バブル崩壊(ほうかい)のとき、不良債権(ふりょうさいけん)を抱(かか)える銀行などの内情(ないじょう)を政府が調べた。担当したのは、たぶん、高級官僚や、元=高級官僚の優秀な人々であったようだ。
担当者が銀行の頭取(とうどり)などの年収も調べた。
すると、ある担当者が、こう言った。
「あいつ、こんなにも(給料を)貰(もら)っているのか!? 学生時代は俺(おれ)より勉強ができなかった癖(くせ)に」
おそらくは40年以上も前のことで、そんなことを言ったというのは、人間の心理を考える上で、興味深い。
2014年5月24日土曜日
2014年5月6日火曜日
難関小学校の入試問題の特徴のひとつ
5月5日は端午の節句(たんごのせっく)であった。
5月4日には、高級スーパーマーケットでは、菖蒲(しょうぶ)が売れていた。
名門小学校の入学試験では、この手のことがらについての出題がされる。
日本の伝統的な行事を実行しない人々は、つぎのような人々である。
1)帰化したとはいえ、もともとは日本人でない。
2)今でも日本人でない。
3)日本人であっても経済的な余裕のない貧困層(ひんこんそう)である。
4)ただの成金(なりきん)にすぎない。
5)「菖蒲湯」に関しては、左翼系は実施しない。
「菖蒲湯(しょうぶゆ)」の「菖蒲」は「尚武」と音(おん)が同じで、「尚武」は「武(ぶ)を尚(とうと)ぶ」の意味であり、左翼系の思想の持ち主は、菖蒲湯を「尚武」に通じるということで嫌う。
以上のように、日本の伝統行事について幼稚園児に質問することで、名門小学校は、自校にとって、好ましからざる生徒を入れないようにしている。伝統行事をしない、あるいは、やれない家庭の子どもが合格しにくくなるようにしているわけだ。
あからさまな差別とはいえない形で、こんなふうにしている日本は、なかなかおもしろいと言えよう。
日本人は、「不当な差別」は嫌うけれども、それなりの理由のある「区別」は大好きな気がする。
5月4日には、高級スーパーマーケットでは、菖蒲(しょうぶ)が売れていた。
名門小学校の入学試験では、この手のことがらについての出題がされる。
日本の伝統的な行事を実行しない人々は、つぎのような人々である。
1)帰化したとはいえ、もともとは日本人でない。
2)今でも日本人でない。
3)日本人であっても経済的な余裕のない貧困層(ひんこんそう)である。
4)ただの成金(なりきん)にすぎない。
5)「菖蒲湯」に関しては、左翼系は実施しない。
「菖蒲湯(しょうぶゆ)」の「菖蒲」は「尚武」と音(おん)が同じで、「尚武」は「武(ぶ)を尚(とうと)ぶ」の意味であり、左翼系の思想の持ち主は、菖蒲湯を「尚武」に通じるということで嫌う。
以上のように、日本の伝統行事について幼稚園児に質問することで、名門小学校は、自校にとって、好ましからざる生徒を入れないようにしている。伝統行事をしない、あるいは、やれない家庭の子どもが合格しにくくなるようにしているわけだ。
あからさまな差別とはいえない形で、こんなふうにしている日本は、なかなかおもしろいと言えよう。
日本人は、「不当な差別」は嫌うけれども、それなりの理由のある「区別」は大好きな気がする。
2014年4月15日火曜日
甲子園に出場するくらいの高等学校から内部推薦で日本大学法学部に進学した生徒
彼は高等学校2年生の1学期の期末試験で学年でビリから9番だった。野球部だということから、「ある意味、裏のレギュラーだ」と嘯(うそぶ)いた。
彼はスポーツ推薦で、日本大学鶴ヶ丘(つるがおか)高等学校に進学した。
大学もスポーツ推薦で進学しようと思っていた。
ところが、肩を壊(こわ)した。大学へのスポーツ推薦はなくなった。
真面目に勉強しなければ大学に進学できなくなった。
高校2年生の9月から当校に入校した。
日本大学鶴ヶ丘(つるがおか)高等学校の規定(きてい)では、スポーツ推薦で入学した生徒は、怪我(けが)をしても、故障(こしょう)しても、当該(とうがい)の運動部を辞(や)めてはならないという規定(きてい)がある。
だから、しっかり練習をしなければならない。
故障した肩を庇(かば)いながら、早朝からの朝練(あされん)、昼食後の筋力(きんりょく)トレーニング、放課後の練習、これら、すべてに参加しなければならなった。
甲子園に出場するくらいの高等学校は、毎日、どのくらい練習しているのかと訊(き)いてみたところ、うちは東京都内の強豪校(きょうごうこう)ほどではないので、合計で1日あたり7時間くらいですと言った。
強豪校は毎日、9時間以上は練習するという。ナイター設備があれば、夜の9時や10時まで練習できる。
おまけに、ある高等学校の野球部では、「四合飯(よんごうめし)」といって、昼食時の弁当のご飯の量が「四合」だという。
毎日、当校にやってきて、指導を受けながら、当校の効果的なプリントをこなした。日によっては、午後10時にやってきて、午後11時半まで勉強するということもあった。
野球の練習で疲れて、プリントを渡した途端(とたん)に、そのまま眠ったこともあった。
それでも、必ず、毎日、当校にやって来て、勉強をした。
日本大学の付属校からの内部推薦では、高等学校の3年間の内申点の平均と、高校3年生の11月に実施(じっし)される「日本大学統一試験」(通称「日大統一テスト」「日統一」)を受験し、4科目の標準化点[=偏差値]を合計したものの数値で、内部推薦が決まる。
彼は、日本大学統一試験(日大統一テスト)の前に、日本史の対策をした。とにかく、暗記できるものは暗記した。
その年は、日本史の出題パターンが大きく変わった。
その結果、日本大学統一試験(日大統一テスト)の対策専門塾の生徒の大半は、日本史の出題傾向の変更に対応できなかった。
試験の結果、よい成績を、英語・国語のみならず、日本史でも収(おさ)め、クラス担任が、これなら法学部に進学できますねと言った。
3年間の内申点の平均と日本大学統一試験の標準点合計によって、推薦が決まるのだが、その上で、面接がある。これは概(おおむ)ね、形式的なものである(一部例外はあるらしい)。
彼は、3年間の内申点の平均も、日本大学統一試験の標準化点[=偏差値]の合計も、推薦基準のぎりぎりだった。
よほどのことがなければ、合格するのだが、彼は心配した。
3年間の内申点の平均も、日本大学統一試験の標準化点[=偏差値]の合計も、推薦基準のぎりぎりだったことから、たとえば「君はぎりぎりの成績なのだから、大学進学後は心を改めて真面目(まじめ)に勉学に励(はげ)みなさい」などと面接で説教されるなどと彼は予想していた。
ところが、面接ではこんなことを言われた。
「スポーツ推薦で入学して、甲子園に出場するような野球部に所属して、それで、この成績とは、君は本当によく頑張(がんば)ったね」
そう言われて、本人は拍子抜(ひょうしぬ)けしたという。
彼は、日本大学法学部に進学した。父親は大いに喜んだ。
内部推薦とはいえ、スポーツ推薦で高等学校に進学した彼が、法学部に進学することが決まったとき、同じくスポーツ推薦で進学した同級生がこう言った。
「スポーツ推薦でも、努力すれば法学部にも(内部推薦で)進学できるということを証明してくれて、ありがとう」
おい、おい、おまえもちゃんと勉強しろよ。
彼はスポーツ推薦で、日本大学鶴ヶ丘(つるがおか)高等学校に進学した。
大学もスポーツ推薦で進学しようと思っていた。
ところが、肩を壊(こわ)した。大学へのスポーツ推薦はなくなった。
真面目に勉強しなければ大学に進学できなくなった。
高校2年生の9月から当校に入校した。
日本大学鶴ヶ丘(つるがおか)高等学校の規定(きてい)では、スポーツ推薦で入学した生徒は、怪我(けが)をしても、故障(こしょう)しても、当該(とうがい)の運動部を辞(や)めてはならないという規定(きてい)がある。
だから、しっかり練習をしなければならない。
故障した肩を庇(かば)いながら、早朝からの朝練(あされん)、昼食後の筋力(きんりょく)トレーニング、放課後の練習、これら、すべてに参加しなければならなった。
甲子園に出場するくらいの高等学校は、毎日、どのくらい練習しているのかと訊(き)いてみたところ、うちは東京都内の強豪校(きょうごうこう)ほどではないので、合計で1日あたり7時間くらいですと言った。
強豪校は毎日、9時間以上は練習するという。ナイター設備があれば、夜の9時や10時まで練習できる。
おまけに、ある高等学校の野球部では、「四合飯(よんごうめし)」といって、昼食時の弁当のご飯の量が「四合」だという。
毎日、当校にやってきて、指導を受けながら、当校の効果的なプリントをこなした。日によっては、午後10時にやってきて、午後11時半まで勉強するということもあった。
野球の練習で疲れて、プリントを渡した途端(とたん)に、そのまま眠ったこともあった。
それでも、必ず、毎日、当校にやって来て、勉強をした。
日本大学の付属校からの内部推薦では、高等学校の3年間の内申点の平均と、高校3年生の11月に実施(じっし)される「日本大学統一試験」(通称「日大統一テスト」「日統一」)を受験し、4科目の標準化点[=偏差値]を合計したものの数値で、内部推薦が決まる。
彼は、日本大学統一試験(日大統一テスト)の前に、日本史の対策をした。とにかく、暗記できるものは暗記した。
その年は、日本史の出題パターンが大きく変わった。
その結果、日本大学統一試験(日大統一テスト)の対策専門塾の生徒の大半は、日本史の出題傾向の変更に対応できなかった。
試験の結果、よい成績を、英語・国語のみならず、日本史でも収(おさ)め、クラス担任が、これなら法学部に進学できますねと言った。
3年間の内申点の平均と日本大学統一試験の標準点合計によって、推薦が決まるのだが、その上で、面接がある。これは概(おおむ)ね、形式的なものである(一部例外はあるらしい)。
彼は、3年間の内申点の平均も、日本大学統一試験の標準化点[=偏差値]の合計も、推薦基準のぎりぎりだった。
よほどのことがなければ、合格するのだが、彼は心配した。
3年間の内申点の平均も、日本大学統一試験の標準化点[=偏差値]の合計も、推薦基準のぎりぎりだったことから、たとえば「君はぎりぎりの成績なのだから、大学進学後は心を改めて真面目(まじめ)に勉学に励(はげ)みなさい」などと面接で説教されるなどと彼は予想していた。
ところが、面接ではこんなことを言われた。
「スポーツ推薦で入学して、甲子園に出場するような野球部に所属して、それで、この成績とは、君は本当によく頑張(がんば)ったね」
そう言われて、本人は拍子抜(ひょうしぬ)けしたという。
彼は、日本大学法学部に進学した。父親は大いに喜んだ。
内部推薦とはいえ、スポーツ推薦で高等学校に進学した彼が、法学部に進学することが決まったとき、同じくスポーツ推薦で進学した同級生がこう言った。
「スポーツ推薦でも、努力すれば法学部にも(内部推薦で)進学できるということを証明してくれて、ありがとう」
おい、おい、おまえもちゃんと勉強しろよ。
2014年4月2日水曜日
おばあちゃんの聴講生が早稲田にいたんだけど……。
当時の早稲田大学第一文学部では、2年進級時に、専門課程に進んだ。
哲学科哲学専修では、必修科目として、キルケゴールの『死に至る病』を扱っていた。
呑(の)み会をすることになったので、その案内を作成し、そのコピーを教室で配った。
昨年、その科目を落第して、その年も受講している人たちもいたが、案内を配らないというのは、なんだか仲間はずれにしているようで、悪いので、そうした落第生たちにも案内のコピーを配った。
教室には、白髪頭(しらがあたま)のおばあちゃんもいた。ひと声かけて、その人にも案内を配った。
その人は聴講生(ちょうこうせい)だった。
クリスチャン(キリスト教徒)なんだが、教会での説教は聞くが、学問的にというか、アカデミズムの世界ではキリスト教がどういうふうに説明されているのかに興味を抱き、聴講生になったという。
その人は、高田馬場(たかだのばば)の居酒屋での呑み会にもやって来た。
男子学生は、おばあちゃんには興味がないので、あまり話しかけなかった。私は幹事ということもあって、そのおばあちゃんとある程度は話をした。
見ていると、そのおばあちゃんと積極的に話していたのは、第1子長女ばかりだった。どうも、第1子長女は、この手の心遣(こころづか)いに長(た)けているようだ。
2年生の夏休みに、早稲田大学の大隈講堂(おおくまこうどう)の前で、午後6時から翌日の午前6時まで呑み会をすることにした。各自(かくじ)が酒とつまみを持参するというものだった。
哲学科哲学専修の教授2人を誘ったけれども、夏とはいえ、石の上に坐(すわ)って12時間も呑み会をするというはついていけないということで、参加を断られた。
ところが、このおばあちゃんは、お酒とおつまみをたんまりと持って、やって来た。
途中、大隈講堂の裏にある劇団木霊(こだま)(正式な漢字は木偏(きへん)に旁(つくり)が霊という一文字である)の連中も合流して、おもしろかった。劇団をやっている人たちは基本的には貧乏なので、ただで酒が呑(の)めるとあれば、喜んでやって来る。中島さんという女子学生の劇団員が大好きになったな。
そして、3年生になったのだが、そのおばあちゃんは、よほど楽しかったらしく、哲学科哲学専修の必修授業を受講していた。うちの専修の第1子長女たちが気を遣(つか)って楽しくかまってあげたのが理由だろう。
ドイツ語ができないと単位が取れないイマヌエル=カントの『純粋理性批判』の授業なので、大丈夫なんですかと訊(たず)ねたが、気にしていない様子だった。
まあ、聴講生として受講するには、問題はないし、聴講生の場合、「修了証」が発行され、成績が記される。「修了証」の成績が悪くても、聴講生なのだから、卒業には関係はない。
