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2014年4月25日金曜日

小学4年生で集合論を習った世代

高校生に集合論を教えている途中、私の世代は小学4年生で集合論を習ったと言ったら、驚かれた。

小学4年生のときに、ド=モルガンの法則を習ったのかどうかは記憶にない。たぶん、習っていないんだろうな。ベン図は習ったのはまちがいない。

昭和46年から、小学4年生の算数の教科書に集合論が登場した。

数学には、それぞれの分野全体を貫(つらぬ)く共通のものが、一見すると見当たらない。

そこへ、19世紀に集合論が登場した。

アルフレッド=ノース=ホワイトヘッドAlfred North Whiteheadとバートランド=ラッセルBertrand Russellによる『プリンキピア=マテマティカ』Principia Mathematica(ラテン語で「数学原理」という意味)では、集合論、基数、序数、実数だけを扱っている。

昭和46年から小学4年生に集合論を教えることになるにあたって、強い影響を及ぼしたのは、ニコラ=ブルバキNicolas Bourbakiではないだろうか?

ニコラ=ブルバキとは、フランスの若手数学者を中心とする集団による共同ペンネームで、集合論によって数学を基礎づけようとした。

その著『数学原論』Éléments de mathématiqueでは、最初の4巻が集合論であり、第4巻は最初の3巻の要約版である。

ここで、注意深い人なら気づいただろうが、一般のフランス語では、数学はmathématiquesであるが、『数学原論』の原題では、語末の-sを取り去り、単数形のmathématiqueとしている。数学は統一性のあるものであるという信念をニコラ=ブルバキが抱いていることを示している。

一方、ニコラ=ブルバキの著書には『数学史』もあるが、こちらの原題は、Éléments d'histoire des mathématiques(直訳:数学の歴史の初歩→数学史入門)と複数形になっている。

こうした流れから、当時の文部省は、算数・数学の概念(がいねん)を明確にするために、小学4年生に集合論を教えることにしたのだろう。

昭和43年改訂の小学校学習指導要領には「集合については形式的な指導をすることがねらいではなく、積極的に集合に着目させることによって、内容の学習やその処理が適切にできるようにすることをねらいとするものとする」とある。

昭和43年改訂の小学校学習指導要領告示のうちの算数の部分

ところが、教育現場では、ちょっとした混乱が起こった。教える側の教師で、集合論が理解できていない者が少なからずおり、でたらめな授業をしたり、理解できない生徒をよりよく理解させることができず、どうせ子どもだからと嘘(うそ)を教えたりした。

そんなところへ、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞受賞の数学者・広中平祐(ひろなかへいすけ)などが、小学生に集合論を教えなくても問題ないと発言するようになった。

小学4年生への集合論の教育は、昭和46年から始まったが、9年後の昭和54年で終了した。

数学原論 (〔1〕)

数学原論 (〔2〕)

数学原論 (〔3〕)

数学原論 (4) 集合論 要約


1970年度に発行された『数学原論』第1巻の表紙

2014年4月7日月曜日

和歌山県が主催する戦没者追悼式が2013年に初めておこなわれた。

和歌山県が主催する戦没者追悼式(せんぼつしゃついとうしき)は2013年に初めて行なわれた。

それまでは遺族連合会が独自に護国神社(ごこくじんじゃ)で行なっていた。

また、和歌山県橋本市主催の戦没者追悼式も2010年あたりからのようである。

少なくとも1980年あたりまでは、地方自治体主催の戦没者追悼式(せんぼつしゃついとうしき)はなかったと記憶する。

一方で、地元出身の軍人や部隊の話を積極的にする地方もある。

これこれという人は、この戦線でこんな活躍をしたという話を聞く。

そうした地方の生徒の学力は高くなる傾向にある。

日教組や全教が君臨(くんりん)していないからである。

どうも、日教組や全教は、「人間は平等だ」と唱えるけれども、平等にするのに、全員の学力を下げることによって、平等にしようとしているように感じる。

2014年3月2日日曜日

成績が伸びすぎる学習塾・予備校の経営上の難点

経営上の難点はいろいろとある。

1)両親の学歴を軽く超えるの確実になると、退塾させられる生徒が出現する。

とりわけ、女子生徒の場合、経験上、6割はやめさせられる。

東京の東部(大卒率が30%未満や25%未満の地域)にある大手進学塾では、上から2番めのクラスの女子生徒をいちばん上のクラスに上げると、ふっとやめてしまう事例が多発しているので、一般的な基準であるいちばん上の上のクラスの平均点を超えたら上げるは適用せず、女子生徒の場合は、なるべく上のクラスには上げないようにという通達が出されたことがあるくらいである。

2)あまりにも短期間に成績が伸びるので、簡単な仕事なのではないかと思うらしい。

その結果、受講料を値切る親が出現する。

また、勝手に月謝袋の中身を千円や2千円少なくする親も出現する。

プリント作成にかかる作業工数などを説明し、当校のように個別対応型の塾では、プリント作成に関しては、少品種大量生産ではなく、多品種少量生産なので、これでもぎりぎりの受講料なのだと説明しても、一定レベル以上の知的な仕事をしたことがない女性やパソコンを使いこなせない女性は、論理的には多少は理解しても、感情の点では受け入れられないようである。

こうした場合、即座に退塾処分にしている。家庭環境ゆえに伸び代(しろ)が少ないのが判明したからである。

3)口コミが少ない。

あまりにも効率よく成績が上がり、周囲から、「やればものすごくできる子」と思われる。すると、その評価を下げたくないので、こんなすごい塾・予備校に通ったからですとは言いたくなくなる。

ある事例では、偏差値34から、高校3年生の8月から受験勉強を始め、立教大学に合格して、早稲田大学商学部には、0.052差で不合格になった生徒がいる。その生徒が大学生のときに、同じ部活動の後輩に受験で相談を受けても、当校を紹介しなかった。

また、別の事例では、当校入校時に「2」が6個、「3」が3個の成績で、学年順位は134人中110番台だったという生徒がいる。ところが、当校入校後、成績が上がり、周囲から、「どこの塾に通っているの?」と訊かれて、「あなたが通えないくらい遠くの塾よ」と答えた。

4)あまりにも成績の伸びがよすぎるので、はったりをかましているのではないかと疑われる。

私は小学2年生のときに実施された知能指数検査では、時間内にすべてを解き終えた。だから、知能指数は160以上はあった。

そういう人間には見えるけれども、そうでない人には見えないことがある。

その観点から受験校の対策を講じる。

しかしながら、とにかく暗記さえすればよいとような小学校の勉強や中学校の定期試験のための勉強は、受験に関しては無駄が多い。小学校のときにオール5だったのに、中学校で失速し、高等学校で終わってしまった人は、勉強方法を間違えているのだけれども、その間違いに気づいていない。「暗記量が足りなかった」と反省する。

