2014年4月7日月曜日

和歌山県が主催する戦没者追悼式が2013年に初めておこなわれた。

和歌山県が主催する戦没者追悼式(せんぼつしゃついとうしき)は2013年に初めて行なわれた。

それまでは遺族連合会が独自に護国神社(ごこくじんじゃ)で行なっていた。

また、和歌山県橋本市主催の戦没者追悼式も2010年あたりからのようである。

少なくとも1980年あたりまでは、地方自治体主催の戦没者追悼式(せんぼつしゃついとうしき)はなかったと記憶する。

一方で、地元出身の軍人や部隊の話を積極的にする地方もある。

これこれという人は、この戦線でこんな活躍をしたという話を聞く。

そうした地方の生徒の学力は高くなる傾向にある。

日教組や全教が君臨(くんりん)していないからである。

どうも、日教組や全教は、「人間は平等だ」と唱えるけれども、平等にするのに、全員の学力を下げることによって、平等にしようとしているように感じる。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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