2013年8月27日火曜日

インパール作戦は終わらない:果たされたインドとの約束

ウ号作戦、一般にインパール作戦Battle of Imphalと呼ばれる作戦は、それほど無謀(むぼう)だったのだろうかと、以前から疑問に思っていた。

2012年6月あたりに、モーヘン=ナオレムMohen Naoremというインド人の映画監督がインパール作戦の映画を制作したいと表明した。彼はMy Japanese Niece(私の日本人の姪(めい))という映画をすでに制作していた。この映画もインパール作戦に関わるものである。

インド独立に関するものを読むと、インド独立の貢献者はマハトマ=ガンディではなく、むしろ、インパール作戦に参加したチャンドラ=ボースChandra Boseと考えているインド人が一般的であるようである。インパール作戦があったからこそ、英印軍の25万人もの兵士がインド国民軍になり、独立をなしえたのである。

以下に貼りつける動画は、NHK取材班が作成したものとちがって、冷静なものであると、今のところは思っている。


1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

インパール作戦=愚かとしか連想できないほとんどの人に見せたい動画です。「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」や「ハルノート」「コミンテルン」「大東亜会議」といったキーワードを知らないではあの戦争を語れない。だが、ほとんどの人は知らずにあの戦争を語っている。中国と朝鮮以外のアジア各国が日本を侵略者とはとらえていないことも知らない。一番恐いのはマスコミや学校の情報を鵜呑みにして、自分で確かめない愚かな国民だ。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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