これがわからない人は多い。

2013年11月1日金曜日

『えんぴつで奥の細道』というものの存在を知って……

『えんぴつで奥の細道』という書籍(しょせき)の存在を知った。

高名な書家が『奥の細道』の文章を書いたものを、薄く印刷してあって、それをなぞり書きするというものである。

シリーズ累計で150万部を売り上げたという。1冊1,000円とすると、出版社の取り分はそのうちの50%、つまり500円である。すると、500円×150万部=7億5千万円となる。

うーん。

『えんぴつで奥の細道』の最初の単行本がポプラ社から出版されたのは2006年1月1日である。

それに先立って、『書き込み式「般若心経」練習帳』が成美堂出版から2005年8月26日に出版されている。「般若心経」は真言宗やいくつかの宗派で重視されるものの、写経そのものは、それほどメジャーではない。

しかしながら、『えんぴつで奥の細道』はヒットしたようである。その結果、『奥の細道』以外の有名古典でも、なぞり書きシリーズを刊行し、累計150万部となった。

ところで、当校でもなぞり書きのプリントは10年以上も前から、作成していた。

最初は、小学生の漢字の書き取りの練習として作成した。

漢字が苦手な男子生徒は、手本を見ながら、そのとおりに書くことができない。止め・撥(は)ね・点をきちんと見て取ることができない。それで、なぞり書きプリントを作成したのである。

まもなく、中学生や高校生に向けて、古典のなぞり書きプリントも作成するようになった。学習にかかる負担・時間が減るのだ。『小倉百人一首』のなぞり書きプリントも作成しているが、これも刊行されていた。

また、国語の小説などでも、なぞり書きプリントを作成すると、軽い自閉症の子どもの成績も上がる。

ところが、そんなものが一般向けの商品になるとは思いもしなかった。

『奥の細道』程度の作品であれば、研究レベルとなると話は別だが、表面的な意味だけを汲(く)み取って読む分には、古文の文法を学びさえすれば、註釈を見ながら、独力で読めるようなものなので、『えんぴつで奥の細道』のようなものが商品として成立するとは思いもしなかったのである。

ちなみに私は高校1年生のときに『奥の細道』は原文で読んだ。

それにしても、私にはこういうものがヒットしたというのが信じられない。一般の日本人は、それほどまでに教養がないのであろうか?

それにしても、『えんぴつで奥の細道』を仕掛けた編集者は、じつに大したもんだ。私はそれ以前に、なぞり書きプリントを作成していたけれども、学習用以外で商品になるとは思いもしなかったもの。



2013年10月21日月曜日

受講料を少なく払ったのでクレームをつけたら逆ギレして退塾させた親がいた。

当校では、成績が抜群に伸びるのだが、あまりにも成績が伸びすぎると、簡単なことをしていると思ってしまう親がいる。ほかの個別指導塾・個別対応型塾と較べて、受講料は廉(やす)いのに、もったいないと思う場合があるようである。

ちょっと前のことだが、月謝袋に入っている受講料が1000円少ないということがあった。うっかりしたのだろうと思って、そのままにしておいたところ、翌月には2000円少なく入れていた。

これは確信的だと考えて、差額分の請求書を生徒に持たせた。

すると、その生徒は、勉学の意欲を著(いちじる)しくなくした。そりゃあ、そうだろう。母親が犯罪をしているのだから。

そこで、その件に関して、親が受講料をきちんと払わないという犯罪をしたとしても、そのことで自(みずか)らの勉学の意欲を低下させるのはよくないと諭(さと)した。

気落ちしたその生徒が、帰宅してから、様子がおかしいということで、母親が理由を問うた。ところが、「母親が受講料を適切に支払わなかったのが2か月も連続したのを知ったから」と、本当のことは言えない。

適当な理由をつけた。勉学に励(はげ)まなくなったことに関して小言を言われたそうだという苦情のメールが届いた。

それで、真相を述べた。親が受講料をきちんと払っていないことにショックを受けて、勉学の意欲をなくしたらしいということを返信で述べた。受講料を月謝袋に少なく入れるというのは、万引きや泥棒と同じなので、これは犯罪ですと述べたのである。

すると、「私を犯罪者扱いするのですか。退塾させます」ときた。犯罪者であるという自覚がないらしい。

低学歴の保護者の場合:急速に成績が上がる。→こんなに短期間に成績が上がるのだから、簡単なことをしているように感じる。→受講料がもったいないと思う。→なんだかんだと退塾させる。

ところで、よくよく考えると、件(くだん)の生徒にしても、親にしても、ツングース系の顔をしている。不当な差別は絶対に許されないが、こういうことが何度もあると、ツングース系の顔つきの人は、あんまり来て欲しくないという気になる。

2013年10月13日日曜日

整形している母親の子どもの成績の伸びはちょっと悪い。

整形している母親の子どもの成績の伸びはちょっと悪い。

整形しているかどうかは、見ればわかるのに、どうして、整形するのかわからない。

たとえば、以下に画像を載(の)せるが、蒙古襞(もうこひだ)のある二重瞼(ふたえまぶた)なのに、鼻に近い部分に切れ込みを入れて、コーカソイド(白人)のようにする人がいる。芸能人に多く見られる。ところが、蒙古襞(もうこひだ)で二重瞼(ふたえまぶた)の場合、鼻に近いところから外側に向かって、二重瞼の幅が広くなる。ところが、もとから、蒙古襞(もうこひだ)がない人は、二重瞼(ふたえまぶた)の幅が一定なのである。だから、蒙古襞(もうこひだ)をなくして、目に切れ込みを入れると、蒙古襞(もうこひだ)でもないのに、二重瞼(ふたえまぶた)の幅が外側にいくにつれて、拡がるという奇妙なことになる。

また、女性の胸というのは、所詮(しょせん)、脂肪なのだから、鎖骨(さこつ)の脂肪のつき方に、概(おおむ)ね、比例する。豊胸手術をすると、鎖骨の脂肪のつき方の割に不自然に胸が大きい。そういうのは、やっぱりわかるのである。

ほかにも、整形したパーツとほかのパーツとの組み合わせが不自然になっているから、おかしな印象しか受けない。

では、元・AKB48の板野友美のように、顔全体を徹底的に整形すればよいのではないかと考える人もいるかもしれないが、その場合には、その体形や手足の長さ、骨盤の大きさなどから、不自然なものとなっている。

足首がこうなっているのに、顔がこうなのはおかしいというものも多い。

だから、整形にはまったく意味がない。

そのことに気づかない人が整形をするのだろう。ということは、整形をしている母親は、観察力のない人間だということだ。つまりは、馬鹿であるということだ。

その母親の遺伝子を受け継ぎ、かつ、金銭で外見だけをよくしようという母親がいるという環境で育っているから、真面目に努力ができない。たいてい、欠席しがちである(欠席しがちの生徒の母親が整形しているというわけではない)。地味な努力ができないらしい。整形に近いズルをして、人生をなんとかくぐりぬけようというメンタリティ(精神性)があるのかもしれない。