このおばあちゃんは、4年生になっても、これまた、必修授業の講義に出席していた。
「この授業はフランス語で形而上学(けいじじょうがく)の文献を淡々と読む授業だから、大丈夫なんですか? もっとも、英訳のプリントを配るそうですけど」と言ったが、まったく気にしていなかった。
そのおばあちゃんは、結局、哲学科哲学専修の必修授業を3年間、受講し、哲学専修の呑み会にはすべて出席した。
「私はね、みなさんと一緒に卒業いたしますわ」とそのおばあちゃんは言った。女学校しか出ていないから、大学という雰囲気(ふんいき)が楽しかったと言っていた。
高級住宅地がある芦屋(あしや)のお嬢さんだったそうだ。
哲学科哲学専修では、必修科目として、キルケゴールの『死に至る病』を扱っていた。
呑(の)み会をすることになったので、その案内を作成し、そのコピーを教室で配った。
昨年、その科目を落第して、その年も受講している人たちもいたが、案内を配らないというのは、なんだか仲間はずれにしているようで、悪いので、そうした落第生たちにも案内のコピーを配った。
教室には、白髪頭(しらがあたま)のおばあちゃんもいた。ひと声かけて、その人にも案内を配った。
その人は聴講生(ちょうこうせい)だった。
クリスチャン(キリスト教徒)なんだが、教会での説教は聞くが、学問的にというか、アカデミズムの世界ではキリスト教がどういうふうに説明されているのかに興味を抱き、聴講生になったという。
その人は、高田馬場(たかだのばば)の居酒屋での呑み会にもやって来た。
男子学生は、おばあちゃんには興味がないので、あまり話しかけなかった。私は幹事ということもあって、そのおばあちゃんとある程度は話をした。
見ていると、そのおばあちゃんと積極的に話していたのは、第1子長女ばかりだった。どうも、第1子長女は、この手の心遣(こころづか)いに長(た)けているようだ。
2年生の夏休みに、早稲田大学の大隈講堂(おおくまこうどう)の前で、午後6時から翌日の午前6時まで呑み会をすることにした。各自(かくじ)が酒とつまみを持参するというものだった。
哲学科哲学専修の教授2人を誘ったけれども、夏とはいえ、石の上に坐(すわ)って12時間も呑み会をするというはついていけないということで、参加を断られた。
ところが、このおばあちゃんは、お酒とおつまみをたんまりと持って、やって来た。
途中、大隈講堂の裏にある劇団木霊(こだま)(正式な漢字は木偏(きへん)に旁(つくり)が霊という一文字である)の連中も合流して、おもしろかった。劇団をやっている人たちは基本的には貧乏なので、ただで酒が呑(の)めるとあれば、喜んでやって来る。中島さんという女子学生の劇団員が大好きになったな。
そして、3年生になったのだが、そのおばあちゃんは、よほど楽しかったらしく、哲学科哲学専修の必修授業を受講していた。うちの専修の第1子長女たちが気を遣(つか)って楽しくかまってあげたのが理由だろう。
まあ、聴講生として受講するには、問題はないし、聴講生の場合、「修了証」が発行され、成績が記される。「修了証」の成績が悪くても、聴講生なのだから、卒業には関係はない。
このおばあちゃんは、4年生になっても、これまた、必修授業の講義に出席していた。
「この授業はフランス語で形而上学(けいじじょうがく)の文献を淡々と読む授業だから、大丈夫なんですか? もっとも、英訳のプリントを配るそうですけど」と言ったが、まったく気にしていなかった。
そのおばあちゃんは、結局、哲学科哲学専修の必修授業を3年間、受講し、哲学専修の呑み会にはすべて出席した。
「私はね、みなさんと一緒に卒業いたしますわ」とそのおばあちゃんは言った。女学校しか出ていないから、大学という雰囲気(ふんいき)が楽しかったと言っていた。
高級住宅地がある芦屋(あしや)のお嬢さんだったそうだ。
2014年3月2日日曜日
成績が伸びすぎる学習塾・予備校の経営上の難点
経営上の難点はいろいろとある。
1)両親の学歴を軽く超えるの確実になると、退塾させられる生徒が出現する。
とりわけ、女子生徒の場合、経験上、6割はやめさせられる。
東京の東部(大卒率が30%未満や25%未満の地域)にある大手進学塾では、上から2番めのクラスの女子生徒をいちばん上のクラスに上げると、ふっとやめてしまう事例が多発しているので、一般的な基準であるいちばん上の上のクラスの平均点を超えたら上げるは適用せず、女子生徒の場合は、なるべく上のクラスには上げないようにという通達が出されたことがあるくらいである。
2)あまりにも短期間に成績が伸びるので、簡単な仕事なのではないかと思うらしい。
その結果、受講料を値切る親が出現する。
また、勝手に月謝袋の中身を千円や2千円少なくする親も出現する。
プリント作成にかかる作業工数などを説明し、当校のように個別対応型の塾では、プリント作成に関しては、少品種大量生産ではなく、多品種少量生産なので、これでもぎりぎりの受講料なのだと説明しても、一定レベル以上の知的な仕事をしたことがない女性やパソコンを使いこなせない女性は、論理的には多少は理解しても、感情の点では受け入れられないようである。
こうした場合、即座に退塾処分にしている。家庭環境ゆえに伸び代(しろ)が少ないのが判明したからである。
3)口コミが少ない。
あまりにも効率よく成績が上がり、周囲から、「やればものすごくできる子」と思われる。すると、その評価を下げたくないので、こんなすごい塾・予備校に通ったからですとは言いたくなくなる。
ある事例では、偏差値34から、高校3年生の8月から受験勉強を始め、立教大学に合格して、早稲田大学商学部には、0.052差で不合格になった生徒がいる。その生徒が大学生のときに、同じ部活動の後輩に受験で相談を受けても、当校を紹介しなかった。
また、別の事例では、当校入校時に「2」が6個、「3」が3個の成績で、学年順位は134人中110番台だったという生徒がいる。ところが、当校入校後、成績が上がり、周囲から、「どこの塾に通っているの?」と訊かれて、「あなたが通えないくらい遠くの塾よ」と答えた。
4)あまりにも成績の伸びがよすぎるので、はったりをかましているのではないかと疑われる。
私は小学2年生のときに実施された知能指数検査では、時間内にすべてを解き終えた。だから、知能指数は160以上はあった。
そういう人間には見えるけれども、そうでない人には見えないことがある。
その観点から受験校の対策を講じる。
しかしながら、とにかく暗記さえすればよいとような小学校の勉強や中学校の定期試験のための勉強は、受験に関しては無駄が多い。小学校のときにオール5だったのに、中学校で失速し、高等学校で終わってしまった人は、勉強方法を間違えているのだけれども、その間違いに気づいていない。「暗記量が足りなかった」と反省する。
これがわからない人は多い。
1)両親の学歴を軽く超えるの確実になると、退塾させられる生徒が出現する。
とりわけ、女子生徒の場合、経験上、6割はやめさせられる。
東京の東部(大卒率が30%未満や25%未満の地域)にある大手進学塾では、上から2番めのクラスの女子生徒をいちばん上のクラスに上げると、ふっとやめてしまう事例が多発しているので、一般的な基準であるいちばん上の上のクラスの平均点を超えたら上げるは適用せず、女子生徒の場合は、なるべく上のクラスには上げないようにという通達が出されたことがあるくらいである。
2)あまりにも短期間に成績が伸びるので、簡単な仕事なのではないかと思うらしい。
その結果、受講料を値切る親が出現する。
また、勝手に月謝袋の中身を千円や2千円少なくする親も出現する。
プリント作成にかかる作業工数などを説明し、当校のように個別対応型の塾では、プリント作成に関しては、少品種大量生産ではなく、多品種少量生産なので、これでもぎりぎりの受講料なのだと説明しても、一定レベル以上の知的な仕事をしたことがない女性やパソコンを使いこなせない女性は、論理的には多少は理解しても、感情の点では受け入れられないようである。
こうした場合、即座に退塾処分にしている。家庭環境ゆえに伸び代(しろ)が少ないのが判明したからである。
3)口コミが少ない。
あまりにも効率よく成績が上がり、周囲から、「やればものすごくできる子」と思われる。すると、その評価を下げたくないので、こんなすごい塾・予備校に通ったからですとは言いたくなくなる。
ある事例では、偏差値34から、高校3年生の8月から受験勉強を始め、立教大学に合格して、早稲田大学商学部には、0.052差で不合格になった生徒がいる。その生徒が大学生のときに、同じ部活動の後輩に受験で相談を受けても、当校を紹介しなかった。
また、別の事例では、当校入校時に「2」が6個、「3」が3個の成績で、学年順位は134人中110番台だったという生徒がいる。ところが、当校入校後、成績が上がり、周囲から、「どこの塾に通っているの?」と訊かれて、「あなたが通えないくらい遠くの塾よ」と答えた。
4)あまりにも成績の伸びがよすぎるので、はったりをかましているのではないかと疑われる。
私は小学2年生のときに実施された知能指数検査では、時間内にすべてを解き終えた。だから、知能指数は160以上はあった。
そういう人間には見えるけれども、そうでない人には見えないことがある。
その観点から受験校の対策を講じる。
しかしながら、とにかく暗記さえすればよいとような小学校の勉強や中学校の定期試験のための勉強は、受験に関しては無駄が多い。小学校のときにオール5だったのに、中学校で失速し、高等学校で終わってしまった人は、勉強方法を間違えているのだけれども、その間違いに気づいていない。「暗記量が足りなかった」と反省する。
これがわからない人は多い。
2014年1月14日火曜日
遊星と惑星
英語のplanet、フランス語のplanète、ドイツ語のPlanet(ドイツ語では普通名詞も大文字で始まる)などの訳語として、「惑星」と「遊星」があった。
「惑星」は東京大学が、「遊星」は京都大学が、こう訳せばよいのではないかと考えた。
30数年前の世界史の教科書などでは、記憶が曖昧(あいまい)なのだが、「ケプラーの遊星の三法則」とされていた。しかし、最近では、「ケプラーの惑星の三法則」や「ケプラーの三法則」となっている。
「惑星」という訳語が「遊星」よりも圧倒的に優れていたとは思えない。
高等学校などの教科書は東京大学の教授が執筆する。すると、東京大学の教授たちが使う訳語が一般的なものとなる。
なぜ、そういうことになるか。日本の出版社の大半は東京にあるので、東京大学の教授に執筆依頼が集中するからである。
この点で、あれほどのノーベル賞学者を輩出(はいしゅつ)している京都大学は損をしているようである。
ところで、『宇宙戦艦ヤマト』ならびに『宇宙戦艦ヤマト2199』で「遊星爆弾」というものが登場するが、「遊星」は本来planetなのだから、あれはおかしい。「隕石爆弾(いんせきばくだん)」などとすべきであろう。
「惑星」は東京大学が、「遊星」は京都大学が、こう訳せばよいのではないかと考えた。
30数年前の世界史の教科書などでは、記憶が曖昧(あいまい)なのだが、「ケプラーの遊星の三法則」とされていた。しかし、最近では、「ケプラーの惑星の三法則」や「ケプラーの三法則」となっている。
「惑星」という訳語が「遊星」よりも圧倒的に優れていたとは思えない。
高等学校などの教科書は東京大学の教授が執筆する。すると、東京大学の教授たちが使う訳語が一般的なものとなる。
なぜ、そういうことになるか。日本の出版社の大半は東京にあるので、東京大学の教授に執筆依頼が集中するからである。
この点で、あれほどのノーベル賞学者を輩出(はいしゅつ)している京都大学は損をしているようである。
ところで、『宇宙戦艦ヤマト』ならびに『宇宙戦艦ヤマト2199』で「遊星爆弾」というものが登場するが、「遊星」は本来planetなのだから、あれはおかしい。「隕石爆弾(いんせきばくだん)」などとすべきであろう。
2013年10月23日水曜日
TOEIC(トーイック)のスコアで日本の一流企業が就職に際して学生を門前払(もんぜんばら)いするようになった理由
TOEIC(トーイック)は、仕事上での英語の運用能力を測るために、日本の企業などからの要請に応じて創(つく)られたものである。
これが、今、大学生や大学院生が就職活動をする際に、採用側の企業にとっての指標(しひょう)として用いられている。
以前なら、日本の一流企業は、指定校制を敷(し)いていた。指定校に入っていない大学の学生は、門前払(もんぜんばら)いだった。
旧帝国大学(東京大学・京都大学・大阪大学・名古屋大学・東北大学・九州大学・北海道大学)の理系学部だと、大学推薦で一流企業に入るが、国立でも私立でも文系となると、一定の成績を修めていなければならなかったようである。
その際の基準が、指定校になっている大学の3年修了時に、「優」が50個くらいの科目で最低でも20個なければならなかった。「優」が20個なければ、指定校であっても、新聞社か、テレビ局か、出版社くらいしか、就職先がなかった。
だから、マス=メディアなどに関わる人々は、難関大学レベルでの勉強に関しては、頭が悪いのである。いや、単なる努力家で、なんとか指定校には入学できたけれども、地頭(じあたま)が悪かった人々が、成績が悪くて、マス=メディアにしか参入できなかったといったほうがよいかもしれない。
努力したけれども、大学での成績が悪くて、マス=メディアにしか就職できなかった人たちは、勉強ができないからといって人を馬鹿にするなと声高(こわだか)に唱(とな)える。マス=メディアがそんなことをいうもんだから、企業イメージをよくするために、人物重視・人柄(ひとがら)重視を主張する。しかし、本当のところは、最低限の勉強ができた上での人物重視・人柄重視なのである。人柄だけでは、本当のところは、駄目なのである。
