2009年6月9日火曜日

大学入学までに英語に関して、やった勉強

 こんなことにそれほど需要があるとは思えないが、別のブログで高校生に質問されたので、ここで詳しく述べてみよう。
 まず、中学校のときには、学習塾には通わなかった。これは、親が教育熱心ではなかったからだろう。それと、和歌山県という田舎出身だからということもあるだろう。もちろん、そんな田舎にも、学習塾はあり、教育熱心な親が通わせている学習塾はあったが、今から考えると、そこで習った同級生の学力から考えると、ごく普通の学習塾だったらしい。田舎の基準で「ごく普通の学習塾」というのは、公立中学校・公立高校の教員のレベルを超えないということである。したがって、学習塾に通うというメリットはさほどなかったと思われる。せいぜいのところ、ちょっとだけ先取り学習をするという程度だったようだ。
 ほかのところのにも書いたことだが、とりわけ西日本の田舎の高校入試は、生温(なまぬる)い。地頭(じあたま)がよければ、塾通いしなくても、地域ナンバーワン校に進学できる。その程度に小学区制だったのだし、今でも変わらない。
 高校に進学してからは、自分が読みたいと思う書物が日本語よりも、英語・フランス語・ドイツ語に多かったので、まずは、英語の勉強に力を入れなければならないと考えた。同時に、自分の日本語の力にも不安があったので、教養を身につけるという点で、古文や漢文を、勉強しようと考えたというよりは、いろいろと読み込んでおいたほうがよいと考え、実際に、読み込んだ。
 現代の日本語しか、わかっていない人間は、所詮、現代の日本語も理解できていない。少なくとも、英語・古文・漢文はできないと駄目だと考えている。
 英語の文法の関しては、『総解英文法』『新自修英文典』という分厚い文法書を読んだ。
 中学3年生のころから、1000単語レベルとか、1500単語レベルとかの、いわゆるrewrite(リライト)あるいはretold(リトールド)と呼ばれる英語の本を読んでいた。有名な作品を一定の単語レベルで書き改め、かつ、短くしたものだ。中学生のときに読んだものでは、「イノック=アーデン」Enock ArdenというテニスンTennysonの物語詩の書き直したものや、『不思議の国のアリス』Alice's Adventure in Wonderland のrewriteが記憶に残っている。あまり心に残っているわけではないが、チャールズ=ディケンズCharles Dickensの作品のリライトはけっこう読んである。
 これは、「自然な英語」の習得という点では、よくない部分もあったと思う。使用できる単語に制限を加えているのだから、おのずと、不自然な英語になるのは仕方ない。
 リライトでないものとなると、オスカー=ワイルドOscar Wildeの「幸福な王子」The Happy Princeなどを原書で読んだが、童話だから日本の高校生でも簡単に読めると思いきや、苦労した。童話だからといって、なめてはいけないということを知った(これは、大学生で『星の王子さま』をフランス語で読もうとして、接続法をなめちゃいかんなと思ったのと同じだ)。
 Asahi Weeklyという学習用の英字新聞を中学3年生から読んでいたが、英語の難しさによって、星1つ(★)から、★3つだか、そのくらいに分類していたが、最初は、配達される毎週、日曜日の午前に星1つ(★)の記事から、読んでいた。そのとき、流行している英語の歌の歌詞が載っていたりして、けっこう、楽しかった。
 辞書を引きながら、なんとか読みこなせるようになったと思った高校2年生のときに、Asahi WeeklyからThe Japan Timesに変えたところ、あまりよくは理解できなかったので、これは3か月で講読するのを止めた(ちなみに、The Japan Timesのクロスワードパズルは、いまだに、クロスワードパズル用の専用辞書がなければ解けない)。
 高校1年生のときに、マイナーな通信添削を始めたが、満点しかとれないので、これはやる意味がないと思って止めた。高校2年生になってから、やる意味のある通信添削があると聞いて、Z会を始めた。途中で、数学はこれほどのレベルは必要ないだろうと考えて、参考書での学習だけにして、英語と国語を続けた。
 当時のZ会は、大学別のコースがあるわけでもなく、ただ、英語の長文が出題されて、「訳せ」、日本語の文章が出題されて、「訳せ」というものだった。これは、なかなか歯ごたえがあった。たとえば、経済学者が書いた普通の著書の一節を長めに抜粋して「訳せ」となっていて、経済学の一部くらいは知らないと、辞書と文法書では歯が立たないものだった。百科事典を紐解(ひもと)いたり、新書などで関係しそうなものを読み込んだ。
 なお、岩波新書や講談社のブルーバックスBLUE BACKSは中学2年生のときから日常的にというほどではないが、比較的よく読んでいた。中学1年生のときに読んだ『パズル・物理入門』が、最初に読んだブルーバックスだった。高校生になってからは、新書のたぐいは、だいたい年間100冊くらいは読んでいた。 
