2013年8月13日火曜日

石原慎太郎が反米になった理由のひとつ

石原慎太郎は1932年(昭和7年)9月30日生まれである。大東亜戦争終結時(1945年)の時点で12歳だった。石原慎太郎が反米となったきっかけのひとつが戦争中にあった。

機銃掃射(きじゅうそうしゃ)である。

学校からの帰りに麦畑を歩いていたら、米軍機がやってきて、機銃掃射をしてきた。パイロットの顔が見えるくらいに近くに来た。パイロットの顔が見えるくらいに近くに来たというのは、さぞかし恐怖であっただろう。慎太郎は必死に逃げて、麦畑の中に隠れた。それにしても、子供相手に機銃掃射をするというのは、まさに鬼畜だとしか思えない。

アメリカ兵の一部は有色人種に対しては戦時国際法を守らなくてもよいと考えていたらしいところがある。東京大空襲にしても、広島や長崎への原子爆弾投下にしても、非戦闘員である民間人を殺戮(さつりく)したという点で、戦時国際法違反である。

小学生のときに、機銃掃射を食らえば、その国ことは好きにはならんわな。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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