメリカの若者は犬死にではないか」とチェスター=ニミッツ提督は言った。

大東亜戦争終結直後に、チェスター=ニミッツ提督Admiral Chester W. Nimitzは、ハル=ノートHull noteの存在を知り、こう言ったとされる。

「われわれの若者と日本の若者は犬死(いぬじ)にではないか」

または、

「アメリカの若者は犬死にではないか」

ハル=ノートの執筆(しっぴつ)には、コミンテルン[=共産主義インターナショナル]のスパイが関与していた。大日本帝国が開戦せざるを得ないような内容であった。

コーデル=ハル国務長官the U.S. Secretary of State Cordell Hullは、内容を確認しないで、日本にハル=ノートを送りつけた。

終戦直後にハル=ノートを知ったチェスター=ニミッツは、しなくて済む戦争に巻き込まれた「アメリカの若者は犬死にではないか」と言ったらしい。

ウェブ上では、ときおり、上記のことばが引用されるのだけれども、引用元はないし、実際の英文ではどう言ったのか、気になるので、適当な英単語を並べて、ウェブで検索してみたが、元の英文が出てこない。現時点では、まったく見つからない。

「アメリカの若者は犬死にではないか」を認めると、「太平洋戦争」が不正義の戦争であった」ことになるから、アメリカ人は、たとえ、1次史料で知ったとしても、紹介はしたくないのだろう。

マッカーサー元帥がアメリカの議会で証言しているように、大日本帝国政府は、当時、ハル=ノートを受け入れれば、1000万人から1200万人の失業者が出ると考えていた。扶養家族(ふようかぞく)が、それぞれ、3人いるとすれば、

1000万人×(1人+3人)=4000万人
1200万人×(1人+3人)=4800万人

となる。

このくらいの餓死者(がししゃ)が出る勘定(かんじょう)である。

実際には、兼業農家や、農家の親戚(しんせき)から食べ物を譲(ゆず)ってもらえる者もあるだろうから、そこまではいかないかもしれないが、少なくとも、非戦闘員をも含めて、犠牲者を310万人に抑(おさ)えたのであるから、開戦は合理的な判断だったと言えなくもない。

ところで、明治維新の頃の日本の人口は3000万人くらいであった。1941年あたりの日本人の人口は、所謂(いわゆる)、内地人に限定すると、7200万人くらいだから、4000万人を引くと、3200万人となる。これは、鎖国していたときの日本、すなわち、貿易をせず、食糧を輸入しない場合に日本で生きていける人間の数に近い。

したがって、ハル=ノールを受け入れれば、4000万人以上が餓死(がし)するという予測は、あながち、的外(まとはず)れなものではないようである。

大東亜戦争は自存自衛(じそんじえい)の戦争であり、祖国防衛の戦争であったから、日本の若者の戦死は、決して「犬死(いぬじ)に」「無駄死(むだじ)に」とは考えづらい。

一方、アメリカの若者は、狂気の大統領ルーズヴェルトとハル=ノートのせいで、巻き込まれなくてもよい戦争に巻き込まれ、戦闘神経症となったり、戦死したりした。

一般には、英国の要請(ようせい)で、アメリカ合衆国がヨーロッパ戦線に参戦するための口実として、ドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結んでいる大日本帝国に攻撃されれば、同盟国であるドイツを攻撃できる。その狙(ねら)いがあったとされる。

また、アメリカ合衆国は、満州国や、南満州鉄道の利権を手に入れ、金儲(かねもう)けをしたいという考えもあったようである。

しかも、アメリカ合衆国は、日本人のことを、そのほかのアジア諸国の住人の知能の低さや民度の低さから判断して、同じようなものだと勘違(かんちが)いしていた。

だから、大日本帝国の戦闘機による攻撃によってボコボコにされたとき、パイロットはドイツ人にちがいないと信じた。アジア人なのだから、日本人がそれほどのことができるわけがないと思い込んでいた。

アメリカ合衆国は、最終的には、戦費(せんぴ)がなくなり、鉄鋼もなくなって、コンクリートを使って船舶(せんぱく)を建造しなければならなくなり、人手(ひとで)が足らず、女性パイロットを登用(とうよう)しなければならなくなった。アメリカ合衆国の実情はこんなものであった。

原子爆弾が作れなかったなら、アメリカ合衆国は大日本帝国に負けていたにちがいない。

原子爆弾を作った主要メンバーは、フェルミニを除けば、ユダヤ人であるし、フェルミニの奥さんはユダヤ人だった。この連中は、ユダヤ人迫害のドイツに投下するために原子爆弾を開発したのだろう。

ところが、ドイツが早々に降伏したものだから、投下先がなくなったということもあるし、大日本帝国は降伏しないままだということから、日本に投下したのではないか?

