2013年9月14日土曜日

戦後数年間、連合軍によって武道教育を禁止されたが、空手は禁止されなかった。

戦後数年間、昭和26年あるいは昭和27年まで、武道教育が禁止された。しかし、空手は禁止されなかった。

現在、空手の関係者は、スポーツだと言い張って、禁止を免(まぬが)れたと証言しているが、いささか怪しい。

本当の理由としては、つぎのものが挙げられるのではないかと想像している。

1)当時は、競技人口がきわめて少なかった。

2)もともと支那大陸から琉球王国に伝来し、改良を加えられたものが、本土に伝わったものなので、日本的なものだとは連合軍は考えなかった。

3)戦争中、アメリカ兵やイギリス兵は、柔道の技で投げられたり、剣道の応用である銃剣術で痛い目に遭(あ)わされた。弓道はというと、沖縄戦で、武器がなくなった日本兵によって手作りの弓矢で戦死したアメリカ兵がいる(異国の地で手作り弓矢で戦死するというのは、かわいそうでならない)。しかし、たぶん、空手で痛い目に遭ったアメリカ兵はいなかったのではないか?

4)昭和40年代に入るくらいまで、映画やドラマでは、キャバレーの用心棒(ようじんぼう)は、どういうわけか、空手使いであり、正義の味方は柔道家であったから、日本人は空手をいささか蔑(さげす)んでいたようである。(ただし、これは『空手バカ一代』の登場で、こうした意識が一変する。)

武術とは、元来、ひとりで数人を相手にできるものでなければならないが、空手のように、派手に動くのは武術たりえないはずである。目立ちすぎるからだ。

また、日本人は骨盤が後傾しているので、足を上げる空手や跆拳道(テコンドー)などには適していない。

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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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