2014年3月28日金曜日

日比谷公園に関して、少なからずの人が意外に思うこと

日露戦争the Russo-Japanese Warの講和条約は、アメリカのポーツマスで行なわれた。ポーツマス条約the Treaty of Portsmouthである。

このとき、日本は、というか、当時の大日本帝国は、戦争賠償金(せんそうばいしょうきん)が得られなかった。

そのことに憤(いきどお)りを感じ、ポーツマス講和条約反対の国民集会は、日比谷公園(ひびやこうえん)で日比谷焼打事件(ひびややきうちじけん)を起こし、死者17名を出した。

日比谷焼打事件そのものは、日本史で習うことなので、よく知られている。

ところが、「日比谷公園って、日比谷焼打事件の2年前にできたばかりなんだよね」とつけ加えると、どういうわけか、ちょっとばかり驚く人がいる。

日比谷公園は1903年6月1日に開園され、日比谷焼打事件があったのは、1905年9月5日である。

日比谷焼打事件の2年前に日比谷公園が開園されたからといって、驚く理由はわからない。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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