指定校制を敷(し)き続けるのは、企業イメージが悪くなる(あるいは、マス=メディアによって企業イメージを悪くさせる)ので、撤廃(てっぱい)した。
しかし、それでは、応募者全員のエントリー=シートに目を通さなければならない。膨大な人力が必要となる。経費がかかりすぎるのだ。
そこで、たとえば、リクルート社が提供している情報サイト「リクナビ」という就職用のサイトでは、「学歴フィルター」がある。
ある大学の学生が会社説明会の参加をクリックしても、定員一杯なので締め切りましたと表示される。
ところが、慶應義塾大学の学生の場合だと、参加が可能であるばかりでなく、定員に余裕があるので、友人もお誘いくださいとなる。
また、製薬会社の場合、東京大学薬学部の学生だと、東京大学薬学科の皆さんには、別の日に会社説明を行ないます、ついては他大学の学生には言わないようにと指示される。
しかしながら、「学歴フィルター」もバレてしまった。「学歴フィルター」で、弾(はじ)かれた学生は、その企業に対して、よい印象は抱(いだ)かなくなる。
だから、最初から会社説明会に申し込まれないようにしたい。
また、指定校制にしても、最近では、AO入試(Admissions Office入試)で、志望理由書・面接・小論文だけの入試などで、半数の新入生を確保している難関大学もあるから、指定校性を敷いていても、経費が余分(よぶん)にかかるようになった。
英語力と一般入試による学歴とには、比較的強い相関関係がある。
そこで、TOEICのスコアをエントリー条件にする企業が増えた。
そうすることで、「学歴フィルター」で弾(はじ)かれる学生の大半は、そもそも、応募してこない。また、充分な学力が備わっていないのに、AO入試で要領(ようりょう)よく入学した学生も門前払(もんぜんばら)いできる。
一方、TOEICのスコアをきちんとあげておけば、旧来の指定校でなかろうが、AO入試だろうが、関係ないから、以前の指定校制よりは、いくぶん、公平な採用となるだろう。
これが、今、大学生や大学院生が就職活動をする際に、採用側の企業にとっての指標(しひょう)として用いられている。
以前なら、日本の一流企業は、指定校制を敷(し)いていた。指定校に入っていない大学の学生は、門前払(もんぜんばら)いだった。
旧帝国大学(東京大学・京都大学・大阪大学・名古屋大学・東北大学・九州大学・北海道大学)の理系学部だと、大学推薦で一流企業に入るが、国立でも私立でも文系となると、一定の成績を修めていなければならなかったようである。
その際の基準が、指定校になっている大学の3年修了時に、「優」が50個くらいの科目で最低でも20個なければならなかった。「優」が20個なければ、指定校であっても、新聞社か、テレビ局か、出版社くらいしか、就職先がなかった。
だから、マス=メディアなどに関わる人々は、難関大学レベルでの勉強に関しては、頭が悪いのである。いや、単なる努力家で、なんとか指定校には入学できたけれども、地頭(じあたま)が悪かった人々が、成績が悪くて、マス=メディアにしか参入できなかったといったほうがよいかもしれない。
努力したけれども、大学での成績が悪くて、マス=メディアにしか就職できなかった人たちは、勉強ができないからといって人を馬鹿にするなと声高(こわだか)に唱(とな)える。マス=メディアがそんなことをいうもんだから、企業イメージをよくするために、人物重視・人柄(ひとがら)重視を主張する。しかし、本当のところは、最低限の勉強ができた上での人物重視・人柄重視なのである。人柄だけでは、本当のところは、駄目なのである。
指定校制を敷(し)き続けるのは、企業イメージが悪くなる(あるいは、マス=メディアによって企業イメージを悪くさせる)ので、撤廃(てっぱい)した。
しかし、それでは、応募者全員のエントリー=シートに目を通さなければならない。膨大な人力が必要となる。経費がかかりすぎるのだ。
そこで、たとえば、リクルート社が提供している情報サイト「リクナビ」という就職用のサイトでは、「学歴フィルター」がある。
ある大学の学生が会社説明会の参加をクリックしても、定員一杯なので締め切りましたと表示される。
ところが、慶應義塾大学の学生の場合だと、参加が可能であるばかりでなく、定員に余裕があるので、友人もお誘いくださいとなる。
また、製薬会社の場合、東京大学薬学部の学生だと、東京大学薬学科の皆さんには、別の日に会社説明を行ないます、ついては他大学の学生には言わないようにと指示される。
しかしながら、「学歴フィルター」もバレてしまった。「学歴フィルター」で、弾(はじ)かれた学生は、その企業に対して、よい印象は抱(いだ)かなくなる。
だから、最初から会社説明会に申し込まれないようにしたい。
また、指定校制にしても、最近では、AO入試(Admissions Office入試)で、志望理由書・面接・小論文だけの入試などで、半数の新入生を確保している難関大学もあるから、指定校性を敷いていても、経費が余分(よぶん)にかかるようになった。
英語力と一般入試による学歴とには、比較的強い相関関係がある。
そこで、TOEICのスコアをエントリー条件にする企業が増えた。
そうすることで、「学歴フィルター」で弾(はじ)かれる学生の大半は、そもそも、応募してこない。また、充分な学力が備わっていないのに、AO入試で要領(ようりょう)よく入学した学生も門前払(もんぜんばら)いできる。
一方、TOEICのスコアをきちんとあげておけば、旧来の指定校でなかろうが、AO入試だろうが、関係ないから、以前の指定校制よりは、いくぶん、公平な採用となるだろう。
2013年10月2日水曜日
『半沢直樹』の布陣は学歴が高かったり、芸術系大学だったり、家柄がよかったりしている。
『半沢直樹』が大ヒットした。テレビを持っていないので、私は観ていない。
とはいえ、気になった。すると、高学歴と芸術系大学出身者がむやみに多かった。
とはいえ、気になった。すると、高学歴と芸術系大学出身者がむやみに多かった。
堺雅人 早稲田大学第一文学部出身
香川照之 東京大学文学部卒業
山本純大 ペパーダイン大学 卒業
山本純大 ペパーダイン大学
前川泰之 青山学院大学 卒業
北大路欣也 早稲田大学第二文学部 卒業
石丸幹二 東京藝術大学 卒業
宮川一朗太 早稲田大学第一文学部出身
原作者の池井戸潤 慶應義塾大学文学部・法学部卒業
演出家の福澤克雄は、慶應義塾大学法学部卒業で、なおかつ、福澤諭吉の玄孫(やしゃご)である。
ほかにも、日本大学藝術学部出身者や大阪芸術大学出身者がゴロゴロいる。
戦後暫(しばら)くの頃は、高等学校進学率は20%だったから、今の80歳以上のじいさん・ばあさんの最終学歴は中学卒業が8割だった。けれども今は、大学進学率が50%になっている。そんな時代になっているのだから、それなりの大学を出ていないと、やっぱり、ものごとをうまくはやれないのかもしれない。
2013年9月28日土曜日
庵野秀明の大ファンに『宇宙戦艦ヤマト2199』のDVDを第1章から第6章まで貸したときの反応
うちの中学3年生の生徒に、『宇宙戦艦ヤマト2199』のDVDを第1章から第6章まで貸した。
それまで、庵野秀明(あんのひであき)のことをものすごい天才だと彼は思っていたという。レンタルDVD屋さんからつぎつぎと借りて、庵野秀明のアニメを観たそうだ。
ところが、『宇宙戦艦ヤマト2199』を観たら、『宇宙戦艦ヤマト2199』ならびに初代『宇宙戦艦ヤマト』のパクリらしいのがあちこちにあるということに気づき、きわめて幻滅(げんめつ)したという。
庵野秀明と同年代には、庵野秀明のやっていることの元ネタが見えるから、そういう人なんだと思っているだけのようである。たまたま、私の周囲だけのことかもしれないが……。
音楽やファッションにしても、20年くらい前に流行したものに、今風(いまふう)の味つけをして、再び流行させようとする事例には事欠(ことか)かない。
ま、子ども騙(だま)しといえば、そうなんだけど。
関連記事逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ:よく考えると『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督の人生は逃げてばかりいる。
それまで、庵野秀明(あんのひであき)のことをものすごい天才だと彼は思っていたという。レンタルDVD屋さんからつぎつぎと借りて、庵野秀明のアニメを観たそうだ。
ところが、『宇宙戦艦ヤマト2199』を観たら、『宇宙戦艦ヤマト2199』ならびに初代『宇宙戦艦ヤマト』のパクリらしいのがあちこちにあるということに気づき、きわめて幻滅(げんめつ)したという。
庵野秀明と同年代には、庵野秀明のやっていることの元ネタが見えるから、そういう人なんだと思っているだけのようである。たまたま、私の周囲だけのことかもしれないが……。
音楽やファッションにしても、20年くらい前に流行したものに、今風(いまふう)の味つけをして、再び流行させようとする事例には事欠(ことか)かない。
ま、子ども騙(だま)しといえば、そうなんだけど。
関連記事逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ:よく考えると『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督の人生は逃げてばかりいる。
2013年8月19日月曜日
50歳になったとき、近所のおじいさんに「四捨五入すれば私も100歳ですから」と言ったら、馬鹿ウケした。
50歳になったとき、近所の80歳くらいのおじいさんと話をした際に、年齢の割には若いですなあと言われたので、いやはや、四捨五入すれば、私も100歳ですからと言ったところ、大笑いされた。
これはウケるらしいと思ったので、あちこちで自分よりも年長の人にこのネタを使ってみた。無茶苦茶ウケた。
しかし、四捨五入の仕方が間違っている。
たとえば、45歳の人間が四捨五入すれば50歳ですというのは正しい。ところが、50歳を四捨五入して100歳になるというのはおかしい。
それでも大いにウケるのである。
これはウケるらしいと思ったので、あちこちで自分よりも年長の人にこのネタを使ってみた。無茶苦茶ウケた。
しかし、四捨五入の仕方が間違っている。
たとえば、45歳の人間が四捨五入すれば50歳ですというのは正しい。ところが、50歳を四捨五入して100歳になるというのはおかしい。
それでも大いにウケるのである。
2013年8月14日水曜日
第2外国語の扱いで大学の「格」が分かれる。
一定レベル以上の大学の場合、第2外国語はいくつかの言語から選択できる。選択必修である。ちゃんとした大学だと、ドイツ語・フランス語・支那語(中国語)くらいからは選べる。すごい大学になると、ロシア語やイタリア語・スペイン語などからも選べる。
そのつぎのレベルになると、第2外国語は必修だが、言語を選択できない。自動的にドイツ語が第2外国語として必修になっていたりする。小規模な大学・学部に見られる。
そのつぎとなると、第2外国語は選択科目となる。選択したければ選択すればよいが、選択しなければならないわけではない。難関大学出身者は驚くのだが、第2外国語をとらなくてもよい大学があるのが信じられないそうである。第2外国語を選択するものの、ついていけなくて脱落する学生が大勢いるという。
底辺の大学になると、第2外国語がない。英語すらできないのに、第2外国語を学んでも無駄だと大学当局が判断しているらしい。大学によっては、中学3年生の英語の教科書よりもやさしいテキストで英語の授業を行なうところもある。語学の負担を軽くすることで、せめて資格試験に合格してくれということである。
そのつぎのレベルになると、第2外国語は必修だが、言語を選択できない。自動的にドイツ語が第2外国語として必修になっていたりする。小規模な大学・学部に見られる。
そのつぎとなると、第2外国語は選択科目となる。選択したければ選択すればよいが、選択しなければならないわけではない。難関大学出身者は驚くのだが、第2外国語をとらなくてもよい大学があるのが信じられないそうである。第2外国語を選択するものの、ついていけなくて脱落する学生が大勢いるという。
底辺の大学になると、第2外国語がない。英語すらできないのに、第2外国語を学んでも無駄だと大学当局が判断しているらしい。大学によっては、中学3年生の英語の教科書よりもやさしいテキストで英語の授業を行なうところもある。語学の負担を軽くすることで、せめて資格試験に合格してくれということである。
2013年7月16日火曜日
アニメの登場人物の高学歴化
まず、『宇宙戦艦ヤマト2199』に登場する古代進戦術長は、航宙軍仕官候補生学校航空科主席卒業である。
『宇宙戦艦ヤマト2199』コミック版の第1巻57ページで島大介とのつぎのやりとりがある。
島大介「ところで、古代、坊ノ岬(ぼうのみさき)ってどこだ? 航空科主席だろ?」
古代進「日本の地理は宇宙船の操船(そうせん)には重要じゃないのさ」
また、主計科の平田一(ひらたはじめ)が古代進にこう語る場面がコミック版の第2巻28ページにある。
「自分は君よりも年上だが、士官学校の同期なんだ。優秀な君や島とは違って目立たない存在だったけどね」
島大介にしても、航海長に抜擢(ばってき)されるくらいだから、航海科主席卒業であろう。