なお、かなり整形した母親で、かつ、明らかな人格障害がある場合、生徒の成績の伸びはまったくといっていいほど期待できない。




2013年10月10日木曜日

大東亜戦争中ならびにその前に教員になった一定の年齢層の連中は、消極的に徴兵を避けるためだった場合が多いようだ。

 戦争中、徴兵(ちょうへい)を忌避(きひ)する方法は、いくらでもあったが、それができない人で、それでも出征(しゅっせい)したくない場合には、教員になるというパターンがあった。

 確実に徴兵逃れができない場合には、教員になるという場合があったわけだ。

 当時、教員は、いくぶん、徴兵にとられにくかった。それを狙(ねら)って教員になる者がいた。

 終戦近くになると、40歳近い人まで徴兵にとられたが、教員だと35歳くらいでも徴兵されない確率が高くなった。

 戦争賛美をしていたのに、戦後、掌返(てのひらがえ)しで、戦争批判に明け暮れた教員がいて、当時、生徒であった人たちがしたためたものに、不信感を抱いたという回想が多いが、態度を急に変えたのではなく、元から、戦争で死ぬのは嫌だが、有能な理系の技術者になるなどして、確実に戦場に行かなく済むようにできない中途半端(ちゅうとはんぱ)に頭がよくない連中が、徴兵されない確率を高めるために教員になっていたからである。

 徴兵忌避(ちょうへいきひ)なら、斧(おの)で自分の足の指を切り落として不具者(ふぐしゃ)になるとか、山の中に逃げ込んで、自給自足の生活を送るとか、そういう手段もあったのに(実際に、こうしたことをした人が和歌山県にはいる)、そこまでの根性もなかった連中だったのである。

 そんな教員に教わったのに、昭和10年代に生徒だった日本人は、その割には頭がいいな。

2013年9月9日月曜日

「家紋」調査という宿題が小学校の4年生のときに出された。

小学生の4年生のときに、家紋を調(しら)べて、報告するという課題があった。当時は、どういう意図があるのかさえわからなかった。

うちは、現在でいうと、和歌山市から橋本市への川上船というものを江戸時代に運営しており、そのことによって、紀伊藩の北部の経済が繁栄した。その業績によって町人なのに士分(武士の身分)に取り立てられ、苗字帯刀を許され、丸に九枚笹(くまいざさ)の家紋も与えられた。

紀伊藩は、地元の経済に貢献すると、気楽に士分に取り立てる。私の中学校の同級生で、江戸時代なら士分になっていそうな人がいる。いや、もしかすると、元から士分なのかもしれないのだが、理容関係だとか、酒類販売だとか、生命保険だとか、そうした仕事で活躍している人たちがいる。

江戸時代の基準だと、他府県で活躍しても士分に取り立てられることはないようだが……。

それはともかく、江戸時代に町人と農民しかいなかった町だから、丸に九枚笹のような武家に多い家紋がある家はなかった。

こんな変な家紋はうちだけなのか、これは恥ずかしいと思った。

また、今から思えば、ある特定の地域に住む人たち特有の家紋というものがあった。

あの先生は、いったい、何を思って、「家紋」調査という宿題を出したのであろうか?


2013年5月31日金曜日

三好達治「甃(いし)のうへ」という詩の入試問題について

 三好達治の『測量船』という詩集に「甃(いし)のうへ」という詩がある。それが大学入試で出題されたことがある。今なら、その問題は、女性に対する不当な偏見であるとして、出題されない。

 つぎのものである。

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  甃(いし)のうへ

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかに跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺(みてら)の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂々(ひさしびさし)に

風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
---

 設問(せつもん)は、3行目にある下線のある「をみなご」についてのものであった。「この『をみなご』は何人か」というものであった。

 正解は「2人」である。

 まず、「をみなご」は「女の子」「若い女性」くらいの意味である。つぎに、「語らいあゆみ」、つまり「話しながら歩き」とあるので、ひとりではない。ひとりでは、語らうことができないからである。第3に、「しめやかに」、つまり「おしとやかに」「静かに」とあるので、大声で話している状況ではない。そして、「女三人寄れば姦(かしま)しい」という諺(ことわざ)がある。3人いると「しめやかに語らいあゆ」むことができない。ということで、2人となる。

 高校生のときに、国語の教師が授業中にこの問題を紹介し、私に何人だと思うかと訊(たず)ねた。私は、さっぱりわからなかったので、間違えるよりは、笑いをとろうと、「おそらく、273人だと思います」と答えた。「女子高の修学旅行か」と応(おう)じられた。

 その後、この問題は高校入試でも出題され、中学入試でも出題された。うまくできた問題だと思った人が少なくなかったのであろう。

 なお、この問題を小学生から高校生までに出してみたら、正解率はさほど変化しなかった。知識が増えたからといっても、年齢が上がったからといっても、正解率が変わらなかった。

 わかる人にはわかるし、そうでない人には、いつまで経(た)ってもわからない。私は「いつまで経ってもわからない」側の人間である。

2013年5月30日木曜日

地元出身の偉人のせいで、小学校や中学校の授業内容が影響を受ける事例

 私の出身地・和歌山県橋本市からはオリピック金メダリストをふたり輩出(はいしゅつ)している。

 ひとりはベルリン=オリンピックの女子200m平泳ぎで金メダリストになった前畑秀子(まえはたひでこ)であり、もうひとりはメルボル=オリンピックの男子200平泳ぎで金メダリストになった古川勝(ふるかわまさる)である。

 ちなみに、古川勝の姪っ子(めいっこ)とそのいとこを知っているが、このふたりはなんの努力もしないでも、もとから相当に身体能力が高く、そのふたりをはるかに凌(しの)ぐ身体能力の持ち主である古川勝が猛練習して、やっと金メダルがとれるということから、金メダルというのは大したもんだとつくづくと感心したことがある。

 それはともかく、小学校や中学校では夏の間、梅雨が明けきらぬうちから水泳の授業が始まり、9月になっても水泳の授業があった。その間の体育の授業はすべて水泳であったと記憶している。

 中学校の水泳部は、1日あたり1万メートルを泳ぎこんでいた。

 幼少のころは、全国の学校では、夏は水泳の授業しか行なわれないものだと思っていたし、水泳部は毎日1万メートル、泳ぐものだと思っていた。

 しかしながら、東京の学校では、自前のプールがないので、水泳の授業が年間3回しかないとか、まったくなかったりする学校も存在する。どちらかというと、学校ではなく、スイミング=クラブ主体なのである。