大日本帝国ほど、ユダヤ人を助けた民族はないんだけどな。

歴史ってものには、こういう側面はあるのだろう。

それにしても、日本の犠牲者は、自存自衛のために戦ったものであり、それほど犬死にという感じはしない。

最も哀(かな)しいと個人的に思うアメリカ合衆国軍の戦死者は、武器がなくなった帝国陸軍の兵士が手作りで弓矢を拵(こしら)え、その矢によって戦死したアメリカ兵である。

戦争の大義(たいぎ)もなく、祖国防衛のためでもない戦(いくさ)で、太平洋の向こう側に送り込まれ、手作りの弓矢で戦死というのは、悲しすぎる。

2014年6月6日金曜日

マン島TTレースのTT Zero Raceで、電動バイクがいつのまにか、むちゃくちゃ速くなっていた。

TEAM無限の「神電=参(しんでん=さん)」が二酸化炭素排出量ゼロの車輌(しゃりょう)で競うTT Zero(なぜか、日本語の記事ではTT Zero Challengeという表記が見られる。そういう名称だったときがあるのだろうか?)で優勝していた。そのオンボード=カメラの動画がYouTubeにあった。むちゃくちゃ速いぞ。なお、TTというのは、「ツーリスト=トロフィーTourist Trophy」のことだよ。



TT Zero初の20分を切るタイム19分17.3秒であった。平均時速117.366マイル(平均時速188.88km)だ。ラムゼイ=ヘアピンRamsey hairpinあたりでは、ラップ=タイムが時速206kmを超えそうなくらいだった。


ところで、「神電」とはthe Japanese God of Electricity(日本語の電気の神様)という意味だと英文の記事で説明しているものがあった。

しかし、「風の神様」は「風神(ふうじん)」だし、「雷(かみなり)の神様」は「雷神(らいじん)」なのだから、「電気の神様」は「神電」ではなく、「電神(でんじん)」でなければ、おかしい。

「神電(しんでん)」の由来は、本当のところは、帝国海軍が開発していた局地戦闘機「震電(しんでん)」ではないだろうか?

震電は、B29迎撃(げいげき)のために開発されていたが、試作機の段階で終戦を迎(むか)えた。正式名称は、十八試局地戦闘機震電である。「十八試」というのは、「海軍の18番目の試作機」という意味である。

震電の特徴は、プロペラが後ろにあり、機体前部に小さな翼があることである。それまでの戦闘機とは逆のデザインなのである。

二酸化炭素を排出しない電動バイクである「神電=参」と、プロペラと主翼の位置が従来の戦闘機の逆である「震電」とは、ともに、それまでになかった技術を高い水準で確立しようとしている点で、共通している。

しかも、震電は「超空(ちょうくう)の要塞(ようさい)Superfortress」と呼ばれたB29の迎撃を主(しゅ)たる目的として試作されたものであるから、高性能電動バイクを開発することを、同じように困難な課題だと見做(みな)していると考えられなくもない。

神電には、震電に由来(ゆらい)する部分が多少なりともあるにちがいない。

しかしながら、そのことを正直に話すとヨーロッパのコーカソイド(白人)たちに、「日本人の中には、今でも、第2次世界大戦のときのことを根(ね)に持っている者がいるようだ」と思われかねないので、TEAM無限などの関係者は、隠(かく)しているのだろう。

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2014年6月5日木曜日

抹茶を探していたら、「紀伊の昔」「紀之昔」「紀之司」という銘柄(めいがら)があった。

正式に茶道をしているわけではなく、ただひとりで点(た)てたり、練(ね)ったりして抹茶(まっちゃ)をいただいているにすぎない。

ウェブで抹茶を探していたら、「紀伊の昔」「紀之昔」「紀之司」という銘柄(めいがら)があった。

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裏千家先代御家元 鵬雲斎宗匠より拝銘
紀伊の昔(きいのむかし)

表千家先代御家元即中斎宗匠より拝銘
紀之昔(きのむかし)

表千家先代御家元即中斎宗匠より拝銘
紀之司(きのつかさ)
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茶の湯のことは知らないから、不思議に思った。

調べたら、表千家4代有江岑宗佐(えみねそうさ)が紀州藩初代藩主徳川頼宣(よりのぶ)に招かれ、明治に至るまで表千家の歴代家元は紀州徳川家の茶頭(さどう)として仕えていた。二百石の禄(ろく)を受けていたという。

和歌山県出身だけれども、そんなことは知らなかった。

玉林園のウェブサイト

日本教職員組合(日教組)の強い地域では、人助けとなるものは別だが、郷土に誇りが持てる教育は、なるべく排除する傾向があったような気がする。

世界で初めて全身麻酔(ますい)を成功させた華岡青洲(はなおかせいしゅう)や、地震による津波から海岸近くの村人を救うために、高台(たかだい)に干していた稲むらに火をつけ、驚いた村人が高台にやって来て、その結果、津波の被害から逃(のが)れるようにした「稲むらの火」という物語のモデルとなった濱口儀兵衛(はまぐちぎへい)の話くらいしか教わっていない。

紀州藩に表千家が仕えていたことも、また、京都三十六間堂の通し矢に、「大矢数(おおやかず)」という一昼夜でどれだけ射通(いとお)せるかを競うものがあるが、その記録保持者、つまり通し矢の天下一は、紀州藩の和佐範遠(わさのりとお)であるということも、教わらなかった。

どうやら、庶民(しょみん)にとって手が出せない分野に関しては、教えないという方針が、日教組や日本共産党員の教員にはあったとしか思えない。




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自己紹介

自分の写真
和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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