艦長の沖田十三(おきたじゅうぞう)は宇宙物理学の博士号(はくしごう)を持つ宇宙物理学者である。
副長兼技術長(ふくちょう=けん=ぎじゅつちょう)の真田志郎はマサチューセッツ工科大学 Massachusetts Institute of Technologyを主席で卒業し、その後、宇宙防衛大学に進んでいる。アメリカ合衆国では、学部生のときにはスポーツなどで大活躍(だいかつやく)し、成績表は「B」で揃(そろ)えるのがかっこいいとされる。これを「紳士の『B』」Gentleman's Bという。本当のところは、主席卒業はかっこ悪いんだけど。ちなみに、私は「優」が8割を超え、「A評定」(2段階ある「優」のうちのできるほう)が65%だったから、アメリカ合衆国の基準では「紳士」とはいえない。とはいえ、5000mは16分30秒は切っていたんだけどね。
新見薫は心理学の博士号を取得している。
---
『おおかみこどもの雨と雪』に登場する母親である「花(はな)」の通う大学は一橋大学である。正門や建物からそうであると判断できる。
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登場人物の学歴ではないのだが、細田守によるアニメ版『時をかける少女』の主人公が通う学校のキャンパスのモデルになっているのは、東京女子大学である。
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そんなところへ、ジブリの映画『風立ちぬ』ときたもんだ。
零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)を設計した堀越二郎(ほりこしじろう)と、小説家の堀辰雄(ほりたつお)をモデルにしている映画らしい。
堀越二郎は東京帝国大学工学部航空学科を主席で卒業している。
堀辰雄は東京帝国大学文学部国文学科の出身である。
早稲田や慶應義塾だとアニメの主人公にはなれない時代になっているようだ。
つぎは国内なら京都大学、国外なら、オックスフォード大学Oxford Universityか、フランスの国立行政学院École nationale d'administrationか、フランスの高等師範学校École normale supérieureあたりかな。
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一方、初代『起動戦士ガンダム』のアムロ=レイは中卒のオタクでニートだった。
『宇宙戦艦ヤマト2199』コミック版の第1巻57ページで島大介とのつぎのやりとりがある。
島大介「ところで、古代、坊ノ岬(ぼうのみさき)ってどこだ? 航空科主席だろ?」
古代進「日本の地理は宇宙船の操船(そうせん)には重要じゃないのさ」
また、主計科の平田一(ひらたはじめ)が古代進にこう語る場面がコミック版の第2巻28ページにある。
「自分は君よりも年上だが、士官学校の同期なんだ。優秀な君や島とは違って目立たない存在だったけどね」
島大介にしても、航海長に抜擢(ばってき)されるくらいだから、航海科主席卒業であろう。
艦長の沖田十三(おきたじゅうぞう)は宇宙物理学の博士号(はくしごう)を持つ宇宙物理学者である。
副長兼技術長(ふくちょう=けん=ぎじゅつちょう)の真田志郎はマサチューセッツ工科大学 Massachusetts Institute of Technologyを主席で卒業し、その後、宇宙防衛大学に進んでいる。アメリカ合衆国では、学部生のときにはスポーツなどで大活躍(だいかつやく)し、成績表は「B」で揃(そろ)えるのがかっこいいとされる。これを「紳士の『B』」Gentleman's Bという。本当のところは、主席卒業はかっこ悪いんだけど。ちなみに、私は「優」が8割を超え、「A評定」(2段階ある「優」のうちのできるほう)が65%だったから、アメリカ合衆国の基準では「紳士」とはいえない。とはいえ、5000mは16分30秒は切っていたんだけどね。
新見薫は心理学の博士号を取得している。
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『おおかみこどもの雨と雪』に登場する母親である「花(はな)」の通う大学は一橋大学である。正門や建物からそうであると判断できる。
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登場人物の学歴ではないのだが、細田守によるアニメ版『時をかける少女』の主人公が通う学校のキャンパスのモデルになっているのは、東京女子大学である。
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そんなところへ、ジブリの映画『風立ちぬ』ときたもんだ。
零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)を設計した堀越二郎(ほりこしじろう)と、小説家の堀辰雄(ほりたつお)をモデルにしている映画らしい。
堀越二郎は東京帝国大学工学部航空学科を主席で卒業している。
堀辰雄は東京帝国大学文学部国文学科の出身である。
早稲田や慶應義塾だとアニメの主人公にはなれない時代になっているようだ。
つぎは国内なら京都大学、国外なら、オックスフォード大学Oxford Universityか、フランスの国立行政学院École nationale d'administrationか、フランスの高等師範学校École normale supérieureあたりかな。
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一方、初代『起動戦士ガンダム』のアムロ=レイは中卒のオタクでニートだった。
ラベル:
アニメ,
宇宙戦艦ヤマト2199,
学歴
2013年7月9日火曜日
大学の退学率が『読売新聞』に掲載されていた。
『読売新聞』の朝刊に2013年7月8日・9日と2回に分けて、大学の退学率などが掲載されていた。あまり有名でない大学のことを認(したた)めても、つまらなさそうなので、一定以上に知名度のある大学に関するものを書き記そう。
まずは、東京理科大学。学部によっては、入学後4年以内での退学率が26.6%で、4年後の卒業率が45.9%だった。東京理科大学出身者が「うちは5年制大学ですから」と言っていたのを思い出した。
国公立大学は、全体として、退学率は低く、4年後の卒業率は高い。さすがに、センター試験を受けて、さらに2次試験も受けなければならないだけのことはある。
大阪大学は、退学率は低いが、学部によっては、4年後の卒業率が38.5%のところがある。「京都大学では『単位』は空から降ってくる。神戸大学では道に『単位』が落ちている。しかし、大阪大学では穴を掘っても『単位』は見つからない」と言われるくらいに大阪大学は勉強が厳(きび)しいとされる。
一方、京都大学では、学部によって、4年後の卒業率が63.6%のところがある。学部・学科によっては、2年生から大学院生との共通授業があって、わけがわからなくなって、心が挫(くじ)ける学生もいるそうである。そういえば、整数論の加藤和也(今はシカゴ大学教授)が工学部で前年度の線形代数の落第者だけを集めたクラスで授業を担当していたことがある。それだけの人数が落第しているというのだから、並みレベルの大学とは較べものにならないくらいに水準の高い授業・講義をしているのだろう。
もっとも、国立大学の場合は、大学院に合格しなかったとか、国家公務員Ⅰ種試験(今は国家公務員総合職試験)でよい点数では合格できなかったとか、そういうことがあって、奨学金の返済を逃れるためにわざと留年する場合も少なくないから、4年後の卒業率が高くないからといって、必ずしも厳(きび)しいとはかぎらない。
東京外国語大学の4年後の卒業率は大学全体で38.2%だった。
ちなみに、第2外国語に関しては、私自身が大学生の指導もしているので、いくつかの大学ごとの語学の進み方がどういうものかを多少知っている。東京大学・早稲田大学を除いた東京六大学(慶應義塾大学については不明)や、いわゆる中堅上位をされる大学でのフランス語やドイツ語の進度は、まったく違う。少なくとも30年くらい前の東京大学・京都大学・大阪大学・早稲田大学では、文法事項が一般の大学の5倍の速度で進み、ひとつの文法事項に登場する熟語などの表現や単語も5倍である。つまり、一般の大学の概(おおむ)ね25倍の速度で授業が進む。4月に入学して、12月に、原書購読を辞書を引きながら読めるようにするには、それくらいの速度で授業を進めなければならない。そして、東京大学・京都大学・大阪大学・早稲田大学の学生はそれが「普通」だと思い込んでいる場合が多く、中堅上位の大学の第2外国語の授業の実態を知ると、驚愕(きょうがく)してしまう。なお、難関大学では第2外国語のフランス語の授業は週当たり4コマだが、京都大学では5コマである。週に1回は徹底(てってい)して発音を鍛(きた)えられる。大学院前期を終えたあたりでフランスに留学した際に、発音で恥をかかないようにと、逆算して、1年生の授業に発音の特訓を設定している。フランスに留学しないのが当たり前の大学、あるいはきわめてごく少数しか留学しない大学では考えられないことである。
ミッション系の大学で、かつ、比較的難関大学で、男子学生の就職がよくないところは、4年後の卒業率の高い傾向にあるように感じた。勉強の楽な大学出身の男子学生は、入社後に挫(くじ)けやすい傾向などがあるのだろうか?
早稲田大学はということ、退学率も卒業率も情報公開していない。おそらく、公開すると、無茶苦茶な数字になるからであろう。大雑把(おおざっぱ)にいうと、1万人が入学して、9千人しか卒業しない。大学卒業者を学士入学として3年生に編入している分を入れても10%が減っている。
また、早稲田大学理工学部の場合、平均評定が「B評定」以上、つまり80点以上である場合には推薦で大学院に進学できる。ということは、平均評定が「B評定」以下、つまり、79点以下の場合には、別個に大学院の入試を受けて合格しなければ進学できない。ということは、80点未満は「落ちこぼれ」と見なされていることになる。早稲田大学の場合、65%くらいは落ちこぼれているということになる。
まずは、東京理科大学。学部によっては、入学後4年以内での退学率が26.6%で、4年後の卒業率が45.9%だった。東京理科大学出身者が「うちは5年制大学ですから」と言っていたのを思い出した。
国公立大学は、全体として、退学率は低く、4年後の卒業率は高い。さすがに、センター試験を受けて、さらに2次試験も受けなければならないだけのことはある。
大阪大学は、退学率は低いが、学部によっては、4年後の卒業率が38.5%のところがある。「京都大学では『単位』は空から降ってくる。神戸大学では道に『単位』が落ちている。しかし、大阪大学では穴を掘っても『単位』は見つからない」と言われるくらいに大阪大学は勉強が厳(きび)しいとされる。
一方、京都大学では、学部によって、4年後の卒業率が63.6%のところがある。学部・学科によっては、2年生から大学院生との共通授業があって、わけがわからなくなって、心が挫(くじ)ける学生もいるそうである。そういえば、整数論の加藤和也(今はシカゴ大学教授)が工学部で前年度の線形代数の落第者だけを集めたクラスで授業を担当していたことがある。それだけの人数が落第しているというのだから、並みレベルの大学とは較べものにならないくらいに水準の高い授業・講義をしているのだろう。
もっとも、国立大学の場合は、大学院に合格しなかったとか、国家公務員Ⅰ種試験(今は国家公務員総合職試験)でよい点数では合格できなかったとか、そういうことがあって、奨学金の返済を逃れるためにわざと留年する場合も少なくないから、4年後の卒業率が高くないからといって、必ずしも厳(きび)しいとはかぎらない。
東京外国語大学の4年後の卒業率は大学全体で38.2%だった。
ちなみに、第2外国語に関しては、私自身が大学生の指導もしているので、いくつかの大学ごとの語学の進み方がどういうものかを多少知っている。東京大学・早稲田大学を除いた東京六大学(慶應義塾大学については不明)や、いわゆる中堅上位をされる大学でのフランス語やドイツ語の進度は、まったく違う。少なくとも30年くらい前の東京大学・京都大学・大阪大学・早稲田大学では、文法事項が一般の大学の5倍の速度で進み、ひとつの文法事項に登場する熟語などの表現や単語も5倍である。つまり、一般の大学の概(おおむ)ね25倍の速度で授業が進む。4月に入学して、12月に、原書購読を辞書を引きながら読めるようにするには、それくらいの速度で授業を進めなければならない。そして、東京大学・京都大学・大阪大学・早稲田大学の学生はそれが「普通」だと思い込んでいる場合が多く、中堅上位の大学の第2外国語の授業の実態を知ると、驚愕(きょうがく)してしまう。なお、難関大学では第2外国語のフランス語の授業は週当たり4コマだが、京都大学では5コマである。週に1回は徹底(てってい)して発音を鍛(きた)えられる。大学院前期を終えたあたりでフランスに留学した際に、発音で恥をかかないようにと、逆算して、1年生の授業に発音の特訓を設定している。フランスに留学しないのが当たり前の大学、あるいはきわめてごく少数しか留学しない大学では考えられないことである。
ミッション系の大学で、かつ、比較的難関大学で、男子学生の就職がよくないところは、4年後の卒業率の高い傾向にあるように感じた。勉強の楽な大学出身の男子学生は、入社後に挫(くじ)けやすい傾向などがあるのだろうか?