 そういえば、消しゴム版画家の故・ナニシー関(せき)のエッセイ集によると、彼女は、世界的版画家・棟方志功(むなかたしこう)と同郷であり、棟方志功の影響で、小学校の図画工作の時間は、ほとんど版画ばかりを彫(ほ)らされていたという。

 どこでも、そういうもんらしい。

 ところで、多変数解析函数論(たへんすうかいせきかんすうろん)への貢献で世界的に有名な数学者・岡潔は大阪市の生まれであるが、和歌山県伊都郡(いとぐん)紀見村(きみむら)にある尋常小学校と尋常高等小学校高等科を卒業しており、また、終戦を挟んで10年くらいを今の橋本市で過ごしている。

 しかし、数学・算数教育にはとりたてて力は入れていなかったのが不思議だったけれども、最近になって「橋本市おもしろ算数数学教室」や「橋本市岡潔数学WAVE」というのを立ちあげて、力を入れ始めたそうだ。

2013年5月15日水曜日

共通一次試験導入のきっかけは横浜国立大学の内ゲバ殺人だった。

 共通一次試験(正式名称:大学共通第1次学力試験)が導入されたきっかけは横浜国立大学での内ゲバ(うちげば)殺人だった。内ゲバは、「内部(ないぶ)ゲバルトGewalt」の略称で、ゲバルトはドイツ語で「暴力」の意味である。

 1971年に、革マル派活動家が横浜国立大学内で中核派に殺害される。ついで、1974年に革マル派活動家が中核派に襲撃され、学生食堂に逃げ込んだが、学生が遠巻きに見守る中で、中核派がバールで後頭部を打ち砕(くだ)いた。

 当局側が、この事件に驚いた。それ以前にも内ゲバ殺人事件はあったが、国立大学での内ゲバ事件でも、主犯はその国立大学内に入っていた私立大学の文系の学生や専門学校生が多かったので、危機意識がなかった。馬鹿がやっているにすぎないと。

 ところが、横浜国立大学といえば、旧2期校のトップクラスの大学である。なぜ、そこの学生が内ゲバ殺人事件を起こしたのか、当局が調べた。

 東京大学をはじめとする旧1期校の難関大学に不合格になって、旧2期校の横浜国立大学に進学した学生が多かった。

 世田谷をはじめとする海岸寄りの東京西部と神奈川県川崎市・横浜市、その他の神奈川県在住者にとっては、千葉大学は遠すぎるし、東京外国語大学は、もともとは語学を生かしたスパイを養成する学校のようなところだし、東京学芸大学は給料の廉(やす)い教員養成施設にすぎないということで、横浜国立大学を受験し、進学する。だから、横浜国立大学は、消去法によって、2期校では優秀な大学になっていたにすぎなかった。

 小学3年生あたりから、難関大学に進学しろと親に尻(しり)を叩(たた)かれ、10年あるいはそれ以上に亘(わた)って猛勉強につぐ猛勉強をした結果が、横浜国立大学となれば、落胆(らくたん)が大きいのは想像に難(かた)くない。

 そして、その一部が、過激な学生運動に加わった。

 マルクス主義という進歩史観(しんぽしかん)の魔物に魅入(みい)られた者たちである。進歩史観というは、世の中は徐々に、確実によくなっていくものであり、最終的には理想的な状態になるはずであるとするものである。進歩史観を信奉(しんぽう)することは、現時点で自分が思うとおりにならないのは社会が間違っているからであり、社会が進歩していれば、自分はもっと高く評価されているにちがいないと考えることでもある。マルクス主義者で、後に高く評価された例もあると考える場合もあるかもしれないが、高く評価しているのはマルクス主義者たちだけであって、それ以外からは評価されていない。

 私の知り合いでも、望んだレベルの大学に進学できなかった人たちの中に、共産党員や左翼活動家になったという事例(じれい)は少なくない。

 そんなわけで、当局は策(さく)を講(こう)ずることにした。

 まず、1期校と2期校をなくし、国立大学は1回しか受験できないことにする。こうすれば「屈辱(くつじょく)の2期校進学(横浜国立大学進学)」がなくなる。大学の序列(じょれつ)がなくなるだろうと考えた。

 つぎに共通1次試験の導入である。5教科7科目を受験させ、自己採点によって自分がどの程度の成績であるかを知らしめ、妥当(だとう)な大学を受験させることとした。

 ところが、大手予備校が30万人分以上の自己採点の結果と志望校のデータを集め、共通1次試験の結果から合格できそうな大学を割り出すということをした。国立大学の序列化(じょれつか)が一層(いっそう)進んだわけである。

 また、東京大学などの超難関大学は、共通1次試験のようなレベルの低い問題で高得点をあげられることが大学進学後の学業には相関関係がないとして、共通1次試験の比重をきわめて低くし、2次試験の比重を大きくした。つまり、共通1次試験の価値を減らす戦略(せんりゃく)に出たのである。最上位の国立大学に対しては、共通1次試験は効力(こうりょく)がなかったのである。

 一方、大学進学にあたって、5教科7科目も受験してられるかよという層もいた。高度経済成長によって、私立大学の学費が負担できる社会階層が大幅に増えていた。その結果、私立大学の偏差値が急上昇した。偏差値で10から15、上昇した。真ん中あたりから下の国立大学の価値が下がったにすぎなかった。

2013年2月23日土曜日

少人数制・学力別クラス編成など、どのような教育形態が生徒の学力が最も伸びるのか?

 少人数制クラスと大人数制クラス、学力別クラス編成といろいろな教育形態(けいたい)がある。その中で、どれが生徒の学力を上げるのかについて考察(こうさつ)してみよう。

 少人数制(しょうにんずうせい)あるいは小人数制(こにんずうせい)は、教師の目が行き届くので、生徒の学力を上げるように思われているが、それほどでもない。

 たとえば、6人のクラスで、そのうちの2人が、『ドラえもん』に登場するジャイアンとスネオだとしたら、学校・塾に行くことさえ憂鬱(ゆううつ)になるだろう。

 一方、学力別クラス編成でない大人数制(おおにんずうせい)の場合、同じクラスに、真面目に勉強する頭のよい生徒がいるので、一部の生徒は、そうした生徒を見習って、自分も勉強しなければならないと考え、勉学に勤(いそ)しむようになり、その結果、学力が向上する場合がある。これをピア効果peer effectsという。

 学力別クラス編成の場合、つぎのような状況になると成績が下る。

 学力別ではないクラス編成の場合には、クラスで5番の成績である者が、学力別クラス編成になると、トップ=クラスに編入され、そのクラスでは最下位になる場合がある。そうなると、勉学意欲をなくす場合が生じる。学力別でなければ気分よく勉強できていたのに、やる気を失くしてしまいかねない。

