その女優には興味はなかったし、その女優のファンには申し訳ないが、背が低くて、狸(たぬき)かパンダにしか見えなかったこともあってか、一世(いっせい)を風靡(ふうび)したわりには、自分にとってはどうでもよかった。
ところが、件(くだん)の女優の住まいを女ともだち(の親)が購入したことを、大学時代の先輩に話したところ、その先輩は「掃除機くん、ぜひとも、なにか、貰(もら)ってきてくれ」と懇願(こんがん)する。
その上で、学士論文(要するに、ふつうの大学卒業時の卒業論文)や修士論文(大学院の前期課程での論文)を取り出し、論文の中で、その女優の名前を主語にした例文を提示し、言語哲学に関してなにごとかを論じていた。当人に言わせると、そのくらいに熱心なファンだと訴えたかったらしい。
それで、女ともだちに問い合わせたところ、快諾を得た。
先輩に、具体的に何が欲しいかを訊ねたところ、「便座」だという。言うまでもなく、「便座」というのは洋式トイレについている、あれである。ものによって、U字型やO型がある。この女優の旧宅のものは、U字型であった。
私はその女優のことはなんとも思っていなかったが、それでも、自分だったら、水道の蛇口のハンドルをもらうところだと伝えてみた。手軽に持ち運びができるし、他人に見せびらかすこともできる。しかし、先輩は、やっぱり、便座がいいという。このあたりになると、もはや理解不能である。
さて、女ともだちに連絡すると、これまた、快く受け入れられた。普通のトイレから、シャワーつきトイレ、具体的にはTOTO(旧・東洋陶器)のウォシュレットに交換したから、くだんの便座はゴミだから、気にしなくてよいという。
で、結局は、先輩の依頼のとおりに、その女優の旧邸の便座を貰(もら)いうけ、5月の連休に、2座席のオープンカーの助手席に三越の紙袋に入った便座を載せて、国道246号線を走っているとき、「おれはいったい何をしているんだろう」という気持ちになった。
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