早稲田大学はということ、退学率も卒業率も情報公開していない。おそらく、公開すると、無茶苦茶な数字になるからであろう。大雑把(おおざっぱ)にいうと、1万人が入学して、9千人しか卒業しない。大学卒業者を学士入学として3年生に編入している分を入れても10%が減っている。
また、早稲田大学理工学部の場合、平均評定が「B評定」以上、つまり80点以上である場合には推薦で大学院に進学できる。ということは、平均評定が「B評定」以下、つまり、79点以下の場合には、別個に大学院の入試を受けて合格しなければ進学できない。ということは、80点未満は「落ちこぼれ」と見なされていることになる。早稲田大学の場合、65%くらいは落ちこぼれているということになる。
2013年6月29日土曜日
日本人は野球とゴルフが好きな理由を考えたら、学歴社会も見えた。
日本人は剣術では日本刀を、剣道では竹刀を振り回していた。農民は鍬(くわ)hoeを使っていた。このあたりに、鍵があるのではないかと考えている。
棒状のもの、あるいはそれに準ずるものを使うスポーツは、相当に特殊である。
野球baseballとゴルフgolf以外にも、クリケットcricket・フィールド=ホッケーfield hockey・アイス=ホッケーice hockeyなどがある。ほかにも、ゲート=ボールの原型であるクロッケーcroquetがある。
アイス=ホッケーを除けば、いずれも、イングランド発祥(はっしょう)のものである(アイス=ホッケーの起源は諸説あり、不明)。
これらのうちで、競技人口の多さから考えると、クリケット・ゴルフ・野球が、棒状のものを使うスポーツで上位にくるであろう。
さて、野球やゴルフで必要とされる動作は、バットやクラブを振ることが基本である。しかし、これは、人間の筋肉のつき方や骨格の構造からすると、相当に不自然であるそうだ。したがって、年少の頃から一定レベル以上に訓練しないと、自然にバットやクラブやスティックは振れない。だから、素振りという行為を繰り返す。
オリンピックで野球が正式競技になるにあたって、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が野球に乗り出した。それなりに身体能力の高い若者を集めて、野球に取り組ませた。強化のために試合をしなければならないが、アメリカや日本のプロ野球団を招聘(しょうへい)することはできない。そこで、早稲田大学の野球同好会・サークルを招(まね)いて、試合を行なった。不確かな記憶だが、すべて20点以上の差で、ソ連チームは無得点というように圧倒的な早稲田大学の野球同好会・サークルの勝利ばかりだった。
20歳(はたち)あたりを超えてから、野球に取り組んでも、なかなかものにはならない。人間の人体の構造からすると、筋肉の使い方が不自然だからである。これはゴルフでも同様である。
なぜ、イングランドでこうしたスポーツが発達したのだろうか? 年少から取り組み、それなりの期間の訓練を必要とするスポーツである。
まず、イングランド人も剣(つるぎ)を使っていた。ということは、つまり、剣を水平に振るという動作は、普通にあったと考えられる。
日本でも、剣術や剣道などで、日本刀や竹刀を横に振(ふ)るという動作はあった。また、農民は鍬(くわ)を使っていた。樵(きこり)は斧(おの)を水平に振っていた。
一方、ヨーロッパ大陸は地面が硬(かた)いので、主に犁(すき)plough/plowを使っていた。犁(すき)は牛や馬や騾馬(らば=馬と驢馬(ろば)の混血)に曳(ひ)かせるものである。フランス人がクリケット・ゴルフ・野球を好まない理由のひとつであるように思える。また、フランスは剣(つるぎ)を使うことをやめ、フェンシングに進んだ。突っつくだけのスポーツである。もちろん、フランスとイングランドは仲が悪いということもあるのだろうけれど。
つぎに、イングランドが階級社会であることが挙(あ)げられる。
労働者階級の出身者は、幼少の頃、身体(からだ)が小さい間は煙突掃除(えんとつそうじ)をする。体格が大きくなると、炭鉱(たんこう)で働いたり、配管工(はいかんこう)として働いたりする。訓練に時間のかかるスポーツを習得することはできない。また、クリケットのように正式なルールでは2週間もかかるスポーツもできない。働き詰(づ)めでそんな時間がないからだ。労働者階級ができないスポーツを楽しむことで、階級差を思い知らせるのである。
労働者階級の人々にとっては、2時間以内で終わるア式蹴球(あしきしゅうきゅう=サッカー)が適している。クリケットのような時間のかかるスポーツを、もっと短時間でできるようにルールを改変しようとした動きがあった。そのうちのひとつが、野球である。
それでも、野球のバットやゴルフのクラブを振るのは、相当に訓練の必要な動作である。野球とゴルフくらいしか知らなければ、実感できないことかもしれないが。野球で素振りを繰り返す理由のひとつは、そこにあるのだろう。ゴルフでも打ちっぱなしで何度も練習しなければならないのは、同じ理由であろう。似たような動作なので、野球経験者はゴルフを始めても、上達が速いそうである。
日本では、開国してまもなく、あちこちの欧米諸国がやって来たにも拘(かか)わらず、舶来のスポーツでは、野球が最もよく普及したようである。意外なところでは、日本は、幕末の開国以来、ともに、ヨーロッパ諸国からは小馬鹿にされているという共通点から、アメリカ合衆国とは親密なところがあるということもあるのかもしれない。
英国の水兵がサッカーを持ち込み、それが普及した例が他国にはある。南米にある公用語がスペイン語やポルトガル語の国に英語名のサッカー=チーム(ただし、現地語の読み方をしている場合がある)があれば、英国の水兵によってもたらされたものである。
日本では早い時期からのサッカーの人気は出なかった。20年くらい前にJリーグの創設とともに育成プログラムが始まって、少しずつ人気が出てきたが、それでも、日本代表の試合は耳目(じもく)を集めるが、Jリーグそのものには人気はない。
日本人は骨盤が後ろに傾斜しているので、脚を上げる動作に適していない。つまり、サッカーには骨格が適していないのである(その割には、なかなか強い)。
以上のようなことを考えていたら、注目すべき事実を知った。
日本に野球を伝えたは、1887年(明治4年)にお雇い外国人として来日したホーレス=ウィルソンHorace Wilsonである。まず、第一番中学で英語を教えつつ、野球を伝えた。第一番中学校は、その後、開成学校となり、東京開成学校となり、帝国大学となり、東京帝国大学となり、東京大学となった。
明治時代あたりに最強だった野球チームは、第一高等中学校(のちの、第一高等学校で、現在の東京大学教養学部)であった。今では東京六大学野球で50連敗以上をしている東京大学野球部であるが、明治時代には最強チームであり、言ってみれば、超古豪なのだ。
この点から、エリートが嗜(たしな)み、かつ、そこが最強チームであったということから、野球が普及したといえる理由の一端(いったん)があるのではなかろうか?
ここから、同様のことに思い至(いた)った。
たとえば、柔道は官立開成学校(後の東京大学)出身の嘉納治五郎(かのうじごろう)が普及に尽力(じんりょく)し、オリンピック競技にもなった。一方、中卒の植芝盛平(うえしばもりへい)の合気道は、より実戦的であるということから、軍隊や警察でも指導したが、柔道ほども普及していない。
京都大学がアメリカン=フットボールで大学日本一になったときには、世間の耳目(じもく)がアメリカン=フットボールに集まった。それ以前には、日本大学がアメリカン=フットボールで大学日本一に何度もなったが、そういうことにはならなかった。
ラクロスlacrosseなんてスポーツは日本で一般にはまったくといってよいほど知られていなかった。カナダの国技とはいえ、日本ではマイナー=スポーツであった。ところが、1986年に慶應義塾大学が日本で最初のラクロス=チームを結成すると、急速に知られるものとなり、続々とラクロス=チームが各大学で結成され、今では、高校にもラクロス=チームがあるようになった。
以上のように、立派な大学が活躍すると、そのスポーツは急速に普及するようだ。
まとめ
日本人は元々、剣術や剣道などで棒状のものを振り回すのが好きだった。
野球の場合、現在の東京大学が明治期に大活躍したので、普及した。
まとまりのない文章になってしまったが、面倒くさいので、書き直す気力はない。
追記:フィールド=ホッケーの日本男子代表は、1932年開催のロサンゼルス=オリンピックで銀メダルに輝いている。日本人は棒を振り回すのが得意な民族らしい。
棒状のもの、あるいはそれに準ずるものを使うスポーツは、相当に特殊である。
野球baseballとゴルフgolf以外にも、クリケットcricket・フィールド=ホッケーfield hockey・アイス=ホッケーice hockeyなどがある。ほかにも、ゲート=ボールの原型であるクロッケーcroquetがある。
アイス=ホッケーを除けば、いずれも、イングランド発祥(はっしょう)のものである(アイス=ホッケーの起源は諸説あり、不明)。
これらのうちで、競技人口の多さから考えると、クリケット・ゴルフ・野球が、棒状のものを使うスポーツで上位にくるであろう。
さて、野球やゴルフで必要とされる動作は、バットやクラブを振ることが基本である。しかし、これは、人間の筋肉のつき方や骨格の構造からすると、相当に不自然であるそうだ。したがって、年少の頃から一定レベル以上に訓練しないと、自然にバットやクラブやスティックは振れない。だから、素振りという行為を繰り返す。
オリンピックで野球が正式競技になるにあたって、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が野球に乗り出した。それなりに身体能力の高い若者を集めて、野球に取り組ませた。強化のために試合をしなければならないが、アメリカや日本のプロ野球団を招聘(しょうへい)することはできない。そこで、早稲田大学の野球同好会・サークルを招(まね)いて、試合を行なった。不確かな記憶だが、すべて20点以上の差で、ソ連チームは無得点というように圧倒的な早稲田大学の野球同好会・サークルの勝利ばかりだった。
20歳(はたち)あたりを超えてから、野球に取り組んでも、なかなかものにはならない。人間の人体の構造からすると、筋肉の使い方が不自然だからである。これはゴルフでも同様である。
なぜ、イングランドでこうしたスポーツが発達したのだろうか? 年少から取り組み、それなりの期間の訓練を必要とするスポーツである。
まず、イングランド人も剣(つるぎ)を使っていた。ということは、つまり、剣を水平に振るという動作は、普通にあったと考えられる。
日本でも、剣術や剣道などで、日本刀や竹刀を横に振(ふ)るという動作はあった。また、農民は鍬(くわ)を使っていた。樵(きこり)は斧(おの)を水平に振っていた。
一方、ヨーロッパ大陸は地面が硬(かた)いので、主に犁(すき)plough/plowを使っていた。犁(すき)は牛や馬や騾馬(らば=馬と驢馬(ろば)の混血)に曳(ひ)かせるものである。フランス人がクリケット・ゴルフ・野球を好まない理由のひとつであるように思える。また、フランスは剣(つるぎ)を使うことをやめ、フェンシングに進んだ。突っつくだけのスポーツである。もちろん、フランスとイングランドは仲が悪いということもあるのだろうけれど。
つぎに、イングランドが階級社会であることが挙(あ)げられる。
労働者階級の出身者は、幼少の頃、身体(からだ)が小さい間は煙突掃除(えんとつそうじ)をする。体格が大きくなると、炭鉱(たんこう)で働いたり、配管工(はいかんこう)として働いたりする。訓練に時間のかかるスポーツを習得することはできない。また、クリケットのように正式なルールでは2週間もかかるスポーツもできない。働き詰(づ)めでそんな時間がないからだ。労働者階級ができないスポーツを楽しむことで、階級差を思い知らせるのである。
労働者階級の人々にとっては、2時間以内で終わるア式蹴球(あしきしゅうきゅう=サッカー)が適している。クリケットのような時間のかかるスポーツを、もっと短時間でできるようにルールを改変しようとした動きがあった。そのうちのひとつが、野球である。
それでも、野球のバットやゴルフのクラブを振るのは、相当に訓練の必要な動作である。野球とゴルフくらいしか知らなければ、実感できないことかもしれないが。野球で素振りを繰り返す理由のひとつは、そこにあるのだろう。ゴルフでも打ちっぱなしで何度も練習しなければならないのは、同じ理由であろう。似たような動作なので、野球経験者はゴルフを始めても、上達が速いそうである。
日本では、開国してまもなく、あちこちの欧米諸国がやって来たにも拘(かか)わらず、舶来のスポーツでは、野球が最もよく普及したようである。意外なところでは、日本は、幕末の開国以来、ともに、ヨーロッパ諸国からは小馬鹿にされているという共通点から、アメリカ合衆国とは親密なところがあるということもあるのかもしれない。
英国の水兵がサッカーを持ち込み、それが普及した例が他国にはある。南米にある公用語がスペイン語やポルトガル語の国に英語名のサッカー=チーム(ただし、現地語の読み方をしている場合がある)があれば、英国の水兵によってもたらされたものである。
日本では早い時期からのサッカーの人気は出なかった。20年くらい前にJリーグの創設とともに育成プログラムが始まって、少しずつ人気が出てきたが、それでも、日本代表の試合は耳目(じもく)を集めるが、Jリーグそのものには人気はない。
日本人は骨盤が後ろに傾斜しているので、脚を上げる動作に適していない。つまり、サッカーには骨格が適していないのである(その割には、なかなか強い)。
以上のようなことを考えていたら、注目すべき事実を知った。
日本に野球を伝えたは、1887年(明治4年)にお雇い外国人として来日したホーレス=ウィルソンHorace Wilsonである。まず、第一番中学で英語を教えつつ、野球を伝えた。第一番中学校は、その後、開成学校となり、東京開成学校となり、帝国大学となり、東京帝国大学となり、東京大学となった。
明治時代あたりに最強だった野球チームは、第一高等中学校(のちの、第一高等学校で、現在の東京大学教養学部)であった。今では東京六大学野球で50連敗以上をしている東京大学野球部であるが、明治時代には最強チームであり、言ってみれば、超古豪なのだ。
この点から、エリートが嗜(たしな)み、かつ、そこが最強チームであったということから、野球が普及したといえる理由の一端(いったん)があるのではなかろうか?