 その一方で、3番目のクラスで1番になると、気分よく勉強できるので、成績が向上する。そのまま勉学に励(はげ)めばよいのだが、学力向上にともなって、上のクラスに入れられ、クラス内順位が芳(かんば)しくなくなり、成績の向上が沈滞(ちんたい)する場合もある。

 尚(なお)、進学塾では上から2番めのクラスでトップの成績をとっても、上から1番目のクラスの平均点を超えない場合には、クラスを上げないのが一般的である。クラスが上になればなるほど、月例テストなどでは出題されない内容だが、難関高校対策用の内容も多く盛り込むので、下のクラスでいちばんだからといって、安易に上のクラスに上げると、上記のような事態、つまり、努力の割に芳(かんば)しくない成績に陥(おちい)るのである。

 以上のことから、どのようなシステムであっても、学力向上に関する効果は全体を均(なら)すとあまり変わらないのである。

 たったひとつだけ、母親が人格障害であるとか、特殊な条件の場合を除けば、必ず生徒の学力が向上する場合がある。

 教師の学力が頗(すこぶ)る高く、異常なまでに知能指数が高く、人格が良好である場合だけである。

 しかしながら、現在の賃金の最低でも3倍は支払わなければ、それだけの人材は集められないので、現実的ではない。3倍の賃金で人材を集めるとして、従来の教師の賃金をそのままにするわけにはいかない。また、公立の学校だと、ほかの公務員からの不満も続出するだろう。

 因(ちな)みに、東京都内の中高一貫校に関しては、立地条件や伝統をも考慮に入れて検討すると、偏差値が上がれば、教員の給料も上がる傾向にある。2校以上から採用される水準の教務(きょうむ)能力が備わっているのであれば、給料の高いほうに勤(つと)める場合が多いからであろう。

 また、同じような進学実績の場合、詰め込み型の学校は、そうではないところよりも給料が安くなる。給料が安いと詰め込むしか能のない教員の割合が高くなるようである。たとえば、麻布学園(麻布中学校・高等学校)の給料は、開成学園(開成中学校・高等学校)よりもうんと高いので、詰め込み度は開成が上だろうと推測できる。

 以上のことから、人件費を大幅に上げないかぎり、即効性(そっこうせい)のある確実な学力向上策(がくりょくこうじょうさく)はないということになろう。



『学歴社会の法則 教育を経済学から見直す』が、この文章の元ネタである。

2013年2月22日金曜日

「少人数制」と「小人数制」のどちらが正しい表記か?

「少人数制」「小人数制」のどちらが正しい表記なのかという問題がある。

 それに答える前に、それぞれの対義語(たいぎご)を検討しよう。「少」と対(つい)になる漢字は、「多少」ということばからわかるように「多」である。

 一方、「小」と対(つい)になる漢字は「大小」ということばがあることから「大」である。

 また「少数(しょうすう)」に対しては「多数(たすう)」という語(ご)がある。となると、「少人数制」の対義語は「多人数制」となるが、「多人数制」ということばは使われない。

「小人数」は「こにんずう」と読むのが正しく、「しょうにんずう」ではない。「小人数」の対義語は「大人数(おおにんずう)」である。

 このような混乱が生じたのは、元来(がんらい)、江戸時代の寺子屋での教育は「少人数制(しょうにんずう)」「小人数制(こにんずうせい)」が当たり前だったからである。

 第2次世界大戦後に「団塊(だんかい)の世代」が登場して、大人数(おおにんずう)で授業を行なうのが当たり前になり、大手予備校でも、1クラス200人が当たり前になった。同じ受講料であれば、大人数で授業を行なえば、そのほうが儲(もう)かる。

 大人数制(おうにんずうせい)では落ち零(こぼ)れる生徒が出てきて、尚且(なおか)つ、大人数制では成績を上げることができない予備校・学習塾が「少人数制」を謳(うた)い始めた。

 ところが、「多人数」ということばがなく、「大人数(おおにんずう)」ということばがあるのだから、「少人数制」ではなく、「小人数制」とすべきだと考えて、そうしている大手予備校が出現(しゅつげん)した。どうも、「しょうにんずうせい」と読ませたいらしいのだが、これは「こにんずうせい」と読むのが妥当(だとう)であろう。

 もともと、「少人数制」「小人数制」であったものが、「多人数制」「大人数.制」になり、改(あらた)めて、少ない人数の生徒を対象に授業を行なう制度に名称を与えようとした結果、以上のような混乱が生じたのである。

 当校では、「少人数制」「小人数制」のうちのどちらの名称を使っているかって?

 少数精鋭制(しょうすうせいえいせい)だよ。

 あ、嘘です。ほんとは、個別対応型です。

2013年2月14日木曜日

1980年あたりの「荒れる中学生」の原因は高度成長期に「金の卵」と呼ばれた中卒だった。

1980年あたりに「荒れる中学生」が出現した。『3年B組金八先生』の第2シリーズで荒れる中学生を扱ったが、初回放送は1980年10月3日だった。

この「荒れる中学生」の主体は、高度経済成長期に都会に出てきた最終学歴が中学卒業の者の子どもたちであった。ちょうど最近の、というか、ちょっと前の支那(中華人民共和国)と同じような状況で、1弗(ドル)=360円の時代では、作れば作るほど輸出できたから、中卒でもできるような単純作業の仕事をしていても賃金はぐんぐん上昇していった。

終戦直後は、食べるものさえなく、戦災孤児(せんさいこじ)になった子どもたちが、生きていくために強盗殺人を行なった時代である。

食べていけるだけでしあわせだったであろう。同盟罷業(どうめいひぎょう:ストライキ)などはあったが、全体として考えると、彼らは特段の不満を抱くことがなかった。

1960年には池田勇人内閣のときには「所得倍増計画」を策定(さくてい)されたくらいである。しかも、日本の経済は所得倍増計画以上に成長した。賃金が上昇していくのだから、勉強していなくても、真面目(まじめ)に働けば、よりよい暮らしになると思ってしまったのも無理はない。

しかも、当時の東北地方をはじめとする地方の中学校では、定期試験も実力試験もなかった。高等学校の進学率が20%の時代に、試験を行なう必要はなかった。そうした緊張感のない生活を送ってきた者たちが、中学を卒業すると「金の卵」として、都会に出てきた。集団就職のための「就職列車」というものがあった時代である。

経営者たちは、安価(あんか)な労働力の確保のために、地方の中学校を駈(か)けずりまわった。福利厚生(ふくりこうせい)を厚(あつ)くし、全寮制にして、家賃・食費を無料またはきわめて安価に抑(おさ)え、人材確保に奔走(ほんそう)した。

