2013年4月20日土曜日

なんとなく仁徳天皇陵に忍び込んだやつの話

 なんとなく仁徳天皇陵に忍び込んだやつがいた。

 彼は和歌山県北部の国道のバイパス沿いに住んでいた。

 夏休みのある日、ふと、彼は考えた。目の前の道路を南に進めば、1kmほど進めば、川に差し掛かり、橋がないので、左右のどちらかに曲がらなければならない。北に進めばどうだろうか? 小原田(おはらた)・御幸辻(みゆきつじ)・橋谷(はしたに)・慶賀野(けがの)……と、いつまで進んでも、方向指示器を使わないまま進める。

 そこで彼は方向指示器を使わないでどこまで行けるのかを確かめたくなり、ホンダのオートバイに跨(またが)った。

 大阪府に入っても、北上し続けることができた。河内長野市(かわちながのし)を通過した。当時は、国道170号線で、現在、高野街道と呼ばれる国道を北上し続けた。堺市に入った。

 方向指示器を使わないで、一体、どこまで行けるのか、彼の胸は高鳴(たかな)った。

 高野街道が片側3車線の中央環状線に合流するところで、方向指示器を使わなければならなかった。

 仁徳天皇陵の北側だった。

 自宅の前の道路から、方向指示器を使わないで、仁徳天皇陵まで行けるということを知って、彼は、さらに興奮した。

「ここまできたら、ぜひとも、忍び込まねばなるまい」と彼は思った。

 おいおい、論理的に飛躍しすぎていないか?

 近くで遊んでいた小学生に、いちばん侵入しやすいポイントはどこか教えてくれたら、10円をあげるよと話しかけたところ、気安く教えてくれたという。

 簡単に侵入できた。

 3重に濠(ほり)がめぐらされているが、いちばん内側の濠を除けば、ところどころ、埋まっていて、通ることができた。

 いちばん、内側の濠のところで佇(たたず)みながら、すぐ近くに片側3車線の道路があるのにもかかわらず、静謐(せいひつ)を湛(たた)えていることに心を打たれた。

 ふと、思った。古墳というものは、古代に構築された人工物であるのに、周囲が宅地になったりすると、本来、人工物であるはずの古墳が最も「自然」に満ちているという逆説(パラドクスparadox)がおもしろいと感じ、鎮守(ちんじゅ)の森が本来は人工物であるのに、周囲の宅地化で「自然」らしく見えるのと似ていると思った。

 不意に、オートバイの音が聞こえた。怪訝(けげん)に思っているうちに、音はどんどん大きくなった。宮内庁職員(くないちょうしょくいん)が、近所の小学生や中学生が忍び込んで釣りをしていたりするのを監視(かんし)しているのだった。車種はヤマハのバーディーBirdieだった。陵(みささぎ)が広いので、単車で移動しているのであった。

「おい、こらあ!」と怒鳴(どな)られ、「立入禁止 宮内庁」の看板が見えなかったのか、ここは、警察権力でさえも、宮内庁の許可がなければ入れないところなんだという意味のことを関西弁で言った。

 すると彼は、自分の家も、捜査令状がなければ、警察権力でさえも入れませんから、ここはその程度の価値しかない場所なんですかという意味のことを関西弁で答えた。

 胸ぐらを摑(つか)まれたが、最終的には解放されたという。

 その後、うちの高校では、どこそこを起点に東に進めば、方向指示器を使わないでどこそこまでいけるぞという発言が続出するようになった。「方向指示器を使わないでどこまで行けるか」ブームが起こったのであった。

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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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