ここから、同様のことに思い至(いた)った。
たとえば、柔道は官立開成学校(後の東京大学)出身の嘉納治五郎(かのうじごろう)が普及に尽力(じんりょく)し、オリンピック競技にもなった。一方、中卒の植芝盛平(うえしばもりへい)の合気道は、より実戦的であるということから、軍隊や警察でも指導したが、柔道ほども普及していない。
京都大学がアメリカン=フットボールで大学日本一になったときには、世間の耳目(じもく)がアメリカン=フットボールに集まった。それ以前には、日本大学がアメリカン=フットボールで大学日本一に何度もなったが、そういうことにはならなかった。
ラクロスlacrosseなんてスポーツは日本で一般にはまったくといってよいほど知られていなかった。カナダの国技とはいえ、日本ではマイナー=スポーツであった。ところが、1986年に慶應義塾大学が日本で最初のラクロス=チームを結成すると、急速に知られるものとなり、続々とラクロス=チームが各大学で結成され、今では、高校にもラクロス=チームがあるようになった。
以上のように、立派な大学が活躍すると、そのスポーツは急速に普及するようだ。
まとめ
日本人は元々、剣術や剣道などで棒状のものを振り回すのが好きだった。
野球の場合、現在の東京大学が明治期に大活躍したので、普及した。
まとまりのない文章になってしまったが、面倒くさいので、書き直す気力はない。
追記:フィールド=ホッケーの日本男子代表は、1932年開催のロサンゼルス=オリンピックで銀メダルに輝いている。日本人は棒を振り回すのが得意な民族らしい。
2013年5月15日水曜日
共通一次試験導入のきっかけは横浜国立大学の内ゲバ殺人だった。
共通一次試験(正式名称:大学共通第1次学力試験)が導入されたきっかけは横浜国立大学での内ゲバ(うちげば)殺人だった。内ゲバは、「内部(ないぶ)ゲバルトGewalt」の略称で、ゲバルトはドイツ語で「暴力」の意味である。
1971年に、革マル派活動家が横浜国立大学内で中核派に殺害される。ついで、1974年に革マル派活動家が中核派に襲撃され、学生食堂に逃げ込んだが、学生が遠巻きに見守る中で、中核派がバールで後頭部を打ち砕(くだ)いた。
当局側が、この事件に驚いた。それ以前にも内ゲバ殺人事件はあったが、国立大学での内ゲバ事件でも、主犯はその国立大学内に入っていた私立大学の文系の学生や専門学校生が多かったので、危機意識がなかった。馬鹿がやっているにすぎないと。
ところが、横浜国立大学といえば、旧2期校のトップクラスの大学である。なぜ、そこの学生が内ゲバ殺人事件を起こしたのか、当局が調べた。
東京大学をはじめとする旧1期校の難関大学に不合格になって、旧2期校の横浜国立大学に進学した学生が多かった。
世田谷をはじめとする海岸寄りの東京西部と神奈川県川崎市・横浜市、その他の神奈川県在住者にとっては、千葉大学は遠すぎるし、東京外国語大学は、もともとは語学を生かしたスパイを養成する学校のようなところだし、東京学芸大学は給料の廉(やす)い教員養成施設にすぎないということで、横浜国立大学を受験し、進学する。だから、横浜国立大学は、消去法によって、2期校では優秀な大学になっていたにすぎなかった。
小学3年生あたりから、難関大学に進学しろと親に尻(しり)を叩(たた)かれ、10年あるいはそれ以上に亘(わた)って猛勉強につぐ猛勉強をした結果が、横浜国立大学となれば、落胆(らくたん)が大きいのは想像に難(かた)くない。
そして、その一部が、過激な学生運動に加わった。
マルクス主義という進歩史観(しんぽしかん)の魔物に魅入(みい)られた者たちである。進歩史観というは、世の中は徐々に、確実によくなっていくものであり、最終的には理想的な状態になるはずであるとするものである。進歩史観を信奉(しんぽう)することは、現時点で自分が思うとおりにならないのは社会が間違っているからであり、社会が進歩していれば、自分はもっと高く評価されているにちがいないと考えることでもある。マルクス主義者で、後に高く評価された例もあると考える場合もあるかもしれないが、高く評価しているのはマルクス主義者たちだけであって、それ以外からは評価されていない。
私の知り合いでも、望んだレベルの大学に進学できなかった人たちの中に、共産党員や左翼活動家になったという事例(じれい)は少なくない。
そんなわけで、当局は策(さく)を講(こう)ずることにした。
まず、1期校と2期校をなくし、国立大学は1回しか受験できないことにする。こうすれば「屈辱(くつじょく)の2期校進学(横浜国立大学進学)」がなくなる。大学の序列(じょれつ)がなくなるだろうと考えた。
つぎに共通1次試験の導入である。5教科7科目を受験させ、自己採点によって自分がどの程度の成績であるかを知らしめ、妥当(だとう)な大学を受験させることとした。
ところが、大手予備校が30万人分以上の自己採点の結果と志望校のデータを集め、共通1次試験の結果から合格できそうな大学を割り出すということをした。国立大学の序列化(じょれつか)が一層(いっそう)進んだわけである。
また、東京大学などの超難関大学は、共通1次試験のようなレベルの低い問題で高得点をあげられることが大学進学後の学業には相関関係がないとして、共通1次試験の比重をきわめて低くし、2次試験の比重を大きくした。つまり、共通1次試験の価値を減らす戦略(せんりゃく)に出たのである。最上位の国立大学に対しては、共通1次試験は効力(こうりょく)がなかったのである。
一方、大学進学にあたって、5教科7科目も受験してられるかよという層もいた。高度経済成長によって、私立大学の学費が負担できる社会階層が大幅に増えていた。その結果、私立大学の偏差値が急上昇した。偏差値で10から15、上昇した。真ん中あたりから下の国立大学の価値が下がったにすぎなかった。
1971年に、革マル派活動家が横浜国立大学内で中核派に殺害される。ついで、1974年に革マル派活動家が中核派に襲撃され、学生食堂に逃げ込んだが、学生が遠巻きに見守る中で、中核派がバールで後頭部を打ち砕(くだ)いた。
当局側が、この事件に驚いた。それ以前にも内ゲバ殺人事件はあったが、国立大学での内ゲバ事件でも、主犯はその国立大学内に入っていた私立大学の文系の学生や専門学校生が多かったので、危機意識がなかった。馬鹿がやっているにすぎないと。
ところが、横浜国立大学といえば、旧2期校のトップクラスの大学である。なぜ、そこの学生が内ゲバ殺人事件を起こしたのか、当局が調べた。
東京大学をはじめとする旧1期校の難関大学に不合格になって、旧2期校の横浜国立大学に進学した学生が多かった。
世田谷をはじめとする海岸寄りの東京西部と神奈川県川崎市・横浜市、その他の神奈川県在住者にとっては、千葉大学は遠すぎるし、東京外国語大学は、もともとは語学を生かしたスパイを養成する学校のようなところだし、東京学芸大学は給料の廉(やす)い教員養成施設にすぎないということで、横浜国立大学を受験し、進学する。だから、横浜国立大学は、消去法によって、2期校では優秀な大学になっていたにすぎなかった。
小学3年生あたりから、難関大学に進学しろと親に尻(しり)を叩(たた)かれ、10年あるいはそれ以上に亘(わた)って猛勉強につぐ猛勉強をした結果が、横浜国立大学となれば、落胆(らくたん)が大きいのは想像に難(かた)くない。
そして、その一部が、過激な学生運動に加わった。
マルクス主義という進歩史観(しんぽしかん)の魔物に魅入(みい)られた者たちである。進歩史観というは、世の中は徐々に、確実によくなっていくものであり、最終的には理想的な状態になるはずであるとするものである。進歩史観を信奉(しんぽう)することは、現時点で自分が思うとおりにならないのは社会が間違っているからであり、社会が進歩していれば、自分はもっと高く評価されているにちがいないと考えることでもある。マルクス主義者で、後に高く評価された例もあると考える場合もあるかもしれないが、高く評価しているのはマルクス主義者たちだけであって、それ以外からは評価されていない。
私の知り合いでも、望んだレベルの大学に進学できなかった人たちの中に、共産党員や左翼活動家になったという事例(じれい)は少なくない。
そんなわけで、当局は策(さく)を講(こう)ずることにした。
まず、1期校と2期校をなくし、国立大学は1回しか受験できないことにする。こうすれば「屈辱(くつじょく)の2期校進学(横浜国立大学進学)」がなくなる。大学の序列(じょれつ)がなくなるだろうと考えた。
つぎに共通1次試験の導入である。5教科7科目を受験させ、自己採点によって自分がどの程度の成績であるかを知らしめ、妥当(だとう)な大学を受験させることとした。
ところが、大手予備校が30万人分以上の自己採点の結果と志望校のデータを集め、共通1次試験の結果から合格できそうな大学を割り出すということをした。国立大学の序列化(じょれつか)が一層(いっそう)進んだわけである。
また、東京大学などの超難関大学は、共通1次試験のようなレベルの低い問題で高得点をあげられることが大学進学後の学業には相関関係がないとして、共通1次試験の比重をきわめて低くし、2次試験の比重を大きくした。つまり、共通1次試験の価値を減らす戦略(せんりゃく)に出たのである。最上位の国立大学に対しては、共通1次試験は効力(こうりょく)がなかったのである。
一方、大学進学にあたって、5教科7科目も受験してられるかよという層もいた。高度経済成長によって、私立大学の学費が負担できる社会階層が大幅に増えていた。その結果、私立大学の偏差値が急上昇した。偏差値で10から15、上昇した。真ん中あたりから下の国立大学の価値が下がったにすぎなかった。
2013年4月23日火曜日
その昔、美人は、美人であるがゆえに、高等女学校を卒業することができなかった。
戦前、あるいはそれ以上に昔の話になるが、美人は高学歴になれなかった。美人であるがゆえに、高等女学校を卒業することができなかった。
高等女学校でも授業参観はあった。しかし、今とはちがって、生徒の保護者や祖父母以外の、まったくの部外者も授業参観ができた。
当時の校長は、自分が勤務する高等女学校の生徒ができるだけよい縁談に恵まれるようにと、地元の名士・資産家・大地主などに、授業参観を開放していたのである。
すると、息子が28歳くらいになった地元の名士の奥様が、高等女学校の授業参観に出かける。高等女学校の生徒であるということから、一定の学力は担保(たんぽ)されるし、ある程度以上に裕福な家庭の出身であることも保証される。
授業参観で、女子生徒の品定めをしようにも、立ち居((たちい)振る舞い(ふるまい)に大きなちがいはないし、また、内面の性格は推(お)し量(はか)り辛(づら)い。
すると、ほぼ外見だけで、息子の嫁に相応(ふさわ)しそうな娘さんに目をつけ、校長に当該(とうがい)の女子学生の連絡先を訊(たず)ねる。
女学生の親としては、地元の名士や資産家からお見合いの申し込みがあれば、大喜びで承諾(しょうだく)する。
かくして縁談がまとまる。
今とはちがって、当時は、縁談が決まれば、そのまま中途退学して、嫁入りするものであった。今なら、卒業を待ってから結婚となりそうなものだが、即座に中途退学して入籍したのである。
以上のようにして、美人は、美人であるがゆえに、高等女学校を卒業することができなかったのである。
なお、その逆の場合はどうだったのであろうか?
学習院女子中・高等部の前身である華族(かぞく)女学校・学習院女学部・女子学習院の時代には、「卒業面(そつぎょうづら)」ということばがあった。
「不細工(ぶさいく)すぎて、在学中に縁談が来ることはなく、まちがいなく卒業できる顔」をしているという意味である。
また、この子は器量(きりょう)が悪いから、いい縁談に恵まれそうにないので、ひとりで生きていけ、かつ、女性のできる職業で安定しているものは教師だということで、教師になるように勧める場合が多かった。
かくして、今のお茶の水女子大学や奈良女子大学の前身である女子高等師範学校には、器量のよくない女性が集まった。
「女子高等師範学校卒業写真」でGoogleの画像検索をしてみると、おもしろいよ。
早稲田の女子学生が、決して綺麗だとは到底(とうてい)言えないというのは有名だが、世の中には上には上がいるものだと、納得させられる。
今は、どんなに美人でも、一流大学を卒業できる世の中になっているのだから、いい時代だよね。
高等女学校でも授業参観はあった。しかし、今とはちがって、生徒の保護者や祖父母以外の、まったくの部外者も授業参観ができた。
当時の校長は、自分が勤務する高等女学校の生徒ができるだけよい縁談に恵まれるようにと、地元の名士・資産家・大地主などに、授業参観を開放していたのである。
すると、息子が28歳くらいになった地元の名士の奥様が、高等女学校の授業参観に出かける。高等女学校の生徒であるということから、一定の学力は担保(たんぽ)されるし、ある程度以上に裕福な家庭の出身であることも保証される。
授業参観で、女子生徒の品定めをしようにも、立ち居((たちい)振る舞い(ふるまい)に大きなちがいはないし、また、内面の性格は推(お)し量(はか)り辛(づら)い。
すると、ほぼ外見だけで、息子の嫁に相応(ふさわ)しそうな娘さんに目をつけ、校長に当該(とうがい)の女子学生の連絡先を訊(たず)ねる。
女学生の親としては、地元の名士や資産家からお見合いの申し込みがあれば、大喜びで承諾(しょうだく)する。
かくして縁談がまとまる。
今とはちがって、当時は、縁談が決まれば、そのまま中途退学して、嫁入りするものであった。今なら、卒業を待ってから結婚となりそうなものだが、即座に中途退学して入籍したのである。
以上のようにして、美人は、美人であるがゆえに、高等女学校を卒業することができなかったのである。
なお、その逆の場合はどうだったのであろうか?