高度経済成長期に都会に出てきた中卒の人々は当時の基準で結婚適齢期となり、子どもが生まれる。それが1965年を中心とするものであった。その15年後は1980年である。

子どもをもうけた中卒の人々が、いつまでも、安アパート暮らしのままではいけないということで、団地の建設ラッシュが始まった。

中卒で都会に出て、単純作業ではあるが真面目に働けば、結婚もできたし、子どももできたし、立派な団地にも住めるようになった。なんの不満もない人生だ。

ところが、その子どもたちはというと、親が定期試験すらない中学校を出ただけで、試験勉強というものをしたことがない。難関大学や難関高校に進学するには、いろいろと逆算(ぎゃくさん)して、この時期にはこういうことができていないとまずいという発想がないどころが、毎日、勉強をするという発想すらない。

そうした環境で育った子どもたちは自宅ではまったく勉強しないまま中学3年生を迎(むか)える。

そこへ、実力試験を受けさせられる。偏差値30台や40台の成績を残す。偏差値の正確な意味はわからないけれども、偏差値75を超えた◯◯君は、難関進学校に入学して、東京大学にも合格し、超一流企業に入社するか、高級官僚とかいうものになってもおかしくないという話を耳にする。

15歳で、取り戻せないほどの「差」を実感することになる。かといって、これまで勉強したことがないので、今更(いまさら)、何をどう勉強すればいいのかすらわからない。

団地と1戸建(いっこだて)との「差」も実感する。なんだか正体のわからない感情が渦巻くが、自分でも何なのかわからない。「憤(いきどお)り」でも「不満」でも「怒り」でもない感情である。

 しかも、貧困家庭(ひんこんかてい)であるが故(ゆえ)に、高校に進学できないとか、大学に進学できないという時代ではなくなっていた。最早(もはや)、『キューポラのある街』の時代ではなくなっていたのだ。

 勉強が苦手なのに、上級学校に進学しなければならない状態になっていた。親も高校ぐらいは出てくれという。

しかし、中学生の半分は中学数学がわからなくなっている。そんな状態で、進学しなければならないのでは、絶望的な気分になる者がいるのは理解できなくもない。

そうして、「荒れる中学生」が出現した。主体は「金の卵」第2世代だった。

第3世代は、出生年度(しゅっしょうねんど)がバラけたので、1980年あたりほどのことにはならなかった。

2013年2月13日水曜日

うちの近所で流行している学習塾の受講費の値切り方

 どうも、ある特定の方法で学習塾・予備校の受講費の値切り方が、うちの近所で流行(はや)っているように感じる。

 その方法とは、つぎのものである。

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 対象は、個人運営の学習塾である。個人運営だと、代表あるいは運営者の独断で値引きを決定することができる。

 まず、「生活が苦しい」「家計が苦しい」と言ってから、退塾を示唆(しさ)する。

 集団指導型の学習塾では、20人の生徒が19人になっても、授業の負担は変わらない。だから、退塾されるくらいなら、半額で構わないと提案する。

 保護者としては、半額になって嬉(うれ)しいとなる。
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 この手を使って値切るというのが横行(おうこう)しているようである。

 学習塾側の対応としては、受験まで1年だとすると、半額ずつ2年間に亙(わた)って支払うという提案もありうるが、卒業後に約束を反故(ほご)にする例が少なからず見受けられる。

 大手の学習塾で同じことをすれば、ローンを組まされたりするが、ローンを組ませるところにいい塾はない。

 当校にあっても、だいたい2年に1件くらいのペースでそういう保護者が出現する。

「智慧(ちえ)」に対して報酬(ほうしゅう)を支払うことを嫌がるタイプが存在する。そういうことをしてくるからには、保護者のそういう態度は子どもの知育に悪影響を与える可能性がなくもない。だから、当校ではすっぱりと退塾して貰(もら)っている。

 つぎのような事例があった。

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保護者「受講料がきついので、塾を辞めさせようかと考えているのですが……」

私「そうですか。わかりました。特段の手続きは不必要ですから、お辞めください」

保護者「えっ……、あの……、えっ……。(受講料が)ゼロになるくらいなら、半額のほうがマシじゃないんですか?」

私「マシじゃないです。ひとりひとりに合わせたプリントを作成しているので、正規受講料でも、同じ教材を使っている同じレベルの生徒が数人いればいいのですが、ひとりしかいません。なおかつ、教科書のレベルが低いので、おそらく、今、作成しているプリントの使い回しも無理でしょう。正規受講料でも退塾してもらいたいくらいです」

保護者「えっ、でも、ゼロなら半分のほうがマシでしょう」

私「いやあ、もう、退塾で結構です。うちは受講料以上の価値があると考えていますので」
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 集団指導型の個人運営の学習塾でしか通用しない手段を個別対応型で用いようとして失敗した例である。

 当校で頗(すこぶ)る成績が上がり、大学の附属高等学校にも進学できて、よい成績を修(おさ)めて希望の学部に進学したいと考えていた生徒本人はやる気満々だったこともあってか、相当にがっくりとなったらしい。うちの生徒と近所でばったりと遇(あ)うと、さみしげに視線を逸(そ)らしたという。

 大卒でない保護者は、きちんと勉強して、高校でも大学でも一定の成績を修めなければならないということがわかっておらず、大学の附属で、ほぼ全入で大学進学できるとなれば、受講料がもったいないと思う場合がある。

2013年2月7日木曜日

「クチコミで生徒が集まる塾です」「クチコミで評判の〇〇塾です」は、生徒の成績をそれほど上げることができない。

「クチコミで生徒が集まる塾です」「クチコミで評判の〇〇塾です」という宣伝をしている学習塾は、本当はそれほど成績を劇的に上げることはできない。

 ちょっと考えてみればわかることだが、「2」が6個、「3」が3個の生徒がオール「4」になれば、だれにも教えたくなくなる。また、偏差値30台から半年で立教大学に合格すれば、これまた、だれにも教えたくなくなる。

 当校で実際にあった話だとつぎのようなものが挙(あ)げられる。

 近所の区立中学校に通っている生徒が、同級生にどこの塾に通っているのかと訊(たず)ねられて、「あなたには通えないくらい遠くの塾よ」と答えた。

 大学受験に際して、どこの予備校に通ったのかと問われて「お茶の水ゼミナール」と答えた者もいた。「嘘を吐(つ)いて、相手を嵌(は)めようとしたことにならないか」と訊(たず)ねたら、「新宿セミナーと答えるよりは良心的だと思います」と答えた。うーん、私は、精々(せいぜい)のところ、駿台予備学校以外に通う価値のある予備校はないと思っているのだが、それなりに序列があるらしい。

 中学3年生になってから当校に入学した生徒に小学5年生の弟がいるということから、「君の弟を今からうちに入れておけば、相当に成績が上がると思うが」と言うと、「そんなことをしたら、うちの馬鹿弟がぼくよりも難しい高校に進学するじゃないですか!」と言った。