 英語の勉強でいちばん大事なのは、じつは、教養を身につけることだろう。そこに書かれている内容を理解する教養がなければ、辞書を引こうが、文法書を紐解(ひもと)こうが、理解できないからだ。
 自由英作文を書いて、イギリス人やオーストラリア人の教師に添削してもらっていた。「書く」という作業を通して、一般の英文を読む際に、なぜ、複数形なのか、なぜ、単数形なのか、なぜ、定冠詞のtheがつくのかなど、英文の細かい部分もわかるようになり、これはきわめて効果的だったと思う。
 聴き取りについては、ロックRock 'n' Rollなどの歌詞を憶えてから、その曲をかけっぱなしにしていたり、朗読テープのスクリプトを机の前に貼って、ひたすら、テープをかけ続けていた。これくらいのことしかしていない。聴き取りのために、必死で取り組むということはしなかった。
 英英辞典は、高校1年生のときから使っていた。最初は、研究社の『新英英辞典』を使っていたが、すぐにOxford Advanced Learner's Dictionary of Current Englishに換えた。4冊くらい引き潰(つぶ)している。今は、基本的に辞書は引かないのだが、訳語探しに、ときどき、『英辞郎』を、細かい語義・用法が気になるときには、Collins COBUILD English Dictionaryを使っている(特定分野の専門用語は除く)。
 なお、研究社の辞書や参考書は、どれもこれも使っていない。どうも、「英語しかできない人」が作っているようである。早慶以上の大学入試で研究社が間違っているときは、英語の知識が足りないからではなく、教養(理数系のみならず、人文系や社会学系の教養も含む)やフランス語・ラテン語の知識がないので、間違っていることが多いようだ。こうしたことは開拓社・旺文社などにも見受けられる。研究社の『英和中辞典』の例文には間違いが多すぎると、副島隆彦が『欠陥英和辞典の研究』(宝島社)で煽動的(せんどうてき)なかたちで指摘し、そのことで研究社が副島隆彦を訴えた。裁判の結果は宝島社が400万円を研究社に支払うことなった。批判の仕方が「過激すぎた」という理由によるものであり、批判内容そのものが否定されたわけではなかったようだ。その後、批判されないような間違いのない例文にしようとした研究社はOxford Advanced Learner's Dictionary of Current Englishから例文をパクリまくり、オックスフォード大学出版局から訴えられた。
 問題集に関しては、適当にいろいろとやったが、記憶に残っているのは、駿台文庫の『基本英文700選』『新・英文法頻出問題演習』『英文解釈教室』と、Z会の『英文解釈のトレーニング』『英作文のトレーニング』などをこなした。『英文解釈のトレーニング』には「基礎編」と「必修編」があったように記憶している。当時のZ会の英語と国語の問題集はすべてこなしたと思う。
 駿台予備学校講師だった伊藤和男の『新・英文法頻出問題演習』『英文解釈教室』は、本人が東京大学哲学科出身ということもあってか、向いている人には向いているが、そうでない人にはとっつきにくいらしい。知能指数が高くなく、かつ暗記に長けている人は、桐原書店の『即戦ゼミ大学入試英語頻出問題総演習』がよいようにも思うが、難関大学向きではない気がする。同時に、量が多すぎて、中堅大学受験にも適していない気もする。要するに、どこにも適していない気がする。いや、『即戦ゼミ大学入試英語頻出問題総演習』は上智大学・青山学院大学には適しているかもしれない。
 「英文解釈」に関しては、ほかにも何冊か読んだが、サイドリーダー代わりに読み散らした。ほかに、有名な文学作品の有名箇所や、有名な演説のさわりなどが載っていて、註などがついているものがよかったという気がする。英文解釈の参考書のほとんどは、大学の入試問題から採っているので、英語そのもの勉強には、ズレているところがないこともないと感じる。原書で数冊、読み込むほうがよい気がするが、そういうことは、普通の人の場合、大学に入ってからすることなのであろう。

 大学受験では、3科目の受験科目のうち、2科目で合格点がとれていたのが過去問5年分のうち、2年分あり、残りの3年分についても、2点から7点とれば、合格最低点だったので、早稲田大学第一文学部だけを受験したら、不合格になった。この経緯(いきさつ)については、PROFILE(お笑い編)を参照。
 予備校時代の英語の勉強は、予習中心主義だった。一般には復習中心でやるのが効率がよいとされるが、自分には合わなかった。しかし、他人には予習中心主義は勧めない。ほぼ完璧に予習ができるには、相当な学力が必要だからだ。
 毎週、教材のうちから長文をひとつ選んで、日本語訳を見ながらであれば暗唱できるようにしていた。週に1つくらいの割合で、1000単語くらいの文章を暗唱できるようにしていた。こういうのを聞くと、暗記力にすぐれていると思うかもしれないが、知識というものは、雪だるまと同じで、最初は少しずつだが、あとになればなるほど、唯だるまでいえば、急激に大きくなるものなので、たとえば、知識量が50倍あっても、勉強量は8倍くらいであったりする。それを知らないと、他人と自分の能力差を、実際以上に大きいと勘違いしてしまう。