学習院女子中・高等部の前身である華族(かぞく)女学校・学習院女学部・女子学習院の時代には、「卒業面(そつぎょうづら)」ということばがあった。
「不細工(ぶさいく)すぎて、在学中に縁談が来ることはなく、まちがいなく卒業できる顔」をしているという意味である。
また、この子は器量(きりょう)が悪いから、いい縁談に恵まれそうにないので、ひとりで生きていけ、かつ、女性のできる職業で安定しているものは教師だということで、教師になるように勧める場合が多かった。
かくして、今のお茶の水女子大学や奈良女子大学の前身である女子高等師範学校には、器量のよくない女性が集まった。
「女子高等師範学校卒業写真」でGoogleの画像検索をしてみると、おもしろいよ。
早稲田の女子学生が、決して綺麗だとは到底(とうてい)言えないというのは有名だが、世の中には上には上がいるものだと、納得させられる。
今は、どんなに美人でも、一流大学を卒業できる世の中になっているのだから、いい時代だよね。
2013年4月16日火曜日
所属ゼミをプロフィールに記載する理由:早稲田出身の国会議員
私立大学では、教員数に対して学生数が多いので、ゼミナール、所謂(いわゆる)ゼミに入れる学生数は限定される。早稲田大学の場合、半分くらいの学生がゼミに入れない所謂(いわゆる)「ゼミなしっ子」になる。
ゼミなしっ子は、1年生と2年生の成績が悪いか、成績がよかったとしても、人格に問題がありそうだということで、ゼミの面接で落とされたか、そういう学生である。
半分の学生はゼミに入れない。ということは、ゼミに入っていないということは、真ん中以下の成績であったと考えてよい。この手の連中は就職活動で大いに苦戦する。
そう考えて、早稲田大学出身の国会議員のプロフィールを読むと、ほとんどの議員は所属ゼミについて書いていない。ということは、ほとんどの議員は、真ん中以下の成績でしかなかったらしいということになる。
衆議院に関しては、うちの選挙区の隣の選挙区に、菅原一秀(選挙用では「すがわら一秀」という表記を採用している)という国会議員がいるが、彼のウェブサイトには、所属したゼミと何を学んだのかが書かれている。わかる人にはわかるように、勉強ができたということをアピールしているのである。
一方、国立大学では、学生数に対する教員数が、私立と較べて多いので、だれでもどこかのゼミや研究室に入れるので、その大学の出身者でなければ、あの研究室だから勉強ができたのだろうなどということはわからない。
しかしながら、私立大学の場合だと、ゼミに入れるのは限られているので、ゼミに入っているというだけで馬鹿ではないということになる。
ところで、ちょっと前の話だが、立教大学で、ある学生の親が、同じ授業料を払っているのに、うちの子がゼミに入れないのは不公平であると訴(うった)えたそうである。
全員がゼミに入れるようにすれば、教員数を増やさなければならず、そうなると、授業料は現行よりも3倍以上になるだろう。さらに、だれでもどこかのゼミに入れるとなれば、日本の1流企業の人事部は、この大学では、なんとかという教授のゼミ出身者は能力が低いということを調べあげるので、3倍以上の授業料を払っても、就職の成果は、今と変わらない。そんなことがわからない親が「同じ授業料」というだけで、アホなことを言っていたのである。親子揃(そろ)って馬鹿だったのである。
ゼミなしっ子は、1年生と2年生の成績が悪いか、成績がよかったとしても、人格に問題がありそうだということで、ゼミの面接で落とされたか、そういう学生である。
半分の学生はゼミに入れない。ということは、ゼミに入っていないということは、真ん中以下の成績であったと考えてよい。この手の連中は就職活動で大いに苦戦する。
そう考えて、早稲田大学出身の国会議員のプロフィールを読むと、ほとんどの議員は所属ゼミについて書いていない。ということは、ほとんどの議員は、真ん中以下の成績でしかなかったらしいということになる。
衆議院に関しては、うちの選挙区の隣の選挙区に、菅原一秀(選挙用では「すがわら一秀」という表記を採用している)という国会議員がいるが、彼のウェブサイトには、所属したゼミと何を学んだのかが書かれている。わかる人にはわかるように、勉強ができたということをアピールしているのである。
一方、国立大学では、学生数に対する教員数が、私立と較べて多いので、だれでもどこかのゼミや研究室に入れるので、その大学の出身者でなければ、あの研究室だから勉強ができたのだろうなどということはわからない。
しかしながら、私立大学の場合だと、ゼミに入れるのは限られているので、ゼミに入っているというだけで馬鹿ではないということになる。
ところで、ちょっと前の話だが、立教大学で、ある学生の親が、同じ授業料を払っているのに、うちの子がゼミに入れないのは不公平であると訴(うった)えたそうである。
全員がゼミに入れるようにすれば、教員数を増やさなければならず、そうなると、授業料は現行よりも3倍以上になるだろう。さらに、だれでもどこかのゼミに入れるとなれば、日本の1流企業の人事部は、この大学では、なんとかという教授のゼミ出身者は能力が低いということを調べあげるので、3倍以上の授業料を払っても、就職の成果は、今と変わらない。そんなことがわからない親が「同じ授業料」というだけで、アホなことを言っていたのである。親子揃(そろ)って馬鹿だったのである。
2013年3月31日日曜日
安倍首相の掌(たなごころ)で弄(もてあそ)ばれた小西洋之の予算委員会での質疑
2013年3月29日金曜日に、民主党の小西洋之が参議院予算委員会で安倍首相に質問をしたが、暫定予算(ざんていよさん)とは関係のない憲法論議であった。
安倍晋三が憲法学者の芦部信喜(あしべのぶよし)を知らないと答えたことで、無知なのではないかと思った人が少なからずいるようだ。
ところが、よくよく考えると、安倍首相は、わざと答えない、知らないという手段に出たことが窺(うかが)われる。つまり、知っていても、わかっていても、知らない・わからないと、態(わざ)とやったらしいのだ。
小西洋之は、ブログなどの記述からすると、つぎのようなシナリオを考えていたらしい。
---
安倍首相に質問をする。安倍首相が「第13条です」と答える。そこから、現行憲法と自民党の改正案を比較する。その上で、自民党の改正案は中華人民共和国憲法第51条や大日本帝国憲法と変わらないと指摘して攻撃する。
---
ところが、しょっぱなの質問から、安倍首相は答えない。答えようとしない。答える気がない。事前に小西洋之から配布された資料があるのに、答えない。知らないふりをする。
答えなければ、質問者が質問の答えを述べて、説明しなければならない。そうすると、質問者の質問時間が空費(くうひ)される。
途中で、麻生太郎が出てきて、質問をもう一度言ってくださいと言う。
時間稼(かせ)ぎである。
ところが、小西洋之は時間稼ぎに気づかない。べらべらと話すのである。勝ち誇っているらしい。
結局、自分が描いたシナリオどおりには進まなかった。
おまけに、「国会でクイズをするな」などの批判を浴(あ)びる。
憲法学者の芦部信喜(あしべのぶよし)を知っているかと訊(たず)ねたが、存じ上げませんと言われる。
これまた、安倍首相による時間稼ぎである。
ここで小西洋之が芦部信善の学説について解説することを安倍首相は狙(ねら)ったようだ。説明すれば、その分だけ、質問の持ち時間がどんどん減っていく。ところが、小西洋之は、手短(てみじか)に芦部信善のことを説明する能力がなかったせいで、この時間稼ぎ作戦にはひっかからなかったというか、ひっかかりようがなかった。ちょっと残念。
小西洋之には、特定の学者の業績を咄嗟(とっさ)に解説する能力がなかったようだ(まあ、私にもないけど)。
安倍首相が芦部信喜を知らないと言ったことから、興奮してしまって、「高橋かずひろさん、佐藤幸治さんという憲法学者、ご存知ですか?」と質問する。
安倍首相は、これまた、知らないと答える。知っていても知らないと躱(かわ)す。第1次安倍内閣のときに得た教訓によるものだろう。
憲法学者の高橋和之(たかはしかずゆき)を間違えて、高橋かずひろと小西洋之は言ってしまった。そりゃあ、知っている人はいないわな。実在(じつざい)しないのだから。
この手の間違いは、生半可(なまはんか)な知識のときに生じやすい。たとえば、「シミュレーション」simulationを「シュミレーション」と言ってしまうとか、「オランウータン」orangutanを「オラウータン」と間違えるような類(たぐい)の間違え方である。
こうした間違え方をすると、本当は憲法のことは詳しくないんじゃないのと邪推(じゃすい)されてしまう。自(みずか)ら墓穴(ぼけつ)を掘(ほ)ったわけだ。
ほかにも、「たぶん、谷垣総裁なら知っているでしょう」と、安倍晋三自民党総裁に向かって言った。「谷垣前総裁」と言うべきところである。
さらには、「総理が声高(こえだか)に言っている……」と言っていた。「声高」は「こわだか」なのであって、「こえだか」ではない。流石(さすが)に、これはまずい。うちの小学生たちでさえ、「こわだか」だと知っている。
声音(こわね)、声色(こわいろ)などがあるのだから、どうしてこういう読み間違いをするのか理解に苦しむ。
まあ、「陵」の訓読みが「みささぎ」だとは知らない人は多いし、また「肉」の訓読みが「しし」で、「台」の訓読みに「うてな」があるということを知らない人は多い。最近では、「酒米(さかまい)」「酒代(さかだい)」を「さけまい」「さけだい」と読む人が多くなっているから、「声高」を「こえだか」と読む若僧(わかぞう)がいても不思議はないのだろうけど。でも、ちょっと恥ずかしいよね。
ところで、この小西洋之の経歴を調べたら、徳島大学医学部に進学して、2年生で中途退学して、東京大学に進学している。教養学部出身だが、入学時に文科1類なのか文科2類なのか文科3類なのか明記していない。ということは、たぶん、文科3類なのだろう。
医学部を2年生の時点で中途退学するというのは、どういうことか?
うーん、これはもしかすると、骨学(こつがく)の試験に嫌気がさしたのではないだろうか? 人間の骨は200くらいだが、ひとつひとつの骨にも、突起(とっき)している部分や凹(へこ)んでいる部分などにも別個(べっこ)に名前がついている。そうすると、合計で900くらいの名前をラテン語で憶(おぼ)えなければならない。レベルの低い大学では、英語名だけでよいらしい。
早い大学では、大学2年生で人体解剖をする。もしかすると、人体解剖に耐(た)えられなかった可能性もある。しかし、徳島大学医学部は、和歌山県立医科大学よりもレベルが低いのだから、2年生で人体解剖をやっているとは思えない。
また、小西洋之は、東京大学に進学したものの、したい学問がなかったらしく、教養学部に進学した。国家公務員1種試験を受験したものの不合格になっている。翌年、なんとか合格しているが、点数が低かったらしく、エリート省庁には入省できず、郵政省だか、総務省だかに入っている。
それなりに努力したけれども報われなかった人の中には、小学校からエスカレータ式で大学を卒業した者を憎む者がいる。野心的でありながら、無能な努力家である場合には、家柄がよくて、育ちがよい人間を異常なまでに憎む者がいる。
家柄や育ちがよいからといって、他人(ひと)を不当に差別してはいけないと思うのだが。
以上を纏(まと)めるとこうなる。
1)わかっていることでも「知らない」と惚(とぼ)けられ、自(みずか)らが描いたシナリオどおりにいかなかったので、切れた。
2)興奮して、憲法学者の「高橋和之(かずゆき)」を「高橋かずひろ」と間違ってしまった。
3)「声高(こわだか)」を「こえだか」と小学生でもしない読み間違いをしてしまった。
4)「谷垣前総裁」を「谷垣総裁」と言ってしまった。
5)たぶん、骨の名前をラテン語で900個、憶えられなかったので医学部を中途退学したらしい。
6)たぶん、文科3類に合格したものの、文学部や教育学部の学問内容には興味がなく、とりあえず、教養学部に進学した。
7)国家公務員1種試験に落ちて、浪人して、翌年、なんとか合格したが、点数がよくなかったので、郵政省だか、総務省だかにしか入れなかった(文部科学省にしか入省できなかった奴らよりもましだけど、財務省や国土交通省よりはレベルが遙(はる)かに低い)。
8)事務次官などにはなれそうにないので、退職して政治家になった。
なんだか、恥ずかしい人生だなあ。
ところで、他人を攻撃する場合には、もっと用意周到(よういしゅうとう)にしなきゃね。まあ、止むに止まれぬ場合以外は、攻撃しないのがいちばんなんだろうけど。
安倍晋三が憲法学者の芦部信喜(あしべのぶよし)を知らないと答えたことで、無知なのではないかと思った人が少なからずいるようだ。
ところが、よくよく考えると、安倍首相は、わざと答えない、知らないという手段に出たことが窺(うかが)われる。つまり、知っていても、わかっていても、知らない・わからないと、態(わざ)とやったらしいのだ。
小西洋之は、ブログなどの記述からすると、つぎのようなシナリオを考えていたらしい。
---
安倍首相に質問をする。安倍首相が「第13条です」と答える。そこから、現行憲法と自民党の改正案を比較する。その上で、自民党の改正案は中華人民共和国憲法第51条や大日本帝国憲法と変わらないと指摘して攻撃する。
---
ところが、しょっぱなの質問から、安倍首相は答えない。答えようとしない。答える気がない。事前に小西洋之から配布された資料があるのに、答えない。知らないふりをする。
答えなければ、質問者が質問の答えを述べて、説明しなければならない。そうすると、質問者の質問時間が空費(くうひ)される。
途中で、麻生太郎が出てきて、質問をもう一度言ってくださいと言う。
時間稼(かせ)ぎである。
ところが、小西洋之は時間稼ぎに気づかない。べらべらと話すのである。勝ち誇っているらしい。
結局、自分が描いたシナリオどおりには進まなかった。
おまけに、「国会でクイズをするな」などの批判を浴(あ)びる。
憲法学者の芦部信喜(あしべのぶよし)を知っているかと訊(たず)ねたが、存じ上げませんと言われる。
これまた、安倍首相による時間稼ぎである。
ここで小西洋之が芦部信善の学説について解説することを安倍首相は狙(ねら)ったようだ。説明すれば、その分だけ、質問の持ち時間がどんどん減っていく。ところが、小西洋之は、手短(てみじか)に芦部信善のことを説明する能力がなかったせいで、この時間稼ぎ作戦にはひっかからなかったというか、ひっかかりようがなかった。ちょっと残念。
小西洋之には、特定の学者の業績を咄嗟(とっさ)に解説する能力がなかったようだ(まあ、私にもないけど)。
安倍首相が芦部信喜を知らないと言ったことから、興奮してしまって、「高橋かずひろさん、佐藤幸治さんという憲法学者、ご存知ですか?」と質問する。
安倍首相は、これまた、知らないと答える。知っていても知らないと躱(かわ)す。第1次安倍内閣のときに得た教訓によるものだろう。
憲法学者の高橋和之(たかはしかずゆき)を間違えて、高橋かずひろと小西洋之は言ってしまった。そりゃあ、知っている人はいないわな。実在(じつざい)しないのだから。
この手の間違いは、生半可(なまはんか)な知識のときに生じやすい。たとえば、「シミュレーション」simulationを「シュミレーション」と言ってしまうとか、「オランウータン」orangutanを「オラウータン」と間違えるような類(たぐい)の間違え方である。
こうした間違え方をすると、本当は憲法のことは詳しくないんじゃないのと邪推(じゃすい)されてしまう。自(みずか)ら墓穴(ぼけつ)を掘(ほ)ったわけだ。
ほかにも、「たぶん、谷垣総裁なら知っているでしょう」と、安倍晋三自民党総裁に向かって言った。「谷垣前総裁」と言うべきところである。
さらには、「総理が声高(こえだか)に言っている……」と言っていた。「声高」は「こわだか」なのであって、「こえだか」ではない。流石(さすが)に、これはまずい。うちの小学生たちでさえ、「こわだか」だと知っている。
声音(こわね)、声色(こわいろ)などがあるのだから、どうしてこういう読み間違いをするのか理解に苦しむ。
まあ、「陵」の訓読みが「みささぎ」だとは知らない人は多いし、また「肉」の訓読みが「しし」で、「台」の訓読みに「うてな」があるということを知らない人は多い。最近では、「酒米(さかまい)」「酒代(さかだい)」を「さけまい」「さけだい」と読む人が多くなっているから、「声高」を「こえだか」と読む若僧(わかぞう)がいても不思議はないのだろうけど。でも、ちょっと恥ずかしいよね。
ところで、この小西洋之の経歴を調べたら、徳島大学医学部に進学して、2年生で中途退学して、東京大学に進学している。教養学部出身だが、入学時に文科1類なのか文科2類なのか文科3類なのか明記していない。ということは、たぶん、文科3類なのだろう。
医学部を2年生の時点で中途退学するというのは、どういうことか?
