2014年1月18日土曜日

小野田寛郎よりも長く潜伏した皇軍兵士

小野田寛郎(おのだひろお)が2014年1月16日に亡くなった。

よく考えると、この人は、1974年3月に帰国するまで、百数十回、在フィリピンアメリカ軍やフィリピンの警察と戦闘したりして、30人以上、殺傷している。フィリピン政府は、よく恩赦(おんしゃ)を出したもんだと感心する。

さて、この小野田寛郎よりも長く潜伏した日本軍兵士がいる。

中村輝夫である。民族名をスニヨンという。

1942年に志願し、入所している。このときの競争率は48倍だった。大したもんだなあ。

小野田寛郎は1974年3月に帰国しているが、中村輝夫は、1975年1月に台湾に帰国している。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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