 大学受験までにエリッヒ=フロムErich Frommの『自由からの逃走』Escape from Freedomを読み終えていた。エリッヒ=フロムはユダヤ系ドイツ人の精神分析学者で、移住先のアメリカ合衆国で英語で著(あらわ)したものなので、英文は読みやすいが、ところどころ、正しくはこう書いたほうがいいんじゃないかという部分がなくもない。本人による地の文は難しくないが、1箇所、むやみに難しいところがあって、そこは、引用だった。
 ほかに、英語で読んだものはつぎのとおり。
 ミシェル=フーコーMichel Foucaultというフランスの哲学者が、前半を自らが英文で、後半は本人がフランス語で書いたものを英訳した短い論文。
 ルートヴィッヒ=ヴィトゲンシュタインLudwig WittgensteinのThe Blue and Brown Booksを途中まで読んでみたが、なにが言いたいのか、わからなかった。中身がわかるようになったのは大学に進学してからのことだった。
 アーネスト=ヘミングウェイEarnest Hemingwayの『老人と海』The Old Man and the SeaとJ. D. サリンジャーJ. D. Salingerの『ライ麦畑でつかまえて』The Catcher in the Ryeは、よくわからないところは飛ばしながら読んだ。『老人と海』は話がわかったが、『ライ麦畑でつかまえて』は英語だけだと、わけがわからなくなり、読んだというよりは、活字を眺めただけだったといえる。邦訳を読んで、「こんな話だったのか」と思ったくらいだ。予備校の同じクラスに灘高校出身の生徒がいて、当時の灘高校では、高校2年生の夏休みの宿題で『老人と海』を原書で読むというのがあったと聞いて、びっくりした記憶がある。
 ジョージ=ミケシュGeorge Mikes(ハンガリー人なので、Mikesと書いて「ミケシュ」と発音する)のHow to be an Alien(外国人のなり方)は、大爆笑しながら読んだ。大学進学後には同じ著者によるHow to be Poorも読んだ。なお、How to be an Alienはつぎのサイトで無料で読めるよ。
 夏休みには、夏期講習を受けずに、ちょっくらイギリスにホームステイした。How to be an Alienに書いてあるとおりだったので、これまた大笑いだった。そこで、なんとはなしに、The Pitman English for Speakers of Other Languages (ESOL)のAdvanced Levelを受験したら、合格した。ブリティッシュ=カウンシルによればTOEIC換算990点以上に相当するとか、別のもので910点以上に相当するという資料を目にすることがあったが、当時の自分がTOEICを受験していても、850点くらいしかいかなかったと思う(今更(いまさら)、TOEICは受験できない心境である。満点をとってもうれしくなれない試験は受ける気がしない)。イギリス系の英語検定は、単なる暗記よりも教養などを重視するところがあるようで、長い自由英作文で、イギリス的な気の利いたことを書かないといけないようだったと思うし、今でもたぶんそうだろう。TOEICが満点でも不合格になるし、細かいアメリカ英語を知らなくても、英語での文章力があれば、合格できるものであるように思う。その一方で、実用英語検定1級取得者が多数、不合格になっていたから、それなりに難しい試験だったのだろうけど、試験の質が違うのだろう。TOEICは丸暗記しかできないタイプでも高得点ができるように感じており、事実、TOEICが高得点で、国連英検も受験しているが、イギリス系の英語検定は受検していない(あるいは受験したけど成績が振るわないので隠している)のが多いようだ。自分がPitmanのAdvanced Levelに合格しているのは、たぶん、大量に新書を読んでいたということと、普段から、日本語であれ、英語であれ、文章を書いていたからだろう。
 予備校に通っている間、夏休みを除けば、予備校の寮の近くにある英会話学校に週に1回通っていたが、講師のカナダ人(トロント大学卒業)は大麻不法所持で捕まって、強制送還になっていた。この講師に、ミシェル=フーコーMichel Foucaultの短い論文を見せたところ、「こんなのが読めるやつが不合格になるような大学が日本にあるのか!? 日本って、すごいな」と感心され、不合格になった早稲田大学よりも難しい大学は、ほかにも東京大学・京都大学・一橋大学・東京工業大学・東北大学などいろいろあると答えたら、さらに驚かれた。

 以上にしたためたことが、だれかの役に立つようなことがあるのか、疑問である。
 需要がなさそうだが、のちに、大学編も書こう。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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