うーん、これはもしかすると、骨学(こつがく)の試験に嫌気がさしたのではないだろうか? 人間の骨は200くらいだが、ひとつひとつの骨にも、突起(とっき)している部分や凹(へこ)んでいる部分などにも別個(べっこ)に名前がついている。そうすると、合計で900くらいの名前をラテン語で憶(おぼ)えなければならない。レベルの低い大学では、英語名だけでよいらしい。
早い大学では、大学2年生で人体解剖をする。もしかすると、人体解剖に耐(た)えられなかった可能性もある。しかし、徳島大学医学部は、和歌山県立医科大学よりもレベルが低いのだから、2年生で人体解剖をやっているとは思えない。
また、小西洋之は、東京大学に進学したものの、したい学問がなかったらしく、教養学部に進学した。国家公務員1種試験を受験したものの不合格になっている。翌年、なんとか合格しているが、点数が低かったらしく、エリート省庁には入省できず、郵政省だか、総務省だかに入っている。
それなりに努力したけれども報われなかった人の中には、小学校からエスカレータ式で大学を卒業した者を憎む者がいる。野心的でありながら、無能な努力家である場合には、家柄がよくて、育ちがよい人間を異常なまでに憎む者がいる。
家柄や育ちがよいからといって、他人(ひと)を不当に差別してはいけないと思うのだが。
以上を纏(まと)めるとこうなる。
1)わかっていることでも「知らない」と惚(とぼ)けられ、自(みずか)らが描いたシナリオどおりにいかなかったので、切れた。
2)興奮して、憲法学者の「高橋和之(かずゆき)」を「高橋かずひろ」と間違ってしまった。
3)「声高(こわだか)」を「こえだか」と小学生でもしない読み間違いをしてしまった。
4)「谷垣前総裁」を「谷垣総裁」と言ってしまった。
5)たぶん、骨の名前をラテン語で900個、憶えられなかったので医学部を中途退学したらしい。
6)たぶん、文科3類に合格したものの、文学部や教育学部の学問内容には興味がなく、とりあえず、教養学部に進学した。
7)国家公務員1種試験に落ちて、浪人して、翌年、なんとか合格したが、点数がよくなかったので、郵政省だか、総務省だかにしか入れなかった(文部科学省にしか入省できなかった奴らよりもましだけど、財務省や国土交通省よりはレベルが遙(はる)かに低い)。
8)事務次官などにはなれそうにないので、退職して政治家になった。
なんだか、恥ずかしい人生だなあ。
ところで、他人を攻撃する場合には、もっと用意周到(よういしゅうとう)にしなきゃね。まあ、止むに止まれぬ場合以外は、攻撃しないのがいちばんなんだろうけど。
2013年3月29日金曜日
アメリカ合衆国の保険の掛け金は、加入者の知能が高ければ高いほど廉(やす)くなるそうだ。
以前に、保険の代理店をしていたというおじさんから聞いた話だが、アメリカ合衆国の保険では、加入者の知能が高ければ高いほど、掛け金が廉(やす)くなるそうだ。
尚(なお)、知能の高い低いはどうやって決めているかは不明である。大学進学時に受験するSAT(大学進学適性試験Scholastic Assessment Test)と知能にはある程度の相関関係があるから、それを利用するのかもしれないし、大学での成績を参照するのかもしれない。まあ、わからない。
それはともかく、古い情報なので、今でもそうなのかは知らないが、アメリカ合衆国的には合理的な設定だろう。事実、知能が高い人のほうが交通事故死の割合は低い。昔の高校生によるオートバイの死亡事故も、偏差値の低い高校ほど多い印象が強くある。
知能が高くないせいで、低所得に喘(あえ)ぐ人々は平気で中国産の食品を食べるだろうから、知能が高い階層よりも、平均寿命は短いだろう。
知的な階層は、病気に罹(かか)った際には、その疾病(しっぺい)に関する書物を読み、充分に理解した上で、禁止事項を守る傾向があるが、そうでない人は「これくらいなら、大したことはなかろう」と、医師の指示を守らない傾向がある。以前、私が若年性急性心筋梗塞を患(わず)った際に、こうしたことを担当医師から聞かされた。
ほかにも様々(さまざま)な要因から、知能が高ければ掛け金を低くするというのは、アメリカ的な意味では、合理的であろう。
今後、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定Trans-Pacific Strategic Economic Partnership)に日本が参加したなら、アメリカ合衆国の保険会社が、アメリカ流の掛け金の設定方法で参入するかもしれない。そうなると、日本国内の頭のいい人は、そうした設定方法の保険に加入するが、頭がよいとは言えない人々は、従来型の掛け金設定方法の日本の保険会社の保険に加入するだろう。
しかし、そうなると、日本の保険会社は知能に拘(かか)わりなく、同一掛け金にしているのだが、優良な顧客(こきゃく)である知能の高い階層がアメリカの保険会社に流れれば、採算が悪化する。病気になったり、事故に遭(あ)ったりする確率の低い人間が少なくなるのだから。となれば、掛け金を上げざるをえなくなる。あるいは、アメリカの保険同様、知能による掛け金の細分化(さいぶんか)が必要になる。
最終的には、アメリカ型の掛け金の計算方法になる。
すると、知能が高くない貧困層は保険に入れなくなる。実際、アメリカ合衆国では健康保険に入っていない階層が存在する。診療費(しんりょうひ)の高い合衆国では「病気になるのも命懸(いのちが)け」と言われているそうだ。
現時点で、日本の保険会社は、どういうシミュレーションを行ない、どういう対策を施(ほどこ)そうとしているのだろうか?
尚(なお)、知能の高い低いはどうやって決めているかは不明である。大学進学時に受験するSAT(大学進学適性試験Scholastic Assessment Test)と知能にはある程度の相関関係があるから、それを利用するのかもしれないし、大学での成績を参照するのかもしれない。まあ、わからない。
それはともかく、古い情報なので、今でもそうなのかは知らないが、アメリカ合衆国的には合理的な設定だろう。事実、知能が高い人のほうが交通事故死の割合は低い。昔の高校生によるオートバイの死亡事故も、偏差値の低い高校ほど多い印象が強くある。
知能が高くないせいで、低所得に喘(あえ)ぐ人々は平気で中国産の食品を食べるだろうから、知能が高い階層よりも、平均寿命は短いだろう。
知的な階層は、病気に罹(かか)った際には、その疾病(しっぺい)に関する書物を読み、充分に理解した上で、禁止事項を守る傾向があるが、そうでない人は「これくらいなら、大したことはなかろう」と、医師の指示を守らない傾向がある。以前、私が若年性急性心筋梗塞を患(わず)った際に、こうしたことを担当医師から聞かされた。
ほかにも様々(さまざま)な要因から、知能が高ければ掛け金を低くするというのは、アメリカ的な意味では、合理的であろう。
今後、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定Trans-Pacific Strategic Economic Partnership)に日本が参加したなら、アメリカ合衆国の保険会社が、アメリカ流の掛け金の設定方法で参入するかもしれない。そうなると、日本国内の頭のいい人は、そうした設定方法の保険に加入するが、頭がよいとは言えない人々は、従来型の掛け金設定方法の日本の保険会社の保険に加入するだろう。
しかし、そうなると、日本の保険会社は知能に拘(かか)わりなく、同一掛け金にしているのだが、優良な顧客(こきゃく)である知能の高い階層がアメリカの保険会社に流れれば、採算が悪化する。病気になったり、事故に遭(あ)ったりする確率の低い人間が少なくなるのだから。となれば、掛け金を上げざるをえなくなる。あるいは、アメリカの保険同様、知能による掛け金の細分化(さいぶんか)が必要になる。
最終的には、アメリカ型の掛け金の計算方法になる。
すると、知能が高くない貧困層は保険に入れなくなる。実際、アメリカ合衆国では健康保険に入っていない階層が存在する。診療費(しんりょうひ)の高い合衆国では「病気になるのも命懸(いのちが)け」と言われているそうだ。
現時点で、日本の保険会社は、どういうシミュレーションを行ない、どういう対策を施(ほどこ)そうとしているのだろうか?
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2013年2月27日水曜日
成人式の数日後に高学歴限定で小学校の同窓会を行なった人々が近所にいた。
数年前の話である。
成人式後に、同じ小学校出身者で2次会を行なった。懐かしくて、楽しかったそうである。
その生徒(当校には大学生の生徒もいる)に、後日、メールが届いた。
---
今度(このたび)、◯◯小学校出身者で、中高一貫校に進学して、東京六大学や旧帝国大学や旧国立大学1期校(実質的に、東京工業大学・一橋大学のみ)に通う者に限定した呑(の)み会を開くので、参加願いたい。
---
公立中学校・都立高等学校に進学して、高校を中退したり、その時点で働いている人や、なんだかわからない大学に通っている人がいたりすると、気を遣(つか)わざるをえず、のびのびと話ができないから、高学歴限定の呑(の)み会を催(もよお)すことにしたのだという。
中高一貫の私立に通って、それなりに難関の大学に進学している者だと、世帯収入なども近いので、服装などにかける金額に大きな隔(へだ)たりもない。
将来の職業について語る場合も、似たレベルの大学だと、気楽に話ができる。しかし、逆立ちしたって総合商社に採用されるわけがない人の前で、総合商社に採用されるようにと、こんな努力をしているなんてことは話せない。
また、帝京大学や日本大学生産工学部の英語の授業は中学3年生以下のレベルらしいなんてことも言えない。
さて、高学歴限定の小学校の同窓会に参加したうちの生徒によれば、変に気を遣(つか)わなくてよかったので、ものすごく楽しかったという。
この話を当校の中学生・高校生にしたところ、強い不快感を示した生徒と、そりゃあ、そうだろうなと納得した生徒とのふたつに別れた。
また、慶應義塾大学法学部出身の知り合いにこの話をしたところ、「そんなことをしたら、俺(おれ)の場合、ひとりぼっちの同窓会になってしまう」と言った。
成人式後に、同じ小学校出身者で2次会を行なった。懐かしくて、楽しかったそうである。
その生徒(当校には大学生の生徒もいる)に、後日、メールが届いた。
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今度(このたび)、◯◯小学校出身者で、中高一貫校に進学して、東京六大学や旧帝国大学や旧国立大学1期校(実質的に、東京工業大学・一橋大学のみ)に通う者に限定した呑(の)み会を開くので、参加願いたい。
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公立中学校・都立高等学校に進学して、高校を中退したり、その時点で働いている人や、なんだかわからない大学に通っている人がいたりすると、気を遣(つか)わざるをえず、のびのびと話ができないから、高学歴限定の呑(の)み会を催(もよお)すことにしたのだという。
中高一貫の私立に通って、それなりに難関の大学に進学している者だと、世帯収入なども近いので、服装などにかける金額に大きな隔(へだ)たりもない。
将来の職業について語る場合も、似たレベルの大学だと、気楽に話ができる。しかし、逆立ちしたって総合商社に採用されるわけがない人の前で、総合商社に採用されるようにと、こんな努力をしているなんてことは話せない。
また、帝京大学や日本大学生産工学部の英語の授業は中学3年生以下のレベルらしいなんてことも言えない。
さて、高学歴限定の小学校の同窓会に参加したうちの生徒によれば、変に気を遣(つか)わなくてよかったので、ものすごく楽しかったという。
この話を当校の中学生・高校生にしたところ、強い不快感を示した生徒と、そりゃあ、そうだろうなと納得した生徒とのふたつに別れた。
また、慶應義塾大学法学部出身の知り合いにこの話をしたところ、「そんなことをしたら、俺(おれ)の場合、ひとりぼっちの同窓会になってしまう」と言った。
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自己紹介

- 掃除機庵主人
- 和歌山県, Japan
- 早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。
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