2009年10月5日月曜日

和歌山県と高知県には敬語がない。

 和歌山県の紀州弁と高知県の土佐弁には敬語がない。ほかの地域に住んでいる人からすると、信じられないかもしれないが、本当なのである。
 司馬遼太郎は、紀州・土佐で自由民権運動が起こった背景には、敬語がないという事実があるとし、敬語が存在しないことから、強い上下関係がなく、古くから「平等」という思想が根づいていたとしている。
 個人的には、敬語がないのは、単に貧乏だからだと考えている。歴史上、支配階級と被支配階級が登場するのは、生産性が一定以上に高まってからである。全員が食うや食わずの生活をしている段階では、いわゆる原始共産制であり、身分差がない。
 だから、貧乏県であるが故(ゆえ)に、和歌山県には敬語がないのだと考えている。自由民権運動が起こったけれど、藩閥政治に対するただの政争の具にすぎないような気がする。

 敬語がない環境で育つとどうなるかについて述べよう。
 まず、『源氏物語』『大鏡』など、敬語を手がかりにして、発話者を特定するということを習得するのに、たぶん、敬語のある都道府県の高校生よりも、時間がかかっていた。むしろ、私の場合、『大鏡』を精密に現代語に訳すという作業を通じて、母語である日本語の敬語体系をきちんと身につけたようなところがある。
 また、このブログに関しても、たいていのブログは敬体(です・ます調)で書かれているのに、ここでは常体(である調)で書いている。これは、敬語のない紀伊国出身と無縁ではないだろう。
 また、早稲田大学進学後も、教授・助教授をはじめとする講師に対して、せいぜいのところ、丁寧語を使うくらいで、尊敬語はほとんど使わなかった。むしろ、尊敬語を使っている学生を見ると、「卑屈なやつだ」とさえ思っていたくらいだ。今から考えると、よっぽど育ちが悪いと自分は思われていたんだろうと思ったが、よく考えたら、育ちは本当に悪かった。

 先日、『プレジデント』の2009 10.09号を読んでいたら、文部科学省の全国学力テストの結果が掲載されていた。和歌山県は小学生と中学生の国語でワースト15県に入っていた。算数・数学ではワースト15県に入っていないのにもかかわらずだ。
 算数・数学が優れているわけではないが、国語は相当に悪い。
 これは、たぶん、敬語の問題や敬語が絡む問題ができないからだろう。問題は確かめていないけれど。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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