 また、もともとの成績が自分よりもちょっとだけでも上の生徒に紹介すると、自分よりも成績がよくなる可能性が高いので、紹介しない。絶対に成績で抜かれなさそうな生徒しか紹介しない。

 所謂(いわゆる)「紹介の仁義(じんぎ)」である。

 これは、知り合いの女性に女性を紹介してもらったら、必ずといってよいほど、紹介された女性は紹介した女性よりも美人とは言い兼(か)ねるとか、あるいは、合コン(合同コンパ)を催(もよお)した場合、女性側の参加者が女性幹事よりも美人とは言い兼ねるというのを同じである。

 軽い自閉症児を紹介したり、ちょっと知的障害があるかなという生徒を紹介したりする場合がある。成績を上げる自信があるので引き受け、成績は上がるが、その後の経過(けいか)がよくない。

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 軽い自閉症児の事例を挙(あ)げる。

 彼は偏差値40以下の私立の中学校の生徒であった。偏差値40以下と書いたが、四谷大塚やSAPIX(サピックス)や日能研では、レベルが低すぎて、偏差値算出不能となっているような私立中学校である。

 英語も国語もビリだったが、英語はなんとか、学年順位が真ん中くらいになり、国語もビリから脱出してビリから2番となった。数学に関しては、自閉症の子どもには計算だけは苦手ではないというタイプいて、彼もそうだった。だから、数学は英語・国語ほども悪くはなかった。

 英語が学年で真ん中くらいの順位になり、国語もビリではなくなると、途端(とたん)に当校での勉強量が半分以下に減った。

 軽い自閉症児の場合、偏差値40以下の中学校でも学年順位が真ん中くらいで満足してしまって、それ以上には勉強しなくなったのである。

 以上のようなことがあったので、自閉症児の成績を一般の学習塾よりは上げられるのだけれども、特別料金でしか引き受けなくなかった。
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 英語の成績が学年順位で真ん中くらいで勉強量が半減した生徒の例であったが、当校の学習用プリントを使うと、ごく普通の生徒よりちょっと頭がよいくらいの生徒でも、やる気さえあれば、中学校入学前に3年分が、高校生でも偏差値63以上の高校に通う者であれば、2年分の教科書を訳して、語順整序(並び替え)のプリントをこなすことができる。すると、2年以上先取りをしてしまうと、これ以上、勉強しなくてもいいやという気になって、当校に来なくなる生徒がだいたい2年にひとりくらいの割合で出現する。

 また、女子生徒の場合も、成績が上がり過ぎると、嫁の貰(もら)い手が減るということで、退塾させる母親がたまにいる。

 成績が上がり過ぎると、塾というものは繁盛(はんじょう)しないものなのである

 成績が上がりすぎる塾の特徴として、兄弟姉妹・親戚(しんせき)だらけになるということがある。血縁関係にある場合は、成績で抜かれても多少は構わないと考えるらしい。

 その結果、当校では、〇〇一族・△△一族・◇◇一族という具合(ぐあ)いに、血縁者だらけになっている。同じ苗字(みょうじ)の生徒が多いので、下の名前で呼ぶようになった。

 ということで、本当に成績が上がる塾の場合、兄弟姉妹ならびに親戚(しんせき)だらけになってしまうのである。

 でも、これって、なんだかよくない気がするし、多少、座席に余裕(よゆう)があるので、12年ぶりに新聞にチラシを入れることにした。

 12年前には、どういうチラシにすればよいのかを調べて、そのとおりにしたが、そうすると、児童虐待(じどうぎゃくたい)をしているらしい親とか、知的レベルが低すぎる親とか、そういうのがわんさかとやってきたので、今回は、普通の人が読む気がしないものにした。こういう形で、選別するわけである。これは如何(いか)にも日本的ないやらしいやり方だとは思う。

2013年1月28日月曜日

東京都立高等学校の偏差値が上がれば上がるほど、主要5教科の教員のレベルも上がる理由

 東京都立高等学校の偏差値が上がれば上がるほど、主要5教科の教員のレベルも上がる。ということは、偏差値の低い都立高校に進学すると、レベルの低い教員に教わることになるし、更(さら)には、使用している教科書のレベルも下がるので、難関大学には進学できなくなる。偏差値が58を切ると早稲田大学の底辺学部も無理になる(スポーツ推薦などを除く)。

 偏差値の高い都立高校の教員のレベルが、それに応じて高いのは、都立高校の進学実績が上がるようにと、石原慎太郎・前都知事が画策した結果である。

 進学実績を上げろと命じただけでは、さほどの効果は期待できない。そこで、上位の高等学校の校長に強い権限を与えた。

 それ以前には、教員の移動は「垂直移動」であった。頗(すこぶ)る優秀な教員でも、底辺校で教鞭(きょうべん)を執(と)るということがあった。

 教員の移動は3年毎(ごと)だった。ある高等学校に3年間、勤務すると移動するという仕組みだったのである。

 ところが、平成12年以降、校長の権限が強化されてから、当該(とうがい)の校長が手放したくない人材であれば、申請書などを提出し、1年間の延長が認められるようになった。極(きわ)めて優秀な教員の場合、平成12年以降、一旦(いったん)、優秀な高校で勤務すれば、毎年、1年間の延長が繰り返されるようになった。

 一方、授業が下手で、学識(がくしき)も教養もない教員の場合、勤務してから1年後には、校長権限で他校へ移動させられる。

 ある都立高校の校長が、転任してきた教員を紹介するにあたって、「4年かけて私が口説(くど)き落として、○○高校から引き抜いてきました」と自慢することもあった。

 また、授業で極左思想(きょくさしそう)をばら撒(ま)く教員も排除(はいじょ)されているようだ。君が代反対(きみがよはんたい)・国旗掲揚反対(こっきけいようはんたい)という教員が都立高校では減っているように感じているからだ。極左思想の持ち主は信念を貫(つらぬ)いて底辺校に飛ばされるくらいのことをしなければならないと思うのだけど、信念が足りないのかもしれない。

 以上のことから、下位の都立高校には優秀な教員がいないことになる。

 これについては、経営学でいうところの「選択と集中」からすれば仕方がないことだろう。

 軍隊に優秀な人材が必要だったとき、陸軍士官学校にしても、海軍兵学校にしても、給料を支払いながら、前途有為(ぜんとうい)の人材の養成に励(はげ)んだということもあり、貧困層(ひんこんそう)でも受験できたから、入学試験に合格するのは、今の東京大学よりも遙(はる)かに難しかった。

 なお、最上位の数校で、10年、あるいはそれ以上、勤務しているとなれば、その間に校長も変わっても、手放したくないとされる人材であるということがわかる。

2013年1月13日日曜日

インターナショナル=スクールの小学5年生の宿題が難しすぎて、笑ってしまった。

 インターナショナル=スクールに通う小学5年生の宿題が難しすぎて、笑ってしまった。

 揚力(ようりょく)などに関するものだった。

 以下に掲げる用語の説明をするという宿題だった。

aerodynamic force 揚力(ようりょく)
Bell X1 世界で初めて水平飛行で音速を突破した有人実験ロケット機
Charles Yeager ベルX1の操縦士
Mach マッハ/音速
Newton's laws of motion ニュートンの運動の法則(ほうそく)
Newton's first law 第1法則(慣性(かんせい)の法則)
Newton's second law 第2法則(ニュートンの運動方程式(うんどうほうていしき))
Newton's third law 第3法則(作用・反作用(さよう・はんさよう)の法則)
Bernoulli's principle (流体力学の)ベルヌーイの定理
four forces of flight 航空の4つの力
thrust 推力(すいりょく)
drag 抗力(こうりょく)
lift 揚力(ようりょく)
weight 重力

 さらに、イラストも2つ描(か)かなければならなかった。

 ひとつは、航空機の絵を描(か)いて、矢印を記入して、それぞれに、thrust(推力)・drag(抗力)・lift(揚力)・weight(重力)を書き込むというものだった。

 もうひとつは、翼(つばさ)の断面を描(か)いて、空気の流れを描(か)き込んで、揚力を説明するというものだった。

 宿題の処理については、ウェブ上で、適当な資料を見つけて、印刷したものを渡してから、要約したり、そのまま書き写したりしてもらって、こちらが点検するだけだった。また、揚力そのもののイメージを摑(つか)んでもらうために、わかりやすそうな動画を見てもらった。

 直してもらったのは、つぎの2点だけだった。

 まず、Bell X1のところで、「音速を超えた」としているところにin level flight(水平飛行で)をつけ加えてもらった。1945年に日本の陸軍機である三式戦闘機「飛燕」が急降下で音速を超えているから、in level flight(水平飛行で)とつけたほうがいいんじゃないかと指摘した。

 つぎに、翼の断面図の上に、low pressure(低い圧力)としか書いていなかったので、high velocity(高い(空気の)速度→空気の流れ 速い)を、また、翼の下にhigh pressure(高い圧力)しか書いていなかったので、low velocity(低い(空気の)速度→空気の流れ 遅い)を書いておいたほうがいいよと言った。

 high velocityという語を耳にした高校生が、「あのぉ、去年の4月に、velocity(速度)って単語を知ったんですけど……」と言って、驚いていた。

 私自身、小学5年生で、この内容にはびっくりした。キリスト教に基づく一貫教育校だから、聖書に関する宿題が難しいのは理解できる。また、カナダ出身の教師も多く、カナダの一部は北極圏内にあるので、北極圏に関して、無闇矢鱈(むやみやたら)と細かいことを調べさせるのも理解できる。しかし、小学5年生で揚力というのは、ごく一部の理系小僧にしか無理だろう。

 ちなみに、中学受験の四谷大塚が開催している理科実験教室で揚力を扱うのは、選抜制の最上級クラスでのみ、それも6年生の1月のことである。

 まあ、アメリカ合衆国が誇れる唯一の重工業が航空機製造業といえなくもないからなあ。教育にも、お国柄(くにがら)は出るものなのである。

 ところで、日本車叩(たた)きの嵐がアメリカ合衆国で吹き荒れたときに、日本車輸入全面禁止措置(そち)を求める声すら上がった。そのとき、航空機産業界からつぎのような発言があった。

「やめろ! そんなことをすれば、あいつら[=日本人]は、本気で航空機を作り始めるぞ!」

2010年12月18日土曜日

最近の当校の事例(城北中学校1年生)

 1学期期末試験の英語で32点をとり、夏休みから当校に入学し、当校のプリントを使ってNew Crownの教科書を淡々と訳し、空所補充プリントや語順整序プリントをこなした。

 現時点で、中学3年間の教科書のすべてのレッスンを終えている(中学3年生の教科書のLET'S READだけは未済)。

 多少いい加減であっても、中学3年生レベルをおさえていると、中学1年生や中学2年生で習うことは簡単になってしまう。

 2学期の定期試験で91点をとった。59点アップだ。

 もともと地頭がよい生徒が当校のプリントを使って学習すれば、このくらいの得点上昇は、別段、異常値ではないんだけれども、驚く人が少なくはない。

 当該の生徒は、32点から91点になったことで「よく頑張ったね」と母親に言われ、それほど頑張ったわけではないのに、そんなふうに言われ、なんだか親を騙(だま)しているような気になってしまったそうだ。

2010年6月6日日曜日

ラブラブ二人乗り

 夫婦喧嘩の多い家庭で育つと、子どもというものは、その潜在的な能力を発揮できずになり、素質に較べて勉強できなくなる。そんなことを話した。
「そうはいっても、仲がよすぎるのも考えものです」
 女子高校生が言った。
 結婚後15年以上経っているのに、これほどまでに仲がよいのは、信じられないと常々思っていて、とりわけ、外食する際、たとえば、近所の寿司屋なんかにでも行こうということになると、自分は自分の自転車に乗って店に向かうのだが、そのとき、両親が、自転車でラブラブ二人乗りをするので困るという。「いやだなあ」と思うそうだ。
 ほかの女子生徒に両親のラブラブ二人乗りについてどう思うか訊ねてみたところ、高校生の意見は、好ましくないというものであった。40歳を超えて、ラブラブ二人乗りはないでしょうという意見もあった。
 このあたりについては、仲がよすぎると、両親ではなく、男女に見えるということから、好ましからざるものと感じるのだろう。
 しかし、子どもの教育に関しては、両親の仲が悪いよりは、仲がよいほうがよい。
 「ラブラブ二人乗り」ということばはおもしろい。初めて耳にすることばなのに、なんとなく意味がわかったような気になる。けれども、何をして、どんなふるまいをすれば、ラブラブ二人乗りになるのか、想像できない。私には不思議な感じのすることばだ。
 私自身、自転車の二人乗りは経験がなく、オートバイならあるけれども、事故に遭ったり、転倒したりしたときに備えるので、どうしたって、「ガチンコ二人乗り」にならざるをえない。
 ほかに、このことばを使う人がいるのかと思って、Googleで、そのままの文字列の検索例しか出てこないように、引用符で括(くく)って、"ラブラブ二人乗り"で検索してみたところ、このことばを使っている人が少なからずいた。
 それにしても、ラブラブ二人乗りであったとしても、自転車の二人乗りは道路交通法で禁じられていて、2万円以下の罰金または科料なんだよな。

自己紹介

自分の写真
和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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